〈T-ns SOWL〉国会議事堂前抗議行動──10代の熱に詰め寄るメディアの欲

4月29日(金)、国会議事堂前にて〈T-ns SOWL〉(Teens Stand up to Oppose War Law)が安倍政権の退陣を求める抗議行動を行った。同グループは安保法制に反対することを目的として立ち上げられたもので、高校生や10代の若者が主なメンバーだ。首相官邸前で行われている反原発連合の活動を取材した筆者は、少し遅れて国会議事堂前に到着。国会議事堂と警察、大勢(30名超)の取材陣を前にした〈T-ns SOWL〉が、一見して熱のこもった声を上げていた。

「集団的自衛権はいらない」「戦争反対」などという聞きなれたシュプレヒコールに加え、あるいは練習を重ねたのではと思われるような、新鮮でリズミカルなオリジナルコール。それに答えるメンバーは、白色に統一された拡声器を握り締め、しっかりと声を出していた。

暴力性を帯びがちなかつてのデモ活動に比し、〈T-ns SOWL〉の活動からは「フラットな民主性」が感じられた。それは、彼らの用いる言葉やその服装が「社会的一般」を外れていないという事実に依るところが大きいと思う。

より多くの社会構成員に働きかけることを目的のひとつとして認めるのであれば、一般的な言葉で語りかけるというのは非常に重要なことである。この観点からすると、彼らの態度はメンバーの若年性を考慮せずとも評価さるべきものである。

もうひとつ感じたことを述べる。これは〈SEALDs〉についても言えることなのだが〈T-ns SOWL〉のデモ活動からは、浮き足立っているような、言わば「部活動」的な印象を受けた。これはそのメンバーの多くが生活を持たないという点に起因するものであろうが、あるいは不可避的なものだとも言えよう。重要なのは、そういった印象を与えるということを自覚しているかということと、その自覚を持った上で為すべき仕事を追求しているか、ということである。これは私見だが、彼らの仕事は「半ばほども社会参与していない高校生ですら問題意識を持つ安保法制とはいったいなんだろう」といった手順で問題意識を惹起させることだと思う。

大学生主体の〈SEALDs〉に次いで現れた〈T-ns SOWL〉は、メンバーが高校生であるという点が最も特徴的であり、その特徴はメディアにとって格好の要素である。先述した通り、現場にはその「ネタ性」を証明するように筆者を含めた報道関係者が詰めかけている。メディアは〈T-ns SOWL〉とその活動を資本に変換すべく様々な調理を試みるだろう。そういった社会の利害関係に絡め捕られることなく、自分たちの立場と為すべき仕事を認識し、主体的に行動できればと願うが、非常な困難が伴うであろう。まずは今後の動向を眺めようと思う。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮浩平(写真家)
1986年東京生まれ。
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驚きの「メーデー」──5月1日は畑仕事のプロ、高田さんを思い出す

高田さん(仮名)はまだご存命でしょうか。高田さんに農作業のイロハを教えて頂いたのはもうだいぶ前のことです。あの頃、僕は関西の田舎に住んでいて、職場の近くに畑を借りていました。その畑は持ち主の方が忙しくて、使えなくなっているからと好意で貸してくれていました。

高田さんは、僕が借りていた畑の隣に、自分の畑を持っていました。高田さんは、畑と、小さな雑貨屋さんを持っていました。雑貨屋さんは、コンビニが増えたので売り上げが上がらなくなって、その頃は畑仕事に出る時間が増えていたみたいでした。高田さんは口数が少ないおじいさんだから、最初のうちは挨拶を交わすくらいでした。

高田さんは野菜作りの名人で、そのうち僕に色々な智恵を教えてくれるようになりました。疲れない鍬の使い方、用水からの水の引き方、雑草引きのコツ、作物ごとの育て方、肥料の選び方と施肥の妙、連作しても平気な野菜とダメな野菜。高田さんは、野菜作りのことは何でも知っていました。おかげで僕は、素人にしては立派な収穫を得ることが出来ました。翌日の天気を、空や雲を見ながら教えてくれることもありました。高田さんの天気予報が外れることはなかったです。

高田さんは、野良仕事の話以外の話題を、自分から切り出すことはありませんでした。だから、いつも僕から話しかけないと始まりません。ゴールデンウイーク合間のある日(5月1日でした)、仕事が早く終わった僕は、畑に向かいました。

高田さんは、夏野菜の苗をうえる仕事で忙しそう。高田さんは僕を見つけると仕事の手をとめて、あぜ道に腰を下ろし、煙草を吸い始めました。高田さんのタバコはハイライトです。珍しく高田さんから話しかけて来ました。だからよく覚えています。
「あれにはいかんのかい?」
「あれ、ってなんですか?」と僕が聞き返すと、
「今日はメーデーやろ。組合のあつまりがあるんやろ。若い者はいかなあかんのちゃうんか?」
「僕の仕事場には組合はないからメーデーにいくことはないんです」
「あーそうか」。
高田さんからメーデーを話題にされてちょっとびっくりしました。

それから、僕が聞いたわけでもないのに高田さんは、珍しく野良仕事とは関係ない、自分の話をはじめました。雑貨屋さんを始めた理由(ちょっと気の毒な話でした)や、奧さんとの縁談。それから驚いたのは僕らの畑から、京都や、大阪へは電車で1時間半もあれば十分行ける場所でしたし、高田さんの家もそのそばだったのに、高田さんは京都にも、大阪にも「生まれてから一回も行ったことがない」と言われたことです。電車に乗ることはあるそうですが、「京都や、大阪は知らん。行ったことがない」。別に偉そうにするわけでもなく、秘密の話を打ち明けるようでもなく、高田さんは僕にそう話しました。

70代だった高田さんには、京都や、大阪に出かける必要がなかったのかなぁと不思議でした。高田さんはテレビが好きで、物知りというか、頭のいい人でした。だから畑仕事とは関係ない話をしていても、僕が知らない事件や、考えを教えてくれるので「京都や、大阪は知らん。行ったことがない」はびっくりでした。電車には乗るけど、新幹線や飛行機は高田さんには無縁の乗り物です。

僕の畑で、まだ実を付けてたエンドウをむしりながら、高田さんに、僕の畑から聞いてみました。「京都や大阪に行こうと思ったことはないんですか?」、「あらへん。行くことあらへんから」雑草を抜きながら、田中さんは少し楽しそうな声で答えてくれました。

あちこちに出かけて、世界をたくさん旅行すればするほど、知識が増えて世の中がわかる、と思っていた僕には驚きの「メーデー」でした。畑仕事のプロは、どこに行かなくても世界を知っている賢人でした。

今日は「メーデー」です。高田さんはまだ元気にしているかな。僕も最近、京都や大阪に出かけるのが億劫になってきました。

なんでだろう。

でも、高田さんみたいな「仙人」にはなれそうもありません。
さて、地域のメーデー集会に行って来ます。

(伊藤太郎)

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ヒロヒト没後27年の「昭和の日」に、かからなかった虹をまた思い描く

記事をスクラップしてノートを作成したり、ニュースや情報を整理することが非常に苦手で、整理整頓が身についていない私が、この新聞だけは「残しておくべきだろう」と直感し適当な封筒に入れて押入れの奥に放り込んでいた。その後、幾たび転居したのか数えるのも億劫だ。転居ごとに蔵書や資料を処分し、私物は衣装ケース数箱になったのだが、この新聞は処分されずに残っていた。

この男が死亡した日1989年1月7日の夕刊は、新聞社の有料過去記事検索サービスや、大きな図書館に行けばどなたでも見ることができるだろう。保存にさしたる配慮もしなかったため、折り目がつき、全体が黄ばんでいる私の持ち物からは、言葉を慎重に選ばねば感想を述べるのを躊躇わせる「凶相」が滲み出ている。

今日は「昭和の日」だ。正直でよろしい。4月29日は昭和天皇ヒロヒトの誕生日で、この男が死亡する1989年以前はやはり休日「天皇誕生日」だった。週休2日制がまだ定着していない時代にこの時期の「ゴールデンウイーク」は勤労者にとっては貴重だったと想像できる。だからだろうか、現金なものでこの休日の恩恵に比すると、この日が持つ罪の側面はお疎かにしか意識されていない。

1989年ヒロヒトが死亡すると4月29日は「みどりの日」となった。現天皇アキヒトの誕生日(12月23日)が新たな「天皇誕生日」として休日になったが、「ヒロヒト天皇誕生日」を廃止することは、天皇主義者にとって(あるいは無意識な休日恩恵享受者にとって)は許されざることだった。だから4月29日は1989年から2006年までは「みどりの日」の名称で休日とされた。

その理由を「昭和の日普及委員会」(設立発起人:財団法人国民精神財団、現在は活動休止の模様)は、 「昭和天皇が自然を愛したことにちなんで、平成元年から『みどりの日』と名称を変えて祝日として存続しました。自然をこよなく愛された昭和天皇は、『全国植樹祭』にも必ずご臨席になり、ご自身の手により植樹をされてきました」と解説している。

ヒロヒトが戦後、戦争責任を一切不問にされ、「全国植樹祭」に参加していたことはその通りだけれども、ヒロヒトの評価を戦後の行為に限定するのは乱暴に過ぎる。ヒロヒトは敗戦までは「大元帥陛下」(日本軍の最高指揮官)であり「現人神」であった。人間ではなく「神」として、日本国民に対しては徹底的かつ絶対的な存在だった。敗戦までのヒロヒトの行為はアジアを中心に3千万人の他国人を殺し、300万人の日本人も死に導いた「最高指揮官」だ。1945年までのヒロヒトは自身が手を下しはしなくとも、洪水のような「血」を流させた責任者なのだから、ヒロヒトを象徴する色は「みどり」ではなく「赤」ではないのか。「赤の日」では具合が悪いか。

1975年10月31日、有名な話ではあるがヒロヒトは初の訪米から帰国後、皇居「石橋の間」で戦後初めてにして最後の記者会見に臨む。記者が「また陛下はいわゆる戦争責任についてはどのようにお考えになりますか」と質問するとヒロヒトは、
「そういう言葉のあやについては文学はあまり研究していないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」
と答えた。

数々の詔や難渋な勅旨を戦争中に連発していたのは誰だ。いわゆる「玉音放送」にしたところで、棒読みの様子は明らかではあるが、あの文章は多少「文学的」ではないのか。ヒロヒトの言い分には幾ばくかの推測の余地(詔や勅旨、玉音放送の文章は誰か他人が書いていた、それだけでなく大元帥陛下の地位自体が祭り上げられ、虚構であった)が含まれるとの斜に構えた解釈が成立しなくもない。

しかし、この開き直りこそが裁かれるべくして裁かれず、あろうことか「国民統合の象徴」として生涯を終えたヒロヒト大罪の真骨頂である。

黄ばんだ新聞の活字はリードの部分だけは意識的に大く書かれているが、本文は現在の3分の2ほどの大きさだ。新聞の文字は当時この大きさが標準だった。2016年の新聞と比較すると随分小さい活字で埋められた紙面16頁はヒロヒト賛美で埋め尽くされているがその中にこんな文章がある。

「天皇裕仁は侵略戦争の最大かつ最高の責任者であった。絶対主義的天皇制は、暗黒支配を維持し、侵略戦争と他民族抑圧を遂行するため、国内にあっては徹底した人権抑圧をおこなった。今日、天皇は憲法によって国政に関与することを禁止されているにもかかわらず、しばしば反動的な立場から国政に関与してきた。本来、天皇制は廃止されるべきものであるが、今日の憲法のもとで政府に課せられた厳粛な責務は、憲法の平和的民主条項をきびしく遵守することである」

随分過激なことを言う奴がいるじゃないか、と読者には感じられるかもしれないこのコメントはヒロヒトの死に関しての「共産党中央委員会声明」だ。この誌面には自民党、社会党、公明党、民社党、共産党、社民連の順で各党のメッセージが掲載されている。共産党以外は話にならない。馬鹿らしいと感じた。共産党のコメントだって後半部分が気弱じゃないかと訝ったものだが、2016年の「昭和の日」共産党の方々はどうお感じになるだろう。

1989年1月7日、朝日新聞夕刊の紙面を眺めて「結局こうなるんじゃないか、マスコミは」と予想にたがわぬ翼賛報道に暗い未来を想起するしかなかった。敗戦から1989年へ、まだ雨上がり間もない空だったのだから、虹が現れても不思議ではなかったが、虹はかからなかった。ヒロヒト没後27年「昭和の日」に、かからなかった虹をまた思い描く。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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チェルノブイリ30年──国家の狂信、現実の忘却

1986年4月26日から30年目を迎える。あの事故は近隣住民以外の世界の人々の頭の中では「歴史」になってしまっているのではないだろうか。旧ソ連、現在のウクライナで発生した「チェルノブイリ原発事故」である。

◆「原発=核発電」は狂信的な国家意思の象徴

Fukushima2016

記憶の中では「歴史」となっても、事故地では今日にいたるも放射能漏れを防ぐ作業が継続している。事故後原子炉を封じ込める為に作られた「石棺」と呼ばれる構造物が内部からの強力な放射線によりボロボロに劣化し各所にひびが入り危険な状態となったので、ウクライナ政府は巨大な「第二石棺」を建設中だ。

思い起こせば爆発したチェルノブイリ原発4号機は「運転中」ではなかった。しかも福島の様に地震や津波と言った自然災害が原因でもなかった。運転停止中に外部電源喪失に対応する非常時用発電系の実験を行っている際に、原子炉出力管理のコントロールミスから事故が発生したと言われている。つまり「人災」であったわけだ。

Fukushima2016

つい最近、事故後に現地を取材したジャーナリストは「事故直後ソ連の政府は何をやったと思いますか。なんと兵士にソ連の国旗を持って原子炉の上に行かせ立てさせたというのです」と俄かには信じがたいエピソードを教えてくれた。それほどどの国にあろうと原発=核発電は狂信的な国家意思の象徴であることの現れであろう。

◆1975年の戦後日本を思い出してみる

30年経過すれば、たいがいの事は「歴史」になる。本当はその事件や事故が終わらずに不可視な形で継続していても体に痛みを伴う直接被害者や、事故により生活全体を破壊された人びと以外は容易に「現実」を「歴史」と見まがう。

Fukushima2016

私は1975年を思い出している。言うまでもなく敗戦後30年目の年だ。戦地に赴いた元兵士や銃後を支えた明治生まれ、大正生まれの人びとがまだ多く生きていた。皇国史観で教育を受けながらいきなり「民主教育」への転換を経験した人々が丁度子供を産み育てている頃だった。「戦争」が話題になることは私の周りでも、珍しいことではなかった。でも「戦争反対」を語る人も「戦時中の苦労」を語る人、または懐古的に「日本軍の雄姿」を語る人、いずれもそれは「思い出物語」としてであって「今は違う」が無言の枕詞になっていたように思う。

◆「ソビエト」の消滅──原発事故は国を亡ぼす

チェルノブイリ原発事故は、2016年の日本から回想すれば2つの事を示唆したいたのだと今更ながらに思う。

Fukushima2016

1つは「原発事故を一度起こせば人間の力では対応が出来ないことだ。そのことは、事故後30年経過するも「第二石棺桶」建設を余儀なくされているウクライナの姿が事実をもって示している。あの巨大なドーム状の構造物さえ、また何十年かすれば劣化を余儀なくされ、「第三石棺」、「第四石棺」の建設が行われることになるだろう。

そしてもう1つの重大な示唆は「原発事故は国を亡ぼす」ことだ。これは文字通り「国が無くなる」、「国が崩壊」することを意味する。1986年4月「ウクライナ共和国」は「ソビエト社会主義共和国連邦」を構成するひとつの「共和国」と称されていたが実態は「ソビエト」の中の一地域である。

Fukushima2016

「ソビエト」は当時、米国と世界を二分する東陣営の巨大な指導国であり、モスクワやクレムリンが陰に陽に世界に発する力は絶大であった。「東西冷戦構造」は西側のNATOと東側のワルシャワ条約国機構が特に欧州では隣接し合いながら、「核戦争」の危機を抱え、日々緊張の壁を境につばぜり合いを続けていた。

その価値判断は横に置くとして、時代は「東西」という相いれない二極が不思議な均衡を保ちながら世界を支配していたのだ。ところが「東側」の親玉「ソビエト」は崩壊してしまった。1991年、チェルノブイリ原発事故から5年後のことだ。この事実を福島第一原発事故発生から5年後の今日、私たちは極めて重大に受け止める必要があるのではないか。

Fukushima2016

「ソビエト」崩壊の序章を、ミハエル・ゴルバチョフが大統領に就任後打ち出した「ペレストロイカ」・「グラスノスチ」などの「開放・改革路線」、「新思考外交」との見立てるのはおそらく間違いではあるまい。

しかし「東側世界連鎖崩壊ドミノパズル」には「チェルノブイリ原発事故」のピースを欠くことは出来ない。ゴルバチョフは確かにホーネッカー率いる東ドイツの崩壊(=東西ドイツの統合)へ内々に「許諾」を与え「ソビエト」以外の国への支配を急激に弱めていったが、「そうせざるを得なかった」事情のひとつが「チェルノブイリ原発事故」だったのではないかと指摘する専門家は少なくないし、私も同意する。

歴史の「教示」や「示唆」は事後になれば解読がいともたやすいが、同時間にあって正確な解析は困難を極める。そして歴史はそれ自体が教訓化されることを望んでもいる。

◆フクシマ以後──この国を待ち受けているもの

私(たち)は今どこへ向かっているのだろうか。世界を二分する勢力の頭目、政治力と軍事力、総合的な影響力と「何があっても壊れることはないだろう」と思われていた巨大国家「ソビエト」を消滅せしめた一因のチェルノブイリ原発事故。

そして4機の原発爆発を起こした、福島第一原発事故を当時「ソビエト」の領土の約60分の1で受け止めている日本はどうなるのだろうか。ゴルバチョフはチェルノブイリを隠蔽しようと画策したが無駄だった。民主党から自民党へと続く日本の政権は「事故収束宣言」(野田)「アンダーコントロール」(安倍)と平然といいのける。4年後には東京でオリンピックを開くという。日本には当時「ソビエト」が従えていたような経済ブロックも実質上の従属国もない。日本はひたすら米国に隷属するのみだ。

歴史を「ソビエト」の先例にあてはめてみよう。日本を待ち受けているのは「さらなる繁栄」や「より幸せな生活」だろうか。「祝賀に沸く東京オリンピック」は現実のものとなり得るのか。残念ながら私にはそのイメージを描くことが出来ない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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ヤクザの被災地救援は「反社会的」行為なのか?──「夕刊フジ」報道の傲慢

重い筆をとるときが来たようだ。ヤクザを擁護し、知り合いのいる「夕刊フジ」を攻撃しなくてはならない。

4月21日の「夕刊フジ」には、神戸山口組系暴力団が救援物資を配り始めたことが「復興利権」を狙うものだと書いてあった。この傲慢な記事は、斬りようがいくらでもあるが、まずは昨年の年末に北九州の小倉、つまり工藤會の足元に行ったときのレポートから展開しようと思う。

小倉の街並み

小倉は、いうまでもなく工藤會が支配してきた町だ。この町では工藤會をターゲットにまずは警察が徹底的に組員をマークし、特定危険指定暴力団として認定された。僕に言わせれば、これは後に山口組を切り崩したいがために試験的に「与しやすい」暴力団を狙ったにすぎない。つまり工藤會を攻めたのは、山口組を切り崩すためのモデルケース作りだ。

事実、福岡県警なんて警察庁には信頼されていない。だから警察庁は、多くの人員をこの小さな小倉に送り込んだ。僕はヤクザとも警察のエリートとも同等につきあうが、どうひいきめにみても、福岡県警とヤクザの癒着ぶりは目にあまる。腐っているといってもいいが、これは尊敬すべき先輩の宮﨑学氏の領域なので深くは追わない。

また、警察の警戒が強化する中で、工藤會は飲食店からみかじめが取れず、スナックなどは警察が来るときには「暴力団排除」標章のシールをドアに張り、工藤會組員が来るときはそっと外すして店内に張るというわけのわからない行動をとらざるえなくなった。

「かなり平和になった」といわれているが……

小倉では、バスに乗っても「暴力団は予告なくやってきます」と注意勧告のアナウンスが流れてくる。そんな街中でスナックで、ホステスのA子さん(仮名)は言う。

「本音と建て前はうまく使いわけないといけない。暴力団は確かに悪いと思うけれど、それを理由にヤクザにたかりすぎた福岡県警はやりすぎた。なにしろ好き勝手に飲んで喰って、工藤會のツケにして帰っていく。これでは町はいつになってもヤクザか警察、両方の支配下に置かれることになるわ」

人々は工藤會を恐れて小倉への旅行をパスする。だが僕にとっては古いつきあいのある組員がいる小倉は落ち着く。熱海は、稲川会に知己があるのでさらに落ち着く。新宿・歌舞伎町は極東会の知人が多いので安心は安心だが、いつ何時、トラブルに見舞われて力関係が変わるとも限らない。
「それじゃ密接交際者じゃないの」と揶揄するなかれ。警察ともヤクザとも仲良くするのがジャーナリストの生きる道なのだ。

そして今、小倉のカメラ店の店主の言葉を借りれば「かなり平和になった」という。だが警察が力を誇示してかろうじて成り立っている平和など、クソくらえである。事実、刑事が無料でスナックで飲んでいるのを目撃した。金を払うそぶりすらない。
「俺が来てるから、工藤會が来れない。用心棒代をくれ」と彼ら刑事は臆面もなく言ってのける。
これこそ「利権」じゃないのか、ええ?

小倉のスナックで話を聞いた

本題に戻す。震災だ。緊急事態なのだ。政治が悪いなどといっているときではない。国民がひとつにならないといけないときに、神戸山口組系組員が被災者に食料や水を配って何が悪い?!

たとえば衆議院議員の先生がたたちが何人、熊本に入って食料を配ったのか? 日ごろから耳ざわりのいいことばかり言っている地震学者たちが「当たりませんでした」と熊本まで土下座に来たのか? 偉そうに講釈をたれる僧侶が何人、車を飛ばして熊本に入ったのか? そんな中、ひとまず民衆のために食料を配るヤクザは、行為自体を評価すべきである。

いうまでもなく、戦後、不良の在日朝鮮人や中国人から国民を守ったのは、今は嫌われまくっているヤクザたちだ。ヤクザたちが原点に返って、食料支援をしている。これは、義侠心からなせることだ。復興利権だなんだという前に、マスコミはおにぎりのひとつでも配りに来たほうがいいんじゃないのか? 恥を知るべき腐れ右翼メディア、汝の名は「夕刊フジ」である。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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熊本大震災への支援対応に表れた熊本出身タレントの明暗

熊本大震災への支援を呼びかけ、自ら行動する熊本出身の芸能人が続々現れている中で、その対応の実態をめぐってタレントへの評判の明暗が分かれてきた。

まずは「暗」から紹介しよう。さっそく震災直後に、テント暮らしを始めざるを得なかった井上晴美に対して「井上晴美に露天生活を書かせたい」と「週刊ポスト」の編集者が企画を上にあげたようだ。だが「今さら井上晴美?」と企画は通らず、残念至極。

同じくご当地のヒロシは、駆けつけようとしたが、自らが経営するカラオケバーの売り上げが足りずに「出張版ヒロシバー」を企画したが、スタッフに「顰蹙を買うだけ」と却下されている。しかし自分の車で支援に向かったというから「故郷への愛」が勝ったか。

レイザーラモンRG(レイザーラモン)は相棒に「すぐに熊本へ行ったほうがいい」と言われるも「なにか番組がくっついてないと金がもったいない」というやりとりをして、これが地元のファンに伝わり、好感度を下げたようだ。「いますぐに駆けつけたいが無力で」と報道陣の前では涙して見せたが、実際には仕事スケジュールを優先したものだから誤解しないように。

◆感謝の声が絶えない上田晋也、井手らっきょ、コロッケ

他方、お株をあげたご当地タレントは、お笑いのコンビ『くりぃむしちゅー』の上田晋也。サンドイッチマンの伊達みきおに必要な物質についてメールするとこれが拡散され、水やインスタントラーメンなど生活必需品が殺到。「おかげで助かりました」と現地の被災者から感謝のメールが殺到した。

同じく井手らっきょは『とにかく命だけは守って下さい。余震にもくれぐれも気を付けて下さい。今は無事を祈る事しかできませんが、頑張ってください』とブログで書いていたが、「熊本出身の野球チームを」でバラエティ番組のオファーがあり、景気がよくなりそうだ。

コロッケもご当地タレントだ。益城町の避難所を訪れ、被災者にのり巻き約千個とパン約1500個を贈るなどして感謝と喝采を浴びた。 熊本の市役所関連から「ぜひコンサート」をというオファーがあったとか。

かくも明暗が分かれたご当地タレントだが、窮地にはタレント性というより「人間性」でいざというときの対応力が問われるのかもしれない。

(伊東北斗)

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「取締り」という冤罪からわが身を守る法──警察にひと泡吹かせたAさんに学ぶ

長い間、ブログをやっていると時たま、おもしろい投稿が来たりする。先月、こんな投稿がAさん(都内在住)から来ていた。警察との戦いの様子が仔細にみてとれる。

◆「そこの自動車すぐ止まれ。バカ野郎!」と突然の罵声

20代始めにバイクの免許を取り、社会人になって普通自動車を取りました。スタンダードな免許ライフだと思います。若い頃は取締りをうければ素直に反則金を払っていました。ですが、ある取締りをうけて以来「警察官は敵だ」と認識するようになりました。反則金を払うのも、青切符や調書にサインするのも敵の利益になります。

そう考えるようになってから受けた取締りのことを聞いていただきたく筆を取りました。

ずいぶん昔の話です。高速道を快適に走っていました。他の自動車を抜くこともあれば、抜かれもするぐらいの速度です。

突如、罵声が浴びせられました。
「そこの自動車すぐ止まれ。バカ野郎!」
ルームミラーには覆面が映ってます。

カッとなってフルブレーキで止まりました。自動車を路肩に移動させ、停止させると、車検証と運転免許を持って、指示に従って覆面の後席に乗り込みました。

警官は車検証と免許証を見ながら書類を作ります。いわゆる赤切符(保管証)と取調調書です。調書は警察官が検察に提出して「被疑者はこんな悪い奴だ」と納得させる書類です。当然、一定の説得力が必要です。

警官 「目的地はどこ」
  「××です」

書類が書き上がりました。

警官 「これでいいね、署名して」
  「イヤです」

◆交通警察官と対峙する時、絶対に必要なのは「正直」です

車内はすでに真っ黒い雰囲気が漂ってます。
交通警察官と対峙する時、絶対に必要なのは「正直」です。警察官も手間を省くため自分の主観で書類を作ります。思い込みをほっといて書類を作らせると、とんでもないものが出来上がります。

書類が書き上がった時、「ここに『○○に急ぐため速度を超過していた』と書いてありますが、別に急いでません。書き直してください」
このやり方で56枚書かせて署名拒否しました。

◆警官の決めゼリフは「裁判になりますよ」

次に印字された数字を見せられました。当時は「追跡」と呼んでパトカーや白バイが一定時間、被疑者と同じ速度で走り計測していました。その数字が記され「以上の速度で走行しました」と署名欄があります。署名すると認めた事になります。

警官 「この速度で走ってましたよね。署名してください」
  「できません。だって、これ覆面の速度でしょう。私がどうかは判りません」
警官 「速度計ぐらい見ているでしょう。覚えてないのですか」
  「前見て走ってますよ。おまわりさんこそ、速度計見つめて走っているのですか。死にますよ」

警官の決めゼリフに「裁判になりますよ」がありますが、どうせ裁判になる速度でしたし、こちらも一度は交通裁判を受けた身。内容は知っています。

速度欄に署名無しで済ませるわけはないらしく、警察官は道路管理の自動車を呼びました。到着するまで二時間ほどかかりました。さすがに飽きてきて「もう行って良いですか」とたずねても「もう少し待ちなさい」と制止されます。

◆警察の交通取締りは自白あるいは運転者への押し付けによって成り立っている

「住所氏名不明」「逃亡」「証拠隠滅」の三つがそろうと逮捕条件が成立します。「逃亡した」とか言われてもイヤなので、管理者が来るのを待ちました。いま思い返せばパトカーの中でウンコしてやれば良かったと思います。

パトカー内で待っていると、明白な速度違反の自動車が横を通り過ぎていきます。
「あれは速度違反ですね」と私が指さすと、
「だからなに? あなたみたいな警官がいるから事故が減らないんだ」

この後、警察に呼び出され、試験場で悶着があったのですが、結果から言うと罰金、免停等一切無しとなりました。

警察の交通取締りが、自白あるいは運転者への押し付けによって成り立っている事例かと思います。

もし、よろしければ検察庁でうけた扱い、試験場での出来事も述べさせていただきたいと思います。

(Aさん・都内在住・56歳)※記事にはAさんの許可を受けて、少し手を入れた。

これは、警察に逆らっても「よし」となった希有なケースだ。機会があれば、追加原稿をもらおうと思う。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

世界最大のイスラム教国インドネシアと日本を結ぶ「ジョヨボヨ王の大予言」

世には様々な伝説、予言が存在する。週刊誌の後ろに載っている恋占い、神社のおみくじから辻占(つじうら)まで。キリスト教新約聖書には千年紀の最期にイエスが降臨し、すべての死者がよみがえり神が王国を築くとある。

ノストラダムスを引き合いに出すまでもなく、こうした予言は大抵が戯れ言であり、実現したとしても「これは、あのことだったんだ」とつじつまをあわせる程度である。しかし、疑いがつけいる余地もなく、絵に描いたように予言が実現したら、どうだろう?

◆ジョヨボヨ王が12世紀に予言した「白い人」と「黄色い人」の戦い

12世紀インドネシアの予言者ジョヨボヨ王の肖像画

インドネシアには「ジョヨボヨ王」の予言が伝わっている。 ジョヨボヨ王(Jayabaya ジャヤバヤ)とは、12世紀に現在のジャワ島、クディリ王国で実在の人物である。ジョヨボヨ王が書き残した民族叙事詩『バラタユダ』として伝えられ、東南アジアで多く上演される「ワヤン・クリ」(影絵人形劇)で取り上げられるエピソードも多く含まれている。

ジョヨボヨ王の予言の中にきわめて興味深い文言が見て取れる。
「わが王国に混乱が生じる。どこからか現れる白い顔の人に長期に支配されるであろう。彼らは魔法の杖を持ち、離れた距離から人を殺すことができる」

予言には〈支配からの脱出〉として、2つの部分で触れている。

「北の方から黄色い人が攻めてきて、白い人を追い出し、代わって支配するが、それはトウモロコシ一回限りの短い期間である」

「私たちが苦難に陥った時、天から白い布をまとった人が舞い降りてきて我らを救うだろう」

ここには暗喩も比喩も含まれない。

「白い人」とは、長きに渡って東南アジアを支配したオランダ人であり、北から来た「黄色い人」は日本人である。

いかにもネトウヨや、エセが捏造しそうな話題であるが、英語でも明白に”Japan”と記載され、ジャワ語でも記録が残っている。

◆ジョヨボヨ王の予言通り、日本軍はインドネシアから2年半で立ち去った

インドネシアは1602年のオランダ東インド会社の設立以来、植民地支配を受けた。オランダの支配は苛烈で、住民には教育を施さず、労働者として酷使し、高価な産出物を根こそぎヨーロッパに持って行ってしまった。

1941年、日本はオランダを含む連合国に宣戦を布告し、太平洋戦争が始まった。太平洋戦争の目的は幾つもあげられるが、その一つにインドネシアの石油産出地帯確保があった。

開戦の翌年、2月14日、日本軍はスマトラのパレンバンに対して空挺作戦を実施した。パラシュート部隊である。降下するのに大砲や機関銃のような大型の火器は持って行けない。約430名が拳銃や、手榴弾などの小火器でもってパレンバンを守る英蘭兵に立ち向かった。英蘭は戦車、機銃などを装備した500名の兵で対抗したが、わずか3日で壊滅させた。

文字通り「白い布をまとった人たち」が天から降臨したのである。

熱帯の真っ青な空を降りて来る純白のパラシュートを見て、インドネシア人は「ジョヨボヨ王の予言」を思い出して狂喜したという。日本軍は3月にはジャカルタを占領。歓呼の声と、後にインドネシア国歌になる「インドネシアラヤ」で迎えられた。350年を持ってしたオランダ支配は日本軍の攻撃、わずか1ヶ月で終焉を迎えたのである。

戦局が日本不利になり、太平洋戦争が終結して2日後、8月17日、インドネシアは独立を宣言。オランダは再進出を計画したが「かつて猫のようだったインドネシア人は虎になっていた」と苛烈な抵抗によって独立国としての地位を勝ち取った。
ジョヨボヨ王の予言通り、2年半で日本はインドネシアから立ち去ったのである。

ある国を「反日国」「親日国」と分別するのは無意味であるし、時には危険でもある。だが、日本が国政として「親米国」であるように、インドネシアは政治的にも親日的であるし、人心も日本派が多い。

◆千年前の予言で繋がる

日本が抱える国際的な問題として、いわゆる従軍慰安婦問題がある。韓国では国際問題として取り上げ、オランダでも問題視する議員がいる。日本軍占領地であったインドネシアも同じ問題を抱えていたが、1995年に設立された元総理・村山富市の「女性のためのアジア平和国民基金」により解消してしまった。

これは被害者が特定された場合、首相の「おわびの手紙」とともに、一人当り200万円を渡し、不確定の国には、その国に対して基金の支援により女性関連施設や機関が作られた。韓国、オランダなどではこれを拒否したケースがほとんどだったが、インドネシアではスムースに進み、トラブルには発展していない。

また、伝説ではあるが、2004年、13万人の死者を出したスマトラ沖地震で、各国の支援部隊が現地へ入り、救護、治療に当たっていた所に自衛隊がテントを設営すると「日本軍が助けに来てくれた」と被救護者が集中してしまったという。

1997年、アジア通貨危機でも日本は一国でIMF(国際通貨機構)を上回る援助をアジア諸国に与え、日本のいわゆる「失われた20年」の間にもインドネシアは年間5%の経済成長を続け工業国へと変貌を遂げつつある。

日本人からすればインドネシアは東南アジアの一国に過ぎないが、現実は人口2億4,000万人。インド、中国、アメリカに次ぐ人口大国であり、世界最大のイスラム教国にして、有数の親日国なのである。

その奥底には千年も前の「ジョヨボヨ王」の存在があったのは、インドネシアにとっても、日本にとっても幸いである。

(伊東北斗)

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党幹部が続々亡命で囁かれる北朝鮮崩壊へのカウントダウン

韓国政府は4月12日、北朝鮮で対南工作をしていた偵察総局の大佐が昨年、韓国に亡命していたことを明らかにした。ほかにもアフリカに駐在していた北朝鮮外交官や中国にある北朝鮮レストランの従業員たちが集団で韓国に亡命しており、韓国内では「北の崩壊が近いのではないか」という見方も強まっている。

「金正恩政権が発足してから、地位も金もある北朝鮮のエリート幹部が続々と韓国に亡命しているのは異常事態。今回の偵察総局大佐はサイバー攻撃や破壊工作を担う秘密工作機関の責任者で、北朝鮮の内部情報を売る代わりに今後の生活を保障してもらう道を選んだのではないか」

ある韓国紙ではこんな内容のコラムがあったが、これに対し北朝鮮は、「韓国の諜報機関による集団的な拉致事件だ」と非難した。アジア情勢に詳しい軍事評論家の青山智樹氏は「国内の食料事情があまり悪いためで、韓国の工作とは思えない」とする。

「北朝鮮は1月以来、核実験や事実上のミサイル発射実験を強行し、さらに移動式弾道ミサイル『ムスダン』の発射準備をしていることが伝えられています。ミサイルは1回の発射に億単位の金円がかかるのに加え、国際社会からの制裁も強まって、国民は日用品の入手も苦労するようになっています。そんな中、外交官や他国に滞在する人民は、いかに自国の状況が悪いかを知っていますから亡命する者が後を絶たないんです。中国もいま経済発展が著しく、それを見たら脱北を試みる傾向が強まるのは当然でしょう」(同)

北朝鮮では20~30代の若者たちが、100万人以上の餓死者を出した90年代に幼年期を過ごし「苦難の行軍世代」と呼ばれ、脱北の思いの強い世代といわれる。実際、脱北した中国の北朝鮮レストラン従業員13名も全員がこの世代だった。その世代の間では「また餓死の時代が来る」 というウワサが広まっているという。

「金正恩は独裁的な力はあっても統率力は乏しく、父親が健在でも役員の交代を進めた金正日時代と違い、正恩は任命の遅れから役職の空白期間も目立っています。権力闘争をうまく収めきれていないようで、問題があれば粛清という最終手段を安易にとっています。この1年でも党の主要メンバーが10名ほど粛清されていたという話もあります」

ただ、脱北者だからといって受け入れることには危険もあると青山氏は言う。
「脱北者は中国や韓国、タイなどで食料を略奪するゲリラとなっている例もありますし、命を懸けてサバイバルして生きてきた北に比べれば諸外国の環境はぬるいですから、マフィア化する者も出てきます。これは過去、西欧に逃げたロシア人がマフィアになってイギリスなどで社会問題化したのと似ています。特に軍人の亡命者には生きるためなら人をも殺す冷酷な者もいます。北の亡命者が増えれば、アジア全体での受け入れ問題が出てくるのは必至。それを受ける土壌が日本にあるかどうかが問題です」

日本に来られたとしても、独裁政権で集中管理されてきた人たちが、日本の一般市民に溶け込んでコンビニや建築現場で地道に働くかどうかは分からない。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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熊本震度7は本震か?前震か? 「原発震災」になる前に川内原発を停止せよ!!

4月14日21時26分頃、熊本県を震源とする最大震度7の地震が発生し、九州全土を含め関東地方までの広い範囲で揺れが計測された。この震源の深さは約10Km、マグニチュードはM6.4と地震の規模としては「巨大」と言える大きさではないが、内陸が震源であればその真上を中心に激烈な揺れが起こることを、またもや示すことになった。

4月14日21時26分頃、熊本県を震源とする最大震度7の地震が発生

◆本震なのか? 前震なのか?

名古屋大地震火山研究センターの田所敬一准教授は14日夜、「布田川(ふたがわ)、日奈久(ひなぐ)断層帯に関連があるのではないか」との見方を示している。(時事通信4月14日22時15分配信)

しかし、本当のところ田所准教授が指摘する断層が原因であるのか、阿蘇山の火山活動にも関連があるのか、あるいは日本最大の断層である中央構造線の動きと関連があるのか、誰も断言はできないであろう。これが「本震」であれば余震はしばらく続くであろうし、考えたくもないが、これが本震を前にした「前震」であれば、さらに大きな地震が発生する可能性も否定はできない。

中央構造線と西日本の原発

2011年3月11日の東日本大震災の前の週に、東京都庁のエレベーターが停止する「前震」が起きていたことを思い出さずにはいられない。

今回の地震は夜間に発生し、その後も強い地震が連続している。現地の方は眠れない夜をお過ごしではないかと心が痛む。

◆地震と原発──「影響はない」という原子力規制委員会

そして、地震が起こればどうしても心配になるのが「原発」だ。現在稼働中の川内原発は14日23時現在運転を停止はしていない。原子力規制委員会によると「影響はない」そうである。川内原発の立地する薩摩川内市の揺れは震度4だった。玄海原発の立地する佐賀県東松浦郡玄海町では震度2の揺れを計測している。

日本列島に分布する活断層と原発

震度4、震度2だから大丈夫。「影響はない。安心しなさい」と九州電力は言うのかもしれないが、地震発生直後から主だったポータルサイトには地震の震度や被害情報を伝えるタグが設けられたが、同時に「原発」についての情報タグも速やかに掲載された。報道も、近隣住民も遠隔地、いや日本中の人が、特に稼働中の川内原発に重大な関心と危機感を持っていることの現れだ。

◆「原発震災」へと悪夢の転化を遂げた時、人間には打つ術がない

自然現象は人間には制御できない──。この明白すぎる絶対真理を私たちは5年前に経験したばかりではないか。原因の解明を「過酷事故」が起こってから試みても、失われた膨大な地域や人々の暮らしを取り戻すことは出来ないし、避難者の中には見えない場所で今だって涙している人がいるであろうことに思いを致すことは、それほど困難なことであろうか。

地震そのものの被害も恐ろしいが、それが「原発震災」へと悪夢の転化を遂げた時、人間には打つ術がないことを学んだではないか。

「日本最大の活断層、中央構造線が動くようなことになれば、おそらく壊滅的な被害を受けるだろうと思います」(小出裕章氏)

桜島の噴火、阿蘇山の噴火いずれも「大丈夫だ」とつっぱねた九州電力。でも川内原発の耐震強度は620ガルに過ぎない。これは震度5程度の揺れにしか相当しないと指摘する専門家もいる。一方、21世紀に入って日本で起きた地震で最大の揺れはどの程度だろうか。2008年6月14日岩手県内陸で発生したマグニチュード7.2の地震で観測された揺れは4022ガルである。この地震では山が丸ごと地中に消えてしまった。

可能性としては僅か8年前に4022ガルを経験しているのであるから全ての原発の耐震基準は「4022ガル」以上に設定されていなければ合理的ではないし、科学的だとは言いがたい。しかし、そんな「原発」は作ることは出来ないのだ。山が消える力に対抗できる構造物が作れるとしたら天文学的な費用を要するであろうし、そんな投資を電力会社に出来る理由がない。

つまり、原発などは作ってはならないのだ。
その事を4月14日の地震は再度、警告しているのだ。天啓である。
今すぐ川内原発を停止せよ!!

[図版参照資料]
◎yahoo知恵袋「やっぱ、浜岡原発と伊方原発って、南海トラフ…」(2014年1月20日)より
◎さてはてメモ帳「安政大地震&平成大地震」(2011年6月11日付記事)より
◎ラジオフォーラムHP「第126回小出裕章ジャーナル」(2015年6月5日~12日)より

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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