《大学異論36》「共生」否「強制」で分裂する青山学院大「地球社会共生学部」

青山学院大学で新学部設置に必要な学則改正が適正に行われなかったとして、同大学国際政治経済学部の小島敏郎教授が4月8日、青学と仙波憲一学長を相手取り、学則改正の無効確認などを求める訴訟を東京地裁に起こした。

訴状などによると、問題になったのは今年度開設した「地球社会共生学部」。同学部の設置に対し、学則に定められた教授会の議決を経ずに承認手続きが進められたとし、「仙波学長が新学部の開設を急ぐあまり、大学内部の合意形成に十分な時間を割かなかった。学則の改正は無効で、青学に新学部は存在しない」などと主張している。小島教授によると、既存の9学部のうち、新学部設置を承認しなかったのが法学部など3学部もあるという。

◆箱根駅伝で初優秀した学生の奮闘とは逆に学園内部は大混乱

青学の問題については2014年12月26日このコラムで指摘した。その為か(そんなことがあるはずはないが)正月の箱根駅伝で青山学院は史上初の優勝をしてしまったが、学生の奮闘振りとは逆に学園内部は完全に混乱状態のようだ。以前の記事では青山学院大学(高校・中学を含む)教職員の285人(総数の約2割)の人々が原告になり、同学校法人を相手取り一時金の減額を巡り提訴がなされていたことをご紹介したが、今回は「地球社会共生学部」創設をめぐる争いだ。原告の小島教授は「青山学院に新学部は存在しない」と主張されているが、残念ながら「存在」はしているようなのでその手続きの不当さから「学部の閉鎖」を求めるほうが妥当ではないかという気がする。

◆地球社会共生学部の「羊頭狗肉」──これでよく文科省審査が通ったな!

そもそも「地球社会共生学部」などという名称で、よく文科省の審査が通ったな、というのが私の正直な感想だ。というのは青山学院大学には既に「国際政治経済学部」、「総合文化政策学部」、「社会情報学部」が設置されているからだ。とくに名称だけを聞けば「国際政治経済学部」と同教育内容がどのように異なるのか疑問がわくのは当然だろう。

「地球社会共生学部」は新興宗教の如き響きがある上に学部紹介の文章では「青山学院大学地球社会共生学部では、共に生きる―共生マインドをテーマに、急成長する東南アジアを学びのフィールドの中心として、教養と社会科学の専門性を併せ持った、グローバル人材を育成します。世界の経済は、これまで欧米を中心としていましたが、今後、アジアを中心とした経済に変わろうとしています。また、アジアは世界最大の英語使用圏になると予想されており、コミュニケーション能力の向上が大きなテーマとなっています。社会を生き抜く上で、必要な能力を身に付け、幅広い分野で活躍できる人材を育成するための様々なプログラムを用意し、世界に羽ばたける人材を育てます」と書かれている。この学部はどうやらアジアに特化した教育を目指すらしいことが伺われる。

ならば「アジア」を冠した学部名を何故つけなかったのだろうか。「地球社会共生」と言えば異文化の衝突や宗教問題や南北問題を学ぶのかと思いきや「アジアは世界最大の英語使用圏になると予想されており、コミュニケーション能力の向上が大きなテーマとなっています」と志と学問的視野、さらにはターゲットが極端に狭い。これは要するに「英語を教える」学部だということを回りくどく語っているだけだ。

このような「羊頭狗肉」の学部を創ろうとすれば、当然学内の良識派から反対が出るだろう。出なければおかしい。大学は教学内容を「学則」によって定めるが、まともな執行部構成員は学則変更にだって反対するだろう。にもかかわらずこの学部が開設されたということは、青山学院大学の運営が民主的ではないことを物語る。あるいは執行部構成員や、学長の教養が相当程度低いものであるのかもしれない。

教職員の一時金カットで訴訟沙汰になり、宗教まがいの「地球社会共生学部」を開設した青山学院大学は当面進学がお勧めできない大学である。志望者も箱根駅伝の活躍にもかかわらず減少してゆくだろう。大学で独裁的な経営を行うとそれまで積み重ねてきた歴史や名声がだんだん崩れてゆく例を青山学院はこれから見せてくれるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」
◎《大学異論22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!
◎読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する