発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容

今から15年前の2000年5月中旬、東京都大田区のボウリング場周辺などを舞台に「トーヨーボール事件」と呼ばれる凄惨なリンチ殺人事件があった。この事件は新聞やテレビではあまり報じられていないが、ネット民にはご存じの方が少なくないはずだ。あの有名な半グレグループ「関東連合」が起こした事件だからである。

関東連合は2010年にメンバーが歌舞伎俳優の市川海老蔵に暴行した事件により、世間に広く名を知られるようになった。さらに2012年には六本木の「フラワー」というクラブで対立勢力の人物と誤認し、無関係の男性を集団で撲殺する事件を起こし、世間を震撼させた。そして大量の逮捕者を出したこの事件により、壊滅状態に陥ったと伝えられている。

トーヨーボール事件は関東連合が今ほど有名ではなかった頃に起こした事件だが、関東連合が起こした代表的な事件の1つとして語られることが多い。事件内容を簡潔に言うと、対立する暴走族の人間と誤認し、何の関係もない18歳の少年を集団で撲殺したというもので、のちの六本木フラワー事件とよく似ている。おそらく、そんな事件の概略もご存じの方が少なくないだろう。

だが、この事件の凄惨な被害状況の詳細は意外と知られていないのではないか。筆者がそう思うのは、この事件の全容を詳細に報じた記事などを見かけたことがないのに加え、近年発売された関東連合関係者らの著書でもこの事件の犯行状況の詳細はあまり詳しく書かれていないからだ。

かくいう筆者もこの事件の詳細はつい最近まで知らなかったのだが、先日、判例データベース(LEX/DBインターネット)で、被害者の父母がリンチ殺人を敢行した関東連合関係者11人を相手取り、損害賠償などを求めた訴訟の判決が見つかった。東京地裁民事第33部(浜秀樹裁判長)は2005年7月25日、被告の11人に対し、被害者の父に約2067万円、被害者の母に約1716万円を支払うことなどを命じているのだが、その判決で認定されたトーヨーボール事件の詳細な事実関係をここに紹介しよう。

◆抗争相手と誤認し、20数人で襲撃

被告の11人をはじめとする関東連合の関係者や交遊者総勢20数人(以下、被告ら)は2000年5月13日午前0時10分頃、当時抗争中だった暴走族組織「全日本狂走連盟」(以下、全狂連)の関係者らを報復目的で襲撃すべく、5台の車などに分乗してトーヨーボール付近に赴いた。そのあたりの路上で友人らと談笑していた被害者のAさんを全狂連の関係者と誤認し、襲撃しようとしたのである。ちなみにAさんは全狂連以外の暴走族とも何の関係もなく、食品販売会社の社員として働いていた18歳の健康な少年(独身)だった。

そして午前1時15分頃、被告らは金属バットなどの凶器を持ってAさんが乗っていた停車中の車を取り囲む。Aさんは恐怖を感じ、車を急発進させて20メートルほど後退させるが、操作を誤り、ガードレールに車の後部を乗り上げてしまう。そしてAさんの車は走行不能状態に陥った。

被告らはその状況をみて、一斉にAさんの車へ襲いかかる。そして金属バットなどでAさんの車の窓ガラスを叩き割り、ボンネットを乱打するなどした。さらに運転席側のドアをあけ、Aさんを外に引きずり出すと、金属バットでAさんの頭部、背部、腰部を殴打するなどの暴行を繰り返した。

トーヨーボールの目と鼻の先にあった池上警察。そんな場所で凶行は敢行された

◆助けを求める被害者を金属バットで執拗に暴行

さらに被告の一人が「らちれ!」と大声で指示すると、他の被告らがAさんを拉致すべく、自分たちの車に乗せようとした。Aさんは「勘弁してください、やめてください、お願いします、帰してください」と叫んでいたが、被告らはこれを聞き入れず、自分たちの車にAさんを押し込もうとした。そこでAさんはガードレールにしがみついて抵抗したが、被告らはAさんの頸部から背部にかけての身体の枢要部を金属バットで強く殴打するなど、手加減せずに激しい攻撃を加えた。

そのような激しい攻撃を加えられた結果、Aさんはガードレールから離れ、被告らによって車まで連行された。そして被告らは後部座席のドアをあけ、Aさんを車の中に引きずり込もうとしたが、ここでAさんがさらに抵抗する。すると、被告の一人がAさんの左の頬を右手拳で殴り、さらに別の被告がAさんに膝蹴りし、また別の加害者がAさんの後頭部をマグライトで強打した。すると、Aさんの首がガクッとして前倒れの状態となり、抵抗しなくなったため、被告らはAさんを車の中に押し込み、拉致監禁状態にした。

◆意識不明になってもライターであぶり、エアガンで撃つ

そして被告らは犯跡を隠匿し、警察による検挙から逃れるべく、5台の車と2台のオートバイなどに分乗し、Aさんを連れて約15キロ離れた世田谷区の東京都中央卸売市場「世田谷市場」に赴いた。そして市場に着くと、Aさんを車から引きずり下ろし、市場付近の路上に放置した。この時、Aさんはすでに意識を失っていたが、なおも被告らはAさんの前額部を路面に数回打ちつけるなどの暴行を加えた。さらに被告の一人が機関銃のような大型のエアガンで、意識を失っているAさんに対して連射し、プラスチック製の弾丸をAさんの腰に命中させ、Aさんの腹部に赤い斑点が残り、腫れ上がるほどの傷害を負わせた。

その後も被告らはAさんに対し、バケツで水をかけたり、Aさんの身体をライターであぶるなどの暴行を執拗に続けた。そしてAさんが意識不明の重篤な状態に陥っていることを知りながら、Aさんを車の荷台に押し込み、別の場所に放置するために出発。狛江市の東京慈恵会医科大学慈恵第三看護専門学校に到着すると、意識不明になっているAさんを荷台から路上におろし、そのまま放置して逃走した。

Aさんはその後、三鷹市の杏林大学医学部附属病院に搬送され、救急救命措置がとられたが、5月14日午後9時35分頃、一連の傷害に基づく脳挫傷とくも膜下出血により死亡した――。

以上が裁判で認められた事件の全容だ。この事件の概略は知っていても、ここまで凄惨な事件だったことは知らなかった人が意外に多いのではないだろうか。

新聞やテレビの事件報道では、被害者への配慮などから被害状況をあまり詳細に伝えない。それはそれで間違っていないと思うが、このトーヨーボール事件の被害状況の詳細がもっと世に広く知られていれば、のちの六本木フラワー事件が起きなかった可能性もあるのではないか。そんなことを思いつつ、発生から15年の節目に、この事件の凄惨な全容をお伝えしてみた。

トーヨーボールは今はなく、跡地はパチンコ店に

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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