今から8年前の2005年3月、大分県南部にある清川村(現在は豊後大野市清川町)という村で一人暮らしをしていた山口範子さんという女性(享年61)が自宅裏庭で、鈍器で頭部を乱打されるなどして殺害され、車などを盗まれるという事件があった。強盗殺人などの容疑で逮捕、起訴された伊東順一さん(61)という山口さんの知人男性が2010年2月に大分地裁で無罪判決(求刑は無期懲役)を受けた際には全国紙の一面でも報じられたが、地元以外では、この事件を知る人はたぶん多くないだろう。
ではなぜ、この事件を今ここで話題に出したかというと、伊東さんの控訴審の審理が今まさに大詰めを迎えているからだ。

検察が無罪判決を不服として控訴したのをうけ、伊東さんの控訴審が福岡高裁で始まったのは一昨年(2011年)7月のことだった。それから約1年9カ月で、開かれた公判は計25回。控訴審としては異例の長期審理となっているわけだが、それもひとえに裁判所が検察側の請求する証拠調べをことごとく認めてきたことによる。この間に出廷した計53人の証人は、大半が大分県警の捜査員をはじめとする検察側の証人で、要するに一審無罪の被告人に対する検察官の二度目の有罪立証が延々と続いてきたわけだ。

日本の刑事裁判では、控訴審は「事後審」とされ、審理をイチからやり直すのではなく、第一審の記録のみから第一審の判断に誤りがないかを審査するのが原則だ。実際、被告人側が控訴した場合、控訴審の裁判官はこの原則通り、被告人の新たな証拠請求を一顧だにせず、即日結審してしまうことも珍しくない。それを思えば、伊東さんのような一審無罪の被告人が検察官の意のままに延々と続く控訴審の審理により、延々と苦しめられ続けている現実は理不尽というほかないだろう。

そもそも、この事件は検察が控訴したこと自体が問題視されておかしくない事案だった。というのも、第一審で検察官が示した有罪証拠は事実上、捜査段階の伊東さんの自白しかなく、その自白も内容などに不自然な点が多かった。また、事件発生時間帯前後の伊東さんの行動を検証したところ、アリバイが成立しているに等しい状態であり、要するに第一審の無罪判決はきわめて妥当なものだったのだ。

去る3月28日、控訴審で行われた証拠調べをもとに検察官が「原判決を破棄し、被告人を無期懲役にすべき」などと意見を述べ、今度は5月29日に弁護側も意見を述べてようやく結審することになったが、控訴審でも結局、検察側からめぼしい有罪証拠が新たに示されることはなかった。第一審終了後に警察が追加で行った捜査によると、犯人が盗み、乗り捨てたとみられる山口さんの車の運転席から伊東さんのDNAが検出されており、検察はこれを逆転有罪の決め手にしたいようだが、これもかなり苦しい証拠だったのが現実だ。山口さんとは旧知の仲だった伊東さんは第一審のころから、事件前に山口さんの車に乗せてもらったことがあると証言しており、伊東さんが犯人でなくとも山口さんの車にDNAを残す機会はいくらでもありそうなものだからである。
判決はおそらく夏ころに出るとみられるが、その結果も踏まえて、この事件についてはまたレポートさせて頂きたい。

(片岡健)

★写真は、伊東さんの控訴審が行われている福岡高裁。