六代目山口組・高山清司若頭の出所で抗争は再燃するのか?

◆音が鳴った

10月18日、六代目山口組若頭の高山清司が府中刑務所を出所する。組長の司忍以上に組織統制の要と言われる高山の出所を前に、4度目の「音が鳴った(銃撃が起きた)」。

すなわち、10月10日に山健組本部前で、六代目山口組の中核組織・弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を弾いた(射殺した)のである。


◎[参考動画]神戸で組員2人射殺 逮捕の男は報道関係者を装う(FNN 2019年10月11日公開)

周知のとおり、弘道会は高山若頭、司忍組長の出身母体だ。この事件をうけて、兵庫県警は11日に六代目山口組総本部事務所と神戸山口組事務所など同県内計11カ所の組事務所について、暴力団対策法に基づく使用制限の仮命令を出した。

9月29日にも、埼玉県飯能において銃撃事件が発生したことが週刊誌で大きく報じられている。撃たれたのは任侠山口組の幹部の弟(堅気の塗装業者)だった。任侠山口組(織田絆誠代表)への攻撃であれば、六代目山口組の組員による犯行との見方がつよい。

それに先立つ8月21日には、六代目山口組の弘道会の兵庫県神戸市熊内町にある関連施設で、やはり発砲事件が発生している。弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51)が、複数の銃弾を浴びたのである。撃たれた加賀谷組員は、腕を切断せざるをえなかったという。

さらにさかのぼる4月18日に神戸市内の路上で、神戸山口組の中核組織である山健組の與(あたえ)則和若頭が、弘道会系の組員に刺されている。

8月の事件は4月の事件の“返し”として、山健組が神戸にある弘道会の拠点を襲撃した可能性があり、そうであれば10月10日の事件は、高山若頭の出所を前にした、弘道会の血の報復とみるべきであろう。8月21日の事件は、ほかならぬ高山若頭の住居で行なわれたのだから――。

ここまで読まれて、ヤクザマニアでなければ何が何だかわからないのではないだろうか。いったいどことどこが戦い、山口組はそもそもどうなっているのか(苦笑)。


◎[参考動画]六代目山口組総本部など「抗争状態」判断で使用制限(FNN 2019年10月12日公開)

◆3つの山口組

そこそこに知っている方も、ここでおさらいだ。山口組が分裂したのは2015年8月のことである。

六代目司忍組長・高山清司執行部体制に不満を抱いていた直参グループが、井上邦雄(山健組)を組長に、神戸山口組を旗揚げしたのだった。六代目に対する批判は、弘道会による役職の独占および上納金(月額100万円)、そして生活物資の買い取り(本家からの購入強要)であった。暴対法、暴排条例でシノギが厳しくなった中で、カネに執着する本家への反発である。五代目渡辺芳則組長は、組織拡大路線のもと、上納金を低く抑えていたではないか、と。

ところが、井上組長の神戸山口組もまた、直参組織を上納金で縛るという実態が明らかになったとして、織田絆誠(金禎紀)を首班とする任侠山口組がたもとを分かったのが2017年の4月である。こうして山口組は3鼎立することになったのだ。

六代目山口組 10300人 
神戸山口組   2700人
任侠山口組   460人

もともと、六代目山口組が発足したとき(2005年)に、それまで主流派だった山健組(渡辺五代目の出身母体)は人事で不満を抱いていた。弘道会による執行部人事の独占である。実力派の後藤忠政(後藤組組長)が除籍になったのを機に、13人の直参組長たちが謀反の談合を開いたところ、各個呼び出されて除籍処分になったのが、2015年分裂の遠因である。この除籍の顛末は、談合自体が弘道会の謀略だったという(『血別』太田守正、サイゾー刊)。

◆本格的な抗争は起きない

それはともかく、ヤクザジャーナリズムが騒ぎ立てるほど、本格的な大抗争が再燃するとは思えない。少なくとも組織としての山口組三派は、抗争を禁じる措置をとっているからだ。民法上の使用者責任が組長におよぶ、というのが一番の決め手である。

事件によって挙げられるのは、もちろん組長だけではない。銃撃したヒットマンも、よほどの覚悟がなければ出頭することはできないだろう。むかしなら新聞や実話誌で派手に報じられて、十数年の懲役を受けながらも任侠界に名をとどろかすという一幕だが、いまはそうではないのだ。

ヤクザなら相手を殺せば長期刑(30年か無期)、無期になれば堅気にならないかぎり、仮釈放は認められない(2000年に思想犯の除外を検察庁が更生保護委員会に指示)。見かけだけ堅気になったとしても、組に復帰すれば収監される。無期懲役の仮釈放は、刑期満了ではないからだ。かりに懲役30年になったとして、25歳の若きヒットマンは55歳でやっと出所ということになる。

人生100年時代とはいえ、人生の盛りの大半を獄中の労役で過ごすのである。ちょっと落ち着いて考えれば、捕まりたくないはずだ。そんなわけだから、9月の事件では、ターゲットを誤爆するというチョンボを犯している。しかるに10月10日の事件(2名殺害)は、斯道界のみならず警備当局、市民社会を震撼させるものだった。それがヤクザの犯行ではなく、マフィア的な犯行だからだ。

◆日本任侠道のマフィア化のきざし

当日は山健組の定例会が開かれている場所で、丸山容疑者は取材の実話誌記者たちとともに、記者を装ってカメラバッグの中に拳銃をしのばせていたというのだ。警察官の職務質問にも「実話誌の記者です」と答え、じっさいにカメラで撮影もしている。そして定例会が終わったとき、山健組の組員たちに誰何された段階で、2名射殺という襲撃を成し遂げたのだ。厳重警備を敷いていた警備当局に、その場で逮捕されたのは言うまでもない。

丸山容疑者はしたがって逮捕覚悟、あるいは死を覚悟のヒットマンだったことになる。2名殺せば、ヤクザでなくとも死刑(永山則夫規準)である。家族の将来を組織に託して、抗争事件でヤクザのレジェンドになる。それは確実な殺害と引きかえにヒットマンの犠牲を強いる、マフィア的な犯行である。

末端が禁じられている麻薬や詐欺事犯に手をそめ、捜査当局の締め付けのなか危険なシノギで生き延びる。そして抗争もまた、マフィア化しているというべきであろう。

ワールドカップラグビーの荒々しいプレイが、ある意味で「怖いもの見たさ」の求心力を持っているように、ヤクザ抗争は黒く熱い日本文化でもある。だから抗争事件は恐怖とともに、一般市民にも「のぞき見たい」刺激をあたえる。そうであれば、できれば親分同士が、どつき合いで決着(太田守正)をつけて欲しいものだ。そのときは、かならず取材に馳せ参じる所存だ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』
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いま、起こっていることは「風化」でなく、「事実の矮小化」と「隠ぺい」です 福島原発事故避難者に聞く〈1〉森松明希子さん

3・11からまもなく9年、「復興五輪」と銘打った東京オリ・パラの開催まで1年をきった。国は「復興五輪」で、福島の事故は終わったものしようと企んでいる。そんな中で避難者の存在が消されようとしている。原発事故の被害を無かったものにするためだ。しかし実際は、今も福島や関東など高線量地域から、被ばくを逃れてきた人たちが大勢いる。

そうした避難者らが現在、どんな状況に置かれているかを同通信では追っていく。第1回目は、森松明希子さん(45)です。

森松明希子さん

◆「私は幸運にも避難できたが……」

「2011年の3月11日、金曜日でした。私は家で、生後5ケ月の赤ちゃんをベビーチェアに乗せながら、ゆったりした時間を過ごしていました」。

あの日のことをそう話し出す森松明希子さんは、事故当時、福島県の郡山に夫と3才の息子、生後5ケ月の娘と4人で暮らしていた。事故でマンションが壊れ、夫の勤務する病院へ避難し、1ケ月間不自由な生活を余儀なくされた。

関西出身で、中学校の修学旅行で広島、高校で長崎を訪れており、「被ばく」の意味を知っていた森松さんは、原発が爆発したと知り、原爆でまき散らされた放射能のことを思い出し、遊び盛りの上の子には、外遊びを禁じていた。休日は新潟や山形のありふれた公園で、子供を外にだして遊ばせるためだけに、往復3時間かけて出かけるような生活だった。

事故後10km圏、20km圏へと「屋内待避」が命じられるなか、福島第一原発から60km離れた郡山にも放射能が広がるのは時間の問題だと思っていた。夫の車のガソリンを満タンだったので、いつ逃げるべきなのか、いつ避難指示を政府は出してくれるかと思っていた。

しかし地元のニュースは「通行止めだった道路が開通した」「●●スーパーが再開した」「〇〇病院が通常通りの営業時間に戻った」などばかり。原発が爆発したニュースは、全国一律で報じられる事以上の詳細は、放射線量も放射能汚染から身を守るべきことも伝えられなかった。

地元のローカル局の報道は、原発が爆発したニュースも一瞬画面に映しだされたが、4月に入ると小中学校や幼稚園の入学式・入園式が通常通り行われると報じ始めた。避難は政府の指示に従って、汚染の激しい原発に近いところから順番に、というのが合理的だと考えて順番を待っていたが、一向に被ばくに対する警鐘も注意喚起もなされないなか、子どもたちを一歩も屋外に出さないという生活に極度のストレスが溜まった。

幼稚園が休みになるゴールデン・ウイークに外遊びさせられる場所を求めていた森松さんに、実家の関西にいくことを進めたのは夫だった。両親、親戚らが住む関西に向かったのは、5月の連休だ。そこで初めて関西のローカル局のテレビの情報番組を見た。番組で福島とチェルノブイリの比較をやっていた。福島では知ることのない情報だった。郡山に残る夫と電話で話し合い、避難を決意、そのまま5月の長い連休を使い、母子避難の準備を一気に進めた。

「私は目の前に3才と0才の子どもがいたから、避難を決意できたのかもしれません。あと関西は土地勘もあり、両親や親戚もいたし。子どもが就学していたら、できなかったかもしれない」と森松さんは話し、さらに「私は子どもを守りたい一心で避難した。私の目の前には、守りたい子どもがいる。だから我慢できる。守りたい子どもが目の前にいない夫は、どうやって精神状態を保っているのだろう」と、仕事で福島に残り続ける夫を思いやった。

勤務医の暁史さんは、家族、とりわけ子どもたちとのコミュニケーションをとるために、毎週でも大阪に行きたい思いでいっぱいである。しかし患者の様態が急変することもあり、早め早めに予定を決めるのは難しい。月に一度が精いっぱいの時もある、勤務が終わった金曜日、夜行バスに飛び乗り、朝大阪に着く。土、日を家族と過ごし、日曜日深夜バスで福島に戻り、朝到着したそのまま仕事に就く、ということもしばしばあった。

◆支援が切られ、泣く泣く帰った仲間……

事故後、自主避難者へも住居などに行政の手が差しのべられたが、それも2017年で打ち切られた。森松さんが代表を務める東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream (通称サンドリ)は、月1回、避難仲間や支援者が自由に集まり、情報交換したり、とりとめのないおしゃべりをする「イモニカイ」をやっている。そこへ集まるメンバーも最初のころからは随分変わってきたという。避難元に帰った人、福島には戻らないが、実家のある宮城に移った人、関東近郊に移った人など、さまざまだ。

「帰った人の理由はさまざまです。戻らないと離婚させられるという人もいた。一番多いのは、やはり経済的な負担が大きいからだと思います。でもそうしたことは人には言いにくい。こちらも聞きにくい。とにかく泣く泣く本意ではなく帰った人が多くいたことだけは確かです」。

◆メディアに伝えてほしいこと

「メディアの中には、私たちのことを取材してくださるところもあり感謝しています。でも、言いたいことも山ほどあります」と森松さんは話し始めた。

例えば「原発事故」という表現。事故はアクシデント、「それはちょっとしたアクシデントだね」という軽い感じに思われがちだ。チェルノブイリ被害国ではカタストロフィー(大惨事)という。森松さんは、「放射能ばらまき事件」と言うようにしている。今でこそ声を大にして、そのように表現することができるようになってきたが、8年前そう言うと、大バッシングにあったという。「放射脳」と揶揄されたり、「非国民」呼ばわりされたり……。

2つめは、「自主避難者」というメディアがつけた表現に起因すると森松さんは分析する。「自主」は 「自主トレ」などのように一見前向き、主体的に聞こえるし、そういう先入観を植え付ける。または「やらなくてもいいのに、わざわざ自主的にやっている」という印象もある。しかしそのことで、福島が未だに放射能に汚染されている「実態」が隠されてしまう、と森松さんは危惧している。

「私たちは汚染があるから、福島から出て来たのです。『自主』ではなく『自力』避難と言って欲しいくらいです。また、国連の勧告でも指摘されている通り、原発避難者は国内避難民(IDP)に該当します。政府には保護義務があるということ、国際社会から日本という国はどのようにみられているかということを、もっとマスメディアは報じるべきです」。

◆「風化」ではなく、被害事実の矮小化と隠蔽

事故から8年経ち、原発関連や福島の汚染状況などを伝えるメディアが徐々に減っている。こうした傾向は、来年の五輪開催へ向けて一層強まるだろう。人々はそれを「風化」という。しかし森松さんはきっぱりこう言う。

「『風化』ではありません。風化とは、形あるものがなくなっていくこと、時の経過とともに忘れ去られることです。放射能汚染の事実も被害の実相も、放射能が目に見えないことを良いことに被害の実相も認知されていない。つまり風化ではなく、それは単なる事実の矮小化と隠ぺいです」。大阪に避難するまでの2ケ月間、放射能に襲われるという被ばくの恐怖を「肌感覚」で感じてきたからこそ、そう言えるのだという。

「私は『歩く風評被害』といわれた時もあります。でも『風評』ではなく『実害』です。確かに線量は下がったが、放射能は土壌に深く積もったまま。そこに住まわすことを『人体実験だ』『モルモットだ』という人もいる。福島の人たちを差別するなという人もいる。以前に「フレコンの前で子育て、私ムリ」という川柳を作りました。これを読んで辛い人もいるのだからという批判も受けました。ですが、私は、でもこれ以上事実が封じ込められてはいけない、『私はフレコンバッグの前で子育てはしたくない』と誰もが堂々と被ばくを拒否する権利をコトバにできる社会であるべきだと思ったのです」。

原発賠償関西訴訟 第24回口頭弁論は11月21日(木)大阪地裁にて

◆子どもとともに裁判へ

森松さんの頭の中には、泣く泣く戻ったママたちのこと、様々な事情で避難できず福島にとどまった人たちのことが、いつもあるという。お金が欲しいだけなら、個人で訴えることもできるが、福島にとどまった人たちも救われる、そして避難した私たちも含め、すべての被害者が救われるための施策に結びつけたい、そして同じ過ちを繰り返さないで欲しい。

そんな思いから、「避難の権利」を求めて、2013年9月17日、大阪地裁に提訴、「原発賠償関西訴訟原告団」の代表も引き受けた。第一次提訴者数は27世帯80人、森松さんの家族は子ども2人と森松さんと夫の4人が原告となった。現在原告は238人、うち3分の1が子どもだ。

「私たちは、国が『国策』で進め、万が一にも事故を起こさないと公言していた原発から無差別に漏れ出た放射能のことを問題にしています。国策で進めてきたのだから、避難したい人には避難させ、その生活を保障する、そういう制度がつくれればと考えています」と裁判の意義と将来の展望を語ってくれた。

最後に、9月19日、東電の3役員に原発事故の刑事責任を問う裁判で、3人に無罪判決が下されたことについてお聞きした。

「東電は『万が一』といいます。17メートルの津波が来ることがわかっていたなら、万が一でも万が三でも(原発を止めないにしても)やるべきことがあったはずです。実際ちゃんと対策し、被害を免れた原発もあるのですから。ただあの判決を見た人たち、つまり市民社会が、今度はどう本気になって動くか、あるいは世論がどのように喚起するのかが、カギになると思います」。

森松明希子さん

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

〈原発なき社会〉を求める雑誌『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟
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ダライ・ラマ制度維持の問題 ── チベット民族自決権と中華人民共和国

「チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで3日から続いていた世界の亡命チベット人の代表による特別会議は5日、閉幕した。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(84)の後継者選出を巡り、主導権を主張する中国に資格はないと拒否し、ダライ・ラマのみに権限があると宣言する決議を採択した。」(10月5日付け共同通信)

このニュースを最も喜んでいるのは、中華人民共和国政権中枢ではないだろうか。別のニュースでは「チベット人がいる限り、ダライ・ラマ制度は維持される」との声明もあったようだ。

84歳になったダライ・ラマ14世、本名テンジン・ギャツォ氏はチベット仏教の最高指導者であるとともに、明確な制度はないものの仏教界の最高指導者的な存在として、世界から尊敬を集めている人物である。チベットはもともと主権国家だったが、中華人民共和国に武力併合された。チベット民族は現在も約600万人が中国領域内に居住しているとされるが、中国は経済成長の過程で、表面上は自治州における民族自治の尊重を装いながら、漢民族以外への文化破壊をますます進行させてきた。ウイグル人の問題が近年日本でも報じられるようになったが、中国国内には指導者はともかく、独立を志向する100万人以上の民族集団として、チベット、ウイグル、内モンゴルが存在している。

ダライ・ラマは中国からの独立ではなく「高度の自治」を求めるにとどめているが、わたしの知る限りチベット人のあいだには「独立」を指向する人が少なくない。チベット問題は長く国際的な人権問題として西欧各国では取り上げられ、日本では右派が中国を攻撃する材料として利用されてきた。日本にはチベット亡命政府の大使館的(主権国家ではないので、パスポートやビザの発行業務は行えないが)存在として「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」がある。

第二次大戦後のアジアの混乱を象徴しているのが、ダライ・ラマであり、チベット人であるといえよう(彼の波乱に満ちた半生は「Kundun 」、「Seven Years in Tibet Little 」など映画化されてもいる)。しかし、今回の「ダライ・ラマ制度維持」の決議には、追い込まれたチベット亡命政府の焦りを感じざるを得ない。なぜならば、中国のチベット併合の理由は「前近代的な宗教国家からの解放」であったのだ。

そのトップがダライ・ラマであるけれども、ダライ・ラマ同様の「活仏」(生まれ変わりによる仏教上の地位)が実は数十人もいるのである。ダライ・ラマに次ぐ地位として、パンチェン・ラマがある。パンチェン・ラマは1995年5月14日に、ダライ・ラマ14世が当時6歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ11世と公式に承認後、5月17日に、両親共々同少年は行方不明となり、「世界で最年少の行方不明者」と話題になった。中国政府が親子ともども誘拐してしまったのだ。

このように出自により仏教上の地位が決まる選出方法を、中国は「前近代的だ」と批判する最重点課題においていたのであるが、残念ながらそれは正しい指摘だったといわねばならないだろう。卑近な例では天皇制と同じである。

ダライ・ラマ14世は、個人として非常に聡明であり、科学的思考に長けた人物である。が、同時にチベットからインドへの亡命前後から、米国への依存が強く、仏教の教えでは説明のつかない、軍事大国、侵略戦争国家=米国を批判できない立場にある。このあたりの矛盾とチベット伝統の仏教文化を継承するのは容易ではないことは理解に難くない。

ただし、わたしの記憶にある限りダライ・ラマ14世はわたしとの非公式な会話の中で、なんども「ダライ・ラマ制度はもはや時代遅れだ。これからの世界に認められる国家は、民主的であらねばならない。だからわたしが最後のダライ・ラマになるはずだよ」と語っていた。そしてチベット亡命政府は2011年選挙によりロブサン・センゲ氏を首相として選出している。

中国国内のチベット人居住区域でも、拝金主義は横行しているという。チベット人が望んだのではなく、中国政府が独裁を維持ずるためには、政府批判を避ける手段として拝金主義というイデオロギー注入を行ったのだ。しかし依然としてチベット人のアイデンティティーから離れないで、伝統的な生活様式を維持しているひとびとが国境を越えてインドに亡命を繰り返していた。ことしに入りインドと中国の緊張関係が高まり中国からインドへの亡命は激減していることだろう。

わたしは民族自決を支持したい。中国共産党という名前の独裁政党は、共産党を名乗りながら、社会主義、共産主義的経済や社会福祉を採用せず、実態は社会主義の「負の側面」=独裁だけを保持した帝国主義政党である(中国共産党が帝国主義政党であることと、日本がかつて中国大陸に筆舌に尽くしがたい侵略を行った事実は、双方とも注視され記憶されねばならない)。このあたりの認識が亡命チベット政府や、ダライ・ラマ14世には不足しているのではないか。

ダライ・ラマ14世は、信者の間では神様に等しい。しかし、仏教に神などはいないのであり、「無根拠な妄信」を戒めているのはほかならぬダライ・ラマ14世だ。

中国の侵略から半世紀以上が経過し、ダライ・ラマ14世も高齢化するなか、亡命している、あるいは中国内に留まっているチベット人の辛酸は察して余りあるが、利敵行為を採用するのはいかがなものか。ダライ・ラマ14世は幸運にも聡明な頭脳の持ち主(彼の政治判断全てを支持しているわけではないが)であったけれども、「民主主義」と「生まれ変わり」はどう考えても両立しない。

確たる解決策もないわたしが、嘴(くちばし)を突っ込む話題ではないのかもしれないが、チベット人には未来志向でいていただきたいと切望する。安倍晋三や櫻井よしこはあなたたちの真の味方ではない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「反社会勢力」という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由

◆コンビニ店頭から排除され、終わりをつげる暴力&エロ雑誌

 
最終号となった『実話時代』2019年9月号(2019年7月29日三和出版発行)

もう発売は7月末のことになるが、任侠界の専門雑誌である『実話時代』が廃刊した。そのキャッチは「昭和・平成・令和――激動の時代を駆け抜け本誌完結」「侠熱の三十五年忘れえぬ男たちへ捧ぐ」とあり、記事は「名侠剛侠一代絵巻」「渡世の気魄――本誌が照射したヤクザ三十五年物語」などだ。

往時は公称20万部をほこり、風俗広告に頼らない実話雑誌として斯道界に君臨してきた。ヤクザ公認の「業界誌」あるいは「広報誌」として、抗争なき時代の象徴ともいえる雑誌だったが、近年は福岡県で「悪書指定」を受けるなど、警察庁および暴力団追放運動の販売規制に苦しんできた。

コンビニから排除され、置いてくれる小さな駅前書店が開発計画で廃業するなど、おもに販路の問題から廃刊に追い込まれたというのが、関係者の言うところだ。組織による買い取りや定期購読の努力も行われたが、一般のヤクザファンが気軽に買えない環境では、存続は難しかったというべきであろう。

継承式や事始め(12月13日)を招待されるように取材し、抗争事件を扱わない癒着関係が批判されてきたが、最終号(完結号)にみられるように、ヤクザの序列、貫目にしたがった掲載、役職名の正確さは「癒着関係」があって初めて可能なもので、その意味でも役割の大きな雑誌だったといえよう。

コンビニでは、成人雑誌も置かれなくなった。一説には40億円といわれる売り上げが宙に浮き、リストラと転業を余儀なくされる版元も少なくない。暴力とエロの時代が終わりをつげ、それらはネット社会に収れんされていくのだろうか。

◆ヤクザの業態変化

それはともかく、ヤクザ業界はどうなっているのだろうか。20年前には10万人といわれた組織暴力団の人数は、いまや4万人とも5万人ともいわれる。ちょうど半減したわけだが、暴対法および暴排条例によるシノギの狭隘化、合法部門からの排除が進んだ結果とされている。だが、実際には隠れ企業舎弟ともいうべきフロント企業は増えている。というのも、会員誌の『FACTA』や『選択』に掲載される記事の大半は内部告発だが、そこには「記事にならない記事」が水面下にある。

その記事をめぐって金銭が動く、その頂点にヤクザ組織が介在している。あるいは金銭のやり取りに介在しているのが実態なのだ。もはやみかじめ料や用心棒代といった、昭和時代のシノギは激減し、暴力団組織が情報産業化したといえるのではないか。

その意味では、蔓延する「特殊詐欺」も暴力団のシノギの一端といえるのだが、ヤクザ組織は公式には組員が詐欺にかかわることを禁じている。覚せい剤や賭博も禁じている組織が大半だ。博徒が賭博をやらなくなったのは、借金による組織の荒廃。たとえば格が上の親分が、若い組員に「支払いを延ばしてもらえんやろか」と、貫目にそぐわない人間関係が現出するからだという。そもそも賭場よりも、裏カジノなどのほうがわかりやすい。そもそも若いヤクザは博打のやり方を知らない。

◆暴力団の最後の武器とは?

ヤクザの取材が難しくなったのも事実である。ヤクザ取材には二つの方法があって、ひとつは抗争事件の情報が取りやすい末端の組員と仲良くなる。もうひとつは親分と入魂になることで、トップダウンの情報をもらう。後者が前出の「実話時代」であって、親分が優遇してくれるのだから何でもしてもらえる。が、褒め殺し的な記事しか書けない。

末端の組員と仲良くなるのはいいが、親分を介してない関係は、かなりシビアなものになる。取材をおえて記事を書き、雑誌が出たころにファックスが入る。そこには「貴様、殺す!」と書かれてあったりするものだ。わたしはトップダウンの取材方法で、九州の「最悪の暴力団組織」と呼ばれるトップや、Vシネマの脚本を書く関係で広島や四国、山口組の引退親分の回顧録などを執筆した経験がある。

そのなかで、たとえばわたしが親分が滞在するホテルの一室にいると、そこへ現役の大臣から電話がかかってくる。あるいは人気のお笑いタレントが部屋を訪ねてくる。その場でツーショットを撮る。いっしょに会食をするなどの事実。それが政治家とのプライベートなツーショットである場合、その政治家は「誰とでも写真を撮るので、相手が反社だと知らないケースが多い」と言い逃れることが出来るだろうか。講演会の延長で握手したとか、ホテルのロビーでたまたまとかではない、ホテルの一室で親しく会話している写真なのだ。

なるほど、反社会勢力といえども指定暴力団であり、結社の自由の名のもとに結成された団体。つまり、合法的な結社である以上、警察力をもってしても強制的に潰せるわけではない。だが警察が暴力団を潰さない理由は、みずからの権益拡張すなわち、企業や業界団体への暴力団対策要員としての天下り。あるいは防犯団体への天下り先の確保。こうした直接的な利害とともに、政治家と暴力団の癒着をよく知っているからなのだ。それは選挙がらみの集票マシーンとして、政治家が藁をもすがる思いで、ヤクザ組織を頼みにするからにほかならない。

昨年、安倍総理(当時は衆院議員)にかかる選挙スキャンダル。すなわち工藤會系の事業者に選挙妨害を依頼した事件(火炎瓶事件に発展)が、新たな展開をみせながら、肝心の証人(実刑を受けた当事者)が音信不通になるというミステリアスな結末を迎えた。次回はここだけでしか書けないヤクザのエピソード、暴力団と政治家の密通の現場をお伝えしよう。 ※このテーマは、随時掲載します。


◎[参考動画]【山本太郎事務所編集】2018年7月17日内閣委員会「総理とヤクザと避難所と」(山本太郎 2018/8/29公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
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安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

「アナタハ ナニモノ デスカ?」  他者が本当に大切にしているものに対して、私たちはいかに誠実でいられるか?

敬虔な、イスラム教徒のかたと外食をする。想像していただきたい。そして、ご経験のあるかたは、その困難さが理解されるだろう。豚の肉は絶対に口にはできないし、豚のエキスが入っているものもダメだ。原材料に、食べることが許されない材料が「ない」、と確信できない限り食べるもの、入る店は決められない。

一般的な外食のチェーン店はまず無理だ。「日本語がわからないから、適当なところで誤魔化そうか……」空腹で1時間以上、飲食店を物色していると、邪念もわいてくる。しかし、そのかたにとってのイスラム教は、日本人の「葬式仏教」は訳が違うのだ。母国の法律はイスラム教を書き換えたものだ。生活のすべてがイスラム教に依拠している、といっても言い過ぎではない。そんな人を欺くことはできるものではない(敬虔ではなく、比較的緩いイスラム教徒の中には、日本滞在が長くなると、あまり食を気にしなくなり、なかにはビールを飲んで歓談することも平気になったひともいる)。

そのひとが、本当に「大切」にしているもの、は簡単には茶化せないし、茶化してはいけない。繰り返すが「そのひとが本当に大切にしているもの(勘違いで妄信しているものや、演技では断じてない)」にどう接するか、いかに誠実でいられるか、が実は「アナタハナニモノデスカ」に対する、回答との写し鏡ではないだろうか。

「アナタハナニモノデスカ?」

あなたは人間だ。この通信を読んでくださっている読者は、日本語が理解できるひとだ。あなたは、いくぶんかでも、わたし、田所敏夫という名前に、引っ掛かりがあるか、疑っているか、嫌いか、そういった感情をもつひとだろう。

わたしは2019年9月某日。日本の総体を好感せず、あれやこれやと文句を書き並べる、売れないフリーライターだ。日本の総体、なかんずく日本の政治の悪質さ、マスメディアの馬鹿さ加減、庶民のファッショ化(ファッション化ではない)、の悪化に日々「いやだなぁ」と暮らしにくさを、心に刻んでいる。きのうきょうにはじまったことではない。「アナタハナニモノデスカ?」と聞きはしない。内心、そのように問わずに、安心してそのひとの大切にしているもの、の心象的な手触りを、かんじることができる人がどんどん減ってしまって、軽々に本音の話ができない。

この苦しさは、たとえが、ずいぶん的外れかもしれないけれども、敬虔なイスラム教徒の来訪者と、食事をしようと街のなかを歩き回った、あのときのたじろぎよりも、何万倍もたちがわるいく、きもちわるいのだ。あの来訪者の、人格まで知りうるほどの付き合いではなかった。あのひとは、わたしにとって「敬虔なイスラム教徒」と大雑把に決めつけるしかない。その程度の関係性だった。でも空腹はつらかったものの、どこかに「アナタハナニモノデスカ?」と質問したくならない、非日常的な幸いがあった。失礼ながらイスラム教徒のかたとは接して、職場を何年もともにしたことはあったけれども、敬虔なイスラム教徒のかたとの邂逅は、「アナタハナニモノデスカ?」が頭に浮かぶ隙も与えはしなかった。

改憲・原発・死刑・天皇制・自然災害・差別・選挙制度・日本の戦争責任・自民党と公明党・お子さんの教育・受験・学歴・就職活動・雇用形態・組合・残業代不払い・年金・介護・相続・法律……(あるいは「服従と不服従」、「倫理と不倫」、「合法と非合法」、「埋没と非埋没」、「協調と独立」)。

あまた、あなたも直面してきたであろう(するであろう)選択に際して、あなたはどんな基準(ちょっと小難しく言えば思想と哲学)で判断を決めてこられただろうか。判断の積み重ねが、こんにちの「アナタ」を形成し、あなたの人となりを決めているのだと思う。「保守」、「リベラル」、「革新」(死語)、「人権派」、「エコノミスト」、「エコロジスト」。

実際のところ、一部の個性的なひとびとを除いては上記にあげた、概念はほとんど死滅してしまっている。たとえば池上彰、佐藤優、内田樹。そこまで有名ではなくともちょっとした場面で、自分が考えたように、どんな話題にも滑舌よくしゃべるひとたち。あなたは「大昔にジョージ・オーウエルが描いた人物像以下だよ」と囁いてやりたい、軽口ども。「何にでもなれる」つまり「何物でもない」のに、自説を口角泡を飛ばす勢いで、展開しているような偽物。

「アナタハナニモノデスカ?」

人間の内面像があいまいになってはいまいか。わたしの錯視、勘違いか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

立花孝志N国党代表にみる「内ゲバの構造」 身近な者に向けられる悪罵と暴力

一定の国民が支持するNHK受信料反対・モザイク放送化以外は、N国党はある意味でどうでもいいかな(勝手にやってくれ)と思っていたが、立花孝志のこのかんの言動に典型的な「内ゲバの構造」を見た。

税理士で江東区議の二瓶文隆と東京都中央区議の文徳氏親子にたいして「25歳の二瓶文徳はこれからもね、徹底的に叩き続けますから。オレ、奥さん、この子のお母さんも彼女も知ってますよ。徹底的にこいつの人生を僕は潰していきますからね。二瓶親子、特に息子、覚悟しとけ。許さんゾ、ボケ」などと発言する動画をYoutubeにアップしていたのだ。この感情のなかに、深刻な内ゲバの論理が潜んでいるのを、やや遠回りしながら解説していきたい。


◎[参考動画]裏切り者【二瓶文徳】(25才)中央区議会議員をぶっ壊す!(NHKから国民を守る党 総合チャンネル2019年7月3日公開)

◆内ゲバの論理はこえられなかった

かつて高橋和己は「無私だからこそ」、革命運動の内部ゲバルトは生じると、政治運動の崇高性を前提にしていた(内ゲバの論理はこえられるか)。

高橋和己が体感してきたのは、日共50年分裂(所感派と国際派の軍事路線をめぐる対立)における学生組織のリンチである。その後、全共闘運動の自由な組織感、たとえばデートがあるからデモを休むことが、気軽に受け容れられるなど、新しい学生運動への期待が彼の中にはあった。

しかしながら、高橋死後の日本の学生運動は、周知のとおり連合赤軍の同志殺し、中核VS革マル、社青同解放派(革労協)の内内ゲバに至るまで、まさに惨憺たるものだった。このあたりのわたしの体験は、11月に発売される『鹿砦社創業50周年記念出版 一九六九年 混沌と狂騒の時代』にも書いたので、ぜひお読みいただきたい。

その新左翼運動の内ゲバに「私利私欲」はあったと、故荒岱介は『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎新書)で明らかにしている。それは自治会の利権であり、学生活動家の天下り先としての大学生協の維持をめぐって、他党派を排除する内ゲバの論理があったと。

その意味では「カネと女をめぐる対立」というマスコミの下卑た論評は、半分当たっていたことになる。他党派解体という、世界で類を見ない革命運動の陥穽、あるいは病理というべき政治現象は、他党派を排除することで自派が伸長することを意味する。宗派的で独善的なドグマでありながら、市場原理をそのまま運動に体現した、ある意味ではわかりやすい構造である。

◆内ゲバの動機は「感情」である

しかしながら、内ゲバは人間の感情に根ざしたものでもある。単なる私利私欲ではなく、憎悪に組織された暴力でもあるのだ。仲間を殺された恨みと怒り、等価報復で敵に罪を償わせる報復の論理だ。いや、それだけではない。裏切りという即自的な怒りが、裏切り者を徹底的に叩くことへと向かわせる。この即自的な怒りこそ、内ゲバの血の底流なのだ。最大の敵である政治権力に向かう怒りが、それを掘り崩す「裏切り者」へと向かう。

たとえば李信恵らのM君リンチ事件を思い起こしてほしい。もっとも身近な、したがって裏切りへの応報という論理が通じやすい相手が標的にされた事件だ。そこには内輪のことだから泣き寝入りするだろう、という計算もひそかに働いていたに違いない。身近な、自分たちの言語(掟の了解)が通じる相手にこそ、内ゲバの暴力は向かうのだ。


◎[参考動画]二瓶文徳はこんなに応援してもらってあっさり裏切る政治家です (NHKから国民を守る党 総合チャンネル2019年8月13日公開)

◆勝手にやめたのが気に入らない

9月9日の会見において、N国党の立花孝志代表はこう語ったという。「これが恐喝にあたるんですか。起訴され、罰金刑や執行猶予になれば議員を辞職します。けれども、起訴猶予や不起訴なら戦います。世論で辞めろという声が60%以上なら考えるし、80%なら、辞職を考えます。議員にしがみつくつもりはない」などと。まったくもって、完全に常軌を逸した見解である。記者会見では、こうも語っている。

「脅迫になるかどうかについては警察が動いている。私が今日お願いした弁護士さんは正当防衛みたいなものと言っていた。人が殴ってきたのを殴ったのは正当防衛になる」

そもそも、原因は何だったのだろうか。会見からひろってみた。

―― 党におさめるべきお金を収めなかった?

「はい、彼(文隆氏)は党の仕事をせず、お金で解決しようとしていた。コールセンターのシフトに入らず、金を払って代理にやらせていた。コールセンターの仕事をすることなく、父親は領収書を前に、一生懸命、税理士の仕事をしていた。お父さんの方は政党の監査をする資格をお持ちなんですよ。それに対して現場に行ってやらなきゃいけないのをいかずに、通常15万円かかることを10万円でやる。そういうことをやっている。とにかく、裏側にまわってやりたいと、(文隆氏からの)ツイッターのダイレクトメールによれば、『私は政治資金監査人としては希有な人材と自負しています』と。N国党を辞めたからといって、当選して2カ月後に辞めたからといって、ちょっと怪しい人だなと思っていたところ、お父さんが、最初からN国党にいたくなかったと、のうのうとフェイスブックに書いている。これは国民をばかにしていると思って動画の作成に至った」

事務所番をせずに、勝手に党をやめたことが気に入らないというのだ。党に損害が生じたというのならば、ほかに方法があるではないか。今回の二瓶親子の被害届には、NHKがバックにいるとも立花代表は主張している。

「どうしてNHK職員と二瓶さんと接触しているのか。それが被害届けの提出につながっているのではないか、疑っている。(文隆氏の)事務所に行ったら、机の上にNHKの職員の名刺があった」

この一件で、警視庁は立花代表を書類送検した(10月2日)。「徹底的にこいつの人生を僕は潰していきます」とネットで宣言したのだから、ある意味で当然の措置であろう。

N国党は参院選挙を前に、所属の地方議員から130万円を徴収しようとして、支払わない議員を除名にしている。除名された議員のなかには、とんでもネトウヨ議員(NHKは在日に占められていると主張)もいたことから、立花代表の「英断」ととる向きもないではなかった。しかし、勝手に党をやめたことで腹を立て、恐喝まがいの行動に出る。ここに内ゲバの感情が横溢しているのは明らかだ。いずれにしても、事件の帰趨を見極めたい。


◎[参考動画]【10月4日党首会見】豊田真由子さん、堀江貴文さん、小西ひろゆき議員…すべて話しました。(立花孝志10月4日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

関西電力・裏金事件は組織的な犯罪! 裏金で動かす原発はいますぐ止めろ!  福島第一原発事故以後も「焼け太り」し続けた関電・原子力ムラ癒着構造の衝撃

◆電力会社と地元原子力ムラの切っても切れない癒着構造

福井県高浜町で、元助役を勤めた森山栄治氏(今年3月90歳で死亡)が、関西電力の八木誠会長や岩根茂樹社長はじめ幹部ら20人に、2011年から7年間で約3億円2000万円もの金品を提供していたという、驚くべきニュースが飛び込んできた。2018年金沢税務署が、高浜原発や大飯原発の関連工事を請け負う高浜町の複数の建設会社に税務調査を開始、これらの建設業者から、仕事を発注した森山氏に、3億円が手数料として流れていることがわかった。


◎[参考動画]関電役員の金銭授受 会見から見えた“癒着の構図”(ANNnews 2019年9月27日公開)

森山氏は、1969年高浜町役場に入庁後、総括課長(現総務課長)、収入役を経て、1977年から退職する1987年までの10年間、助役を務めた。関西電力は1960年後半から高浜原発の建設に着手し、1974年1号機、75年2号機の営業運連を開始。森山氏はその後の1980年3号機、84年4号機の誘致に尽力し、その間に関電との関係を強めたと言われている。地元では「天皇」と呼ばれ、「関電が大きくなったのは、あの人のおかげ」と言う元町議までいるそうだ。原発関連工事に関しても、地元業者の下請け参入に影響力を持ち「あの人に頼めば、100%仕事が出る」と言う関係者もいた。

森山氏が関電幹部らへ金品の提供を始めたのは、2011年以降だが、福島第一原発事故後の新規制基準に沿った安全対策工事が増え、高浜の建設業者にもバブルが訪れたという。実際、森山氏に3億円を渡した吉田開発にも原発関連の工事が増え、2013年8月期で3億5,000万円、2015年8月期10億円、2018年8月期21億円と、売上高を6倍にも伸ばした。

じつは森山氏は退任後、いくつもの原発関連会社の顧問や相談役を務めたが、吉田開発もそのうちの1社であることが判明した。森山氏が顧問を務めた吉田開発の主な仕事は、前述の通り3・11後強化された安全対策工事だ。いわば福島の原発事故で「焼け太り」したようなものだ。

後述する会見で、このような発注業務に不正はないか問われた社長は、「そのような認識はない。対価的行為もなく、工事の発注も社内ルールに基づいて適切に実施した」と説明した。これだけコンプライアンスが叫ばれるご時世に、「現金の入った菓子箱」「スーツの仕立て券」などの「賄賂」を平気で受け取る人物の発言を、だれが信用するというのか?

野瀬豐高浜町長はこの件について「非常に遺憾。町民の民さんに信頼してもらえるような組織文化の再構築を図っていただくよう強く申し上げたい」と語った。高浜原発は、3、4号機が2017年に再稼働、稼働から40年超を超えた1、2号機についても再稼働に向け、現在安全対策工事が進められている。それについて町長は「今回の事案は当然プラスには働かない。信用、信頼と言う部分で関電の対応を見極めていきたい」として、「経緯や詳細が十分にわからない部分もある」と、近く関電側に説明を求めていくと言う。

◆原資は私たちの払った電気料金、「返した」ではすまないぞ

9月27日午後から関電の記者会見が行われた。岩根社長は金を受け取った事実を認め、理由について「元助役は地元の権力者でお世話になり、関係悪化を恐れて、一旦お預かりした」などと説明。「コンプライアンス上、疑義をもたれかねないと厳粛に受け止めている」と謝罪する一方で、金品の詳細や、誰が幾ら授受したか、社内処分、返却時期などについては具体的な説明を避け、会長とともに自身の辞任を否定した。更にそうした事実を、昨年9月に実施した社内調査で把握していたのに、公表しなかったことについて「(金品授受は)不適切だが、違法とまでは行かないと判断した」と釈明した。

会見で「関電が、森山氏に世話になっているという感じだったのに、実際は森山氏が世話になっている関電に金品を渡していた。それは何故か?」と質問された岩根社長は「本人が死亡しているので、我々にもわからない」と答えた。まさに「死人に口なし」だ。

またこの事態を受け経済産業省は翌28日、関電に対して、ほかに類似の事案がないか調査するよう命じた。「ほかの事案」もだが、今回の事案にも厳しい調査が必要ではないか。じっさい八木会長は「(金品を受けたのは)2006年から4年間」と、岩根社長の説明と食い違う説明をしている。そもそもこの金は、関電が工事費用として原発立地に流した金で、それが再び関電幹部に還流されているのだ。原資には当然私たちの払った電気料金も含まれている。「返した」で済まされるものではない


◎[参考動画]関電 金品受領問題で会見へ(テレ東NEWS2019年9月30日公開)

◆一刻も早く原発から脱却する福井へ舵をとれ!「反原発福井コラボレーション」の若泉政人さんに聞く現地の声

毎週金曜日、福井県庁前で「再稼働反対!金曜デモ!」(9月27日で第364回を迎えた)を行う「反原発福井コラボレーション」の若泉政人さんに電話でお話を伺った。9月27日、若泉さんら「オール福井反原発連絡会議」は、関電に「原子炉容器脆化の進んだ老朽原発(高浜1、2号機、美浜3号機)の廃炉及び企業に社会的責任を果たすことを求める要望書を関電に提出する予定だった、

9月27日午後、美浜町の関電原子力事業本部で、要望書と抗議文を提出した

── どういう内容の要望書ですか?

若泉 原子力安全保安院の「原子炉圧力容器の中性子照射脆化について」(2012年1月23日)によると、(廃炉の玄海1号機を除き)高浜1号が最も脆化が進んでおり、高浜2号機、美浜3号機も危険性が高まっていることが示されています。関電からこの致命的な問題に、どんな対策をとるのかの説明がありません。私たちはこれを原子炉の危険性を隠すものではないかと考えています。また新聞に入っている関電の広告物にも「取り替えが難しい設備の劣化状況を把握するための特別点検などを行なっている」とありますが、具体的な説明はありません。これは福井に住む私たちを欺いているとしか思えないので、高浜1、2号、美浜3号機の廃炉を求めています。あと大飯3、4号機については、昨年度、関電が、福井県と交わした「使用済み核燃料の中間貯蔵施設設立地点公表」の約束を果たせなかったということがありました。私たち、大飯原発から出る使用済み燃料の中間貯蔵施設を県外へと要求し、関電は昨年度内に場所を決めると約束しましたが、それが果たせなかった。それについて私たちは、企業の社会的責任(CSR)に基づき、大飯3,4号機の運転を停止しろと要望しています。

2019年9月28日付け福井新聞

── そうした中、急遽、この裏金問題が発覚したため、その抗議もあわせて行うとなったのですね?

若泉 はい。要望書とともに、裏金問題への抗議文も渡しました。抗議文では「原発の建設費は電気料金や国からの補助金で賄われており、いわば国民の金を裏金ルートに乗せ着服したもの。組織的に行われた犯罪としか考えられない」と強く抗議しています。要望書についてはこちらから返答期日を伝えましたが、毎度のことですが、担当者は返事をせずに受け取っただけです裏金に関しても何も言わなかったです。参加者の中には裏金について「うすうす気づいていた」という人もいました。

── 高浜原発では、9月19日に敷地内のトンネルで作業員9人が、酸欠状態の症状で重軽傷を負うという事故がありました。裏金よりも現場の作業員の安全ですよね?

若泉 そうですね。昨日のデモの途中、原発関連ではないが、どこかの作業員の人たちから「お願いしますよ」と声をかけられました。原発関連で働く人たちの中からも「一体金がどこに使われているのか?俺たちの安全対策は大丈夫か?」と声を上げる人たちが出てくればと思います。

── 皆さんの運動の中で、この裏金問題をどう考えていくつもりでしょうか?

若泉 来年4月から新検査制度が施行されます。これは「若狭ネット」の長沢先生も指摘していますが、「『ひび割れた機器・配管を補修せずとも次回定期検査まで耐えられる』と電力会社などが評価すれば、そのまま運転を継続でき、運転期間も13ケ月から24ケ月まで延長できる」というとんでもないものなのです。こうした制度と老朽原発の危険性が悪い方に重ならないとは言えません。こうした面と使用済み燃料の問題を併せて追及し、一刻も早く原発から脱却する福井に舵をきるよう、福井県や立地自治体に求めて生きたいと思います。

2019年9月28日付け県民福井

◆裏金問題の闇を徹底的に暴いていこう!

若泉さんらは、申し入れを行った9月27日のデモ行進では「関西電力は裏金で原発を動かすな!」とコールし、「危険性は地域に、裏金は関電幹部。それでいいんですか!?」と行進の際にアピールした。

高浜町の住民、福井県の住民、作業員、そして電力を消費する関西の人たち、すべての仲間と共に、裏金問題の闇を徹底的に暴いていこう!

9月27日夕方、県庁のある福井市に移動し、デモと抗議行動を行った

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

〈原発なき社会〉を求める雑誌『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟
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マスメディアがたれ流す新内閣報道の無意味

◆そもそも「自公政権による、よりましな内閣」などありえるか?

内閣が代わるごとに大手報道機関は、野党党首に新内閣についての感想をもとめる「新鮮味がない」、「この内閣でわが国が直面している問題を解決できるとは到底思えない」、「順送り論功勲章内閣」。いつも野党が批判をすることばの調子には大きな変わりはない。それはそうだろう。主義主張が違うから政党を構成しているわけであって、自民党と公明党の与党を野党が褒めていたら、八百長がばれてしまう。

まず、こういった紋切り型の質問をルーティンワークとして、なんの疑問もなく記事化するマスメディアの思考停止が前提ではあるが、このような意味のない質疑や報道があろうがなかろうが、「自公政権による、よりましな内閣」などありえるだろうか。岸田や石破が入閣すれば、なんらかの望ましい変化が起こるだろうか。わたしはほぼ100%に近く、そんな可能性はないと考える。誰が入閣しようが、自公政権の内閣に期待できる理由があったら、おしえてほしい。

◆野党にだって、期待できる勢力があるか?

そして(またこのようなことを書くと嫌われるのは承知の上である)、野党にだって、期待できる勢力があるだろうか。個々の問題で活躍している議員や、政治家がいることは否定はしない。しかし、立憲民主だか国民民主だか知らないけれども、一度は京都の「ここぞというときに必ず失敗する」前原の口車に乗せられ、あろうことか、小池百合子との合流を模索した連中。そして今日の惨憺たる悪政の基礎(総評解体、国鉄分割民営化、小選挙区制導入、諸規制の撤廃)の基礎を80年代に築いた、小沢一郎にどういうわけか惹かれるひとびと。

山本太郎がつくった新党だって同様だ(繰り返すがこの政党の名称は、あまりに反動的過ぎるので記すことを拒否する)。山本太郎自身が少し前まで、自由党の共同代表として、小沢と同じ船に乗っていたじゃないか。

山本太郎がつくった新党は「消費税の廃止」を公約に掲げた。結構。これについてはまったく異論はない。しかし、報道では一向に消費税率上昇の問題が報じられないじゃないか。あるのは軽減税率(この言葉もごまかしだ。「軽減」されるのではなく8%に据え置かれるだけじゃないか)と、増税の分かりにくさや混乱が取り上げられるのみで、「消費税率10%へ上昇」の根本的な問題は、一向に取り上げられない。

◆権力とマスメディアとの見え見えの構図

なぜだろうか。そこにはあまりにもわかりきった、見え見えの構図がある。新聞協会は(古い話になるが)民主党菅直人政権時代に、「次回の消費税アップの際は、据え置きを」と協会として申し入れをおこない、内諾を得ていた。民主党であろうが自民党であろうが、霞が関であろうが、既に「権力のチェック機能」を失ったマスメディアは、いわば、民間の広報官の役割を果たしてくれている。

「ウムウム、そちの働きぶりを勘案すれば、それも考えんわけにわいかんわのう」
「ありがたきご高配で」
「ハハハ、そちもワルじゃのう」
「なにをおっしゃります。お代官様ほどではござりませぬ」

の現代版を新聞協会と政権はやったわけだ。だから批判しない。なにしているんだ! 新聞社各社は! しかし、しっぺ返しは部数減で明確に表れている。いまのところ大新聞内の記者たちの待遇に変化はないようだ。しかし、急激な部数減は近い将来必ず経営を圧迫する。そのときに一挙に現場労働者の待遇が悪化し、消滅する全国紙も出てくるだろう(その筆頭は産経新聞であろうと予想している)。

◆昔、橋本聖子を叱りつける夢をみたことがある

だいぶ昔に橋本聖子を叱りつける夢をみたことがある。あったこともないし、それほど気にしたこともない橋本聖子。冬季五輪スケートで全種目に出場するだけではものたらず、自転車競技で夏季五輪にも出場、あれが気に入らなかった。選考はフェアーに行われたのだろうけど、自転車競技専門の選手がかわいそうじゃないか、というのが、わたしの直感だった。

夢の中でわたしは橋本聖子をっ叱っていた「力を過信して、力が通じればなんでもしていいと考えるのは間違いだ。それでは政治家とおなじじゃないか」と。

とうとう橋本聖子は入閣してしまった。もっと叱っておくべきだったと反省している。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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原発再稼働と森友学園のキーマン、今井尚哉総理秘書官が補佐官も兼務する異常

◆「経産三羽烏」から官邸の危険な親衛隊へ

今井尚哉総理秘書官(総理補佐官兼務)

今回、補佐官になった今井尚哉(61歳・経産省出身)は、総理秘書官兼務である。秘書官の立場から、補佐官という実権のある立場を兼務させたのは、その忠誠ぶりと辣腕を買ってのことである。東大法学部から通産省(当時)とエリートコースを歩んだ今井氏は、エネルギー政策に関する部署を歴任したことから、原発推進の中心的な官僚だった。

福島第一原発事故をうけて、民主党菅政権が脱原発に動くところ、民主党および嘉田由紀子滋賀県知事、橋下徹大阪府知事ら地方公共団体の首長に直談判して説き伏せるなどして、再稼働への道すじをつけた。これらの活動から「経産省に今井ありと評されるようになり、同期入省の日下部聡、嶋田隆とともに「経産三羽烏」と称された。

叔父の今井善衛は、城山三郎の小説『官僚たちの夏』で主人公と対立する官僚「玉木」のモデルとしても知られ、商工官僚を経て通商産業省で事務次官を務めた。また、同じく叔父で公益財団法人日本国際フォーラム代表理事の今井敬は、新日本製鐵の社長を経て経済団体連合会の会長を務めた人物で、現在はほかに一般社団法人日本原子力産業協会理事長の職に就いている。今井氏の父親こそ医師だが、原子力村の一族といえよう。若いころから「サラブレッド」と呼ばれてきたのは、親族に重要閣僚と財界の重鎮がいるからにほかならない。

安倍総理との出会いは2006年、第一次安倍政権のときに内閣府に出向し、総理大臣秘書官となっている。第二次安倍政権でも秘書官となり、今回補佐官を兼務することになった。

上述の今井善衛の妻は山崎種二の娘であり、安倍晋三夫人である安倍昭恵の叔母が山崎種二の三男(山崎誠三)に嫁いでいるため、今井家と安倍家は縁戚に当たる。したがって、お友だちならぬ「親戚人事」でもあるのだ。アベノミックス、一億総活躍社会などは、この人の発案によるといわれている。

安倍首相と今井尚哉総理秘書官(総理補佐官兼務)の閨閥関係

◆平成・令和の「影の総理」?

メディアによる「評判」は以下のとおりだ。

「今井には何より『総理独り占め』のカードがある。首相のアポは思いのまま、入れたい情報は耳打ちし、入れたくない情報は握りつぶす」(FACTA)

「安倍総理の右腕とも言われ、スケジュールを一手に握っていることから、大物政治家も一目置いている。一方で今井氏の機嫌を損ねると、面会を取り次いでもらえないとの悪評も多い」(週刊文春)

「政局対応、官邸広報、国会運営、あらゆる分野の戦略を総理の耳元で囁く。決断するのは総理だが、その影響力は計り知れない」(プレジデントオンライン)

籾井勝人元NHK会長を覚えておいでだろうか。あの「NHKは政権の言うことを尊重する」などと、公共放送を捻じ曲げた人物である。その籾井会長が350億円の土地購入計画を強引に進めようとしたとき、NHKの理事4人が反対した。これに対し、今井氏は籾井氏を官邸内で徹底擁護している。なぜなら、籾井氏をNHK会長に推したのが叔父の今井敬氏だったからだ。今井氏は同じく安倍首相のお気に入りのNHK解説委員である岩田明子氏と共謀し、反対した理事4人を追放したのだ。悪夢のような「籾井時代」の引き伸ばしに一役買ったといわれている。

「影の総理」とは、雁屋哲原作・池上遼一作画の「男組」に登場する政財界の黒幕のことで、児玉誉志夫(ロッキード事件被告)がモデルと言われている。また、キングメーカーという意味で田中角栄をほうふつとさせる。いずれもロッキード疑惑が発覚する時代に「男組」が連載されていたので、実感をもって「影の総理」という言葉の響きが感じられたものだ。

しかし昭和の「影の総理」とちがって、平成・令和の「影の総理」は姿を隠すことなく、前線で辣腕をふるう。

◆「特殊性」を同和地区に誘導する?

補佐官兼務となった今井尚哉秘書官は、森友学園の公文書改ざん問題で財務省に改ざんを命じた人物ではないか、と言われている。複数のメディアが今井氏を名指して「疑惑の本丸」あるいは「司令塔」と報道していたものだ。前川喜平元文科事務次官もこう証言している。

「官僚が、これほど危険な行為を、官邸に何の相談も報告もなしに独断で行うはずがない。文書の詳細さを見れば、現場がいかに本件を特例的な措置と捉えていたかがわかる。忖度ではなく、官邸にいる誰かから『やれ』と言われたのだろう」

「私は、その“誰か”が総理秘書官の今井尚哉氏ではないかとにらんでいる。国有地の売買をめぐるような案件で、経済産業省出身の一職員である谷査恵子氏の独断で、財務省を動かすことは、まず不可能。谷氏の上司にあたる今井氏が、財務省に何らかの影響を与えたのでは」(「週刊朝日」2018年3月30日号)

それだけではない。森友学園の報道を抑えるために、卑劣な差別的誘導を行なった可能性があるのだ。

森友問題では、財務省の文書に「本件の特殊性」という文言が登場する。この「特殊性」が総理夫人の関わる案件を示しているのは明白だ。ところが財務省が文書改ざんの事実を認める方針が伝えられた時期から「『特殊性』とは同和のこと」なるツイートが大量に拡散されたのだ。ネトウヨや右派評論家たちも、これを書き立てるようになった。同和地区だから、国有財産が安価に下げ渡されたのだと。しかしこれは、まったくのデマである。

じつはこのデマ拡散に、今井首相秘書官がかかわっているのではないかと言われているのだ。「週刊文春」2018年3月22日号で、官邸担当記者はこう語っている。
「今井氏らは夜回り取材などにも饒舌になって、Aさんの自殺を書き換え問題と関連付けないように記者を誘導していました。他にも『〈特殊性〉は人権問題に配慮してそう書いた』との情報を流布させ、事態の矮小化を図っていました」

引用中のAさんとは、自殺した近畿財務局職員のことである。そして明らかに、部落解放運動のつよい大阪という地を意識して、「人権問題を配慮して」なる誤情報を流したというのだ。昭和の「影の総理」が叩き上げの右翼、あるいは土建屋出身の荒々しさを持っていたのに比べて、平成・令和の「影の総理」の何という卑劣で矮小なことか。サラブレッドとは「お坊ちゃん」という意味でもある。この秘書官兼補佐官が地に落ちるとしたら、このあたりの世間知らずが原因になるかもしれないと指摘しておきたい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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西成あいりん総合センター住民訴訟の行方 大阪維新の「西成特区構想」が孕む〈排除〉の思想

◆センター仮庁舎のどうにも止まらない雨漏りの原因は?

センター仮庁舎のどうにも止まらない雨漏りの原因は?

9月20日、大阪地裁で「公金違法支出損害訴訟」(センター住民訴訟)の第4回目の裁判が開かれた。この裁判は、西成あいりん総合センターの建て替えに伴い建設された南海電鉄高架下の仮庁舎の予算が、適正に運用されているかを争うものだ。

今回、原告は書面にて仮庁舎が安全性が保証されない高架下に建設されたこと、合理的な理由がないにもかかわらず、南海辰村建設と随意契約したことの違法性などを主張した。

7億5,000万円の税金を使って建てたセンター仮庁舎で、開業2ケ月後に雨漏りが発生、それが一向に止まらないことは前回報告した。

その後、天井板を交換したり、天井裏に水受けを設置するなどしたが、雨漏りは止まらず、最後はバケツで受けていた。窓枠にも水滴が垂れ、床には吸水シートが敷かれていた。

建設業で働く人からは「屋根の防水工事が施されてないのでは?」「高架の上に降った雨が、スラブ(床)や梁、柱を伝って溢れるのでは?」などの声が出ている。同じ高架下に作られた1階建てのあいりん職安仮庁舎では雨漏りは確認されていない。センター仮庁舎の雨漏りの原因は何か? 仮庁舎でどんな工事が行われたのか?

南海電鉄は、高架からコンクリートが剥落する危険性などを防ぐためとして、センター仮庁舎のコンクリートの劣化が認められた部分に断面復旧材による補修を行い、コンクリートにクリアガードを塗布したという。

工事の詳細は省くが、この工事はコンクリートの気密性や水密性を確保し、鉄筋腐食の進行は抑制できるが、鉄筋の入った、高架を支えるコンクリート構造物の強度そのものを回復するものではない。

設置から81年経過し老朽化した高架下の柱のコンクリートには、無数の細かいクラック(ひび)があるが、空気や水分はこのクラックを経由して鉄筋に到達しうる。高架上の線路から雨水や空気が、クリアガードに遮断されずにコンクリート構造物に浸透していく。

つまり断面復旧材による補修や、クリアガードによっても、コンクリート構造物の気密性、水密性は確保されず、鉄筋腐食は進行していくことになる。じっさい工事後も、コンクリートの亀裂から、鉄の錆を含んだ茶色い水が出ている。

◆耐震工事のやってないセンター仮庁舎は危険ではないのか?

では、南海高架下の耐震性はどうなっているのか? じつは、センター仮庁舎から南へ200メートルいった萩之茶屋駅南側で最近、高架下の柱に重厚な鋼板を張り付ける耐震補強工事が行われている。

同じ工事は、南海電鉄の難波駅や今宮戎駅周辺でも行われてきた。しかし、そうした工事が、センター仮庁舎では行われていない。仮庁舎を決める際の「まちづくり会議」で、南海電鉄の耐震性に疑問の声があがったが、識者からは「南海に確認したところ、今回仮移転の検討を進めている場所は、耐震化の対象外」と返答されている。

更にデータなどの提示を求めた委員に、府職員が「南海を信用できないのか?」と言う場面もあった。腐食が進行しつつある柱を取り込んで建設されたセンター仮庁舎の耐震性は、果たして大丈夫なのか? 劣化した高架下に建造物を建てるならば「耐震化の対象外」とはいえ、大事をとって耐震補強工事を施すべきではなかったか? それをやらずに、工事を急いだのは、何故か?

◆大阪維新の「西成特区構想」にあわせた「まちづくり」が狙うものは?

高架下の安全性など十分考えずに仮庁舎建設を急いだのは、大阪維新の「西成特区構想」の目玉であるセンター建て替えを、新今宮駅前の再開発計画にあわせて進めたいからだ。そのため兎にも角にも労働者や野宿者をセンター周辺から「どかしたい」。これが大阪維新とともにまちづくりを進める人たちの狙いだ。

そのために、センター建て替えの理由を「耐震性の問題」としてきた人たちが、耐震性に疑問の残る仮庁舎に、4~6年、労働者を押し込めようという。おかしな話ではないか。

センター解体の目的が「耐震性」の問題ではないことは、耐震性に問題ない「第二市営住宅」まで解体することからも明らかだ。元市長の橋下氏は、「あいりん総合センターは、解体後、跡地の北半分を駅前再開発に使いたい」と明言していた。センター解体の目標は、そのために、新今宮駅前の広大な更地を確保すること、しかもなるべく使い勝手の良い台形の更地を確保することだ。まだ使える第二住宅を、税金を使って解体するのは、凸凹を平らにするためだ。

センターをつぶした跡地利用案の一例

◆大阪府は、随意契約した南海辰村建設にも責任を負わせろ!

今裁判で、大阪府は、どんなことがあっても南海電鉄に賠償責任を負わせないという免責条項を盛り込む「高架下区画地一時使用計画書」を作成していたことがわかった。

当初3か所提示された仮庁舎の建設場所を、南海電鉄高架下に決めたのち、大阪府は随意契約で南海辰村建設を相手方に選んだ。その理由を大阪府は「高架下にある特殊性により、安全性を配慮して」と述べていた。「高架下にある特殊性により、安全性を配慮して」というからには、随意契約の相手方・南海辰村建設に安心・安全に責任を負わせることが不可欠であるにもかかわらず、大阪府はそれを免責してしまった。しかも、ここで大阪府と南海が、利益相反の関係であることも明らかになった。これは随意契約を原則として禁止する地方自治法234条2項違反ではないのか。

◆日本の経済を末端で支えてきた人たちが、無残に排除されていいのか?

日本最大の日雇い労働者の町・釜ヶ崎は、1970年開催の「日本万博博覧会」に向け、大量の労働力を確保するために、国策で作られてきた。政府は、万博招致が決まった1966年以降、急ピッチで会場の建設・整備工事が進めることとなり、1967年~1969年万博関連の仕事に就く労働者を全国からかき集めてきた。労働者を詰め込めるだけ詰め込むために作られたドヤが、現在も何棟か残っている。

左ホテルの2階の位置の高さに、右ホテルの3階の窓がある

こうして国策で集められた人たちは、その後様々な理由で家族や故郷との離散を余儀なくされ、釜ヶ崎を第二の故郷に選び、生活を続けてきた。高齢化し、生活保護や年金で暮らす人、野宿者、ガードマンや清掃など比較的軽い仕事に就く人などさまざまだ。

日雇い労働者こそ減ったものの、困難は何一つ変わっていない。DVから逃れてきた女性、安宿を求める非正規雇用や派遣労働者、精神疾患を持つなど生きづらさを抱えた人……差別や貧困が拡大する今、釜ヶ崎のような場は、一層必要になってきている。そうした人たちを暴力で「どかして」つくる「まちづくり」とは何かと考えるとき、どこかで聞いたこんな言葉を思い出す。「再開発を決めるのは、いつもどこでも、そこにいない人」。

具体的にそこに住むか住まないではない。まちづくりをいうときに、そうした釜ヶ崎の歴史を踏まえ、誰が主役のまちにすべきかを考えることが重要だ。

「要するに、あっちにできるホテルから、俺たちを見えなくさせたいんやな」。今朝、「センターつぶすな!」のビラを撒いていると、おっちゃんが私にそう言った。JR新今宮駅の向こう側には、星野リゾートの建設が進んでいる。

釜ヶ崎のセンター周辺には、新しい仲間もポツポツ増えている。センター開放行動主催の「秋祭り」は10月27日(日)11時~17時。センター団結小屋周辺で。

星野リゾート建設現場

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号(9月11日発売)では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

「風化」に楔を打ちこむ『NO NUKES voice』21号
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