れいわ新選組チーム広島と共に、西日本大水害2018最大の被災地・坂町と唯一合併拒否の竹原市を呉線で街宣紀行 さとうしゅういち

筆者とれいわ新選組チーム広島は4月28日、安芸郡坂町と竹原市を街頭宣伝や挨拶回りしました。移動は行きは呉線でおこないました。

発災後半年以上経過した2019年1月12日に筆者がボランティアにうかがった際の様子

安芸郡坂町は西日本大水害2018では最大の被災地のひとつとなりました。とくにこの日うかがった小屋浦地区では、災害発生から半年以上たっても、土砂が広島市安芸区や安佐北区の被災地の直後の状態並にまだ堆積しており、息をのんだのを記憶しています。

さて、この日はまず、早朝、坂町役場前で街宣。れいわ新選組は、国家公務員給与の引き下げに反対し、現場公務員は非正規を正規にすることもふくめてふやす方針です。いま、立憲民主党さんさえも給与の引き下げに賛成し、連合も芳野会長が報道されているように労働者の味方とは正反対の状況です。

筆者は、演説では立憲批判は避けつつ、公務労働者の皆様が安心して町民のための仕事ができる環境を整える政策はれいわが一番である、などと訴えました。

続いて、呉線で小屋浦地区へ移動しました。バスも検討したのですが、なにぶん本数が少ないので(右の写真の時刻表)断念しました。

小屋浦地区の街宣ではさとうしゅういちとれいわ新選組の「何があっても心配するな。そんな国をあなたと一緒につくりたい」政治姿勢を紹介。

「ガツンと財政出動」で「コロナの前から厳しくコロナが追い打ちをかけ、さらにロシアのウクライナ侵攻による輸入物価高騰でおいこまれているあなたの暮らしを底上げする」「内外の災害に対応する災害救助隊の創設」や「減らしすぎた自治体現場の公務員をふやして危機管理を強化するとともに雇用をふやす」政策、また「安くて追い出されない住宅」で災害にあっても心配ない国を、などとうったえました。

さらに、大水害となった川沿いのお宅を一軒ずつ訪問しました。「4年前の水害でボランティア活動にうかがいました。その後、どんな様子か気になりおじゃましております。」とご挨拶をさせていただきました。


◎[参考動画]小屋浦駅前での街宣の様子の動画

写真中央は筆者。左が2018大水害、右が明治大水害の石碑

「災害が原因でスーパーの機能を果たしていたJAが撤退して買い物難民が増えている。移動販売だのみだ。」など、一定程度復旧が進んだかに見えた中でも多くの課題が発生していることをうかがいました。

ある程度上流にある小屋浦公園には、明治時代の水害と今回の西日本大水害2018の水害の石碑が並んでいました。

100年前の教訓を生かしきれなかった地元の皆様の痛恨の思いがよくつたわってきました。

◆少なすぎる呉線の普通電車、やはり市場原理主義ではない交通政策を!

さて、次は竹原に13時集合で街宣です。ところが、筆者は、小屋浦の地元の方との話に夢中になっていて、11時9分小屋浦発の普通電車に乗り遅れてしまいました。

次の普通電車は12時9分です。これでは大遅刻です。

仕方なく、坂までいちどバックして、改札を出て、入りなおし、そこから11時45分発快速で広へ。広で乗り換え13時7分に竹原入りし、支持者の皆様と合流しました。

呉線の広島ー呉は、日中が快速ばかりで普通電車が一時間に一本は少なすぎます。小屋浦とか快速通過駅の人は不便です。本数を増やした方が利用者も増えるでしょう。

もちろんJR西日本だけの責任ではありません。JR西日本は民間企業である以上、極端な話、『赤字だから廃止』と言われたらお手上げです。

しかし、公共性を鉄道に求める以上は、市場原理とのギャップを埋める必要があります。欧州のような上下分離方式(線路は国や自治体が持ち運行を民間がやる)の導入などが必要だと思います。活動の中できちんと国政で取り上げるべき課題が見えてきます。

◆県内唯一の合併拒否市の竹原でも街宣・憲法アンケート

さて、竹原入りした筆者は駅から少し歩いた竹原市役所・ゆめタウン竹原付近で街頭演説を行いました。


◎[参考動画]竹原市役所・ゆめタウン竹原付近で街頭演説

竹原市は県内86市町村が23に激減したいわゆる平成の大合併において、県内の市では唯一、合併を選びませんでした。

一方で、竹原市は瀬戸内海気候が極端な地域で、北海道以外では、日本でも一番雨が少ない部類の地域です。しかし、西日本大水害2018では大きな被害をうけ、道路や橋などの復旧もずれにずれこみ、3年以上かかったそうです。

昨年の参院選再選挙2021でうかがった竹原駅のセブンイレブンで昼食を買おうとしたら、閉店しており、腰を抜かしました。筆者は空腹を極めていたため、少々古い言葉を使うなら「ガチョーン」という気持ちでした。しかし、これが現実なのでしょう。新型コロナによる竹原の主要産業である観光への打撃も大きかったことを痛感しました。

竹原市役所・ゆめタウン竹原付近では筆者が、れいわ新選組の政策をご紹介する街頭演説をおこない、また、チーム広島の皆様は憲法についてのアンケートを行いました。

筆者は、市役所の皆様にむけては、竹原市が県内の市では唯一合併せずに独自のまちづくりをされていることに敬意を表しました。合併した自治体ではたしかに市役所も駅前もきれいになったが、合併された地域で人口の急減が止まらないなど問題がおおい、と指摘。そのうえで、「地方分権」と称して合併をさせた上で、財源や人の手当てをせずに仕事だけ丸投げしたこの2,30年の政治を改めたい、職員の皆様が市民のために安心して仕事ができるように、不足している公務員は非正規を正規にすることも含めてふやす、公務員という形で人が来たら地域にも活気が出る、などと力をこめました。

竹原・三原の市議会で反対の決議が可決されているのに許可されている産業廃棄物処分場問題についても言及。「日本の安定型処分場はざるのようなものだ。新規のものは禁じる法律をつくるべきだ。」などと訴えました。

[写真右]閉店した竹原駅のセブンイレブン。[中央と右]れいわ新選組チーム広島が行った憲法アンケート

一方、れいわ新選組チーム広島の皆様は、ゆめタウン竹原に買い物で出入りされる皆様に憲法アンケートを実施しました。多くの皆様は、自民党がやろうとしている憲法「改正」の中身は把握しておられないようです。その中で、国民民主党や「維新」などが、自民党以上に拙速に改憲を突撃隊的にあおり立てている状況もあります。

筆者も、「自民党が安全保障をきちんとやらないから他の政党でやってほしい」という人が維新に期待している状況を街頭で感じています。しかし、その安全保障の中身も問題です。食料をほとんど自前でつくれない、原発という弱点だらけの日本が軍備だけ増やしてどうするのか?という基本的な問題意識も維新などからはすっぽり抜け落ちていますが、勢いだけはあります。

今夏の参院選で自公はもちろん、維新・国民を躍進させないようにしつつ、ガツンと庶民のくらしを重視するれいわ、共産、社民、立憲良識派を増やしていく。その上で、冷静な議論をするよう呼びかけていくしか当面はないと感じます。

◆独自のまちづくりに奮闘する竹原市民

街宣終了後は、竹原の街並み保存地区を堪能しました。竹原の旧市街は重要伝統的建造物保存地区に選定されています。NHKの朝ドラ「マッサン」で有名になった竹鶴酒造などもあります。一行は古民家を利用した喫茶店で休息しました。店主もふくめ、合併をしなかったぶん、独自のまちづくりに奮闘されている気概が街中からつたわってきました。

竹原の旧市街

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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今こそ反戦歌を!〈2〉ネーネーズ『平和の琉歌(りゅうか)』 松岡利康

先に反戦歌として『戦争は知らない』について記述したところ予想以上の反響がありました。私たちの世代は若い頃、日常的に反戦歌に触れてきました。なので反戦歌といってもべつに違和感はありません。最近の若い人たちにとっては、なにかしら説教くさいように感じられるかもしれませんが……。

今回は、もうすぐ沖縄返還(併合)50年ということで、沖縄についての反戦歌を採り上げてみたいと思います。

沖縄が、先の大戦の最終決戦の場で、大きな犠牲を強いられたこともあるからか、戦後、沖縄戦の真相や戦後も続くアメリか支配が明らかになり、それを真剣に学んだ、主に「本土」のミュージシャンによって反戦・非戦の想いを込めた名曲が多く作られました。すぐに思い出すだけでも、宮沢和史『島唄』、森山良子『さとうきび畑』、森山が作詞した『涙そうそう』、阿木耀子作詞・宇崎竜童作曲『沖縄ベイ・ブルース』『余所(よそ)の人』……。

森山良子など、デビューの頃は「日本のジョーン・バエズ」などと言われながら、当時は、レコード会社の営業策もあったのか、いわゆる「カレッジ・フォーク」で、反戦歌などは歌っていなかった印象が強いです(が、前記の『さとうきび畑』を1969年発売のアルバムに収録しています)。

宮沢和史さん
宇崎竜童さん
 
知名定男さん

『沖縄ベイ・ブルース』『余所の人』はネーネーズが歌っていますが、ネーネーズの師匠である知名定男先生と宇崎竜童さんとの交友から楽曲の提供を受けたものと(私なりに)推察しています。知名先生に再会する機会があれば聞いてみたいと思います。

以前、高校の同級生・東濱弘憲君(出生と育ちは熊本ですが親御さんは与那国島出身)がライフワークとして熊本で始めた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」に宇崎さんは知名先生の電話一本で快く何度も来演いただいたことからもわかります。熊本は沖縄との繋がりが強く『熊本節』という歌があるほどです。一時は30万人余りの沖縄人が熊本にいたとも聞きました。それにしても、沖縄民謡の大家・知名先生とロック界の大御所・宇崎さんとの意外な関係、人と人の縁とは不思議なものです。

ところで、ネーネーズが歌っている楽曲に『平和の琉歌』があります。これは、なんとサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲しています(1996年)。前回の『戦争は知らない』の作詞がアングラ演劇の嚆矢・寺山修司で、これを最初に歌ったのが『たそがれの御堂筋』という歌謡曲で有名な坂本スミ子だったのと同様に意外です。しかし桑田の父親は満州戦線で戦い帰還、日頃からその体験を桑田に語っていたそうで、桑田の非戦意識はそこで培われたのかもしれません。

在りし日の筑紫哲也の『NEWS23』のエンディングソングとして流されていたものです。筑紫哲也は沖縄フリークとして知られ、他にもネーネーズの代表作『黄金(こがね)の花』(岡本おさみ作詞、知名定男作曲)も流しています。

岡本おさみは、森進一が歌いレコード大賞を獲った『襟裳岬』も作詞しデビュー間もない頃の吉田拓郎に多く詞を提供しています。岡本おさみは他にも『山河、今は遠く』という曲もネーネーズに提供しており、これも知名先生が作曲し知名先生は「団塊世代への応援歌」と仰っています。いい歌です。ネーネーズには、そうしたいい歌が多いのに、一般にはさほど評価されていないことは残念です。

さらに意外なことに、一番、二番は桑田が作詞していますが、三番を知名先生が作詞されています。

サザンは、最初に歌ったイベントの映像と共にアルバムに収録し、シングルカットもしているそうですが、全く記憶にないので、さほどヒットはしていないと思われます。サザン版では一番、二番のみで三番はありません。ここでは一番~三番までをフルで掲載しておきます。
【画像のメンバーは現在、上原渚以外は入れ替わっています。現在のメンバーでの『平和の琉歌』は未見です。】

ネーネーズとHY

◆     ◆     ◆     ◆     ◆


◎[参考動画]『平和への琉歌』 ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest

一 
この国が平和だとだれが決めたの
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下 
夢も見ました民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに
蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
愛を植えましょう この島へ
傷の癒えない人々へ
語り継がれていくために

二 
この国が平和だと誰が決めたの
汚れ我が身の罪ほろぼしに
人として生きるのを何故にこばむの
隣り合わせの軍人さんよ
蒼いお月様が泣いております
未だ終わらぬ過去があります
愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ人々へ
いつか花咲くその日まで

三 
御月前たり泣ちや呉みそな
やがて笑ゆる節んあいびさ
情け知らさな この島の
歌やこの島の暮らしさみ
いつか咲かする愛の花

[読み方]うちちょーめーたりなちやくぃみそな やがてぃわらゆるしちんあいびさ なさきしらさなくぬしまぬ  うたやくぬしまぬくらしさみ ‘いちかさかする あいぬはな

ネーネーズの熱いファンと思われる長澤靖浩さんという方は次のように「大和ことば」に訳されています。

「お月様よ もしもし 泣くのはやめてください やがて笑える季節がきっとありますよ 情けをしらせたいものだ この島の 歌こそこの島の暮らしなのだ いつか咲かせよう 愛の花を」

ネーネーズ6代目メンバーと松岡

◎[リンク]今こそ反戦歌を! 
◎[リンク]琉球の風~島から島へ~

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)
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ウクライナ戦争をどう理解するべきなのか〈1〉左派が混乱している理論的背景 横山茂彦

ウクライナ戦争の勃発いらい、SNSでは一部の人々がプーチンを擁護しているという。かれらはロシアだけが悪いのではないという。ロシアを追い詰めたアメリカをはじめとするNATOも悪いのだ、ゼレンスキー政権は許すべからざるネオナチである、と断じる。

あるいは、ドンバス戦争(ウクライナ東部内戦)の犠牲者1万3000人をすべて、ウクライナのネオナチの仕業だと言いなす人たちもいる。だから、プーチンの「特別軍事作戦=ウクライナ解放」を、支持するべきであると云うのだ。

だが、これらは「事実誤認」に基づいている。事実は市民の犠牲3350人・ウクライナ軍4100人、親ロシア勢力が各5650人というのが、国連人権高等弁務官事務所のレポートである。

それでもプーチンを支持するという。その多くは陰謀論(ディープステート)、影の国家が世界を支配している。というものだ。

[参考記事]実話BUNKAタブー(林克明さんの記事)

「陰謀論者」には自由に空想世界を愉しんでいただくとして、ここでは真面目に米帝(NATO)元凶論や帝国主義間戦争論を論じている「新左翼系」「反戦市民運動」の人たちの誤謬を明らかにしていこう。すでに諸傾向については、先行レポートがあるので参照されたい。

◎[関連記事]「ウクライナ戦争への態度 ── 左派陣営の百家争鳴」2022年4月26日 

ウクライナのNATO接近が戦争の原因であるとする説には、歴史的な経緯について、あきらかな誤解がある。

かれらの主張によると、直接的にはミンスク合意が、ウクライナ側において破られたことが挙げられる。ゼレンスキーの失政であるともいう。

だが、事実はそうではない。

このミンスク合意(議定書)とは、2014年9月5日に、ウクライナ、ロシア連邦、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国が調印したものだ。ドンバス地域における戦闘(ドンバス戦争)の停止の議定書である。しかるに、ドンバス地方で戦火がやむことはなかった。実効性のない、単なる停戦協定にすぎなかったのだ。

◆ウクライナ騒乱の全貌

そもそも、このウクライナ騒乱(ドンバス戦争)は、2004年のオレンジ革命(親ロシアのヤヌコーヴィチ政権への反対運動)、2014年2月のマイダン革命(ヤヌコーヴィチの追放)による内乱の延長にある。ちなみに、マイダンとは「尊厳」を意味する。

この内乱のデモ隊に、アメリカが資金援助したというのが、親ロシア派・プーチン擁護派の主張なのである。

なるほど、映像で見るマイダン革命は苛烈な市街戦に近く、ヘルメットと棍棒、銃器で武装したデモ隊が、ウクライナ治安部隊に襲いかかる。日本の三派全学連・全共闘・三里塚闘争で行なわれたような、ヘルメットと棍棒で武装したデモ隊をほうふつとさせる。

それへの弾圧として、治安部隊が猛威をふるう。苛烈な弾圧シーンが映像として残されている。これまた、日本の機動隊を思わせる激しさだ。双方が一方的に攻撃しているシーンが多いので、激しさが強調されている。

そしてマイダン革命を主導したのが、ウクライナ民族主義者だと、プーチン擁護派は云う。当然であろう。ソ連邦崩壊いらい、ウクライナ国民はロシアの呪縛から逃れようとしてきた。たとえば日米の呪縛を打破したい沖縄県民が、琉球という民族性を前面に押し立てるように。抑圧された民族の民族主義的な顕われは必然なのである。

そのデモ隊にアメリカの資金が流れたというのは、おそらく事実なのであろう。しかし、ロシアの支配を是としないウクライナ国民の独立志向が、はげしい内乱になった原動力であるのは明らかだ。数千・数万の反政府運動デモが「日当」で成り立つと思うのは、大衆運動を知らない者の想像にすぎない。

激しい反政府運動は、しばしば「外国勢力の陰謀」とされるものだ。香港民主化運動しかり、かつてのわが国の反体制運動もソ連や中国から資金が流れていると、公安当局から喧伝されたものだ。たしかにソ連崩壊後、KGB文書から「ベ平連がアメリカ脱走兵の援助を依頼、金銭的援助まで要請した」という事実が明らかになった。ソ連大使館に接触した吉川勇一は「接触した大使館員がKGBかどうかはわからない」と、産経新聞に反論している。接触は事実だったのだ。ここまで掘り下げた「アメリカの資金援助」が明らかにされないかぎり、説得力はない。内乱時には、様々なことが起こりうるものだ。

ともあれ、こうした親ヨーロッパ派(ウクライナ人の多数)と親ロシア派(東部・ウクライナ)の争いに、ロシアが介入したクリミア併合へとつながる。これ以降、東ウクライナは現在まで内戦状態にある。

2015年2月11日にはドイツとフランスの仲介で、ミンスク2が調印されているが、それでもドンバス戦争は止まなかった。

昨年10月末のウクライナ軍のドローンによるドンバス地域への攻撃を機に、プーチンはドンバス地域の独立を承認(2022年2月21日)する。翌22日の会見で、ミンスク合意は長期間履行されず、もはや合意そのものが存在していない、としてロシア側から破棄されたものだ。ミンスク合意を破ったのは、ロシアの軍事侵攻(2月24日)なのである。

◆ウクライナの核放棄がロシアの侵攻を招いた?

慧眼な本通信読者なら周知のことかもしれないが、ウクライナの安全保障をめぐっては、1994年のブタペスト覚書にさかのぼる。ソ連崩壊後、ウクライナには旧ソ連邦の膨大な核兵器が残されていた。ソ連崩壊によって、ウクライナは世界第三位の核保有国になったのだ。

米ロ両国は核不拡散の名のもとに、ウクライナに核兵器を放棄させる。その担保として、アメリカとロシアがウクライナの安全を保障する。それがブタペスト合意である。

しかるに、その後も米ロ双方がウクライナの自陣営への獲得をめぐってせめぎ合い、ウクライナ国内でも親ヨーロッパ派と親ロシア派の内紛が絶えなかった。その激しい顕われが、結果としてのドンバス内戦にほかならない。

クリミア併合へといたるドンバス戦争へのロシアの介入は、ウクライナが核兵器を放棄したからだと、ゼレンスキー政権は言う。今回のロシアのウクライナ侵略は、たしかにNATOの直接の軍事不介入という意味では、核兵器の威嚇効果を立証した。北朝鮮もリビア(カダフィ)とイラク(フセイン)の失敗例にかさねて、今回の核威力を再認識するはずだ。やはり核兵器は厄介な存在だった。

◆戦争は違法であり、戦争を仕掛けたほうに一方的な責任がある

論軸に立ち返ろう。親プーチン派の日本の左派は、ウクライナの親ヨーロッパ派の背後に、アメリカとNATOの暗躍、隠然たる軍事プレゼンス(軍事顧問の派遣)があるという。

しかしながら、これはロシア側においても同様なのである(所属章と階級章のない国籍不明の部隊のウクライナ侵入)。問題はロシアが公然と自国の軍隊を動かし、軍事プレゼンス(侵略戦争)を発動したことなのだ。

あくまでも「帝国主義間戦争」と言い張るのなら、アメリカ(NATO)が軍隊をウクライナに入れたとか、ロシア領内を侵犯したとかの事実を提示しなければならない。それを抜きにした「帝間戦争」規定は、悪質なデマと呼ぶほかない。

プーチン擁護派の人々は、ウクライナへの軍事支援を「違法」「参戦行為」だと云う。そうではない。国際法は戦争を禁止しているが、侵略された国の自衛権は「自然法」として存在する。したがって、国際法における「中立」の権利は、この自衛権の保護を排除しないのだ。戦争を仕掛けた方に、一方的な「非」があるのは自明のことだ。

◆2014年のロシアによるクリミア併合

マイダン革命によるヤヌコーヴィチ大統領の失踪をうけて、ロシアはクリミアを併合した。これは明確に、ロシアによる領土併呑。侵略行為である。日本でいえば、北海道がロシアに併合されたにもひとしい。

多数の民族が混住し、侵略と内戦がくり返されてきた東ヨーロッパにおいて、ドンバス戦争は深刻だが、とりたてて珍しい内紛ではなかった(ユーゴ内戦を見よ)。そこにNATOとアメリカの政治的な介入を危惧したプーチンの命令で、ロシア軍による公然たる軍事侵攻が行なわれたのだ。これがウクライナ戦争の全貌である。

ロシアの軍事侵攻こそが、ここまでに数万人といわれる犠牲者を出した、直接の原因にほかならない。この侵略の事実を前に、いくら戦争の背景を説き起こしても意味はないのだ。

たとえば、1941年の日本がアメリカをはじめとするABCD包囲網の圧力によって、太平洋戦争に踏み切ったとして、日本の開戦責任が免れないのと同じである。ヒトラーの欧州戦争が、第一次大戦の莫大な賠償金にあったからといって、開戦の責任を免罪されないのと同じなのだ。

ところが、わが日本の新左翼運動や反戦市民運動において、アメリカとNATOも悪いのだという。帝国主義間戦争(いや、NATOは参戦していない)なのだから、自国帝国主義(日本)のウクライナへの軍事支援に反対すべき、という議論も少なくない。今回はその理論的な背景について、最後に解説しておこう。

◆第一次大戦とツインメルワルト左派

左翼がスローガンに掲げる「革命的祖国敗北主義」「自国帝国主義打倒」は、第一次大戦の勃発にさいして、第2インター(国際共産主義組織)の大半が、革命的祖国防衛主義の立場に傾いたのに反対する政治スローガンである。

すなわち、資本主義が帝国主義段階に至り、植民地からの超過利潤の獲得のために、領土再分割に乗り出した時代。これが帝国主義間の戦争であり、この戦争に参加してもプロレタリアートには何の利益ももたらさない。金融資本と地主階級を肥え太らせる戦争の災禍は、社会主義革命によってしか避けられない、というものだ。
戦争に対する態度をめぐって、第2インターは分裂する。第2インターの戦争協力に反対して、スイスのツインメルワルトに結集したのは、レーニン、ジノヴィエフ、トロツキー、マルトフらロシア社民党の面々、イタリア、フランス、ノルウェー、オランダ、ポーランド、ブルガリア、ルーマニアからも参加者があった。

ここにおいて、マルクスの「万国の労働者、団結せよ」という『共産党宣言』のスローガンが再確認される。すなわち「プロレタリアに祖国はない」である。のちのコミンテルン(第3インター)につながる流れである。

◆国際主義は国家主義に置き換えられた

将来における国家の死滅(マルクス)を展望しつつ、おなじプロレタリアートとして国境をこえた連帯と団結をむすぶ。

この人類史の明るい未来像は、人々を魅了した。フランスにおける大革命いらいのコミューン(地区共同体)、ドイツにおけるレーテ(評議会)、そしてロシアにおけるソビエト(会議)。資本制のくびきから解放された人々は、新たに自由の地を得たかにみえた。

しかるに、レーニンが提唱した民族の分離ののちの連邦は、スターリンの上からの連邦国家(ソ連邦)によって潰えたのだった。そのスターリンの後継者、ウライジーミル・プーチンがいま、諸民族の国家的統制を、軍隊によって成し遂げようとしているのだ。プーチン擁護派を論破し尽くすべし、である。

次回は中国の抗日救国戦争(国共合作)とインドシナ革命(民族解放・社会主義革命戦争)の評価について、かつての新左翼がいかに先取的な精神を持っていたかを媒介に、マルクス・レーニン主義の原則論者たちを批判しよう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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れいわ新選組の街頭宣伝を行ってわかった「最も広島県らしい街」呉の市民意識に変化あり! 「昭和までの成功体験」からの脱却の機運 さとうしゅういち

広島県呉市は広島県南部の沿岸部の中核市に指定されている中規模都市です。広島市から呉市まではバスでも電車でも約40分。人口は21万2597人です。その呉市は、いろいろな意味で「最も広島県らしい」街です。

◆軍事都市から重厚長大産業へ、しかし、海外派兵再び

第一に、明治時代から第二次世界大戦敗戦までは軍事都市として栄え、戦後、すなわち昭和の中期から後期は重厚長大産業で成功したという点です。広島市は日清戦争のときは、天皇や総理大臣、帝国議会が置かれた首都であり、原爆投下の時点では第二総軍の司令部がおかれ、陸軍の西日本の中枢でした。いっぽうで、呉市はその港としての条件をいかして、海軍最大の拠点となり、戦艦大和が出撃したことでも有名です。

戦後は旧軍港都市転換法を日本国憲法に規定された住民投票で可決。造船や鉄鋼、原発製造などの重厚長大を軸とした産業都市として栄えました。いっぽうで、海上自衛隊もおかれ、2001年のアフガンや2004年のイラクの戦争にも後方支援とはいえ派兵されています。広島市と広島市に包囲されている安芸郡海田町は陸上自衛隊があり、イラク戦争後方支援に派兵されました。

◆1975年の「成功体験」を卒業できぬうちに衰退

第二に、過去の成功体験からの卒業ないし転換ができないうちに人口の流出や既存産業の衰退で苦しんでいる点です。広島県は、1975年、一人あたりの県民所得が日本で第三位に躍進しました。ちょうど、重厚長大産業による日本の経済成長が頂点に達した直後であり、地元の球団・広島カープが山本浩二や衣笠祥雄らの活躍でセ・リーグ初優勝した年でもあります。一定年齢以上の県民にはこのときの「成功体験」が忘れられない傾向があるのも仕方がありません。

呉駅前

これは与党の支持者については、腐敗した議員を腐敗していると分かっていて投票し続けることにもつながります。現実に河井案里さんから最高金額をもらった県議(略式起訴され、辞職)は呉市の選出でした。

一方で、野党側にも原発製造ふくむ重厚長大産業労組の影響が強くあります。新しい経済をどう構想していくか? そういう力強い議論をどの既存の政党からも出てこないのも、過去になまじ成功体験があるからです。

また、保守だけでなく、いわゆる左派・リベラルの側にも、若手へのマウンティングの気風を根強く感じます。

しかし、そうこうするうちにも、2021年の広島県の人口転出超過は7159人と都道府県で最多となっています。とくに呉市は、2020年の国勢調査では5年前とくらべて13960人減少で中国地方の自治体ではワースト1です。呉駅前(写真)も2013年にそごうが閉店したあと、閑散としています。さらに、2021年には、日本製鉄(昔は日新製鋼、吸収合併された)の高炉閉鎖や原発製造企業の衰退、さらには高校の廃校問題などが追い打ちをかけています。

◆「地方分権」という名目の新自由主義の弊害

第三に、「地方分権」という名による新自由主義の弊害をこうむっている点です。総務省は、市町村合併をすすめ、そこに、国や都道府県の仕事を十分な財源や人の移譲もないまま丸投げしました。とくに、藤田雄山前知事(故人)は総務省のいいなりで市町村合併を推進。県内で86あった市町村を23市町に減らすとともに、県の仕事を市町に丸投げしました。

呉市も呉市・音戸町・倉橋町・蒲刈町・安浦町・豊浜町・豊町と7つの市町をひとつにまとめました。しかし、「合併により、島嶼部の旧町を中心に埋没し、かえって活力が低下した」(県内の自治体相手の事業もてがける会社経営者)のです。また、新型コロナ、そして、西日本大水害2018などへの対応にも支障をきたしています。とくに、吸収合併された地域を中心に事態は悪化しています。

こうした呉市ですが、他の広島県内同様、政治的に非常に保守的です。呉市を中心とする広島5区は2009年の民主党旋風時以外は自民党(宮沢派→岸田派=宏池会)議員の圧勝です。なお、2009年に当選した民主党議員は宮沢喜一元総理の秘書を務めていたという特殊事情がありました。

◆呉で初めてのれいわ新選組街頭宣伝 市民の意識の変化を実感

こんな呉市ですが、2022年参院選を前に、れいわ新選組チーム広島は4月5日(火)呉市において、初めての街頭宣伝を行いました。筆者が記憶する限りでは、2019年のれいわ新選組結成以降、広島市や福山市では山本太郎代表による大規模集会や街頭演説を行っていますし、東広島市と廿日市市では、衆院選2021で街宣車を回しています。しかし、呉市では初めてです。一方で、参院選再選挙2021はもちろん、それ以前も何度も筆者は個人としては街頭演説をしています。

今回は、朝の始業時間前に呉市役所前、そして9時30分からは呉駅前で街頭宣伝を行いました。市役所前では出勤してこられる職員にメンバーがれいわ新選組のチラシをお渡しし、筆者が演説するという形をとりました。

筆者は公務員をふやす、非正規は正規にしていく、公務員ボーナス引き下げには反対、地方に十分な財源を保障など、れいわ新選組の政策を紹介。「れいわ新選組こそ、市役所職員の皆様が安心して市民のために仕事をできるような政策であると自信をもってお薦めできる。」と断言。

また、重厚長大産業の衰退に対しては「食料安全保障や原発なきエネルギー安全保障、グリーンニューディール政策にれいわ新選組はガツンと投資をする。呉でいえば、重厚長大産業の跡地で食料生産やエネルギー生産をする方向も考えられる。」と提案。一方で、「県庁マンのころとくらべて介護の現場は仕事の割に給料がひくすぎる。介護や保育の給料10万up実現に公務員の皆様もご協力を!」「奨学金チャラ、教育費タダで若い人に元気を!」などとかつての仲間に力をこめて訴えました。

筆者は「元県庁マン」であり、職員の皆様と同じ労働組合で長年、役員もさせていただいています。筆者をご存じの職員も多く、チラシの受け取りも上々でした。実は、れいわ新選組のチラシの受け取りは役所の前では非常に良いのです。その傾向が呉市でもあてはまりました。

買い物客や通院のお年寄りが多い駅前では、消費税廃止やガソリン税ゼロ、国保料減免などの負担軽減策を訴えるとともに、食料安全保障にも力点をおきました。「ロシアやウクライナで蕎麦の半数以上を生産している状況だ。国内でつくれるようにしないと、お好み焼きも食べられなくなる。」と指摘。農業だけでなく、漁業や畜産もふくめた食料生産者へのコストの保障を訴えました。

◎参考動画 呉駅前での街頭演説の様子
https://www.facebook.com/satoh.shuichi/posts/10227473667486248

「さとうさんが演説しているのを見て立ち寄った。れいわ新選組のポスターを家に張りたい」と申し出られる女性。

「(あなたは)堂々と自分の考えを述べている。はじめて、サムライをみた。民主党がなにもしてくれなかったからまた世論の支持は自民党に戻ったが、自民党の暴走は困る。がんばってほしい。」という男性。

様々な激励をいただきました。2021年、高炉の閉鎖や原発製造企業の衰退、高校の廃校問題などで呉は大きく揺れました。そうした中で、呉市民や市役所職員の皆様の「地域の将来への危機感」を強く感じました。

今後とも皆様と対話をかさねながら、「財政出動であなたの暮らしを立て直す」短期の政策、そして、「食料安全保障や原発なきエネルギー安全保障に投資」し「重厚長大産業中心」から卒業するグリーンニューディール政策、もちろん、核兵器をなくし、外交で緊張緩和を進めていく筆者やれいわ新選組のビジョンをこの呉市でもガツンと訴えていく覚悟です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!
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《書評》マーティン・ブランク著『携帯電話と脳腫瘍の関係』── スマホの通信基地局の近くほど発がん率が高い 評者:黒薮哲哉

現代社会で最も普及している文明の利器は、スマートフォンである。電話会社は、スマートフォンの普及を押し進め、それに連動して通信基地局をアメーバ状に拡大している。総務省も全面的に電話会社の事業を支援し,マスコミは広告主である電話会社に配慮して、電磁波問題の報道を控えている。大学の研究者も、企業や国策をさかなでする電磁波による人体影響を研究テーマに選ぼうとはしない。巨大な相手を敵に回したくないからだ。電磁波問題はタブーなのである。

 
マーティンン・ブランク『携帯電話と脳腫瘍の関係』(近藤隆文訳、飛鳥新社2015年)

こうした風潮に逆行するかのように、『携帯電話と脳腫瘍の関係』(マーティン・ブランク、飛鳥新社)は、電磁波による人体影響を容赦なく指摘している。電磁波に関する欧米での研究成果を分かりやすく紹介している。

著者のマーティン・ブランクが最も懸念しているのは、電磁波が原因と推測される癌の増加である。従来、レントゲンのX線や原発のガンマ線は発癌を促す原因として認識されてきたが、それ意外の電磁波は安全とする考えが定説となっていた。たとえば日本の総務省は、この考えに基づいて1990年に、現在の電波防護指針を定めた。それを根拠として電話会社の携帯ビジネスにお墨付きを与えてきたのである。

ところがその後、特に欧米で電磁波の毒性に関する研究が前進し、現在ではエネルギーが高いX線やガンマ線だけではなく、マイクロ波や超低周波電磁波(送電線や家電からもれる電磁波)にもDNAを傷つけて発癌を促すリスクがあることが明らかになってきたのだ。それに伴い、たとえば欧州評議会は、日本の電波防護指針よりも1万倍も厳しい勧告値を設けた。電磁波による人体影響に関する従来の認識を大幅に改めたのである。

たとえば本書では、次のように通信基地局と発癌の関係に警鐘を鳴らしている。

「ブラジルでの研究でも同様の結果が報告されている。そこでがんの累積症例数がもっとも多かったのは、40.78μW/c㎡という高い電力密度の放射に曝露した人々だった。その発がん率は1000人当たり5.38件。より遠方に暮らし、曝露の電力密度が0.04μW/c㎡の人々は、がん発生率がもっと低く、1000当たり2.05人だった。こうした研究は、基地局が携帯電話に関連したリスクの大きな要素であることを示している」

 
コンビニの上に設置された通信基地局

この疫学調査は、通信基地局に近い住民ほど癌になるリスクが高いことを示している。同じような類型の疫学調査は、他にも複数ある。「予防原則」という観点からすれば、住居の近くには通信基地局を設置してはいけない。禁止すべきなのである。ところが日本の電話会社は、電磁波による人体影響を示す医学的根拠が解明されていないことを理由に、自宅の直近やマンションの屋上に通信基地局を設置している。大半の住民はそのリスクをまったく知らない。

本書は、他にも電磁波による人体影響として、アルツハイマー病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、パーキンソン病、男性不妊、うつ病なども指摘している。

スマートフォンの使用はなるべく控えるのが懸命だ。マンションの屋上や自宅直近に通信基地局がある場合は、電話会社に対して撤去を求めるのが懸命だ。Wi-Fiは使わないときは、「OFF」にすることが推奨される。国は、電話会社に対して携帯電話を販売する際、顧客にリスクを伝えるルールを制定すべきだろう。マスコミは、携帯電話の広告を自粛すべきではないか。

本書の冒頭で著者のマーティン・ブランクは言う。

「制限を課すことをめぐって議論がもちあがった際、企業の後ろ盾を得た人たちが発するお決まりの台詞がある。『危険であるという確証はない』だ。私はそうではないと示すためにこの本を書いた。このハイテク世界の副産物である電磁放射(EMF)が私たちの身体に多種多様な影響を与えることを示す、確かな科学の体系がある。そろそろきまり文句の『危険であるという確証はない』に代えて、『危険を認めて対処すべき時期だ』と言ったほうがいい」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

阪神タイガースはどうなってるの?〈1〉甲子園球場の隣に本社がある鹿砦社だからこそ掴める裏事情を公開します! 伊藤太郎

みなさんお待たせいたしました! 新連載「阪神タイガースはどうなってるの?」をきょうから担当させていただく、取材班の伊藤です。私はキャリアの長い阪神タイガースファンですが、「阪神タイガースはどうなってるの?」では阪神ファン・アンチ阪神どちらの方にも興味を持ってもらえる企画を目指しています。

甲子園の歓声が聞こえる出版社は、全国広しといえども鹿砦社しかありません。選手や解説者、マスコミ関係者たちが通う飲食店も取材班はよーく知っています。立地を生かしてデイリースポーツでも知らないコアな情報をお伝えしてゆきます! 乞うご期待! そして、有名解説者も名前を伏せて登場を承諾いただいていますので、解説陣にもご注目を!

鹿砦社本社から眺める甲子園球場

◆予想されていた2022年阪神の苦戦

この、デジタル鹿砦社通信は社会問題などを中心に、硬派の記事が多いようです(日曜に掲載が多い堀田春樹さんの格闘技記事を除いて)ね。ロシアのウクライナ侵攻やコロナなど、「阪神タイガースのこと気にしてる場合か?」のお声も聞こえそうですが、とにかく阪神タイガースです!

今年の阪神、開幕から恐ろしいほどの連敗続きでした。4月24日の時点では4勝20敗1分。勝率が0.167、これが先発投手陣の防御率ならうれしいのですが、はっきり言って絶対的最下位でした。昨年ゲーム差なしの悔しい2位(あと1ゲーム勝っていたら優勝)からクライマックスシリーズでの敗戦で、風船がしぼんだ印象を受けたファンも多かったのではないでしょう。

そうなんです。2022年阪神の大不振の原因は昨年後半の戦いからすでに予想はされていました。

昨年FA権を取得した梅野捕手は、去就が注目されていました。というのも、盗塁阻止率リーグトップなのに、打撃の調子は落ちたとはいえ、後半の大事な試合で先発起用がなくなったのは、ファンならご存知でしょう。かわって坂本がマスクをかぶったわけです。

取材班の得た情報では、梅野が去年FA権を行使する可能性は五分五分でした。矢野監督は攻撃型の捕手よりも、守りに徹する捕手を重用するという情報は、関係者の間で有名でしたが、それにしても得点圏打率3割以上、盗塁阻止率セリーグ1位の梅野がFA宣言を控えた時期に、あえて先発を外す起用法には解説者からも疑問の声が上がりました。

甲子園のある西宮市で高校野球名門校出身の現タレント兼解説者は、「去年の後半ね矢野監督、なにを考えてるんやろうというのは正直思ったね。俺が梅ちゃんやったら出てるわな。だってあれだけ数字残して、日本代表にまで選ばれて、オリンピックで金メダルでしょ。優勝かかっている試合で先発外されたら『えっ?おれちゃうの?』やんか。球団の意向か矢野監督の判断かはわかんけど、(阪神を)出たほうがええって、テレビでもラジオでも俺は言うたしね。今年坂本キャプテンやんか。選手会長は大山で。役割がようわからへんねんけど、梅野がやる気を削がれるのはわかるよな。で、矢野監督は梅野と坂本併用を続けてるけど、この成績でしょ。わからんね。なにを考えているんか」

試合開催の日にはごった返す阪神甲子園駅(西口)

捕手は守りのかなめで、配球の主導権を握る存在だけに勝敗への関与も大きいポジションです。かつて阪神タイガースで監督を経験したこともあるO氏は言います。

「キャッチャーには打撃期待してなかったね。うんうん。キャッチャーと、セカンドショートは打たんでもええと。ねえ。守ってくれたらええと、俺は思っとった。まあね、城島とかトリ(鳥谷)とかね、打撃のいい選手は助かりますよ。けどね、基本クリンナップで得点するもんやんか。うんうん。だからね、今年の阪神はね、四番を決めるべきよ。うん。佐藤でええやん。俺やったら絶対そうするな。うん。それから四番の守備位置は固定せなあかんね。佐藤はサードでええやん。キャンプでも見たけど、佐藤のサードはうまいよ。ライトなんかやらせんでええねん。大山は打球処理が引っかかる(ファーストへの投球ミス)ときがあるからな。ファーストでええんよ。そないしたら近本センターで、糸井ライトで、もう一人外国人や調子のいい選手をライトに使えるやんか。それをなんで佐藤をね、2番に持ってきたり、ライト守らすか。わからんよね。」

先発メンバーの打撃成績は昨年に比しても決して数字が悪いわけではありません。でも、O氏が指摘された通り、敗戦続きのためか先発メンバーと打順が固定されず、浮足立っている感はたしかに否めません。

では攻撃面で現状をどう打開すればいいのでしょうか。やはり阪神タイガースで二軍監督の経験もあるK氏に伺いました。

「矢野監督のですね、シーズン前の引退宣言。あれはどうだったんだろうと思いますね。ええ、ええ。選手というのははっきり言いますが、試合に入ったら、コーチなんか見ていません。試合はじまったらサインは見ますが、見ているのは監督だけ。僕もそうでしたし。ええ、ええ。そのいわば大黒柱というか、中心の人が『俺今年でいなくなるよ』と。矢野監督はもちろん選手の奮起を期待して、考えに考え抜いて発言したんでしょう。でもですよ、じゃあ、あの発言を聞いた選手はどうなるかといえば、『今年は絶対落とせないぞ』と感じるのは当然でしょ? これは野球じゃなくてもそうだと思うんですが、僕に言わせると悪い意味でのプレッシャーがかかちゃった。まだ途中ですから、結論めいたことを言うのは早いにしても。いま阪神の選手は、矢野監督の『引退呪縛』といますか、あのプレッシャーから抜け出せていないですよ。矢野監督自身を含めて。ええ、ええ」

と、マイナス材料ばかりうかがった直後、阪神の反撃がはじまりました。5月1日時点では、これまで想像もできなかった破竹の6連勝で、10勝20敗分まで持ち直しています。さて、エース青柳がコロナから復帰して勝利が転がってくるようになったものの、この勢いは本物なのか、それとも開幕当初の不振が本当の姿なのか? 引き続き続報をお伝えしてゆきます。次回をお楽しみに!

甲子園駅を出たところにあるローソン。甲子園ではローソンも「甲子園色」に

▼伊藤太郎(いとう・たろう)
仮名のような名前ながら本名とのウワサ。何事も一流になれないものの、なにをやらしても合格点には達する恵まれた場当たり人生もまもなく50年。言語能力に長けており、数か国語と各地の方言を駆使する。趣味は昼寝。

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

《5月のことば》やわらかい五月の風を 鹿砦社代表 松岡利康

《5月のことば》やわらかい五月の風を胸いっぱいすいこんで……(鹿砦社カレンダー2022より。龍一郎揮毫)

5月になりました──。
今年も早3分の1が過ぎたことになります。

本来5月は1年で一番過ごしやすい月ですが、今年は、新型コロナは相変わらず留まっていて、これだけでも大変なのに、ロシアがウクライナ侵略戦争を始め、泥沼化の様相を呈しています。

この煽りで、早速円安になり、物価も上がり続け、そのうちさらに不景気となることでしょう。ただでさえコロナ不景気で苦労しているのに、本当に絶望的になります。

しかし、それでも私たちは創意工夫し支え合い生き続けなければなりません。

閉じ篭ってばかりいても暗くなるばかり、「やわらかい五月の風を胸いっぱいすいこんで背のびをして」気分転換し心機一転、前を見て歩み続けましょう!

5月3日 朝日新聞阪神支局銃撃事件35年(1997年) 
*同支局は鹿砦社と同じ西宮に在ります。甲山事件、グリコ・森永事件と共に私にとってこれからも探究すべく三大事件です。

5月15日 沖縄「返還」(併合)50年(1972年)
あっというまでしたが、記憶の糸を辿りながら、その意味を考えましょう!

(松岡利康)

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海老原竜二が逆転KOでメインイベントを盛り上げる! 堀田春樹

判定試合が続いた中で、インパクトあるメインイベントを盛り上げた海老原竜二。落ち着いた経験値ある試合運びで逆転勝利。

一撃必殺の破壊力を持つ田村聖だが、津崎善郎を攻略出来ず、僅差判定負け。

NJKFの野津良太はJ-NETWORKのカズ・ジャンジラに僅差判定負け。

引退試合となる洋介が最後の力を出し切ってでマサ・オオヤに判定勝利。

◎喝采シリーズ 2nd / 4月23日(土)後楽園ホール 17:30~20:46
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第11試合 53.55kg契約 5回戦

NKBバンタム級チャンピオン.海老原竜二(神武館/1990.3.6埼玉県出身/52.95kg)
      VS
NJKFフライ級1位.谷津晴之(新興ムエタイ/2003.5.7神奈川県出身/52.3kg)
勝者:海老原竜二 / TKO 5R 2:07 / レフェリーストップ
主審:前田仁

海老原竜二は昨年12月11日に王座獲得し、初陣となった今回、初回から谷津晴之の右ハイキックでノックダウンを喫する。更にパンチで2度目のノックダウンを喫したところでゴングに救われたが、しっかりした足取りでダメージは軽く、逆転の可能性が大いにあることは感じられた。

谷津晴之のハイキックを貰ってしまう海老原竜二、これでノックダウン

第2ラウンドには距離を保って立て直しを図り、海老原のパンチヒットで谷津は鼻血を流す。第3ラウンドから圧力増した海老原。組み合ってのヒザ蹴りが効果的。谷津はハイキックを狙うが、しっかり見てヒットさせない海老原。

第4ラウンドには谷津をコーナーに詰め、パンチ連打からヒザ蹴り猛攻で2度スタンディングダウンを奪って形勢逆転。第5ラウンドにもヒザ蹴りでノックダウンを奪った後、コーナーに詰めてヒザ蹴りでレフェリーストップに追い込んだ。

海老原竜二は23戦14勝(7KO)9敗。谷津晴之は9戦5勝(1KO)2敗2分。

第4R、コーナーに詰めての猛攻で逆転した海老原竜二
逆にハイキックで谷津晴之を追い詰める海老原竜二

◆第10試合 ミドル級3回戦

NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/1988.7.23新潟県出身/72.3kg)
      VS
WBCムエタイ日本スーパーウェルター級4位.津崎善郎(LAILAPS東京北星/1984.12.19長崎県出身/72.55kg)

勝者:津崎善郎 / 判定0-2
主審:加賀見淳
副審:鈴木29-29. 川上29-30. 前田29-30

重い蹴りが交錯するが、展開が傾く大きな動きはない。第3ラウンドに津崎のヒジ打ちで田村の額がカットされると、流血した田村がパンチで圧力を掛けるが、接戦の勝負は僅差で津崎が勝利。

田村聖は23戦13勝(10KO)9敗1分。津崎善郎は21戦10勝(3KO)9敗2分。

先手打つ津崎喜郎の左ジャブがヒット

◆第9試合 ウェルター級3回戦

NJKFウェルター級1位.野津良太(E.S.G/1987.6.18埼玉県出身/66.45kg)
      VS
J-NETWORKウェルター級2位.カズ・ジャンジラ(ジャンジラ/1987.9.2東京都出身/66.05kg)
勝者:カズ・ジャンジラ / 判定0-3
主審:鈴木義和
副審:前田29-30. 川上28-30. 加賀見29-30

野津良太はしぶとさで下がらぬ展開ながら、カズ・ジャンジラが左ストレートの伸びがあり前進に繋げ僅差判定勝利。

野津良太は20戦11勝8敗1分。カズ・ジャンジラは39戦18勝(4KO)16敗5分。

カズ・ジャンジラの攻勢に導く左ストレートが野津良太の胸元にヒット

◆第8試合 バンタム級3回戦

NKBバンタム級4位.佐藤勇士(拳心館/1991.8.12新潟県出身/53.3kg)
      VS
森井翼(テツ/2000.5.31大阪府出身/53.45kg)
勝者:森井翼 / 判定0-3
主審:加賀見淳
副審:川上26-30. 前田24-30. 鈴木24-30

各ラウンド、森井翼がスタンディングを含むノックダウンを奪い、最後まで攻めが優って大差判定勝利。

佐藤勇士は15戦6勝(2KO)9敗。森井翼は6戦5勝1分。

ラウンド毎に森井翼がノックダウンを奪って大差判定勝利

◆第7試合 59.0kg契約3回戦

NKBフェザー級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/1990.5.6香川県出身/58.7kg)
      VS
KEIGO(BIG MOOSE/1984.4.10千葉県出身/58.85kg)
勝者:KEIGO / 判定0-2
主審:前田仁
副審:川上28-28. 鈴木28-29. 加賀見28-29

第2ラウンドにKEIGOがハイキックでノックダウンを奪うが、鎌田政興のダメージは軽く、初回からやや手数多かった流れだったが逆転には至らずKEIGOが判定勝利。

鎌田政興は15戦7勝(2KO)7敗1分。KEIGOは18戦7勝6敗5分。

KEIGOのハイキックが勝利を導くも、鎌田政興の前進が目立った

◆第6試合 58.5kg契約3回戦

半澤信也(Team arco iris/1981.4.28長野県出身/58.5kg)
      VS
中田ユウジ(STRUGGLE/1994.7.12東京都出身/58.2kg)
勝者:半澤信也 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田29-28. 加賀見30-29. 川上30-29

半田信也の勢いは少ないがジワジワと前進。距離を詰めてパンチの圧力で中田ユウジを下がらせ僅差の判定勝利。

半澤信也は23戦9勝(4KO)11敗3分。中田ユウジは10戦4勝(1KO)5敗1分

半澤信也の圧力で中田ユウジの前進を阻んだ

◆第5試合 63.0kg契約3回戦

洋介(渡辺/1980.9.26千葉県出身/62.55kg)
      VS
マサ・オオヤ(八王子FSG/1974.6.19福島県出身/62.95kg)
勝者:洋介 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木30-27. 川上30-28. 加賀見30-28

我武者羅な前進のマサ・オオヤに、洋介が蹴りで積極的に攻め、激しさを増すが的確さとパワーが弱く、スタミナのある限り手数を出す両者。前進と手数で優った洋介が判定勝利。有終の美を飾った。

洋介は17戦9勝(4KO)8敗。マサ・オオヤは21戦5勝13敗3分。

洋介の左ストレートがヒット、積極的展開で引退試合を飾った
最後の勝利者ポーズ、引退試合を飾った洋介

◆第4試合 フェザー級3回戦

山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/57.05kg)
      VS
杉山茅尋(HEAT/2001.11.30静岡県出身/56.95kg)
勝者:山本太一 / TKO 2R 0:01 (1R終了)
主審:加賀見淳

山本太一のヒジ打ちで杉山茅尋は鼻骨骨折の様子、第2ラウンド開始時にドクターの勧告を受入れレフェリーストップ。

山本太一は12戦5勝(4KO)4敗3分。杉山茅尋は9戦3勝5敗1分。

◆第3試合 女子 53.0kg契約3回戦(2分制) デビュー戦同士

KARIN(=勝又香琳/HEAT/2007.2.15静岡県出身/52.4kg)
      VS
Mickey(PIRIKA TP/1992.12.11福岡県出身/52.85kg)
勝者:Mickey / 判定0-3 (27-30. 28-30. 28-30)

◆第2試合 65.5kg契約3回戦

ゆうき(BIG MOOSE/1998.5.8千葉県出身/65.25kg)
      VS
ちさとkiss Me!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/64.5kg)
勝者:ちさとkiss Me! / TKO 1R 2:17

ゆうきが蹴ると自らの脛の負傷でカウント中のレフェリーストップ

◆第1試合 ライト級3回戦 佐々木健はデビュー戦  

木村郁翔(BIG MOOSE/2000.12.27千葉県出身/61.85kg)
      VS
佐々木健(ナインパック/1991.10.24東京都出身/59.75kg)
勝者:木村郁翔 / 判定2-0 (28-28. 30-28. 29-28)

※ハリィ永田(Astra workout/50.6kg)EX秦文也(テツ)
ハリィ永田と対戦予定だった加藤洋介(チームドラゴン)欠場の為、エキシビジョンマッチ2回戦へ変更。

※58.0kg契約/勇志(テツ)vs川口惣次郎(ツクモ)は川口の体調不良による欠場で中止。

《取材戦記》

劇的逆転ノックアウトとなった海老原竜二。昨年12月11日に左ハイキック一発で龍太郎(真門)を倒して王座獲得し、今回は初回から谷津晴之の右ハイキックでノックダウンを喫してしまった。

もし軽いパンチでも3ノックダウンに至ったら、あっけない幕切れとなっていただろう。第1ラウンド、「ハイキックは見えなかった」と語った海老原。その後、食わなかったのはベテランの冷静さ経験値が上回った流れだった。最初から3回戦制だったら戦略も変わっていたでしょうが、5回戦制だから見られた劇的逆転ノックアウトとなりました。

ライト級の洋介が引退試合と銘打たれていました。2006年12月デビューで、王座挑戦までは敵いませんでしたが、しぶとく我慢強い選手でした。渡辺信久会長の昭和の頑固指導の下、過去にもしぶとい展開を見せる選手が多かった創設50年を超える名門ジムです。

日本キックボクシング連盟次回興行は6月18日(土)に後楽園ホールに於いて喝采シリーズvol.3が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

チェルノブイリデーは存廃に揺れる芸備線の始発に乗って広島県北部を街宣紀行 さとうしゅういち

4月26日はチェルノブイリ(現・チェルノービリ)原発の大事故から36年です。筆者はこの日、島根原発の再稼働問題で揺れる広島県北部に街宣や挨拶回りにうかがいました。広島県北部はこのほか、直近ではJR芸備線の存廃問題で揺れています。JR西日本は先日、芸備線をふくむ地方路線のコストパフォーマンスを発表。芸備線も区間による程度の差はあれ、大赤字と公表されています。こうした中で筆者は芸備線始発で自宅最寄りの矢賀駅(広島市東区)から三次駅まで移動しました。

始発列車は気動車の2両編成。5時43分、矢賀駅を出発しました。当初は、始発とあって、筆者以外にはあまり人が乗っていませんでした。

 

◆河井事件の「余震」おさまらぬ安佐北区

列車は矢賀を出ると、戸坂(へさか)、そして、先日補欠選挙があった安芸矢口へと進みます。安芸矢口からは安佐北区です。安芸矢口駅は西日本大水害2018で壊滅的な被害にあった地域です。筆者はこの地域でボランティア活動に従事。熱中症でぶっ倒れ、伊藤昭善市議に手厚くお世話をしていただきました。その伊藤市議が河井夫妻からお金をもらい、現在も裁判で争っておられます。この状況に筆者は、筆舌に尽くしがたいほど困惑しています。

補選のほうは、筆者が支援した原田よしこさんは、健闘したものの4位。当選は保守系無所属のお二人、という結果になりました。支持者同士の人脈がかさなる共産党候補と合わせればトップ当選になる状況でもあり、ちょっと悔やまれます。

▼安佐北区補選開票結果 2022年4月24日執行
山下 まさひろ 6335 保守系無所属 立憲森本参院議員支援
三宅 あきみつ 4322 保守系無所属 自民主流・一部立憲市議支援
清水 てい子  3996 日本共産党
原田 よしこ  3737 市民派無所属 一部立憲衆院候補・筆者(れいわ)支援
正木 あつし  1657 無所属 元リコールされた県議
かとう万蔵   1205 無所属元職  
大田 清     587 無所属 安芸区でも立候補

さて、芸備線は単線ですので、結構すれ違いで時間を消費します。

広島方面下り列車とすれ違っている様子です。芸備線は広島方面が下り、三次・新見方面が上りです。大都市の広島から山岳地帯に向かうのに上り列車というのも変な感じはうけますが、東京にちかいほうが上り、と決まっているのだから仕方がありません。

◆安佐北区北部は農村地帯

安佐北区北部はもう、大都市とは思えないような農村地帯です。太田川の支流の三篠川流域にあたります。このあたりも西日本大水害2018では鉄橋が流されるなど大きな被害を受けました。

このあたりでは、県の北部の高校に通う制服姿の若い方がパラパラと乗車してこられますがやはり、まだまだ早い時間帯とあって、乗客は少なめです。

広島県は実をいうと、伝統的には、北へいけばいくほど米所です。古代は北部のほうに、出雲と連動するような形で文明が栄えたといわれています。

◆安芸高田市からは江の川流域に

列車は井原市を過ぎると安芸高田市に入ります。ここからは広島県北部。日本海に注ぐ江の川流域にはいります。西日本大水害2018では江の川上流の広島県に降った大雨は時間が経ってから島根県を直撃。大被害をもたらしました。ここからも、水田が続きます。

 

◆毛利元就ゆかりの「吉田口」からは女子高校生多数乗車

 

そして安芸高田市の中心部に近い吉田口駅は25年前の大河ドラマの主人公「毛利元就」の本拠地のすぐ近くです。またJ1のサンフレッチェ広島の練習場もこの安芸高田市にあります。

この吉田口駅では女子高校生多数が乗車してこられました。三次市内の県立高校の制服です。このあたりから、芸備線で通学されている方も多いようです。この区間は100円を稼ぐのに600円近くかかると、JR西日本は試算しています。

しかし、通学手段ということを考えればこの区間を廃止するのは暴論もいいところでしょう。そもそも、移動の権利を保障するということであれば、赤字だから廃止する、というのはおかしい。さりとて、現にJRという民間会社が運営している。

そうであるならば、欧州でやっているような線路など「下」は国や県が保有し、列車の運行など運営をJRがやる「上下分離方式」で存続を図るのがおとしどころではないかと思いました。そして、行き先の地域ではそういう内容も演説に含めよう、と高校生の姿を拝見して考えました。

ちなみに、この安芸高田市もご多分に漏れず、高田郡全ての町を合併してできた市です。具体的には吉田町、八千代町、高宮町、美登里町、甲田町、向原町です。
安芸高田市では当時は県議だった児玉市長が克行受刑者からお金をもらったとして辞職。その後、若い石丸市長が出直し選挙で当選していますが、議会多数派との対立で苦労しておられます。

◆三次駅前はきれいになったが閑散

列車は安芸高田市から三次市へと入ります。やはり、水田が続きます。途中の駅でも続々と高校生が乗ってこられました。そして、7時半ころ、列車は終点の三次駅に到着しました。

三次駅前は筆者が県庁マンとしてこの地に勤務していた2002―2005年度ころにくらべると再開発でこぎれいな感じになっていました。しかし、人通り、車通りとも閑散としていました。三次市の人口も合併された地域を中心に大きく減少していたこと影響は明らかです。

 

わたしは、この日は、まず、三次市役所前で街頭演説。「合併で職員を減らした上に、さらに国や都道府県の仕事を丸投げした地方分権」の弊害を指摘。
「職員の皆様が市民のために安心して仕事ができるよう、減らしすぎた公務員は非正規を正規にするなども含めてふやしていく」
「公務員という形で増えれば地域に若者もやってきて活気が出る」
「食料の安全保障のため、農業だけでなく畜産業など食料を生産する人に所得とコストの保障をがつんと財政出動でおこなう。」
「地方に手厚い政策は、全ての政党の中でれいわ新選組こそ一番、参院選広島にエントリーを検討している人の中ではさとうしゅういちこそ一番だと確信している。」
などと力をこめながら登庁してこられる職員の皆様にビラをお渡ししました。

一方で「介護や保育などの給料が仕事のわりにひくすぎることに気づいたのはこの地で介護保険行政に携わっていた時代のこと。職員の皆様にもぜひ、介護、保育現場の公務員並への給料アップにご協力を」などと懇願しました。


◎[参考動画]さとうしゅういち 介護福祉士・元県庁マンIN三次市役所前 ガツンと財政出動で公務員が安心して市民のために仕事ができる政治/チェルノブイリ(チェルノービリ)原発事故から36年

幹部職員の方からも「がんばってください」と激励をいただきました。また、この日はチェルノブイリデーでした。この三次市は脱原発をはじめて広島の運動に本格的に採用した森瀧市郎先生の故郷でもあります。

筆者はそのことも紹介しつつ、「ロシアのウクライナ侵攻で原発こそ人類の安全保障の弱点とわかった。原発は廃止を。」「中国電力は先週の日曜日=17日に太陽光発電の電気が余って却って停電をおこすおそれがあるとして出力調整をした。」ことに言及。「やるべきことは、島根原発2号機の再稼働ではない。スマートグリッドや蓄電池の整備などに投資をすること。廃炉を世界に先んじてビジネスとして確立することだ。」などと力をこめました。

三次駅前では芸備線の存廃問題に言及。「上下分離方式」で存続を図るべきだということ。そもそも、地方を衰退させるようなこの20―30年の政策を改めるべきだ、などとボルテージを上げました。

この日はまるで天佑のように市役所前と駅前での演説中は雨が気にならない程度に弱まっていました。しかし、その後は再び大雨になりました。それでも予告していた場所での演説は決行。

◆庄原へは芸備線の本数が少ないためクルマで移動

 

隣の庄原市も含めて、旧知の自営業者や地方議員などへの挨拶回りも行いました。なお、庄原市への移動は支持者の方の車でさせていただきました。三次から先は芸備線の本数が少ないからです。やはり、この区間では本数が少ないから利用者が少ない、という悪循環も感じます。上下分離方式で備後庄原までは最悪でも維持していただきたいものです。

この庄原市議会は、3月議会では島根原発2号機再稼働反対の決議を出しています。他方で、前市長がバイオマス事業で市に大損を与えた問題では、住民が市長に対して市が損害賠償請求するよう市にもとめた裁判で勝訴しました。にもかかわらず、控訴する議案を市議会がわたしの来訪の前日に可決するという信じられない事件も起きています。いつまで、前市長を議会の多数派はかばいつづけるのでしょうか?島根原発の再稼働反対の決議のことで庄原市議会を街頭演説で褒めたわたしは、ちょっと裏切られた気分でした。

大雨で交通が乱れるおそれが出てきた15時に今度はバスでこの地から引き上げました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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不当逮捕で教職を奪われた! 人の人生を狂わせた人々の罪はどう問われるのか 冤罪・京都高校教師痴漢事件 尾崎美代子

「人間というのは、自分のやったことを決着できるから生きられる。決着できないで、自分の中にずっと持ち続け生活していくということは、辛いことだと思う。自分が昔泥棒した事実は消えない。もし、その泥棒で誰かの人生が変わったら、取り返しがつかない。
 犯罪とは、そういうことだと思ったら、(布川事件の)真犯人が逮捕されず刑務所に行かなかったら、『あんた気の毒だね』と考えてしまう。(真犯人が)決着をつけていたら、また違う人生があったかもしれない」

冤罪・布川事件で29年間服役し、その後再審で無罪が確定、国賠訴訟で完全勝利を勝ち取った桜井昌司さんの言葉だ。「悪いこと」をして、誰かの人生を変えてしまったら、取り返しがつかないし、自身も決着できない。そして人生を前に進めることもできない……。

◆突然の逮捕で教職を奪われた橋本さん

京都の高校教諭・橋本幸樹さん(当時32歳)が「京都府迷惑行為防止条例違反」で逮捕されたのは、2018年9月25日のこと。5月頃から9月までの間に、通勤の電車内で男子高校生に20回痴漢行為を行ったとされた。身に覚えのない橋本さんは、一貫して否認を続けたが逮捕・起訴され、一審・京都地裁の戸﨑涼子判事、二審・大阪高裁・三浦透裁判長は、橋本さんに有罪判決(懲役6月・執行猶予3年)を下し、上告審も棄却され、橋本さんの有罪判決が確定した。執行猶予付きというものの、有罪判決をうけた橋本さんは教職を奪われた。当時、高校3年生を担当し、本格化する受験シーズンを前に生徒を励まし、教師として充実した日々を送っていたのに……。

一審(京都地裁・戸﨑涼子判事)も二審(大阪高裁・三浦透裁判長)も有罪判決を下し、上告審も棄却され、橋本さんの有罪判決が確定した(写真は京都地裁)

◆20回も痴漢被害にあったと主張する男子高校生A

橋本さんが通勤で最寄り駅から乗る電車は、7時台のα電車かβ電車であり、電車に乗る際はすぐ降車駅で降りられるよう列の最後に並び、ドア付近に乗り込む習慣があった。一方、最寄り駅が同じA(当時15歳)は、橋本さんが逮捕される5月頃から9月までの間に、いつもα電車で通学しており約20回痴漢被害にあったと主張した(なお、Aはα電車以外で通学することは稀だったと証言している)。Aから被害を聞いた教師が両親に連絡したため、Aの母親は、Aに対して証拠を撮影するよう指示した。

6月11日、Aは同じ車両にいる橋本さんの姿を撮影した。少年と離れて立つだけの橋本さんの姿の写真を見た母親は、加害者の顔や被害にあっている場面を撮影するよう指示した。

6月13日、Aは、いつも通り最後にドア付近に乗車した橋本さんの後から、一番ドア側に後ろ向きで乗り込み、動画の撮影をはじめた。そこには、橋本さんが、右肩にかけた鞄を腕で挟みながら手すりに手を置いている様子や、Aが橋本さんの手の方に体の向きを変え接近させるような様子が映り込んでいた。動画には、橋本さんが手を動かす不審な様子は映り込んでいない。それどころか、手を反射的に回避させる様子が映り込んでいた(これらの点は高裁判決も認定している)。

◆被害申告の経緯と事件化

6月29日夜8時頃、最寄り駅で降りた後、橋本さんと遭遇したAは、「いま痴漢の犯人に後をつけられている」「駅まで迎えにきて」と母親に電話をし、駅前の駐車場から去る橋本さんの車のナンバーを母親にラインで送信している。翌日、この「つきまとい事件」に驚いたAの両親は、警察署に慌てて被害届を提出することにした。

このときになってはじめてAは、2週間前に撮影した動画を警察に提出した。こうした経緯で、この「事件」が表面化することになったのである(実は、被害申告のために両親が警察に行った際、当事者であるのにも関わらずAは家で寝ていたという。当時のAの様子について、母親は「警察に行くことを拒んでいた」と供述している。当事者として警察に呼び出されてはじめて、Aは警察署に赴いたのである)。

この日、警察官は、被害を避けるために橋本さんよりα電車より早い電車に乗るよう指示している。A自身も警察の指示に従い乗る電車を早めたという。しかし、α電車に乗らなくなったはずのAは、この日以降も、9月下旬までに約10回程度被害にあったと主張している。後に、弁護団が橋本さんの通勤履歴を精査したが、橋本さんがAに合わせて通勤で乗る電車の時間を早めた形跡はない。つまり、被害状況についてAの主張は自己矛盾していることになる。

橋本さんが教師であることを警察が知ったのは、Aの父親が橋本さんを降車駅で張り込み、職場の前まで追跡したためである。その報告を知った警察が色めき立ったことはいうまでもない。警察は、「高校教師による特定男性高校生への連続痴漢事件」として、杜撰な捜査に突き進んでいく。

◆同行警乗で痴漢を現認できなかった警察官

8月に入り、警察官らは、橋本さんの「行動確認」を行ったが、橋本さんの行動に特段不審な点はなかった。そこで、9月20日と21日に、警察官らは、延べ7名で同行警乗(2日間で合計40分間)を実施した。Aと一緒に電車に乗り、橋本さんの痴漢行為を現認し現行犯逮捕するためだ。

同行警乗の際、いつも通り最後に電車に乗った橋本さんと同じ車両に、Aや警察官らが乗り込み、警察官らは橋本さんを現行犯逮捕すべく注視していた。しかし、警察官らは誰一人として橋本さんを現行犯逮捕することができなかった。また、この同行警乗では、Aより先に電車を降りた橋本さんの後を2名の警察官が尾行している。Aと一緒に電車に乗っていた警察官が、Aから「痴漢された」と被害申告を受けた場合に備えるもので、被害があった場合、橋本さんを尾行する警察官が準現行犯逮捕するつもりだったのだろう。しかし、2日間とも準現行犯逮捕すら行われなかった。

証拠開示で明らかになったことだが、9月25日、同行警乗した警察官らは、「(同行警乗で)痴漢行為を現認できなかった」との捜査報告書を作成している。この捜査報告書と現行犯逮捕及び準現行犯逮捕がなかった事実からは、警察官らは「犯行を現認していない」「Aから被害申告がなかった」と結論づけることができる。そこに事件性は全くない。

ところが、9月20、21日の同行警乗で「痴漢行為を現認できなかった」警察は、例の6月13日に撮影された動画を証拠に、6月の件で橋本さんを通常逮捕することに踏み切ったのである。6月の件で逮捕すれば、橋本さんが犯行を「自白」すると見込んでいたのだろう。当然ながら、無実である橋本さんは一貫して容疑を否認した。

◆別人の証拠を提出するA

橋本さんが通常逮捕された翌日、警察に呼ばれたAは、もう一つ「証拠」を警察に提出した。それは、格子柄のシャツを着た「犯人」とされる人物が、電車内のロングシートに座っているように見える画像だった。この画像は、警察官らが同行警乗した9月20日にAが携帯電話で撮影したもので、Aは自分の立ち位置や股間の位置、犯人の手の位置などを具体的に説明し、同行警乗の際に被害あった証拠であると申告した。

ここにきてもう読者の皆さんの頭には疑問が浮かんでいるのではないだろうか。まず、痴漢の被害があったとすれば、当然ながらAも橋本さんも立っているはずである。さらに、橋本さんを注視していた警察官らは、当日の橋本さんの服装を明確に覚えていたはずだ。しかし、驚くべきことに、橋本さんが格子柄のシャツは着ていなかった事実が後に発覚している。それにも関わらず、同行警乗した警察官らは誰も異議を唱えず、この写真を「証拠」として採用し、否認する橋本さんを9月の件でも再逮捕したのである。

公判になって、Aはこの写真に映る人物が別人であることを認めている。被害者が提出した被害を受けている場面とする証拠画像が別人であることなど起こり得るだろうか。

◆「写真が君でないなら、犯人じゃないね」と検察官

橋本さんは、この別人の写真を再逮捕後の検察官の取り調べで初めて見せられた。「これ、橋本さんですか」「いえ、違います」「橋本さんでなかったら犯人でないことになりますね……」。検察官は戸惑うように橋本さんにそう言ったという。

写真の人物が橋本さんと別人の可能性があると知った警察は、慌てて橋本さんの家を捜索し、必死で「格子柄のシャツ」を探したが、シャツは出てこなかった。この時点で警察官も検察官も、Aの両親や教師などの大人に相談したり、あるいは少年に直接どういうことか尋ねてみたりするなどし、虚心坦懐に捜査を尽くすべきだった。当時、Aは中学生から高校生になったばかりの年齢である。友達とのライン履歴には「痴漢にあっている爆笑」「ストーカーしたった爆笑」など、真に「被害」にあっていると思えないやりとりが残っている。

6月29日の「つきまとい事件」を契機に、両親が被害届を提出、「警察沙汰」にまで発展してしまったが、Aは当初警察に行くことを拒んでいたのである。ならば、警察、検察、そして両親は、Aが本当に痴漢にあったのか問い正すべきではなかったか。

しかし、警察は、そうはせず、なんと同行警乗から1か月後の10月下旬になって、突如として「犯行目撃状況再現」なるものを実施し、「犯行を現認した」とする報告書を作成したのである。

◆裁判で次々と明らかになった少年のウソ

最寄り駅の防犯カメラ

Aの提出した画像に映る人物が別人であったことや、Aのいう被害状況に矛盾が生じていることは既に述べたとおりである。実は、それ以外にも、裁判では、Aのウソが次々と明らかになっている。

Aが友達に送っていたライン履歴を弁護団と橋本さんが精査した(Aの履歴から橋本さんが電車の乗っている時間帯に、Aが学校にいたことなどを客観的に裏付けていった)ところ、橋本さんとAが同じ電車に乗った日は、せいぜい4日(「被害」があったとする日を含めても6日)しかないことや、そもそもAがα電車に乗っていない日が多数あることが判明したのである。

つまり、いつもα電車に乗って通学していたというAの主張は、客観事実に反することが明らかになったのである。そのような状況で、どうして橋本さんとAが同じ電車に同乗し、5月頃から9月までの間に被害に20回もあうことが起こるのか。

さらに、6月29日の橋本さんによる「つきまとい事件」では、最寄り駅の防犯カメラ映像には、橋本さんの後ろをAが母親に電話をしながら歩く様子が映りこんでいた。なんと、Aは、橋本さんの後ろを歩きながら、母親に「あとをつけられている」「迎えにきて」と電話していたのである。

最寄り駅の防犯カメラ

Aは、最寄り駅の改札を出た橋本さんが駅前スーパーで買い物をしたあと、駅前駐車場から車を出す際も、橋本さんを待ち構えたり、橋本さんの車のナンバーを確認し母親に送ったりしている。橋本さんを執拗に付け回していたのはAだったのだ。

しかし、これらのAの嘘を、一審判決は「(被害回数の齟齬については)その程度はささいな違いに過ぎない」、「弁護人の指摘する程度の食い違いがあることをもって6月29日の出来事をAの自作自演であるということはできない」と不合理に救済し、弁護人の客観証拠に基づく主張は排斥されてしまったのである。

紙面の関係で詳細は書けないが、Aと同様、いやそれ以上に悪質なのは、警察、検察、裁判官だ。警察は、同行警乗で「痴漢行為を現認できなかった」としていた報告書を、何の合理的理由もなしに「現認できた」と変遷させ、法廷で偽証までした。A及び警察官の虚偽証言を薄々感じていたであろう検察官は、証人尋問でAや警察官らの矛盾する証言を必死で救済した。

一度逮捕・起訴したのちに「間違いだった」と認めたくない警察、検察、そして裁判官は、執行猶予付きの有罪判決で教職を奪われた橋本さんの人生にどう責任をとるつもりなのか。

冒頭の桜井さんの言葉からすれば、既に青年になったAも、橋本さんの職を奪い、人生を大きく狂わせてしまったことをどう思うのか。事件を知っている人、Aの近くにいた関係者に是非この記事を読んで欲しい。そしてどうか真実を語って欲しい。人生を前に進めるために。

(本事件のさらなる詳細は後日、月刊『紙の爆弾』に掲載予定です)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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