暴力教授にはしかるべき対処を! 関西学院大学からの回答を批判する! 鹿砦社特別取材班

われわれは、6月29日付けの本通信で、「関西カウンター」の理論的支柱・金明秀関西学院大学社会学部教授の隠された暴力事件について確たる証拠資料を摘示し報じ各方面に大きな反響を及ぼした。

次いで7月4日付けの本通信で〈【金明秀暴力事件続報】関西学院大学へ質問書送付!〉を掲載した。同日の通信の中で、

〈そこで取材班は鹿砦社代表松岡利康名で7月3日、関西学院大学村田治学長に対して「ご質問」を郵送し7月17日までに回答を頂けるようにお願いをした。

この「ご質問」は「公開質問状」ではないので、本日ここでその内容を明らかにすることはできない。鹿砦社は関西学院大学に対してなんらの悪感情を持ってはいないし、逆に同大学の建学の理念や歴史には正直なところ深い敬意を抱いている。よって、しばき隊幹部や事件隠蔽関係者に送付したような「質問書」とは、かなりトーンも異なるものである。

日大との対比で、優れた人権感覚と教育的視点、学生に対する眼差しを体現し、世間からも高い評価を受けた関西学院大学のことであるから、必ずやわれわれの「ご質問」に対して誠実なご回答を頂けるものと、取材班は信じている。ご回答を頂けた暁には内容に差しさわりのない範囲で読者諸氏にもその内容をご紹介することとしたいので、是非7月18日以降の本通信にご注目頂きたい。〉

と読者諸氏にはご案内した。つまり昨日17日が回答期限であった。関西学院大学から、17日午前、以下の通り回答を頂けた。回答は頂けたものの、一部を除いて、私たちの質問への明確な返答はない。最低限のマナーは守っていただけたかもしれないが、この回答では、問題の本質を解き明かす筋道にはならない。

7月17日、関西学院大学広報室から鹿砦社に届いた〈「ご質問」に対するご回答〉

ちなみに取材班が、関西学院大学へ送付した質問書は以下の通りである。

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)
関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)
関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

相当な敬意を払いながら関西学院大学にはお尋ねをしたのだが、頂いた回答は、問題の本質部分に触れていない。現在も教壇に立ち続けている金明秀教授は、確実なだけでも2件の暴力事件を引き起こした人物である。極めて重大な問題ではないか。

理由の如何を問わず、他人に暴力行為を振るう(それが子供時代であれば「むかしの話」で済ませられるが、大学教員就任以降である)人物が大学の教員であることは、場合によっては、「学生が暴力の被害者になる」ことの可能性を示すだろう。その危険性に関西学院大学は、気が付かないのか、あるいは黙認するのか。

すでにネット上では明らかになっているので、この際被害者の方のプロフィールも部分的に触れておいた方がよいだろう。実は被害者は金明秀教授と同じ、関西学院大学社会学部の教員の方である! つまり今回の「金明秀教授暴力事件」は学内問題でもあるのだ。しかも被害者は、いわゆる「日本のマジョリティ」ではない。日本社会でマイノリティとされる(例えば在日コリアンなど)方である。したがって、金明秀教授が「レイシャルハラスメントに腹を立てて殴らざるを得なかった」という理由は成立しない。

取材班には事件直後からの膨大な資料が各方面から届けられている。事件直後に金明秀教授が被害者の先生に送った、仰天する内容のメールもある(金明秀教授、関西学院大学の態度を観察し、必要に応じて公開してゆく)。

そして、取材班とは全く別に「新世紀ユニオン」委員長が7月13日付けの自身のブログで「暴力事件に関する関西学院大の不可思議な対応!」と題し、以下のように報告をしている。

〈新世紀ユニオンでは7月9日付けで関西学院大に内容証明郵便で団体交渉を申し入れました。その内容は以下の通りです。

貴大学教員であり、当ユニオンの組合員であるA教授に対する金明秀教授の暴力事件とその後の蒸し返し等に関する貴大学の対応に付いて以下の通り団体交渉を申入れます。

団体交渉申入書
1、日時 7月30日(月)午後1時~3時
2、場所 貴大学会議室もしくは貴大学が用意する会場、もしくは当ユニオン事務所のいずれか。
3、議題 金明秀教授の暴力事件に関する貴大学の管理責任、その他。
4、参加者 貴大学の責任権限ある者並びに事件の詳細を知る人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長の出席希望。

当ユニオン出席者は団交応諾確認後募集します。約5名前後を予定。
以上に付いて、回答を当書面送達後一週間以内に書面にてお願いします。

このように、事件の詳細を知る人物の名も2名記してあるのに、関西学院大側の回答書は(1)議題の「その他」とは何か(2)管理責任という内容に付いて貴組合の要求事項を示せ(3)「蒸し返し」とは具体的に何を指すのか?と聞いてきました。言わば「とぼけ戦術」です。

関西学院大の回答はその上で30日は「調整が困難」だから「いくつか候補日をあげて頂きたい」というもので、しかも書面に印かんもない書面でした。

普通団交で提示した期日がダメな場合、変更する日時を相手側が提示するものですが、こちらに候補日を提示させるというのは大変失礼な対応です。

金明秀教授は暴力教授で有名な男で、被害者のA教授は13回も顔や喉を殴られ声帯を潰されるなど大けがをしました。警察に被害届を出しましたが警察が和解するよう促したので双方の弁護士の間で和解が成立していました。金明秀教授の代理人弁護士はこの暴力を明確に謝罪しています。ところが金明秀教授は和解条項に違反するように、学内でA教授への暴力を否定する言動を振りまき、A教授に精神的苦痛を与え続けています。これらの事は人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長に報告しています。しかし彼らは何もしませんでした。

重大な事は、金明秀教授が他にも暴力行為を行っていることです。関西学院大側がこうした金明秀教授の暴力事件とその否定を見て見ぬ振りをし、とぼけて団体交渉を逃れようと画策していることです。なぜ関西学院大が金明秀教授を庇い、暴力に対し管理者としてキチンと処分しないのかは不明です。

労働契約法第5条は労働者への安全配慮義務を定めています。金明秀教授に暴力を振るわれ、一度は解決金を加害者が払うことで和解したのに、金明秀教授が暴力を否定する発言をしている事を大学側が容認していること、このような管理責任の無い、文字通り無責任が。金明秀教授の暴力を繰り返させる原因ではないかと思われます。管理責任とは安全配慮義務であり、暴力事件を引き起こしている教授に対する大学の管理責任が問われています。暴力事件の被害者が複数に達している事を関西学院大は知っているのに知らない振りをしています。

関西学院大学は、日大のフットボール部のルール違反に対し、厳しく追求の立場をとっていますが、自大学の暴力教授には極めて不明瞭な「見て見ぬ振り」をしています。これを追求しょうとする新世紀ユニオンの団体交渉申し入れにも、誠実に対応していません。遺憾という他ありません。

我々は暴力事件の隠蔽を絶対に許さない。
今後この事案については、本ブログで適時に事件の詳細を明らかにする予定である。〉

http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/

引き合いに出される「日大アメフト部」事件で、関西学院大学(正確には関西学院大学アメリカンフットボール部)は、その対応をマスコミから極めて好意的に取り上げられた。日大の最悪の対応とは対照的に、関西学院大学アメリカンフットボール部の判断や、発信はたしかに優れて、「学生重視」の視点が伺えた。正反対に「金明秀教授暴力事件」では、日大と同程度に稚拙な対応しかできていない。鹿砦社への不充分な回答にだけではなく、組合から要求があった「団交」に対する態度は不誠実極まりない。

われわれは引き続きこの問題に注視し取材を進め、続報をお届けしてゆく。

(鹿砦社特別取材班)

 

福島原発と東京五輪 ── 猛暑の中、汚泥をスコップですくい上げる時の重さ

 
2018年7月12日付け日刊スポーツ

◆本質とまるで正反対な2020年「復興五輪」

〈2020年東京五輪・パラリンピック調整会議が12日午前、都内で行われ、東京五輪聖火リレーの出発地点を福島とし、開始日は20年3月26日と決定した。大会組織委員会の森喜朗会長が提案し、小池百合子都知事、鈴木俊一五輪相ら関係団体のトップが集まる同会議で了承された。〉(2018年7月12日付け日刊スポーツ)

そうだ。こう来るだろうと予想した通りだ。2020年東京五輪はその本質と正反対に「復興五輪」と、まったく虚偽の謳い文句で持ち上げられている。7月12日の新聞各紙の見出しには「トリチウム汚染水海へ」の文字がある。(2018年7月12日付けNHK)

 
2018年7月12日付けNHK

福島第一原発敷地内に溜まりにたまった汚染水の処分方法がないから、「希釈して海に流す」と東京電力はいよいよ本格的に準備をはじめるようだ。希釈したって毒物には変わりはない。希釈したら毒性が問題なくなるようなレベルの汚染水だったら、わざわざ山ほどの貯蔵タンクを敷地内に無計画にどんどん建てて、保管する必要はなかったではないか。

世界初の原発4機爆発を引き起こした「東京電力」でさえ、「汚染水は海には流せない」と判断したから貯蔵タンクに保管していたのだろうが。危険物質は既に膨大な量が海や地下水に流れ出している。貯蔵タンクに保管されている汚染水よりもその総量は多いかもしれない(正確に測定で出来ないので断言はできないが)。行政が測定するとほとんど「基準値以下」か「検出基準以下」の値しか出てこない。そんな馬鹿なことがあるか。

原発4基が爆発して、そこから放出された放射性核種の量が、「健康に問題ない」のであれば、どうして病院のレントゲン撮影室の前には「妊娠の可能性のある方は申し出てください」と書かれているのだろうか。甲状腺がんは通常、100万人あたり1~3人が発症の割合とされるが、福島県を中心に既に200人以上の発症が確認されている。誰が見たって、事故との因果関係は明らかであるが、一部の科学者や専門家に言わせると「スクリーニングを丁寧に行ったからだ」(普通行わないほど多くの子供の検査を行ったから発症がわかった)と、素人が呆れるような稚拙な嘘を平然と口にする。「福島県内の医療機関はすべて福島県立医大の支配下にあり、自由に診断もできない」と多くの医療関係者が嘆いている。医師が抑圧されていたら、まともな診察や治療が行えないじゃないか。

残念で残酷至極だが、福島を中心とした汚染はいまだに「すぐ逃げなければならない」レベルから下がってはいない。そこに汚染水の海への放出が加わればさらに環境は汚れる。

◆猛暑の中、汚泥をスコップですくい上げる時の重さ

なにも解決も改善もしていないじゃないか。西日本を襲った豪雨の被害は目に見えやすいので、その惨状が一葉の写真であれ、映像であれ目にすれば容易に被害の深刻さが理解される。あの惨状を目にして「直ちに健康に影響はない」という人はさすがに居ないだろう。

西日本の豪雨による被災者の皆さんは、猛暑の中激烈な日々を過ごしておられる。スコップで水を含んだドロをすくい上げるときの重さは、経験したことのある人には、簡単に理解されるだろう。その作業を避難所で寝起きしながら、猛暑の下続ける負荷はいかばかりか。

かたや、福島を中心とする放射性核種による汚染地域では、その汚れや危険性が目に見えない。目に見えないだけではなく、危険性を知らせようとしない(隠蔽しよう)とする巨大な力が、国ぐるみで綿密に準備され、即実行されている。その最大の隠蔽工作が「2020東京五輪」である。「オリンピックが政治そのもの」であることは、冬に開催された平昌五輪で朝鮮が参加を表明し、女子アイスホッケーでは南北合同チームが結成され、その後に南北首脳会談が板門店で実現、さらに電光石火で6月にはシンガポールで米朝首脳会談まで実現させた、ダイナミズムが記憶には新しい。

行く末は明瞭ではないが、ほとんどの人が予想さえしなかった米朝首脳会談の実現は、歓迎すべき出来事であり、それが「オリンピックの政治性」によって誘引されたのだとしたら、オリンピックの政治性は評価に値する。しかし多くの場合、オリンピックの政治性は「和平」や「融和」ではなく、国威発揚や国内問題の封印のために力を発する。1969年の東京五輪、モスクワ五輪やロスアンジェルス五輪、北京五輪には濃厚にその側面が表出していたし、古いところではミュンヘン五輪では選手が政治的文脈で殺される事件も起きている。

「2020東京五輪」は資本主義最終末期・人口減にあえぐ、日本の権力中枢が、国家破綻の引き金にもなりかねない「福島第一原発事故」隠蔽と、嘘っぱちに紛れた虚飾の美辞麗句で一儲けを企む金の亡者との結託により開催が目論まれる、反人民的、打史上比類ない悪意に基づく悪行集合体である。

東京でオリンピックを開催したら、それがどうして「復興」と関係があるのか。まずはこんな単純極まりない問いを、少し頭を冷やして考えれば、その欺瞞性は理性ある人には理解できるはずだ。聖火リレーの出発点か通過点か知らないけれども、そんなことを画策する者どもは、福島の人々の本質的被害から目を逸らさせようとする極悪人ばかりである、と私は断じる。

「2020東京五輪」は人倫的犯罪である。私は断固反対するし、「2020東京五輪」のスポンサー、待ちのぞむマスコミ、何気なく乗せられる庶民に対して、明確に異議を明らかにする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice Vol.16』明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
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「赤坂自民亭」騒動を片山さつき事務所「コールセンター」に直撃一問一答

国会議員の事務所に質問や、疑問があって電話をしたら9割以上「お答えしかねます」か「貴重なご意見として伺っておきます」との回答が返ってくる。ご多忙な読者諸氏には、そんな馬鹿なことに時間を費やす余裕もないであろうから、7月9日の本通信でお伝えした「赤坂自民亭」について、片山さつき議員の事務所に電話をしてみた。

事務員 片山さつき事務所コールセンター××でございます。
――  お邪魔致します。真偽だけ教えていただきたいのですけれども、インターネットで片山先生が7月6日、大雨が来ているときに「赤坂自民亭」との新人議員との懇親会をなさっていて、それをツイッターに上げていらっしゃったのは、間違いないのでしょうか?
事務員 そうですね、あのー「コールセンター」で電話を受け付けておりますので、事務員の者から確認次第折り返しお電話させていただいてよろしいでしょうか。
――  失礼しますが「コールセンター」というのは片山先生の事務所に「コールセンター」があるのですか。
事務員 あ、そうですね、私事務所の者ではないので、あの……。
――  「コールセンター」ってそちらは大企業なんですか。国会議員の事務所に電話をかけて「コールセンター」などといわれたのは初めてですよ。
事務員 あ、恐れ入りますが、そのように、あのー……。
――  誰のお金であなたは雇われているのですか。「電話の受付担当」と言われるのであれば分かりますが「コールセンター」?
事務員 失礼しました。受付でございます。
――  では「コールセンター」は撤回しますか。
事務員 はい失礼いたしました。
――  撤回するのですね。何十人もいるわけではないのですね。
事務員 はいさようでございます。
――  電話の受付の方は何人いらっしゃるのですか。
事務員 いまは私でございますが。
――  おひとりですね。
事務員 はいさようでございます。
――  ほかに事務所の方はいらっしゃらないのですか。
事務員 さようでございます。
――  あなたおひとり。
事務員 さようでございます。
――  あなたの目のまえにパソコンはありますか。
事務員 パソコンでございますか。
――  はい
事務員 真偽についてのお尋ねと言うことで……。
――  いや、パソコンはあるんですね。
事務員 パソコン、はい。
――  それでは片山議員がツイッターで何を書かれているかは、確認できますね。
事務員 申し訳ございません。私は今そのようなことはできかねますので。
――  は?
事務員 私の方で調べることはできかねます。
――  なぜできないのですか。私にできてなぜあなたにできないのですか。
事務員 申し訳ございませんができかねます。
――  どうしてできないのですか。それは技術的にできなのですか。
事務員 いまあのー、私、受付の者ですので、それ以外のことはできかねます。
――  じゃあ、なんのために目の前にパソコンがあるんですか。
事務員 あのー……。
――  シンプルなんです。片山先生が「赤坂自民亭」と言う名前で、自民党の議員の方々、大臣の方々が宴会を開いている写真を掲載されたのが、事実かどうかだけを確認させていただきたいのです。
事務員 かしこまりました。それは事実について正しくお話しできる者から折り返しお電話さしていただいてもよろしいでしょうか。
――  申し訳ないけれども、これは100歩譲った質問をしているのです。そのことはニュースで報道されていますよ。「在るもの」をなぜ「在る」と認めていただけないのですか。
事務員 「在るかどうか」につきまして、きちんと状況説明できる者から、折り返しお電話さしていただければと思うんですけれども。
――  それは結構ですが新聞でもニュースで出ていますよ。ではあれは嘘ですか。
事務員 ニュースが正しいのかどうかはわからないので……。
――  私にお答えただけなくてもいいですよ。でも片山先生のツイッターには、今でも残っているじゃないですか。
事務員 さようでございますね。
――  でしょ。
事務員 さようでございます。
――  私はその意味とか、それがどういうことか、ではなくて、その書き込みが「在るのかないのか」とだけ聞いているだけです。
事務員 はい。
――  だからありますね。
事務員 さようでございますね。
――  酷いと思いませんか、あなた。
事務員 (沈黙のあと)はい、あのーおっしゃっていることはわかりますが。
――  やはり、優しい感性を持っていらっしゃたら酷いと思われますよね。
事務員 おっしゃっていることはわかりますが。
――  大災害の中で多くの人が恐怖心を抱いているときに、こういうことをなさっていた神経がどうなのか。はいま電話に出て頂いている方も、私と同じような疑問をもっていただけるということでしょうか。
事務員 はい、おっしゃっていることは、はい、わかります。
――  ありがとうございました。

議員事務所に電話をしたら「コールセンター」といわれ、股関節が外れそうになった。が、よく聞けばたった一人の受付担当の方であった。その後のやり取りについてのご感想は読者に委ねる。

私は呆れた。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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RADWIMPSよ 「HINOMARU」を歌いまくれ!

〈風にたなびくあの旗に 古よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに

胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊

さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

胸に優しき母の声 背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に 恐れるものがあるだろうか

ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ

さぁいざゆかん 守るべきものが 今はある

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない〉

 
RADWIMPS『カタルシスト』

別段驚きもしない。むしろ「やっぱりそうだったか」という程度。くしゃみが出る前、鼻のなかで痒いような、くすぐったいような不快さに似たような感覚とでも言おうか。

読者諸氏はご存じであろうけども、上に紹介した私からすれば「頭が修正不能にどうかした」人間の錯乱。“時代錯誤”な言葉の羅列ではあるが、同時に“時代の先端感覚”であることもまた確かである心情の吐露は、RADWIMPSが、「HINOMARU」とズバリの名を冠して作詞、作曲したものだ。正確には同グループの野田洋次郎の手になる楽曲である。

私はもうかなり前だが、若い友人がRADWIMPSのファンで、熱くその素晴らしさを語ってくれたうえで、何曲かを聞かせてもらったことがあった。「あ、また、この手の奴らか……」と内心はちょっと不快ではあったけれども、若い友人には悪いので「ふんふん」と聞いていた。ただ「野田君は帰国子女で慶応にもいってすごいんだよ」と持ち上げるので「『帰国子女』と今は言わないよ。『帰国学生』ね。それから『帰国学生』みんなが優れているというのは、誤解だよ」とだけ話した記憶がある。

若者から広い支持を受けているRADWIMPS。彼らの楽曲数曲を聞いただけ、どうして直感的に私は気持ち悪かったのであろうか。あえて同類の経験を挙げれば、その昔X-JAPANというバンドに同じような気持ち悪さを感じたことがあったことを思い出す。

かといって私はRADWIMPSもX-JAPANも楽曲をろくに聞いたことがない。というより聞きたくない。優れた音楽性を持っているのであろうが、彼ら(RADWIMPSとX-JAPANは音楽に詳しい人には全然異なるグループであるのだろうけども)の楽曲からは、「ベールに隠された国家のようなもの」を直感してしまうのだ。そしてそれはRADWIMPSを熱心に聞く若者たちへの私の不安にも共通しているように思う。

映画「君の名は」が少し前に大ヒットした。観に行こうかな、と思った。知人にストーリーを聞き「音楽がハイテンポのRADWIMPSで良かった」と聞いて観る気がなくなった。実はそれくらいに私はRADWIMPSを無意識に嫌悪していた。X-JAPANも同様だった。当時仲の良かった私より年上の韓国からの留学生が「X-JAPANは凄いわ。いっぺん聴いてみ」と言ってくれたので、貸してもらったCDを車の中で聴こうとしたが、10分持たなかった(その後X-JAPANのYOSHIKIが「平成天皇在位10年の祝賀行事」に招かれる)。何かが気持ち悪いのだ。

そんな中6月26日、RADWIMPSのコンサートが神戸で行われるので「HINOMARU」を気に入らない人たちが抗議行動を行おうとしたら、1名が不当逮捕されたとのニュースに接した。

私は相矛盾するようであるが、「あんな連中」(RADWIMPS及びそのファン)に抗議をしてもまったく無駄だと考える。何故ならば、野田は「HINOMARU」にかんして「……日本に生まれた人間として、いつかちゃんと歌にしたいと思っていました。世界の中で、日本は自分達の国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます」と述べ、「まっすぐに皆さんに届きますように」と書き込んでいた「確信犯」だからだ。

野田は私の敵であり、そのファンも敵だ。さらに言えばそれが広く受け入れられる時代そのものが、私や私と同様に考える人たちを「殺しに」かかっていると体感する。「HINOMARU」の歌詞が明らかになった時、私はかつて私にRADWIMPSを教えてくれた若い友人に「私はあなたたちからこのように『殺されかけています』」とメールを送った。返信はない。

「表現の自由」だの、「国を愛して何が悪い」、「批判するのが間違っている」とRADWIMPSには「正しい」擁護論が多いそうだ。結構。私はその「正しさ」自体が気持ち悪く、「正しさ」に完全包囲されてしまったと感じる。早い話がもう手遅れなのだ。RADWIMPSよ! 堂々と「HINOMARU」を歌いまくれ! 時あたかもサッカーワールドカップで日本代表が16強に勝ち残り、無残に敗退したけれども、渋谷にはパブリックビューに若者が詰めかけ、試合の何時間も前から「君が代」を歌って盛り上がっていた。「愛国心」が大いに燃え盛っている最中だ。

ワールドカップが終わっても、NHKで毎日「HINOMARU」を何回も流せ!だって「正しい」んだから。震災後にひとびとを騙した「花は咲く」のように。一刻も早く日本が改憲できるように! 自衛隊が「日本軍」になれるように! 再び朝鮮半島や中国、アジアに侵略できるように! そして侵略したアジア各国に、現地の人の気持ちを踏みつぶして再び「日の丸」をはためかせる日が来るように!

RADWIMPSもファンもそう望んでいるのだろう? ちがうのか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

豪雨災害・首都圏報道の異常 死者100人超に鈍感な〈絶対安全自民党〉の醜悪

大雨により河川の氾濫や土砂崩れにより被災された方々、被害にあわれた方々には、あらためてお見舞いを申し上げます。あと片付けは途方もないエネルギーを使いますので、一転して高温に見舞われ蒸し暑いなか、くれぐれも皆様体調管理にはご留意くださいませ。

大雨による大災害に西日本が見舞われる中、週明けの9日午前、東京の知人が「テレビを見ても何も起きてないように見える。NHKは普通に番組をやっているし、形だけでも安倍首相が作業服を着ている姿もない。民放の方がまだましだ。日本で起きている災害よりも、タイで洞窟に取り残された子供たちの報道の方が印象深いくらいだ」と教えてくれた。


◎[参考動画]上空から見た豪雨被害=広島(時事通信映像センター 2018/07/07に公開)

◆国内で100人死んでも他人事かのような首都圏メディアの異常

関西では先週末から8日にかけて、NHKや民放も一時通常番組を切り替えて、災害情報を伝えていたようだ。中国、九州も同様だったらしい。しかし、意図的なのかそうでないのかはわからないが、東京(中央)と被災現地には情報量と、被災実感の凄まじい差があるようだ。先の知人は「永田町にいると、災害に対して鈍感になるんですよ。国会周辺は高台だから水害の恐れはないし、東日本大震災時も国会が丁度開かれていましたが、あの程度(東京でも死者が出たが、国会議事堂に被害が出ることはなかった)の揺れでしょ。これは恐ろしいことだなと思いました」と続けた。

このたびの大雨は自然災害であるから、誰にも止めることはできなかった。その点で、あらかじめ人間の意志で防ぐことができる原発の事故とは性質が異なる。台風、地震、大雨、竜巻……。自然現象は一部を予想することはできても、それを止めることはできない。私たちは地面があり、山がそびえ、川が流れる地形が「動かないもの」である前提で、住み家を建て生活している。でも日本列島に限らず地球上のあらゆる表面(陸地、海を含め)は、地球全体から見れば、実に薄っぺらい「地殻」の上に乗っかっているにすぎない。

地球の直径は12,742kmで日本列島の長さ(3,328km)の約3.8倍ほどだ。それに対し地殻の深さは5-6kmといわれるので、高熱の「内核」、「外核」、「下部、上部マントル」と、厚さを比べれば、地殻は「卵の殻」のように薄いものであることがわかる。

薄い卵の殻の上で、造山運動が起き、プレートが動き、降雨で山が削られる中で、現在の陸地や地形が形造られてきた。私たちの生命は長くとも100年ほどだが、地球は何十億年を費やして現在の構造に至っているのであり、その動きは今でも止まっていない。だから地震が発生する。動きが続いている「卵の殻」の上で私たちが生活している実感は、地球史的時間からは測定できないような短時間であるが、地球は「動いている」ことは再確認されてよいだろう。

そして、天候については予報技術がかなり向上してきたので、台風や大雨にはかなり細かい注意報や警報が出されるようになった。多くの人が持つ、携帯電話に直接警報を伝える手段も進化している。それでも9日までに死者116人、安否不明者80人超、2万人超が避難している未曽有の事態(しかもこの数字は時刻ともに変化するだろう)を防ぐことはできなかった。

河川の氾濫は個別の河川によって、若干事情の違いがあるかもしれないが、気象観測史上は例のないほどの大雨が降った、そのことが大災害の原因である。警報は豪雨の中何度も鳴った。できうる予報と警鐘は大雨の前から伝えられたけれども、どの地域でどれ程の被害が出るかまでは、人知の及ぶところではない。無数の国民が不安の最中で気が気でないとき、このようなことに興じていた人間たちがいた。

◆異常気象以上に深刻な安倍内閣の「異常神経」

7月5日、既に大雨が降り始めていた最中、醜悪な笑顔で宴に興じる連中の姿を全国民は、しっかりと心に刻むべきだろう。大雨は「8日頃まで続く見込み」であると天気予報は何度も警告を発していた。さらに関係なさそうではあるが、6日7名の死刑執行を行うことに了承した上川法相は「7月3日に死刑執行に署名した」と死刑執行後の記者会見で述べている。

「7名の国家殺人遂行」を命じたあとに、このような馬鹿馬鹿しい写真に笑っておさまることができるのが上川であり、深刻な災害到来が確実な中、笑ってワインを飲んでいられるのが安倍の正体だ。

別に「会合を慎め」とまで私は思わない。でも仮定して考えてみよう。「7名の人殺し」を明日に控えた上川の立場がもしあなただったら、笑って馬鹿げた宴会に興じることができますか? なにかが心に引っ掛からないだろうか?

首相安倍には、豪雨被害が確実な時期に、首相として国政とは無関係の「若手議員との懇談会」にどうして「初参加」する動機が生まれるのだろうか?

「異常気象」とか「記録的な」と大雨は表現されている。確かにそうだろう。しかし、この連中の「異常神経」も同様ではないか。「7名の人殺し」は自然災害ではない。その執行を言い渡した上川は、執行の前日に宴に興じている。安倍の顔もある。安倍が「災害対策本部」を立ち上げようが、陣頭指揮に立とうが、被害に変わりはなかったろう。にしても、もう少し、人間としての配慮や慎みを感じる神経は持てないものなのか。安倍自身が改悪した教育基本法により、教科化された「道徳」をこの連中は微塵も持ってはいないではないか。醜悪の極みだ。

あらためて災害被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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開港から40年の三里塚(成田)空港〈15〉話し合いへの茨の道

このたびの集中豪雨によって被災された方々に、お見舞い申し上げます。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

◆くり返された水面下の話し合い

1978年5月の出直し開港の前に、財界首脳が労働界を介して反対同盟との話し合いを行なったのは前述したとおり 。政府の無為無策に対して、財界が音頭をとることで休戦協定を結ぼうというものだった。ところが千葉県自民党と千葉日報の暗躍で、戸村一作委員長が福永運輸大臣と会談することになり、財界首脳の「和解調停」はついえた。政府運輸省としては、戸村委員長と話し合うことで誠意は尽くした、ということになったわけだ。

これが結果的にはどうだったのか。たとえ財界が音頭をとったところで、おそらく政府当局者(福田政権)は休戦協定を結ぶことはなかっただろう。反対同盟が財界首脳との協議で要求していた「逮捕者の即時釈放」(超法規的措置)を、司法当局はもとより行政府が肯(がえ)んじるはずがない。反対同盟の総意もまた、中途半端な和平ではなく「空港絶対反対」だった。じっさいに労働者学生の血が流され、獄中には捕らわれた若者たちがいるのだ。そして死者が出ている以上、安易な妥協策を講じるのは、即座に「裏切り」と言われかねない。

とはいえ、日本人同士が血を流し合う空港反対闘争の終結、あるいは円満な解決を、反対同盟農民も望んでいた。秋葉哲さん(救援対策部長)は「政府が二期工事を断念すれば、こっちも闘争の矛をおさめる準備がある」と語っていたものだ。これは初期の財界調停案でもあって、第三の首都圏空港を千葉県船橋の沖に海洋空港として建設する。都心からのアクセスが悪い三里塚空港は、貨物便用途の空港とする。そんな構想は現実的に感じられていたものだ。そのための水面下の交渉が、何度となく繰り返された。

80年代の全般を通して、反対同盟の幹部が政治ブローカー(農本系右翼や新左翼の元幹部)の手引きで、自民党政治家に接触した。そしてそのたびに、写真入りですっぱ抜かれてしまい、交渉は頓挫するのだった。すっぱ抜かれたものは氷山の一角で、表面化しない交渉もおびただしくあったのだろう。あるいは、反対同盟の幹部がひそかに自分の土地を空港公団に売ってしまい、それが露顕することもあった。その幹部にとっては、背に腹は替えられない事情があったはずだ。何も食わずに闘えと言うほうが、そもそも無責任ではないか。土地を奪われては食べていけないという原点から、空港反対運動は出発したのである。反対運動をやっているがために、食えなくなったのでは原点にもとるといえよう。


◎[参考動画]三里塚 大地の乱 前編(newleft1984 2009/09/19 に公開)

◆都市ゲリラ化した反対闘争

いっぽう、話し合いが模索されるなかで、支援勢力(新左翼)はどんな動きをしていたか。開港後の80年代は、飛び道具をつかったゲリラの時代だった。それも自動発火装置や金属弾、そして70年闘争いらいの爆発物も登場した。空港敷地内や建造物への攻撃、ジェット燃料のパイプラインへの攻撃。そして90年代に入ると、個人へのテロが急増した。千葉県の土地収用委員へのテロ、空港関連事業を請け負った企業の個人をねらったもの、その家屋を爆破するなどである。

あえて運動の一環としてのゲリラ闘争とは書かない。それが敵の弱い環をねらう戦争の基本戦術であったとしても、運動から孤立したテロリズムは空港を廃港にするという目的からは大きく逸れているとわたしは思う。空港を廃港にするというのならば、国民的な議論を経なければありえないはずだった。三里塚に臨時革命政府(労働者権力)ができるのならともかく、廃港は政府の決断をもとめることになる。ということは、政権交代や政治危機(政権が立ち行かない事態)をつくるよりないのだ。

開港を阻止したとき、国民の4分の1が空港よりも緑の大地を取りもどすべきだと、空港建設に反対だったのだから、大衆運動と国民的な議論による廃港の可能性はないわけではなかった。よしんば武装闘争が政治革命を目的にしたものであったとしても、物理的に政治権力を倒すには国民(人民)の圧倒的多数が政府を追い詰め、いっぽうで警察や軍隊の一部が革命の側に来るのでなければ成立しない。それは歴史上の革命が教えるところだ。先進国における革命とは帝国主義支配下の民族解放戦争ではなく、人と社会の変革なのだから――。

具体的にしめしておこう。空港の施設建設を請け負った企業の寮が放火され、労働者2名が殉職している。やはり空港関連企業の幹部宅が爆破され、無関係の父親が死亡している。公団職員の自宅が焼かれ、土地収容委員がテロで重傷を負った。三里塚闘争は大衆運動からかけ離れた、テロリズムになってしまったのだ。

◆円卓会議という名の懐柔策

90年代に入ると、宇沢弘文・隅谷三喜男といった学者が調査団を立ち上げて、三里塚闘争の収拾策をはかるようになる。宇沢にしても隅谷にしても、研究者としての人生の仕上げに三里塚空港問題という難題をクリアすることで足跡を残したい。そんな気配が感じられたものだが、善意の第三者が紛糾した事態を収拾するのは、悪いことではないだろう。調査団はシンポジウムを開催して、これは円卓会議と呼ばれた。誰も上位ではなく、下位でもない。対等の立場で話し合い、そこで得られた結論には従う。やれるものなら、やってみてくださいというのが、わたしたち熱田派支援の気分だった。もちろん、中核派に指導された北原派は不参加である。この時点で、シンポジウムは半分しか意味がないことになる。もしも北原派を会議の席に着かせていたら、このシンポジウム(円卓会議)は歴史的な偉業として歴史に名を残したであろう。

円卓会議では政府・空港公団側から一方的な建設計画と強権的な土地収用についての反省が表明され、事実上の「謝罪」が行なわれた。隅谷調査団およびシンポジウム(円卓会議)の、それは政府に対するスタンスであったから、政府・空港公団は消極的にではあれ建設方法の問題点を「謝罪」るのには、やぶさかではなかったはずだ。いや、それ以前に江藤隆美運輸大臣が反対同盟に謝罪を表明していたのだから、いまさら頭を下げるのをためらうことはなかったはずだ。

その意味では、学者たちが主導した円卓会議は形式的なものにすぎなかった。事実、その後の空港建設は機動隊を前面に出した「強制措置」こそ採られなかったものの、法的な手段で反対派農民を追い詰めるものだった。日々の生活を圧迫する騒音と莫大な移転費用の補償が現実の問題となった。それを準備した円卓会議は、かたちを変えた政府の「懐柔策」にすぎなかったのである。

◆三里塚闘争が残したもの

それでもわたしは、政府の「謝罪」をもって、三里塚闘争は終焉したのだと思う。いまも騒音下で苦しみを余儀なくされている人びと、あきらめずに「空港絶対反対」を闘っておられる人びとには敬意を表しながらも、闘争をやめる権利は農民たちにはあったのだと思う。不遜ながら思うことがある。膨大なエネルギーをもって相互に攻防した敵味方をこえて考えるに、国家的なプロジェクトを誤れば取り返しのつかないことになる。そんな貴重な教訓が残ればいいのではないか。いまは原発再稼動の問題および電力計画に、その教訓が生かされるのかどうかだ。そして思いを馳せるのは、戦争ゴッコのなかにも愉しいことは多かったという懐旧であろうか。私的なことも長々と連載しましたが、ご精読ありがとうございました。

今年はあまり盛り上がっていませんが、いわゆる「1968革命」から50年です。全世界が苛烈なまでにイデオロギーと政治的な地歩をかけて争った風景から、50年もの時が過ぎたのです。そのことが残した意味・意義・内省すべきことを、遅れてきた世代も追体験したのだとわたしは思います。いまもそれは続いているかもしれないし、これから負の遺産を払しょくした社会運動が生まれるのかもしれない。そのきざしは確かに、78年のわたしたちにはあったのですから。(この連載は随時掲載します)


◎[参考動画]三里塚 大地の乱 後編(newleft1984 2008/06/16 に公開)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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オウム真理教死刑確定囚〈戦後最大〉7人同日死刑執行は国家の暴虐

7月6日早朝から「麻原彰晃死刑執行」のニュースが、列島を襲う大雨情報の中を狙ったかのように散発的に報じられ始めた。オウム真理教関連の死刑確定囚は13人。そのうち実に7人の死刑がこの日正午までに執行された。

オウム真理教関連の死刑確定囚は3月に東京拘置所から、全国の「死刑執行」施設のある拘置所に移送されており、「東京五輪前に一斉執行があるのではないか」と関係者の間では推測されていたが、「東京五輪前」どころか国会会期中で、全国的気象災害が懸念される非日常的天候の中、戦後史最大人数の「同日死刑」が執行された。

◆「人の死を止められなかった」経験から死刑制度を考える

私は「死刑廃止」論者である。

どんな悪党でも、何人殺人を犯そうが、国家による死刑には絶対反対である。理由は簡単だ。「人を殺す」ことは(正当防衛や殺意のない過失致死などを除いて)、絶対にあってはならない「悪行」である、と確信するからだ。この議論になると必ず「じゃあお前の家族や子供が殺されたらどうする?」という問いを投げかけてくる人が多い。私の回答は、

「私はたぶん殺人者に敵意や殺意を抱くだろうが、私的復讐感情を吸収するのが、成熟した法治国家の姿である。私が殺人者を殺せば、復讐感情の連鎖が起こる。『感情』の問題と『法』の問題を混乱させるべきではない」

である。表面的に格好をつけているように聞こえるかもしれないが、私は過去に、「ひとの死を止められなかった」経験がある。それも複数人である。私がもう少し注意深かったら、神経が繊細であったら、忙しくなかったら彼ら・彼女らが命を失うことを止められた可能性がある。つまり私は人の死に積極的に関与したわけではないが、自然死ではない「死」を止めることができたかも知れない立場の人間であった。その経験は私をいまだに「縛って」いる。ときどきに彼ら・彼女らの顔や言葉を思い出す。私は「殺人犯」としての責任はなかったにせよ、彼ら・彼女らの命を「途絶えさせる」ことに関係した責めを負って生きている。

と同時に私は殺意に近い感情を長年抱いている対象者が複数いる。私を「殺そう」と企図した人間や、私を破滅させようと徒党を組んでいた連中である。しかし、私は前述の原則に則って、絶対に怨嗟による「殺人」を犯さない、と決めている。決めているが情念の部分では「憎い」ことに変わりはない。

後先考えずに「殺(や)ろう」と思えば、「殺(や)れた」瞬間はいくらでもあった。が、愚かな私でも社会を学び、世界に接し、法に触れる中で「殺人」には絶対に手を染めてはならない、と確信が持てるようになった。「殺人」は個人による殺意に基づく「殺人」や、権力による法を後ろ盾とした「殺人」(死刑)、さらには国家間の意思による「大規模殺人合戦」(戦争)があり、それらは規模や動機の違いはあれ「人を殺す意思を持った行為」である点においては共通ではないのか。であるならば「公の言い訳」を与えられた大規模殺人合戦(戦争)は、ほぼ「絶対悪」(侵略者に対する抵抗など少数を除き)であるとの結論に至った。

回りくどいようであるが、「戦争」を嫌悪し、忌避するのであれば、「死刑」にも反対せねば理屈が一貫しない(世間では「戦争」も「死刑」も賛成の言説が増えているようである)。極めて簡単な論理なのだが、いまだに「被害者の復讐感情」を過剰評価する、精神性から抜けきることができない日本文化では、まだ「死刑」が存置されている。私は被害者感情を「無視しろ」、「放置しろ」と思ってはいない。私自身、殺意に基づいて「殺され」かけた経験があるので、被害者感情の一端は理解している。だから被害者感情は「死刑」ではない、それこそ国家によるケアーで解決が目指されるべきものであると考える(被害者感情が解消できるか解消できないかは、簡単な問題ではないが)。

ようやく日弁連も「死刑廃止」を遅まきながら方針として打ち出した。繰り返すが理屈は簡単だ。「人殺し」は「悪」なのだ。「人殺し」に対する処罰が「人殺し」であるのは、明白な矛盾であり倒錯だ。

◆オウム真理教はなぜ権力から放置されたのか?

この期に及んだので当時からの疑問を披歴する。オウム真理教はどうしてあそこまで肥大化し武装するまで、権力から放置されたのか? オウム真理教が急成長したのは、新左翼対策に大幅な人員増がなされた公安警察や公安調査庁の人員が余り、彼らが「仕事」を探さなければならない時期であった。新左翼の退潮により「仕事を探していた」はずの公安警察、公安調査庁は、1989年に坂本堤弁護士一家殺人事件を起こし、素人目にも危険性が明らかであったオウム真理教をどうして、監視対象にしなかったのか(公安調査庁に対しては「廃止論」が現実的に議論されていた時期でもあった)。

ヘリコプターや武器材料をロシアから輸入していること、ロシアでも広範な布教活動を行い現地から短波ラジオ放送を行い、マフィアと結びついていたことを、公安警察や公安調査庁は、本当にまったく知らなかったのか。この点がどうしても納得できないし、なによりも不自然である。

同日7人の死刑執行という「国家による暴虐」が行われた日に、他人事としてではなく「死刑」を考えよう。その延長線上に、おぼろげであった輪郭が像を結びだしてきた「戦争」があるのだ。内に向けては「死刑」、外に向けては「戦争」。国家の実像がそこにある。


◎[参考動画]オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)ら7人の死刑執行を受けて「ひかりの輪」の上祐史浩代表が会見(ANNnewsCH 2018/07/06公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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伊藤詩織氏は山口敬之氏との訴訟でレイプドラッグ被害を主張していない

 
英BBCは伊藤氏を取材し、「日本の秘められた恥(Japan's Secret Shame)」というドキュメンタリー番組を放送した(同局のHPより)

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件では、伊藤氏が海外のテレビに出演したりして、ますます注目度を高めている。

ツイッターなどを見ていると、この伊藤氏の活躍を支持者の人たちは大変喜んでいるようだが、1つ注意したほうがいいことがある。それは、山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたという話については、事実であるかのように吹聴しないほうがいいということだ。

なぜなら、伊藤氏はこれまで会見や取材、『Black Box』という著書などで再三、「レイプドラッグを飲まされたと思っている」などと訴えていたが、訴訟の中では、山口氏にレイプドラッグを飲まされたとは主張していないからである。

◆「山口はレイプドラッグを飲ませた」と吹聴するリスクとは

そのことを私が初めて知ったのは、今年1月に東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧した時だった。正直、意外性は感じなかった。なぜなら、伊藤氏本人も著書などでは、山口氏にレイプドラッグを飲まされた確証が得られていないことを明かしていたからだ。

伊藤氏の著書によると、事件があったという日、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと考える根拠は、(1)山口氏と一緒にお酒を飲んではいるが、自分は酒がとても強く、意識を失ったことなど一度もないこと、(2)その時の自分の記憶障害や吐き気などの症状が、インターネットで調べたレイプドラッグの症状と驚くほど一致していること――などだが、その程度の根拠では、たしかに訴訟の場で裁判官に事実と認定してもらえる可能性は低いだろう。

 
BBC「Japan's Secret Shame」より

そう考えると、伊藤氏が訴訟の中で、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと主張していないのは、賢明な判断だ。上記の(1)や(2)程度の根拠でレイプドラッグを飲まされたなどと主張すれば、むしろ裁判官の心証も悪くなりかねないからである。

だが、伊藤氏はそれでいいとして、ツイッターなどで確証もないのに「山口は詩織さんにレイプドラッグを飲ませてレイプした」などと吹聴している支持者の人たちはどうだろうか?

そういう人たちは、山口氏に名誉棄損で訴えられるリスクをもう少し考えたほうがいいと私は思う。ツイッターの発言でも名誉棄損で訴えられることはあるし、名誉棄損訴訟では、訴えられた側が自分の発言の真実性について立証責任を負うからだ。

 
BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

伊藤氏本人が訴訟で立証できないレイプドラッグ被害を、その時の状況などを直接的には知らない無関係の第三者が立証できるわけがない。山口氏に訴えられた場合、負ける可能性は決して小さくないだろう。

この訴訟に関しては、当欄で過去2回報告した通り、報道量は多いわりに訴訟記録を「取材目的」で閲覧している者がほとんどいないのが現実だ。中には、訴訟記録も閲覧せず、確たる根拠もなく山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたのが事実であるかのようにインターネットなどで喧伝している報道関係者もいるが、あまりにも無責任である。そういう人物たちこそ、山口氏に訴えられたらいいのに、と私は心から思う。

なお、伊藤氏は著書などで、山口氏のパソコンにより性行為中の様子を撮られたと感じたとも発言しているが、訴訟では、そのような撮影の被害も主張していない。

◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった 
◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏訴訟続報 ホテルの「防犯カメラ映像」をめぐる新情報 

◎[参考動画]BBC「日本の秘められた恥(Japan’s Secret Shame)」
Daily motion https://www.dailymotion.com/video/x6nih2o
ニコニコ動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm33446417


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

木下ちがや氏の「鹿砦社への抗議文」について 鹿砦社特別取材班

やはり本通信でお伝えした〈2018年上半期、鹿砦社が投下する最大の爆弾!「関西カウンター」の理論的支柱・金明秀関西学院大学教授の隠された暴力事件を弾劾する!〉の破壊力はとてつもなかった。これは適宜続報していくつもりだ。

そして『真実と暴力の隠蔽』の衝撃も、並大抵ではなかった。7月3日付けで木下ちがや氏が下記の「鹿砦社への抗議文」なるものを自身のブログで書いている。

木下ちがや氏が7月3日に公開した「鹿砦社への抗議文」

木下氏は「私に対して『水面下ですざまじい攻撃』がなされて、糾弾、総括がなされて『口封じ』『隠蔽』がなされているかのようなこと書かれています。しかしながら、そのようなことは一切なされていません。私が6月8日に発表した文章にも書きましたように、家族からの助言、また関係者から事態を整理するためのアドバイスはあったものの、あくまで私自身の自主的な判断に委ねるというものでした」と書いている。

そうか、そうであれば何よりだ。本当に「糾弾」も「攻撃」も何もないのであればよかった。松岡はじめ、われわれなりに心配していたので胸をなでおろすし、われわれに〝事実誤認〟があれば木下氏に率直に謝罪したい。

また木下氏は、「鹿砦社の雑誌における李信恵さんに対する私の発言については、発言したことは事実であるものの、その内容については根拠のないものであり」と書いている。だが、取材班は李信恵に関する木下発言は、前後のやり取りから、どう考えても、しばき隊/カウンター内部における木下氏自身の経験に基づく発言であるとしか理解できない。

その根拠は、木下氏の李信恵評が単一の言葉としてではなく、文脈と論を立て、自身の経験を加味して語られているからである。噂や憶測ではなく木下氏は「自分本人が自慢しているからねえ、『誰とやった』とか『やってない』とか」と李信恵の発言を聞いたことを語っている。そして『真実と暴力の隠蔽』に掲載したとおり、木下氏は長時間にわたり一貫して李信恵の人格的問題を、誰に問われるわけではなく、みずから進んで語っている。

それは、リーダーたるもの、彼女の性的放縦を運動内部に安易に持ち込んではいけないという、木下氏なりの苦言とわれわれは理解した。真っ当な見解である。その他、彼の述べていることをわれわれなりにチェックし直してみると、ほとんど事実であることも、あらためて分かった。木下氏は、なぜこうもみずからが能弁に語った意見を〝否定〟するのであろうか?

また『真実と暴力の隠蔽』にはほとんど掲載しなかったが、C.R.A.C.や男組、特に、先に逝去した高橋直輝氏の問題(高橋氏個人の問題だけではなく、彼に対する周囲の遇し方)について、極めて批判的な言説を、これまた長時間にわたって展開している。しかしながら高橋氏に対する木下氏の見解は『真実と暴力の隠蔽』の出版意図と直接に結びつくものではない(まったく関係がないとは言わないが)ので、高橋氏に関する発言のほとんどは掲載していない。仮に高橋氏、あるいは、C.R.A.C.に対する木下発言を掲載していたら、〝木下批判〟はさらに激しさを増していたことであろう。

さて、前後するが、「糾弾」や「攻撃」などがなかったというのは信用するに値しない。なぜならば「水面下」だけではなく、ツイッター上で木下氏を批判・攻撃する言説が膨大に展開されていたではないか。ほかならぬ李信恵自身が度々木下を批判し、謝罪も受け入れない姿勢まで見せていた事実は動かない。

木下氏が最初にツイッター上で「謝罪」を表明したのは5月31日だったろう。しかしこの「私が批判されている内容は事実です。また、発言の内容も事実であり、いいわけはできません」は、「私は批判されているけれども発言した内容は事実である」ことを述べたうえで「取り返しがつかないことをしました」と誰かに詫びる、文意の通らないものである。

 
5月31日に木下ちがや氏が表明した「謝罪」

重要であるのは、この時点で木下氏は「発言の内容も事実であります」と書いていることである。事実を発言したのであれば謝罪をする必要がどこにあるのだ? 事実であっても誰かには不都合な発言であったので、目に見える形で散々木下氏は批判をされていたのではないか。

木下氏と同様の発言は木下氏、清義明氏、松岡の座談会で清氏からも語られ、清氏へもかなりの批判が見て取れるが、清氏は筋を通して自説を曲げるような態度をとってはいない。また『真実と暴力の隠蔽』に登場して頂いた凜七星氏もほぼ同様に李信恵の人物評を語っているが、凜氏への激しい批判は目にしない。

ここから推測されることは、木下氏は「NO.3」であるかどうかはともかく、現役の「しばき隊」構成員であり、それも幹部クラスであった。ゆえに「反党派発言」は組織にとって絶対に許されるものではないから、批判が木下氏に集中したであろう構造である。そうでなければ凜氏にも同様の攻撃が向けられていなければ辻褄が合わない。

そして木下氏は情けなくも「そしてもちろん、現在にいたるまで、鹿砦社側から私への連絡あるいは私とのやり取りは一切ありません」と書いているが、鹿砦社は6月5日に「木下ちがや氏への暴言、糾弾、査問、謝罪要求を即刻やめろ! 鹿砦社代表・松岡利康」を、6月12日には「『真実と暴力の隠蔽』収録座談会木下ちがや氏の『謝罪』声明に反論します!鹿砦社代表・松岡利康」、そして6月18日には「M君リンチ事件本第5弾『真実と暴力の隠蔽』発売からの反響を振り返る」を掲載し、木下氏への激励と叱咤を断続的に発信してきた。

木下氏自身が6月5日の本通信を取り上げて批判しているのであるから、双方向ではないとはいえ、鹿砦社は木下氏への発信を続けてきたのであるし、それに木下氏も反応している。私信や電話でのやり取りはないものの、意思の疎通は成立していることは、木下氏が本通信に反応することにより示されている。6月18日「M君リンチ事件本第5弾『真実と暴力の隠蔽』発売からの反響を振り返る」は取材班が発売1カ月を振り返っての座談会であったが、その席上でも、

〈D まあ、「木下査問」は見せしめ的に続くのだろうけど、俺たちとしては、彼の発言した事実にこそ注目してもらいたい。それから木下氏から「SOS」が来れば支援は惜しみませんよね、社長?

松岡 もちろん、彼が原則的な助けを求めてきたらその準備はあります。〉

と木下氏救済の用意が鹿砦社にはある(あたかも日大アメフト部のディフェンスの選手が監督の指示により関西学院大学の選手に危険なタックルをして大問題になったのと同様に、鹿砦社は関西学院のような木下氏支援の準備があった)ことを明示している。そして木下氏は本通信を読んでおり、その内容を知っているのであるから「そしてもちろん、現在にいたるまで、鹿砦社側から私への連絡あるいは私とのやり取りは一切ありません」は、彼らのすき好む表現を用いれば完全な「デマ」である。

さらに木下氏は「そのうえで、私自身を支え、適切な問題解決の方向に誘ってくれた家族を含む関係者を」と「家族」を同文章の中で複数回登場させているが、鹿砦社・取材班は一度も木下氏の「家族」に言及したことはない。木下氏自身が「家族」「家族」と、「家族の関与」を何度も書き込んでいるようであるが、木下氏の「家族」は木下氏の発言には何の責任も関係もないのであるから、われわれは「家族」には関心も言及も行う発想自体を持ち合わせない。木下が勝手に「家族に世話になった」と思うのであれば、家族に礼を述べればよいだけである。どうして無関係の鹿砦社が木下氏の家族に「謝罪」しなければならない理由があるのだ。

「仕事は家庭に持ち込まない」のと同様で「家族を騒動に巻き込まない」ほうが家庭の安寧を保てるのではないか(この期に及んでも木下氏にはまだ〝親切心〟で忠告しておこう)。

そして見逃せない事実は、このかんに「M君リンチ事件隠蔽」を指示した師岡康子弁護士のメールが明らかにされたことと、関西学院大学の金明秀教授の「暴行事件」を取材班が明らかにしたことである。師岡康子弁護士は『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)の著者であり「ヘイトスピーチ対策法」に大いに尽力した「人権派弁護士」と世間から「誤解」されている人物であるが、実は集団リンチ事件被害者のM君を犯罪者扱いするなど、弁護士として、人間として絶対に許されざる行為に手を染めた人物である。あまりに悪質であるのでそのメールを再度掲載する。

2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容
2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容
2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容

「運動のためであれば、立法のためであれば被害者は泣き寝入りしろ!」と指令する師岡弁護士のこのメールが、もし「ヘイトスピーチ対策法」成立より前に明らかにされていれば、師岡弁護士の弁護士生命も、言論弾圧法である「ヘイトスピーチ対策法」も成立することはなかったであろう。

こういう「非人道的」な心情を持つ輩が「しばき隊」のオピニオンリーダーであることが暴露されたことに、しばき隊が極めて深刻な危機感を抱くことは想像に難くない。それに止まらず「M君リンチ事件」だけではない激烈な「暴力事件」を金明秀教授が起こしていた証拠を本通信で取材班は明らかにした。

師岡康子弁護士がしばき隊全体のイデオローグであるとすれば、金明秀教授は関西における活動の理論的リーダーといえよう(その主張内容は甚だ怪しいが、ここでは議論が複雑化するのでそれは省く)。師岡康子弁護士は被害者を犯罪者扱いし「事件隠蔽」を指示し、金明秀教授は激烈な暴力事件を起こし、かろうじて代理人(弁護士)を介して被害者と和解しているも、その後も問題は収束していない(これについては、またしても読者諸氏が腰を抜かす証拠が取材班の手元にはある。しかるべき時期に公開する)。街頭やツイッターで程度の低い諍いを好む〝コマンド〟(兵隊)とは異なり、幕僚の中にあって戦略を指示する立場の〝コマンダー〟(指揮官)が、揃いもそろって「事件隠蔽」と「暴力事件」に手を染めていた証拠が明らかになり、しばき隊の屋台骨はシロアリに食い尽くされて倒壊寸前の家屋のようなありさまである。

そこで、奇異なめぐりあわせではあるが、自身も金明秀教授の暴力被害者である木下氏が、戦況の攪乱と逆転の手がかりを創作すべく表明したものが「鹿砦社への抗議文」の意図するところであろう。

繰り返すが鹿砦社は一度も木下氏の「家族」に言及などしていないし、木下がネット上で猛烈なバッシングを受けた証拠は山ほど残っている。だから「木下ちがや氏への暴言、糾弾、査問、謝罪要求を即刻やめろ! 鹿砦社代表・松岡利康」を即座に掲載したのだ。

 
 
 
 

50代になっても定職を持たず、ネット荒らしに人並み外れた執着心を持つ比類なく性格のひねくれた変人(もういい加減このような悪質な人物は放逐されるべきだろう)や、僧籍を持ちながらネット中毒から回復不可能な人物、その他取材班が自宅住所、電話番号、勤務先を掌握している人物たちが「デマ」だ「デマ」だと舞い上がっているようだが、再度忠告しておこう。諸君の中の数人は既に気づかないうちに取材班の取材を受けており、いつでもその内容は公開が可能だ。

そして木下氏に告ぐ。鹿砦社が「家族」を巻き込んだかのような「デマ」(事実無根)を速やかに撤回せよ! そして「関係者」=「しばき隊/カウンター」に鹿砦社が謝罪する理由は皆無である(あまりにも明白ではあるが)! 

木下氏よ、あなたは促されるではなく、自分から進んで語った事柄を「撤回」する、まったく信用に値しない人物であることをみずから証明した。くだんの座談会で松岡(そして取材班)を驚かせた慧眼は偽物だったのか、と遺憾ながら首を傾げざるを得ない。あなたの(そして、あなたの所属するしばき隊/カウンターの)発言が世の常識人に今後信用されることはないであろう。

今回の件は、木下氏にとって〈知識人〉としての矜持、行き方来し方を問う重大問題だ。この期に及んでも腐臭を放つ「しばき隊/カウンター」に戻るのか、一人になっても自律した〈知識人〉として再出発するのかの転換点になるだろう。

以上が、われわれからの木下氏への最後の忠告である。白い犬に赤いペンキを塗っても犬に変わりはないのか……〈知識人〉とはそんなに軽いのか!?

(鹿砦社特別取材班)

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【金明秀教授暴力事件続報】関西学院大学に質問状送付! 鹿砦社特別取材班

6月29日付け本通信に〈2018年上半期、鹿砦社が投下する最大の爆弾!「関西カウンター」の理論的支柱・金明秀関西学院大学教授の隠された暴力事件を弾劾する!〉を掲載したところ、非常に大きな反応があった。そこで同日、鹿砦社アカウントから、関西学院大学@KwanseiGakuinと金明秀教授ご本人@han_orgにもそれぞれ質問を投げかけた。

これに対して金明秀教授からは、

と回答があったが、内容があいまいであり論を逸らしているので、再び、

と質問を続けたが、以降金明秀教授から回答はない。

「ちなみに『和解書』は偽造ですか? 端的にお答えください」とのYESかNOの簡単な質問にも回答がない。なぜだろうか? 研究者、学者そして大学教員たるもの、自身の社会的責任には回答するのが筋であると取材班は認識するが、金明秀教授にとっては目を背けたい(可能であれば「無かったこと」にしたい)事実でもあるのだろうか?

しかし、事実は事実であり動かないのだ。金明秀教授は歴史改竄主義者を批判する。取材班も同様に歴史改竄主義者を許さない。ならば自身がまさか“自分史改竄主義者”になったわけではあるまい。

残念ながら「曖昧な回答」は頂けたが、その後金明秀教授からは音沙汰がない(ツイッターでは本事件と関係ないことは書いているようだ)。

一方、関西学院大学からはツイッター上で一切回答はなかった。まあこれは無理からぬことではあろう。同じ西宮市内に位置しているとはいえ、「鹿砦社」をご存知ない可能性もあるし、デリケートな問題をツイッターといった安易なツール上でお答えいただけない事情は理解できる。そこで取材班は鹿砦社代表松岡利康名で7月3日、関西学院大学村田治学長に対して「ご質問」を郵送し7月17日までに回答を頂けるようにお願いをした。

この「ご質問」は「公開質問状」ではないので、本日ここでその内容を明らかにすることはできない。鹿砦社は関西学院大学に対してなんらの悪感情を持ってはいないし、逆に同大学の建学の理念や歴史には正直なところ深い敬意を抱いている。よって、しばき隊幹部や事件隠蔽関係者に送付したような「質問書」とは、かなりトーンも異なるものである。

日大との対比で、優れた人権感覚と教育的視点、学生に対する眼差しを体現し、世間からも高い評価を受けた関西学院大学のことであるから、必ずやわれわれの「ご質問」に対して誠実なご回答を頂けるものと、取材班は信じている。ご回答を頂けた暁には内容に差しさわりのない範囲で読者諸氏にもその内容をご紹介することとしたいので、是非7月18日以降の本通信にご注目頂きたい。

ありはしないだろうが、万が一ご回答を頂けなかった場合、または誠実とは言えないご回答であった場合は、取材班も相応の対処に踏み切らざるを得ないが、関西学院大学に限っては、そのようなことはないと信じる。

取材班には6月29日にこの「暴力事件」のレポートを掲載後も新たな証拠や証言(それもダイナマイト級のもの)が、またしても寄せられている。それらは関西学院大学からのご回答を待って、適宜読者諸氏にお伝えしてゆく。いずれにしても、この夏、同大と世間を震撼させることは言うまでもないであろう。

(鹿砦社特別取材班)

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