今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている森奈津子さんインタビュー〈5〉

多彩なエロス、SFから児童文学まで縦横無尽な世界観織りなす作家、森奈津子さん。ツイッター上ではM君支援を宣言してくださり、そのためか、しばき隊から現在も集中攻撃を受け続けている方でもある。大好評だった前回までのインタビュー記事に続き、特別取材班は再び森さんに電話でインタビュー。「表現の自由」をはじめ様々な問題についてご意見を伺った。

◆反権力を気取っている人が、治安維持法みたいな法律を作ろうとしている

 
森奈津子さんのツイッターより

── (反差別という点で)その点、われわれは原理主義的にあらゆる差別に反対です。ただしわれわれはあらゆる差別をしていないつもりでも、知らないが故に言葉遣いとか振る舞いで差別を犯しているということがあるかもしれませんので、あらゆる差別を否定するではなくて反対するという表現でいつも統一しているつもりです。今新たにご示唆いただいた議論をするということですよね。何かコードを作ってしまって、レイシストだからとか、差別主義者だからとか、右翼だから左翼だから、とあるカテゴリーにはめて、だからどうのこうのということは非常に短絡的だと感じます。短絡的な人は実際にたくさんいます。それを助長する一つの要因が、適切にツイッターとかSNSを使えない人たちではないかと思います。

森  そうですね。合田夏樹さんが「彼らは反差別というよりは、反差別を言い訳にしていじめをしたいだけのいい歳をした大人だ」と仰っていましたけれども、おそらくその通りでしょう。やはり、叩いてそれで終わりでいいの? というの思いは常にあります。今、LGBT差別解消法という、アウンティングを禁じるとかLGBTに対する差別をなくすための法律を作ろうという動きがありますよね。あれだって「ホモ・レズ・オカマは差別用語です」という主張をする人が出てくる中で、そんな法律作って大丈夫なのかと。それこそLGBTが自分たちの首を絞めることになりかねないし、そんな治安維持法みたいなものを作るために、LGBTを利用しないでくれとも思います。でも賛成している当事者もいて、ちょっと驚きますね。何が差別かどうかという線引きを体制側に任せて、それで大丈夫なのかと。普段は反安倍とか言ってる人が何を言っているのかと思いますよ。反権力を気取っている人が、治安維持法みたいな法律を作ろうとしていて、体制側を信用しているのかと驚きます。

◆左翼リベラルの凋落

── 既にヘイトスピーチ対策法という法律は、理念法ですけれども成立をしています。その成立に関してはしばき隊の人達は非常に熱心に活動されたようです。ところで本来知識人の中に入れてはいけない人が、新たに知識人の中に入ってしまっている。かつて知識人であった人たちがどんどん堕落している。ある意味ではあたっていると思いますが、左翼リベラルというものが凋落している。一面では事実だと思います。それを森さんはどのようにお感じになりますか。

森  本来だったらリベラルと名乗ってはいけない人がリベラルを名乗っているのは驚きですし、多様性多様性と言っている人が何であんなに一生懸命自分と意見の異なる人を中傷して叩いているのか、本当に疑問に思います。なんであのような人達がリベラルと名乗っているのでしょうね。私は自分のことをリベラルだと思っていましたけれども、リベラルと名乗れなくなりました。あのような不寛容がリベラルだなんて、いつの間に言葉の意味が変わったのだろうと疑問に思っています。

── 明らかに変わりましたね。リベラルというのは大雑把にですけど、良い語感でしたものね。

森  そうですね。それが攻撃的で印象の悪い不寛容な人達を指す言葉になりつつあるようです。あの人達が自称しているから言葉の意味が駄目になったのでしょうかね。

◆香山リカは何でリベラルを名乗るのか?

── それもありますが、たとえば80年代頃の香山リカはリベラルの範疇だったと思うんです。かつてリベラルだった人達がどんどん堕落してしまった。書籍はあまり読まれない。本来は書物から得られる多様なものの考え方というところの回路が、通じなくなっているのではないのかなという気もするのですが、どうでしょう。

森  はっきり言って、この人が何でリベラルを名乗ってるの? と思いますけれども、皆さんリベラルと認識しているようですし。また、ツイッター上ではフェミニストを名乗る人たちが平気で男性差別発言をしてるため、フェミニストが男性を差別する差別主義者だと見なされつつあります。それと同じような現象でしょうか。

── 穏健ではない偏狭な人達の意見が目立つから、フェミニズムというのはそういうものだとある意味では実態化しつつあるでしょ。

森  本来は、フェミニズムって人権を基礎とした理論じゃないですか。そして、人権というのは全ての人が持つものですよね。なのに、フェミニストを名乗っている人が男性の人権を侵害したら、フェミニズム自体が崩壊するはずなのに、わかっていない人たちがそれを信じてしまうのか。ああいう人達はフェミニストとは言えないのだ、というちゃんとした反論よりも、「フェミニストって男性差別をする人なんだね」「ミサンドリストのことをフェミニストと呼ぶんだね」という認識の方が主流になってしまって、「フェミニストを名乗る人は差別主義者」みたいなところまで行っていますよね。リベラルに関しても同じかなと思います。(つづく)

◎森奈津子さんのツイッター https://twitter.com/MORI_Natsuko/

◎今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー(全6回)

〈1〉2018年8月29日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27255
〈2〉2018年9月5日公開  http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27341
〈3〉2018年9月17日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27573
〈4〉2018年10月24日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28034
〈5〉2018年10月30日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28042
〈6〉2018年11月8日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28069

(鹿砦社特別取材班)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

民事訴訟で逃れようとする片山地方創生大臣の絶体絶命 第2の口利き疑惑も

◆事務所スタッフの憤懣がリークの発端か?

 
片山さつき氏HPより

「週刊新潮」(11月1日号)によると、「週刊文春」を相手に民事訴訟に踏みきった片山さつき地方創生大臣に、新たな口利き疑惑が生じているという。大阪のパチンコ業者が銀行融資の口利きを依頼し、片山大臣が財務省経由で融資のあっせんを行なったというものだ。そしてその結果はというと、融資工作は遭えなく失敗に終わったという。なんとも頼りにならないセンセイではないか。

それはともかく、同日発売の「週刊文春」には、片山事務所の関係者が匿名を条件で事実関係を語っている。すなわち「実は、X氏と片山氏は携帯電話で何度も連絡を取り合っている」そのやり取りのなかで、100万円の見返りにも言及しているというのだ。さらには、直撃取材を受けたあとに南村博二元秘書に「あなたと私は、会ったことなかったわよね」などと口封じを行なったうえで、週刊文春にリークした下手人を捜したという。

ヒステリックになったら、事務所で荒れるという片山センセイのことだ。事務所スタッフに修羅場が到来したのは想像にかたくない。その意味では、事務所関係者からボロボロと情報が漏れてしまうのは、センセイのガバナビリティの不足としか言いようがないのだ。短気は損気。

◆秘書ではなかったと強弁するも、事実は記録されている

100万円を受け取った事実そのものを否定する片山大臣だが、元秘書の南村氏は受け取りをみとめている。週刊文春が入手した「書類送付状」および福岡銀行大牟田支店の「振込・振替(状況照会)にも「議員名・片山さつき」と「秘書名・税理士南村博二」が明記されているのだ。にもかかわらず、片山センセイは週刊文春への訴状の中で「南村が原告(片山)の私設秘書であったことはない。原告は、秘書として契約したこともなく給与・報酬などを払ったこともなく、原告が指揮・命令する立場にあったことはない」などと、事実を180度ねじ曲げようとしている。まさに語るに落ちるとはこのことだろう。すでに何度となく、片山事務所は文章や音声に「私設秘書・南村博二」は刻印されてしまっているのだから──。

よしんば秘書としての報酬を受けていないなど抗弁ができたとしても、片山センセイが代表をつとめる政治団体や後援会事務所、あるいは「片山さつき政治経済研究所」は、いずれも南村氏の麻布十番のマンションに置かれている。その意味では秘書であるか否かも意味はない。片山センセイの政治活動に南村氏は大きく寄与し、重要な役割りを得ているのだ。

◆訴訟は答弁のがれである

ところで、訴訟をチラつかせるブラフが自民党政治家の特徴だと本欄で指摘してきたが、訴訟はまた事実関係を答えない言い訳でもある。片山センセイは訴訟を提起しましたという記者会見の場で、さっそく「法的措置に入りましたから」「わたしの一存では喋れないんです」と言い放ったものだった。この対応はおそらく、記者会見の場のみならず国会審議でも貫かれることだろう。「ご質問の件につきましては、訴訟中の案件でございますから、わたくしのほうで発言は控えさせていただきます」などと、答弁を拒否するにちがいない。そしてほとぼりが冷めれば、こっそりと訴訟を取り下げるか和解交渉で終わりにするという手順であろう。

だが、いったん訴状を提出したのである。その訴訟要件が根底から崩壊し、このかんの発言がすべて虚偽であったことを明らかにするまで、報道が止まないことを知っておくべきであろう。あたら小手先のはぐらかし戦術として、民事訴訟をもてあそんだことによって火だるまになるのは「片山さんは2人分、3人分の活躍が期待できる女性政治家」と激賞した安倍総理大臣の任命責任もふくめてのことである。


◎[参考動画]片山大臣「記事は事実と違う」 提訴後初めて会見(ANNnewsCH 2018/10/23公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!
『紙の爆弾』11月号! 公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他

《ブックレビュー》『唯言(ゆいごん) 戦後七十年を越えて』  冤罪被害者・山田悦子さんを主人公として

◆冤罪が組み立てられる構造は、だいたい似通っている。けれども冤罪被害者がその後たどる道のりは、まったく一様ではない

 
鹿砦社の最新刊『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、 玉光順正、高田千枝子=編著(2018年10月26日発売)

きっかけは、いっけん偶然かのように見紛われる。ある日偶然は、主人公が知りもしない世界へ強引に連行し、激烈な鞭打ちを浴びせかける。「どうして?」、「なにがどうなったの?」疑問をゆっくりと巡らせる暇もなく、主人公を「殺人犯人」と決めつける報道が全国を席巻し、主人公の名前や顔写真はおろか、住処の町名までが、量販店のバーゲンセールの広告を掲載するかのような、気軽さで新聞に掲載される。容赦のない取り調べは、有形でこそないが純粋な意味において「暴力」以外の何物でもない。

冤罪が組み立てられる構造は、だいたい似通っている。けれども冤罪被害者がその後たどる道のりは、まったく一様ではない。もっとも不幸な人は、何の関係もない咎により、首切られる(死刑)。または処刑台までいかずとも、長期にわたり拘置所、刑務所に幽閉される。あるいはまれに、嫌疑が晴らされマスコミにより「冤罪被害者」として扱われる場合がある。逮捕当時、あるいは公判中「犯人」と決めつけた報道を垂れ流していた罪など、ついぞ反省することなく、「加害者」を「悲劇の主人公」と報じる矛盾に、うち苦しむ報道機関はない(個人としての反省のケースはみられる)。

冤罪被害から解放されても、失った時間、主人公に襲い掛かった罵詈雑言の数々、報道被害が主人公に残した「加害の総体」は、何らかの尺度で測りうるものではない。主人公の語る言葉を、大衆はわかったような気になっているかもしれないが、それは大方の場合誤解である。わたしがこのように断定的に主人公が被った非道を論じるのは「テレビを見て、普通に笑っているんだと気がついたんです」と、事件解決後20年も経過した、主人公からの言葉をつい最近聞いた衝撃に由来する。笑いながら会話していたが、わたしの心の中は冷え切った。主人公に対して無遠慮であった自分を恥じた。

◆主人公は事件後、「どうしてわたしはこのような仕打ちを受けたのか」を、法学、哲学、歴史などを猛烈に学び、思弁し、人権思想の重要性を重く認識するに至る

主人公はしかし、ただの被害者でありつづけたわけではない。「唯言」に登場する、執筆者をはじめとする、広大な人脈は、主人公が能動的に事件のあとを生きた証だ。「唯言」に登場する関屋俊幸、弓削達、高橋宣光、玉光順正、高田千枝子の各氏は主人公がいなければおそらくは出会うことがなかったであろう、それぞれ異なる分野で活躍された方々だ。あたかも書籍を編纂するように、主人公は事件後、「どうしてわたしはこのような仕打ちを受けたのか」を、法学、哲学、歴史などを猛烈に学び、思弁し、人権思想の重要性を重く認識するに至る。その過程及び到達点から、乱反射する日本の姿(歴史・思想傾向・民族性など)の本質を、掌握した主人公が重ねて語るキーワードは「無答責と答責」である。

古代ローマ時代から、日本書紀を経て江戸・徳川時代から、明治維新、諸々の戦争を経て現在へ。主人公の歴史観は教科書で綴られるそれとは、かなり趣を異にする。日本の成り立ちについても同様だ。浅学で史実をほとんど知らない、あるいは「こうあって欲しかった」と幼児のように駄々をこねる、歴史修正主義者に対して、主人公の主張はどう映るか。冷厳な史実を見つめ続け、見つめるだけではなく、みずからが責任を取ろうとの試みは、常人の発想しうるものではなく、後にも先にも同様の試みを耳にしたことはない。

◆人間に暖かい社会とは何か?

主人公は国家が放棄した戦争責任を、「市民がどう引き受けるか」というとてつもない試みに足を踏み入れる。韓国と日本の間で何度もシンポジウムや講演会を開催する「答責会議」の発足は、主人公の存在なしにはありえなかった。その成果は『無答責と答責』(寿岳章子。祖父江孝男編、お茶の水書房 1995年)として世に出ることになるが、じつは『無答責と答責』の実質的編者は、主人公であったと、複数の知人から聞いた。その行動力の源泉は、はたしてなんであるのだろうか。冤罪被害者としての経験だけですべてを説明するのは不可能だとわたしは断じる。

主人公を際立たせすぎて紹介したが、「唯言」執筆者の方々はいずれも、個性的なその分野でトップを走った方ばかりである。当初部数限定の自費出版として編纂された「唯言」を手にした多くのひとびとは敏感に反応した。時代が「唯言」を要求していたといってよいだろう。世界史から物語が消えうせ、歴史が「自己解散」を宣言し、世界的にも事象はもっぱら権力者の気まぐれか、2進法による貸借対象表の合法的改ざんによる幻想のなかにしか存在しないかのごとき今日、「唯言」は無理やりにでも「自己解散」を宣言した歴史に「再結集」を命じる。

主人公・山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)は、冷徹な態度で、人間に暖かい社会とは何かを仲間と語り合った。

鹿砦社の最新刊『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、 玉光順正、高田千枝子=編著(2018年10月26日発売)

開港から40年の三里塚(成田)空港〈22〉1億円の損害賠償金

◆懲らしめのための民事訴訟

管制塔被告団グループに1億300万円の賠償請求が来たのは、2005年のことだった。運輸省が提起した民事訴訟は95年に判決が確定し、損害賠償額は4,384万円だった。それに利息が付いて、時効直前の2005年には1億300万に膨らんでいたというわけだ。その年から給与の差し押さえ、財産の差し押さえなどが通告されていた。

管制塔破壊という実害があったとはいえ、スラップ訴訟(公共の利益がないのに、運動を破壊するために行なわれる訴訟)に近い、民事訴訟による判決の履行だった。すでに反対同盟は分裂し、政府の意を受けた「話し合い路線」が軌道に乗っていたから、その意味では空港問題の帰趨とは関係なく、この請求は懲らしめのための「憂さ晴らし」とでも言うべきか――。

 
柘植洋三=元三里塚闘争に連帯する会事務局長による2005年7月18日付アピール文「管制塔賠償強制執行の攻撃を、我等ともに受けて立たん」の文頭(2005年7月22日付『旗旗』に全文あり http://bund.jp/?p=226 )

◆戦友会としての被告団

そこで元被告団が再集合し、1億円カンパ闘争が開始されたのである。元の所属党派を通じたカンパが大口だったが、ネットカンパが広く一般の人々から寄せられたという。われわれの三月要塞戦元被告団も久しぶりに全国結集(弁護士を入れて、たしか20人ほど)で、このカンパ運動を支援することになった。

集れば必ず飲み会というか、集りそのものが飲み会の場で、そこに管制塔元被告が説明に来るという感じだった。何かというと資金源としてあてにされる弁護士さんは「1億円も、ですか……」などと、ぼう然とした雰囲気だったが、すでに数千万円単位でまたたく間にカンパが集っているという報告を聴くと、ホッとした表情になったものだ。

元過激派学生というのは非常識な連中ばかりで、まじめな弁護士さんたちからはあまり信用されていない。それでも、突入ゲートごとの被告団、前年5月の攻防で逮捕されたグループなど、まさに戦友会のごとき集いが復活したのは、このカンパ運動の副産物だったといえよう。この年の11月には、1億300万円が国庫に叩きつけられ(収納され)た。

◆ネット上の議論

それにしても、1億円をカンパで集めるのはいいとして、それを敵である政府に差し出すという運動に、疑問の声もないではなかった。徹底抗戦して、たとい労役を課せられようが何をされようが、政府に「謝罪金」のようなものを出すべきではないと。もっぱら匿名のネットで議論が起きたものだ。匿名の議論だから「政府に恭順の意を表するような、反革命行為は信じがたい」とか「敗北主義だ」などという主張に「おまえ、責任をもって現実の大衆運動をやったことなんてないだろう。口先だけの評論野郎」などと反論があったりしたものだ。

たしかに民事判決の当初は「ないものは払えない」という論理で打っちゃってきたのは本当だ。やがて生活を抱え、家族をつくった元被告たちに、生活破壊の重たい攻撃が掛けられているのだから、カンパ運動はしごく当然だった。それを批判する人たちは、そもそも運動に立場性(責任)がない。安全圏の中に身を置いたとしか思えなかった。お前こそ、いま直ちに空港に突入して管制塔を破壊して来い! である。

◆民事訴訟の怖さ

それにしても、民事訴訟というのは生やさしくない。交通事件で民事訴訟になるのは、示談金をめぐって、すでに任意保険という補償の前提(原資)があるからであって、一般の事件だとなかなか考えにくい。たとえば殺された家族の損害賠償・慰謝料として民事訴訟をしても、相手が塀の中の死刑囚ではどうにもならない。そこで死刑を廃止して、仮釈放のある無期刑ではなく、終身刑を導入してしまう。死ぬまで懲役労働をさせて、その報奨金を被害者遺族への賠償金とする。という議論を、わたしは死刑廃止論の大御所としているところです。

ぎゃくに、犯人を知ってから時効が始まるので、とっくに刑事事件としては時効になっていても、民事訴訟は有効となるのだ。公安事件にかぎらず、被害者のいる事件は墓場まで持っていくというのは、けっして例え話ではないのです。そんな事件、あなたも体験していませんか?

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃満載『紙の爆弾』11月号! 公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている森奈津子さんインタビュー〈4〉

多彩なエロス、SFから児童文学まで縦横無尽な世界観織りなす作家の森奈津子さん。ツイッター上ではM君支援を宣言してくださり、そのためか、しばき隊から現在も集中攻撃を受け続けている方でもある。大好評だった前回までのインタビュー記事に続き、特別取材班は再び森さんに電話インタビュー。「表現の自由」をはじめ様々な問題についてご意見を伺った。

 
森奈津子さんのツイッターより

◆差別用語と自主規制

── 今日は大きなテーマですけれども「表現の自由」をどう考えたらいいのかをお伺いしたいと思います。森さんのご見解を教えていただければと思います。まず、森さんは作家のお仕事をなさっています。しかもその中で性的な表現をお使いになる作風の作品もたくさんお書きになっています。これまでお仕事をなさっている中で、ご自身の作品を世に出すにあたって、何らかの不具合や作品の中で表現について困ったり、トラブルになったことはあったでしょうか。

森  表現で一番問題になるのは、差別用語ですよね。私は小説家としてデビューしたのが1991年ですけれども、当時から同性愛テーマは扱ってました。ゲイやレズビアン、バイセクシャルの少年少女が出てくるような話を書いてきました。その頃に編集者から突然「このような文書が来たので気を付けてほしい」と言われました。あるゲイリブ団体から「ホモ、オカマ、レズは差別用語なので出版物に使用するな」というような手紙が送られて来たそうで、おそらく、あっちこっちの出版社に手当たり次第に送ったものだろうと思われました。ホモ、レズ、オカマ、どれも当事者がニュートラルに使ったり、おふざけ的に使ったりすることもある言葉ですね。当事者同士がふざけて「このオカマ」とお互いに言ったりする。洋画では黒人同士が「ヘイ、ニガー」と言い合うシーンがあるじゃないですか。そういう感じですよね。「このオカマ」「このレズ」と。お互いに当事者がふざけ合って言ったり、自称する人もいます。自分はホモを名乗りたい、レズを名乗りたい、オカマを名乗りたいという当事者もいます。そういったニュートラルな使い方すらできなくなるのか。それはおかしいのではないのかということと、そういう差別用語を禁止するということは、表現の中でそのような差別用語を投げ付けられて悔しい思いをしたというシーンが書けなくなるではないかと。

そのことを担当編集者に言ったところ、たぶん編集長とか部長クラスの方と話し合ったと思うんですね。その後、そういうことでしたら使ってもいいですよと言われました。ただ、それで自主規制した出版社は他にあったかもしれないですね。そんなことが90年代前半にありました。それから、本当にこれどういうことかと思ったのが、90年代半ばに、「『人種』という言葉は人種差別に繋がるので使わないでほしい」と編集者に言われたことです。人種という考え自体が差別になるので使わないでくれと言われて(笑)、しかたなく直したんです。酷い自主規制だと思います。

── speciesの人種ですね。英語でいうところの。

森  はい、そうです。人種という言葉が人種差別を生み出すので、人種という言葉を使わないでください。「おかしいじゃないですか」と言ったんです。編集者の言い分は「森さんはまともだからそうおっしゃるでしょうけど、中にはまともじゃない人がいて抗議をしてくるんです」でした。「そんなまともじゃない人はあなたの脳内にしかいないんじゃない?」と私は思ったんですけれども、自主規制というのはそうやって進んで行くのですね。

◆「美人」は差別表現で「天才」は差別表現ではない?

森  他にも90年代後半に、「美人」という言葉を使ったところ、編集者に「美人という言葉は、美人じゃない人に対する差別に繋がるので、美人という言葉を使わないでくれ」と言われました。私は「人の美点をたたえるような表現は、みんな差別ですか。そうじゃない人に対する差別ですか」と聞いたのです。「誰々さん天才」と言ったら、天才ではない人に対する差別なのですか。誰かを褒めたたえる言葉が使えなくなるじゃないですか、とも言ったのですが、やはりその編集者は「森さんはまともだからそうおっしゃるでしょうけれど、中にはまともじゃない人がいて抗議をしてくるのです」と。そのときも「そんな人はあんたの脳内にしかいないんじゃない?」と私は思いました。

こちらは、過激なフェミニストを想定しての自主規制だと思いますね。ミスコンに反対するフェミニストがいたじゃないですか。そういうのを見て、美人を褒めたたえたらああいう怖い人達が乗り込んでくるという発想です。担当編集者自身は作家に「あの表現やめろ、この表現やめろ」と言ったところで、痛くも痒くもないわけです。自分が怖い人達から抗議を受けて社内での立場が危うくなるということ。それが一番怖いのであって、それが避けられればどうでもいいという編集者が、世の中にはいるわけですよ。

── 編集者というよりは会社員であるという自分の立場が優先するということでしょうか。

森  そうですね。

◆「コンプライアンス(法令遵守)」をめぐる議論の不在

── 今教えていただいたご経験のように、広く世間で合意がなくても、過剰に言葉について反応してしまったり、場合によってはあるそういう団体から抗議が実体的にあったりして、それが議論になったりということで、その言葉がどうなのかという議論が交わされるということはあり得ると思うのですが。

森  議論はいいことだと思います。

── 最近コンプライアンスという言葉を世の中でよく聞くようになりました。ところがコンプライアンスという言葉は、なにもわざわざカタカナで使わなくても「法令遵守」という四文字の漢字で全く同義に置き換えられます。置き換えられる以上に、コンプライアンスという言葉は、単なる法令遵守ではなくて、忖度してしまって、あるいは自己防衛的になっている。表現にかかわる人たちは、本来は表現のみずみずしさとか新鮮さを活かすことに傾注しなくてはいけないのに、そうではなくて自分の給与所得者としての地位の方を優先している。

森  そうですね。

── そういう現象は今ご紹介したことだけでなくて、私達もこの取材をする中で、痛切に感じました。

森  弱腰になっている感じがありますね、皆さん。

◆自称「反差別」の人たちによるレッテル張り

――「人種」という言葉が槍玉にあげられて問題になったご経験をなさった。この20年ぐらいで、青少年健全育成条例とか、児童ポルノ禁止法ができました。そういうものの影響もあるのでしょうが、それ以上に現場に関わる人たちが勝手に先走って規制をしてしまうことが、表現の幅を狭めているのではないかと懸念を感じますがいかがでしょうか。

森  それは大いにあると思います。何か抗議を受けたら、その後に議論すればいいのに、「おまえはレイシストだ、もう黙れ」「おまえはネトウヨだから黙れ」みたいな論調で叩いてくる自称反差別の人も多いですね。

── レッテル張りして終わりということですね。

森  そうですね。ぎゃあぎゃあ喚いて叩いて終わり。議論が発展しない。最初から罵詈雑言で何も話す気はないし、平気で嘘をつくし、平気でデマを流す。叩ければそれでいいのかと。批判が生まれた後にそこから議論し、どちらが本当に良い考えなのか、結論を導くべきものなのに、相手を叩いておしまい。潰そうとするのです。私もやられていますけども、そういうことやられたら、こちらはそれを拡散するだけですよ。「こんなことされてますが、皆さんどう思いますか」と。

自称反差別の皆さんは、そういうことを繰り返しているから、支持を失っているわけで。反差別と言えば私も反差別ですし、鹿砦社の皆さんももちろん反差別で、差別は許さないという点ではみんな共通だと思います。(つづく)

◎森奈津子さんのツイッター https://twitter.com/MORI_Natsuko/

◎今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー(全6回)

〈1〉2018年8月29日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27255
〈2〉2018年9月5日公開  http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27341
〈3〉2018年9月17日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27573
〈4〉2018年10月24日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28034
〈5〉2018年10月30日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28042
〈6〉2018年11月8日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28069

(鹿砦社特別取材班)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

片山さつき地方創生担当相の口利き疑惑 ── 本当に法的措置を講じられるか?

◆やっぱり噴き出した政治スキャンダル

本欄でも第4次安倍改造内閣が、女性の起用をわずか1人であること。そして起用された片山さつき地方創生担当相に「2人、3人分の活躍を」などという言い訳を安倍総理がしていることを批判してきた。その「2人、3人分の活躍を」安倍総理に期待された片山さつき大臣が、古巣である財務省・国税局に口利きをすることで、利得(賄賂)を得ていたというのだ。なるほど、大いに活躍されているようだ。

事件の発端は、製造業を営むXという人物が会社に税務調査が入ったことで、青色申告の承認が取り消されそうになっている状況をなんとかしようと、片山事務所に相談したのだという。片山さつきの私設秘書である南村博二を紹介され、この南村氏から指定された口座に100万円を振り込んだと、X氏は証言しているのだ。

 
2018年10月17日付け文春オンラインより

◆委任契約は成立している

「週刊文春」(10月18日発売号)から、X氏の証言を引用しよう。

「2015年当時、私の会社に税務調査が入り、青色申告の承認が取り消されそうになっていました。何とかならないかと片山先生に相談したのは紛れもない事実です。そして片山事務所の秘書を通じ、私設秘書だった南村博二という男を紹介されました」

「南村氏に『とにかく青色申告取り消しだけは困るんです』と話すと、『大丈夫ですから、安心してください』などと言われ、税務調査の対応をお任せすることにしたのです。そして15年7月、指定された口座に100万円を振り込みました。これで片山先生が働きかけてくれると信じていました」

この時の物証を「週刊文春」は入手している。「書類送付状」と書かれた文書である。そこには差し出し人として、参議院議員片山さつき、秘書・税理士南村博二と記されているのだ。文面にはこうある。

「着手金100万円を、至急下記にお願い申し上げます。ご確認後、国税に手配させて頂きます」

政治家への賄賂を通じた依頼が法的に問題があるとしても、これで委任契約は成立しているのだ。

100万円を振り込んだものの南村氏から報告もなく不安になったX氏は、参議院会館にある片山氏の事務所を訪問したという。執務室で100万円を振り込んだことを片山氏に伝えると「南村にすぐ連絡して!(こっちに)振り込みさせなさい!」などと別の秘書に激昂したのだ。

そして、片山氏は最終的に、X氏にこう話したというのだ。「じゃあやっておきますよ。任せてもらえれば、大した問題じゃないから」「うまくいったら、百万円なんて決して高いものじゃないわよね」このやり取り、まるでひと昔前の政治家(口利き屋)ではないか。

◆契約不履行ではないのか

けっきょく、依頼された青色申告の承認は得られなかった。委任契約は成立しているのだから、片山事務所側の契約不履行(口頭であれ何であれ、頼み頼まれる両者に「委任契約」は成立する)である。にもかかわらず、片山事務所はなかったことのように言うのだ。以下は「週刊文春」の取材に対する片山側の返答である。

「事務所にご質問の会社が税務調査を受けているようだとの連絡があり、当時の秘書が片山に相談し、知り合いの税理士である南村を紹介しました。南村税理士に聞いたところ、税理士報酬をもらった旨を知りました。事務所の認識では、南村氏は15年5月に私設秘書を退職しています」

これに対してX氏は「私は税理士の南村氏に仕事を依頼したのではなく、片山事務所から彼を紹介されただけで、片山先生にお願いしたと認識しております。わざわざ100万円を払って南村氏に頼む理由がありません」と語っている。この報道をうけて、他の報道機関の質問に、X氏があらためて答えている。

「私設秘書から要求された100万円を指定された口座に振り込んだのは事実です」「口利き依頼について、不徳の致すところで反省している」などとするコメントを発表したのだ。X氏の言葉を信じるかぎり、事実関係はもう明らかだろう。

◆本当に裁判をするつもりはあるのか?

X氏の証言が事実であれば、片山事務所の契約不履行(民事)および詐欺罪(刑事)が成立する可能性が高い。なぜならば、国税当局に承認取り消しされた処分を撤回することは、片山大臣側が利得を得ている以上、まったく不可能だからだ。辞任した甘利明元経済再生担当相による、口利き賄賂事件と同様である。いや、この事件は立件されようがされまいが、政治資金規制法や公職選挙法などとは比べものにならない、政治家の収賄疑惑なのである。

それと同時に、急遽おこなわれた記者会見において、片山大臣は何ら具体的な反証もなく「法的措置を講じる」と明言した。つまり公判廷において、事実関係を明らかにすると言っているのだ。われわれはこれには注目せざるをえない。

今回の件で、片山大臣は「口利きもしたことはないし、100万円も受け取ったこともない」などと報道内容を否定している。ここまで事実関係の認識が対立しているのであれば、法廷で決着をつけるしかないだろう。上述したとおり、片山大臣は「法的措置を講じる」と明言していることだし――。

こうした政治スキャンダルに見舞われた政治家や官僚のほとんどが「法的手段に訴える」などと言いながら、そのじつ何も具体的な訴訟行為をしてこなかったのは、多くの国民が知るところだ。

 
片山さつき氏HPより

◆口先だけの「法的手段」

たとえば、本欄でも政治団体の不明朗な献金を指摘した下村博文元文科大臣・現憲法改正推進本部長は、加計学園から200万円の献金を受けている事実を暴露されたとき「都議選が終わったら釈明する」「法的な対応を検討している」などとしながら、何らの弁明も法的措置も講じていない。その時だけ「告訴する」と言うことで、報道の沈静化をはかるのが自民党政治家の常套手段なのだ。

菅官房長官も2015年に日本歯医師連盟からの迂回献金を「週刊ポスト」に報道されたさいに、同じく「法的措置を検討している」と言いなすことで沈静化をはかり、その後は何もしていない。火のない所に煙は立たないの例えではないが、法的手段に訴えることが出来なかったのである。

◆敗訴して傷口をひろげた稲田朋美

いや、みずからと配偶者が弁護士であるがゆえに、実際に訴訟に踏みきった自民党政治家もいる。安倍総理のお気に入りとして、今回の人事で筆頭副幹事長におさまった稲田朋美議員である。「サンデー毎日」在特会との親密な関係を報じられたとき、稲田側は名誉毀損の訴訟を起こすも、一審・二審で敗訴。さらに「週刊新潮」に寄附行為を報じられたときも、訴訟を起して敗訴している。このときは双方のやり取りの中で新潮側が、訴訟を予告されたことを「恫喝」として「弁護士バカ」と表現したことから「名誉毀損」を要件としたものだった。だが今回の片山大臣の場合は、単なる名誉毀損で済まされる問題ではない。収賄をめぐる、政治家としての政治生命を左右する事実関係が争点となるのだ。

この原稿を編集部に送った翌日の10月22日、片山さつき地方創生大臣は、週刊文春を相手取って1100万円の損害賠償訴訟に踏み切った。その覚悟はあっぱれである。ぜひとも注視していきたい。


◎[参考動画]片山さつき大臣が文芸春秋を提訴 口利き疑惑報道で(ANNnewsCH 2018/10/22公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃満載『紙の爆弾』11月号! 公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは?「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎総裁に聞く!〈4〉

「やや日刊カルト新聞」の「総裁」にして、業界ではカルト問題取材では、超有名人である藤倉善郎さんにお話を伺った。直接的にはオウム真理教関連集会での香山リカ氏による、取材妨害が話題になったことがきっかけであったが、「カルト」や「表現の自由」についての最新の情報をお伝えいただけた。カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは? 今回が4回連載の最終回。

◆ツイッター凍結と幸福の科学によるDMCA申し立て

 
藤倉善郎さんのツイッター

── ところでちょうど藤倉さんのツイッターは凍結されているんでしたっけ?

藤倉 今日(取材当時)解除されました。(※その後、再び凍結され、現在は別アカウントで活動中)

── 凍結の理由はおわかりになりましたか。

藤倉 理由は分かりました。幸福の科学がアメリカのデジタルミレニアム著作権法(以下、DMCA)というのを使って、削除を申し立ててきたのです。略称でDMCAの申し立てが来るとツイッターは複数の申し立てが来たら機械的に凍結する、と決めています。DMCAの情報を自分で調べないと、幸福の科学が何について申して立てたか知る術がありません。ツイッターは教えてくれません。そこで自分で調べたら、幸福の科学が34件もの大量のDMCA申立を行っていました。
 たとえば、幸福実現党が選挙違反で家宅捜索をうけたことがあって、その直後に大川隆法は誰かの霊言を降ろして、3日くらいでスピード出版したんです。それをいち早く僕は入手して、表紙とスカスカの中身という1頁だけ撮影した画像をアップしたんですが、それが著作権侵害だという主張なんです。時事の事件そのものを伝える写真が著作権侵害でダメだ、という無茶苦茶な理由でした。それを受けてツイッターが機械的に凍結というものでした。差別を想定した表現規制はこれからですが、著作権を使った表現規制は既に完成されているんです。

◆著作権法違反容疑で家宅捜索されてしまう社会

藤倉 報道とか評論の範囲のものであっても、著作権侵害だと申し立てることによって潰せるシステムがもう出来上がっています。DMCAやツイッター社の問題は日本だけではなくむしろアメリカの制度の問題ですが、日本でも著作権法は名誉毀損と違い「公共性・公益目的により」許すという条文が一切ないんです。これを出すことがが社会的にどれほど有益であろうとも、著作権法の手順を踏まえていないものは全部ダメという法律です。僕が2011年で著作権法で家宅捜索を受けた頃から、僕は著作権法はやばいと言い続けています。

── 著作権法違反容疑で家宅捜索までされたのですか。

藤倉 はい。ある宗教団体から刑事告訴をされ、不起訴で終わりました。それと同じことが差別、ヘイトスピーチでも出来上がっていこうとしているところだと思います。それから著作権法はとても難しいです。著作権法の実務をちゃんとやっている人であれば、評論のために必要な最低限の引用と言えるから問題ないだろうとか、微妙だとか、アウトだとかとすぐに言ってくれますが、ツイッター社とかはそういうことは分からないでしょう。申し立てが行われた、という事実で全てクロ判定して凍結してしまいます。僕もそのへんの絡みで弁護士と話をしているうちに見極めができるようになってきましたが、たぶん弁護士でも著作権法の実務をやっていない人間が目にしたら、わからない人は多いのではないかと思います。

── 私も引用記事で原稿を書く際に編集者から、「著作権でやばいです」と言われたことがありました。

藤倉 そこが難しいところなのですが、引用は引用部分の長短が問題ではないんです。僕が家宅捜索されたのはあるカルト宗教が、学生を騙して勧誘する時に使っているパンフレット数十頁すべて掲載した事が理由でした。それを「著作権侵害」だと言われたのです。どうして全部掲載したのかと聞かれて、「全部引用だ」と主張しました。「偽装勧誘するにあたって、その冊子の中で一言たりとも、教団名を記していないですよ」ということを主張するために、全文になっただけで、必要最低限の部分しか引用していないですよと言い張って、不起訴になりました。「必要最低限しか引用してはいけない」という基準があるので、長文の引用はダメだと思いがちですが、条件さえ満たしていれば全文引用でもいいんです(※個別の事情次第なので、常に問題ないとは限りません)。

── なるほど。著作権法についてはもっと関心を払う必要がありそうですね。ところで、差別についても同様の規制がおこなわれたら、妥当な判断ができるのか、と疑問があります。SNS上での差別表現が申告数でだけで判断されるのであれば、機械的に対応は可能でしょうが、文脈・文意を読み解くことまでは無理でしょう。そうすると「民─民規制」がますます進行しますね。

藤倉 表現の自由については、既に行った表現についての責任を取らせることに特化すべきで、前もって表現を行わせないようにするのは、どう考えてもダメなんじゃないかと思います。

── 行った表現について責任を取らせるのは、現行法の損害賠償で可能ですね。でも表現規制法は、「考えている」ことを規制するわけではないけれども、かなりそれに近くありませんか。

藤倉 近いのと、これは人間を規制するんです。フェイスブックで差別反対の趣旨で差別表現を引用したら、アカウント丸ごと使えなくさせられた人がいました。差別表現を引用して批判することもできないというだけでもおかしいのに、アカウントごと使えなくするというのは「こいつはヘイトスピーチをやる人間だから、ヘイトスピーチじゃない発言もさせない」ということです。それはまずい。個々の発言であれば、申し立てがあれば消して「ちゃんとして」と。内容を訂正すれば復活させてあげるよ、というのであればそれでも良いのかもしれないです。でもアカウントを丸ごと凍結するのは、SNSがライフラインになっている今の時代ですから(災害時には命にもかかわる)これは相当異常なことだと思いますね。

藤倉善郎(ふじくら・よしろう)さん/1974年、東京生まれ。北海道大学在学中に北海道大学新聞会で自己啓発セミナー問題についてのルポを連載。中退後、2004年からフリーライター。日刊ゲンダイ等で記者活動を行なう傍ら自己啓発セミナー、宗教、スピリチュアルの問題、チベット問題、原発事故等も取材。2009年にニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(所属記者9名)を創刊し、現在、同紙の「被告人兼総裁」。2012年に週刊新潮で幸福の科学学園の実態に関するルポを執筆し、1億円の損害賠償を求めて提訴されるも完全勝訴。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社)

◆世の中を良くしたい人たちが、自分たちの首を絞めることを権力にやらせようとしている社会

── SNS上のことだけではなく、実際の発言も対象になりますよね。

藤倉 発言をした場所に仮に、規制を担当する人がいれば現行犯逮捕されることだってあるかもしれません。

── そのような表現規制は「差別反対」を纏っていても、必ず政治家や権力者への批判封じに拡大してゆくでしょう。政治家の人格とか出自とか。いまある「ヘイトスピーチ対策法」は対象を明示していますが、解釈改憲をやる政権ですから。書かれている文言が拡大解釈される可能性はありますね。

藤倉 ヘイトスピーチ対策法は外国人の話だけですが、あれだと被差別部落差別に対応できないので、差別を規制したい側は、規制を拡大しろという訳です。でも被差別部落差別は出身地や職業が直接の判断基準にされていて、人種でいえば一切違いのない人たちなわけです。このあいだ大相撲で負けた力士に「青森に帰れ」と言ったら「ヘイトスピーチ」だと問題にされていましたけれども、ああいうことになってくるわけです。

── 規制したい人たち(法務省・警察など)が望んでいることはわかりますが、他方、人権のことを当事者としては一生懸命考えていらっしゃいながら、人権を守らんがために規制立法をつくることが差別解消のためによいことだとお考えの方にはどのように提示したらわかりやすく理解していただけるでしょうか。

藤倉 無理だと思います。そこが今の世の中の病理の根本だと思います。世の中を良くしようとしている人たちが、自分たちの首を絞めることを権力にやらせようとしている。そのことに気づいていればそうはならないし、方向転換するはずですが、表現規制を危惧する意見の人が「表現の自由の方が差別問題より大事な連中」であるかのように言われ、表現の自由を守る人たちは「オタク、ネトウヨだ」のように陣営化して捉えられてしまう。それはおかしいことだから、ちょっとやり方を変えた方がいいよね、とは一向にになっていく気配がない。これそこカルト問題の真髄だと思います。いいことをしているつもりで人の人権を踏みにじる。救済のためにサリンを撒いたのと同じ構図です。しばき隊が自分たちが暴力的だと自覚してレイシストに暴力を振るうのよりも、さらにやっかいな現象だと思います。「俺たちは良いことをやっているから、その信念は絶対に揺るがない」と。

── この時代の一番大きな問題はそれかも知れませんね。(了)

(鹿砦社特別取材班)

◎カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは?「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎総裁に聞く!(全4回)
〈1〉2018年10月11日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27899
〈2〉2018年10月16日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27942
〈3〉2018年10月18日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27952
〈4〉2018年10月22日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27991

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

10・19M君リンチ事件高裁判決、賠償金アップも苦い勝訴! しかし判決内容の稚拙さに上告決定! 鹿砦社特別取材班

10月19日14時から大阪高裁でM君が李信恵ら5名を訴えた控訴審の判決言い渡しが行われた。判決の詳細などはここではスペースがないので、閉廷後、大阪弁護士会館で行われた「M君控訴審判決報告集会」の様子をご報告する。

大川伸郎弁護士

◆どうしてこんな判決になったのか?

冒頭に大川伸郎弁護士から判決について以下の通り解説があった。

「判決の主文では金良平さんに対する賠償額は113万7,640円に上がっていますが、一審で認められていた伊藤大介さんに対する請求は棄却されています。残りの李信恵さん、松本英一さんに対する請求も棄却。李普鉉さんに対する1万円は維持されました。どうしてこんな判決になったのか。判決文を見たところ、事実認定において1審の事実認定を引用したに等しい。全くわれわれの控訴理由書でつぶさに書いた点を検討した形跡が見られない。驚いています。
 伊藤さんの『話が終わっていないのなら、店の外に行った方がいいんじゃない』李さんの『殺されるんやったら店の中におったら』といった発言を『暴行を容認する言葉を用いている点で適切さを欠くとはいえるものの、金の暴行を客観的に容認し、社会的相当を逸脱するものであったとはいえない』という判断です。
 実は、事前にこういう判決があるのではないか、と恐れていました。裁判官からすれば、金良平以外の請求を棄却する方が、判決文を書きやすいからです。明確にそうです。
 伊藤大介だけ責任を認め、李信恵の責任を問わない(1審判決)方が理論的整合性を保ちにくいんです。危惧はしていましたがまさかそういう判決が出るとは驚いています。結論から言えば高裁も平凡な裁判のレベルで、都合よく事実関係を切り取り、それに法律を当てはめたに過ぎない。
 本来民事裁判は各種事情、法廷での発言だけではなく、様々な事情、場所、時刻、暴行が続いていた時間、どういう形態であったか、しつこさ、人間など、われわれはコミュニケーションをとって社会生活を営んでいますから、そういったものを総合して初めて判断を下すわけです。そこがすっぽり抜けています。
 控訴理由書でもそこを主張しましたが、高裁は触れず紋切り型で表層通りの判決です。がっかりであり驚きでありいろいろな思いがあります。こちらの問題提起には全く答えていません。納得がとてもいかない判決です」

法廷画家・桜真澄さんによる判決言い渡しの様子。ほんの数分で終わったので1枚しか描けませんでした。(桜さんご自身の承諾を得て掲載しています)
裁判とその周辺への感想を述べるM君

◆M君の総括

続いてM君が発言した。

「きょうはお越しいただいた皆様にまずはお礼を申し上げます。ここまで来れましたのは、何よりも支援者の皆様あってのことですので支援者の皆様にもお礼を申し上げます。残念な判決となりましたが、総括を述べさせていただきます。まず彼らの『歴史修正・歴史の捏造』を許すものではなかったということです。今回の事件を司法に問う、社会に問うことができました。30年後、50年後『しばき隊』などと呼ばれている連中が、2010年代の反差別運動だと書かれることはなくなりました。これは大きな成果ではないかと思います。
 そして裁判とその周辺への感想ですが、2つのものが、みずからその信用を損ねたのではないかと思います。それは報道機関と裁判所です。報道機関についてはどういう訳か彼らに対しての忖度が働いているとしか思えない、奇怪な行動をされていることは皆さんご存知だと思います。裁判所は大川先生のお話にもありましたが、虚心坦懐に当事者の話を聞こうとしない。かつて戒能通孝という偉い先生がいました。50歳を過ぎてから弁護士になり、裁判闘争を重ねる中で晩年このような言葉を残しています。『実は日本において、裁判所こそが司法制度の破壊者なのではないか』と。その一端を自分の裁判闘争を通じて垣間見たような気がします。戒能先生は『戒能は間違っていた、とのちの世の人に証明してほしい』とも述べておられます。それに対する道のりはいまだ遠いと感じます。
 おそらくこれで神原さんや伊藤さん李信恵さんは祝杯を挙げるのではないかと思います。しかし、裁判所がどういう経緯でこの判断に至ったのかわかりませんが、どれほど報道機関や裁判所が彼らに対し甘い態度をとっても、彼らがあのような横暴を繰り返す限りにおいて、歴史的評価・社会的評価は変わるものではない、と考えます。きょうで裁判は一区切りで今後の対応は支援会と相談しますが、ここまでのご支援に深く感謝いたします。ありがとうございました」

◆「〈ファシズムの出先機関〉としての裁判所が、今や弱者の味方ではなく、〈人権の砦〉でもないことを顕著に示した判決です」(松岡利康=鹿砦社社長)

続いて鹿砦社松岡社長が支援者代表として感想を述べた。当日の松岡の発言はここでは割愛するが、現在、彼の考えは松岡のフェイスブック(https://www.facebook.com/toshiyasu.matsuoka.7)で表明されているので下記の通り転載する。

松岡利康=鹿砦社社長の2018年10月20日付けFacebookより
松岡利康=鹿砦社社長の2018年10月20日付けFacebookより
松岡利康=鹿砦社社長の2018年10月20日付けFacebookより

ふだん穏健で鷹揚としている松岡も相当怒っている。裁判所に、李信恵らカウンター/しばき隊の連中に、そして彼らを支える神原、上瀧弁護士らに。松岡は「江戸の敵(かたき)を長崎で討つ」と言っている。つまりM君の悔しさを、これからは鹿砦社が主な舞台となる裁判闘争や言論活動で晴らすということだろう。どんな〈爆弾〉を落とすことやら。

◆胸を打たれた凛七星さんの発言

その後参加者からの質問発言に移った。何人もの人が様々意見を述べたが、この日最も印象的であったのは凛七星さんの発言だった。

涙ながらに語る凛七星さん

「私としてはこの事件のもとになった『カウンター』という運動を起こした一人として、大変忸怩たる思いです。このようなことが起こる原因であったのは私ですし、それを止められなかったのも私の責任だと思っています。
 今回の結果に残念な思いです。いっときの勢いはなくなったとはいえコアなメンバーは残っていて、それを続けているので何も知らない人の中に影響を受ける人が出てくると思います。私はM君の事件をきっかけとして、現勢力中心の野間だとか李信恵だとかに、できればトドメをさせるような結果になってほしかったのですが、そうならなかったのは非常に残念です。
 また彼らの言葉に踊らされて、被害にあう人が出てくる。エル金なんて言うのは狂言回しのようなもので、本丸に手が届かなかったのはすごく残念です。今後何もないことを願っていますが、たぶんまた起こすでしょう。なんていうんでしょうかね……(涙)
 その思いはM君や大川先生が強く思っておられることだと思うのでここまでにしておきます。私たちはちょっと心が痛い思いでいます」

凛七星さんの発言には胸を打たれた。

◆負けた部分はひた隠しにし、「勝った、勝った」と狂喜する者たちよ

さて、それまでの発言にもあったが、取材班も裁判所に対しての期待値は極めて低く、この日の判決は「控訴棄却」ではないかと予想していた。実はM君が李信恵を検察審査会に申し立てた審査結果が数日前にM君へ届いていた。「不起訴相当」だ。検察審査会は本当に審査を行ったのか、そのこと自体が疑わしい。

開廷後、稲葉重子裁判長の口から「双方の控訴を棄却する」の言葉ではなく、賠償金額の増額と伊藤大介への請求を棄却する主文が読み上げられた。賠償金額の増額は喜ぶべきことであるが、あの最低レベルの一審の合議体ですらが認定せざるを得なかった、伊藤大介の幇助までを認めない判決は、大川弁護士が述べた通り「裁判官にとって書きやすい」判決文であったからだろう。

多くの支援者の方々から心あるカンパを賜り皆様に支えていただいた裁判の高裁判決が、「事実認定」をもとにしたものではなく「裁判官が書きやすい」ことを中心に構成されていたら、原告はたまったものではない。しかも、40頁を超える精緻な「控訴理由書」を原告側は提出したが、その中で指摘した問題には一切言及されていない。山のようにある一審判決の問題に向かい合うのであれば、審理ナシの即日結審自体が国民をなめ切っている。裁判所は自分を何様だと思っているのだ! 諸君のほとんどは最高裁の指示ばかりを気にしている「ヒラメ裁判官」であり、法曹人ではなく給与所得者に成り下がっているではないか!? われわれは「M君リンチ事件」の取材を続ける中で、マスコミの途方もない姿に直面し、一部知識人・大学教員の恐るべき知的劣化を知った。そしてしばき隊・在特会の本質も理解した。

その正体は、これらの人々はいずれもファシズムを形作るピースに過ぎないことである。裁判所も電力会社も自公政権は言うに及ばず、エセ野党も、マスコミも、自称リベラル・左翼の知識人のほとんど、そしてしばき隊・カウンター・在特会をはじめとした右翼団体、あるいは過度のSNS依存者はすべて、この時代の権力により直接・間接に役割分担をになわされた、あるいは無自覚なファシズムへの貢献者なのである。

その証左は「M君リンチ事件」でついぞ後追い報道がなく、数名の著名学者やジャーナリストが賛同の声を上げてくださったものの、見事に社会が「黙殺」を決め込もうとしたことである。われわれは個別事件として「M君リンチ事件」追おう中で、奇しくも時代の本質に突き当たったのだ。

ファシズムは鹿砦社にとって敵である。またファシストにとって鹿砦社は目障りに違いない。しばき隊関係の係争は続く。裁判所が「ファシズムの出先機関」であるとわかっていても、現行法下民事訴訟は裁判所に持ち込むほかないのだから。

報告集会後支援会メンバーが協議し、上告を決定した。大きな期待は持てないかもしれないが、1%の可能性がある限り最後まで闘い抜くことをM君はじめ全員一致で決定した。ファシズムに彩られた裁判所の中での判断だけで、われわれは一喜一憂しない。時代の基軸がそこにあろうがなかろうが、われわれは自らが信じる価値観に照らし、ことの真偽、正邪を判断する。取材班はM君控訴審判決を機に、この時代の底流がファシズムであることを確認し、それに対すべく闘いを構築することを宣言する。「反差別」に名を借りたファシストへの「最後のトドメ」はわれわれが刺す! それは決して法廷内だけではない。

なお、18日の判決で伊藤大介が反訴原告として控訴していた訴えは棄却された。つまりM君が目標としていた勝利ラインには届かなかったが、賠償金の増額も踏まえ考えるならば、原告M君は一審以上に勝訴したのであり、被告側にとっては勝訴では決してないことを付言しておく。負けた部分はひた隠しにし、「勝った、勝った」と狂喜する者たちよ、「弾は、まだ残っとるぞ」と警告しておく。

(鹿砦社特別取材班)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!


9年前、死刑囚の立場を「究極の修行」と言っていた井上嘉浩の死に想う

あの衝撃から3カ月が過ぎてもなお、オウム真理教の教祖・麻原彰晃とその信者の死刑囚たちの同時大量処刑はまだチラホラとマスコミの話題になり続けている。実を言うと、私個人もこの一件については、他の多くの死刑執行のニュースとは違う受け止め方をせざるをえなかった。

処刑された信者の中に1人、面会したことがある人物がいたからだ。このほど両親が再審請求することが報道された井上嘉浩(享年48)である。

私が井上と東京拘置所で面会したのは2009年12月のことだった。地下鉄サリン事件で「現場指揮役」を務めたとされる井上は、少し前に最高裁に上告を棄却されており、この時点で死刑が事実上確定していた。

そんな時期に私が井上の面会に訪ねたのは、井上を支援している知人の男性A氏に「井上と面会するから一緒に行こう」と誘われたためだった。私はそれ以前、オウム真理教にも井上個人にも特別な興味は抱いていなかったが、せっかく誘ってもらったので、物見遊山の気分で面会に同行したのだった。

井上が収容されていた東京拘置所

◆面会室では、ニコニコして愛嬌があった

その日、井上は面会室に上下共にエンジのジョージ姿で現れた。テレビなどで見ていた井上は寡黙で、気難しそうな人物という印象だったが、面会室ではニコニコして、愛嬌があった。当時すでに40歳近かったが、まだ青年の面影を残していた。

この時に印象的だったのは、井上がA氏に発したこんな言葉だった。

「私は今の状況(死刑が事実上確定)について、究極の修行をさせてもらっていると思っているんですよ」

教団内で「修行の天才」と呼ばれていた井上らしい言葉だが、やはり死刑は怖いのだろうな・・・と思ったものだった。

また、井上はこの数日前、ノンフョクション作家の門田隆将氏と面会していたそうなのだが、そのことをA氏に怒られ、反論し切れずに困ったように苦笑いしている様子も印象的だった。A氏としては、「マスコミの人間と会っても良いことは無い」と考え、井上をとがめていたようだが、井上は門田氏と会うことに何らかの目的や狙いがあったのではないかな・・・と私は内心、考えていた。

その5年後の2014年、井上がオウムでの経験や裁判での主張を綴った手記が門田氏の解説付きで「文藝春秋」同年2月号に掲載されているのを見た時には、私は「ああ、やっぱり」と思ったものだった。

文藝春秋2014年2月号に掲載された井上の手記

◆「オウムで損なことばかりやらされていた」

報道によると、井上は確定死刑判決に事実誤認があると主張しており、死刑執行の4カ月前にあたる今年3月に再審請求を行っていたという。しかし実際には、私が面会した時点で再審請求するのを決めていたようで、面会中もA氏に対して「再審請求は焦ってないんですよ」と言っていた。焦っていないにしても、今年3月まで8年以上も再審請求していなかったのは不思議である。

いずにせよ、両親が再審請求することからは、井上が生前、両親に対しても事実誤認を強く訴えていたことが窺える。

井上は、私の職業がライターだと知っていたようで、「せっかくですから、あなたも私に質問したいことがあれば、してください」と言ってくれたが、私は正直、とくに聞きたいことは無かった。そう告げると、「では、あなたのためになる話を何かしたいと思います」と言って、「周囲の人の言うことをよく聞いてくださいね」というような話をしてくれた。正直、あまり頭に入ってこなかったが、井上の生真面目さが窺えた。

A氏によると、「井上はオウムで損なことばかりやらされていたんですよ」とのことだった。今思うと、それゆえに井上は地下鉄サリン事件で重要な役割を任せられ、その結果として死刑囚になってしまったのかもしれない。

処刑台に上がり、首に縄をかけられている時にも井上は、「これは究極の修行だ」と思っていたのだろうか。一度会ったことがある人物なだけに、処刑される直前の井上の心中を想像すると、私は胸が苦しくなるのである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
衝撃満載『紙の爆弾』11月号!公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他

カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは?「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎総裁に聞く!〈3〉

「やや日刊カルト新聞」の「総裁」にして、業界ではカルト問題取材では、超有名人である藤倉善郎さんにお話を伺った。直接的にはオウム真理教関連集会での香山リカ氏による、取材妨害が話題になったことがきっかけであったが、「カルト」や「表現の自由」についての最新の情報をお伝えいただけた。カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは? 前回に続き第3回を公開する(全4回)。

 
『カウンターと暴力の病理』グラビアより

◆リンチで一線を超えた

── カルト性の濃淡で言えば(しばき隊は)かなり濃いところに位置しているということですね。

藤倉 外向けだけであれば、僕はそこまでは言わなかったんです。たとえばレイシストの側だってかなり攻撃的な奴ら、粗暴な奴らだったりするわけですね。そいつらとのやりあいの中で過激化していくのは、たとえば幸福の科学が過激な取材妨害をすれば、こっちだってオラオラってなるわけで、そこは差っ引いて見なきゃいけないとは思っていました。
 でもリンチまで行ってしまうと一線を超えましたよね。あれが起こったことで、濃淡のかなり濃い方に入ったんじゃないかと思います。左翼の組織にもみられますが、組織防衛上のカルト性はどうにも治らないんですよ。
 それ以外の部分ではカルト的ではない団体であっても。組織を守らなければいけない時にどこまでやっていいのか。組織を守るためだって、「ここは改めなきゃダメだろう」という判断だってできるようには基本的にはならない。言っても多分わからない、「そんなことをしたら運動が出来なくなる」と本人の中で正当化してしまうわけですから。

◆「ヘイトスピーチ規制」と称して、表現規制を強いる人たち

 
2018年9月15日付け「やや日刊カルト新聞」より

── 関係者に取材すると「どうして運動に分断を持ち込むことに興味を持つんだ?」、「なぜレイシストが喜ぶようなことを取材するんだ?」と複数のジャーナリストや知識人から異口同音に言われました。

藤倉 でも、そこをちゃんとしないと運動が欺瞞になってしまうんですよね。とくに人権に関する運動ならなおのことですね。自分たちが人権を侵害する側に回る場面は、1回たりともあってはいけないと思います。間違ってやっちゃうのは仕方ないけれども、やってしまった時にははちゃんと筋を通すことをやっていかないと。単に人権を口実にして右翼を叩きたいんでしょという話になってしまう。そう言われたときに、なんの反論もできないですよね。
 僕が今怖いのはヘイトスピーチ規制と称して、表現規制を有田芳生議員などがやらせようとしているんです。有田議員は欧州に倣った基準を日本で作れと主張しています。でも欧州はナチスのトラウマがあるので、完全に表現の自由とか思想の自由を無視してナチっぽいものには自由や人権を与えません。歴史修正的な発言をするとその発言自体が犯罪になります。SNSについても「ヘイトスピーチ」だと通報があれば24時間以内に削除しないと、SNSの運営会社が巨額な罰金を払わないといけない。24時間でとなると「藤倉による批判はヘイトスピーチだ」と通報したら、24時間でどちらが正しいかなど判断できるはずはないので、批判言論を潰したい側のやりたい放題になることは分かりきっていることです。
 それをやられるとヘイトスピーチの巻き添えが大量に発生するんです。そういう規制をやれと有田議員は主張していますが、大きな動きになってくるとまずいと思います。有田議員はやしばき隊の人たちも気が付いていないのは、あのような法律で規制されるのはレイシストだけだと思い込んでいるんですね。実際にはそんなことはない。
 東京都の迷惑防止条例が改正されてだいぶ厳しくなりました。一般市民のデモも規制できるような条文になってしまったので、非常にまずいんです。これは左翼の人たちが怒りました。ネトウヨたちが「ザマーみろ」と言いましたが、右翼のデモも左翼のデモもいくらでも規制できるわけです。結局規制される法律は「どちらも規制される」ということをわかっていない。従来の左翼運動などには、そういう部分の見定めをやっていた積み重ねがあったと思います。理論武装的な話です。でも新興の運動ではそういう基盤のない人達が上の方にのっかってきているのがよくないと思います。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

── 旧来の左翼は国家権力に警戒心を持っていた。間違いもたくさんあったでしょうが、それを前提に色々考えていたと思います。しばき隊をリベラル・左翼と呼ぶ人がいますが、それは違うんじゃないかと思います。ごく基本的なことですが先ほどのお話であったように「人権を守る運動が人権を蹂躙したら存在意義がなくなる」とか「権力は必ず不都合なことは、それ自身ではなく別のところから弾圧をはじめる」のはいわば歴史的事実がありますね。

藤倉 その中でも迷惑防止条例やヘイトスピーチ関連の法律は、かなり直接的な内容だと思います。特定秘密保護法でフリーのジャーナリストがモノを書けなくなる状態はないんです。得られるべき情報が得られなくはなりますが。自分が考えていることが表現できなくなるわけではない。ヘイトスピーチ関連の規制は、誰かが「ヘイトスピーチだ」と言えば、消されてしまうんですよね。神奈川県の条例も「ヘイトスピーチ団体認定」を受けたらもう集会もさせてもらえない。昔の共産党とかだったら、大騒ぎして反対していた管理社会・警察国家への歩みを着々と歩んでるだけだと思います。

 
藤倉善郎(ふじくら・よしろう)さん/1974年、東京生まれ。北海道大学在学中に北海道大学新聞会で自己啓発セミナー問題についてのルポを連載。中退後、2004年からフリーライター。日刊ゲンダイなどで記者活動を行なう傍ら、自己啓発セミナー、宗教、スピリチュアルの問題、チベット問題、原発事故等も取材。2009年ニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(所属記者9名)を創刊し、現在同紙の「被告人兼総裁」。2012年に週刊新潮で幸福の科学学園の実態に関するルポを執筆し1億円の損害賠償を求めて提訴されるも完全勝訴。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社)

◆「民-民」の表現規制への危機感

── 東京五輪に目が向いている間に規制立法、規制条例を矢継ぎ早に進めようとしているのでしょうか。

藤倉 しばき隊との絡みで怖いのが、いわゆるしばき隊と呼ばれる陣営に立つ人たちは、直接人種差別をしていない人に対しても、自分たちが批判されると「お前レイシストだ」と決めつけがちな点です。差別の中には人種差別だけではなく宗教による差別もありますから、宗教についての批判が差別だとされると、有害なものにつての批判が出来なくなる。実際僕を訴えてきた裁判の中で、幸福の科学が「藤倉が書いた記事はヘイトスピーチだ」と主張した裁判がありました。ただその時点ではヘイトスピーチ規制法もなかったので、裁判所も相手にせず判決文にですら無視されていましたが、実際に幸福の科学がヘイトスピーチという主張を裁判所でやったというケースが既に出ていること。
 それから有田議員の主張するネット規制は、警察が直接摘発するのではない、というとこが怖いんです。SNSに関しては、民間業者を萎縮させることでヘイトスピーチを無くそうとする仕組みなのです。そうしたら「クレームが来たら取り敢えず消しとけ」という社会になります。かつて表現の自由は、官憲との間の話だったのですが、「民-民」の表現規制の構図が既に作られているんです。たぶんそこが分かっていない人たちが、表現の自由の重視する人の中にもいるんですよ。しばき隊にネットリンチされると表現の自由の危機を感じるけれども、民間の業者がルールと称してやっている変なことへの危機感がない人がいます。繰り返し口に出していかないと、いざとなった時、みんな理解できないのではないかと思います。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

◎カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは?「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎総裁に聞く!(全4回)
〈1〉2018年10月11日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27899
〈2〉2018年10月16日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27942
〈3〉2018年10月18日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27952
〈4〉近日公開

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