愛国者たちはなぜ「対米売国」血脈の安倍政権にNOと言えないのか?

「お盆休戦」が明け「戦争推進法案」の参議院での審議が再開された。その中でこの法案群だけでなく、米国による日本支配の本質を看破した質問が行われた。質問者は山本太郎議員。8月19日の参議院特別委員会で岸田外相、中谷防衛相を相手に、「TPP、特定秘密保護法、武器輸出三原則の廃止、集団的自衛権発動、原発再稼働」の全てが「アーミテージ・ナイ・レポート」によるものである事を指摘し、「これだけ宗主国様に尽くしておいて、盗聴までされて、それが他の国々で共有されていて、間抜けとしか言いようがない。いつまで没落ま近な大国のコバンザメを続けるのかっていうことですよ、いつ植民地を止めるんだ、と言う話ですよ!」と言い放った。


◎[参考動画]2015年8月19日参議院安保法制特別委員会での山本太郎参院議員による一般質疑【午前と午後=約31分】

山本太郎「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表(2015年8月19日参議院)

私は国家を信用しない。あらゆる国家を信用しない。「もっとも幸いな場合でも国家は災いである」という先人の言葉に長年共感を抱く人間だ。だから「理想の国家」はおろか「よりましな国家」にすら期待はしていない。でも私が移住でもしなければ、死ぬまで暮らす事になるこの島国を支配する「国家」は、完全な「思考停止」に陥っている。「もっとも幸いな場合」の真逆、「もっとも不幸かつ無能な国家」により、災禍を強いられ、更には戦争まで強要されようとしている。

◎[参考資料]「今回の安保法案は、第3次アーミテージ・ナイ・レポートの完コピだ!」2015年08月20日(山本太郎HPより)

自民党や維新の連中は「自主憲法」を制定し、「普通の国」になって、核兵器を持ち国連安保理入りをしたかったんじゃなかったのか。日の丸を振って、天皇陛下万歳で時代錯誤な「富国強兵」を再度夢見ていたんじゃないのか。アジアを蔑視して、中国・朝鮮を仮想敵国に仕立て上げ、隙あらばまたぞろ「祖国防衛」を錦の御旗に100年前の繰り返し、「侵略戦争」がしたかったんじゃないのか。

しかし、私が想像する政権与党の腹の中とは裏腹に、彼らは完全に米国の「奴隷」としてのみ国民を騙し、その財産資産、安全までを差し出していることをこの答弁は余すことなく暴いている。与党席からのヤジは皆無だ。何故か?指摘されている事柄が事実ばかりだからだ。

このような「無思考植民地状態」を強化しようとする政権に、保守や右翼と言う立場の方々は怒りを覚えないのだろうか。実は私にとって政治や、国家などはどうでもよい。本音を語れば考えたくもない対象だ。でも「国を愛する」人々にはそういうわけにはいかないだろう。「売国奴」という言葉がある。嫌いな言葉の一つだが、「アメリカの要請」を安全保障(戦争推進)法案が必要になった理由の1つとして答弁を続ける安倍をはじめとした岸田や中谷の頭の中はどうなっているのだ。こいつら以上の「売国奴」がいるだろうか。

◎[参考資料]「政府が集団的自衛権行使容認のよりどころとする砂川判決こそ、米国からの指示だった!」2015年08月20日(山本太郎HPより)

◆安倍一族が受け継ぐ「米国の間諜」という血脈

安倍の祖父、岸信介は満州国で辣腕を振るい、対米戦争時にも重要な役割果たした、商工大臣であったことは良く知られている。岸は学生時代にはマルクスにも目を通していたらしいが、今ある思い付きがふと頭をよぎった。

この一族は代々「間諜(かんちょう)」ではないのか。

間諜というのは解りやすく言えば「スパイ」だ。諜報機関の優れたスパイはどのような組織にも入り込み、その中で指導的な役割まで果たしてゆく。革命や政変が起これば、元所属していた諜報機関を見切ってでも、潜りこんでいる組織の中で生き延び、また新たな間諜としての役割を帯びる。あのロシア革命だって帝政ロシアのスパイがそのまま革命を乗り切り生涯を全うしているじゃないか。

岸=安倍ラインは100年来米国のスパイではないのか。そう考えると連中の行動が全て綺麗に整理して並べることが出来る。

◆建国以来、他国を侵略し、富を奪い続ける米国

米国というのはその時の政権が打ち出す政策を「額面通り」に受け取ってはいけないややこしい性質を持つ。この文章の最初に登場した「アーミテージ」は共和党政権時代の国務長官だが、民主党オバマ政権下でも実力は変わらない。「人権外交」と言う耳触りの良い政策を掲げたジミー・カーターやニクソン政権時代に国務長官を勤め、ベトナム戦争時代から暗躍を続けるヘンリー・キッシンジャーが未だに政権に影響力を持つ、魑魅魍魎の溢れる国だ。大統領がオバマあろうが、ブッシュであろうが、ケネディーであろうが、実は大きな意味はなく彼らは単なる「象徴」に過ぎない。

多国籍企業との結託により、確立された利権、それも時には戦争すら引き起こすほどの財力と政治力が絡み合い暗闘と妥協を続けているのが米国政治の実態だ。4年に一度行われる大統領選挙は、壮大な「お祭り」であって、政策の本質的な転換や米国の「覇権主義破棄」を標榜する候補者など間違っても大統領に就任できないシステムだ。

米国は建国以来常に国内外で侵略を続けることにより国力を維持し強化を図ってきた国だ。僅か200年余りの歴史の中で「侵略して奪い儲け」ないと国が立ち行かない形を作り上げてしまった。

要するに「泥棒国家」なのだ。

「泥棒」という行為はどの国家にも通底する性質ではあるが、特にその色が濃く、それを除けばあとはハリウッドのエンターテインメント位しか残る物はない、というのが米国の本質だと私は考える。

そんな米国への追従はもう十分に果たしていると思うが、まだ足らないらしい。
「間諜」一族の暗躍はどこまで続くのだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎フジサンケイ「育鵬社」公民・歴史教科書の採択拡大で子供の臣民化がはじまる
◎決起する若者たち──8月27日、4人の学生が安倍退陣を求めてハンスト闘争へ!
◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心

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フジサンケイ「育鵬社」公民・歴史教科書の採択拡大で子供の臣民化がはじまる

「育鵬社」と目にしてもこの会社の性質をすぐに理解出来る人は少ないだろう。一方「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)という名前はある程度の年齢の方なら耳にしたことがあるのではないだろうか。「つくる会」は1996年に藤岡信勝や西尾幹二が中心となり結成された「自虐史観を見直す」教科書を広めることを目的とした団体だった。西部邁、小林よしのりや大月隆寛なども名を列ね「歴史改竄」の一大運動として様々な出版物を発行した。

当時書店に行けば「つくる会」による「教科書が教えない歴史」や西尾の「国民の歴史」が平積みにされており「これはヤバイ時代になったぞ」と嫌な気分を感じた事を思い出す。

◆「つくる会」とフジサンケイ「育鵬社」の対立

「つくる会」は念願の歴史と公民の教科書を作成し2001年に文科省の検定にも合格し「新しい歴史教科書」と「新しい公民教科書」が誕生した。しかし派手なパフォーマンスと関連書籍の売れ行きの割には教育現場での採択が進まず1%にも満たなかったため、「つくる会」を全面バックアップしていたフジ・サンケイグループは独自に「育鵬社」という新たな出版社を立ち上げそこから「新しい日本の歴史」、「新しいみんなの公民」を出版し始める。

「つくる会」内部では発足当初より彼らが口汚く罵る「左翼の内ゲバ」以上の「内紛」続きで立ち上げメンバーの西尾幹二をはじめ、小林よしのり、西部邁ら多数が途中で会を離脱した。また会長職を巡っての紛争が絶えることなく離脱者が後を絶たなかった。そんな内部事情に直面し「こりゃアカンわ」とフジ・サンケイグループは判断したのだろうか「育鵬社」から実質的には「つくる会」が作成した「新しい歴史教科書」、「新しい公民教科書」とほぼ同じ内容で「新しい日本の歴史」、「新しいみんなの公民」を世に出した。

でも「つくる会」としては面白いはずがない。「著作権は『つくる会』にあり」と「育鵬社」との間で何度か折衝がもたれたものの「育鵬社」は折れなかった。

「つくる会」のHPには「育鵬社盗作問題の交渉及び全経過」というタグがあり両者がどのように交渉を行ってきたが細かく紹介されている。

その冒頭で〈「つくる会」は昨年10月以来、育鵬社による大規模な著作権侵害問題を、話し合いで解決すべく、先方との書簡のやりとりと3回の正式交渉を行ってきました。しかし、その努力の甲斐もなく、先方は「つくる会」の善意に基づく全ての提案を拒否し、交渉は決裂いたしました。従って、問題の解決は基本的には司法の手にゆだねられることになりました。〉と両者が決裂したことを認めている。

◆国家や地域社会のために生徒がどのように「ご奉公」するかを教える教科書

育鵬社「中学 新しいみんなの公民」

まあそのへんは勝手にやってくれというところだが、問題は「育鵬社」の歴史、公民の教科書の採択がどんどん進行していることだ。「つくる会」も未だに教科書を発行しているが、こちらの方は相変わらず低迷している。しかし「つくる会」にせよ「育鵬社」にせよ書かれている内容には大差ない。「育鵬社」は歴史教科書の特徴として「わが国の歴史の大きな流れを、世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて理解させ、わが国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てます」と書いている通り、この教科書は「皇国史観」を基に構成されている。この猛暑の中いちいち問題点を指摘していると確実に熱中症で倒れる代物だ。公民教科書も同様に「持続可能な社会をつくるために、家族、地域社会、国家、国際社会の中の自分として、集団の中でどのような役割を担えるのかを考えられます」と「個人」ではなく国家や地域社会のために生徒がどのように「ご奉公」するかを教える内容だ。

「つくる会」、「育鵬社」の教科書は東京都杉並区などがいち早く採択し、大問題になったが、来年度からは都立の中高一貫校での採択も決まった(「『つくる会』系教科書採択 都教委、中高一貫など32校」2015年7月23日付朝日新聞)。また大阪府でも四條畷市、河内長野市が、神奈川では藤沢市が採択を決めている。さらに8月には大阪市でも育鵬社教科書の採択が決まってしまった(「大阪市教委、育鵬社の歴史教科書採択 来春から使用」2015年8月5日付朝日新聞)。かねてよりこの教科書を応援していた橋下の念願成就。関西ファシズムは学校によって更に邁進させられる。

◆偏向教科書採択による「皇民化」政策

自民党「〈中学教科書7社の比較調査〉新教育基本法が示す愛国心道徳心を育む教科書を子供たちへ」

教育界への国家の介入は怒涛の勢いだ。下は幼稚園から上は大学まであらゆる教育機関に管理の強化と末端の教員の裁量剥奪、そして教育指導要領や偏向教科書採択による「皇民化」政策がなだれ込んでいる。そしてそれは明確に自民党や教育再生会議、文科省の意図に沿うものだ。自民党は「〈中学教科書7社の比較調査〉新教育基本法が示す愛国心道徳心を育む教科書を子供たちへ」(義家弘介衆議院議員のHP内のPDF=現在文部科学委員会筆頭理事・地方創生特別委員会委員)と銘打ったパンフレットを作成しており、その中で「育鵬社」「教育出版社」「清水書院」「自由社」「帝国書院」「東京書籍」「日本文教出版社」の7社を取り上げ、

・我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を前提に、国際社会に生きる観点から記述されているか
・古事記・日本書紀など神話・伝承を通して、当時の人々の信仰やものの見方に気付かせる
・国旗国歌の尊重について具体的場面を例示しているか
・自衛隊と日米安保が果たしている役割は記述されているか

等の項目を挙げ、数値化して各社教科書の内容を評価している。そしてどの項目でも「育鵬社」は満点を得ている。同様に満点を得ているのは「つくる会」教科書を出している「自由社」だけだ。

「つくる会」が教科書を作成する過程で「歴史の専門家」がほとんど関わっていないことが問題視された。史実を知らずしかし歴史については「一家言」を持った「歴史改竄主義者」がたむろして作成されたのが「つくる会」(自由社)の歴史教科書だったわけで、史実を知らずに個人の思い込みや思想で無責任に歴史教科書を作ろうとしたので、当然のごとく「内紛」が勃発し、会の発足当時から名を連ねていた連中がどんどん離散してゆくことになった。

思想運動ではなく義務教育で行われる授業の教材をこのような「無責任」な連中が記述した教科書に任せてはならない。「育鵬社」「自由社」の教科書執筆陣はこの極端なまでに偏向した教科書で学んだ生徒が将来不利益を被っても、その責任を取ることなどあり得ない。生徒の多数はやがて大学受験を経験するだろうが、センター試験はともかく、私立大学の日本史の試験ではこれらの教科書で教えられている内容が回答としては「不正解」に該当する事が起こりうる。また海外留学を考えた際に論述式の歴史問題が出題され「育鵬社」「自由社」の教科書に忠実な記述をすれば、多くの国で「不合格」とされるだろう。

戦争推進法案審議の中で安倍はしきりに「絶対」「断じて」を連発するようになっている。官僚が書いた答弁書を読む時はそうでもないが、紙を見ないで答弁する時には同じ言葉を繰り返したり、どう考えても論理矛盾でしかない回答を繰り返すことが極めて多い。そんな時に「絶対」「断じて」を連発する。人間の行動に「絶対」なものなどあるわけがないという基礎的な行動学がこの男にはわかっていない。戦争推進法案で「日本は益々平和になる」と安倍は言う。馬鹿かおまえは。

戦争を一刻も早く引き起こそうとする安倍は戦争の惨禍に国民が巻き込まれ嘆いた時にそれこそ「絶対」に反省や謝罪、ましてや責任を取ることなどない。こんな連中が採択を推し進める教科書など「戦争準備の道具」と同義だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「不逮捕特権」を持つ国会議員は「体を張って」安保法案を阻止できる!
◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

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決起する若者たち──8月27日、4人の学生が安倍退陣を求めてハンスト闘争へ!

「お盆休戦」とも言われる凪(なぎ)状態の「戦争推進法案」審議が間もなく再開するだろう。それを見越して8月14日「安倍談話」が発表された。

内容は「空疎」の一言に尽きる。「反省」や「侵略」を言葉として盛り込んではいるが主語がない。「戦争推進法案」への反対が高まる中、これ以上の反対世論盛り上がりを何より警戒したのだろう。安倍は敢えて本音は封印した。だが、こんなちゃちな「言葉遊び」に騙されてはならない。15日には私費とはいえ玉串料を靖国参拝に納めた姑息な行動、そして「お盆休戦」後に国会審議で語られる言葉こそが安倍の本音だ。

反対運動の盛り上がりも勢いを増している。これまで街頭行動で姿が少なかった若者もついに街へ足を運びだした。その中で学生による注目すべき「抗議行動」が予定されている情報を得た。以下やや長いが、その「声明文」全文を引用する。

安保関連法案制定を阻止し、安倍政権を打倒するための学生ハンスト実行委員会

声明文

私たち「安保関連法案制定を阻止し、安倍政権を打倒するための学生ハンスト実行委員会」は、安全保障関連法案の審議即時停止と安倍政権退陣を求めて、8月27日より無期限ハンガーストライキを開始することをここに宣言します。
安全保障関連法案(以下、安保法案)は多数の批判と抗議を押し切って7月16日に衆議院を通過し、現在参議院で審議中です。憲法上のいわゆる「60日ルール」を含めても今国会での法案の成立は確実と言われています。

安保法案で法制化される集団的自衛権はアメリカなどの同盟国が主導する軍事行動に日本が直接参加することを許すもので、「戦争法案」としての本質は明らかです。戦後日本はアメリカと日米安保という実質的な軍事同盟を結び、東アジアにおける軍事的緊張関係の一端を担ってきましたが、安保法案の制定がかかる緊張をエスカレートさせる危険は目に見えており、先の大戦への反省を無視した愚かな行為です。またこの法案は国内の多くの憲法学者が指摘するように明白な違憲立法であり、法学上のクーデターというべきものです。まさしく安保法案は世界の民衆を分断し戦争を準備する、本来的に民衆に敵対する法律です。一切の正当性もなく、拒絶する以外にはありません。

では法案成立を阻止し、戦争を止めるために私たちは何をするべきなのでしょうか。
私たちは自らの生活に代えてでも安倍政権の戦争準備を拒否し、世界中のあらゆる戦争に加担することを拒否するという姿勢を直接行動によって示していくべきだと考えます。現在の沖縄・辺野古での反基地運動が、自らの平和を希求すると共に、基地を通じて世界の民衆が殺害されていくことを実力で拒否しているのと同様に。
私たちによるハンガーストライキは、戦争によって犠牲になりうるあらゆる人々と協力し、戦争への動員・協力を共に拒否するよう呼びかける直接行動の一過程です。そのために私たちは生命をかける覚悟でたたかいます。安保法案審議停止・安倍政権退陣に向けて共に行動しましょう!

【呼びかけ人】(ハンスト実行者は井田、元木、嶋根、木本の4名)

井田敬(上智大学2年) 元木大介(専修大学4年) 嶋根健二(専修大学4年)
木本将太郎(早稲田大学1年) 安井遼太郎(慶應大学3年) 土田元哉(慶應大学2年)
梶原康生(専修大学3年) 手塚(東京福祉大学) 坂田圭太(立正大学3年)
徳山陽一(都立産技高専5年) 匿名希望(高校2年)

本名を明かし、堂々と「無期限ハンスト」を行うというこの学生達に私は最大級の賞賛と連帯の意を表明する。彼らはいかなる「運動体」にも属さない個人の集まりだ。原発事故以降、多人数を集めるようになった運動の主催者の中には、参加者にあれこれ細かい「規制」を設けて、彼らの言う「一般人」以外を排除する団体がいくつか見られる。

◆「決起」の方法は幾らでもある

集会やデモ参加者の数がいくら増そうとも、その「質」が高まらなければ敵にとって脅威とはなりえない。この場合の「質」とは抗議対象への冷徹かつ非妥協な「怒り」の高まりであり、それに相応しい「行動」を意味する。したがって運動の継続性は勿論重要ではあるけれども、それと同時に参加者の意識の高まりと、多彩な参加者を受け入れることがまず前提として必要だ。まかり間違っても特定の団体や個人を名指しして「排除」するような運動方針が採用されてはならない。「排除の論理」は敵=国家権力にのみ向けられるべきであって、参加者への「排除」意思表明は運動体自体が硬直化、党派化してゆくことだと主催者は気が付かねばならない。「排除の論理」が破綻と敗北しか招かないことは、過去の歴史が余すところなく証明している。

そのような問題も散見される中、この猛暑の中、学生達がハンストに決起する。この行動は新鮮な問題提起と、政府に対しても無視のできない激烈な行動になることは間違いない。

1000人の指揮された統一行動よりも、一人の「個の意思」に立脚した決意が状況を切り開くことを私は経験として知っている。「安保関連法案制定を阻止し、安倍政権を打倒するための学生ハンスト実行委員会」を私は直接知らないし取材もしていない。この「声明文」を読むだけで彼らの「腹の括り方」が伝わって来る。

街頭行動へ既に参加されている皆さんが彼らを応援し、またそれぞれの方法で「行動」を展開されることを切に希望する。「決起」の方法は幾らでもある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「不逮捕特権」を持つ国会議員は「体を張って」安保法案を阻止できる!
◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
◎「目が覚めた」人たち──抗議行動はいろんなカタチがあっていい

 

 

世代、地域を超えた脱原発雑誌『NO NUKES voice』!第5号は8月25日発売開始!

政治家の無知を世界中にさらす? 国会のPKO派遣法論議

8月11日、共産党の小池晃政議員が平和安全法制特別委員会で、自衛隊統合幕僚監部がスーダンへの追加派遣決定前に部隊配置などの資料を作成していたと指摘、「国会を無視した行動だ」と批判した。さらに中谷防衛大臣も「資料の有無を確認する」などと明確な返答を避け、委員会は中断した。共産党からデータが出たからには、中国共産党が関与しているとの噂もある。「国会の審議中に法案の内容を先取りするようなことは、控えなければならないと考えている」(中谷元防衛相)「南スーダンPKOを年明けから今度の法制に基づく運用するって書いてある。こんな検討をしているということが許されるんですか」(共産党・小池晃参院議員)「防衛省としては、法案の内容を十分に分析研究しつつ、隊員によく 理解してもらうといううえでの検討だと認識しています」(中谷元防衛相) などなど白熱している。

議論はいまも続き、右派左派ともに「首相は自衛隊を把握できていない」などと論を繰り広げているが、当の自衛隊は政府の、法案に対する無理解に頭をかかえているだろう。


◎[参考動画]2015.8.11参院安保法制特別委員会での小池晃議員(日本共産党)の質問(約16分)

◎[参考資料]小池議員が提出した「自衛隊統合幕僚監部資料」より(日本共産党HP内PDF)

自衛隊の目的は「有事」の際の対応であり、事前に想定して準備しておかないと本番で隊行動の遅れが生じる。この「有事」がたとえば「ブラジルへ派兵する」などのようにまず生じないであろうものを省き、できるだけ多く(国難に陥ることも含めて)想定と対策を練って「想定外」のことが起きないようにする。そして、本当に何か起こった場合に事前検討データを元に作戦を実行する。もっとも、なかなか「想定外」をなくすのは難しく、昨年7月、自衛隊が韓国軍に銃弾を貸して問題となったのもスーダンだ。自衛隊も、韓国軍も国際世論までは考えつかなかったらしい。

国会で検討されている以上、自衛隊ではスーダン追加派遣は「起こりうる可能性が高い」と判断する。国会で決まれば、自衛隊では国内のどの部隊を派遣するか、輸送方法も海自が担当するのか、空自になるのか、大量の内部調整が必要になる。スーダン第一次派遣では自衛隊はロシア機をチャーターしている。外国政府との胃がきしむような折衝も必要なのだ。法案が通過してから検討していてはロスが生じる。もちろん、自衛隊では「PKO法案が破棄された」想定での検討も行っているはずだ。自衛隊が通常業務を普通に行っていたら、共産党が鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる。そもそも兵力の展開予定は国家機密である。防衛大臣も「機密だから答えられない」と、当たり前のことを返せば済むのに、自衛隊の出動条件については、答えを濁している。

たとえば、外務省のHPには、こうある。

国連PKOの基本三原則

国連PKOの活動は,失敗や挫折を経ながらも,現在は基本三原則を順守して行われています。一つ目の原則は「主要な紛争当事者の受入れ同意」です。これは,国連PKO自体が紛争当事者となってしまう事態を避けるためのものです。二つ目の原則は「不偏性」です。これは単に国連PKOが中立の立場を貫くということではなく,国連PKOは特定の紛争当事者を優遇することも,差別することもなく,その任務を実施しなければならない,ということを表したものです。文民に危害を加える紛争当事者がいれば,国連PKOは見て見ぬふりをせず,文民を保護する任務を全うしなければなりません。三つ目の原則は「自衛及び任務の防衛以外の実力の不行使」です。国連PKOにおける実力行使は,他の手段が尽くされた場合の最終手段であり,かつ国連が定める武器使用基準に従って自衛や任務遂行のために必要最低限の範囲で行われます。ここでの実力の行使は,国連憲章第2条4で禁止されている「武力の行使」には当たらないとされています。(外務省ホームページより

そう、PKOは原則的に「武力行使」にはあたらないのだ。なぜ論戦でそうしたコメントが出ないのか不思議だ。

もっといえば「なぜスーダンに自衛隊が行くのか」の議論も欠落している。防衛省のホームページにはこうある

Q3.南スーダンへ自衛隊を派遣することの意義は何ですか。

A3. 南スーダンは、長年の南北スーダン間の内戦と、和平合意の履行を経てようやく2011(平成23)年7月に独立を果たしました。しかしながら独立から3年半経過した今、国内における政治的混乱の解決が南スーダンの国造りの大きな課題となっています。豊富な資源を有する同国の平和と安定は、アフリカ全体ひいては国際社会の平和と安定のため重要であり、国際社会全体が協力して取り組む必要があります。

我が国は、国際社会の責任ある一員として、主要国と協調して、南スーダンの平和と安定に積極的に関与すべきであり、特に、UNMISSの下、施設作業などの得意分野において行う人的貢献は、国連の期待に応えながら南スーダンの平和と安定に貢献するとの観点から、大きな意義を有しています。諸外国などに自衛隊の能力を示す機会にもなり、我が国に対する信頼向上にも資するものです。(防衛省のホームページより

この騒動は海外在住の、特に軍事関係者に日本の政治家が「自国内での自衛隊の通常業務を知らない」そして「PKOについて知らない」さらには「スーダンで何が起きているか知らない」という三重のバカさ加減を世界中に知らしめることとなるだろう。政治が大きく劣化し始めたのだ。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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2016年逝きし世の日本へ──2024年8月15日に記された日系難民家族の回想記

HIROSHIMA1945 - FUKUSHIMA2011

「いいかい遥(はるか)、さっきの質問は二度と人前でしちゃいけないよ。私達は色んな危険に囲まれているんだ。遥ももう少し大きくなれば解るだろう。だから解らないことは誰もいないところで父さんに小声で話しなさい」
私が娘にそう諭すと遥は「うん、わかった」と素直に忠告を受け入れた。

遥の質問はこうだった。
「ねえねえお父さん。なんで私達は日本語を知っているの? 友達と話すときはいつもスペイン語なのに家に帰るとどうして日本語なの? 日本ってもうないんでしょ? だれも住めなくなったって学校で教わったけど……」

遥は買い物客で賑わうエスペラント通りの市場の中で突然私に日本語で問いかけてきた。
「黙りなさい。スペイン語で話すんだ」と私は遥の耳元で呟いた。10歳の娘に私達が住んでいた国の話をする事は親の義務のようにも感じるが、難民として制限の多い生活をしている立場を理解するのに若すぎる。いずれ物事が分かるような年齢に達したら全てを話そうと思う。妻もそれに対して異論はないようだ。

◆2016年「JAPAN CHAOS」──悪夢の連鎖が始まった

KAGOSHIMA2016

2016年、山口県の岩国基地に配備されていたオスプレイが鹿児島の川内原発上空で操縦不能に陥り稼働中の原発へ墜落したのが事の始まりだった。悪夢の連鎖と言えばそうとしか言えないが、今となっては後悔すらが無意味だ。事故の前年に戦争へ向けて法整備を完了していた日本は川内原発へのオスプレイ墜落事故直後に、米国がホルムズ海峡にイランが多量の機雷をばら撒いたことを理由に日本への機雷撤去作戦への協力を要請する。「集団的自衛権」で逃げ場を塞がれていた日本政府は原発事故の対応よりも米国の要請に応じることを優先させた。その結果2011年の福島第一原発で起こった事故と比較が出来ない大惨事が発生し、急性放射線障害により九州では事故から2日以内に3万人が犠牲となった。

その後も暴走する原発事故へ有効な対策は皆無で、被害は四国、山陰、山陽から関西までに広がった。西日本からの国外避難は、一切の航空便が日本への乗り入れを停止したことにより不可能となった。事故後1週間で犠牲者の数は確認できているだけで20万人に上ったと言われている。

その事故の最中、米国からホルムズ海峡での機雷除去作戦の要請に日本政府は諾々と従った。海上自衛隊、航空自衛隊のみならず海上保安庁の巡視艇までがペルシャ湾へ派遣された。

日本国内の行政機関は実質的に破綻を来たしていたと言って過言ではないだろう。マスコミも同様で大手新聞社が朝刊の発行を行えないという第二次大戦中も例のないところまで混乱は極まっていた。私はその時、もうこの国はお終いだから逃げなければと決断していた。

日本政府が実質的に機能停止に陥った、という確定な情報が伝わってきたのは複数の海外メディアがインターネットを通じて発信したニュースによってだった。

私は妻と娘の遥とともに新潟に向かった。停泊していたロシアの貨物船の船長に多額の袖の下を渡し、取り敢えずナホトカへ向かった。貨物船の中には私たちのように日本から避難する人達があふれていて誰もが先を案じていた。

ナホトカに到着するとロシアの入国管理局は私達「避難者」の受け入れをすんなりとは認めなかった。難民申請も持たずにいきなり押しかけて来た避難民を受け入れなければならない国際法上の義務がロシアにあるわけではないから、その態度は仕方ないものであったといえる。結局ここでも入管当局と個別折衝で袖の下を渡す事ができた人達だけが入国を認められた。そうでなかった人たちの安否は判らない。

私はロシアに長期滞在するつもりはなかった。ロシア語は話せないし、この国には不安定要素が多すぎると感じていた。急ぎモスクワ行きの航空機に飛び乗りモスクワから中米の某国に向かった。この国は幸い私達を難民として受け入れてくれた。第二次大戦で日本と戦火を交えていなかったことが幸いしたのかもしれない。

今日、2024年8月15日は日本がまだあった頃、「終戦記念日」と言われた日だった。今私達が暮らすこの国は第二次大戦に参戦していなかったので、取り立てて8月15日が話題になることはない。

2016年、1億2千万近い人間が僅か数週間で放射能と戦争により国家を破滅させた「JAPAN CHAOS」は近代史の中でもまだ評価が定まっていない。私の心の中でも同様だ。遥には物心がついたら説明するとは言ったものの、それが果たせる自信はない。

◆2024年8月15日──自ら国を破滅させた愚かな民として他国で生きる

ここへ難民として住み着いて8年になる。日本を出た2016年、遥は2歳だった。家の中では日本語を使っているが、日常生活ではスペイン語だけで通している。私の家族のようにこの国へ逃れてきた日本からの難民は少なくない。しかし彼らの中には「日本への帰還、日本政府の再建」等と言った政治的行動に走るグループがいて、それはこの国の政府からは「厄介者」と危険視されている。

また、決して豊かとはいえない経済状況が続くこの国の国民は私達難民に政府から与えられる僅かばかりの「生活援助」にも不満を持っている。だから私は妻や娘に「家の外では『日本』のことは決して話題にしないように、政治的な話には関わらないように」事あるごとに言い聞かせている。私達は祖国を失った難民なのだ。しかも侵略や他国の攻撃により祖国を失ったわけではない。政権の愚策により、2度と戻れない猛烈な放射能汚染を広め、無責任な政治意識が何の利益も産まない好戦国=米国の言いなりとなり。こともあろうか原発事故の対策を放棄して米国の作戦に国力を傾注してしまった、救いがたい愚かな民族だ。

世界中のあちこちに散らばる日本系難民の苦悩はこれから果てることがないだろう。だから本音を言えば娘の遥には「日本を忘れなさい」と語ろうかとも思案している。

幸いこの国では肌の色や出身による差別は少ない。でも子供たちの間にも「日本」と言う国がどうして破滅したのかへの純粋な興味はある。遥と同じクラスで成績が優秀なフリオやフェルナンデスは遥には同情してくれているという。でも少し意地悪なメンドーサやイザベラにはからかわれることがあるらしい。

仕方ない。難民はそれらを背負って生きなければならない。クルドやパレスチナと我々は違う。自ら国を破滅させた愚かな難民なのだから。でも遥や子供が責めを負わなければならない道理はない。弁解する資格すらない私たちは贖えない罪を死ぬまで背負わねばならない。

あれだけ明確な予兆が示されていたのに、それを食い止めることができなかった。あの時代の空疎感。生物種としての衰退がこの結果を招いたのか。これから年を重ねるごとに私の心がどう変化するのか、それすら想像がつかない。

日曜日(16日)には教会に礼拝に行かなければならない。この国ではカソリックとして振る舞うことが身の安全にもつながる。私も妻も礼拝は護身術でしかないが、遥には礼拝に通うことが自然な行為になってきたようだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『火垂るの墓』から考える──住み慣れた街に戦火が襲い、家族を失うということ

私にはこの島国での戦争体験は勿論ない。取材の関係で紛争当事国や戒厳令が敷かれた国に滞在した経験はあるが、自分が生まれた国で戦争を経験したことはない。

私の親世代は戦争中や戦争直後の生まれが多く、祖父母はいずれも戦前の生まれだった。だから戦争についての話は幼少時より度々聞かされていた。私の父母は男兄弟が多かった。叔父達は概して非政治的で、中には戦後も「皇国史観」から脱することの出来ない人もいたけれども、原爆直撃を受けた経験や、食べ物がなくとにかくひもじい思いが辛かった記憶は皆が異口同音に語ってくれた。

祖母は明治の生まれで女学校を卒業していた。当時としては「高学歴」の部類に入るだろう。祖母は私が幼少の頃から古い写真を持ち出しては「敏夫ちゃんね。戦争の時には本当に恐い思いをみんなしたのよ」と自身が「愛国婦人会」のタスキをかけた写真を見せながら私に語ってくれた。祖母の言葉はいつも穏やかだったけれども、幼少の私に向けて語られる言葉はいつも「反戦」の意気に満ちていた。家父長制が殊のほか強い封建的な家風だったので、祖母が戦争を語ってくれるのは祖父が外出中か、その場に居ない時だった。

祖父はと言えば戦争中は造船技術者だったので、徴兵を逃れることができ戦死を免れた。祖父は元気な時分には戦争を語らなかったが、晩年になり(当時は中曽根が首相だった)テレビで国会を眺めていると「このままではいずれまた戦争になるのう」と私に語り掛けてくれた。もとより左翼思想の片鱗も持ち合わせない祖父であったが「今、国会で自民党にはっきり反対できるのは共産党だけじゃのう。このままいけばまた戦争じゃのう。そうなったら敏夫、外国に逃げろ」が口癖だった。

野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』(1968年新潮文庫)

◆慣れ親しんだ地が舞台の「火垂るの墓」に号泣

野坂昭如による「火垂るの墓・アメリカひじき」を文庫で読んだのは高校時代だっただろうか。幼少時を過ごした西宮や芦屋、三ノ宮を主たる舞台とする短編小説「火垂るの墓」に私の想像は膨らんだ。慣れ親しんだ地名がこれでもかと登場し、そこで繰り広げられる悲劇は他人事とは思えなかった。祖父母と両親をはじめとした年長者から散々伝え聞いていた戦争談は、体験していないものの私にとって「原体験」と言ってよいほど血肉化していた。夜間、普段は聞かない自衛隊の飛行機が飛ぶ音を聞けば「戦争が起きたんちゃう?」と真顔で親に聞いていたほどだった。子供特有の過剰な恐がり方と言えばそうとも言えるが、今から思えばあの時代にあってもかなり異質な子供だったと思う。

1988年に「火垂るの墓」はアニメ作品化されているが、既にテレビ視聴を止めていて、情報に疎かった私がそれを知ったのは数年後の事だった。レンタルビデオ屋から借りてきた「火垂るの墓」のパッケージには野坂昭如が「アニメ恐るべし」とコメントを書いている。

ビデオ再生を始めてから私が声を押し殺し号泣し出すまで数分もかからなかったろう。阪神大震災で壊れてしまって今はないけれども、阪急三宮駅の丸い柱を目にした時、そこで主人公が息絶えるシーンから映画は始まるのだけれども、自分が見知っている、私にとっては幼少の幸せに満ちた思い場所でこれからあの「火垂るの墓」が繰り広げられると思うと胸苦しくさえあった。

果たして舞台は芦屋川の春、桜満開の場面や京阪神が焼野原になる場面へと展開してゆく。余談だが野坂は戦争中に西宮から神戸のどこかに住んだことがあり、そのため、私が幼少期を過ごした阪急今津線の仁川駅周辺の商店を描いた作品もある。その商店は私が幼少の頃まだ営業していて、個性的な薬屋のおじさんや駄菓子屋のたたずまいは野坂の描いた作品どおりであって、それを今でも忘れずに覚えている。

そういった個人的経験が複合的に重なっていることもあろうが、野坂昭如原作、高畑勲監督の手による「火垂るの墓」は私にとっては忘れることの出来ない映画作品の一つである。傑作だと思う。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)
◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

◆「火垂るの墓」がテレビ放映されるのは明日8月14日で最後になるかもしれない

日本テレビ系列は毎年夏になると「スタジオジブリ」の新作が公開さえるのに合わせて「火垂るの墓」を8月に放映することがままあった。日本テレビも製作委員会に入っているので、日ごろの報道姿勢とは関係なく「そろばん勘定」がそうさせていたのだろうか。

昨年「映画部門の閉鎖」を発表したジブリは「思い出のマーニー」を2014年7月公開したが、今年の夏ジブリの新作公開はないが8月14日に「火垂るの墓」が放映されるそうだ。21日には「おもひでぽろぽろ」、28日には「平成狸合戦ぽんぽこ」と3週連続で高畑勲監督作品を流す予定だという。

ひょっとすると「火垂るの墓」がテレビで流されるのはこれが最後になるかもしれない、そんな嫌な予感がする。

私のつたない言葉では伝わらない「戦争」。それも自分の住み慣れた場所が戦争にまきこまれたら、自分の家族が戦争で亡くなったらどうなるのか……。若者にはくどい言葉を退屈に聞かせるよりも、「火垂るの墓」を観て、感じてもらう方が訴求力があるだろう。

「戦争が来るよ」、「被害に遭うのは君たちだよ」と語り掛けてソッポッを向かれるのは致し方ないのだろう。私の思いや伝達力が弱いのだ。

若者に限らず、こんな時代だから「火垂るの墓」をご覧になることをお勧めしたい。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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警察が「ぼったくり」を刑事事件化、ヤクザのさらなる地下潜行が始まる

2005年8月から契約社員として勤務していた出版社、竹書房をリストラされたのはちょうど4年後の09年8月のことだった。

私は長く雑誌編集者だったが、空いている時間の隙間を縫っては実話誌などにペンネームで原稿を書く裏のアルバイトをしており、リストラを機に「ライターとして本格活動を始める」ことにしたのだが、実はこのリストラ、暴力団取材に力を入れていたことが原因でもあった。私自身は暴力団は取材対象でしかなく、何の私的な付き合いもなかったからこそ、平然と“ヤクザ”と連絡をとれていて、暴力団の動向をメインに扱う竹書房の雑誌「実話ドキュメント」も担当していた。

しかし、会社のメインバンクから「ヤクザ雑誌をやめなければ今後の融資できない」という趣旨の申し入れが頻繁に経営陣になされたことで、ヤクザ雑誌に関わる編集者のリストラが始まっていた。後に竹書房は2012年8月号でヤクザ雑誌「実話時報」を休刊させ、「実話ドキュメント」を2013年7月号を最後に手放し、同誌は翌月号から版元をマイウェイ出版に変えて発行している。「実話ドキュメント」を30年近く編集してきた隠れた名編集者の牧村康正氏もそれ以前に退社しており、編集者のM氏も竹書房版の「実話ドキュメント」最終号を終えると辞表を出した。

◆宮崎学原作コミック本販売差し止めも島田紳助引退も警察の『見せしめ』的締め付けだった

竹書房のしがらみがなくなったことで、私は気にせず暴力団の動向を追ったのだが、そんな中で2010年4月に私が手がけた宮崎学原作のコミック「実録激闘ヤクザ伝四代目会津小鉄高山登久太郎―鉄」(竹書房)が福岡県警の要請で販売差し止めと判断、これに原作者の宮崎が福岡県を相手に裁判を起こし、僕は宮崎側に付いて陳述書を出したのだが、これはどう見ても『見せしめ』的な締め付けだった。同著は暴力団を推奨しているわけでもない、ただの伝記なのである。こうした「スケープゴート」の逮捕が次々に起こった。そのひとつが2011年8月の島田紳助の引退でもあった。

島田の記者会見の前日、旧知の編集者から電話がかかってきた。

「明日、紳介が記者会見をやるようだが何か知らないか」

寝耳に水だった。
だがまさか引退会見になるとは思わず、僕はテレビの画面に釘付けになった。
島田はヤクザとの交際について素直に認めて「ギリギリ、セーフかと思ったがアウトやった」と語った。

記憶するかぎり、この時期は「ドキュメント」という雑誌を部分的に手伝っていたが、この島田をあつかった号は奇跡的に売れた。

そんな中でも私は暴力団排除の社会の中で彼らがどうやって「しのぐか」について注視した。暴力団は年々、排除の機運が高まっていた。何しろ11年に暴力団排除条例が全国で施行、その前の「助走期間」である09年の東京都豊島区による不動産の取引において暴力団を排除することを制定した生活安全条例や、佐賀県の暴力団組事務所について不動産所有者が賃貸契約を解除できる条例は、彼らにとって死活問題となった。ヤクザは海外に進出したり、新手の詐欺をひねりだしたりしていた。

◆「ぼったくり防止条例」の契機となった1999年影野臣直氏逮捕の深層

その中で、「半グレ」が進出してきた。新宿の歌舞伎町などは、本来ならヤクザになるような連中が、ぼったくり飲食店を始めた。そして今、月に300件も新宿署に被害の電話が寄せられる。

99年に「ぼったくり」で逮捕されて「ぼったくり防止条例」の基点となった影野氏が語る。そもそも80年に大学生が高すぎる飲み代を払えずに店(2階)からヤクザの事務所(3階)に連れていかれ、トイレの窓からスキを見て逃げだそうと転落死した事件が端緒だ。

ぼったくりを始めた頃の影野臣直氏(撮影/渡辺克己)

「1980年の大学生の飛び下り死亡事件は、それまで無許可で営業できた『ノーパン喫茶』、『個室ヌード』、『個室マッサージ(現・ファッションヘルス)』、『レンタルルーム』、『ソープランド』、『ポルノショップ』、『のぞき部屋』などのノーパン喫茶から台頭してきた新風俗を、警察の掌中に管理できるようにする『新風営法』施行(1985年)の一因となったのは、間違いありません。この後、新風営法施行の草案が出されたとき、各界は揺れました。左系の議員や弁護士らは、新風営法施行は『違憲』であると対立しましたが、大学生飛び下り死亡事件が起きたために態度を軟化させました。それでも、事件から施行まで5年の歳月を費やしているので、新風営法の施行がいかに難題であったかが理解できると思います。横浜のクラブのママさんたちは、『新風営法施行は財産権の侵害である』として、デモ行進を行っています。良くも悪くも、昭和のママらしい行動力ですね。でも、新風営法施行の本当の原因になったのは、新風俗が客引きを使って莫大な利益を上げていたことと、その経営者が大っぴらにヤクザへの経済援助していたことです。店の持ち主がヤクザの若衆で、それを新風俗業者が借りる。家賃は特別高い上に、おしぼりや花、絵画等のリースも、同系列のヤクザの会社がやる。カスリ(ミカジメ料)を集金にくるヤクザの無尽(頼も母子構)を何口も付き合ったりと、ヤクザの膨大な資金源になっていました。

よく経営者がヤクザの親分連中をゾロゾロ連れて、歌舞伎町の高級クラブを梯子していた姿を見かけたものです。みんな、あんな風になりたいと憧れていました。ヤクザと組めばアメリカンドリームを体現できる……世がそんな風潮になっていました。ヤクザを英雄視する良からぬ風潮を抑止するため、警察は新風営法施行の準備を始めました。例をあげれば、歌舞伎町の区役所内に図書館(教育施設)を開業させたり、大久保病院(医療施設)を改装させたりして、歌舞伎町や他の繁華街を新風俗の禁止区域にしました。禁止区域に歌舞伎町がスッポリ入るように、従来の区域の設定を官公庁施設、学校、図書館、児童福祉施設、までの距離を20メートルから200メートルになったはずです。 今まで営業していた店は警察に届け出をだせば、既得権として新風営法施行後も営業できるとしましたが、客引き、時間外営業などで摘発されると最低20日以上(現在は最低40日以上)の営業停止が課せられたので、高い家賃を払っていた新風俗業者はたちまち干あがってしまいました。

1985年3月13日深夜0時、新風営法施行直後、歌舞伎町の看板が消え、本当に真っ暗になりました。 営業していたのは、偽装マッサージ店として新風営法の隙を突いた僕が経営するKグループの店だけ(笑)。この店は稼ぎにかせぐのですが、警察の徹底したガサ入れに40日で逮捕。 全国最初の新風営法違反での全国指名手配者になってしまいました。それが、ペンネーム『影野臣直』の由来となった『影のオーナー逮捕』の記事です」

◆警察が「ぼったくり」を刑事事件と扱い始めたことでヤクザはもっと地下に潜り始める

そして、ようやく歌舞伎町では警察が腰をあげた。東京新聞では以下のように報じる。

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「ぼったくり」事件化へ転換 歌舞伎町 被害多発で警察
東京新聞2015年6月12日 夕刊
東京・新宿の歌舞伎町で、客が高額な飲食料金を請求される「ぼったくり」の被害が急増している。「民事不介入」は警察の対応の原則だが、あまりのトラブル多発に、警視庁は今月から客を保護して店側との接触を絶ち、都のぼったくり防止条例違反などでの事件化を基本に対応する方針に転換した。しかし、対応次第では「過度の民事介入になりかねない」との声もある。(皆川剛)

————————————————————————-

そう、警察はついに「ぼったくり」を刑事事件として扱い始めたのだ。これからヤクザは「ぼったくり」については、ナーバスになるだろう。そしてまた、ヤクザは地下にもぐるのである。

(小林俊之)

◎塩見孝也『革命バカ一代』で思い出したベテラン警備員『ゲンさん』たちの物語
◎「工藤會壊滅ありき」で福岡県警が強引に人権を無視し続ける邪な理由
◎731部隊を隠蔽し続ける米日の密約──近藤昭二さん講演報告
◎ライターが撮影を担う時代の到来と、写真塾の展覧会から得る刺激

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クソ暑いのに不快指数を余計に上昇させる「THE PAGE」軍事ブロガーの悪質記事

ニュースサイト「THE PAGE」8月5日に「『原発にミサイルを撃ち込まれたら?』山本太郎議員の質問は杞憂」と言う記事が掲載されており、6日午後現在アクセス数が一番多い政治記事と表示されている。

ネット上には数多くのニュースサイトが存在するがその真贋(あるいは信用度)は玉石混合で、かなりの確度で情報が正確なサイトから明らかに偏向した視点から主張を展開するものまで幅広い。私が読んで正確さを疑うことが多いのは、「FOCUS-ASIA.COM」、「Record China」そして「産経新聞」などが展開するニュースサイトだ。「THE PAGE」は記事により質にばらつきが目立つ。

同サイトの記事を批判する前に断わっておくが、山本議員の質疑の内容はあくまでも「国が現在想定している」ことへの疑問であり、私自身は中国や朝鮮が現実に日本への「攻撃」を行う可能性はゼロではないが極めて低いと考える。しかし「日中平和友好条約」で「相互不可侵」が明確に謳われていても現政権は中国を実質的な「仮想敵国」として国会答弁を続けている(こんな失礼なことはない。「同盟国」とされる米国情報機関は安倍の自宅をはじめ日本の省庁などの電話を「盗聴」していたことが報じられているが、それに対する政府の反応は極めて腰が引けている。同様の「盗聴」をもし中国が行ったら大騒ぎするだろう)のだから、その矛盾と原発の危険性及び事故時対策の無策を指摘することが山本議員の質問の本質的問いと感じた。

◆勝手に想定したシナリオで山本太郎議員の国会質問を歪曲させる「THE PAGE」

8月5日の「THE PAGE」掲載ニュースには誤りが多い。記事中「弾道ミサイルに原発を狙えるピンポイント攻撃能力はない」の中で、「そもそも弾道ミサイルには原発施設に命中を期待できるようなピンポイント攻撃能力はありません。例えば北朝鮮は核兵器と弾道ミサイルをセットで開発しようとしていますが、これは命中精度の低い弾道ミサイルには大量破壊兵器を組み合わせないと効果が著しく低いことが理由の一つです」とある。

これは仮定が誤っている。「命中精度の低い弾道ミサイルには大量破壊兵器を組み合わせないと効果が著しく低い」のは「THE PAGE」が勝手に想定するシナリオであって、命中精度だけの向上を目指すのであれば「ミサイル」にGPSを搭載するだけでピンポイント攻撃は可能になる。

ちなみに最新のICBM(大陸間弾道ミサイル)は1万キロ以上先の標的から半径200メートル以内に着弾する確率が50%を超えている。「原発銀座」である福井県と北京の距離は1,787キロ、ピョンヤンからは979キロだ。この距離の原発を狙うのであれば「大量破壊兵器」を搭載する必要はなく、格納容器と圧力容器を破壊できる程度の爆弾を搭載すればよいし、稼働中の原発ならばミサイル着弾の際に、制御棒挿入による緊急停止(スクラム)は出来ないから、格納容器を破壊しなくとも冷却系配管の破壊を起こすだけで原発は暴走する。このような能力を持つミサイルはイスラエルのパレスチナ攻撃やシリア内戦で政府軍が実戦使用している。中国は独自開発、朝鮮にはスカッドミサイルが配備されていると推測されるが、弾道ミサイルの弾道部分を軽くして、最近の自家用車にも搭載されているGPS機能を搭載することはいともたやすい技術である。

また、「なお巡航ミサイルならばピンポイント攻撃能力がありますが、北朝鮮は保有していません」では、意図的に中国が巡航ミサイルを保有していることへの言及を避けている。政府は答弁で中国と朝鮮の脅威を語っているのだ。政府意見の擁護を試みるのであれば中国を度外視しては反論にならない。

さらに、「核弾頭を保有しているなら原発を狙う必要がない」という、攻撃側の意図を勝手に限定した見出しの文章の中では、「ロシアや中国の場合は核弾頭を大量に保有しており、核弾頭を積んだ弾道ミサイルを相手の都市部に落とせば確実に大被害をもたらせるので、原発へのミサイル攻撃を行う意味がありません。核弾頭をまだ大量保有していない北朝鮮にしても、弾道ミサイルの弾頭に高レベルの放射性物質を搭載するという方法があります」と、議論の本質から逸脱した主張を行っている。

「そんなことは、わかっとるちゅうの!」の一言だ。前提が違うだろう。山本議員の質問は「原発にミサイル攻撃があって被害が出たらどうするか」を政府に尋ねているのだ。「原発へのミサイル攻撃の必要はありません」というのは勝手だけれども、これを書いた「JSF/軍事ブロガー」なる人物は中国や朝鮮の政府や軍の責任者に「日本攻撃作戦」の手の内を取材したことがあるのか。

◆安倍政権の矛盾だらけの政策を代弁しているだけ「JSF/軍事ブロガー」

そして道理を外れた憶測・推測を重ねている割には、「原発への攻撃は戦時国際法違反となる」といきなり真っ当なジュネーブ条約を持ち出してくる。しかし以下の文章は何が言いたいのだろう。
「このジュネーブ条約第1追加議定書は日本の仮想敵国であるロシア、中国、北朝鮮も締約しています。これらの国が戦時国際法を遵守するという保証はありませんが、重大な違反行為と規定されていることを破るとなると、大きなリスクを背負うことになるでしょう。また仮にアメリカが、同盟国の稼働中の原発へ攻撃が行われた場合は大量破壊兵器の使用と同等と見做し核報復を行うと宣言した場合、強力な核抑止力が発生します」

え? 仮想敵国は「ジュネーブ条約に加盟している」けど「遵守するか」どうかはわからない? 「また仮にアメリカが・・・強力な核抑止力が発生します」は全く論理が通っていないぞ。「アメリカが報復攻撃を行うと宣言しなかった」らどうなるのだ。米国はジュネーブ条約加盟国だけれども、イラクやアフガニスタンで数々のジュネーブ条約違反を犯している事を帰還兵が告発している国でもある。一旦核戦争が起これば「ジュネーブ条約」もあらゆる国際法も吹っ飛んで、世界は破滅に向かうことを想像できない発想力の低さには恐れ入る。

極めつけは、「ミサイル対策よりもテロ対策」として、「もしも『可能性が低くても原発への弾道ミサイル攻撃の対処が必要だ』とした場合は、自衛隊がミサイル防衛システムを用いて迎撃する、あるいは地下原発・海底原発といった防御力が強固な施設への転換を図るという選択が考えられますが」と、どうあっても原発を継続しないと気が済まないらしい。

要するにこの「THE PAGE」の記事は現政権の矛盾だらけかつ無謀な政策を代弁しているだけで、しかもその抗弁も国会答弁並に「穴だらけ」で説得力がないということだ。

クソ暑いのに余計に不快指数が上昇する。

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戦後70年談話──私が総理大臣ならば!

「村山談話」、「河野談話」が時に現政権から批判体に話題にされる。安倍は正式な談話を出すことをどうやら諦めたようだが、果たしていかなる形でまとめるであろうか。

知人から冗談半分だろうけども、「お前が書いてみろよ」と言われた。私は貧乏な一市民に過ぎず国を代表しての談話を書くなどおこがましすぎるけれども、「村山談話」を読み返すと「今ならこのままじゃないな」と言う箇所が思いの外多いことに気が付いた。そこで僭越に過ぎると承知しながらも「村山談話」を私なりに書き直してみた。

「敗戦後70年を迎えるにあたっての談話」

先の大戦で日本が敗戦してから、70年の歳月が流れました。戦争の災禍を知る多くの人々は既に亡くなり、あの大戦はあたかもはるか昔の「歴史」のように捉えられつつあることも事実であります。しかし、戦争自体を経験していなくとも、我らの国が犯した罪が無くなるわけではありません。むしろあの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せ、決して忘れないことこそが我らの世代の責務と言えましょう。

敗戦後、日本は、焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、経済体な発展を遂げました。しかしその背景には「朝鮮戦争特需」、「アジア諸国への実質的経済侵略」があったことを無視してはなりません。20年前、村山首相は「今日の平和と繁栄を築いてまいりました」と談話で言及されましたが、そこでは戦後も続いたアジア諸国への我々の「加害者」としての視点が欠如していました。2015年我々は戦争中から引き続きアジアを中心とする諸国の犠牲の上に繁栄をえたことを再確認し、反省します。

一方国民が繁栄に向け一人一人の英知とたゆみない努力を惜しまなかったことに、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国をはじめ、世界の全ての国々との間に今日にも増して平等かつ公平な平和的関係を構築すべく、その決心を明らかにします。

「平和で豊かな日本」は過去のものになりました。私たちはこの20年で「平和の尊さ、有難さを忘れた」政策を容認して来てしまいました。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後70周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。その為に再度憲法前文及び9条の具現化に政府は力を尽くします。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から70周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、被爆国としてまた世界最大の原発事故を引き起こした国としての体験を踏まえて、核兵器及び原子力発電の究極の廃絶を目指し、率先して原子力発電を全廃するものであります。核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

二度と戦争の惨禍を引き起こすことのない国際関係の構築を目指し、我々は憲法の原点に立ち返り、その精神の具現化のため「自衛隊」を「災害救助隊」へ改組します。米国と締結している「日米安全保障条約」はこれを破棄することを、ここに宣言し不戦の誓いといたします。

2015年8月15日
日本国首相 田所敏夫

参考までに、以下が村山談話本文である。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

村山総理大臣談話


◎[参考動画]戦後70年談話は村山談話を継承し、謝罪と反省を明確に プレスクラブ(2015年6月9日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎ヒロシマ70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方
◎安倍話法──「大きな嘘」で「解釈改憲」を無理やり正当化し続ける
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風

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広島原爆70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方

70年目の広島原爆の日を迎えるにあたり、「将来への希望」や「平和の希求」を語ることを控える。それらは全く胸中に思いを抱かない安倍と言う人間の口から軽々しい言葉で語られることが必定だからだ。真意の全くこもらない空疎の限界を超越した「言葉」や「意味」への侮辱が今年もまた繰り返されるだろう。見なくともわかる。準備した原稿のみに目を落とし、よく回らない舌で精一杯必死に本心と真逆の「ことば」を職務としてこなす不誠実極まりない奴の姿が。安倍に抗議する意味でも、むしろこの日に敢えて寒々とした現実を直視しようと思う。

◆中学校長による「被爆者への言論弾圧事件」を島原市の教育委員会はどう考えているか、聞いてみた

少し古い話だが、2014年7月1日に島原市のある中学校での「平和学習」に講師として招かれた被爆者である末永浩氏(79)が被爆体験や戦争責任、原発事故の話を語ったところ、校長が「やめてください」と大声で遮るという事態が起きていたことが先日の報道で明らかになった。

当該中学校の名前が明らかにされていないので、末永氏の話を遮った校長本人には取材できていないが、島原市の教育委員会学校教育課の平田氏に電話で事情を聞いた。

平田氏によると「校長、末永氏双方平和を望む気持ちは同じと理解している」らしいが校長が「一方的な意見だけを末永氏が正しいと思い込み話をしていた」ので「制止」をしたそうだ。この件について島原市宮原照彦教育長は「校長と講師の被爆者が幸せを願う気持ちを持っている。今回のような残念な結果にしてしまい大変遺憾に感じている。今後はこのような事態を引き起こさないように各学校での平和学習に努めたい」との声明を明らかにしている。

しかしこの「声明」は何かを語っているようで、役人特有の「事なかれ主義」により読む者を煙に巻き、中学校長によって行われた「被爆者への言論弾圧事件」を曖昧に誤魔化そうとした出来の悪い作文だ。

◆日本のアジア侵略は「歴史的に定まっていない」という立場をとる教育委員会

平田氏によると「事前の打ち合わせでは無かった内容だったので校長が末永さんの話を制止したのは仕方ない」というのが教育委員会の見解だそうだ。では問題とされたのはどのような話なのだろか。

末永氏は長崎で被爆した自身の体験を話したあと、「アジアで原爆を語ろうとすれば、日本がしてきたことを反省して語らなければならない」と説明しながら、中国や韓国の博物館が旧日本軍による侵略に関するものとして展示している写真を生徒に見せ、日本の戦争責任について話した。さらに、「原爆と同じように核分裂によって放射線を出す」と、福島第一原発の事故など原発問題について語り出したところ、校長が「やめてください」と大声で遮ったため、末永氏は「原発についてもみんなでよく勉強し考えて下さい」と述べて話を終えた。というのが平田氏の説明だ。

「平和学習」の中で被爆者末永氏が上記のような話をした中の一体どこに問題があるのだろう。校長が「一方的な意見」と感じたのは一体どの部分なのか。被曝者が講師に呼ばれて戦争や放射能の話に文句を言われるのであれば、どんな話をしろというのだろうか。これに対して平田氏は「事前の打ち合わせではあくまで『被曝体験』を語って下さいと校長は依頼していたが、戦争責任や原発の話に及んだので打ち合わせ外の話と判断した」そうだ。え、正気か? 島原市教育委員会?

平田氏がそのように説明してくれたので、私は「では、被爆者が核兵器の話をするのは構わないのでしょうか(馬鹿げた質問ではあるが)」と尋ねると「それは勿論構いません」とのお答え。では「核兵器だけでなく兵器や戦争について被爆者が見解をのべることは」と聞くと、これまた「問題はありません」だ。更に「被爆者を苦しめている放射能について原発も同様の問題を孕んでおり、実際に事故が起きたことに言及することは如何か」との質問にも「問題はありません」との回答だ。

ならば、末永氏の講演のどの部分が「一方的な意見」に該当するというのだ。個別の話を1つ1つ点検して行ったが、どこも「問題」にされる部分はないじゃないか。そう糺すと「日本の戦争責任に言及した部分が事前の打ち合わせにはなかった」と平田氏は発言した。島原市教育委員会によると「アジア諸国への日本の戦争責任」を語るのは「一方的な意見」に当るそうだ。私は「日韓条約」では不十分ながら日本政府は戦時の賠償をしていること、更には「村山談話」や「河野談話」で日本政府は正式に戦争責任を認めていることを紹介した。国が「侵略」の事実を認め国際条約上も確定していることに言及することのどこに問題があるのかを平田氏に重ねて聞いた。平田氏は「社会科の教科書には『日本の侵略行為』には諸説議論があるとの記述がある」事を根拠に持ち出し、日本が中国・朝鮮をはじめとするアジア諸国を侵略したかどうかは「歴史的に定まっていない」ともとれる発言をした。

爆心地からは離れているとは言え、原爆を落とされた長崎県の島原市教育委員会にして戦争への認識がこの程度なのだ。これがあの「天草四郎」を生んだとされる島原の今日的現実=知的退廃である。平田氏に「満州国を知っているか」と聞いたらさすがに「知っている」と回答されたけれども、満州から中国へ広がった戦線が「侵略」でないはないというなら日中戦争をどう解説するつもりなのだろうか。

◆原爆被爆者が「戦争責任」や「原発事故」に言及してはいけない「平和学習」

被爆者を講師に呼んでおきながら「戦争」の真の意味や歴史、戦争責任を語らせない「平和学習」には微塵の意味もない。「平和学習」は正式な「科目」ではないのだから講師を呼べばそれぞれの考えや個性に基づいた話を展開するのが当たり前だろうに、被爆者に「戦争責任」や「原発事故」への言及を禁じる「平和学習」など「アリバイ造り」以外の何物でもない。その証拠に教育委員会は中学校長の「言論弾圧行為」を全く問題にしていないどころか、末永氏の歴史認識を「一方的な意見」と決めつけている。本来強く責められるべきは中学校長の憲法21条違反行為と教育委員会の憲法99条違反行為だ。

ここ数か月学校現場での明らかな歴史改竄策動事件や、国の過剰介入を何件か紹介してきた。もうこの程度の話は全国に溢れているということだ。私如き暇人でも一々取り上げきれないくらいに「教育現場の戦争体制化」は拡大している。残念だがもう決壊したダム同様、止めようがない。

つまり、私(達)は圧倒的に敗北している。しかも決定的な最後の敗北の寸前まで押し込まれている。この事実を直視し自分の身の丈と時代の容貌とのとてつもない差異を冷徹に確認しながら、少なくとも身内3人を死に至らしめた原爆の日の自省とする。


◎[参考動画]元ちとせ「死んだ女の子」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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