70年目の広島原爆の日を迎えるにあたり、「将来への希望」や「平和の希求」を語ることを控える。それらは全く胸中に思いを抱かない安倍と言う人間の口から軽々しい言葉で語られることが必定だからだ。真意の全くこもらない空疎の限界を超越した「言葉」や「意味」への侮辱が今年もまた繰り返されるだろう。見なくともわかる。準備した原稿のみに目を落とし、よく回らない舌で精一杯必死に本心と真逆の「ことば」を職務としてこなす不誠実極まりない奴の姿が。安倍に抗議する意味でも、むしろこの日に敢えて寒々とした現実を直視しようと思う。

◆中学校長による「被爆者への言論弾圧事件」を島原市の教育委員会はどう考えているか、聞いてみた

少し古い話だが、2014年7月1日に島原市のある中学校での「平和学習」に講師として招かれた被爆者である末永浩氏(79)が被爆体験や戦争責任、原発事故の話を語ったところ、校長が「やめてください」と大声で遮るという事態が起きていたことが先日の報道で明らかになった。

当該中学校の名前が明らかにされていないので、末永氏の話を遮った校長本人には取材できていないが、島原市の教育委員会学校教育課の平田氏に電話で事情を聞いた。

平田氏によると「校長、末永氏双方平和を望む気持ちは同じと理解している」らしいが校長が「一方的な意見だけを末永氏が正しいと思い込み話をしていた」ので「制止」をしたそうだ。この件について島原市宮原照彦教育長は「校長と講師の被爆者が幸せを願う気持ちを持っている。今回のような残念な結果にしてしまい大変遺憾に感じている。今後はこのような事態を引き起こさないように各学校での平和学習に努めたい」との声明を明らかにしている。

しかしこの「声明」は何かを語っているようで、役人特有の「事なかれ主義」により読む者を煙に巻き、中学校長によって行われた「被爆者への言論弾圧事件」を曖昧に誤魔化そうとした出来の悪い作文だ。

◆日本のアジア侵略は「歴史的に定まっていない」という立場をとる教育委員会

平田氏によると「事前の打ち合わせでは無かった内容だったので校長が末永さんの話を制止したのは仕方ない」というのが教育委員会の見解だそうだ。では問題とされたのはどのような話なのだろか。

末永氏は長崎で被爆した自身の体験を話したあと、「アジアで原爆を語ろうとすれば、日本がしてきたことを反省して語らなければならない」と説明しながら、中国や韓国の博物館が旧日本軍による侵略に関するものとして展示している写真を生徒に見せ、日本の戦争責任について話した。さらに、「原爆と同じように核分裂によって放射線を出す」と、福島第一原発の事故など原発問題について語り出したところ、校長が「やめてください」と大声で遮ったため、末永氏は「原発についてもみんなでよく勉強し考えて下さい」と述べて話を終えた。というのが平田氏の説明だ。

「平和学習」の中で被爆者末永氏が上記のような話をした中の一体どこに問題があるのだろう。校長が「一方的な意見」と感じたのは一体どの部分なのか。被曝者が講師に呼ばれて戦争や放射能の話に文句を言われるのであれば、どんな話をしろというのだろうか。これに対して平田氏は「事前の打ち合わせではあくまで『被曝体験』を語って下さいと校長は依頼していたが、戦争責任や原発の話に及んだので打ち合わせ外の話と判断した」そうだ。え、正気か? 島原市教育委員会?

平田氏がそのように説明してくれたので、私は「では、被爆者が核兵器の話をするのは構わないのでしょうか(馬鹿げた質問ではあるが)」と尋ねると「それは勿論構いません」とのお答え。では「核兵器だけでなく兵器や戦争について被爆者が見解をのべることは」と聞くと、これまた「問題はありません」だ。更に「被爆者を苦しめている放射能について原発も同様の問題を孕んでおり、実際に事故が起きたことに言及することは如何か」との質問にも「問題はありません」との回答だ。

ならば、末永氏の講演のどの部分が「一方的な意見」に該当するというのだ。個別の話を1つ1つ点検して行ったが、どこも「問題」にされる部分はないじゃないか。そう糺すと「日本の戦争責任に言及した部分が事前の打ち合わせにはなかった」と平田氏は発言した。島原市教育委員会によると「アジア諸国への日本の戦争責任」を語るのは「一方的な意見」に当るそうだ。私は「日韓条約」では不十分ながら日本政府は戦時の賠償をしていること、更には「村山談話」や「河野談話」で日本政府は正式に戦争責任を認めていることを紹介した。国が「侵略」の事実を認め国際条約上も確定していることに言及することのどこに問題があるのかを平田氏に重ねて聞いた。平田氏は「社会科の教科書には『日本の侵略行為』には諸説議論があるとの記述がある」事を根拠に持ち出し、日本が中国・朝鮮をはじめとするアジア諸国を侵略したかどうかは「歴史的に定まっていない」ともとれる発言をした。

爆心地からは離れているとは言え、原爆を落とされた長崎県の島原市教育委員会にして戦争への認識がこの程度なのだ。これがあの「天草四郎」を生んだとされる島原の今日的現実=知的退廃である。平田氏に「満州国を知っているか」と聞いたらさすがに「知っている」と回答されたけれども、満州から中国へ広がった戦線が「侵略」でないはないというなら日中戦争をどう解説するつもりなのだろうか。

◆原爆被爆者が「戦争責任」や「原発事故」に言及してはいけない「平和学習」

被爆者を講師に呼んでおきながら「戦争」の真の意味や歴史、戦争責任を語らせない「平和学習」には微塵の意味もない。「平和学習」は正式な「科目」ではないのだから講師を呼べばそれぞれの考えや個性に基づいた話を展開するのが当たり前だろうに、被爆者に「戦争責任」や「原発事故」への言及を禁じる「平和学習」など「アリバイ造り」以外の何物でもない。その証拠に教育委員会は中学校長の「言論弾圧行為」を全く問題にしていないどころか、末永氏の歴史認識を「一方的な意見」と決めつけている。本来強く責められるべきは中学校長の憲法21条違反行為と教育委員会の憲法99条違反行為だ。

ここ数か月学校現場での明らかな歴史改竄策動事件や、国の過剰介入を何件か紹介してきた。もうこの程度の話は全国に溢れているということだ。私如き暇人でも一々取り上げきれないくらいに「教育現場の戦争体制化」は拡大している。残念だがもう決壊したダム同様、止めようがない。

つまり、私(達)は圧倒的に敗北している。しかも決定的な最後の敗北の寸前まで押し込まれている。この事実を直視し自分の身の丈と時代の容貌とのとてつもない差異を冷徹に確認しながら、少なくとも身内3人を死に至らしめた原爆の日の自省とする。


◎[参考動画]元ちとせ「死んだ女の子」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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