福島原発被曝の現実から目をそらさない「DAYS JAPAN」と広河隆一氏の在野精神

「DAYS JAPAN」と言う月刊誌をご存知の方も多いであろう。
今月号の特集は「福島の小児甲状腺異常多発の発表」だ。

「DAYS JAPAN」2015年7月号

悲しいニュースだが直視を避けられない現実が詳細に報告されている。本号は発売直後よりアマゾンをはじめとするネット上の図書販売サイトでは完売となり、書店でも残部僅かのようだが、増刷されるとのことであるのでまだご覧になっていない方にはご購読を強くお勧めする。

「DAYS JAPAN」はかつて講談社が発行してたが休刊となり、2004年にフォトジャーナリストの広河隆一氏が会社を立ち上げ編集長に就任し復刊した。表紙の右下には発刊以来毎号「一枚の写真が国家を動かすこともある」との腰の据わったメッセージが記されていたが、その場所には編集長が丸井春氏に代わった昨年からは「人々の意思が戦争を止める日が必ず来る」と、より明確な「宣言」が掲載されるようになった(「人々の意思が戦争を止める日が必ず来る」はそれ以前にも時に表紙に書かれていたメッセージではある)。

◆発刊以来、原発問題に深く取り組んできた「DAYS JAPAN」

この雑誌の最大の特徴は現在世界でも希少となった「フォトジャーナリズム」を実践し続けていることだ。同時にパレスチナ、イラク、中東など世界中の紛争地帯(それが脚光の当っている場所であろうがなかろうが)の問題を取り上げ、視覚に訴えると同時に卓越した視点から解説を行うことだ。国内問題も同様である。一貫して在野の立場から権力監視を続ける骨太の編集方針は「ジャーナリズム」の原点から全くぶれていない。

また同誌が主催する「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」は世界的に権威のある写真コンテストとなり、ここでの受賞者がピューリッツアー賞などを後に受賞することも珍しくない。実は世界のフォトジャーナリストから注目されている雑誌でもある。世界的な注目を浴びる雑誌はこの島国に「DAYS JAPAN」だけである。

「DAYS JAPAN」2015年7月号より

前述の通り今月号の特集は「福島の小児甲状腺異常多発の発表」である。同誌は発刊以来一貫して原発問題に深く取り組んでおり、2011年の1月号(大震災の2カ月前)特集は「浜岡原発爆発は防げるのか」だった。事故直前まで月刊誌でこれだけ原発問題に警鐘を鳴らしていた雑誌は他にはない。スリーマイル島やチェルノブイリで原発事故取材経験豊富な広河氏は福島事故発生後3日目には現地入りしている。そこで持参した放射線測定器がチェルノブイリでも経験したことのない高い値、針が振り切れる経験を初めてする。目前には何も知らない人々がマスクもつけずに危機感もなく往来している姿を見て、取材を止め高線量地帯へ向かう人々の車を止め引き返すように説得を始める。


◎[参考動画]「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part2
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)綿井健陽氏2011年7月18日公開

◆「DAYS JAPAN」行動原理の体現者・広河隆一氏

「DAYS JAPAN」の行動原理はこの時の広河氏が体現している。ジャーナリストとして現地へ赴くがある時期「人間として」何をすべきかと感じた瞬間に彼らは「行動者」へと転身する。広河氏がレバノンの難民キャンプ取材から難民支援を始めて20余年が経つ。チェルノブイリ取材を50回ほど行っている広河氏は1991年に「チェルノブイリ子供基金」を設立し、保養施設「希望21」を各国のNGOと政府の協力により設立し、そこで保養を行った人の数は7万人を超えたという。

福島原発事故のわずか2か月後、早速保養所設立プロジェクトは動き出し、早くも翌年2012年7月には久米島に「球美の里」を設立し福島から子供達(親同伴の場合もあり)の受け入れを開始する。常人には想像できない発想と行動力は編集長が代わっても引き継がれている。

原発や被曝については「付け焼刃」ではなく長年の取材経験と人脈、知識と実践を持つこの雑誌に敵うものはないだろう。いや違った。「NO NUKES voice」ははるか後ろを走っているけれども志だけは負けたくないと編集長以下腹を固めている。
◎「DAYS JAPAN」Facebook
◎広河隆一氏のtwitter


◎[参考動画]DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展 特別講演会「震災と原発問題」
2012年11月20日京都造形芸術大学 学校法人瓜生山学園公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論

『NO NUKES voice vol.4』原発いらない!全国から最前線の声を集めた脱原発情報マガジン!
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売れる時代小説をどう書くか?──執念の作家上田秀人氏に聞く

このブログは、小説家やライター志望の人も多く見ているようだ。志望者に少しだけ役にたつ話をしよう。

「若桜木虔小説講座」の塾生だけが対象となっているクローズドな会だったので、時間も場所も記せないが、作家養成で知られる実力派の若桜木虔氏が主宰して、大阪から上京してくる時代小説家の上田秀人氏の歓迎会・親睦会に行ってきた。不良塾生である僕にとってはうれしい限りだ。

もはや上田秀人氏は時代小説のトップランナーであるのは疑いがないだろう。上田氏の本がもし書店にないとしたら、もう本屋を引退したほうがいいほど、売れているのだ。歯科医を続けながら、大賞をとっていない中で、上田氏(佳作はあり)は、執念でデビューし、今の地位にたどり着いた努力の人である。やはり継続は力で、後に2010年(平成22年)、『孤闘 立花宗茂』で中山義秀文学賞を受賞。2014年(平成26年)、『奥右筆秘帳』シリーズで第3回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞を受賞する。

生徒が「文章技術以外で、もしデビューに必要なことがあるとしたらそれは何ですか」と聞くと「執念です」と即答した。別の生徒が「執筆時間はどうやって捻出していましたか」の問いには「時間は作ればなんとかなる。治療中にも執筆していました。麻酔を一本打ったら、5分あく。そうしたら2行は書ける」と答えていた。

◆今、書籍は「時代小説」と「ビジネス本」しか売れない

なにしろ、今、書籍は「時代小説」と「ビジネス本」しか売れない。この2つはすでに独立したコーナーが書店にあるほどだ。そう、今はこの2つのジャンルを制覇すれば版元としても生き残れると各出版社は見ているのだ。だが現実として「プロの時代小説家」「プロのビジネスライター」になるのにはハードルが高い。そうした状況下で、山のような原稿が編集者のところに持ち込まれる。

困ったことに、多くの「作家志望者」は、「自分に才能がある」と思い込んでいるふしがある。「いつから連載を始められますか」と平気で週刊誌の編集者に言ってのける。連載など、たとえば週刊誌の編集者と10年以上つきあっている僕でさえ、いまだにとれないというのに。

そういうバカに限って、「今、手持ちの原稿はない。どんなものを書けばいいですか」と言い出すから始末が悪い。ストックがない時点で、作家志望者としては、名刺なしで営業しているようなものだ。無礼にもほどがある。

◆「感覚」で書くか、「手法」で書くか

さて、時代劇を書きたい人たちにとっては、「時代考証」が大きく立ちはだかる。たとえば、織田信長の時代に望遠鏡はあったのかなかったのか。時間を知るのに人々はどうしていたか、という生活考証だ。時代考証には、たとえば、若桜木氏と長野峻也氏が共著の「時代劇の間違い探し」(角川書店発行)がなかなか秀逸だ。「大名行列に一般民衆は土下座しなかった」「峰うちをしたら刀はポキッと折れる」など意外に知らない事実が、蘊蓄としてこれでもか、これでもかと展開されるので時代劇志望者は必読だ。

小説を「プログラムで書く」という実験的なことにトライしているのは、小説家の中村航氏だ。氏は、「僕は小説が書けない」という小説を中田永一氏といっしょに書いた。

これは小説を「感覚」で書くのか、「手法」で書くのかという難しいテーマに挑戦した力作だ。たとえばシナリオにはもうハリウッド御用達のプロットプログラムがある。主人公や敵、恋人などをデータで打ち込めば、ある程度は展開してくれる。ただし英語だが。

中村氏の小説の中で、「僕たちは才能がないぶん、道具で切り開いていくしかないんだ」として「ものがたりソフト」で小説を作っていく登場人物は、たとえば才能がない僕には共感できる。

◆上田氏は「プロットは書かない」

話を上田氏に戻せば、氏は「プロットは書かない」と名言した。これは、書かないということではなく、膨大な資料を読み込む氏のことだから、頭の中にすでに展開されていることだと思う。僕が雑誌や書籍での文章のライティングを教わった、エディトリアルライターとしての師匠、瀬戸龍哉氏は「有能なライターは、取材したらもう原稿用紙に何を書くか決まっている。ひとりにインタビューしたら、もう原稿用紙10枚から20枚くらいは頭の中に展開されているものだ。あとは、ライティングしながら削っていく。『ひとまずテープを起こさないと』なんて言っているやつはプロじゃないんだよ」と言いきった。

そうなのだと思う。

運がいいことに、僕が所属していた編集プロダクションには後にミステリー作家になる北森鴻がいて、手取り足取り、文章の書き方や、記事の切り口、発想のなどを丁寧に教えてくれた。これは今でも役にたっている。残念ながら北森氏は2010年に亡くなられたが。

若桜木氏の小説メソッドだと、重要なのはプロットを練り込み、誰も発想しないような展開を文章でつづることだ。実際に、ハリウッドの映画製作会社などは、映画を作るときに何十通りもプロットを作り込む。日本のテレビ製作会社だって、原作がある本を脚本にするときなど、何十種類もプロットを作る。プロット専門のライターがいるくらいだ。

いずれにせよ、時代小説家は今、不足している。チャンスといえばチャンスである。

同時に不足している「ビジネスライター」についてはまた機会があれば言及しよう。

※上田秀人公式HP「如流水の庵」

(小林俊之)

◎731部隊の「ガチンコ人体実験」跡をユネスコが「世界文化遺産」と認める日
◎「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権
◎プリズム公演「闇をときなす音色」はダンスも演技も熱かった!

鬼才板坂剛による天才ポール・マッカートニー「逆襲」来日ライブ写真集の怒涛!

ポール・マッカートニーがついに武道館に帰ってきた! 連日満員の東京ドームと、49年ぶりに戻ってきた日本武道館での「体験」を700枚超の写真とともに記録した本が出た。

ポール自身も「とてつもなくクレージーで、最高の夜だった」と評した日本での出来ごとを振り返るフォトブックだ。

『2015 PAUL in Japan』(鹿砦社2015年05月25日) 板坂 剛=編著 B5判/128ページ/オールカラー/カバー装 定価:本体1600円+税

◆YouTubeがまだなかった1990年、ポールの初来日ライブ体験は衝撃だった!

初めてポールのコンサートにでかけたときは、就職を4日後に控えた90年3月13日のことだ。初来日に日本中が涌いている中、ポールは次の演奏曲をやった。そして私と友人は、ボロ泣きしながら、完全にポール・フリークとなっていた。

1990年3月13日のポール来日コンサートのセットリスト

そして次にポールと接触するのは、留学の本を作っていたときに、ポールが自費を投じて作った音楽学校の紹介記事なのだが、とにかく、ここで語るのははばかれるほど、ポールが音楽界に果たした功績は大きい。

今でこそ、YouTubeで楽しめるが、その昔は音源が手に入りにくい「ウイングス」時代の曲「グッドナイト」などは、探すのが難しく、ここ10年ほどは聴けなかったが、今年、YouTubeで10年ぶりに聞いた。そうした意味で今はなんでも聴けていい時代だと思う。

◎[参考動画]Paul McCartney – Out There Tokyo Japan 2013 東京公演HD完全版
Tokyo Dome, TOKYO 2013年11月21日

◆ポール日本公演実現までの長く曲がりくねった道

編著者の板坂剛氏は、「リベンジの来日!」と題して前がきでこう書く。

ポール・マッカートニーは、今回の来日を〝リベンジ〟だと位置づけた。この言葉には、複雑な情感が込められているような気がする。

これまで、ポールの日本公演は決して平和裡に実現したわけではなかった。1966年のビートルズ(初来日にして最後の来日となった)武道館公演からして、「ビートルズを日本から叩き出せ」という右翼団体の罵声を浴び、「神聖な武道館を河原乞食に使わせるな」と、あるテレビ番組から悪質な中傷を全国に流布された。(〝河原乞食〟の芸が歌舞伎座で上演されることは許されるのか?)

そこに当時の首相の佐藤栄作首相までが「(ビートルズは)武道館にふさわしくない」と発言。この〝佐藤発言〟はそれほど辛辣なものではない。しかし、たかが(と言ってはポールに悪いが)ロックバンドの公演に一国の首相が言いがかりをつける大人気なさに、当時の若者たちは皆「国家権力の正体見たり」と冷ややかに反応したものだった。

(中略)日本公演に続くフィリピンでの受難、あるいは、ウイングス時代の麻薬がらみの公演中止事件も、カリスマ性を持つ人間が大衆をリードすることに対する国家権力側の嫉妬に充ちた嫌がらせだったとしか思えない。1966年、『時事放談』というテレビ番組で暴言を吐いた小灯利得も細川隆元も、また首相の佐藤栄作も、もちろん「ビートルズを日本から叩き出せ」と言い切った大日本愛国党の赤尾敏も、その後、武道館がコンサート会場として常時、数多くの〝河原乞食〟に使用されることに対しては全く非を唱えようとはしなかった。彼等は、ただただビートルズという巨大カリスマが憎かったのである。

だから今、ポールの口から〝リベンジ〟という言葉を聞かされると、どうしても彼等のふてぶてしい顔が、まず目に浮かんでしまう。彼等は既にこの世にはいないが、死者に鞭打つなという批判を退けても、私は、佐藤栄作、赤尾敏、小灯利得(おばまとしえ)、細川隆元の4人がもし今も生きていたら、首に縄をかけて武道館に連行し、ポールの前に土下座させたい気分でいることを正直に記しておきたい。

4.28 日本武道館にて (板坂剛「まえがき」より)

鬼才・板坂の文章はこの本ではコラムとしてスパークする。そこにはポールとジョンがなぜ仲違いしたのか解説しているが、これは買ってのお楽しみとしてとっておきたい。ポールファン、ビートルズのファンは見逃せない一冊だといえるだろう。

(小林俊之)

◎[参考動画]Paul McCartney – Out There Japan Tour 2015 大阪公演HD完全版
Kyocera Dome, OSAKA 2015年4月21日

『2015 PAUL in Japan』

ファシズム日本の予言書──辺見庸「抵抗3部作」がどれも絶版になっていた!

3・11後に日本社会の不条理を初めて考え出した若い知人に「最近の社会問題がわかりやすくて役に立つ本はないか」とかなり前に問われたので、10冊ほどを推薦したが、その中に辺見庸の『永遠の不服従のために』、『いま抗暴のときに』、『抵抗論』(いずれも単行本は毎日新聞社、文庫本は講談社)を入れておいた。

彼の人は私に意見を求めておきながら、なかなか腰が重かったようでつい最近になって連絡があった。「教えてもらった3冊とも、もう絶版になっていて、本屋に売っていませんでした」とのことだった。先般の船戸与一の逝去についで、また「え!」とメールを見ながら声を上げてしまった。

この3冊は21世紀に入っていきなりの9・11から米国のアフガニスタン侵攻、イラク殲滅の時代に対する辺見のエッセーや取材が収められているものだが、文庫の初版は2005年だった。今日的な国家主義、ファシズム急加速の序章を詳述した10年ほど前のこの3冊は、今読んでも(否、まだ未読の方々には今の時代にこそ)示唆と警告に満ちているのだが、あろうことか絶版だそうだ。

単行本ならばともかく、文庫でも買い求める人がいなくなったということなのだろうか。この事実、私にはかなりショックである。

いつのまにか絶版本になっていた辺見庸「抵抗3部作」(『永遠の不服従のために』、 『いま、抗暴のときに』、『抵抗論』いずれも講談社文庫)

◆辺見の「悪い予感」を上回って加速する日本の終末状況

絶版になっているの知ったので、まことに大雑把な種明かしをしておこう。「抵抗3部作」とも呼ばれたこの物々しいタイトルの3冊は辺見による「戦後民主主義終了、国家主義ファシズム完成、そして戦争へ」との警鐘が綴られたものだ。往時の米国大統領はブッシュで、日本の総理は小泉純一郎。前述の通り9・11、NYでは貿易センタービルに航空機が突っ込み2つの高層ビルが崩壊、ワシントンではペンタゴン(国防総省)へも同様の航空機突入など米国史上初めて本国に甚大な攻撃を受けた事件(これに絡んでは米国の謀略説も根強いが)を引き金に、猛獣と化した米国は戦争に猛進する。小泉もあろうことか憲法前文を「解釈抽出」して実質的海外派兵を行った。

「改革の本丸は郵政民営化」とのわかったようなわからないようなワンフレーズを多用する総理は、不幸にも絶大な人気を得、共産党支持者の中でも70%が支持をした。

また小泉は朝鮮を訪問し拉致被害者の一部が帰国を果たす(当時の官房副長官は現首相安倍)が、それにより在日韓国朝鮮人への差別が一層激化した時代でもあった。排外主義の激化があからさまになりだした。

一連の出来事は主として13-14年前で、この「抵抗3部作」が文庫化されたのが10年前である。

辺見の悪い予感を上回る第一次安倍内閣誕生から、いっときの民主党政権、そして3・11を経て自民党政権回帰へと、語られるべきテーマや登場人物は明らかに悪化の一途を猛進する。戦後最悪、否新たな戦争を運命付けられた「戦前」とも言うべき時代を迎えている。

2003年頃にいわば「終末」宣言を出していた辺見にすれば、もうこの期に及んで紡ぐ言葉などない、というのが本音なのだろうか、ここ数年の辺見の文章は「最後のアジテーション」とでも表現すべき「抵抗3部作」の激情的ともいう文体ではなく、総じて詩的である。

だからこそ「抵抗3部作」は戦後民主主義の死滅がいかなるものであったかを個々が総括するために、今日的終末状況が21世紀に入りどのように加速化したかを再確認するために(この書群では当然それ以前の状況への言及も豊かだが)是非ともこの時代に読まれるべき価値があると思う。

これからさらに暴虐の時代に突入することは間違いない。その心構えはあなたにあるだろうか。

◆辺見庸「抵抗3部作」絶版は単に「売れなくなった」ことだけが理由だろうか?

戦争の時代がやってくる。どうやらそれは辺見や私が懸念していたよりも到来の時期は大幅に早まるようだ。辺見は相当な危機感とそれまでの小説やエッセーで見せたことのない(たぶん辺見自身が忌み嫌う)直接的な表現をあえて多用し危機の深刻さと重大さを吼えまくっていたのだけれども、今読み返せば辺見の咆哮はそれでもまだ足らなかったのだ。

「抵抗3部作」絶版は単に「売れなくなった」ことだけが理由だろうか、などと意味もない詮索をしてしまう自分の未練たらっしさもみっともないけれども、げに、恐ろしい時代に生きているのだと痛感する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎5月17日熊本で知名定男プロデュースのライブイベント「琉球の風」2015開催!
◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?

自粛しないスキャンダルマガジン『紙の爆弾』目下話題の6月号発売中!

 

関西大学の教壇で鹿砦社の松岡社長が〈生きた現実〉を語る!

松岡利康=鹿砦社社長(2015年5月22日関西大学)

関西大学で共通教養科目の中のチャレンジ科目として開講されている『人間の尊厳について』で5月22日、講師としてついに松岡社長が教壇に立った。浅野健一同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授(京都地裁で地位確認係争中)に次いでの登場で、出版人として受講学生に松岡節が披露された。

さて、どんな講義が展開されるやら。鹿砦社、松岡社長が学生にどんな球を投げかけるのか。ど真ん中の直球か、胸元すれすれのブラッシュボールか、と期待半分に案じていたが、内容は至極穏やか、かつ優しさに満ちた講義となった。

◆〈社会〉との関わりの中で〈死んだ教条〉ではなく〈生きた現実〉を語る

配布されたレジュメは「はじめに─〈人〉と〈社会〉との関わりの中で、〈死んだ教条〉ではなく〈生きた現実〉を語れ!」と勢いのある書き出しから始まる。学生運動経験のある松岡社長のことだ、その後にアジビラ風の文章が続くと思いきやそうではなかった。レジュメは出版のあれこれというよりは松岡社長が社会的に手掛けている活動紹介が中心となっている。

したがって講義内容も出版人というよりも松岡社長(鹿砦社)がどのように「社会」と関わっているか、関わりを創造しているか、の紹介に主眼が置かれていた。

◆「人権破壊」としての福島原発事故への衝撃から『NO NUKES voice』発刊

最初に言及されたのが「人権破壊」としての「脱(反)原発」活動への関わりだ。福島原発事故に強い衝撃を受け、また怒った出版人として『NO NUKES voice』を発刊したことがまず紹介された。

『NO NUKES voice』Vol.1(2014年08月25日刊)~Vol.4(2015年05月25日刊)

◆左右問わず生きた思想」を学ぶ場としての「西宮ゼミ」

次いで、鹿砦社本拠地で続けられている「西宮ゼミ」に寄せる思いと意義に言及した。関西で鹿砦社と言えば「西宮ゼミ」と言われるほど浸透した感のあるこの企画も、単なる出版にとどまらず、「左右問わず生きた思想」を学ぶ場として市民に提供してきた意義を述べ、これまでの登場した全ての講師陣が資料で紹介された。

2015年の「西宮ゼミ」は「前田日明ゼミin西宮」。第3回は2015年6月7日(日)14:00よりノボテル甲子園にて開催。ゲストはジャーナリストの田原総一朗さん。お題は「戦後レジームの正体を総括する!」

◆鹿砦社はなぜ、Paix2(ぺぺ)「プリズンコンサート」や熊本「琉球の風」を支援し続けてきたのか?

その後は、これまた鹿砦社が長年応援している女性デュオ「Paix2(ぺぺ)」の紹介だ。「プリズンコンサート」でついに全国すべての刑務所を制覇した「Paix2(ぺぺ)」。その活動を高く評価する松岡社長が支援する意味と出版の結びつきについて思いが語られたが、その真意は次週の講義で更に重みを増し、学生に伝わることになろう。

『逢えたらいいな プリズン・コンサート三〇〇回達成への道のり 』(2012年04月20日鹿砦社)


◎[参考動画]Paix2(ペペ)「受刑者のアイドル 網走刑務所」(2014年12月NHK放送)
◎[参考動画]Paix2(ぺぺ)公式youtubeチャンネル

更にはつい先ごろ7回目の開催となった「琉球の風」への協賛とそれに至る経緯が語られ。主たる講義部分は終了した。どれもこれも「社会」、「人間」との生きた繋がりを示す実践であり、素人が想像する専門職的な出版や編集の話とはほとんど無縁だ。

『島唄よ、風になれ!「琉球の風」と東濱弘憲』(2013年11月25日鹿砦社)


◎[参考動画]「熊本に流れる琉球の風」(2012年9月NHK放送)

これは一般的な出版社社長の講義ではない。自社発行物の紹介が無かったわけではないけれども、月刊誌『紙の爆弾』 に言及することもなければ、出版差し止めの苦い経験も語られなかった。敢えて名づければ「社会派企画出版社」の活動実績報告に近いだろうか。

「琉球の風」を語り終わった後には同イベントの様子を記録したDVDが約30分教室で流された。昼食直後の時間帯ということもあり、講義の最中には安らかにお休みになっている学生諸君の姿も散見されたが、DVDの映像が流れると目を覚まし熱心に見入る姿が印象的だった。

島唄の大御所で琉球の風」総合プロデューサー知名定男さん(写真中央)、「かりゆし58」前川真悟さん(右)、松岡利康鹿砦社代表(2015年5月17日「琉球の風~島から島へ2015」会場にて)

◆次回5・29関西大講義の「松岡弾」がいかなるものになるか?

2回連続の講義の初回、松岡社長はたぶん、学生に「言葉」で伝えようと内心弾倉に込めている弾薬を放ちはしなかった。学生に理解しやすい内容でまずは肩に力を抜いてもらい、胸襟を開いた学生たちに「価値観」を揺さぶる衝撃を次回講義に準備しているのではないか。

松岡社長によると、講義の感想を記した学生の感想文は「琉球の風」DVDの内容に感激した内容が多かったそうだ。学生の多くは初回講義である種の「油断」をしたのではなかと私は目星をつけている。そして、それは松岡社長の狙い通りだ。次回講義の「松岡弾」がいかなるものになるか、恐らく松岡社長の壮絶な過去を知らない学生諸君よりも私の方が楽しみにしているかもしれない。5・29関西大学で何が起こるだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎公正な社会を求める企業は脱原発に動く──『NO NUKES voice』第4号発売!

脱原発情報マガジン『NO NUKES voice』Vol.4、5月25日発売開始!

http://www.rokusaisha.com/

「在日特権」は実在する!──『紙の爆弾』6月号の注目記事

「在日特権」は存在する。「在特会」が登場する30年以上前から、「在日特権」を有するこの連中を何とかできないだろうか、と問題視はしてきた。「在日特権」を持つこの集団はしかし、武器の扱いや殺人術を職業的に習得している。「在特会」が行うような、お気楽な「示威行動」で太刀打ちできる相手ではない。しかもその「特権」は日本と米国間で締結された数々の「協定」により公然と認められているからたちが悪い。

私が意味するところの「在日特権」を保持する集団とは、言わずもがな「駐留米軍」のことだ。まかり間違っても「在日韓国・朝鮮人」の方々を指すものではない。

◆緻密に史実を掘り起した「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」

今発売中の「紙の爆弾」6月号に佐藤雅彦氏による「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」が掲載されている。佐藤氏の論考は常に緻密な歴史事実の掘り起しと、事実の積み重ねにより問題点を浮かび上がらせ私たちに示唆を与えてくれる。この記事は日本と米国の歪(いびつ)な関係、その中で起こった数々の事件を紹介し戦後連綿と続いてきた「日米連盟」の本質を教えてくれる。

沖縄に限ったことではなく、全国各地で「駐留米軍」による犯罪・事件は起きていた。仮に日本人がその犯罪・事件の被疑者であれば確実に重罪に処されることが確実なのだが、「駐留米軍」にはそんな裁きが行われない。ひどい場合は犯罪を犯したものが「名誉除隊」をして、さっさと本国に帰国してしまう。
何故か?

その理由と数々の事例を「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」は紹介し問題の本質を解き明かしてくれる。

折しも安倍が「一国の最高責任者が人前で恥ずかしげもなく、よくこんな話が出来るな」と世界中から大笑いを浴びた米国への「忠誠宣言」を米国議会で行った直後だ。

「オール沖縄」の人々が反対する中、辺野古の基地建設は「粛々」と進められようとしている。どうして日本政府はそんなにやっきなのか?

これらを理解するための力強い武器を「裁かれないヤンキー犯罪天国ニッポン」与えてくれる。小学校から大学まで通っても教えてはくれない「駐留米軍」問題の本質を知るのに最も優れた論考だ。

◆「多様な視野」で差別を撃つ「渋谷区マイノリティー政策は誰のためのもの?」

また、一見、問題の性質を異にするように見えるマイノリティー差別問題を焦点にした朴順梨氏による「渋谷区マイノリティー政策は誰のためのもの?」も掲載されている。この2本の論考は意識的に同じ号に掲載された訳ではないのだろうが、実は分かちがたい、同根の問題への異なる視点からのスポットライトと言えよう。

「在日特権」と「差別」。どちらも厄介だが問題を溶解させるためには「現実を知る」ことと「多様な視野」は必須だ。

上記2本の記事は必読! まだ、未読の読者には一刻も早い購入をお勧めする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」

自粛しないスキャンダルマガジン『紙の爆弾』目下話題の6月号発売中!

 

 

「書籍」の定義を変えた衝撃の本──「Mr.都市伝説 関暁夫の都市伝説5」

「Mr.都市伝説 関暁夫の都市伝説5 メディアの洗脳から覚めた皆さんへ」(関暁夫著・竹書房) ?の登場は、実に衝撃だった。

そう、「書籍の来るべき未来」を追及する僕にとっては3つの意味で衝撃だった。まずひとつめ。

『Mr.都市伝説 関暁夫の都市伝説5』(関暁夫著・竹書房)

◆まるでYouTubeを見ているような感覚になるほどAR動画が満載

この「都市伝説」は、1万円札に織り込まれた暗号やフリーメイソンなどの陰謀などを展開してヒットを生んでいるのだが、この「5」については、AR動画がいくつものページに織り込まれて、動画を楽しめる構成になっている。つまり、動画を見るためのシールにスマートフォンをかざせば、簡単に動画が始まり、まさにYouTubeを見ている感覚になる。そのシールが随所に織り込まれているのだ。

ということは、この本は「動画を楽しむための導入キー」として機能しているということである。この本の虜になった何人かの読者に聞いたが「動画は見たが、本はあまり読まなかった」という。ということは、書籍の将来への方向性として「動画を楽しみたい人のためのマスターキー」たるものとして書籍が存在し、人たちが求めていくかもしれない、ということだ。もしもそうなら、芸能人の水着も、それから幽霊の写真も、これからは「AR動画つき」として本が売られていき、「動画が主で、文字が従」となる可能性が大きくあることを示す。

◆書籍が「パーティグッズ」として人気アイテムになるならば

ふたつめは、これもまた肉眼で見て驚いたが、この書籍を開いて、スマートフォンで怖い動画を見せる、という行為をキャバクラで見たときも驚いた。見たことはないが、パーティや合コンでの「つかみ」として男が自慢げに見せている人もいるだろう。

もし、書籍が「パーティグッズ」として人気アイテムになるならば、いい傾向なのではないかと思う。「読む」書籍としてはもはや日本については二人にひとりは年に一冊も読まない時代だからだ。

◆マイクロソフトからクレームが入るほど壮絶な陰謀説

話を「都市伝説」に戻すが、じつはマイクロソフトの陰謀を関氏が語りすぎて、マイクロソフトからクレームが入っているという。これは3つめの衝撃だ。 関氏は、テレビ番組でビルゲイツの財団が関わっている事業の一つであるワクチンについて触れ、そこで恐るべき陰謀説を語りだした。

「ビル・ゲイツは、ワクチン事業の裏で、密かに世界人口をコントロールしようとしている」という、壮絶な陰謀説を披露したのだ。これがマイクロソフトの逆鱗に触れたようだ。

◆「都市伝説」のルーツ「消えるヒッチハイカー」

「都市伝説」は、発祥がアメリカとされる。81年に流行した「消えるヒッチハイカー」はそれなりに衝撃的だった。

こんな内容だ。

(類話1) スパーダンバーグに住むひとりの男が、ある夜、家へ帰る途中、ひとりの女が道端を歩いているのを見た。彼は車を停めて「送りましょうか」と言った。彼女は、3マイルほど先の兄の所へ行くところだと言った。彼は「助手席へどうぞ」と言ったが、彼女は後ろのシートに座ると言った。途中、しばらく話をしたが、やがて彼女はおとなしくなってしまった。彼はその兄の家まで車を走らせた。その兄のことは彼も知っていたのだ。そこに着き、彼女を降ろそうと車を停め、後ろを振り向くと、そこには誰もいなかった。彼は妙に思い、その家へ行ってその兄に言った。「おまえさんに会うという女を乗せたんだけど、ここに着いたら消えちまってたよ」。その兄はまったく驚いた様子もなくこう言った。「その子は2年前に死んだ妹だよ。彼女を道で拾ったのは君で7人目さ。でも、妹はまだここまで本当にやってきたことはないよ」(http://roanoke.web.fc2.com/foreign/Vanishing_Hitchhiker.htm

◆都市伝説とは「みんなの間で語られているが、真実かどうか分別がつかないもの」

つまり、「都市伝説」とは、あえて定義すれば「みんなの間で語られているが、真実かどうか分別がつかないもの」ということだ。誰も知らない話は都市伝説にはならない。だから日本では「口裂け女」は都市伝説だ。いい女が寝てくれた。先に帰ったが、鏡にルージュで「エイズの世界へようこそ」と書いてあった。これが90年に流行した有名な「エイズ・メアリー」という都市伝説だ。都市伝説がひとり歩きしていくとき、語り部としては誰が浮上するだろう。

それは「時代が誰を選ぶか」という話となってくるが、関氏については、もはやあまりにもレジェンドとして存在が大きくなりすぎ、「それは裏がとれているのか」というわけがわからない方向に読者の関心が向かってしまうのだろうと思う。
いずれにせよ「6」が楽しみだ。いつ出るのか知らないが、それはおそらく、「書籍」の将来を示す可能性に満ちているのだから。

(小林俊之)

◎占領期日本の闇──731部隊「殺戮軍医」石井四郎はなぜ裁かれなかったのか?
◎自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年記念の集い報告
◎「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権

募集して「放置」の竹書房新人賞──日本推理作家協会作家が語るその真相

前にも報じたが、竹書房が去年3月に文学賞を募集したまま、発表せずに1年以上たったまま「放置」した事件がかなり文学界でも問題になり始めているようだ。

とくに重鎮の作家たちが、応募した弟子に「どうなっているか竹書房に確認してください」とせっつかれて頭にきて「もうあそこには書かない」とぶんむくれている小説家が増えているのだ。

「文学賞が一年間、発表されないケースはちょっと記憶がありません。もしかしてまだ審議しているのでしょうかね」(月刊公募ガイド編集長・澤田香織さん)

◆受賞作が発表されない3つの事情

また、竹書房でも仕事をしたことがある、中堅の日本推理作家協会のA氏がインタビューに応じてくれた。匿名を条件に冷静にこう分析してくれる。

―― いったい、竹書房の文学賞をめぐる状況では、何が起きていると思いますか?

A氏 受賞作が発表されない理由、端的に三つの事情があるかと思います。

1.竹書房に金がない

2.小説に将来性を認めていない

3.社内に意見の相違がある

新人賞賞金50万円といっても、出版社が負担する金額はもっと大きくなります。選考を外部に依頼するなら選考員に報酬を支払わなければならない、書籍として刊行するなら、著者印税の数倍の費用が発生します。竹書房と言えば資本金7500万円の中規模出版社で苦しいのかという疑問がありますが、たとえ50万円といえども、抑えたいのが本音でしょう。

出版社も営利企業ですから、取引各社に様々支払いの義務が発生します。銀行、印刷会社、取次、製本所、社員の給与などです。手形決済をしていれば、不渡りを出せば大問題になります。ですが、著者に対しては手形ではない。きわめて踏み倒しやすい相手です。

―― 募集したが、もはや募集当時とはちがって小説はいらなくなった、ということでしょうか。

A氏 同様に新人賞というのは出版社にとって一種の投資と見ることができます。前述のように新人を発掘して本を書かせるためには、費用がかかります。ところが新人を売り出しても書籍の売り上げが期待できない、投資した金額が回収できないと判断すれば、投資を中止することもするでしょう。特に現在では小説の市場規模は縮小する一方です。どの出版社も著者に対して非常にシビアになっています。

私自身も昨年、ある出版社から増刷印税を待ってくれ、という申し入れを受けました。増刷印税ですから微々たる額です。わずか5万円で、延期するにしてもいつの払いになるかと聞いても「判らない」。

遅れていた初版印税の支払いを請求して裁判になったこともあります。支払いが遅れるという連絡があって、分割で支払いを受けていました。ところが編集さんから同社に原稿注文を受けました。未払いがあるままで新規に仕事は受けられないので出版社の経理に請求したところ、支払う理由がないとして裁判になり、二審まで行きました。この時の金額が20万円です。

―― お金の問題で、「発表どころではなくなった」ということでしょうか。『お金がないので中止します』とアナウンスすればすむことではないでしょうか。

A氏 新人賞を途中で中止するにしても、費用を削減する方法は色々あります。一番簡単なのは該当作無しにする。賞の第1回で該当作無し、というのは珍しいのですが、前例もあります。古い話ですが1961年早川書房のコンテストで該当作無しでした。あるいは印税、ないしは賞金を支払って書籍は出版しないという方法もあります。雑誌ですが、編集者側のハンドリングミスで使えない原稿ができてしまった。こういう時、原稿料は支払うが掲載されません。私自身も経験がありますし、著名作家もエッセイの中で同じことを書かれています。最近ですと新聞社主催の新人賞でも書籍化はしないが、ネット上で発表というケースもあります。

ネット上の噂では『受賞に値する作品が表に出せない地下アイドルがゴーストに書かせたので、確認がとれないから発表できない』という話もありますが、これも考えづらい。覆面作家など今も昔も珍しくないわけです。

他にも税務署との関わり合いとか、理由は色々考えることはできますが、動きがない、というのは社内での意見がまとまっていない、と見るべきだと思います。特に竹書房は毎年のように経営陣が刷新され、引き継ぎなり、意見統一が不完全と見たほうがいいでしょう。

◆募集しておいて「放置」では……

とはいうものの、「募集しておいて」「放置しておく」のが許されるはずはない。応募者は、人生を賭けて投稿しているのだ。

同じく日本推理作家協会のW氏も憤る。

「経費節減したいなら、授賞だけして書籍化しなければ良い。実名を挙げれば、『幽』怪談文学賞は、佳作や奨励賞だと刊行されない。去年で募集を終えた学研の歴史群像大賞も、佳作は刊行しない(以前は刊行していた)。大賞賞金は謳っていても、佳作とか優秀賞などの賞金額までは謳っていないから、5万円とか10万円とかの”薄謝”を支払って済ませば良い。刊行経費は抑えられるし、本人たちには、一応は『受賞者』の箔が付く。いついつ新人賞受賞作を発表します、と言っておいて実行せずに社会的信用を失墜させるよりは、よほどマシだと思うが、どうだろうか」

竹書房の担当編集部に直撃すると「今のところ初夏ぐらい(6月か7月)に発表する予定です」とのこと。確か去年の12月には「年明け早々に発表します」と言っていたが。

「ちゃんと発表しないと、小説家たちの間で『あそこは信用ならぬ』という話になって作家たちがそっぽを向きますよ。今度こそちゃんと発表してほしいですね」(応募者)

果たして初夏に文学賞は発表されるのだろうか。注目したい。

竹書房では、「原稿料未払い」の情報もいくつか耳に入ってきている。

もし機会があれば、レポートしよう。

(鈴木雅久)

◎竹書房に新疑惑──なぜ、第1回文芸新人賞の選考結果を発表できないのか?

◎「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権

◎自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年記念の集い報告

これはサスペンス小説ではなく、事実です(鎌仲ひとみ=映画監督) 青木泰『引き裂かれた「絆」――がれきトリック、環境省との攻防1000日』

 

《追悼》船戸与一には何度も思いっきり殴られた

『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)
『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)

「本文からではなく、解説から読む癖のある読者諸兄姉のために、ひとこと申し上げる。あなたの身は間違いなく本書の放つ劫火(ごうか)に焼かれ、その力に薙ぎ倒されるであろう。勝利者たちのこしらえる『正史』に激しく抗う者たちの瞋恚(しんに)の炎が、頁という頁にめらめらと燃えているからだ。真実の『外史』が、虚偽の正史を力ずくで覆しているからである。しっかりと心の準備をしておいたほうがいい。備えが済んだら、ひとつ深呼吸をして『飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈』から、目を凝らして、ゆっくりと読み進むがいい。熱くたぎる中東の坩堝に(るつぼ)に足もとから徐々に呑みこまれてゆくだろう。そして、読破した時、あなたの見る世界はそら恐ろしいほどに色合いを変えているはずだ。以上のみを言いたい。以下は蛇足である」

船戸与一代表作『砂のクロニクル』の解説に辺見庸が寄せた文章の書き出しである。

辺見のこの絶賛に誇張はない。大方の船戸作品の解説にも援用できそうな比類ない名解説だと思う。

とうとう船戸与一が鬼籍に入ってしまった。いつかこの日が来ることは覚悟はしていたけれども、ニュースサイトで船戸の訃報に接したとき、「え!」と声を上げてしまった。

◆船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差し

私は船戸に何度も思いっきり殴られた。喧嘩の仕方も教わったし、語学習得のコツも教わった。気が付けば銃器の扱いの基礎も船戸から教わっていたので初めて自動小銃に触れた時も思いのほか違和感がなかった。

船戸は私にとって歴史、政治学、地理学、人類学の教師でもあった。意外かもしれないが「倫理学」も時々示唆してくれた。どちらかと言えば「左巻き」の私の思考傾向をいつもハンマーでぶち壊してくれた。船戸の内部には「正義」などなかった。もちろん「革命」への幻想など持ち合わせていなかった。でも船戸は「正義」を信じ行動する人間や「革命」に命を懸ける人間を決して軽蔑しなかった。

船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差しがある。それは船戸が(自身がそうであるように)「硬派」を一貫して支持つづけた姿勢だ。「硬派」は右にも左にも国家の中にも国家の滅亡を目指すものの中にもいる。船戸の着眼は常にそういった「硬派」へ向けられていた。

◆「彼らを日和らせたくないから、そのためには殺すしかない」

『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)
『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)

船戸作品にあっては主たる登場人物は必ず死ぬ。私自身勝手に「船戸ファイナル」と名付けていた極端も過ぎるダダイスティックな結末が必ず準備されている。不謹慎ながら読者としては愛すべき「硬派」達が最後には破局に向かうのが必定と解りながらもそわそわしながらページをめくる。

そしていざ導火線に火が付けば、それこそ書籍の中から戦場が立ち上がって来る。ありもしないヘモグロビンの血生臭さや、硝煙が生のように感じられるから不思議であることこの上ない。

あるインタビューで船戸は最後に登場人物を何故殺してしまうのか、と問われて答えていた。

「生きていると人間は日和るんです。彼らを日和らせたくない。その為には語らせないように、つまり殺すしかないわけです」

随分と恐ろしことを平気で言ってのける。さすが船戸だと感じいった。

船戸の中にはよって立つべき「主義」や「主張」など一切なかった。ただ船戸自身の皮膚感覚と常人を逸した取材力の賜物が奇跡を可能にせしめたのだろう。

「私は船戸に何度も思いっきり殴られた」と書いたが、勿論実際に殴られたわけではない。書物を通しての一方的受信しかなかった。

ただ一度だけ船戸と短い時間電話で言葉を交わしたことがある。講演を依頼しようと思い自宅に電話をかけたのだ。講演の趣旨とに日程を伝えると船戸は、

「その時は日本にいません」

とだけ語り電話を切った。

船戸に語らせるなど、無粋に過ぎる。断られてよかったと思っている。前出の辺見庸が『屈せざる者』(角川文庫)で船戸に人生論を語らせようとして、見事に失敗している。読んでいて心地よい失敗は珍しい。

船戸は自身の時代認識を時折登場人物に語らせる。

『炎流れる彼方』(集英社文庫)で元ブラックパンサー活動家が語る。

「1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、1日たりともぐっすり眠る暇なくおれたちは動きまわった。燃えさかる炎のようにな。状況は厳しかったが、精神は躍動していたんだよ。ところがいまはどうだ?80年代は最低だ。ほとんどだれもが健康のことしか考えていない。ジョギングと禁煙、ライトビールだけの時代だ。それで百歳まで生き延びたから何だというんだ?もうすぐ90年代にはいるが、それがどういう時代になるのかわからねえ。だがな、あのころのようにはなるまい。おれたちがめまぐるしく動きまわったあの頃みたいにはな」

『炎流れる彼方』の中で「最低だ」と言われた80年代から20余年、船戸は私の勘ではたぶん自覚的に人生の集大成として『満州国演義』(新潮社)を10年がかりで昨年完成させ力尽きた。『満州国演義』を読み進むうちに私は懇願にも似た気分になった。

「分かった。情熱は痛いほどわかった。でも船戸与一にはもっともっと世界を書いてほしい。

『満州国演義』こんなに入れ込んだら次書けるのだろうか」

懸念が現実になってしまった。もう新しい船戸作品は読めない。悲しい。

2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)
2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)

『満州国演義』全9巻(新潮社2007-2015年)の広告コピー文(新潮社HPより)

【1巻】『風の払暁―満州国演義1』2007年4月20日(383頁)あの地が日本を、俺たちを狂わせた――。四兄弟が生きざまを競う冒険大河ロマン! 第二次大戦前夜。麻布・霊南坂の名家に生れながらも外交官、馬賊の長、陸軍士官、劇団員の早大生と立場を全く異にする敷島四兄弟が、それぞれの運命に導かれ満州の地に集うとき……中国と朝鮮、そして世界を巻き込む謀略が動き出そうとしていた。相克する四つの視点がつむぎだす著者渾身の満州クロニクル、いよいよ開幕!

【2巻】『事変の夜―満州国演義2』2007年4月20日(415頁)※1巻と同時発売

【3巻】『群狼の舞―満州国演義3』2007年12月20日(420頁) 国家を創りあげるのは、男の最高の浪漫だ――昭和七年、ついに満州国建国。 国際世論を押し切り、新京を首都とする満州国が建国された。関東軍に反目しながらも国家建設にのめりこんでゆく太郎、腹心の部下だった少年と敵対する次郎、国のために殺した人間たちの亡霊に悩まされる三郎、ひとり満州の荒野を流浪する四郎……二十世紀最大の浪漫と添寝を始めた男たちの、熾烈な戦いは続く。白熱の第三巻。

【4巻】『炎の回廊―満州国演義4』2008年6月20日(462頁) 希望に満ちた未来は消え、恐怖と狂気が大地に滲む――帝国の終焉が始まる最新刊。 「増殖する反乱分子を防ぐ方法はただひとつ――“恐怖”しかない」。脅威を増す抗日連軍、二・二六事件に揺れる帝都、虎視眈々と利を狙う欧米諸国。夢と理想に隠されていた、満州の真の姿が明らかになる。混沌が加速するなか、別々の道を歩んだはずの敷島四兄弟の運命も重なり、そして捩れてゆく……怒濤の書き下ろし850枚!

【5巻】『灰塵の暦―満州国演義5』2009年1月30日(470頁) 「見たんですよ、この世の地獄を」日支全面戦争に突入! 戦火は上海、そして南京へ――。 満州事変から六年。理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、皇国に忠誠を誓う三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の運命を大きく動かす事件が起こる。「南京大虐殺」の全容を描く最新刊。

【6巻】『大地の牙―満州国演義6』2011年4月28日(428頁) 国家に失望したとき、人々が縋ったものは――現在をも読み解く待望の最新刊! この国はもはや王道楽土ではなく、関東軍と日系官吏に蹂躙し尽くされた――昭和13年。形骸と化した理想郷では、誰もが何かを失っていく。ある者は志を、または情を、あるいは熱意を、そして反抗心を。虚無と栄華が入り混じる満州に、北の大国が襲い掛かる。未曾有のスケールで紡ぐ満州全史、「ノモンハン事件」を描く第6巻。

【7巻】『雷の波濤―満州国演義7』2012年6月22日(478頁) バルバロッサ作戦、始動――日本有史以来の難局を、いったい誰が乗り越えられるのか。 昭和十六年。ナチス・ドイツによるソビエト連邦奇襲攻撃作戦が実施された。ドイツに呼応して日米開戦に踏み切るか、南進論を中断させて開戦を回避するか……重要な岐路に立つ皇国を見守る敷島四兄弟がさらなる混沌に巻き込まれていくなか、ついにマレー半島のコタバルに戦火が起きる。「マレー進攻」に至る軌跡を描く待望の最新刊!

【8巻】『南冥の雫―満州国演義8』2013年12月20日(430頁) 追ってくるのは宿命か、自らの犯した罪の報いか――完結へのカウントダウン。 昭和十七年。南方作戦の勝利に沸く満州に、米軍による本土襲撃の一報がもたらされる。次々と反撃の牙を剥く大国、真実を隠蔽する大本営、無意味な派閥争いに夢中の司令官たち……敗戦の予感に人々が恐慌するなか、敷島次郎はあえて“死が約束された地”インパールへと向かう??唯一無二の満州クロニクル、いよいよ終焉へ。

 

【9巻】『残夢の骸―満州国演義9』2015年2月20日(476頁) 満州帝国が消えて70年――日本人が描いた“理想の国家”がよみがえる! 今こそ必読の満州全史。 権力、金銭、そして理想。かつて満州には、男たちの欲望のすべてがあった――。事変の夜から十四年が経ち、ついに大日本帝国はポツダム宣言を受諾する。己の無力さに打ちのめされながらも、それぞれの道を貫こうとあがく敷島兄弟の行く末は……敗戦後の満州を描くシリーズ最終巻、堂々完結。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!

◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!

 

 

内田樹×鈴木邦男『慨世の遠吠え』生対談がジュンク堂難波店で実現!

内田樹氏と鈴木邦男氏の対談がファン待望の中、実現し書籍となった。『慨世の遠吠え 強い国になりたい症候群』が鹿砦社から3月16日発売になり、それを記念してのトークショーが4月20日ジュンク堂難波店で行われた。

会場には立ち見が出るほどの盛況ぶりで内田、鈴木両氏の人気と同書への関心の高さが伺われた。

意外と言えば意外なのだが、両氏の対談は鹿砦社の福本氏が持ち掛けるまでどの出版社からもオファーが無かったという。

鈴木邦男氏と内田樹氏(2015年4月20日ジュンク堂難波店)

巻頭で鈴木氏が「これはもう、対談本ではない。『対談本』の概念・領域を超えている。これだけお互いの全存在を賭けて話し合い、闘った本は他にはないだろう」との告白で始まる同書は映画館や、会議室など幾度も場所をかえての対談が行われ、その真骨頂として鈴木氏が内田氏が師範を勤める道場に乗り込み合気道で闘う。

その貴重な「闘い」の場面を記録した写真も収められているので、両氏の愛読者には欠かすことのできない貴重な「対談本を超えた対談本」となろう。

◆武道家で読書家の二人が織りなす「しなやか」な言葉の織物

この様に紹介すると誤解されるおそれがあるが、本書の対談は「右・左」といった位相から語るのではなく、共に武道家でもあり驚異的な読書家で博覧強記のお二人が織りなす言葉の織物のように「しなやか」に進んでいく。ある種の芸術作品のようだ。

トークショーでは主として内田氏のパワーが炸裂していた。立て板に水の語り。しかも対談者は聞き出すことにかけても天才的な才能を持つ鈴木氏となれば、時間がいくらあっても足りない印象を受けた。

内田 樹 氏

戦国時代に日本人はかなり世界に広く出かけて行っていて、今で言うところの「グローバル」の先端を行っていたこと、源平の戦いは水を司る者と陸を司る者の闘いであったこと、水を司る勢力が権力を握った時代、日本は外国に開かれていた……。と興味を誘う話題は尽きない。

同書のエッセンスをお伝えすることは出来るにしても、やはり読者諸氏が実際に手に取ってお読みいただきたい。そして受動的な「読者」としてではなく、この「対談本を超えた対談本」への更なる知的格闘の参加者として挑まれれば「書籍」の域を超えた刺激が待っていることだろう。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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