募集して「放置」の竹書房新人賞──日本推理作家協会作家が語るその真相

前にも報じたが、竹書房が去年3月に文学賞を募集したまま、発表せずに1年以上たったまま「放置」した事件がかなり文学界でも問題になり始めているようだ。

とくに重鎮の作家たちが、応募した弟子に「どうなっているか竹書房に確認してください」とせっつかれて頭にきて「もうあそこには書かない」とぶんむくれている小説家が増えているのだ。

「文学賞が一年間、発表されないケースはちょっと記憶がありません。もしかしてまだ審議しているのでしょうかね」(月刊公募ガイド編集長・澤田香織さん)

◆受賞作が発表されない3つの事情

また、竹書房でも仕事をしたことがある、中堅の日本推理作家協会のA氏がインタビューに応じてくれた。匿名を条件に冷静にこう分析してくれる。

―― いったい、竹書房の文学賞をめぐる状況では、何が起きていると思いますか?

A氏 受賞作が発表されない理由、端的に三つの事情があるかと思います。

1.竹書房に金がない

2.小説に将来性を認めていない

3.社内に意見の相違がある

新人賞賞金50万円といっても、出版社が負担する金額はもっと大きくなります。選考を外部に依頼するなら選考員に報酬を支払わなければならない、書籍として刊行するなら、著者印税の数倍の費用が発生します。竹書房と言えば資本金7500万円の中規模出版社で苦しいのかという疑問がありますが、たとえ50万円といえども、抑えたいのが本音でしょう。

出版社も営利企業ですから、取引各社に様々支払いの義務が発生します。銀行、印刷会社、取次、製本所、社員の給与などです。手形決済をしていれば、不渡りを出せば大問題になります。ですが、著者に対しては手形ではない。きわめて踏み倒しやすい相手です。

―― 募集したが、もはや募集当時とはちがって小説はいらなくなった、ということでしょうか。

A氏 同様に新人賞というのは出版社にとって一種の投資と見ることができます。前述のように新人を発掘して本を書かせるためには、費用がかかります。ところが新人を売り出しても書籍の売り上げが期待できない、投資した金額が回収できないと判断すれば、投資を中止することもするでしょう。特に現在では小説の市場規模は縮小する一方です。どの出版社も著者に対して非常にシビアになっています。

私自身も昨年、ある出版社から増刷印税を待ってくれ、という申し入れを受けました。増刷印税ですから微々たる額です。わずか5万円で、延期するにしてもいつの払いになるかと聞いても「判らない」。

遅れていた初版印税の支払いを請求して裁判になったこともあります。支払いが遅れるという連絡があって、分割で支払いを受けていました。ところが編集さんから同社に原稿注文を受けました。未払いがあるままで新規に仕事は受けられないので出版社の経理に請求したところ、支払う理由がないとして裁判になり、二審まで行きました。この時の金額が20万円です。

―― お金の問題で、「発表どころではなくなった」ということでしょうか。『お金がないので中止します』とアナウンスすればすむことではないでしょうか。

A氏 新人賞を途中で中止するにしても、費用を削減する方法は色々あります。一番簡単なのは該当作無しにする。賞の第1回で該当作無し、というのは珍しいのですが、前例もあります。古い話ですが1961年早川書房のコンテストで該当作無しでした。あるいは印税、ないしは賞金を支払って書籍は出版しないという方法もあります。雑誌ですが、編集者側のハンドリングミスで使えない原稿ができてしまった。こういう時、原稿料は支払うが掲載されません。私自身も経験がありますし、著名作家もエッセイの中で同じことを書かれています。最近ですと新聞社主催の新人賞でも書籍化はしないが、ネット上で発表というケースもあります。

ネット上の噂では『受賞に値する作品が表に出せない地下アイドルがゴーストに書かせたので、確認がとれないから発表できない』という話もありますが、これも考えづらい。覆面作家など今も昔も珍しくないわけです。

他にも税務署との関わり合いとか、理由は色々考えることはできますが、動きがない、というのは社内での意見がまとまっていない、と見るべきだと思います。特に竹書房は毎年のように経営陣が刷新され、引き継ぎなり、意見統一が不完全と見たほうがいいでしょう。

◆募集しておいて「放置」では……

とはいうものの、「募集しておいて」「放置しておく」のが許されるはずはない。応募者は、人生を賭けて投稿しているのだ。

同じく日本推理作家協会のW氏も憤る。

「経費節減したいなら、授賞だけして書籍化しなければ良い。実名を挙げれば、『幽』怪談文学賞は、佳作や奨励賞だと刊行されない。去年で募集を終えた学研の歴史群像大賞も、佳作は刊行しない(以前は刊行していた)。大賞賞金は謳っていても、佳作とか優秀賞などの賞金額までは謳っていないから、5万円とか10万円とかの”薄謝”を支払って済ませば良い。刊行経費は抑えられるし、本人たちには、一応は『受賞者』の箔が付く。いついつ新人賞受賞作を発表します、と言っておいて実行せずに社会的信用を失墜させるよりは、よほどマシだと思うが、どうだろうか」

竹書房の担当編集部に直撃すると「今のところ初夏ぐらい(6月か7月)に発表する予定です」とのこと。確か去年の12月には「年明け早々に発表します」と言っていたが。

「ちゃんと発表しないと、小説家たちの間で『あそこは信用ならぬ』という話になって作家たちがそっぽを向きますよ。今度こそちゃんと発表してほしいですね」(応募者)

果たして初夏に文学賞は発表されるのだろうか。注目したい。

竹書房では、「原稿料未払い」の情報もいくつか耳に入ってきている。

もし機会があれば、レポートしよう。

(鈴木雅久)

◎竹書房に新疑惑──なぜ、第1回文芸新人賞の選考結果を発表できないのか?

◎「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権

◎自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年記念の集い報告

これはサスペンス小説ではなく、事実です(鎌仲ひとみ=映画監督) 青木泰『引き裂かれた「絆」――がれきトリック、環境省との攻防1000日』

 

《追悼》船戸与一には何度も思いっきり殴られた

『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)
『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)

「本文からではなく、解説から読む癖のある読者諸兄姉のために、ひとこと申し上げる。あなたの身は間違いなく本書の放つ劫火(ごうか)に焼かれ、その力に薙ぎ倒されるであろう。勝利者たちのこしらえる『正史』に激しく抗う者たちの瞋恚(しんに)の炎が、頁という頁にめらめらと燃えているからだ。真実の『外史』が、虚偽の正史を力ずくで覆しているからである。しっかりと心の準備をしておいたほうがいい。備えが済んだら、ひとつ深呼吸をして『飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈』から、目を凝らして、ゆっくりと読み進むがいい。熱くたぎる中東の坩堝に(るつぼ)に足もとから徐々に呑みこまれてゆくだろう。そして、読破した時、あなたの見る世界はそら恐ろしいほどに色合いを変えているはずだ。以上のみを言いたい。以下は蛇足である」

船戸与一代表作『砂のクロニクル』の解説に辺見庸が寄せた文章の書き出しである。

辺見のこの絶賛に誇張はない。大方の船戸作品の解説にも援用できそうな比類ない名解説だと思う。

とうとう船戸与一が鬼籍に入ってしまった。いつかこの日が来ることは覚悟はしていたけれども、ニュースサイトで船戸の訃報に接したとき、「え!」と声を上げてしまった。

◆船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差し

私は船戸に何度も思いっきり殴られた。喧嘩の仕方も教わったし、語学習得のコツも教わった。気が付けば銃器の扱いの基礎も船戸から教わっていたので初めて自動小銃に触れた時も思いのほか違和感がなかった。

船戸は私にとって歴史、政治学、地理学、人類学の教師でもあった。意外かもしれないが「倫理学」も時々示唆してくれた。どちらかと言えば「左巻き」の私の思考傾向をいつもハンマーでぶち壊してくれた。船戸の内部には「正義」などなかった。もちろん「革命」への幻想など持ち合わせていなかった。でも船戸は「正義」を信じ行動する人間や「革命」に命を懸ける人間を決して軽蔑しなかった。

船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差しがある。それは船戸が(自身がそうであるように)「硬派」を一貫して支持つづけた姿勢だ。「硬派」は右にも左にも国家の中にも国家の滅亡を目指すものの中にもいる。船戸の着眼は常にそういった「硬派」へ向けられていた。

◆「彼らを日和らせたくないから、そのためには殺すしかない」

『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)
『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)

船戸作品にあっては主たる登場人物は必ず死ぬ。私自身勝手に「船戸ファイナル」と名付けていた極端も過ぎるダダイスティックな結末が必ず準備されている。不謹慎ながら読者としては愛すべき「硬派」達が最後には破局に向かうのが必定と解りながらもそわそわしながらページをめくる。

そしていざ導火線に火が付けば、それこそ書籍の中から戦場が立ち上がって来る。ありもしないヘモグロビンの血生臭さや、硝煙が生のように感じられるから不思議であることこの上ない。

あるインタビューで船戸は最後に登場人物を何故殺してしまうのか、と問われて答えていた。

「生きていると人間は日和るんです。彼らを日和らせたくない。その為には語らせないように、つまり殺すしかないわけです」

随分と恐ろしことを平気で言ってのける。さすが船戸だと感じいった。

船戸の中にはよって立つべき「主義」や「主張」など一切なかった。ただ船戸自身の皮膚感覚と常人を逸した取材力の賜物が奇跡を可能にせしめたのだろう。

「私は船戸に何度も思いっきり殴られた」と書いたが、勿論実際に殴られたわけではない。書物を通しての一方的受信しかなかった。

ただ一度だけ船戸と短い時間電話で言葉を交わしたことがある。講演を依頼しようと思い自宅に電話をかけたのだ。講演の趣旨とに日程を伝えると船戸は、

「その時は日本にいません」

とだけ語り電話を切った。

船戸に語らせるなど、無粋に過ぎる。断られてよかったと思っている。前出の辺見庸が『屈せざる者』(角川文庫)で船戸に人生論を語らせようとして、見事に失敗している。読んでいて心地よい失敗は珍しい。

船戸は自身の時代認識を時折登場人物に語らせる。

『炎流れる彼方』(集英社文庫)で元ブラックパンサー活動家が語る。

「1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、1日たりともぐっすり眠る暇なくおれたちは動きまわった。燃えさかる炎のようにな。状況は厳しかったが、精神は躍動していたんだよ。ところがいまはどうだ?80年代は最低だ。ほとんどだれもが健康のことしか考えていない。ジョギングと禁煙、ライトビールだけの時代だ。それで百歳まで生き延びたから何だというんだ?もうすぐ90年代にはいるが、それがどういう時代になるのかわからねえ。だがな、あのころのようにはなるまい。おれたちがめまぐるしく動きまわったあの頃みたいにはな」

『炎流れる彼方』の中で「最低だ」と言われた80年代から20余年、船戸は私の勘ではたぶん自覚的に人生の集大成として『満州国演義』(新潮社)を10年がかりで昨年完成させ力尽きた。『満州国演義』を読み進むうちに私は懇願にも似た気分になった。

「分かった。情熱は痛いほどわかった。でも船戸与一にはもっともっと世界を書いてほしい。

『満州国演義』こんなに入れ込んだら次書けるのだろうか」

懸念が現実になってしまった。もう新しい船戸作品は読めない。悲しい。

2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)
2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)

『満州国演義』全9巻(新潮社2007-2015年)の広告コピー文(新潮社HPより)

【1巻】『風の払暁―満州国演義1』2007年4月20日(383頁)あの地が日本を、俺たちを狂わせた――。四兄弟が生きざまを競う冒険大河ロマン! 第二次大戦前夜。麻布・霊南坂の名家に生れながらも外交官、馬賊の長、陸軍士官、劇団員の早大生と立場を全く異にする敷島四兄弟が、それぞれの運命に導かれ満州の地に集うとき……中国と朝鮮、そして世界を巻き込む謀略が動き出そうとしていた。相克する四つの視点がつむぎだす著者渾身の満州クロニクル、いよいよ開幕!

【2巻】『事変の夜―満州国演義2』2007年4月20日(415頁)※1巻と同時発売

【3巻】『群狼の舞―満州国演義3』2007年12月20日(420頁) 国家を創りあげるのは、男の最高の浪漫だ――昭和七年、ついに満州国建国。 国際世論を押し切り、新京を首都とする満州国が建国された。関東軍に反目しながらも国家建設にのめりこんでゆく太郎、腹心の部下だった少年と敵対する次郎、国のために殺した人間たちの亡霊に悩まされる三郎、ひとり満州の荒野を流浪する四郎……二十世紀最大の浪漫と添寝を始めた男たちの、熾烈な戦いは続く。白熱の第三巻。

【4巻】『炎の回廊―満州国演義4』2008年6月20日(462頁) 希望に満ちた未来は消え、恐怖と狂気が大地に滲む――帝国の終焉が始まる最新刊。 「増殖する反乱分子を防ぐ方法はただひとつ――“恐怖”しかない」。脅威を増す抗日連軍、二・二六事件に揺れる帝都、虎視眈々と利を狙う欧米諸国。夢と理想に隠されていた、満州の真の姿が明らかになる。混沌が加速するなか、別々の道を歩んだはずの敷島四兄弟の運命も重なり、そして捩れてゆく……怒濤の書き下ろし850枚!

【5巻】『灰塵の暦―満州国演義5』2009年1月30日(470頁) 「見たんですよ、この世の地獄を」日支全面戦争に突入! 戦火は上海、そして南京へ――。 満州事変から六年。理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、皇国に忠誠を誓う三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の運命を大きく動かす事件が起こる。「南京大虐殺」の全容を描く最新刊。

【6巻】『大地の牙―満州国演義6』2011年4月28日(428頁) 国家に失望したとき、人々が縋ったものは――現在をも読み解く待望の最新刊! この国はもはや王道楽土ではなく、関東軍と日系官吏に蹂躙し尽くされた――昭和13年。形骸と化した理想郷では、誰もが何かを失っていく。ある者は志を、または情を、あるいは熱意を、そして反抗心を。虚無と栄華が入り混じる満州に、北の大国が襲い掛かる。未曾有のスケールで紡ぐ満州全史、「ノモンハン事件」を描く第6巻。

【7巻】『雷の波濤―満州国演義7』2012年6月22日(478頁) バルバロッサ作戦、始動――日本有史以来の難局を、いったい誰が乗り越えられるのか。 昭和十六年。ナチス・ドイツによるソビエト連邦奇襲攻撃作戦が実施された。ドイツに呼応して日米開戦に踏み切るか、南進論を中断させて開戦を回避するか……重要な岐路に立つ皇国を見守る敷島四兄弟がさらなる混沌に巻き込まれていくなか、ついにマレー半島のコタバルに戦火が起きる。「マレー進攻」に至る軌跡を描く待望の最新刊!

【8巻】『南冥の雫―満州国演義8』2013年12月20日(430頁) 追ってくるのは宿命か、自らの犯した罪の報いか――完結へのカウントダウン。 昭和十七年。南方作戦の勝利に沸く満州に、米軍による本土襲撃の一報がもたらされる。次々と反撃の牙を剥く大国、真実を隠蔽する大本営、無意味な派閥争いに夢中の司令官たち……敗戦の予感に人々が恐慌するなか、敷島次郎はあえて“死が約束された地”インパールへと向かう??唯一無二の満州クロニクル、いよいよ終焉へ。

 

【9巻】『残夢の骸―満州国演義9』2015年2月20日(476頁) 満州帝国が消えて70年――日本人が描いた“理想の国家”がよみがえる! 今こそ必読の満州全史。 権力、金銭、そして理想。かつて満州には、男たちの欲望のすべてがあった――。事変の夜から十四年が経ち、ついに大日本帝国はポツダム宣言を受諾する。己の無力さに打ちのめされながらも、それぞれの道を貫こうとあがく敷島兄弟の行く末は……敗戦後の満州を描くシリーズ最終巻、堂々完結。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!

◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!

 

 

内田樹×鈴木邦男『慨世の遠吠え』生対談がジュンク堂難波店で実現!

内田樹氏と鈴木邦男氏の対談がファン待望の中、実現し書籍となった。『慨世の遠吠え 強い国になりたい症候群』が鹿砦社から3月16日発売になり、それを記念してのトークショーが4月20日ジュンク堂難波店で行われた。

会場には立ち見が出るほどの盛況ぶりで内田、鈴木両氏の人気と同書への関心の高さが伺われた。

意外と言えば意外なのだが、両氏の対談は鹿砦社の福本氏が持ち掛けるまでどの出版社からもオファーが無かったという。

鈴木邦男氏と内田樹氏(2015年4月20日ジュンク堂難波店)

巻頭で鈴木氏が「これはもう、対談本ではない。『対談本』の概念・領域を超えている。これだけお互いの全存在を賭けて話し合い、闘った本は他にはないだろう」との告白で始まる同書は映画館や、会議室など幾度も場所をかえての対談が行われ、その真骨頂として鈴木氏が内田氏が師範を勤める道場に乗り込み合気道で闘う。

その貴重な「闘い」の場面を記録した写真も収められているので、両氏の愛読者には欠かすことのできない貴重な「対談本を超えた対談本」となろう。

◆武道家で読書家の二人が織りなす「しなやか」な言葉の織物

この様に紹介すると誤解されるおそれがあるが、本書の対談は「右・左」といった位相から語るのではなく、共に武道家でもあり驚異的な読書家で博覧強記のお二人が織りなす言葉の織物のように「しなやか」に進んでいく。ある種の芸術作品のようだ。

トークショーでは主として内田氏のパワーが炸裂していた。立て板に水の語り。しかも対談者は聞き出すことにかけても天才的な才能を持つ鈴木氏となれば、時間がいくらあっても足りない印象を受けた。

内田 樹 氏

戦国時代に日本人はかなり世界に広く出かけて行っていて、今で言うところの「グローバル」の先端を行っていたこと、源平の戦いは水を司る者と陸を司る者の闘いであったこと、水を司る勢力が権力を握った時代、日本は外国に開かれていた……。と興味を誘う話題は尽きない。

同書のエッセンスをお伝えすることは出来るにしても、やはり読者諸氏が実際に手に取ってお読みいただきたい。そして受動的な「読者」としてではなく、この「対談本を超えた対談本」への更なる知的格闘の参加者として挑まれれば「書籍」の域を超えた刺激が待っていることだろう。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎『人間の尊厳』をめぐる浅野健一、小出裕章、松岡利康らの関西大講義に履修者殺到!
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◎マクドナルド最終局面──外食産業が強いる「貧困搾取」ビジネスモデル

 

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!

 

 

出版界に春は来たらず──老舗文学賞も予算削減で軒並み廃止の「冬」続く

3月18日、午後5時半から光文文化財団が主宰する『第18回「日本ミステリー文学大賞・特別賞・新人賞」「鶴屋南北戯曲賞」贈呈式が東京・日比谷の帝国ホテルで開催された。この式典は、あいかわらず豪華で、作家、文芸評論家、編集者、装丁家、デザイナーや文芸雑誌関係者ら400人近くが会場に訪れた。

今年の日本ミステリー文学大賞に選ばれた船戸与一氏の歴史巨編『満州国演義』(新潮社全9巻)。執筆には10年の歳月を要し、第1巻『風の払暁』(2007年4月刊)に始まり、ついに今年2月刊行された第9巻『残夢の骸』(2015年2月刊)で完結

『日本ミステリー文学大賞』に輝いたのは、さまざまな外国に出かけ、辺境や少数民族、そして常に虐げられる弱者を力強い筆致で描く船戸与一氏、『日本ミステリー文学大賞特別賞』には2013年10月に急逝した連城三紀彦氏、『日本ミステリー文学大賞新人賞』には、『十二月八日の幻影』を書いた直原冬明氏が、そして優れた戯曲に送られる「鶴屋南北戯曲賞」には『跡跡』を書いた桑原裕子氏が選ばれた。どちらかといえばこの賞は、「大賞」は功労に対して贈られ、「新人大賞」には可能性に対して贈られる。大賞は佐野洋、笹沢佐保、森村誠一らの大御所が、新人賞は大石直紀や緒川怜など、後に活躍することになる新鋭が受賞してきた。

◆出版不況で軒並み廃止されていく文学賞

それぞれにめでたいことだが、このところの文学賞は出版不況のあおりを受けて「審査員を減らす」「下読みを減らす」「賞金を減らす」の三重苦時代に入っており、老舗の賞がつぎつぎと廃止されている。

たとえば、椋鳩十児童文学賞が2013年の第24回をもって廃止されることが決定、長い歴史があり、「角川三賞」と呼ばれた角川小説賞、日本ノンフィクション賞、野性時代新人文学賞も2010年に廃止となった。島清恋愛文学賞は2011年に廃止、黒川弘行を生んだサントリーミステリー大賞は、2003年にとっくに廃止されている。また、一説によると「大賞作品が売れなくなってきているので、江戸川乱歩賞も存続が危ぶまれている」(中堅作家)のだとか。

「日本ミステリー文学大賞」の受賞パーティの様子(帝国ホテル)

会場で配られた光文社の文芸雑誌「ジャーロ」春号をめくつていると『本格ミステリー新人発掘企画 「カッパ・ツー」!』の募集要項ページがあり、『応募するのに、ページの応募券が必要で、しかも先着20名しか応募を受け付けない』とある。

「これこそ、審査を最小の単位でやりたいという出版社の消極的態度の表れです。応募中が多ければ多いほど、秀逸な作品があるわけですから。まあ審査する出版側も金がないからでしょうね。下読みの人たちの人数も減らしているわけですが、人数は減っても読む応募作の分量は変わらないわけですからね」(日本推理作家協会員)

◆「作家を育てる」文学賞が「自費出版ビジネス」にシフトしかねない本末転倒

まずいな、と感じるのは、出版社たちの間で「文学賞にエントリーするのに手数料をとったらどうか」という議論がなされ始めた事実だ。その背景には、文学賞を(一義的には)募集しておいて落選者に対して「惜しい作品なので自費出版をしませんか」という『自費出版ビジネス』へとシフトしたい版元の意向が透けてみえる。

自費出版を批判したいわけではなく、文学賞が「作家を育てる」という観点から、「応募者の純粋な執筆欲を利益に変換する」ことにシフトしていくなら、もはや本末転倒である。

「作家を育てることができる編集者が減っている。作家を育てるはずの私塾は、森村誠一氏が主宰の『山村正夫記念小説講座』(略称 山村教室)やおびただしい数の作家を輩出している『若桜木虔小説教室』などが気を吐いているが、ほとんどの小説講座は金儲けのためにやっているだけで、育てようなどという気はさらさらない。はっきりいって文学というか小説は、もはや死んだも同然だね」(文芸雑誌編集者)

「賞には届かない」が、将来にブレイクしそうで、叩けば伸びる才能がある小説家を見つけたときの編集者の対応はこうだ。

まず、「次は賞がとれるように根回しするから」と言われて、小遣いを作家志望者に渡して抱え込み、個人的に「ほかでは書かないようにアドバイス」を重ねる。それで賞がとれないと「ごめん。でも次はきっと根回しをするから」と再び志望者を丸め込んで、ひたすら書かせていく。厚顔無恥とはこのことだ。
「そんなに抱え込みたいなら、毎月の生活費を払え、と言いたいですね」(中堅作家)

不景気なわりに、大手の作家の抱え込みかたはもはや尋常ではない。講談社は、大御所作家の宮部みゆきや京極夏彦などの人気作家に、毎年1月に「とりあえず、今年もよろしくという意味で(書くか書かないかわからないのに)前金を2000万円振り込みます」(事情通)という都市伝説がはびこるほど。

まあ、それは話として眉唾だが、銀座に行くと、いまだに大御所作家と編集者が数十万円を落としていった話をよく聞く。

先月も「文藝春秋ご用達の作家が300万円も銀座で落とした」と聞いた。文芸の編集者たちなど、まったくもって、金の使い道がわかっていない連中なのだ。

◆新たなプラットフォーム「E☆エブリスタ」の可能性

しかし希望もある。スマホ小説サイト「E☆エブリスタ」なるプラットフォームの登場だ。これは、携帯やスマートフォンから投稿できる新しいタイプの読み物だ。ここから「王様ゲーム」(金沢伸明)や「奴隷区」(岡田伸一)などのヒット作品が生まれた。また、文学賞を投稿する際「投稿フォームは、E☆エブリスタの形式で」などと応募要項が明記されている。

時代は大きくうねりあげて変わりつつある。もはや文学賞という概念は古いのかもしれない。その証拠に文学賞なんかとれなくても、「本屋大賞」をとった小説は「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹)や、「村上海賊の娘」(和田竜)などはバカ売れしたし、「奴隷区」などは口込みで爆発的に広がったのだ。

いずれにせよ、文学賞はもう「権威」ではない。ただ、「商売の道具」ではなく、「レガシー」として残ることを願う。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権
◎セガサミー会長宅銃撃事件で囁かれる安倍自民「カジノ利権」日米闇社会抗争
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

本コラムをお読みいただいている皆さんには言うまでもないことだが、鹿砦社は月刊誌『紙の爆弾』を発行している。『紙の爆弾』は創刊直後の2005年7月に名誉棄損の咎で松岡社長が逮捕されるという前代未聞の「言論弾圧」を乗り越えてこの4月で創刊10周年を迎えることになる。

◆2004年に休刊した『噂の眞相』と2005年に創刊した『紙の爆弾』

『紙の爆弾』が産声を上げる一年ほど前まで、やはり「タブーなきスキャンダりズム」を標榜する『噂の眞相』という月刊誌があった。「ウワシン」と愛読者から呼ばれた『噂の眞相』は政治経済から芸能、風俗までを扱う反権力・反権威雑誌としての立ち位置を確立し、広告収入に頼らずに20万部の購読者を持つ雑誌だった。

編集長は岡留安則氏で彼の個性が強く反映された『噂の眞相』は黒字経営だったが「2000年に廃刊」を宣言していた。だが岡留氏の美学の実践ともいうべき「2000年黒字廃刊」は検察の弾圧の前に実現を阻まれる。後の『紙の爆弾』弾圧に範を示すように、岡留編集長と同誌編集者が「和久俊三・西川りゅうじん」への名誉棄損の刑事被告人とされ、起訴、有罪が確定する(松岡社長のように逮捕はなかったが)。そのため『噂の眞相』の「休刊」は最高裁判決を待ち2004年にずれ込む。とはいえ、2004年時点でも20万部を売り上げる月刊誌は『文芸春秋』をおいて他にはなく、各界から惜しまれながらの「黒字休刊」となった。

◆『噂の眞相』岡留編集長が「読んで欲しくない」と封印した対談本

『闘論・スキャンダリズムの眞相』2001年鹿砦社

「ウワシン」を襲った「和久・西川」事件が争われている最中2001年9月に『闘論・スキャンダリズムの眞相』と題した岡留氏と松岡氏の対談本が鹿砦社から出版されている。これがとてつもなく面白い。

「反権力スキャンダル」雑誌の編集長を自認していたはずの岡留氏が同書「はじめに」で腰を抜かしている。

「『してやられた!』というのが、率直な感想である。表紙のキャッチコピーには『これが究極の闘争白書だ?』とあり、『これが最強のタッグだ?』と続く。前者はともかく後者は『エッ!』と絶句してしまった。かねてより鹿砦社の芸能界暴露本シリーズと『噂の真相』の反権力・反権威スキャンダリズム路線は似て非なるものと考えてきたし、ジャーナリズムの志や指向性にいては天と地ほどの差があると認識してきた。それが『最強のタッグ』などと言われるのは実に心外である」

この原稿のゲラを読んで松岡社長は「フフフ」とほくそ笑んだことだろう。4頁にわたる岡留氏の「はじめに」は次のように結ばれる。

「正直言ってこの本は裁判官や検察官には読んで欲しくない。個人的には完全に封印したい本である。『噂眞』読者にもなるべく読んで欲しくないし、口コミで宣伝することは一切やらず、くれぐれも自分ひとりの密かな蔵書としておさめて欲しい。筆者にとってはブランキスト・松岡利康に挑発されて本音本心を吐露した生涯一度のハズカシイ本だからである」

「読んで欲しくない」と絶叫する巻頭言など読んだ記憶がない。それほどに松岡社長の「岡留籠絡作戦」は完全に成功を収めていたというだ。

もっとも本書の中で岡留氏から繰り返し松岡社長の「イケイケ」振りに注意が促されたにもかかわらず、前述の通り『紙の爆弾』創刊直後に逮捕までされるという前代未聞の苦難に直面することになったのだから、岡留氏の「指導」は命中していたということにはなる。

さて、『噂の眞相』なきあと読者は放り出された形になった。読者として接する限り、創刊当初から『紙の爆弾』は『噂の眞相』の意思を引き継ぐ、という心意気が伺えた。が、正直実力的にはかなりの差があるように感じた。

◆惨憺たる時代の中で「タブーなきメディア」を貫くこと

それから10年余りが過ぎた。週刊誌の凋落ぶりは目を覆うばかりだ。ごくまれに政治家のスキャンダルをネタにすることはあってもそれに腰を据えて権力を撃とうという姿勢はない。固い姿勢を維持しているのは『週刊金曜日』くらいだろうか。月刊誌に至ってはもう右翼の宴会議事録か、ヒステリックな排外主義だけがモチーフの雑誌しかない。

『紙の爆弾」は検察による社長逮捕という弾圧を乗り越え、じわじわと実力を高めてきた。『噂の眞相』は次期検事総長確実と見られた「則貞衛」の首を飛ばしたり、元首相森喜朗の学生時代の売春防止法違反による逮捕を実質的に暴いたりと、華々しいスクープも数々モノにしてきた。

『紙の爆弾』には検察や国家権力に対する十分な反撃理由がある。販売部数はまだまだ『噂の眞相』には及ばないが読者層は確実に広がっている。当然だろう。だって読むに値する月刊誌がないのだ。それに販売部数以上に『紙の爆弾』の存在感が増してきていることには言及しておかなければならないだろう。

これまた、社長のキャラクターによるところであろうが、多彩な講師を招いての「西宮ゼミ」は毎回盛況ながら営業的には赤字のはずだ。イベントを後援したり、昨年にはコンサートを主催したり、地道ながら出版業にとどまらない活動に鹿砦社はウイングを広げている。

◆「石原慎太郎は必要悪」と漏らしてしまった岡留編集長の脇の甘さ

実はその際にぜひ「他山の石」として頂きたい岡留氏の脇の甘さを他ならぬ『闘論・スキャンダリズムの眞相』の中に発見した。第5章「御用文化人の仮面を剥ぐ」の中で岡留氏は以下のように発言している。

「青島幸男なんか、結局何もできなかった。石原慎太郎は嫌いなんだけど、慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」

この部分、岡留氏にしては珍しく取り返しのつかない過ちを犯している。

石原慎太郎が嫌い、まではよしとしても「慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」は今日的ファシズム土台作り猛進してきたファシスト=石原への賛意に他ならない。岡留氏にしてこのような初歩的な危機意識の欠如に陥れた「時代」を無視してはいけないのかもしれないが、まかり間違っても私は同意しない。「青島幸男なんか、何もしなかった」のは事実にしても悪政の限りを働いた石原に比べれば、何もしない青島の方が数倍ましだったと私は考える。今岡留氏に当該部分を見せて意見を聞けば彼は撤回するのではないだろうか(それとも沖縄で綺麗なねーちゃんに囲まれた暮らしが気に入り、「そんなことはどーでもいい」と一蹴されるか)。それほどの地雷源が言論の世界だということをこの「岡留の石原部分肯定発言」は雄弁に語っている。

10年ひと昔というが、『闘論・スキャンダリズムの眞相』を手にすると時代の速度が加速しているのではないかと感じるとともに、その間の読者諸氏個々の変化にも思いが至ることだろう。今日の言論の惨憺たる状況を理解する「教養書」としても是非ご一読をお勧めする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号発売!
◎秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱

4月7日発売の『紙の爆弾』は特別付録付きの創刊10周年号!
4月7日発売の『紙の爆弾』は特別付録付きの創刊10周年号!

 

「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権

3月17日、装丁家でイラストレーターの桂川潤氏のトークライブ『改正著作権法施行!「製作」から考える「本はモノである」ということ』(池袋ジュンク堂書店池袋本店4Fカフェ)に行ってみた。

僕の中では、この時点では、桂川氏は「電子書籍をPDFにせよと主張しているデザイナー」という認識しかない。だが桂川氏は「一流の中でも一流」の装丁家・イラストレーターであり、業界では、誰もが一目置いている「雲の上の人」である。くわえて、電子書籍市場が1000億円を突破した。紙の書籍が8000億円市場だから、電子書籍がじわじわと売り上げを伸ばしている。計算すると、もうあと20年以内には、紙と電子書籍のシェアは逆転するとも言われている。ただし、電子書籍市場を支えているのは、コミックだ。

◆『大辞林』でさえ定義できていない「本」とは何か?

さて、「本が電子書籍になる」ということは、簡単にいえば「装丁の仕事がなくなる」ことを意味する。そうして仕事を失いつつある立場の桂川氏がどんな見解で発言するのか、興味があった。冒頭でつかみのトークとして、桂川氏はこんな話をした。

「本というものは、定義されていないのです。たとえば、『大辞林』を引いてみると「本」→「書籍」→「図書」→「本」と堂々巡りになっている。まさに、天下の『大辞林』でさえ定義できないのです」

桂川氏の奥方によると「カレーのルー」ですら、箱に入っているのだから、あれも『本』だという。だが、僕自身は「本」といえば、付録でバッグがついていようが、DVDがついていようが、カレンダー形式であろうが、巻物であろうが、やはり「文字の集積」だ。

『トークライブ』は、彩流社の編集担当、河野和憲氏や、日本出版者協議会の人が桂川氏のコメントを補強する形で進行した。

「平成27年1月1日から施行された著作権法の一部改正で、これまでは、中小の版元がヒットを生み出しても、文庫化するにあたり、作家が著作を大手にもっていってしまい、泣き寝入りするしかなかったのですが、今度からは、二次著作物は、版元も権利を主張できるようになったのです」と、日本出版者協議会のスタッフが声高に叫んだ。これは、大きなことだと思う。どんなに力を入れて作家を育てても、中小の出版社たちは、作家が大手にコンテンツを移動するのを、指をくわえて見ているしかない、そんな痛い過去があったからだ。

桂川氏は、参加者に「私はデザイナーですが、デザイナーの仕事がなくなると思いますが」と質問されると「そうなのです。私たちの仕事がなくなる」と桂川氏が泣きを入れるかと思いきや、実にいさぎよく、「私たちの仕事がなくなるのなら、それはそれでしょうがない。だが、デザインソフトのインデザインが出始めた当初は、書体が2種類しかなく、かえってそのことが『未来』を感じさせた。案の定、インデザインによるDTPが主流になり、写植屋は5年かけて消えていきました。電子書籍はもう少し、長く時間をかけて浸透させるでしょう。電子書籍も制約があるぶん、おもしろいと思うのです」と言う。

「本はモノである」「誰も言わないなら私が(本はモノであると)言う」と力説しつつ「電子書籍もおもしろい」と断定する。ここに、クリエイターとしての器の大きさがある。要するに桂川氏は「変化」を楽しんでいるのだ。

◆「まずデバイスありき」にこだわる経産省「コンテンツ緊急電子化事業」の利権性

桂川氏は、経済産業省の「コンテンツ緊急電子化事業」(以下、緊デジ)について、「新文化」に寄稿し、警鐘をこう鳴らしている。

『「被災地域の知へのアクセスの向上」をうたい、〝国策〟としてスタートした緊デジは、発足から半年経っても、満足に機能していない。あまつさえ、フォーマットや、デバイス(読書端末)からして定かではない。その結果、被災地・南三陸町の『知性』が『知へのアクセス』の蚊帳の外に置かれる現状がある。

疑問は、それだけではない。特定のデバイスに向けた電子書籍が、他のデバイスに向けた電子書籍が、他のデバイスやパソコン上で閲覧できないことはわかりきっているのに、なぜか『緊デジ』は、PDFを電子書籍フォーマットに加えることを渋り続けてきた。費用も手間もかからず、個人レベルで製作できる「PDFによる電子書籍化」では、なぜダメなのだろう。

PDFなら、パソコンから各種デバイス、スマートフォンまで、ほぼすべての端末で表示できる。また、リフロー型電子書籍(端末に合わせてテクストを再流し込みする主流方式)では不可能な、ノンブル(ページ番号)によるテクストの参照・引証が、書籍版/電子版を問わず可能だ。「まずはともかく具体的なモデルを」と考えた私は、自らの著作物?写真集と、単行本『本は物(モノ)である』を素材に、試作を開始した。(中略)PDFによる電子化は、書物の「乾物(ひもの)」に例えられよう。乾物はシンプルな製造工程ながら、保存がきき携行にも便利だ。そのまま食べてもいいし元の食材にも戻せる。乾アワビやナマコのように、元の食材以上の『旨味』を引き出すこともできる。一方、リフロー型電子書籍は、「食材のサプリメント化」だ。販売社は「栄養化は同じ」だというだろうが、製造に手間がかかるわりに味気なく、元の食材にも戻せない。同様に、ノンブルとページ概念を失ったタグ付きテクストは、紙の本には戻せない。PDFの何よりの強みは、印刷すればいつでも紙の本に戻せることだ。「紙の本と電子書籍の共存」を今こそ本気で考えるなら、PDFこそ、最良の選択肢といえよう。(出版業界専門紙「新文化」2012年11月29日付[第2961号]記事)

2009年に、中堅作家の小説を『文庫ビューア?』で読んで以来、久しぶりに電子書籍で読んだが、確かに、「E-PUB」などリフロー型の電子書籍では、ノンブルがなく、違和感を感じる。対して、PDFは、紙の本のテイストに近い。文字を大きくしたりもできるので、使いやすいと言える。「古い世代にやさしい」のだ。

◆経産省が復興予算10億円を計上し、約6万5千冊の書籍をむやみに電子化

「電子書籍を作るのに『PDFのほかのフォーマットとなる』ことは、本を作る協力者をないがしろにしているのと同じ意味です」

話を「すべった国策としての電子書籍事業」に戻すと、もともと禁デジの意義は、「3.11からの復興事業」だった。

「ところが、出版社には金が落ちない仕組みなので、あまり、人気のないコンテンツも大量にこの事業に提供されたのです」(経済産業省関係者)

事業は出版社が書籍を電子化する際、費用の半分(東北の出版社は3分の2)を国が補助する。総事業費は20億円で、うち10億円は経済産業省が復興予算として計上。約6万5千冊の書籍を電子化した。

この事業を受託した団体の日本出版インフラセンター(JPO、東京)は、たとえば昨年の6月20日に、内容に問題のある本が含まれていたとして、相当する補助金を返納すると発表した。

事業をめぐっては、東北の情報発信を目的に掲げながら、電子化された東北関連の書籍は全体の3.5%の2287冊にすぎず、成人向け書籍やグラビア写真集など100冊以上が補助対象に含まれていたことが明らかになっている。

「出版社が、適当に自社の書籍リストを出し、真剣に震災からの復興を考えてない証拠です。くわえて、電子書籍がPDF化されないのは、そうするとデザイナーや印刷屋にも著作隣接権が派生して、ギャラを払わざるを得なくなるから。つまり、電子書籍が、『PDFのほかのフォーマットとなる』ことは、本を作る協力者をないがしろにしているのと同じ意味です」(出版社幹部)

悲しいかな、本作りを助けるデザイナーや印刷屋、校正スタッフ、装丁家など「著作隣接権」のある人たちは、電子書籍市場にとって「邪魔」な存在のようだ。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)

テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

◎柴咲コウが同調し、小泉今日子も後押し?──小栗旬「俳優労組」結成への道

◎機動戦士ガンダム──人はなぜ「シャア」という生き方に惹かれるのか?

◎アギーレ解任前から密かに後任候補を探していた日本サッカー協会の本末転倒

竹書房に新疑惑──なぜ、第1回文芸新人賞の選考結果を発表できないのか?

3月13日、雑誌の読者プレゼントの当選者数を実際より多く水増しして掲載していたとして、消費者庁は、漫画雑誌や漫画の単行本などを発行している出版社「竹書房」(東京・千代田区)に対し、再発防止を命じる行政処分を下した。

「要するに、雑誌に記載している当選者の数に対して、プレゼントをきちんと読者に送った数が少なかったのです。まあ、ありていに言えば『当選者がたくさんいるように装ったということ』です。かつて、秋田書店でも同じことをやり、罪に耐えかねて消費者庁に告発した社員がいましたが、これを見ればわかるように、消費者庁は、内部の社員からの告発がないと動かない。ところが、今回は、複数の社員が『景品を買えないのに水増し掲載した』という内部告発をしたと聞いている。まあ、悪いことをやらされているのに文句を言えない会社の体質にも問題があるのではないでしょうかね」(元社員)

消費者庁によると、一昨年8月までの1年ほどの間、「まんがライフ」や「まんがくらぶ」、「本当にあったゆかいな話」など7種類の漫画月刊誌、合わせて77冊で、読者プレゼントの当選者数を実際より多く水増しして掲載していた。(消費者庁リリースPDF

具体的には、当選者の数が1人なのに5人と掲載していたケースや、中には、当選者3人としながら誰にもプレゼントを送っていなかったケースもあったようだ。こうしたことから、消費者庁は、消費者に誤解を与えるとして竹書房に対し、景品表示法に基づき、再発防止を命じた。

命令について、竹書房は「真摯(しんし)に受け止め、社内の体制を強化して再発防止に取り組んでいきたい」とホームページに記載している。(竹書房ホームページ)。

◆昨年6月発表予定の文芸新人賞の選考結果がいまだ出せないのはなぜか?

「問題は、もうひとつある。実は、昨年の3月に文学賞を募集したのはいいが、発表が昨年6月末だったのに、いまだに発表がない。中には、『応募が少ないと困るから盛り上げるために投稿してくれ』と竹書房関係者に頼まれた日本推理作家協会の重鎮がいて、多数の弟子に投稿させたものの、まったくなしのつぶてで、その関係者は、挨拶なしで出版界から消えた。重鎮がぶち切れて、あちこちに話がまわってしまい弟子のみならず、作家たちの間で『ふざけるな。お前ら、あそこには書くな』という話になっていることです」(同)

もはや作家たちの間で「なぜ竹書房の文学賞の発表がなされないのか」は、ミステリーだが、これには、3つの説がある。ここのヒット作ではないが、まさにそれは謎として「都市伝説」になりつつあるのだ。

まずひとつは、「第2の佐村河内誕生を避けた」説だ。

「僕が聞いたのは、ある地下アイドルが応募してきたのが発覚したのですが、わりと力作だった。ところがちょうど佐村河内と新垣さんの『ゴースト』問題が起きた。それで『本当に本人が書いたのか』『確認しろ』という話となったが、事務所と出版社の力関係では事務所のほうの力関係が強く、確認しきれなかったという話です」(作家)

2つめは、「銀行からの警告により、ヤクザ雑誌を2つやめたのですが、それで腹を立てた暴力団関係者として知られるヤクザライターが、これみよがしに応募してきたようなのです。読んでみると、実はおもしろくて当確ラインから外せないとわかった。『作家としてはおもしろい作品を書いているだから、出自や仕事は関係ない』とする実力派編集者と、暴力団との交際が発覚すると銀行から融資を引きあげざるを得なくなるので、『見ないふりをする』という現実派がぶつかりあって結論が出ない」(編集プロダクション)という線だ。

3つめは、これは噂だが「経営難で、賞金を本当に払えなくなった」ということだ。

「実は、竹書房の場合、支払いは大手よりは安いかもしれませんが、滞ったとは聞いていません。ただ、少しでも安い印刷屋を探していたり、少しでも値引きがきく倉庫を探すため、血眼で情報集めをしていたりするので、そういう話に尾ひれがついて、経営難の噂があるのかもしれませんが」(元社員)

それにしても、もし払いたくないなら「該当なし」でアナウンスすればいいという声も多数ある。「1年近く、アナウンスしない文学賞はちょっと記憶にありません」(雑誌「公募ガイド」編集者)

応募した作家志望の人に聞いてみると「いつ電話しても『そのうち発表します。もう少しおまちください』と判を押したようにいわれるだけ。もしも、税務署対策かなにかで『文学賞募集』とホームページに出しただけだとしたら、これこそ読者への「もうひとつの裏切り」ではないですかね」とのこと。

◆400字詰めで200枚以上の文芸作品を募集しておきながら……

2ちゃんねる」 には、「文学賞 日本語読めぬ 審査員」「文学賞 その賞金は 俺のギャラ」などと、ここの文学賞を揶揄する川柳がたくさん並んでいる。

確かに、2013年には竹書房のホームページにはこのように出ていた。ログもある。
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●募集概要
ジャンル:自作未発表(電子書籍、ホームページ上での発表含む)の長編エンターテインメント文芸作品、ジャンル不問
・枚数:400字詰め200枚以上 手書き原稿不可
原稿には必ずノンブル(ページ数)を入れ、原稿の表紙にタイトル、氏名(本名・ペンネーム共に入れる)、年齢、住所、電話番号、メールアドレス、略歴を明記する
原稿用紙3枚程度の概要(あらすじ)をつける
・締切:2014年3月未
・発表:2014年6月未 竹書房ホームページ上にて
・応募先:102-0072 東京都千代田区飯田橋2-7-3 株式会社竹書房
「第1回 竹書房エンターテインメント文芸新人賞」係
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「バカにするにもほどがある。金輪際、文学賞を設けてほしくない。まじめに応募した人に対しても、きちんと責任をとるべきです」(日本推理作家協会会員)

「もしこのまま発表されないとしたら、残念ですね。けっこう応募した生徒たちが楽しみにしていたので」(小説教室主宰者)

竹書房よ! これ以上、読者や作家をバカにするなら、ほかの国でやっていただきたい。少なくとも読者は汗水流して働いた金で雑誌を買い、懸賞を楽しみし、作家志望者は懸命に知恵を絞って執筆し、文学賞に作品を投稿したにちがいないのだから。

(鈴木雅久)

日本を問え![話題の新刊]内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え─強い国になりたい症候群』


粗製濫造で編集劣化──「女性向け官能小説」電子書籍化事業がこけた理由

もはや実売部数で『ハリー・ポッター』や『ダ・ヴィンチ・コード』を超えた史上最速のベストセラー小説『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(ハヤカワ文庫刊)の映画が日本でも公開され、スマッシュヒットとなっている。ちまたの映画館は「官能的世界を味わいたい」男女であふれている。この「グレート・コンテンツ」である『フィフティー』に意外な「被害者」がいるという。

◆『エロければよし』で「ドル箱」狙いの果てに負債を抱える出版社

「E・L・ジェームズが書いたこの作品は、大学教授と若い女が一風変わった恋愛とセックスをくり広げる、R18指定の映画となりました。この『フィフティー』は、原作本が世界で8000万部以上も売り上げている『モンスター・コンテンツ』です。実は、この小説がリリースされて日本でもじわじわ売れ出し時期、こぞって出版エージェンシーや出版社、編集プロダクションらが『とにかく女性官能家を探せ』と目が血走るがごとくコンテンツをかき集めて、こぞって電子書籍を立ち上げたのです。ちょうど、『女性向け官能小説』が注目を集めていたころで、新潮社が「女による女のためのR-18文学賞」で注目作家を生んでいたり、(ただし後に方向転換して官能小説ではなく女性向けの一般小説へとリニューアル)、松文館の女性向け官能漫画がブレイクしたりと、『女性向け官能コンテンツ』がドル箱と化した時期で、仮に高校生であっても、文章がめちゃくちゃでも『エロければよし』として「女性向け官能小説」の電子書籍を立ち上げ、すぐにあきやすい日本の読者の関心が『彼氏を作るゲーム』に移行すると、女性向け官能小説はうまくいかずに今、コンテンツビジネスを始めた多くの会社が負債を生んでいるケースが目立ちます」(出版エージェンシー社員)

一時期、判を押したように「第2の『フィフティー』を目指せ」と女性向け官能小説家をかき集めて大金を原稿につぎこんだところ、今になって大損している会社が多いという。

女性向け官能小説コンテンツに1000万円以上つぎこんだ編集プロダクションの幹部は言う。

「今から思えば、女性向け官能小説なら、なんでもいいってものじゃない。『フィフティー』は、ミステリー作品としても、文学としても一級であり、原作に忠実な映画は今もなお観客を集めています。 日本でもアメリカでも観客の特徴としては、『本で読んだが、映画でも見てみたい』という感想が多いことです」(映画ライター)

映画スタジオの推計に基づく2月20日─22日の北米映画興行収入ランキングは、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」が2320万ドル(約27億6000万円)で2週連続首位を飾った。日本の興業統計は出ていないが、観客の出足は好調のようだ。

「出版社に乗せられて、官能小説を書いた女流作家や、そうした作家を紹介したコーディネーターらのうち『失敗組』は、苦々しく見ているでしょうね」(出版関係者)

まさに官能小説ブームの被害も「フィフティ・シェイズ」(50通り)のようだ。

◆問題は電子書籍編集のクオリティライン

おそらく紙の本の10分の1、もしくはそれ以下の予算で作れるので、猫もしゃくしも電子書籍化しようとするので「電子書籍は、クオリティラインがかなり下がっている」と僕は見ている。一度だけ電子書籍を書いたが、うるさく編集者が赤字を入れてくるかと思いきや、それもなく、ほぼ書いたままの状態で販売された。

僕についてくれたベテランの編集者は長いつきあいだったが、「初稿を出さないのですか?」と聞くと、「おいおい、これは電子書籍ですよ」と言い返してきた。

「電子書籍ですよ、とはどういう意味ですか」と問い返すと「そこまで経費をかけらないという意味だよ」という冷めた答えがきた。その声には「当たり前だろう」というトーンが含まれている。

紙の本を作るときには「ここがわからないから書き直せ」「構成を変えろ」「取材が甘い」と厳しい癖に、電子書籍となるとこうも甘くなるのはなぜか。古いつきあいのビジネス書ライターに聞くと「しかたないですよ、電子書籍は、別に小学生でも理論的には出せますから、市場は粗製濫造という印象があります。そこまでパワーをかけてられない」と言ってのける。このライターとて紙の本となると、執拗に赤字を入れるくせに、電子書籍は、ほぼ書いたまま世の中に出すから嘆かわしい。

僕はこれまで、一度だけ電子書籍である中堅作家の小説を買ったが、その改行はきわめて機械的で、内容と関係なく、7行ごとに改行してあった。よく作家が文句を言わないなあ、と驚いた。これは、「編集」と文化の否定であり、冒涜だ。「人の考えはあとで変わる」ということを前提にすれば、今の考えで言えば、電子書籍など僕は糞くらえだ。こんなものが市場でまわっているうちは、おそらく出版水準は永遠に上がらないであろう。(伊東北斗)

◎《誤報ハンター01》芸能リポーターらが外しまくる「福山雅治」の結婚報道

◎小向美奈子逮捕は警察の協力要求を蹴った意趣返し?「後ろ盾」とも決別か?

◎秋吉久美子長男不審死の水面下で蠢く「タレント整形カルテ」流出騒動の闇

 

毎月7日『紙の爆弾』炸裂発売!

『復刻新版 FMラルース999日の奇跡』を出版するにあたって

阪神淡路大震災は「ボランティア元年」という言葉を生んだ。1995年1月17日は、戦後未曾有の自然災害だった。その後、もっと大規模な東日本大震災が起きたが、20世紀末の阪神淡路大震災が未曾有の自然災害だったことには間違いなく、関西のみならず全国からボランティアが駆けつけ復旧、復興に尽力してくれた。

しかしながら、現在のようにまだネットや携帯電話も普及しておらず、情報伝達の手段に事欠いていた。

こうした中、地元在住のフリーライター、近兼拓史さんらが始めたのが地域(コミュニティ)FMだ。

「『ラジオ局を作ろう』
そんなビラを作って配るところから始めた
小さな街の声、署名運動から始めた
たったマイク一本から始めた
あきらめるのは簡単だった
たった八畳の何もないスタジオ
わずか百メートルも届かない電波
でも気持ちは伝わった、人の輪が広がった
この本はそんなボランティアたちが作った
小さなラジオ局の物語です」

震災から4年後の1998年にまとめられた『FMラルース999日の奇跡~ボランティアの作ったラジオ局』の巻頭には、上記のような言葉が記されている。

近兼さんは今、「鈴木邦男ゼミ」「浅野健一ゼミ」、そして本年2月から開始する「前田日明ゼミ」の会場となっている「カフェ・インティライミ」を主宰されているが、自宅、実家、事務所が全壊しながらも、震災から数年間は、持てる資金や自宅などを投げ打って「FMラルース」という地域(コミュニティ)FMラジオ局を開始し、多くの若者らを集め運営していた。残念ながら、西宮市との半官半民の「さくらFM」として発展的解消し、その後(本書には記述はないが)資金的にも行き詰まり解散、「FMラルース」という名は伝説のコミュニティFMとなり今はない。同時期に神戸市長田で生まれた「FMわぃわぃ」は今も頑張っている。

私たちは当時、この「デジタル鹿砦社通信」の前身にあたる、週刊のファックス通信「鹿砦社通信」を発行し、ジャニーズ事務所などとの裁判闘争レポートや対ジャニーズ事務所批判を行っていたが、震災後4年経っても、阪神間の公園という公園から仮設住宅がなくならない現状に心を痛めてもいた(当時まだ5800世帯、約1万人の方が仮設住まいだったことが記録されている)。それは、時に、いつもとは趣の異なる記事となって配信されている。「われわれは被災地の出版社としてマスコミ・出版関係者に、怒りを込めて問いかける!『君はもう阪神大震災を忘れたのか!と。」「甲子園の出版社=鹿砦社は高校野球の狂騒を怒る!!」「被災地にとって高校野球はいかなる意味を持つのか? 甲子園球場の周囲に仮設住宅があるという風景を、大会関係者は全国に知らせる必要がある!」「被災地に根づくコミュニティFMの遥かなる想い」「風化する震災の記憶の中で」「われわれは被災地の出版社である!! この時期にだけ"震災特集“でお茶を濁す"東京発”マスコミのご都合主義を笑え!」……(当時の「鹿砦社通信」は『紙の爆弾 縮刷版鹿砦社通信』として一冊にまとめられているので、関心のある方はご購読されたい)。

この頃、震災交流誌『WAVE117』という小冊子の発行も引き受けている。これは7号までしか続かなかったが、灰谷健次郎、富野暉一郎、妹尾河童、野田正彰、稲垣美穂子、タケカワユキヒデ、横尾忠則、永六輔、石川好、田中康夫、辻元清美、辛淑玉(敬称略)……といった著名な方々が寄稿、協力されている。もっと頑張れば継続できたかもしれないが、当時、財政的にも精神的にも余裕がなかったことが悔やまれる。

阪神淡路大震災から20年-――私たちは“ある想い”を持って、近兼さんと合意し『FMラルース 999日の奇跡』の「復刻新版」を出版した。

私たちは20年前、「被災地の出版社」を高らかに宣し、爾来20年、拠点を被災地の西宮に置き、私たちなりに一所懸命頑張ってきたつもりだ。浮き沈みはあったが、その苦労も、震災で亡くなられた方々の無念に比すれば取るに足りないもの、お蔭様で何とか生き延びてこれた。

かつて身近にあった仮設住宅も今はなくなり、阪神地方は、曲がりなりにも復興したといえる。本当に復興したかどうか議論も問題もあろうが、東北の現状を思えば、これでよしとしなければならないだろう。

震災直後に甲子園で開かれた高校野球で、亡くなられた方々に黙祷さえしないことに怒り、日々瓦礫を運ぶトラックの行き来を眺めながら、いささか宗教的にさえなった、当時の想いこそ、私たちの<原点>であり、今生きて、生業の出版の仕事を、相変わらずやれる幸せに感謝しなければならない。

[松岡利康=株式会社鹿砦社代表取締役]

【復刻新版】近兼拓史『FMラルース 999日の奇跡』1月15日発売!

 

速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!

やはり、そうだったのかと得心した。消息筋によると、元赤軍派議長で現在駐車場管理人を勤める塩見孝也氏(73)が来年行われる東京都清瀬市の市会議員選挙に出馬の意向であることが明らかになった。塩見氏が11月に鹿砦社から『革命バカ一代 たかが駐車場、されど駐車場』を出版したことは以前の記事で触れた。また11月9日に私自身初めて同氏にお会いしたことにも言及した。その時既に「何かやるんじゃないだろうか、この人は・・・」の予感はあった。

が、ご当人の口からは具体的な内容の話はなかったので私の感触に留めておくこととし、記事内での明言は避けた。しかし塩見氏は「議会制民主主義」の中、その最も身近な場所からとはいえ、自身が「政治」の場に身を進める決断を下したそうだ。同氏は先週都内で行われた会合で「国政や、県政に臨む力はないし、まだ早い。でも地方からの変化が必要だ」と語り、市議選への出馬を明言したという。

「たかが市会議員」と侮ってはいけない。全国の市会議員の大半は地域ボスだったり、土建屋の公共事業調整役、はたまた何もしないでひたすら歳費を貪る輩だが、中には1人で市の行政を市長かと見まがうほどに動かしている実力者もいるのだ。ただし、それには相応の行政知識や思想行動力が必要であることは言うまでもない。塩見氏がどんな活躍を見せてくれるか、清瀬市には要注目だ(当選を前提の話だが)。

私は塩見氏の市議選挙出馬をある種の驚きと、逆に納得を持って受け止めている。かつて「革命」を指向し「日本のレーニン」とまで呼ばれた人物が73歳にもなって(ご本人には失礼!)まさか地域の選挙に出るのかとの思いは多くの人共通の驚きだろう。一方ご本人と話をして、『革命バカ一代』を読めば「このままこの人おとなしくしてるんだろうか」との意気込みが嫌でものしかかってくる。勿論往時の体力はないし、「世界革命を!」とは主張されないだろうけども、今日の惨憺たる政治状況に喝を入れる起爆剤になるに違いない。

気が早いが来年の清瀬市会議員選挙の際には清瀬市にぜひご注目を!

塩見孝也氏

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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