2005年7月12日松岡社長逮捕から丸10年目となる12日、猛暑の中西宮のCafeインティラミで「鹿砦社弾圧10周年復活の集い」が約70人参集の中行われた。

鹿砦社「復活の集い」は松岡社長の挨拶と当時の様子の復元から始まった

ではまず中川志大「紙の爆弾」編集長挨拶から幕を開けると事前にの広報にはあったが、松岡社長の挨拶と当時の様子の復元から始まった(松岡社長、待ちきれなかったか?)。

「兵庫の良心メディア」サンテレビが松岡社長逮捕時よりニュースで取り上げ、保釈直後のインタビューを含め都合5回オンエアーされていたニュース映像が会場に流された。サンテレビ関係者も会場に詰めかける中放映されたニュース映像は決して松岡社長逮捕=悪人といった今日主流の大本営発表報道と異なり、「我々にとっても他人事ではない問題ですので今後も注目してゆきたいと思います」といった原則に立脚した見事な番組構成だった。

松尾社長は逮捕されて以来検察による取り調べ、「人質司法」の問題などにつき経験を踏まえて語り、今年自身が教壇に立った関西大学の講義で学生に逮捕された際に全裸にされた話をしたところ、非常に強い反応が返ってきた事をにも触れた。

◆この10年──「検察は何も変わっていません。むしろ悪くなっている」(青木理さん)

「検察は何も変わっていません。むしろ悪くなっている」(青木理さん)

次いでメインゲストの青木理(元共同通信記者・ジャーナリスト)さんが「検察はこの10年で変わったのか」のテーマで鹿砦社事件を絡めながら検察の問題点を解き明かした。「一言でいえば検察は何も変わっていません。むしろ悪くなっている」と切り出した青木氏は「話が苦手なので」との謙遜とは裏腹に、これまで豊富な公安・検察関係者取材経験の体験談と現在進行中の問題につき多くの材料を提供して下さった。

中でも興味深かったのは、実質的に10年前の「松岡逮捕劇」、「鹿砦社弾圧」を指揮した大坪弘道氏と取材で接触したことがあり、大坪氏を「目立ちたがり屋」だと見抜いていたと看破したことだ。

大坪氏は「松岡逮捕」「鹿砦社弾圧」に次ぎ小室哲哉逮捕、そして厚労省の村木厚子氏逮捕と世間の注目を浴びる「話題性」の高い事件を手掛けるが、それは一種の「賭け」のようなものでもあり、案の定村木冤罪で破綻を来たし、最後は自分の逮捕にまで繋がってゆく。検察にとっては戦後最大の危機を招いた人物だった。

しかし、検察はその後この危機を「刑事訴訟法の改正、盗聴法の実質無限拡大、司法取引の導入」という強力な武器を手に入れようとする策動に出て、閣議決定までなされえている。検察のあり様は「益々悪辣化している」と青木氏は結んだ。青木氏のお話は1時間には満たない物だったが、この日のお話だけで新書が1冊出来上がる程、警察の取り調べ、冤罪、捜査手法の問題、取り調べ可視化の必要性と留意点など多岐にわたっていて、私的にも大変勉強になった。

◆「私に暴力ではなく言論の可能性を教えてくれたのは『鹿砦社』松岡社長でした」(鈴木邦男さん)

「私に暴力ではなく言論の可能性を教えてくれたのは『鹿砦社』松岡社長でした」(鈴木邦男さん)

その後鹿砦社お目付け役鈴木邦男氏が登場し「鹿砦社弾圧時から比べても検察は悪化しているし、それをマスコミは止められなかった」との概観が述べられ、加えて鈴木氏と鹿砦社、松岡社長の長年にわたる親交が披露された。

鈴木氏は松岡社長逮捕直後発刊された「紙の爆弾」で「新右翼だった私に暴力ではなく言論の可能性を教えてくれたのは『鹿砦社』松岡社長でした。この鹿砦社で好きなことを書かせてもらい『言論の力』を知った」とコメントを寄せている。テレビを含め東京のメディアからっも引っ張りだこの鈴木氏の「鹿砦社」への思いが特別な物であることが再度確認された。

◆検事や裁判官を1年くらい刑務所に入れて『研修』させたらどうか?

その後青木氏と鈴木氏の対話となり話が弾んだが、最も印象深かったのは「これだけ問題だらけの司法のあり様の解決策として、検事や裁判官を1年くらい刑務所に入れて『研修』させたらどうか」と言う提案をお二方が行ったことだ。

その後この日の集まりに連帯のメッセージを寄せられた「たんぽぽ舎」と、同志社大学で松岡社長の先輩にあたるニューヨーク州立大学教授矢谷暢一郎氏からのメッセージが松岡社長により読み上げられた。どちらも普段はおとなしく紳士的な老境にある方々だが、メッセージの中身はアジテーションそのものだ。切れがいい。

◆「今日こうやって無事でいられるのもひとえに皆様のご支援の賜物と感謝いたします」(中川志大「紙の爆弾」編集長)

「今日こうやって無事でいられるのもひとえに皆様のご支援の賜物と感謝いたします」(中川志大「紙の爆弾」編集長)

最後に「紙の爆弾」中川志大編集長から「あの時はまだ25歳でしたが私も取り調べを受け『もっと人の役に立つ仕事をしなさい』、『お前も逮捕しようと思えばとやれるんやぞ』と言われました。10年経ってこうやって活動して来れたのも今日こうやって無事でいられるのもひとえに皆様のご支援の賜物と感謝いたします。今後もよろしくお願いいたします」と挨拶があった。

ここで一部は終了し、同じ場所で懇親会を兼ねた2次会が行われた。参加者の内50名以上が懇親会にも引き続き参加し、松岡社長のご指名により、不肖私が懇親会の司会を勤めさせていただいた。

◆西宮冷蔵水谷社長の御厚意による二次会も50名参加の大盛況!

紹介が前後するが、この日はサンテレビニュースの中で識者談話を寄せ裁判の支援者でもあった浅野健一同志社大学社会学研究科教授(地位係争中)、西宮冷蔵社長水谷洋一氏、元宝塚市長渡部完氏、元兵庫県警飛松五男氏、サンテレビの方々等も参加していた。

懇親会では今年度から松岡社長が非常勤講師として教壇に立っている関西大学から新谷英治文学部教授、鹿砦社イベントでは欠かすことの出来ない定番となった力強い言葉を書いていただいている書家龍一郎氏などから連帯のメッセージを頂き場はさらに盛り上がった。と、そこで思わぬハプニングが!

「ガンバレ・負けるな 鹿砦社・松岡社長」と書かれたビラが会場に配布され始めた。文面には「激励&懇親二次会のご案内」とありこのビラは西宮冷蔵の水谷社長によるものだ。そこにはなんと参加者全員を無料で二次会に招待頂けるという腰を抜かすような案内が書かれている。水谷社長は「松岡社長は私にとって命の恩人です。今日ここに私があるのはひとえに松岡社長のお蔭です、その感謝の気持ちを少しでも表したいので皆さんどうぞふるってご参加を」と呼びかけられた。「タダ(無料)」と聞いて家に帰るような人は関西人ではない。したがって我々ほぼ全員が水谷社長のご馳走になることになった。水谷社長本当にありがとうございました。

昼間の猛暑も夕方には浜風が吹き始め過ごしやすくなっていた。「弾圧10周年」は正直もう少し緊張に満ちた堅苦しい会になるのではと予想していた。内容の充実振りは予想通りだったが、それ以上に鹿砦社・松岡社長を囲む人々の人間性とその多様さが優しい空間を醸し出した時間だった。

今更ながらではあるが、松岡社長をはじめ鹿砦社の皆さん、10年間本当にお疲れ様でした。まだまだこれからよろしくお願いいたします!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎2005年7・12鹿砦社弾圧事件――関与した人たちのその後
◎7・12「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧から10年──鹿砦社は復活した!朝日新聞、当社広告を拒否!
◎「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

タブーなき月刊『紙の爆弾』!話題の8月号絶賛発売中!