高田さん(仮名)はまだご存命でしょうか。高田さんに農作業のイロハを教えて頂いたのはもうだいぶ前のことです。あの頃、僕は関西の田舎に住んでいて、職場の近くに畑を借りていました。その畑は持ち主の方が忙しくて、使えなくなっているからと好意で貸してくれていました。

高田さんは、僕が借りていた畑の隣に、自分の畑を持っていました。高田さんは、畑と、小さな雑貨屋さんを持っていました。雑貨屋さんは、コンビニが増えたので売り上げが上がらなくなって、その頃は畑仕事に出る時間が増えていたみたいでした。高田さんは口数が少ないおじいさんだから、最初のうちは挨拶を交わすくらいでした。

高田さんは野菜作りの名人で、そのうち僕に色々な智恵を教えてくれるようになりました。疲れない鍬の使い方、用水からの水の引き方、雑草引きのコツ、作物ごとの育て方、肥料の選び方と施肥の妙、連作しても平気な野菜とダメな野菜。高田さんは、野菜作りのことは何でも知っていました。おかげで僕は、素人にしては立派な収穫を得ることが出来ました。翌日の天気を、空や雲を見ながら教えてくれることもありました。高田さんの天気予報が外れることはなかったです。

高田さんは、野良仕事の話以外の話題を、自分から切り出すことはありませんでした。だから、いつも僕から話しかけないと始まりません。ゴールデンウイーク合間のある日(5月1日でした)、仕事が早く終わった僕は、畑に向かいました。

高田さんは、夏野菜の苗をうえる仕事で忙しそう。高田さんは僕を見つけると仕事の手をとめて、あぜ道に腰を下ろし、煙草を吸い始めました。高田さんのタバコはハイライトです。珍しく高田さんから話しかけて来ました。だからよく覚えています。
「あれにはいかんのかい?」
「あれ、ってなんですか?」と僕が聞き返すと、
「今日はメーデーやろ。組合のあつまりがあるんやろ。若い者はいかなあかんのちゃうんか?」
「僕の仕事場には組合はないからメーデーにいくことはないんです」
「あーそうか」。
高田さんからメーデーを話題にされてちょっとびっくりしました。

それから、僕が聞いたわけでもないのに高田さんは、珍しく野良仕事とは関係ない、自分の話をはじめました。雑貨屋さんを始めた理由(ちょっと気の毒な話でした)や、奧さんとの縁談。それから驚いたのは僕らの畑から、京都や、大阪へは電車で1時間半もあれば十分行ける場所でしたし、高田さんの家もそのそばだったのに、高田さんは京都にも、大阪にも「生まれてから一回も行ったことがない」と言われたことです。電車に乗ることはあるそうですが、「京都や、大阪は知らん。行ったことがない」。別に偉そうにするわけでもなく、秘密の話を打ち明けるようでもなく、高田さんは僕にそう話しました。

70代だった高田さんには、京都や、大阪に出かける必要がなかったのかなぁと不思議でした。高田さんはテレビが好きで、物知りというか、頭のいい人でした。だから畑仕事とは関係ない話をしていても、僕が知らない事件や、考えを教えてくれるので「京都や、大阪は知らん。行ったことがない」はびっくりでした。電車には乗るけど、新幹線や飛行機は高田さんには無縁の乗り物です。

僕の畑で、まだ実を付けてたエンドウをむしりながら、高田さんに、僕の畑から聞いてみました。「京都や大阪に行こうと思ったことはないんですか?」、「あらへん。行くことあらへんから」雑草を抜きながら、田中さんは少し楽しそうな声で答えてくれました。

あちこちに出かけて、世界をたくさん旅行すればするほど、知識が増えて世の中がわかる、と思っていた僕には驚きの「メーデー」でした。畑仕事のプロは、どこに行かなくても世界を知っている賢人でした。

今日は「メーデー」です。高田さんはまだ元気にしているかな。僕も最近、京都や大阪に出かけるのが億劫になってきました。

なんでだろう。

でも、高田さんみたいな「仙人」にはなれそうもありません。
さて、地域のメーデー集会に行って来ます。

(伊藤太郎)

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

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