【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈1〉】 対李信恵訴訟控訴審判決について思うこと ── 反差別運動の未来にとって隠蔽や開き直りは許されない! 鹿砦社代表 松岡利康

既報のように去る7月27日、大阪高裁第2民事部にて対李信恵控訴審判決が下されました。表面上は原判決の不備で賠償額が一審の165万円から110万円に減額されたということですが、今回の判決に対する私の意見を申し述べておきたいと思います。

 
何度も通った大阪地裁/高裁

◆予想外の原判決の「変更」

今回の控訴審判決文は、原判決(一審大阪地裁判決)の大部分が「変更」され、一審と控訴審判決を照合しながらの読解が必要で、法律の素人である私たちには読み解くのが困難でしたが、金額の「変更」のみならず内容的にも、意外と思える「変更」がありました。本件一審、またリンチ被害者M君の訴訟の大阪地裁・大阪高裁判決では、李信恵を庇おうという明白な意図が感じられましたが、今回の控訴審判決は、李信恵の関与や道義的責任を認定した箇所が複数ありました。このことが、これまでにない本件控訴審判決の最大の成果だといえるでしょう。「李信恵は白ではない!」。まずは2箇所ほど引用しておきましょう。──

「本件傷害事件当日における被控訴人(注:李信恵。以下同)の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、金(注:良平)によるM(注:判決では実名。以下同)に対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」

「被控訴人の本件傷害事件当日における言動は、暴行を受けているMをまのあたりにしながら、これを容認していたと評価されてもやむを得ないものであったから、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不自然ではない。」

判決文1ページ目

李信恵らは判決後、裁判所内にある司法記者クラブにて記者会見を行っていますが、それが報道された記事を発見できませんでした。記者会見は事前に申し込み、おそらくは「控訴棄却」を予想していたと思われますが、原判決の大半の箇所が「変更」され、上記のように李信恵にとって予想だにしなかった不都合な事実認定箇所もあり、記者会見で士気が上がらなかったことは容易に予想できます。

また司法記者クラブに詰める記者たちも判決文を一瞥し、李信恵や代理人の神原元弁護士らの言い分に疑問を持ったのではないでしょうか。このことが記事にならなかった要因になっているものと思われます。司法記者クラブの記者たちた毎日のように判決文に接し判決文を読み慣れています。李信恵側にとっては混乱の極みだったでしょう。予想外ともいえる李信恵の「リンチ関与」を認定した判決は初めてです。ですから、記者たちにとっても記事化は困難だったことでしょう。記者会見は20分足らずで終わっています。午後2時25分頃には裏口から出て喫茶店に入る李信恵らのグループを見かけました。

むしろ、記者会見を準備していた李信恵側にとっては、思いがけず「リンチへの関与」を認定した初の判決に向かい合わねばならなりませんでした。司法担当記者らに判決文を読まれ、李信恵が集団リンチに関わっていたという心証を与えたのではないでしょうか。記者会見をやったことで、意図に反し疑問をもたらしてしまったようです。

◆賠償金が減額されても不当判決には変わりはない

しかしながら、賠償金が減額(訴訟費用も鹿砦社負担は5分の1に)されたとはいえ、一審、控訴審共に不当判決には変わりはありません。遺憾ながら、減額されたとはいえ賠償金の支払い義務はありますし、李信恵の殴打も、現場にいた5人の加害者らの共謀も認められませんでした。

私たちは、一審判決後、まさに死力を尽くして控訴審に対峙してきました。国際的な心理学者の矢谷暢一郎先生(ニューヨーク州立大学名誉教授)は海を越えて「意見書」を送ってくださり、精神科の野田正彰先生の「鑑定書」、東京、関西、四国まで取材に飛び回ってくれたジャーナリストの寺澤有氏の「陳述書」(リンチの場になったワインバーの店主の証言も記載されています)などを提出しましたが、これらの知見をしっかり検討したという形跡は、少なくとも判決文には反映されていません。こうした意味でも不当判決と断じます。

また、あれほど総力で取材に駆け回っても、裁判所は「控訴人(鹿砦社)の主張を認めるには足りない」といいます。このリンチ事件について、6冊の本に結実させ世に問うたにもかかわらず、です。これらは少なからずの方々に高く評価していただきましたが、広く波及しませんでした。しかし、ネットと違い、〈紙〉の出版物は形として残りますから、のちのち偶然でもこれを読んでくれた方がいれば、きっと私たちの取材活動を評価してくれることでしょう。

 
李信恵と実行犯・エル金こと金良平

◆私たちには「捜査権」はない

私たち出版社には取材の自由はありますが強制力はありませんし、動かせる人も金も限りがあります。裁判所は、警察や検察の「捜査権」と同じ位相で見ているようです。私たちには「捜査権」はありませんので、例えばリンチの実行犯・金良平の所在が不明だからといって、強制的な召喚や指名手配などできません。それでいて「金に対して取材を申し入れるなどしていない」(原判決)などといいます。

当時、金は行方不明で、携帯は通じませんし、裁判所への書類にも駐車場の住所を記載したりする人間にどうして「取材を申し入れる」ことなどできるのでしょうか? 「捜査権」を有する警察や検察とは違い召喚も指名手配もできません。また、M君に数十発も激しい暴力を振るうような凶暴な人間に、とても危険で取材スタッフを差し向けることは経営者としてできませんでした。

◆果たして「正義は勝った」のか?

李信恵代理人・神原元弁護士の有名な言葉に「正義は勝つ!」というものがあります。今回も早速そうツイートしています。当たり前ですが、これまで神原弁護士が受任した裁判全てに勝っているわけではありません。最近では、元「女組」(カウンター/しばき隊の一角)幹部・新沼史子(連れ合いは、たんぽぽ舎から反原連に移った原田裕史)が作家・森奈津子を訴えた訴訟では、新沼一審敗訴、彼女は捲土重来を期して控訴審を神原に依頼、しかし控訴棄却されています(6月30日。上告断念で敗訴確定)。また、元朝日新聞記者で現在『週刊金曜日』発行人・植村隆の訴訟でも敗訴が確定しています。

神原弁護士言うところの「正義」の規定が理解できませんが、新沼や植村が「正義」だとしても負けが確定しています。神原弁護士流に表現すれば「正義は負ける」ということでしょうか。

果たして李信恵が「正義」の徒なのかどうか。加害者、被害者の誰一人として全く面識がなく、白紙の状態から調査や取材をしてきた私(たち)には、結論的に李信恵の主張に普遍的な「正義」があるとは到底思えません(少なくとも私には)。李信恵がM君を殴ったかどうかについて、裁判所には否定されましたが、少なくともリンチの現場にいてリンチを黙認し、半殺しの目に遭っているM君を放置して立ち去ったことは控訴審の裁判官も認めています。野田先生の「鑑定書」によれば、師走の寒空の下に放置されたM君は必死でタクシーを拾い帰宅したということですが、あまりもの形相にタクシーの運転手は料金を受け取らなかったそうです。

一審判決後の李信恵代理人・神原元弁護士によるツイート。果たしてリンチ事件の「真実」とは?

◆M君に対するリンチ事件は「でっち上げ」なのか?

神原弁護士はいまだにみずからの事務所のHPに「しばき隊リンチ・でっち上げ事件」と記載し、M君が李信恵ら加害者5人を訴えた訴訟の判決文を掲載しています。今回の判決文もぜひ掲載してほしいと思います(しないでしょうけど)。

私たちは、2016年春、持ち込まれたリンチ事件の資料、とりわけリンチ直後の凄惨なM君の顔写真とリンチの最中の録音に言葉を失い大きなショックを受けました。そうして、M君は正当な補償も受けられず、また李信恵ら3人が「謝罪文」を出し、活動停止を約束しながら、しばらくしてこれを破棄、さらにはリンチの直前に飲食した韓国料理店の店主・朴敏用による「エル金は友達」活動による村八分(村八分は差別です!)をはじめ、M君は心無い誹謗中傷のネットリンチにも晒され、精神的にもかなり追い詰められていました。私たちと出会わなかったら自死の可能性も窺われました。落ち着きがなく、密室での裁判の争点整理の場で、ボキボキ指を鳴らして裁判長に注意されていたほどです(こういう落ち着きがなく精神的に追い詰められているにもかかわらず、裁判の場にM君を臨ませたのは私たちの失策だと反省しています。例えば、ここで殴ったのが平手か手拳か問われ、揚げ足を取られたわけですから)。

私(たち)は、まずはM君の話を聞き、資料を解読し、調査に動くことにしました。人道的な見地からのアクションであり、当初はこれを出版する意図はありませんでした。

私たちが目指したのは、〈M君救済・支援〉と〈真相究明〉です。

M君救済・支援は、裁判闘争も含め私たちのやれることはやりました。M君も精神的にかなり回復しましたが、学業にも専念できなかったようで、博士課程は修了したものの博士論文は完成できませんでした。また、就職活動も、本人は教師になりたかったようですが、叶わず、明日銭(あしたがね)を稼ぐために専門とは関係のない不本意な仕事に就いています。

しかし、あれだけ凄絶な集団リンチを1時間にも渡り受け、M君はいまだに後遺症に悩まされています。このことは矢谷、野田両先生の「意見書」「鑑定書」に詳細に記述されている通りです。これらを裁判官が目を通したと信じますが、実際の判決文には反映されていません。判決をご覧になった野田先生は憤慨されていました。

真相究明については、警察・検察の「捜査権」、あるいは大手出版社の取材には及ばないものの最大限の取材を行った自信はあります。そしてそれが総ページ800ページ超に及ぶ6冊もの出版物に結実し、少なからずの方々に高い評価を受けているものと自己評価しています。私も長年出版社をやって来ましたが、1つのテーマで6冊もの出版物を出したことはありません。量だけではなく質的にも精緻な取材を行いました。「デマだ」「ゴミだ」「糞だ」とか言い掛かりや罵詈雑言を投げかける人がいても、重大な事実の摘示をもって堂々と私たちを批判する人が、皆無であることがその証明でもあるでしょう。

李信恵は、出版ができる環境にありながら、「言論には言論で反論」することはしませんでした。李信恵と代理人の上瀧浩子弁護士は裁判の過程で『黙らない女たち』なる本を日本共産党系出版社の「かもがわ出版」から出版しましたが、リンチ事件にも、私たちの出版物にも一切触れていません。「黙らない」で事件について思うところを語ればよいではないですか。

李信恵の「謝罪文」(P01-P02/全7枚)。これは一体何だったのか?

神原弁護士は何をもって「でっち上げ」と言い続けているのでしょうか。「誰がでっち上げ」たというのでしょう。M君でしょうか、あるいは私たち鹿砦社だと言いたいのか、理解できませんが、リンチの日時や場所(店)も特定でき、店主はじめ多くの人たちの証言もあり、具体的にもリンチ直後の顔写真や音声データなど膨大な資料もあるのに「でっち上げ」と言うことこそまさに“事実の歪曲”(「でっち上げ」)だと断じます。

なによりも私たちは、白紙の状態から地を這うような取材を進め、一つひとつ事実を積み重ね真相究明に奔走しました。「でっち上げ」る意図も理由など毛頭もなく真相究明こそが目的でした。「でっち上げ」ても利はありませんし、長年の出版人、出版社の矜持として「でっち上げ」ることなど私の人間としての、あるいは出版人としての信条に反します。齢70近くにもなって事件を「でっち上げ」て晩節を汚したくはありません。良い情報もそうでない情報も収集し、これらを総合して真相究明に努めてきました。これに嘘はありません。

神原先生も、「人権派弁護士」としてそれなりの地位を獲得したことを否定しませんが、この「でっち上げ」発言だけは断じて許されるものではありません。専門家の方々もこの辺については同意見です。法律に時効があっても、倫理問題に時効はありません。神原先生、「でっち上げ」は発言を即刻撤回してください。そうして、三百代言を駆使したり隠蔽や開き直りに終始したりするのではなく正々堂々と、リンチという厳然たる事実に対していただきたいものです。それこそ、言葉の真の意味での社会正義に適うといえるでしょう。

読者のみなさん、私の言っていることは間違っているでしょうか?

◆李信恵が女性だから厳しく対処したのか?

李信恵は、「陳述書」はじめ事あるごとに、みずからが女性であることで私たちが苛めているかのように語っています。まったくの失当です。いい加減なことは言わないでほしいですね。

逆に彼女が女性だからこそ手加減しています。女性で自宅まで赴き取材したのは、事件直後に来阪し善後策に努めた中沢けいのみで、香山リカ、師岡康子、北原みのり、辛淑玉、朴順梨など直撃取材したいと思った女性は数人いましたが、男性への取材を優先したことや、取材スタッフの人と金など諸事情で断念しています。

また、2016年7月にM君が彼女らを提訴しましたので、これ以降は、訴訟妨害などと言われかねないこともあり、M君が被告とした李信恵、及び他4人のリンチ加害者らへの直接取材は差し控えました。ですから、彼女らへの取材期間はたった4カ月ほどです。

さらに言えば、李信恵は、「反差別」運動の旗手のような顔をして、これまでに100回超の講演行脚を行うほどの著名人であり準公人です。そういう人が、いかなる理由があろうとも、深夜に「日本酒に換算して1升近くも飲んでいた」(本人のツイート)というほど泥酔状態でM君を呼び出しリンチに連座することは、女性であっても男性であっても許されるはずがありません。そう思いませんか?

むしろ男性であったら、岸政彦や有田芳生、高野俊一、警察に通報した石野雅之らに対するような直撃取材も厭いませんでしたし、これは今に始まった取材手法ではなく、例えば原発関連本でも、東電の会長はじめ当時の幹部らには時に早朝から夜半まで直撃取材も立て続けて行っています。

2020年11月24日一審本人尋問で李信恵を追及する松岡(画・赤木夏)

◆李信恵、神原弁護士、伊藤大介は、昨年11月24日、本件一審本人尋問後の伊藤大介暴行傷害事件について説明せよ!

それから、李信恵について、本件訴訟の一審の本人尋問後(2020年11月24日)、M君リンチ事件に連座した伊藤大介が再び極右活動家・荒巻靖彦を深夜呼び出し、他の者(氏名不詳)と共に襲い掛かり、反撃を食らいましたが、荒巻に小指骨折などを負わせる暴行傷害事件を起こしています(現在、他の傷害事件と併合され横浜地裁で審理中。他にも暴行傷害事件を起こしているようですが、本人や弁護人らが公開しないので詳細不明)。

11・24裁判後、事件前の伊藤大介氏と李信恵氏

M君のケースのように再び裁判後に酔っ払って深夜に呼び出し暴行傷害事件を起こしたわけですが、この事件を見れば、彼らがなんら反省していないことがわかります。伊藤が事件を起こす直前まで、李信恵は伊藤と共に飲食を共にしている写真をみずからSNSで発信しているのです。果たして李信恵は、事件の現場にいなかったのか、SNS発信後いつまで行動を共にしていたのか、説明責任があるでしょう。

さらに言えば、伊藤大介の審理の進行具合も、弁護人の神原弁護士は明らかにすべきではないでしょうか。神原弁護士によれば「正義は勝つ」のですから隠す必要はないでしょう。

◆リンチ事件の最大の被害者はM君です!

李信恵は、私たちの報道による「被害者」然として、「出版された本を見てとてもショックを受けました。」(2020年4月8日付け「陳述書」)、「苦しい気持ちになりました。」(同)、「不安と苦痛でいたたまれません。」(同)、「恐怖に苛まれました。」(同)、「恐怖心でいっぱいになりました。」(同)、「これら記事を読みながら泣き崩れました。」(同)、「恐怖と苦痛を感じました。」(同)、「絶望感に襲われます。」(同)等々、言いたい放題です。裁判官は在日の女性であることで、たやすく誤魔化されてしまったのでしょうか?

しかし、みなさん、よくよく考えてみてください。あれだけ激しい集団リンチを受けた「被害者」は勿論M君ですし、「ショック」や「苦しい気持ち」、「不安と苦痛」、「恐怖心」、絶望感」に最も襲われたのはリンチ被害者のM君でしょう。「女性だから」「在日だから」というゴマカシは通用しません。私たちは「女性だから」「在日だから」という差別心で李信恵を批判しているわけではありません。女性であってもなくても在日であってもなくても、悪いことは悪いと批判し弾劾します。

そう、リンチ事件の最大の被害者は誰が見てもM君です! これが揺るぎない基本です。

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*このリンチ事件について、「知識人」と称される人たち、ジャーナリストやマスコミ人らは、私たちの取材に真正面から対した人はほとんどいませんでした。大半が逃げたり沈黙したりし、結果、事件から1年以上も隠蔽され表面化することがありませんでした。

確かに、私たちは賠償金を食らいはしましたが、青年学徒一人を救いました。まだM君は後遺症に苦しんでいますが(それはそうでしょう、私がM君だったら……と思うと言葉がありません)、本件リンチ事件の真相究明と検証・総括作業、とりわけ裁判・判決の検証・総括作業を進めていきたいと思っています。

その作業については、今回を第1回として適宜ご報告いたします。(本文中一部を除き敬称略)

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《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

《8月のことば》行け! 風のように 自由に 鹿砦社代表 松岡利康

《8月のことば》行け! 風のように 自由に(鹿砦社カレンダー2021より/龍一郎・揮毫)

とめどないコロナ禍と猛暑の中、8月がやって来ました。なかなか自由に身動きできません。

あまり危機感を煽るつもりはありませんが、この国は確実に地獄への道に突き進んでいるかのように感じます。

私たちは、こうした危機に対して、その都度抵抗し闘ってきました。負け続けてきたにしても、私たちは抵抗と闘いで逆流に抗してきました。そのことによって、反動化への歯止めになってきたことは確かです。抵抗や闘いをしなかったら反動の嵐はますます激しくなっていたでしょう。

今は、いろいろな意味で身動きできず風のように自由に行けませんが、一日一刻も早く風のように自由に行けるようになりたいものです。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号

【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟】速報! 対李信恵訴訟控訴審、大阪高裁で一部勝訴判決! 素人目にもわかる事実認定の誤りを修正し165万円から110万円に賠償金大幅減額! われわれの闘いは終わらない! 株式会社鹿砦社/鹿砦社特別取材班

7月27日13時15分から大阪高裁第2民事部82号法廷で、われわれ鹿砦社に対して李信恵が名誉毀損・損害賠償を求め提起した訴訟の控訴審判決が言い渡された。開廷後、清水響裁判長は「主文、原判決を次のとおり変更する」と一審判決で命じられた165万円の賠償を110万円に減額する判決主文を言い渡した。

この日法廷には、被控訴人(一審原告)李信恵、代理人の神原元弁護士、上瀧浩子弁護士が揃って出廷していた。傍聴席には昨年の本人尋問後に酒に酔って暴行傷害事件を起こし保釈中の伊藤大介も神奈川からわざわざ傍聴に来ていた。おそらくは「大阪地裁判決通り」の満額回答を確信して神原、上瀧両弁護士は控えていたのだろう。しかし、主文が読み上げられると3人の表情は「えっ!」と不意を突かれたように変わったかに見えた。

法律的な判断はともかく、3人の表情に、この争いにおける当事者の感情が収斂されていたといえるだろう。

一連の訴訟の判決を受けて、われわれは、事実、真実には確信を持ちながらも、裁判所の判断には、ほとんど“絶望”に近い境地にいた。当たり前であろう。この日の大阪高裁の判決は、大阪地裁の“最悪判決”よりは、丁寧な事実判断を行っているとはいえ、市民感覚からは程遠い。何よりも1時間余り殴る蹴るされた被害者に対する賠償金と、その真相究明(われわれはこれまでに6冊の書籍に結実させ世に問うている)の賠償命令が同額近くである? これが司法の判断であれば、“集団暴力励行判断”といっても過言ではないだろう。

最も重要なことは、李信恵は鹿砦社出版物4冊(提訴当時出版されていたのは4冊だった)の販売停止など、いやしくもライターを生業とする者にとって全く不当極まりない請求を申し立てていたのであるが、この主たる請求は、大阪地裁でも、大阪高裁でも認められていないことである。

すなわち、本論でわれわれは負けていない、どころか〈勝利〉(松岡にいわせれば「敗北における勝利」)しているのであり、誤判によって大阪地裁から不当にも下された賠償命令が、減額されたというのが、客観的な事実である。

これでもこの事件にかんする限り、判決としては“マシ”であったのだ。判決の詳細の分析、今後のわれわれの法廷闘争、及び出版活動などの方針については、近日中にお伝えする。きょうの原稿では本件訴訟及び関連訴訟を一貫して共に闘っていただいた大川伸郎弁護士の言葉で結ぶ。

「事実認定はこれまで通りですが、たとえば『M君対5人訴訟』の控訴審では、全く訳のわからない理屈が持ち出されました。本件訴訟の地裁判決もそうでした。あれらは誤判です。それに比べれば、不満は残りますが、ある程度丁寧な事実認定がなされたと、一定の評価はできると思います。勿論判決に満足はしていませんが」

「結ぶ」とは述べたが、やはりこの男の感想を載せないわけにはいかないだろう。鹿砦社代表・松岡は判決への感想を、
「少しは押し返したかな、というところです。一審大阪地裁判決は素人目にも判る明らかな誤判でしたから。でもね……」
と含みのある言葉を紡いだ。

画像は法廷での李信恵。髪を切りイメチェン?(画・赤木夏)

判決後、相手側は司法記者クラブで、記者会見を行った模様だ。判決言い渡しの法廷には記者席があった。われわれには決して開かせてもらえなかった記者会見を相手方はいとも簡単に行うことができる。28日の新聞には相手側の言い分が掲載されるかもしれない。不公平じゃないか。

この裁判の詳細は、後日詳しくお伝えする。事実の末尾に真実が宿る。なぜ、われわれは、原告であっても被告であっても「記者会見」すら拒否されるのか。

このことが、このリンチ事件の〈本質〉を示唆しているのかもしれない。司法記者クラブに巣くうマスメディアが、被害者の必死の声に耳を貸さず黙殺し、リンチがあったという事実を隠蔽し、李信恵ら加害者側の声をのみ聞く――どこかおかしいのではないか?

われわれは、司法の場であれ、言論の場であれ、退路を持たない。あらゆる欺瞞を暴き出し、指弾し尽くす。それは自己満足のためではない。人間の根本矛盾を、そして〈生き様〉を問う問題だからだ。

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『暴力・暴言型社会運動の終焉』

【カウンター大学院生リンチ事件】 7・27、対李信恵訴訟、いよいよ控訴審(大阪高裁第2民事部)判決へ 株式会社鹿砦社/鹿砦社特別取材班

鹿砦社がツイッター上で李信恵から、散々な罵詈雑言を浴びせられたため、仕方なく名誉毀損による損害賠償を求め提起した裁判の終結直前になって、李信恵側は「反訴したい」と主張し出した。裁判官はそれを認めず、別の訴訟として李信恵が原告となり、鹿砦社を被告として訴えた民事訴訟の一審(大阪地裁)判決は、あろうことか165万円の賠償金と、本通信記事の一部削除を命じる〈不当判決〉だった。当然われわれは上級審の大阪高裁に控訴し、その判決をいよいよ7月27日に迎える。(控訴人=株式会社鹿砦社、被控訴人=李信恵)

 
因縁の大阪地裁/高裁

◆不可解な判決の連続に首を傾げる

再度強調しておかなければならないが、この一連の裁判を初めに提起したのはわれわれ鹿砦社であり、その訴訟で一審(大阪地裁)、控訴審(大阪高裁)ともに李信恵の不法行為を認定しわれわれは勝訴しているのだ(上告を取り下げ確定)。にもかかわらず、不可思議な別訴に対し、大阪地裁は数々の事実誤認と、思い込みとしか考えられない筋の通らない理屈を根拠に165万円もの賠償金と本通信記事の一部削除命令を内容とする判決を下したのだ。

「カウンター大学院生リンチ事件」とか「しばき隊リンチ事件」といわれる「M君リンチ事件」に関係する訴訟には、純粋な司法判断とはどこか異なる、不自然な“もや”のようなものが常に付きまとっている。政治的な背景があるのではないか、とすら考えざるをえない判決の連続や(このかん和歌山カレー事件再審で話題の元大阪高裁判事の生田暉雄弁護士によれば「報告事件」というものがあり、これは最高裁からの指図で、これに指定されると、どうあがいても勝てない訴訟があるとされ、当初はそんなバカなと思いつつも、こうも不当判決が続くと真実味を実感する)、マスコミの恣意的な報道管制。本来だれにでも使用権限があるはずの司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)からことごとく締め出され、一度も記者会見を開かせてもらえていない現実。これらはやはり“何らかの背景”なしに起こりうる事象ではない。

本人尋問で大川弁護士の追及に答えきれず涙ぐむ仕草で裁判官の心証に訴える李信恵(画・赤木夏)。後ろに代理人の神原・上瀧弁護士。2020年11月24日、大阪地裁で。この後、傍聴に来ていた伊藤大介は深夜暴行・傷害事件を起す
李信恵の「謝罪文」(全7ページの内の2ページ)。のちに撤回したことに李信恵の人間性が表われている
 
リンチの是非を問うた人に開き直って恫喝する李信恵のツイート

◆われわれは死力を尽くした! 

そういった背景の中、一審の大阪地裁は、上記の通り不当判決を下したのであったが、控訴にあたり、われわれは死力を尽くした。まず元裁判官(大阪高裁にも勤務)の森野俊彦弁護士に弁護団に加わっていただいた。『週刊金曜日』によれば、「裁判所の内外で発言を続けた裁判官は、森野俊彦氏しかいない」とされ、失礼な物言いながら、当初予想した以上に優れた方であることがすぐに判った。従前より一連の訴訟を担当していただいている大川伸郎弁護士、森野弁護士を中心に何度も打ち合せを行い、精神科医・野田正彰先生にM君の「精神鑑定」を行っていただき、ニューヨーク州立大学名誉教授で心理学者の矢谷暢一郎先生からも海の向こうから「意見書」を頂いた。いずれも重厚な内容である。

そして地裁判決が素人目にも粗雑であって(例:証拠として提出してある書籍の中にある人物の電話取材を掲載しているが、判決文では「取材をしていない」と断言している。裁判官はろくろく証拠に目を通していないのだ)、重要な事実認定に妥当性を欠き、判決全体が恣意的な内容であることを「控訴理由書」、およびこの補充書で指摘した。さらには、われわれの委託を受けて取材に飛び回ってくれた、ジャーナリスト寺澤有氏の「陳述書」、さらには鹿砦社代表・松岡の渾身の「陳述書」など、これまでになく力を込めた。

勝ち負けは別として、これだけ衆智を結集した。果たして大阪高裁が、これらの知見を越える判断を示すか、興味津々だ。

大阪地裁判決前に、まさかこのような〈不当判決〉が下されるとは、われわれは予想だにしていなかった。だから、控訴審に向けては限られた時間の中で弁護団の先生にはかなりの無理をお願いし、われわれも死力を尽くした。

これ以上の証拠や、地裁判決を弾劾する法的哲学、論理は探求しようがない、といえるところまで「控訴理由書」、この補充書は研ぎ澄ました。野田正彰先生、矢谷暢一郎先生のご尽力には感謝に堪えない。

論理的にわれわれは、負けるはずはないと確信している。しかし、裁判所は証拠と論理を揃えても、一般人の「市民感覚」から遊離した判決を少なからず出すことがあることも知っている。

李信恵の「名言」の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◆7・27控訴審判決に注目を!

繰り返す。われわれは死力を尽くした。当然地裁判決破棄の判決を期待するが、判決の如何に関わらずできうることはすべてやり尽くした。判決の如何を問わず、「やれることはすべてやり切った」との想いが強い。

だから、大阪高裁には“真っ当”な判決を出してもらわねばならない。7月27日(火)13時15分から大阪高裁(別館)82号法廷で判決言い渡しが行われる。猛暑の中であるが、関西在住の方で都合のつく方は傍聴に結集を! 判決は、結果の如何にかかわらず当日速報を打つ予定だ。圧倒的な注目を! 

 
自ら泥酔したことをツイート。常識的に考えれば、1升近く飲んで泥酔しないわけはない

ちなみに、集団リンチの被害者M君は、いまだにリンチの後遺症に苦しんでいる。一方で、加害者グループの一人として実際にリンチの現場に居合わせ、1時間ものリンチを見聞きしつつも止めもせず、救急車やタクシーを呼びもせず、師走の寒空の下に放置して立ち去った李信恵は何の反省もなく、最近も(コロナ禍で少なくなっているとはいえ)各地の「人権団体」や行政などの招聘で講演旅行に回っている。

李信恵は、この時代「反差別」の象徴、あるいは旗手たり得る人格と思想を備えているであろうか。「日本酒に換算して1升近く飲んだ」(李信恵本人のツイート)と平然と公言するほど泥酔した挙句、集団リンチ事件に連座した責任を、どのように申し開きできるのだろうか。われわれは〈あらゆる差別に原則的に反対する〉が故に、この闘いを貫徹してきた。少なからずの傷も負っている。だが、〈差別〉に関する限り〈原則〉は譲ることはできないのだ。〈本当に撃つべきもの〉は何であるのか?この問いに立脚することをわれわれは一時(いっとき)も忘れはしない。

「因果応報」という言葉がある。この通信でもことあるごとに述べているが(7月12日号参照)、かつて「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧事件で鹿砦社弾圧に手を貸した者がことごとく再起不能なまでに失脚したことをわれわれは知っている。それは決して“偶然”だろうか――われわれは「因果応報」という言葉を信じる。リンチの被害者がこの後遺症に苦しみ、加害者が表舞台で「反差別」や「人権」などを語る講演三昧などという世の中は不条理だ。

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

私たちには忘れられない日がある! 〈7・12〉、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧から16年に思うこと 鹿砦社代表 松岡利康

今から16年前の2005年7月12日早朝、母親が新聞を持って血相を変え、私が目覚めようとしているところにやって来て、「あんたが逮捕されるみたいよ」と言い、眠気眼で朝日新聞朝刊の一面トップを見ると「出版社社長に逮捕状」の文字が躍っています。と、神戸地検特別刑事部の一群が、甲子園球場の近くに在る私の自宅を襲いました。家宅捜索が始まりました。

おそらく、メディアのカメラが林立し多くの記者らが取り囲んだ家宅捜索の異様な光景を見た人は驚いたことでしょう。自分の逮捕を新聞で知るという、笑うに笑えない経験をしましたが、これから悪夢の日々が続くことになります。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊
松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊
[右]勾留が長引き、無念の事務所撤去。相互支援の関係にあった西宮冷蔵の方々が引き受けてくれた。荷物は同社の倉庫に保管された。[左]「日々決戦」の額が床に……
松岡が192日間勾留された神戸拘置所

◆神戸地検と朝日新聞が仕組んだ茶番劇

元検事の話では「風を吹かせる」という言葉があるそうです。検察が特定のマスコミにリークし世間を驚かせ話題にするということのようです。

しかし、私たちの出版社のような地方小出版社に、一面トップを飾るほどの値打ちがあるのかと思うのですが、刑事告訴した者、検察権力、朝日新聞などに思惑があり、それが一致したということでしょう。刑事告訴した警察癒着企業(旧アルゼ、阪神球団)の強いプッシュがあったことが窺えます。

当時のアルゼの社長は警察キャリアでした。アルゼはパチンコ・パチスロメーカー大手のジャスダック上場企業、阪神球団も、あまり知られてはいませんが、兵庫県警の暴対幹部から下部警官まで多くの警察出身者の天下り企業でした。

逮捕後、192日間という予想以上の長期勾留で身体的、精神的にも参りました。逮捕されたのは7月、保釈されたのは翌年の1月20日でした。このかん、本社は閉鎖・撤退を余儀なくされましたが、ただ一人残った中川志大(現在取締役編集長)の踏ん張りで“徳俵”に足を残すことができました。

松岡逮捕直後、『噂の眞相』岡留安則編集長(故人)が吼えた! 『週刊朝日』2005年7月29日号
神戸拘置所が在る神戸市北区ひよどり台を解説する10月31日付け朝日の記事。偶然に勾留中に掲載
松岡は神戸拘置所で年を越し、保釈されたのは2006年1月20日だった

◆「人質司法」は今も変わらない

「人質司法」の弊害は当時から指摘されていましたが、16年経った今でも変わっていません。容疑を認めなければ釈放されることはありません。認めたら認めたで、釈放はされますが、裁判では不利になります。

私は公判ごとに3度保釈請求を行いましたが、ことごとく却下、一番ショックだったのは12月の公判後の保釈請求が却下になったことで、これで拘置所で越年し正月を迎えることが決定したからです。理由は「証拠隠滅の恐れ」です。

最近、カルロス・ゴーンの弁護人の高野隆弁護士の、その名もずばり、『人質司法』という本が出版されましたが、裁判所が「人権の砦」だというのであれば、こんな反人権的で人間を身体的、精神的に痛めつけ追い込む「人質司法」は改善すべきでしょう。

[右]一審神戸地裁は、懲役1年2月、執行猶予4年の有罪判決を下した(毎日新聞2006年7月4日夕刊)。[左]同じ裁判長は同じ週に明石・砂浜陥没事故で行政に無罪判決、高裁で差し戻され誤判が確定(朝日新聞7月8日朝刊)
7月4日松岡一審判決当日のテレビ画像。右は佐野裁判長の画像と“名言”
神戸地検と連携し大々的な”官製スクープ”を展開した朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者

◆神戸地検と連携し“官製スクープ”を展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は私との面談を拒否するな!

本件“官製スクープ”を神戸地検と連携し展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は、その後一時中国瀋陽支局長を務めた後(10周年の際、意見を聞こうと探し回ったところ中国に渡っていました)、大阪社会部司法担当キャップに就いています。

昨年、15周年ということで何度も面談を申し込んでも、逃げ回っています。私は当事者中の当事者ですよ、あの“官製スクープ”で会社も壊滅的打撃を蒙り、私自身も192日も勾留され有罪判決も受けました。

15年経ち私怨も遺恨もありません。ただ、“官製スクープ”の裏側を直接聞ければいいだけです。

日本を代表する大手メディアのジャーナリストなら、堂々と会い、私と対話せよ! 私の言っていることは間違っていますか?

日本で活動する外国人記者の関心も大きく、招かれて外国人記者クラブで会見

◆私たちを地獄に落とした者らの不幸と教訓

アルゼ(現ユニバーサル)創業者オーナー岡田和生、海外で逮捕を報じるロイター電子版2018年8月6日号

私たちを地獄に落とした者、旧アルゼの社長・阿南一成、同創業者オーナー岡田和生、神戸地検特別刑事部長・大坪弘道、同主任検事・宮本健志……「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄される所以ですが、その後、再起不能なまでのどん底に落ちています。

16年前、社会的地位も名声も、私などと比較するまでもありませんでした。

「因果応報」──人をハメたものは必ずハメられるということでしょうか。

保釈された後、刑事(懲役1年2月、執行猶予4年の有罪)、民事(600万円の賠償金)共に裁判闘争を闘いましたが、最終的に敗訴が確定しました。特に民事で、一審300万円の賠償金が控訴審で600万円に倍増したことはショックでした。刑事で有罪判決が出ていましたので、これを見て民事の控訴審判決を下したとしか思えません(刑事と民事は別というのはウソです)。

しかし、私たちは、それでも残ったライターさんや印刷所など取引先のご支援により、奇跡的ともいえる再起を勝ち取ることができました。ともかく一所懸命でした。

ちなみに、神戸地検は製本所(埼玉)や倉庫(埼玉)、取次会社、関西の大手書店などを訪れ事情聴取を行っています。ふだん「言論・出版の自由」を声高に叫ぶ取次会社には頑と拒否して欲しかったのですが、協力に応じ資料も提出しています。

一方、阿南、岡田、大坪、宮本らは、栄華に酔い、裏でよからぬことを企てていたのでしょう、不思議と次々とスキャンダルに見舞われ事件に巻き込まれ、地位も名声も失い再起不能な状態にまでになっています。お天道様はお見透しです。

阿南一成アルゼ社長(左)、社会的問題企業との不適切な関係で辞任(朝日新聞2006年1月19日朝刊)。この直後の1月20日、松岡が保釈された
岡田、ユニバーサルから追放。『週刊ポスト』2019年3月18日号
松岡に手錠を掛けた神戸地検・宮本健志主任検事、栄転先で不祥事、降格・戒告処分。徳島新聞2008年3月26日付け
神戸地検特別刑事部長として鹿砦社弾圧を指揮した大坪弘道検事の逮捕を報じる2010年10月2日付け朝日新聞

ところで、私たちはここ5年余り、「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」の被害者支援と真相究明に関わってきました。リンチ被害者M君が加害者らを訴えた訴訟はすべて終結しました。当社関係では来る7月27日に対李信恵訴訟控訴審判決を迎えます(もう1件係争中)。どれも満足のいく判決内容ではありませんし、被害者M君は満足のいく賠償金も得られず、大学院博士課程を修了しながらも希望に沿わない仕事で糊口をしのいでいます。他方加害者の一人、李信恵は法務局関係や行政などにも招かれ講演三昧―─なにかおかしくはないですか? M君がかわいそうです。

しかし、「鹿砦社事件」といわれる、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧で、あれだけペシャンコにされても、自分で言うのも僭越ですが、愚直に頑張ったことは確かです。愚直に頑張っていれば、必ず報われることを思い知りました。一方で事件を画策した者らは上述したとおりです。弾圧は苦しかったけれど、この事件で得た最大の教訓です。

つまり、今は李信恵らは、リンチ事件を大手マスコミの力を得て乗り切り、「反差別」運動の旗手のように栄華に酔っています。私にしろM君にしろ、悔しいですが、社会的地位も名声も李信恵には及びません。私が法務局関係や行政などに招かれ講演することなどありません。

しかし、鍍金はいつか必ず剥げます。あれだけ卑劣で凄惨なリンチに関わった者が、大手を振って、まことしやかに講演するなどということは、常識から言って考えられませんし、あってはならないことです。

今こそ鹿砦社の雑誌‼

「観客を入れるか否か」の本末転倒な議論は止めて、今こそ「東京五輪」を中止せよ! 『NO NUKES voice』編集委員会

先月までは「東京五輪中止」の文字を時々メディアでも見かけたが、いつの間にか問題がすり替えられて「観客を入れるか・入れないか」との不毛テーマに議論が集中しているように感じられる。社風も誌面も主張も異なるはずの、新聞各紙のなかで、明確な「五輪中止」を掲げ続けるものはない(機関紙や個人発行のミニコミを除いて)。

これぞまさに、私たちが懸念してきた「大本営発表」状態の再来と言わねばならない。新聞記者はなにを見ているのだ? なにを取材している? 目の前でデルタ株が猛烈な勢いで広がっているのではないか。空港検疫はほぼ機能せず、「五輪」を錦の御旗にすれば、ほとんど海外からのひとびとは入国してくることができる。

通常時であれば、入管体制は煩くないのが良い。しかし今は特別な時ではないのか。全国各地に常時は発着している国際線航空機の8割以上は運航取りやめになっていて、一般人は日本に居住する人も、海外から来る人も日本を発着点にした「海外旅行」などはできない。

海外旅行どころではなく、東京など大都市をはじめとする飲食店の多くは長期間休業を余儀なくされ、しかしいまだに補償金を手にすることができず休業から、廃業に追い込まれる非常に厳しい状態の真っただなかに置かれている。大手のホテルでも都市部での休館や廃業は出始めており、コロナが仮に終息したとしても、この傷から人々が癒えるのにはどのくらいの時間と、お金が必要なのか想像すらできない。

蒸し暑い梅雨の時期にあっても、マスクをして街を歩く姿は普通であるし、多くの大学ではいまだに半数以上の講義をオンラインによってのみ実施している。つまり、政府が宣言を出そうが出すまいが、市民の(とりわけ都市部に居住したり通勤通学する人々)生活はこの2年ほど常に「非常事態」なのである。入学試験に合格したのに、2年も大学に通えない学生の群れなど今まで私たちは目にしてことがあっただろうか。

新型コロナは次々と変異を繰り返してゆき、どうやら「90%以上有効」とされていたファイザー社のワクチンも変異株の前にはそれほどの効果を発揮できないことが露呈されてきた。世界一接種スピードが速かったイスラエルで、デルタ株が急増しだし、イスラエル政府は解除していた屋外でのマスク着用義務だけではなく、屋内でのマスク着用を再び国民に命令したことから、この事実は伺い知ることができる。

議論を原点に戻そう。感染症に対する基本的な防御措置は「人の流れを止める」ことだ。東京だけではなく、日本のあらゆる都市は今、海外の人々との交流を我慢しなければいけない。

私たちが身勝手にそのように言っているのではなく、政府や各都道府県も相当額の広告費を使い、「感染予防の徹底」を宣伝しているではないか。ならどうして「国策」としてそれに真反対のことを強行しようとするのだ。私たちはことあるごとに「東京五輪」を1945年の日本に例えてきた。7月に入り「観客を入れるか・入れないか」との本末転倒した議論には、心底あきれ返り、再度「東京五輪」は絶対に中止すべきだと、繰り返す。

1945年8月6日、午前8時15分、広島の空は晴れ上がっていた。その後の地獄図絵など誰も想像できないくらい。しかし私たちは「地獄図絵」が予見できるのだ。ならばどこまで行っても「東京五輪反対」を叫び続けるしかない。「観客を入れるか・入れないか」の議論は前提からして間違っている。

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

年月の渇きを越え私たちの志の〈原点〉を探る ── 6・26長崎浩講演会「樺美智子と私の60年代」に参加して 鹿砦社代表 松岡利康

しらじらと雨降る中の6・15 10年の負債かへしえぬまま (橋田淳「[創作]夕陽の部隊」より)

6月26日、旧知の長崎浩さんが来阪され「樺(かんば)美智子と私の60年代」の演題で講演をされるということで参加しました。主催は「山﨑博昭プロジェクト」。「山﨑博昭プロジェクト」というのは、1967年10月8日、佐藤訪ベト阻止闘争(第一次羽田闘争)で亡くなった京大生・山﨑博昭さんを偲び、没後50年に際し記録集編纂・出版、墓碑建立、各種イベント開催などを行う目的で、実兄の建夫さんを筆頭に、元東大全共闘代表で高校(大阪・大手前高校)の先輩にあたる山本義隆さん、高校の同級生で詩人の佐々木幹郎さんや作家・三田誠広さんらが発起人となって設立されたものです。私が16年前に「名誉毀損」容疑で逮捕された時に主任弁護人を務めてくれた中道武美弁護士も大手前高校の後輩ということで当初から賛同人に名を連ねておられます。

これまで分厚い記録集『かつて10・8羽田闘争があった』(全2巻)を出版、亡くなった現場の近くのお寺に墓碑を建立したり、山本義隆さんらを中心としてベトナムを訪問し親睦を深めたりしています。

本年、6月12日東京、同26日大阪で長崎浩さんの講演会を開催し激闘の時代・1960年代から70年代はじめにかけての学生運動や反戦運動、反安保闘争の歴史的意義、その過程で権力の弾圧で斃れた犠牲者を弔うと共にこの意味を探究しようということです。東京、大阪、どちらも100人近い参加者でした。私にとってはいまだに直立不動的存在の山本義隆さんも、わざわざ東京からみえられていました。

長崎浩さん(山﨑プロジェクトのサイトより。これは6・12講演会のもの)

◆60年安保闘争と第一次ブントとは? そして樺美智子さんの死

長く読み継がれてきた樺美智子遺稿集『人しれず微笑(ほほえ)まん』

長崎さんは、60年安保闘争ではリーダー格として闘い、その後東大闘争、70年安保闘争に至る歴史の証人として名著『叛乱論』はじめ多くの著書を上梓されています。1960年6月15日、国会前で機動隊に虐殺された樺美智子さんを「引率」(本人談)して共に闘っています。長崎さんはデモ指揮だったとのことです。冒頭に挙げた一句にある「6・15」とは1960年6月15日のことです。6・15は反日共系の全学連主流派に領導された闘争ですので、日本共産党の歴史には記載されていません。実際に当時の全学連主流派は、「全世界を獲得するために」とのスローガンを叫び日本共産党から脱党し結成したブント(共産主義者同盟)、日本共産党が憎しみを込めて言う、いわゆる「トロツキスト」で、「唯一の前衛党」を実戦的に乗り越えましたから、「唯一の前衛党」を自認する日本共産党としては、この歴史的闘いは認めることができないということでしょうか。

しかも、樺さんの葬儀は多くの団体で実行委員会を作り「国民葬」としてなされたということで、今では考えられません。

私たちが学生の頃は、この6・15から、沖縄戦の6・23を「6月闘争」として集会・デモをやったものです。日本共産党は6・23には記念集会・デモをやっても6・15はその歴史にはありませんから、なにかをやるということはしません。

6・15樺さんにしろ10・8山﨑さんにしろ、後続の私たちの世代にとっては、高貴な存在でした。「樺さん、山﨑さんの死を乗り越えて闘おう!」ということです。樺さんの遺稿集『人しれず微笑(ほほえ)まん』は読み継がれ、私たちにとっては必読書の一つでした。

その後、新左翼運動は、対権力闘争で少なからずの死者を出しましたが、遺憾ながら樺、山﨑さんの二人ほど長く高らかに語り伝えられる人はいません(こういうことで山﨑プロジェクトに続き69年安保決戦で機動隊に虐殺された糟谷孝幸さんの当時の仲間によって「糟谷孝幸プロジェクト」が作られ「山﨑プロジェクト」の協力と連携により記念出版がなされました)。私は、山﨑、糟谷両プロジェクトに、身がすくむ想いでささやかながら協力させていただきました。当然です。

樺さんの死亡と権力の暴虐を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(全4ページのうち3ページを掲載)
同上

◆出版を本格的に始める際に、長崎浩さんの本を最初に出した!

やはり「山﨑プロジェクト」の発起人で、このかんは反原発雑誌『NO NUKES voice』でたびたびお世話になっている水戸喜世子さん(夫の水戸巌さんと共に救援連絡センターの創設に奔走されその初代事務局長)もお越しになっていてご挨拶すると「長崎さんをご存知だったんですか」と言われましたが、実は、長崎さんとの関係は古く、私が10年近い会社勤めを辞め出版を生業とする1984年、最初に出した書籍が『革命の問いとマルクス主義』で、その後対談集『70年代を過(よ)ぎる』(88年)を出しました(別掲案内参照)。東京の集会で、司会をされた佐々木幹郎さんとの対談も収録されており、このことに触れられたということでした。もう30数年も経ってしまったのか、と感慨深いものがあります。

前述したように、6・15樺さんにしろ10・8山﨑さんにしろ、後続の私たちの世代にとっては、忘れてはならない記念日であり人物でしたが、「トロツキスト」にことごとく敵対する「唯一の前衛党」を自認する日本共産党には存在しません。

私が出版を生業として始めた頃には、「第一次ブントに返れ!」との想いと、これを下敷きにみずからが関わった運動を検証・総括せんとの目的から、この60年安保闘争と第一次ブントについて性根を入れて研鑽、小冊誌『季節』にて連続して掲載したり、書籍も『敗北における勝利──樺美智子の死から唐牛健太郎の死へ』(85年)、『未完の意志──[資料]六〇年安保闘争と第一次ブント』(同)を上梓しました。あまり評価されませんでしたが、今、あらためて紐解くと、「なかなかいい本じゃないか」と心の中で自画自賛しています。

俗に「新左翼」と言いますが、この起点は、60年安保闘争の前夜、「唯一の前衛党」を自認する日本共産党のスターリン主義を否定し訣別、その内部から「共産主義者同盟(通称ブント)」の結成にあり、60年安保闘争は、僭越な言い方ですが、新左翼の急進主義の最初の派手なお披露目舞台だったといえるでしょう。

他方、主にトロツキーの生き様とこの理論をもって出発した太田竜、黒田寛一らの「日本トロツキスト連盟」、これが解体した後に結成された「革命的共産主義者同盟」(革共同)などがありますが少数派だったようです。その後、革共同から「第四インター」(四トロ)が独立、勢力を増やしていきます。日本共産党からは構造改革派などが除名、脱党し、その左派(「フロント」「プロ学同」)、また社会党から「社青同解放派」(「反帝学評」「革労協」)が出、それらは新左翼に合流していきます。10・8闘争を担った、いわゆる「三派全学連」の「三派」とは、「日本トロツキスト連盟」から出た革共同中核派、日本共産党から出たブント、社会党から出た社青同解放派ということで、10・8闘争は、違う三つの源流を持つ「三派」の勢力の共同闘争でした。構造改革左派(フロント、プロ学同)や四トロなども合流し、新左翼は、この周囲に膨大なノンセクト層も巻き込み60年代後半から70年代初頭にかけてのベトナム反戦運動、安保─沖縄闘争、大学闘争、三里塚闘争をラジカルに闘うことになります。

また、理論的にも水準は高く、長崎さんはじめ、姫岡玲治(ペンネーム)こと青木昌彦さん(故人。京都大学名誉教授)はノーベル経済学賞の候補になったり、哲学者の廣松渉さん(故人。東京大学教授)はマルクス研究、特に『ドイツ・イデオロギー』研究で世界的に評価されています。特に廣松さんには、私のような浅学の徒に対しても気安くお付き合いいただきましたが、廣松さんは左翼活動で福岡の伝習館高校を退学になり、大検で高卒の資格を取得し東大に入学、その後も学生運動に没頭し東大教授にまでなったという異色の経歴で、私たちなどとは別格の頭脳を持たれています。

長崎さんの『70年代を過ぎる』ほかの案内

◆「遅れてきた青年」だった私にも、振り返って語るべき時が来た!

私は、この時代の同伴者・大江健三郎の小説のタイトルを借りれば「遅れてきた青年」として1970年大学入学で、60年、70年の〈二つの安保闘争〉を追体験し、60年安保から10年ほどの間に、10・8はじめ発生した多くの歴史的な出来事を見てきました。そうして変革や革命を希求し、全力で闘い、しかし敗北、絶望感を味わいました。とはいえ、この〈二つの安保闘争〉をメルクマールとする時代は、この国の転換点だったと思います。

あれから半世紀余り──尊敬する先輩方も続々鬼籍に入られています(ちなみに先に名を出した廣松さんは、世界的に認められるような学問的業績を挙げていますが、なんと60歳で若くして亡くなられていることを、あらためて知りました)。私も、先輩らに比して、若い若いと思っていましたが、そうでもなくなり、当時を振り返ってもいい歳になりました。

こういうことを自分なりに悟り、みずからの非才を顧みず数年前から1年に1冊ですが、当時を振り返り語る本を出しています。『遙かなる一九七〇年代‐京都』(2017年)。『思い出そう!一九六八年を!!』(18年)、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』(19年)、『一九七〇年 端境期の時代』(20年)で、今年も11月に続編『絶望と地獄の季節71~72年』(仮)を出す予定です。長崎さんも寄稿予定です。

「懐古趣味」だとか言われれば、それでも構いませんが、私(たち)も先がそう長くはありませんから、生来鈍愚、たとえ拙くてもみずからの言葉で書き綴り、自力で編纂していきたいと考えています。

冒頭に挙げた「橋田淳」さんは大学の先輩(全学闘争委員会を形成する文学部共闘会議)で、今は児童文学作家をされていますが、この「夕陽の部隊」は、彼にとっては特異な作品(短編小説)です。しかし私に言わせれば、彼の作品群の中で5本の指に入る秀作です。

「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だと言ったんだ、だってそうだろう、革命を戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」(「夕陽の部隊」より)

つまるところ、60年安保闘争から60年代、70年代の闘いの高揚と挫折を経て現在に至る〈生きた総括〉とは、そういうことだろうと思われます。

*「[創作]夕陽の部隊」は『季節』6号初出、その後『敗北における勝利』『遙かなる一九七〇年代‐京都』に再録されています。

68年~70年の総括シリーズの案内

《7月のことば》Never Give Up! あきらめないこと つづけること ときどき やすむこと 鹿砦社代表 松岡利康

《7月のことば》Never Give Up! あきらめないこと つづけること ときどき やすむこと(鹿砦社カレンダー2021より/龍一郎・揮毫)

龍一郎にしては珍しく英字ですが、意味は言わずもがなです。

今、コロナ禍で多くの方々が呻吟しておられます。

これまでの人生を振り返る歳になりましたが、私(たち)も決して平坦な道を歩んできたのではありません。むしろ苦しかったことのほうが多かったのではないでしょうか。

しかし、生来鈍感な性格もあってか、諦めることを知らないこともよかったのかもしれません。たしかに長い人生、一時的に「もうアカン!」と思ったことは何度もありましたが、「明日は明日の風が吹く」ってなもので、シンドさを翌日に引きずらないように努めました。

コロナ禍、まだまだ油断がなりません。なんとしても生き延びましょう! 人生、諦めたら終わりだ! と、自分に言い聞かせながら──。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

〈自由な言論の場〉として ―― 6月19日付け横山茂彦氏の論考にちなんで 鹿砦社編集部

6月19日付け「デジタル鹿砦社通信」に横山茂彦氏の【《書評》月刊『紙の爆弾』7月号〈後編〉「【検証】『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか」(第九回)での鹿砦社編集部への批判に答える 】が掲載されました。

 
〈タブーなき言論〉月刊『紙の爆弾』7月号

鹿砦社ならびに「デジタル鹿砦社通信」、また月刊『紙の爆弾』は〈タブーなき言論〉を目指し、意見の相違があろうとも様々な立場を尊重する姿勢を保つべく、努力しております。横山氏の記事は「鹿砦社編集部の筆者への批判に答える」と表題が示されている通り、現在部落解放同盟と鹿砦社の間で、交わされている表現についての問題について横山氏の意見表明です。

その原稿の元になっている記事は『紙の爆弾』7月号に掲載された、鹿砦社編集部の文章です。関心のある方はぜひ『紙の爆弾』7月号の《「士農工商」は「職階性」か「身分制度」か 再考》をご一読ください。そこでは、私たちの基本的な疑問を、素直に問いかけ、この問題をどのように考えればよいのか?を解放同盟や読者にも問いかけています。黒薮哲哉氏のご指摘もその中で引用させていただいております。

権力者ではない、また社会的に力を持たない誰かを傷つける内容でない限り、また差別を助長する表現ではない限り、広く意見表明を行っていただく場所として存在したい。「デジタル鹿砦社通信」は〈自由な言論の場〉でありたいと考えますし、それはこれまでも実践してきました。意見表明にも「過ち」はあり得ますので、事実関係の誤認や、間違った理解があれば、私たち自身がこれまでも訂正を行ってきました。

私たちがここ5年余り関わって来ている「カウンター大学院生リンチ事件」についても「私たちの言っていることに誤りがあれば指摘してほしい」と公言しています(が、言論での反論らしい反論はありません)。

そして、敢えて付言いたしますが、6月19日掲載の横山氏の意見は、私たちと同じではありません。しかし、活発な議論喚起のためと、〈自由な言論〉確保のために横山氏に訂正や修正を押し付けたりはしません。当然です。

以上、短いですが、言論と個々の意見表明について、私たちの基本的な考えを、表明いたします。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

【緊急提言】「東京五輪」を中止せよ!『NO NUKES voice』編集委員会

私たち『NO NUKES voice』編集委員会は、以下の理由で「東京五輪」を絶対に中止すべきだと考えます。

〈1〉そもそも「東京五輪」は「福島第一原発事故」隠蔽のために企図された悪辣な権力犯罪であること

東京五輪招致が決定したのは、2013年9月3日、アルゼンチンのブエノスアイレスへ安倍晋三首相(当時)が直接出向き「福島の放射能は完全にコントロールされており、健康被害は過去、現在、未来において生じません」との100%虚偽な招致演説を行ったが故でした。有名な「under control」発言です。安倍の演説には「五輪を招致して福島第一原発事故被害を隠蔽しよう」との意図が、明確に見てとれます。

ですから私たちは毎号のように反原発雑誌『NO NUKES voice』誌上で「東京五輪」を徹底して糾弾してきました。「東京五輪」開催に加担することは、福島第一原発事故の被害者・被災者の皆さんと対峙することである、と私たちは考えます。

この問題には「中道」や「妥協」などはあり得ません。大手メディアは福島をはじめ、東北の「復興」と同時に「東京五輪」が、あたかも被災者・被害者を救済するかのような印象操作に熱心ですが、そのような効果はまったくありません。精神論で「聖火リレーに感動した」という個人史を各地方紙は掲載することに熱心ですが、であれば「東京五輪」の陰に隠され、健康被害・生活被害を受けた皆さんの声をどう考えるのでしょうか。

東京電力は実質国営化されながら、福島第一原発の廃炉作業に、今後いったいどのくらいの年月・お金が必要なのか、精緻な計算は誰もできません。日本国家1年の予算を何十倍も超える、膨大なお金と労働力が必要なことだけは明白です。では、そのことをしっかりと伝えてくれる、メディアがあるでしょうか? はなはだ疑問です。

全国紙(朝日・毎日・読売・日経・産経)はいずれも「東京五輪」のスポンサーですし、地方紙に記事を配信する共同通信も「オフィシャル通信社」です。新聞社と資本系列を同じくするテレビ局からは、新聞同様本当に必要な情報は流れません。この閉塞状況により私たちは、原発事故について充分には知りえない、不可思議な世の中に置かれていることを認識する必要があるのではないでしょうか。「東京五輪は福島第一原発事故隠蔽のためのイベント」だと私たちは断言します。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013年9月8日)


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013年9月8日)

〈2〉欺瞞イベントはコロナ禍でも強行されるのか?

「東京五輪は福島第一原発事故隠蔽のためのイベント」──これだけで、開催に到底賛成できない理由としては充分ですが、そこに「コロナ禍」が加わりました。おそらくはほとんどだれも予想できなかった世界的なパンデミックです。

コロナ感染爆発からまだ2年も経過していませんが、一応「ワクチン」は製薬会社各社が開発したとされています(しかし、通常の薬品であれば課される「動物実験」や「治験」は省略されています)。ワクチンの有効性についての報道に日々接しますが、ではワクチンを接種したら「どのくらいの期間ワクチンが有効か」についての科学的知見はまだありません。ワクチンの効果が半年なのか、1年なのか? 変異株に効果はあるのか? 副反応による健康被害は?

私たちはすべて未知の領域の中で暮らさねばならず、ワクチン接種直後に命を落とされた方のケースも知っています。

そして、五輪を強行すれば大会関係者や選手など海外からの来日者は4万人とも5万人とも(実態はもっと多いでしょう)言われていますが、日本政府は空港での検疫を的確には行っていません。

菅首相が英国のG7に出かけて帰国したら、どうしてすぐに公務に復帰できるのですか? ウイルスは権力者にも容赦ないことを、英国のジョンソン首相や、米国のトランプ前大統領の罹患は証明しているではないですか。この検疫体制の下で万を超える関係者が来日すれば、混乱が発生するのは間違いありません。

そして20日に「緊急事態宣言」が終了した地域では既に第5波の傾向が見られますが、「東京五輪」を強行開催すれば、第5波に海外からの五輪関係者の治療も加わることになるでしょう。


◎[参考動画]森会長 五輪に決意「どういう形でもやる」(FNN 2021年2月3日)

〈3〉理性のかけらもない言説や行動には明確な「NO」を!

政府、都道府県はコロナ対策に全力を挙げていなければいけないはずなのに、その片方で「東京五輪」強行を着々と進めています。その姿には「理性」も「科学」も「人間性」もありません。こういった欺瞞的な態度によって日本中の「原発」が建てられ、ついには史上最悪事故に突入したのが、わずか10年前であることを私たちは切実に思い出すべきです。原発事故は「人災」であったし「東京五輪」強行は集団自決にも近い暴挙です。

元々この五輪招致は、嘘と大金と欺瞞に満ちてなされたものです。1964年の五輪とは意味が違います。1964年五輪は、戦後復興の証として一定の意義があったことは否定しませんが、今回の五輪のどこに歴史的な意味の欠片があるというのでしょうか? ましてや、福島の人たちの苦しみと呻吟、そしてコロナ禍の真っ最中の現在を見れば、まともな人間であれば、優先順位はおのずとわかろうというものです。

唯一の反(脱)原発雑誌『NO NUKES voice』を編纂する私たちは、地道に「反原発・脱原発」を闘う皆さんと連帯してきました。その延長線上にどうしても「東京五輪」強行を許すことはできません。あらゆる理性が失せたとき、人類は予想より早い終末を迎えるでしょう。その警鐘が鳴り響いているにもかかわらず──。

呪われた東京五輪を直ちに中止せよ! その資金を福島復興とコロナ退治に回せ!

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!