〈1971年〉という年は私にとって、いかなる意味を持つのか?  鹿砦社代表 松岡利康

『週刊現代』今週号(2/27・3/6号)に「1971年──今から50年前、日本人が本気で生きていた時代」という特集を掲載されている(6ページ)。

1971年──もう半世紀も経つのか。19歳から20歳になる年だった。前年70年に大学に入り2回生だった。

1968年、1969年が雑誌の特集や書籍になるのは決して珍しいことではないが、1971年が雑誌の特集や書籍になるのはほとんどない。「1971年」がタイトルになっている書籍では堀井憲一郎『1971年の悪霊』ぐらいしか思いつかないが、あらためて検索してみると、他に土谷英夫『1971年──市場化とネット化の紀元』が見つかった。まだ探せばあるかもしれないが、いずれにしろ少ないことに変わりはない。

しかし、1971年という年には、多くのことが起きている。人気GSグループ「ザ・タイガース」の解散と沢田研二のソロデビュー、尾崎紀世彦『また逢う日まで』や鶴田浩二『傷だらけの人生』の大ヒット、小柳ルミ子、南沙織、天地真理の三人娘のデビュー、オールスター戦での江夏豊の9連続三振、高野悦子『二十歳の原点』出版……。

政治問題としては、沖縄返還協定調印(6月)→同批准(11月)、三里塚闘争(2月第一次強制収容、7月1・2番地点強制収容、9月第二次強制収容)の二大政治課題で、ふたたび大きな盛り上がりをみせた。この年の動員数は、60年代のそれを凌駕したという記事を読んだ記憶があるが、沖縄本土「復帰」の前年ということもあり、一大政治決戦の鬨(とき)だったといえよう。

◆1971年、思い出すだに

この年、少年から青年になる時期、生来小心者の私も自分なりに死にもの狂いに闘った。いろいろなことが脳裏を過(よぎ)る。

私的なことに限っても、4・28沖縄闘争(東京。清水谷公園→日比谷野音)、デモが終わり仲間と一緒に京都に帰るのかと思っていた所、ある先輩から「松岡、お前は残り三里塚の現闘(現地闘争団)に行け」と命じられ、当時結成したばかり三里塚現闘団(取香)に加わって、援農と(第二次強制収容に対抗するための)穴掘りなどに従事した。

4・28沖縄闘争(東京・日比谷公園)。有名になった戦旗派のキャッチャーマスク部隊(「戦旗派コレクション」より)

京都に戻るや、早朝の情宣活動中、日本共産党・民青(みんせい)のゲバルト部隊に襲撃され病院送りにされ5日間ほど入院。

退院するやすぐに、5・19沖縄全島ゼネスト連帯祇園石段下制圧闘争、初めて京都の市街地での実力闘争を展開、これはその後の首都東京での闘いの口火となった。この頃の同志社の部隊(全学闘争委員会)は、ブント分裂にもかかわらず数も多く屈強だった。先頭になって機動隊とのゲバルト戦を繰り広げ、14名の逮捕者を出した。この前々日の17日、学館ホールで三里塚闘争勝利集会を開き東大全共闘代表・山本義隆さんが来られ講演している。

6・17、沖縄返還協定調印阻止闘争(東京)、この前々日、全国全共闘(新左翼)は中核派と反(非)中核派の二つに分裂し、同志社や京都の部隊は反(非)中核の集会(宮下公園)に参加、デモは荒れに荒れ、火炎瓶も飛び交った。機動隊に路地に押し込まれ、「もうあかん」と思った矢先、後ろから火炎瓶がポーン、ポーンと飛び、戦旗派の指揮者が「同志社大学全学闘の諸君と共に、ここを突破したいと思います」と叫び、スクラムを組んで突破し、デモに合流して最後まで貫徹。デモの本流に合流しそのまま引き続きデモができるというのが今から思い返しても不思議だ。

6・17沖縄返還協定調印阻止闘争(東京)。ここに松岡もいたと思われる(「戦旗派コレクション」より)

7月、三里塚1、2番地点阻止闘争、全学闘は4人逮捕され3人が起訴され、長く裁判闘争を闘いながら1人は実刑を食らった。逮捕された時に持っていた竹竿に血が付いていたという理由だった。のちに児童文学作家となる、文学部共闘会議(L共闘)の先輩SKさんもこの時逮捕されている。同じく逮捕された立命館のA君は、残念なことに、保釈されたのち自死した。寡黙な男だった記憶がある。

9月、三里塚第二次強制収容阻止闘争、9・16では新左翼の部隊と機動隊が遭遇し、機動隊3名が死亡。私たちは、幾つかのグループに分かれ現地に入り、各々の分野で任務を全うした。沼に浸かりながら逃げたりして、数日闘い京都に帰還。今だから言える話だが、学生放送局は三里塚と同志社のキャンパスをつなぎ放送を始めたが、機動隊3名死亡事件発生ですぐに終了を余儀なくされた。

71年沖縄―三里塚闘争の過程(『季節』6号より)

◆学費値上げ問題が勃発!

京都に戻ると学費値上げ問題が浮上し、以降は専ら学費値上げ阻止闘争に関わることになる。首都東京では沖縄返還協定批准阻止闘争が闘われていたが、一度上京したぐらいで、ほとんど関われなかった。ちなみに、一度上京した際に、大学祭中のH大学に寝泊まりしていたところ、ばったり高校の同級生のB君に遭遇したことがあった。彼はしばらくして、大学を中退し一時帰郷、その後、中国大陸、台湾に渡り30数年を過ごしたという。もう会えないと思っていた所、一昨年の高校の同窓会で再会、実に40数年ぶりのことだった。彼は私が京都に行く時に駅に見送りにきてくれ、また夢破れて帰郷する際も、大阪で働き始めた私のアパートに一晩泊まってくれた。

当時の団交(団体交渉。11月11日)の写真が残っている。懐かしい。2人立って激しく学長ら当局を追及している。左が文学部の先輩・水渕平(ひとし。故人)さん、右が、その後、草創期の某コンビニの役員にまで上り詰めた先輩Cさん。大学側では中央で腕を組んでいるのが山本浩三学長、彼は69年の封鎖解除も断行しているので、72年2月1日と、2度の封鎖解除を行っている。

11・11学費問題団交(朝日新聞社提供)

学費問題は、その後、全学学生大会で無期限バリストに突入し、翌年2月1日、決戦を迎え私以下100数十名が検挙、43名逮捕、10人が起訴され1人が無罪、他9人が微罪ながら有罪判決を食らう。

この年、学費値上げは、全国の大学で浮上し反対闘争が展開されたが、特筆すべきは関西大学のバリケード内で、同じ大学の先輩で中核派の正田三郎さんら2人が革マル派の特殊部隊に襲撃され死亡。正田さんとは立場は違えど、たびたびビラ撒きで一緒になったりしたこともありショックだった。これ以降中核派は、革マル派を「カクマル」と表記するようになった。最近観た映画『きみが死んだあとで』で、このシーンが出て懐かしくも、やるせない気分だった。


◎[参考動画]『きみが死んだあとで』予告編

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

『週刊現代』の1971年特集記事に触発され、いろいろなことが脳裏を過り思いつくまま書き連ねてきた。もう半世紀も前のことだ。九州の田舎から出てきて、少しはキャンパス生活に慣れ、当時どこにでもいたノンセクトの活動家として、ふたたび盛り上がってきていた政治過程や学費値上げ問題に、自分なりに一所懸命に関わった時期だった。今はなき学生会館別館BOXでの会議は重々しかったという感しかない。時には、その後「赤衛軍事件」に巻き込まれ長年逃亡する滝田修が学友会BOXに現われアジッていたことも思い出す。

ここ数年、過去の運動を追体験し総括を試みようと考え、『遙かなる一九七〇年代‐京都』『思い出そう!一九六八年を!!』『一九六九年 混沌と狂騒の時代』『一九七〇年 端境期の時代』と出版してきましたが、今年も11月頃に「一九七一年」版(タイトル未定)を発行する予定です。上記のような内容が中心に成ります。ご期待ください。

尚、上記書のうち『一九七〇年~』を除いて品切れとなっております。申し訳ございません。

渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

【対李信恵(第2)訴訟控訴審逆転勝訴に向けて】リンチを容認し暴力にお墨付きを与えた1・28一審判決(大阪地裁)を許してはならない! 鹿砦社代表 松岡利康

「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)被害者救済・支援に関わり早5年、善意で手を差し延べたにもかかわらず、先般165万円もの賠償金を課せられました。

賠償金を命じた判決には、到底承服できません。ただ、私たちの救いは、出会った当時、自殺してもおかしくないほど精神的に追い詰められていたリンチ被害者M君を救ったことです。ここに本件に関わった最大の意義があると思っています。僭越ながら、5年前に私たちと出会わなかったらM君の精神は、取り返しのつかない状態になっていたのではないかと、今になれば振り返ることができます。

判決文(主文)

◆リンチや暴力は、受けた者にしか判らないことがある──裁判官も一度暴力を受けてみよ!

 
神原元弁護士のツイート

私たちは、このリンチ事件に「私怨と妄想」(神原弁護士)で関わったのではありません。若い学徒が必死に助けを求めているのに人間として放っておくわけにはいきませんでした。

事件後M君は、1年余りも孤立しセカンドリンチと村八分に遇ってきていました。私たちと出会ってからもしばらくの間、近づいてくる者に引き回され、騙されたりしていました。一例を挙げてば、自称「浪花の唄う巨人」こと趙博は、あたかも理解者のようにM君に接近し、一緒に闘ってくれるものと思ったM君は、当時まだ未公開だった貴重な資料を渡したりしながら突然掌を返されたり……。それでも次第に少しづつ落ち着いていきました。しかし、いまだにリンチの悪夢にさいなまれPTSDに悩まされています。

リンチの現場となるワインバーにM君が到着するや、「なんやねん、おまえ、おら」と李信恵が胸倉を摑み、1発殴ったのが平手なのか手拳なのか混乱したことで裁判所はM君の供述全部が「信用ならない」と判断しました。このことで対5人組訴訟でも、今回の対李信恵vs鹿砦社訴訟でも、李信恵免訴の要因になりました。

しかし、この裁判所の判断は、果たして問題の本質を正しく掌握した判断と言えるでしょうか。

李信恵がM君の胸倉を摑み、一発殴ったのが「平手なのか手拳なのか」、このことだけで、すべてを判断されてしまいました。さらには、綿密に取材し本に記載している事実についても「取材していない」と、腰を抜かすような滅茶苦茶な決めつけをされました。

このように、「ある」ものを「ない」と裁判所に判断されれば、勝てる道理はありません。

私はちょうど50年近く前の1971年5月、3人でビラ撒きしていたところ、50人以上のゲバルト部隊に襲撃され、キャンパスの門のあたりから奥まで引きずり回され激しい暴行を受け5日ほど病院送りにされました。この際、右足で蹴られたのか左足で蹴られたのか、あるいは手拳で殴られたのか角材で殴られたのか言えと問われても、「どっちやったかな」としか言えません。頭も負傷していましたし、全身打撲でした。山口正紀さんもこの1年前に同様の暴行を受けています(『暴力・暴言型社会運動の終焉』に記載)。

裁判官は、おそらくこういう経験はないと思われますが、「一度暴行やリンチを受けたらいかがですか」とでも言いたくもなります。

[写真左]リンチ直後のM君の悲惨な顔。[写真右]これに倣った「作品」

◆裁判所はいつまで「平手」か「手拳」に拘泥するのか

 
「反差別」の活動家にはこんなことを言う徒輩もいるのか

そのように、李信恵の最初の一発が平手だったのか手拳だったのかというM君の供述の混乱ですべてを判断され、李信恵がリンチの現場の空気を支配し、1時間のリンチの間、リンチを止めもせず悠然とワインをたしなみ、有名になった「殺されるんやったら、中に入ったらいいんちゃう」との暴言を吐き(怖い人だ!)、リンチが終わっても救急車やタクシーを呼ぶわけでもなく、師走の寒空の下に放置して立ち去ったという非人間的行為は断罪されませんでした。裁判所は「人権の砦」だといわれますが、ならば激しいリンチを受けた被害者に寄り添うことはできないのでしょうか?

本件で最も激しい傷を負い苦しんだのは言うまでもなくM君ですが、裁判所は、これを無視し、鹿砦社の本やネット記事で李信恵が「被害」を受けたという主張を真に受け、差別されてきた在日のか弱い女性が言うことだから間違いないというのでしょうか。李信恵はその「陳述書」で、次のような文言を繰り返しています。

李信恵は(鹿砦社特別取材班の取材や出版物、ネット記事等により)「自分の受けた被害」によって、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。

激しいリンチ被害者M君が言うのであれば判りますが、集団リンチ事件に連座した李信恵が言うには違和感があります。しかし、牽強付会に申し述べた、それら李信恵の主張を裁判所は認定しました。

なぜ裁判所は、集団リンチの被害者M君の肉体的、精神的な傷よりも、李信恵の主張する「物語」ばかりを採用するのでしょうか。李信恵自身、リンチの場にいた5人の被告の一員となった、M君が損害賠償を求めた裁判の証言の場で「胸倉を摑んだ」と認めているだけでなく「そのあと、誰かが止めてくれると思っていた」と証言しました。つまり「誰かが止めなければ」李信恵の行動はエスカレートしていた可能性が高い、と考えるのは不自然でしょうか?

そうして、リンチが行われている1時間もの間、止めもせず悠然とワインを飲んでいた剛の者がなにをかいわんやです。皆様方はどう思われるでしょうか?

こうしたことをあからさまに記述した「本件各出版物の出版及び本件各投稿記事の投稿により原告(注・李信恵)が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額として」165万円もの賠償金を鹿砦社に課したのです。なにかおかしくはないでしょうか?

◆「日本酒に換算して1升近く」飲み泥酔した状態でM君を呼び出してリンチの口火を切ったのは誰か?

 
李信恵のツイート

李信恵は、大阪・十三(じゅうそう)のあらい商店(韓国料理店)→キャバクラ→焼き鳥屋→ラーメン屋→5軒目の大阪・北新地のワインバーに入るまで「日本酒に換算して1升近く」飲んだとツイートしています。1升といえば、常識的に見れば泥酔の類に入ります。具体的には、

「マッコリ5、6杯位、焼酎ロック8杯位、日本酒2合、生ビール中ジョッキ1杯」(李信恵の供述調書から)」

と、のちに警察の取り調べにみずから供述しています。このような状態で、M君を呼び出して冷静な会話が成立するでしょうか。

泥酔した中でM君を呼び出し、M君が到着するやリンチの口火を切り午前2時頃から3時頃まで約1時間、M君を半殺しの目に遇わせたのです。いくらなんでも酷くはないですか?

◆将来に禍根を残す判決を許すことはできません!

一審判決は、M君の「平手か手拳か」の記憶が定かではないことを理由にM君の供述全部が「信用できない」とし、このことが潜在意識にあったのか、取材班が取材し記述していることを「取材していない」と誤認し、結果としてリンチを容認し、李信恵らの暴虐を黙認し暴力にお墨付きを与える内容となったと、私たちは認識しています。

こうした判決を許すことは到底できません。将来に禍根を残すことは確実ですから──。事実、M君リンチに連座した伊藤大介は昨年11月25日未明、同じパターンで酔っ払って深夜に気に食わない人間を呼び出し暴行傷害事件を起こしました。M君リンチ事件と同じ過ちを繰り返したのです。彼らのみならずすべての反差別運動、社会運動に携わる人たちが、今、ここでしっかり反省し教訓化しないと3度、4度と繰り返すんじゃないでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか?

◆司法、裁判所の感覚と、一般生活者の感覚の遊離

 
《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

法律の専門家や、訴訟に詳しい方のご意見を伺うと、裁判所には、私たちの生活と随分かけ離れた常識やルール、判断があることを、あらためて思い知りました。しかし司法に「独特な」ルールや論理があっては、一般の生活者は困るのです。一般の生活者は、紛争解決のために(刑事でなければ)、裁判所に「公正な判断」を期待して、判断を仰ぎます。訴訟慣れしている一部の人間を除いて、裁判所に判断を持ち込むには、相当の勇気と覚悟が要るものです(経験のある方であれば、理解いただけることでしょう)。

大規模な「司法改革」が断行されましたが、あの改革は、生活者の要請に沿うものであったのでしょうか。民事裁判は実質的に「一審制」となってしまい、一審で敗訴すれば、控訴しても判決を覆すのは容易ではありません。控訴審での「一回結審」の割合は実に8割を超えています。さらに、上告をしても最高裁では「事実調べは行わない」ことになっているそうです。

このように現在の司法には、多くの問題がありますが、残念ながら私たちはその支配から逃れることはできないのです。したがって、裁判所は「一般的な通念からすれば」とか「一般人の普通の読み方」という文言を判決で多用しますが、私たちの「一般的通念」「一般人の普通の読み方」とかなり違う内容が判決で表現されることが、これまでの訴訟経験からかなり(いや、ほとんど)ありました。今回もそうです。

私たちは、小規模な出版社にすぎません。しかし民事訴訟に関わる可能性は、読者の皆様方にもあるのです。そういった点からも、この問題について引き続き注視、ご支援賜れば幸甚に存じます。

16年前の「名誉毀損」事件では刑事・民事共に最高裁まで闘いを貫徹しました。その際に「血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘う!」と叫びましたが、16年の時空を越えて、同じ想いです。勝敗は抜きにして、闘うべき時は闘わなければなりません。

ともかく、リンチを容認し暴力にお墨付きを与えたこの判決は将来に禍根を残しますから、全智全能、全身全霊をもって闘い粉砕しなければなりません。逆転勝訴を信じて──。

不当判決! リンチを容認し暴力にお墨付きを与えた1・28一審判決(大阪地裁)を許してはならない!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」控訴審へ準備着々! 司法がどのように奇妙な判決を下そうと決して屈しない! リンチ被害者を救済・支援しようとの言論が、逆に賠償金を課せられるという不条理 ── 地獄への道は善意で敷き詰められているのか? そして歴史は繰り返した! 「正義」は「暴走」した! 控訴審で逆転すべく決意を表明します! 鹿砦社代表 松岡利康

すでにお知らせしているように、去る1月28日、対李信恵第2訴訟において大阪地裁第24民事部(池上尚子裁判長)は鹿砦社に対し165万円の賠償金等を課す不当判決を下しました。

 
《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

これに先立つ昨年11月25日未明(午前1時30分頃)、前日24日の本人尋問の傍聴に来ていた伊藤大介らは「正義」を「暴走」させ極右/ネトウヨ活動家・荒巻靖彦を呼び出し殴る蹴るの暴行を働き左手小指骨折、顔面打撲などの傷を負わせ、逆に返り討ちに遭い伊藤は全治10日の傷を負うという事件を起こしました。この事件では2人共逮捕されています。伊藤は大学院生M君リンチ事件にも連座しています(1審では賠償金を課せられましたが、控訴審では幸運にもこれを取り消されています)。

M君は「このままではまた同じような事件が起きますよ」と言い、私たちが地を這うような取材を基にして出版した5冊の本でさんざん警鐘を鳴らしてきたように同種の事件は起きました。M君加害に加担する者たちが、反省も学習も教訓化もしていなかったということです。残念至極ですが、私たちの警鐘は現実化してしまいました。今だから明かしますが、私たちはこの時期に生じた重大事件に鑑みて、大阪地裁に「弁論再開」の申し立てを行いました。

民事裁判では、証拠調べや証人尋問を終えると「結審」(以後原告被告双方からの主張は受け付けない)となり、あとは判決を待つことになります。昨年11月24日の法廷でも池上裁判長は、結審を宣言し判決の日時をを言い渡しました。ところが、その日の法廷では「私は直接取材を受けていない」とるす伊藤大介の陳述書についての扱いが審議され、神原元弁護士は「じゃあ撤回します」と裁判所に求めたものの、認められませんでした。そして当の伊藤大介が裁判後に事件を起こしたのです。この人たちの行動様式を理解するために、真実究明を行うために、裁判所は当然しかるべき配慮をすべきではなかったのではないでしょうか。

1月28日の判決に戻りますが、極めて偏頗なもので、M君がリンチの現場に居た李信恵ら5人を訴えた訴訟の判決同様、「〈M君の顔〉から目を逸らした」(山口正紀)と断ぜざるを得ません。本件訴訟も、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データがあるのに、M君の供述が曖昧(平手か手拳か、どちらかで殴られたか)ということで「信用ならない」とし、これを根拠に判決が組み立てられています。噴飯ものです。裁判所は、なぜここまで、このことに拘泥するのか? 何がなんでも加害者を免罪しようとしているとしか理解できません。むしろ、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データをこそ判断の根拠とすべきです。市民感覚からすればそうでしょう。

私や山口正紀さんは学生時代、対立するグループに襲撃され激しい暴行を受け、私は気づいた時は病院のベッドの上で5日ほど入院を余儀なくされました。暴行の最中の記憶は微かなもので、これを「平手か手拳か」などと問われても「どっちだったかな?」と答えるしかありません。加えて私も山口さんもM君も蹴られてもいますが、M君は混乱し顔面を蹴られたことを覚えていません。当然でしょう。1時間もの間、激しいリンチを受ければ、パニック状態になり記憶が飛んだりします。なんなら裁判官も暴行を受けてみたらどうでしょうか? 

加えて判決には重大な事実誤認(というよりも証拠の意図的見落とし)もあり、これで判断されたらたまったものではありません。あたかも最初に結論があって判決文を組み立てていった感がします。控訴審に於いては、こうした点を一つひとつ批判していき、必ずや執念で逆転を勝ち取る決意です。今後ともご支援、応援のほど、よろしくお願いいたします。

なお、訴訟については、適宜ご報告いたしますが、敵に手の内を見せないために黙っていることもあるやと思いますので、この点、ご承知おきください。

5年ほど前、このリンチ事件が私たちの元に持ち込まれた時、すでに1年余り経っていました。事件の翌年2015年は安保法制反対運動が盛り上がり、この声に掻き消されたかのようにリンチ被害者M君は孤立していました。リンチ加害者やこの界隈の者らには、隠蔽は成功したかのように見えたでしょう。

しかし、悪事を隠し通すことなどできません。

私たちの元にリンチの情報が寄せられるまで、M君の心中を察するに、筆舌に尽くし難いものを感じます。リンチを受けた悔しさと悲しみ、セカンドリンチや村八分を受け、にもかかわらずメディアも世間も知らぬふり……私だったら気が狂っていたでしょう。私たちの関連出版物で、この事件の一端を知ったあなただったらどうでしょうか?

今回も司法は、「〈M君の顔〉から目を逸らし」、いや、相も変わらず「平手か手拳か」が曖昧だということ拘泥し、だから「信用できない」などと言っています。上等です。司法の理論が市民感覚と大きく乖離しているのであれば、私たちは裁判所の決めたルールに則りながらも、それ以外の合法的戦術も展開する必要があるでしょう。裁判所は「ファシズムの出先機関」と言ったのはL.トロツキーでしたが、むべなるかなです。

まさか、壮絶なリンチを受けたM君に同情し、M君救済・支援に関わってきた私たちが過大な賠償金を課せられるとは……。

しかし、鹿砦社が鹿砦社たる所以は、こうした苦境にあってこそ、正々堂々と屈することなく反撃することであろうと、自負します。私たちを苛めてきた徒輩は不思議なことに「鹿砦社の祟り」に遭ってきました。裁判所の判断がどうであれ、私たちは信じる道を突き進み「正義」の衣を着た〈悪〉(といっても程度の低い連中ですが)と対決するだけです。人一倍の精神力で、「反差別」の仮面を被った徒輩の仮面を剥がねばなりません。この想いは、M君リンチ事件だけではなく、日本における差別問題に関わる、極めて重大な問題であるとの確信に基づきます。

久し振りに第6弾本『暴力・暴言型社会運動の終焉』を世に送り好評です。まだまだ〈弾〉は残っとる!──第7弾、8弾の“紙の爆弾”を投下する必要が出てくるかもしれません。私たちは望みませんが、「差別」問題がこのように歪められ、乱暴な発言や行動にすがるものが、あたかも「反差別」行動者である、との社会的誤解は、完全に払拭する必要があるでしょう。

私たちは、決してペンを折ることなく、あくまでも〈言論〉の旗を掲げ続けます。16年前『紙の爆弾』創刊号の巻頭を飾ったのは「〈ペンのテロリスト〉宣言」でしたが、あらためて再読し決意を固めています。ここに再び宣言します。私たちはふたたび〈ペンのテロリスト〉として甦る!と。私自身は今年で70歳になります。取材班には若者もいますが、支柱として動いてきた田所敏夫は、私よりもかなり年下で、彼の体調も思わしくありません。

しかし、この問題に関しては、フィデル・カストロの有名な言葉を引用し、私たちの気持ちを表します。

「歴史は彼ら・彼女らに有罪を宣告するだろう」と。このままでは終われませんし、終わりません!

2・4『暴力・暴言型社会運動の終焉 ── 検証 カウンター大学院生リンチ事件』(紙の爆弾3月号増刊)発行と、1・28対李信恵第2訴訟不当判決について 鹿砦社代表 松岡利康

私たちは2016年春先から「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)に関わり続けてまいりました。早いものでもう5年が経とうとしています。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

そうして昨年からその「検証と総括」の作業に努めてまいり、これはきちんと一冊にまとめ形のあるものとして残すことにしていました。こういう事件が再び起きないようにとの願いを込めてのことです。

想起すれば、5年近く前に本件が持ち込まれ、この被害者M君のリンチ直後の写真を見、リンチの最中の録音を聴いた際に、素朴に「これは酷い」と感じ、加えて被害者M君はリンチ後1年余りも、わずかな友人・知人を除いて孤立無援の状態にあったことも聞き、少なくとも人道上放置はできないと思い、本件に関わり続けて来ました。若い大学院生が、これだけの凄絶な集団リンチを加えられ、藁をも摑む気持ちで助けを求めているのに突き放すことは、私の性格からして到底できません。爾来、昨年広島原爆投下75年に際し被爆二世をカミングアウトした田所敏夫をキャップとして取材班と支援会を発足させ、微力ながら被害者救済・支援と真相究明に携わってきました。この選択は間違ってはいなかったと今でも思っています。

当初、M君に話を聞き、提供された資料を解読し、「今の成熟した民主社会の社会運動内に、いまだにこうした野蛮な暴力がはびこっているのか」と驚きました。しばらくは半信半疑で取材を進めましたが、仮にM君の話がデマや虚偽であったならばすぐに撤退するつもりでした。

リンチの加害者とされる李信恵ら5人には一面識もありませんでしたので、私怨や遺恨などありません。

しかし、取材を進めるうちに、いろいろな事実が判ってきました。李信恵という人が、この国の「反差別」運動の象徴的な人物として名が有ることは知っていましたが、こういう事件に多かれ少なかれ関わっていることに驚きました。ちょうど極右・ネトウヨ勢力によるヘイトスピーチ華やかりし頃で、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」制定も企図される頃でした。

「反差別」の錦の御旗を立て、極右・ネトウヨ勢力の跳梁跋扈を阻止しヘイトスピーチに反対するという大義名分の蔭で、このような悲惨な事件が起きていたことに驚きました。

かつて、私たちの世代は、反体制運動における「内ゲバ」や「連合赤軍事件」を知っています。これらにより一時は盛り上がった学生運動や反戦運動、社会運動が解体(自壊)していった歴史を見て来ています。実は私自身、早朝ビラ撒き中に対立勢力に襲われ激しい暴行を受け病院送りにされ5日ほど入院した経験があり、また、ジャーナリストの山口正紀さんも、M君の訴訟で大阪高裁に提出した「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』に収録)の中で、やはり学生時代に暴行を受けたことを記述されています。山口さんは重篤なガンで闘病中ながら、今回その「意見書」も含め長大な渾身の論考として寄稿いただきました。

M君リンチ事件の被害者支援と真相究明に関わり始めた当初、「この問題は奥が深いな」と感じたのが正直のところです。やはりその予想通りでした。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

M君リンチ事件関係では、関連の訴訟も含め5件の民事訴訟が争われました。M君が野間易通による暴言の数々を訴えた訴訟(M君勝訴)、M君が李信恵らリンチに連座した5人を訴えた訴訟(M君勝訴)、鹿砦社が李信恵による暴言を訴えた訴訟(鹿砦社勝訴)、そして李信恵がこの反訴として鹿砦社を訴えた訴訟(一審鹿砦社敗訴→これから控訴審)、それに「カウンター/しばき隊」の中心メンバーにして元鹿砦社社員を訴えた訴訟(係争中)です。上記3件、判決内容や賠償金額などに不満はあるものの当方(M君、鹿砦社)の勝訴で確定しています。神原弁護士は「正義は勝つ!」などと全てみずからの側の勝訴と嘯いていますが事実ではありません。

ちなみに「正義は勝つ!」というのであれば、神原弁護士が事務局長を務める『週刊金曜日』植村隆社長の訴訟では、確定判決で負けてしまったことをどのように言い訳なさるのでしょうか? 世の中、必ずしも「正義」が勝つとは限りません。ここに悲劇があったり喜劇があったり不条理があったりします。殊に、裁判所における「正義」はえてして市民感覚とは異なります。

ついでながら、植村社長は、一昨年(2019年)、鹿砦社創業50周年記念の集いにお越しいただきご挨拶賜りました。また、社長就任後に会食も共にしたこともあります。最近も「上京されたらご連絡ください」とお誘いを受けていますが、神原弁護士との関係に配慮し、あえて連絡をしないでいます。『週刊金曜日』今週号(2月5日発売)に『暴力・暴言型社会運動の終焉』の1ページ広告が掲載される予定です。

こうして、この5年間のM君リンチ事件に関わってきた「検証と総括」作業を進め書籍の編集過程にあった中で、突如起きたのが、M君リンチ事件にも連座した伊藤大介による暴行傷害事件です(昨年11月25日午前1時30分頃)。前日24日、今般判決のあった訴訟の本人(証人)尋問が終わり、深酔いし、複数で極右活動家・荒巻靖彦を呼び出し暴行に及んだところ、無抵抗だったM君とは違い逆襲に遭い刃物で刺され、双方負傷した事件です。この事件は、伊藤らが仕掛けたものですが、6年前のM君リンチ事件と同じパターン(裁判が終わり酔って相手を呼び出し暴行に及ぶ)です。「歴史は繰り返す」とはよく言ったものです。これが現在の「反差別」運動というのであれば、あまりに悲しいです。

この事件もあり、編集途上のところ、すでに原稿が届き編集も終わっていたものを中心に急遽まとめ発行したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』です。

これまでのM君リンチ事件に関する本は、M君対李信恵らとの訴訟のポイント、ポイントで発行されてきましたが、今回は関連訴訟(対李信恵第2訴訟)の判決直後の発行となりました。

一審判決は、残念な結果になりましたが、控訴審で、心機一転捲土重来を期します。一審判決には決定的な間違いが散見されます。一つ目についた箇所を挙げれば、当該の書籍にて取材した者のインタビューを記しているにも関わらず、その者に取材して確認していないなどと判断(誤判)していたり杜撰なものです。

李信恵は鹿砦社取材班の取材や書籍、「デジタル鹿砦社通信」などの記事で「苦しめられた」などと申し述べていますが、本件での最大の被害者は、言うまでもなくM君です。裁判所は、リンチ直後のM君の顔写真をしかと見よ! 1時間にもわたる凄絶なリンチの阿鼻叫喚を聴け! いまだにPTSDに苦しむM君の心身共にわたる苦しみに比べれば、さほどのことはないと言わねばなりません。

昨年11・24の本人尋問で、リンチ直後のM君の画像を李信恵に見せ、「これを見てあなたは人間としてどう思いますか?」と問い質す松岡。李信恵は沈黙を通した(赤木夏・画)

私たちの闘いはこれからも続きます。確かに一審は負け(今のところは)賠償金を背負うことになりましたが、M君がリンチによって負った傷に比べれば大したことはありません。

今後とも、更なるご支援をお願い申し上げます。M君訴訟では皆様方のカンパにより訴訟費用をまかないましたが、鹿砦社訴訟では自弁ですので、『紙の爆弾』や多種多様な書籍などを買ってご支援ください。

ちなみに、M君訴訟のカンパの約6割は在日コリアンの方々で、その他、情報収集や取材などにもご協力いただきました。これは明かしてもいいかと思いますが、第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』でリンチの最中のCDを付けようとしたところ、これも「私に任せてください」と在日の方が韓国でプレスしてくださいました。さすがに日本国内ではやれませんから。そうした方々のご協力で、これまでやって来ましたが、これに報いるためにも私たちは挫折するわけにはいきません。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《緊急出版》鹿砦社が明日投下する“紙の爆弾”『暴力・暴言型社会運動の終焉』 その“爆薬”の中身はこれだ!! 鹿砦社特別取材班

裁判期日が終わる→仲間と飲みに行く→散々飲んで気が大きくなる→気に入らない人間を呼び出す→暴行に及ぶ。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』明日4日発売!!

この定型式にどこかで既視感はないだろうか。鹿砦社がこれまで出版した「M君リンチ事件」に関する5冊の書籍をお読みいただいている方であれば、瞬時に気がつくことだろう。

そうだ。「M君リンチ事件」発生時とまったく同じ展開で、またしても暴行事件が発生したのだ。この日は、鹿砦社対李信恵第2訴訟の本人(証人)尋問の日だった。これが終わり、事件発生前には李信恵と、のちに逮捕される伊藤大介が、飲食を共にしている写真が、李信恵発信のツイッター、フェイスブックにより確認できる。時刻は11月24日18:30頃だ。

その後、日付が変わった25日深夜1時30分頃、この間、かなり飲み食いしたのだろうか、伊藤は酔った勢いで、極右活動家荒巻靖彦を呼びだした。どのようないきさつでもみあいになったのかまではわからないが、新聞報道によれば伊藤らが荒巻に殴り掛かり、荒巻は逆襲、刃物を持っており伊藤はその刃物によって、全治1週間の怪我をさせられている(一方荒巻は伊藤に顔面を殴る蹴るされており、左手小指を骨折している)。場所は大阪市北区堂山町。監視カメラが張り巡らされ、人目の多い場所でもある。怪我をした伊藤、もしくは周囲にいた人物が110番通報をした模様で、駆け付けた警察官に荒巻は現行犯逮捕されている。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

刑事事件については、推定無罪を適用すべきだと、われわれは考えるので、荒巻並びに、伊藤の処分についての詳述は避ける(荒巻は罰金刑で、伊藤はこれから傷害容疑で公判にかかる模様である)。

しかしながら、伊藤自らが「しばき隊」であると公言しているので「しばき隊」特有の行動については本文の中で詳述した。「しばき隊」の人間は、どうしてこのように「混乱必至」な行為に及ぶのであろうか。暴力を振るい暴言を虚偽発信し、これを繰り返す「しばき隊」の行動パターン、とりわけこの日伊藤が事件に手を染める前の様子から、詳しいレポートをお届けする。取材班は法廷内の傍聴席でも伊藤らを包囲し(おそらく伊藤らはその存在には気づかなかったであろう)、注意深く伊藤の行動をも観察していたのだ!

そして、事件発生後しばらくの沈黙期間をおいて発表された伊藤擁護を企図したC.R.A.C.と「のりこえねっと」の「声明」の筋違いについても、徹底的に分析を行なった。どうして「しばき隊」は同じ間違いを繰り返すのか? どのような思考回路がそれを誘引するのか? 心理学専門家の意見も参考に、「しばき隊」のメンタリティー分析にも是非ご注目を!

『暴力・暴言型社会運動の終焉』には各方面からご寄稿も頂いた。ご自身が被害者となり、その後一時期はかなり熱心に「しばき隊」との言論戦(といってもかなり楽しそうではあったが)を繰り広げた合田夏樹さん。LGBT問題で「しばき隊」に絡まれ、仕方なく応戦した(今もしている)作家の森奈津子さん。このお二人は直接「しばき隊」と言論戦や法廷戦を闘われた方でもあるので、経験談を中心に原稿を書いていただいた。特に合田さんは直接に伊藤大介から脅迫を受けている。

 

尾﨑美代子さんには、「反原連」時代から連中が包含した根深い問題点を、体験と考察を元に分析していただいている。M君とも親しく、「反原連」の問題を知り尽くした尾﨑さんは、当初カウンター活動に参加を試みたこともあったが、やがてそのヘゲモニーが「しばき隊」に握られるようになることを察すると、手を引いたという。慧眼の持ち主はこの問題をどのように総括するのであろうか。

昨日の本通信でお伝えしたように、「M君リンチ事件」ならびに鹿砦社が李信恵を訴えた事件は、すべて司法記者クラブの手で握りつぶされた(記者会見開催を拒否された)。この問題については、フリーライターで大手新聞の「押し紙」問題に詳しい黒薮哲哉さんが、論考を寄せてくださった。

元読売新聞記者の山口正紀さんは、「M君リンチ事件」裁判における一審から控訴審、上告審までの判決の不当性について、精緻かつ長大な分析を頂いた。山口さんは「M君リンチ事件」裁判控訴審に「意見書」を提出いただいたこともあり、本事件に対して司法が果たした(果しえなかった)役割について、厳しい分析を展開してくださった。

 

松岡は「平気で嘘をつく人たち」と、黒薮さんとの合作で「危険なイデオローグ‐師岡康子弁護士」を執筆。そして「M君」自身が「リンチ事件から六年──私の総括」を寄稿した。

このように紹介すると総花的で、散漫なムック本(紙の爆弾増刊号)のようにお感じになる向きもあるかもしれないが、そうではない。現場からのレポートと、直接関係者の体験談、客観的な立場からの観察ならびに分析、2021年における「反差別」と「反差別運動」についての問題提起や方針を示したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』である。この本は、編集部が筆者に編集方針を伝え、それに沿うように原稿を依頼していない。完全に自由で制約のないご意見を異なる立場の方々から頂いた。その結果われわれが幸いであったのは、当初の予想以上に問題の本質に多角的な接近を実現することができたことである。

コロナ禍の中で、大切な問題が埋もれてしまいがちな日常にあり、しかしながら決して度外視することのできない人類の大命題に直接取り組んだ『暴力・暴言型社会運動の終焉』はどなたにとっても、示唆に富む内容であることをお約束する。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

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《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!! 鹿砦社特別取材班

〈差別〉に反対し〈暴力〉を嫌悪する、すべての読者の皆さん!鹿砦社特別取材班が「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)の取材を開始し最初の出版物『ヘイトと暴力の連鎖』を出版したのが2016年7月。もちろん取材は出版前に開始したので、われわれがこの問題にかかわり、まもなく5年を迎える。

 
『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

「M君リンチ事件」は単に、ある集団内で発生した、偶発的な事件ではなかったことがのちに判明する。有田芳生参議院議員筆頭に、師岡康子、神原元、上瀧浩子ら弁護士。中沢けい、岸政彦、金明秀ら大学教員・研究者。安田浩一、西岡研介、朴順梨、秋山理央などフリーの発信者。そして中立を装い、事件を仲裁するように見せかけながら「M君」を地獄に突き落とした「コリアNGOセンター」の幹部ら。

数え上げればきりのないほどの著名人が寄ってたかって、事件隠蔽とM君に対するセカンドリンチと村八分に奔走した。「事件隠蔽加担者」は上記個人だけではなく、すべての大手マスコミ(~関係者)も参加して悪辣極まるものであった。

本通信をきょう読んでおられる方の中に、M君が「しばき隊」の実権者、野間易通を名誉毀損による損害賠償を求める裁判で訴え、勝訴した事実をご存知の方はどれくらいいるだろうか。M君は提訴の際、大阪地裁で勝訴した際、いずれも司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)に記者会見の開催を申し入れたが、一度も実現したことがない。あれこれ理由にならない言い訳を並べたが、結局大手マスコミの記者連中は「M君リンチ事件」を闇に葬ろうとする勢力に加担したのであり、上記隠蔽加担者らと同等もしくは重い役割を進んで背負った。

松岡と裁判前に喫茶店で「偶然の遭遇」をしたという李信恵の虚偽のツイート

だから、本来であればテレビや新聞で大々的と言わぬまでも、報じられて当然のこのニュースが、事件発生後マスメディアで取り上げられることはなかったし、その事実に居座って、事件に関係した連中は、ついぞ反省をすることはなかった。M君と加害者が対峙した証人調べの際に、口頭で謝罪を述べた者はいたが、その後の行動を見れば到底反省したとはいえない。

M君支援と事件関連書籍の出版を進めるうちに、李信恵をはじめ多数の人物が鹿砦社を誹謗中傷し始めた。ただし、われわれは出版を重ねるにあたり、事実関係は徹底的調査し尽くし、関連人物への取材も可能な限り直接行ってきたので、誹謗中傷に熱を上げるものどもは、具体的な批判ができない。幼稚な表現で罵詈雑言を浴びせるか、連中お得意の「ありもしない事実」をでっちあげそれを拡散させる、という卑怯な手法が用いられた。

今日、振り返って痛感することの一つに、「Twitterは人を壊す」ことが挙げられる。限られた文字数に感情の発露と、偽りの「繋がり」や「絆」を求める行動は、エスカレートすることが多く、本件以外にも数々の災禍を引き起こしてきた。李信恵は鹿砦社に対して再現するのも憚られるような、幼稚で下劣な言葉を用いて、幾度も鹿砦社を攻撃してきた。当初われわれは顧問弁護士を通じて、「そのような書き込みを止めるように」警告したが、それでも李信恵のわれわれに対する罵倒は止まらなかった。致し方なく鹿砦社は李信恵に対して名誉毀損による損害賠償を求めた民事訴訟を提起し、裁判所は李信恵の不法行為を認め、われわれは全面勝訴した。

さて、それではどうしてこの時期にわれわれが「2021年最初の爆弾」を投下しなければならないのか。理由は明快である。われわれが取材、出版を続ける中で懸念していた「M君リンチ事件」のような暴力事件の再来──それが現実のものとなってしまったからだ! しかも鹿砦社と李信恵の裁判が行なわれたその翌日未明に!

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

大阪地裁では鹿砦社が全面勝利した(李信恵が全面敗訴した)裁判の最終盤で李信恵側から「反訴」の意向が示された。しかし裁判長はそれを認めなかったために、仕方なく李信恵は別の裁判を提起し鹿砦社に550万円の支払いと、あろうことか「出版の差し止め」を求めてきていた。2020年11月24日。大阪地裁では、原告・被告双方の本人(証人)尋問が行われていた。その模様についてはすでに本通信でお伝えしてあるのでご参照頂きたい。

事件はその日の裁判終了後に発生した(正確には日付が変わり25日午前1時30分頃)。裁判中には傍聴席にその姿があった「カウンター」の中心メンバー・伊藤大介が極右活動家・荒巻靖彦を深夜電話で呼び出し、双方負傷。伊藤が110番通報したことで荒巻は「殺人未遂」の現行犯で逮捕された。だが,衝撃はほどなくやってきた。伊藤大介が12月6日大阪府警に傷害容疑で逮捕されたのである。

われわれは、この事件発生直後から綿密な取材を開始し本年1月末か2月初頭の出版を目標に、正月返上で準備を進めてきた。しかし 『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版については、本日まで完全部外秘とし、ごく一部の人間しかその情報を知りえなかったはずである。販売促進の観点からは、発売日が決まっていれば早い時期から広告を出したり、周知活動を行うのが定石であるが、われわれはあえてそうはしなかった。

 
 

連中はすでにカルト化している。というのがわれわれの見立てである。しかもその中には複数の弁護士もいる。連中が『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版に対して出版差止めの仮処分を打たない保証はない(仮処分とは通常の裁判と異なり、緊急性を要する判断を裁判所に求めるものである。通常出版物の仮処分による「出版差止め」は元原稿(ゲラ)などの直接証拠がなければ認められることはないが、上記の通り民事訴訟の中で李信恵は「出版差止め」を求めている。われわれは記事内容には確実に自信を持っているが、それでもどんな主張を展開してくるのかわからないのが連中だからである)。

そうだ! 敵に隙を与えないためには、読者諸氏にも本日までお知らせすることができなかった。そういった理由であるので無礼をなにとぞお赦しいただきたい。書籍の内容? 下記の案内をご覧ください。鹿砦社(メールsales@rokusaisha.com、ファックス、HP)、もしくはアマゾン、書店などで、今すぐご予約を!

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
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《2月のことば》俺を倒してから世界を動かせ 鹿砦社代表 松岡利康

《2月のことば》俺を倒してから世界を動かせ(鹿砦社カレンダー2021より/龍一郎・揮毫)

鹿砦社が、私の大学の後輩で書家の龍一郎に揮毫・製作を依頼しているカレンダーですが、今月は「俺を倒してから世界を動かせ」の文字が踊ります。通常、月ごとの言葉はすべて龍一郎に任せてあるのですが、今月だけは私のわがままでこの言葉としてもらいました。

といっても、いったい何を意味する言葉かと不思議に思われる方も少なくないことでしょう。今を遡ること約半世紀(正確には49年)前、1972年2月1日を頂点に同志社大学で闘われた「学費値上げ阻止闘争」に私は主体的に参加し最後まで闘いました。同大今出川キャンパスの中央に在り、この前で幾多の集会が行われた、われわれの世代にとって象徴的建物「明徳館」(Mとも揶揄される)の屋上に仲間と共に籠城し、掲げたメッセージの一つがこれです。私が発案し書いたものですが、その様子は新聞報道にも写真で掲載されました。機動隊が導入され、あっけなく落城となりましたが、20歳そこそこの学生たちは真剣に闘い、籠城組のわたしたち以外に、約300名の支援部隊が結集し、120数名検挙、43名逮捕、10名起訴となりました(なんと支援に来てくれた京大生M君は無罪を勝ち取りました)。

同志社大学はその後に、大規模な「田辺移転構想」に着手し一説には500億円以上の資金を投入したそうですが、「田辺移転」が失敗に終わったことは明らかでしょう。一度は田辺に移された(それも2回生までだけ)同志社大学の文系学部が、すべて今出川校地(もともと大学のあった場所です)に戻されたのですから。いっとき東京・大阪・京都など都市部の大学の郊外移転が流行りましたが、その多くが再び都心地への回帰を強めている様子を見ると、やはりあの「学費値上げ」は不要なものではなかったのか……との想いが拭えません。

あるライターが「俺を倒してから世界を動かせ」を評してくれました。

《ふつう、運動のスローガンは複数なんですよね、「われわれ」とか「俺たち」あるいは「仲間」などです。なのに全学の学費値上げを問うた行動の主語が「俺」になっている。一応申し訳程度に「同大全学闘」とありますが。組織的な運動ではなかなか目にしないスローガンですよ。主語が単数なのですから。松岡さんに聞いたら籠城組は4人いたそうですし、支援の部隊も300名あまりいたそうです。そこに「俺」はないでしょう(笑)。
 ところが、書いた本人もそうでしょうが、これを見た仲間は、一瞬きょとんとするかもしれませんが、「そうか、俺が動かないと状況は動かない」と感じたはずです。数多くのスローガン、特に学生運動におけるそれを見てきましたが、いい意味でこんなに「わがまま」で「独立した意思」を表明した言葉は目にした記憶がありません(東大安田講堂攻防戦のあと安田講堂に書き残された、「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」にも共通のエッセンスがあります)。党派指導の組織だったら絶対に考えられません。同志社の学生運動が懐の深いものであったことを示す、一つの例でしょう。
 そして松岡さんは当時からこういった「とんでもない」発想をする素養があったことを示す好例だとも分析できます。警察権力に対して「俺を倒せ」とは! このアナーキーさと闘争精神が、のちに出版に関わってからの彼の仕事を象徴しているともいえます。時に人々から首を傾げられても、また騙されたりすることがあっても、最後は「主語一人称」で闘いきる。性根の強さというか太さは熊本人気質なのでしょうか。往々にして「個」が確立されていない、日本社会にあって、示唆に富むスローガンだといえるでしょう。そしてその精神は今日ますます重要性を増しているように感じます》

このライターさんが評してくださったように、大仰なものではありませんが、たしかに指摘される通り、当時も今も〈革命的敗北主義〉が私の中には染み付いているのかもしれません。「最後の一人になっても闘う」決意があったからこそ「無茶」もできたし、逆に言えば支援してくださる方々に恵まれたとも思います(もっとも近年は〈革命的敗北主義〉だけではなく「論争における止揚から真実の探求」路線の重要性も認識しています)。

大衆運動も政治闘争も反差別運動も、結局のところ「個人」の集合体であるわけですから、個人が資質や能力、人間的な成熟を高めてゆくことが、結果としては社会の好ましい変化に繋がるのではないでしょうか。菅首相をはじめとする閣僚や役人、「個」を持ちえない人々による社会の劣化に直面するにつけ、昔の気持ちが蘇ります。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

【緊急速報!!】「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」関連対李信恵(第2)訴訟、大阪地裁で、またしても驚愕の不当判決!

28日13時10分から大阪地裁1007号法廷で、李信恵が鹿砦社に対して損害賠償請求550万円、リンチ関係本4冊(5冊目は訴外)の出版の差し止め、「デジタル鹿砦社通信」の記事の削除等を求めた訴訟の判決言い渡しが行われました。

開廷後すぐに、民事24部・池上尚子裁判長は「主文、被告(鹿砦社)は原告(李信恵)に165万円を支払え」「デジタル鹿砦社通信の該当記事の削除」を主旨とする判決文を読み上げました。

無茶苦茶です。M君が半死の状態の暴行を受けて得た損害賠償が110万円ほど。それに対して虚偽発信を続けた李信恵に対する、私たちの論評に165万円もの支払いが命じられたのです。

この不当判決に私たちは到底納得はできません。閉廷間際松岡は裁判官らに向かい「ナンセンス!リンチに加担するのか!」と怒りを込めて吠えました。当然です。

〈暴力行為(リンチ)〉は軽んじられ、憲法で保障された言論がひどく抑圧される噴飯物です。

判決文の詳細はこれから精査しますが、私たちは即刻控訴の手続きに入り、司法に真っ当な判断を求めるものです。

いずれにしても詳細は近日中にお伝えいたします。

ご支援頂いている皆様に朗報をお伝えできなかったことが残念至極ですが、私たちにまったく敗北感はありません。

私たちが、事件発生後1年余りも隠蔽され闇に葬られようとしていたM君リンチ事件を満天下に明るみに出したという社会的意義は確固たるものとしてあります。

さらに〈真実〉を求め、これまで同様に、いや倍する闘志を持って闘い続けるのみです。

こういう、言葉の真の意味での社会的不正義を許してはなりません。

私たちが暴力・暴言型社会運動、似非反差別運動を弾劾することに変わりはありません。

今後とも圧倒的なご注目とご支援の程、よろしくお願い申し上げます。

不当判決!
2021年1月28日 
鹿砦社代表 松岡利康 
鹿砦社特別取材班 

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唯一の脱原発マガジン『NO NUKES voice』26号本日発売! 2021年・大震災から10年 今こそ原点に還り〈原発なき社会〉の実現を!

『NO NUKES voice』Vol.26発行にあたって

本年は年頭から新型コロナに振り回された一年でした。いまだにとどまるところを知らない勢いです。

こうした中で、3・11から10年近く経ち必死で生きる福島現地の方々、意に反し故郷を遠く離れて暮らしておられる方々らの存在が忘れられようとしています。

今こそ Look back in anger ! (怒りを込めて振り返れ!) Don’t forget Fukushima ! と叫びたい気持ちです。皆様方には、なんとしてもこの師走を乗り切り無事に年を越していただきたいと願っています。

さて、本誌今号では、お馴染みの小出裕章さん、水戸喜世子さんに加え、かの歴史的な大飯原発再稼働差止め判決を下された樋口英明元裁判官の座談会を実現させることができました。くだんの判決同様、歴史的な座談会といえるでしょう。

「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の流出である」(2014年5月21日、大飯原発再稼働差止め判決より。裁判長は樋口英明さん。本誌創刊号に判決要旨を掲載)

歴史に残る名判決です。本誌はこの精神を継承いたします。

皆様方、良い新年をお迎えください。そして3・11 10周年を共に笑顔で迎えましょう!

2020年12月11日 『NO NUKES voice』編集委員会

12月11日発売開始!『NO NUKES voice』Vol.26 《総力特集》2021年・大震災から10年 今こそ原点に還り〈原発なき社会〉の実現を

『NO NUKES voice』Vol.26
紙の爆弾2021年1月号増刊
2020年12月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 2021年・大震災から10年
今こそ原点に還り〈原発なき社会〉の実現を!

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《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
樋口英明さん(元裁判官)
水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
[司会]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)

[インタビュー]なすびさん(被ばく労働を考えるネットワーク)
被ばく労働の実態を掘り起こす

[報告]おしどりマコさん(芸人/記者)
どの言葉を使うかから洗脳が始まってる件。「ALPS処理水」編

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
原発災害の実相を何も語り継がない  「伝承館」という空疎な空間

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈10〉 避難者の多様性を確認する(前編)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈20〉五輪翼賛プロパガンダの正体と終焉

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
東電福島第一原発の汚染水「海洋放出」に反対する

[報告]松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志
ふたたび、さらば反原連! 反原連の「活動休止」について

[対談]富岡幸一郎さん(鎌倉文学館館長)×板坂剛さん(作家・舞踊家)
《対談》三島死後五〇年、核と大衆の今

[報告]平宮康広さん(元技術者)
僕が放射能汚染水の海洋投棄と原発の解体、
再処理工場の稼働と放射性廃棄物の地層処分に反対する理由

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述家)
中曽根康弘・日本原子力政策の父の功罪

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
やがてかなしき政権交代

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
誑かされる大地・北海道
人類の大地を「糞垂れ島」畜生道に変えてしまった“穢れ倭人”は地獄に堕ちろ!

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈10〉人類はこのまま存在し続ける意義があるか否か(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
原発反対行動が復活! コロナ下でも全国で努力!
《玄海原発》豊島耕一さん(「さよなら原発!佐賀連絡会」代表)
《伊方原発》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《高浜・美浜》けしば誠一さん(杉並区議会議員、反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《規制委・環境省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京電力》佐々木敏彦さん(環境ネット福寿草)
《東海第二》小張佐恵子さん(彫刻家、いばらき未来会議、福島応援プロジェクト茨城事務局長)
《東海第二》大石光伸さん(東海第二原発運転差止訴訟原告団共同代表)
《福島第一》片岡輝美さん(これ以上海を汚すな!市民会議)
《地層処分》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《関西電力》老朽原発うごかすな!実行委員会

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