3月22日、ウィズ新宿にて開催された西里扶甬子(にしさと・ふゆこ)さんの講演「証言で辿る731部隊の最後」 に行ってきた。

今現在、「731部隊展実行委員会」では、「731部隊映像コンテスト」の出品作品を集めており、その「事前学習会」という位置づけの学習会だ。731部隊の直接的な関係者がどんどん亡くなっていく中で、直接、部隊の生き残りや被害者遺族の声を聞いた西里さんの取材資料は極めて貴重だ。

西里扶甬子『生物戦部隊731―アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(草の根出版会2002年5月)

731部隊とは、正式名称を「関東軍防疫給水本部」という。1932年に陸軍軍医学校に「防疫研究室」を設立。中国・背蔭河に「東郷部隊」を設置し、小規模な人体実験を開始した。38年、ハルビン郊外に細菌の研究・製造・実験のための巨大な秘密施設が建設された。これが満州第731部隊本部だ。日本の憲兵隊は抗日戦士らを捉え、裁判にかけることをせずに、特移級として731部隊に送り込んだ。そして3千人もの中国人・ロシア人、朝鮮人、モンゴル人などを使って細菌・凍傷・毒ガスなどの実験を行い、全員を殺害。これらの実験を担ったのが、石井四郎を中心とする軍医だ。

西里さんは海外メディアの日本取材のコーディネーターで、インタビュアー、ディレクターだ。2001年からドイツテレビ協会(ZDF)東京支局のプロデューサーを務め、現在は契約プロデューサーだ。著書として「生物部隊731」、翻訳本として「七三一部隊の生物兵器とアメリカ」をリリースしている。

西里さんはとりわけ、「医学的、軍事的、歴史的、専門分野に属さないドラマチックな場面を切り取って紹介したい」と、731部隊の基本的な知識を展開した上で、部隊長の石井四郎の娘に取材したときの内容や、石井四郎が脱出・帰国したときの経緯などを解説してくれた。

◆石井四郎は「保身のためにアメリカに実験データを売り渡した」

興味深い点は、石井四郎の長女、石井春海さんの証言で、731部隊の資料をすべてアメリカ側に渡したとされるが、「ずいぶんあとになって父がひとりのこらず戦犯にならないように部下たちを全部助けるのが条件だったって。研究情報も80%しか渡していない」と春海さんが話していた事実だ。

それでは、「なんのために石井は資料を残したのだろうか。残りの20%はどうなっているのだろうか」と私は質問した。

「アメリカに対して交渉のカードを残したのでしょう。今もどこかに残りの資料があるはずですが、これこそもっとも危険なものだと私は考えます」と西里さんは話した。この「20%の残りの資料は何か」で1つ小説が成り立ちそうだ。

今もなお、731部隊の問題が語られるのは、「当時、多くの中国人やモンゴル人などを殺戮した戦犯たちが今も裁かれていない」という点が注目される。ところが、「なぜ戦犯たちが裁かれないのか」という点は、今ひとつ忘れさられようとしている。そう、石井四郎が「部下も含めて自分や家族の保身のためにアメリカに実験データを売り渡した」からだ。

◆「満州の細菌部隊の中で、航空機をもっていたのは、731部隊だけだった」

西里扶甬子(にしさと・ふゆこ) =北海道札幌市生まれ。北海道大学英米文学科卒業後、北海道放送アナウンサー室入社。報道部を経てオーストラリア放送(ABC)へ転職。メルボルンからの日本向け短波放送(ラジオ・オーストラリア)のアナウンサー・翻訳者として3年間勤務。1977年に帰国、海外メディアのコーディネーター、インタビューアー、プロデューサーとして活動し、2001年からはドイツテレビ協会(ZDF)東京支局の契約プロデューサー。主著に『生物戦部隊731―アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(2002年5月草の根出版会)など。

春海さんはこう証言している。

「父は関東軍の山田乙三司令官や竹田の宮様と話しあって、特殊部隊なので、一人も残さず引き上げさせたいと粘ったそうです。それで先に帰って態勢を整えろと言われた.私たちが山口県の先崎で船に着いたのが(終戦の年の)8月31日で、その2日前に父は自家用機で羽田か厚木に着陸したはずです。9月は、東京の若松町の自宅にいました。私たちも一緒でした。陸軍省の幹部と打ち合わせをやっていました。復員してくる人たちと本当に密室で会っていました。マッカーサーが厚木に降りたときに『ジェネラル石井はどこだ』と聞いた。それは、マッカーサーは非常に科学的なかたで、石井に聞きたいことがあるということだったのに、側近が誤解して、石井が巣鴨に拘置されるとたいへんだということで、服部参謀など陸軍省が父を隠したわけなの。加茂にも確かいましたね。日本特殊工業の宮本さんの東北沢のお宅にもいたと思います。何カ所か移ったと思います。その間の根回しは服部参謀がやっていました」

ここに出てくる「日本特殊工業」とは731部隊の施設の施行をしていた会社で、戦後、急遽、飛行機で日本に戻ってきた石井を当時、社長だった宮本がかくまったというのが、多くの人が指摘するところだ。

西里さんは、石井専用機が熊谷飛行場に着いたときに、その機体を発見し、飛行機から羅針盤を抜き取っていた松本征一パイロットの証言もとっている。

松本さんによると「満州の細菌部隊の中で、航空機をもっていたのは、731部隊だけだった」とのこと。つまりこの実験部隊は、戦略的にも重要だったのだ。

◆証言多数の731部隊「実験殺戮」が「なかった」ことになっている戦後70年

さらに、未来にわたって責められる事実として、石井四郎は、多くの人を実験で殺戮しつつも、自らはとっとと帰国していたのだ。そして慧眼をもつ石井は、ソ連よりもアメリカが世界の中枢になっていくことを見越して、アメリカに資料を渡す。

この講演の参加者は語る。

「吐き気がするような話だね。政府は今もなお、731部隊が防疫給水のための部隊で、誰も殺戮していないと主張している。まさにヒトラーのユダヤ殺害に匹敵する悪業なのに、石井は誰にも裁かれず、731部隊などもうなかったかのようなムードだ」

戦後70年がたち、「戦争」を証言する人はつぎつぎと亡くなっている。しかし旧日本軍よ、政府よ! 731部隊は「なかった」ではすまない。

従軍慰安婦とはちがって、こちらは山のような証拠があるのだから。

(小林俊之)

《参考動画》 西里扶甬子「731部隊,原爆,ABCC,そして福島~科学者の倫理を問う」
(立命館国際平和交流セミナー=2014年8月4日広島)※2014年8月6日三輪祐児氏公開

《参考資料》 西里扶甬子「731部隊の秘密を追って 奉天捕虜収容所で何があったか?60 年後に判ったこと?(PDF)」 (POW研究会調査レポート)

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