奈良県田原本町で、名門私立高校の1年生だった16歳の少年が自宅に放火して全焼させ、父の再婚相手である継母と異母弟妹の計3人を焼死させる事件が起きたのは2006年6月20日のこと。この衝撃的な事件は、医師である父親の少年に対するスパルタ教育が背景にあり、少年は父親を殺害するために火を放ったということがセンセーショナルに報道されていた。あれから10年、現場を訪ねて「事件の今」を追った。

現場の跡地は事件後、少年の父が買い取ったそうだ

◆現場跡地は少年の父が買い取り

現場は近鉄橿原線の田原本町駅から徒歩で約10分程度の閑静な住宅街。事件発生当時にマスコミ報道で見かけた、無残に焼け落ちた家屋の姿はもうなく、現場は雑草が生い茂る空き地になっていた。立入禁止のロープが張られているのが唯一、過去に何か事件があったことをしのばせる。

「あの当時、このへんの家は取材がいっぱい来て、大変だったみたいですね」と話を聞かせてくれたのは、たまたま通りかかった近所の男性だ。現場の土地は事件後、火災発生時は自宅に不在で難を逃れた少年の父が買い取ったのだという。

「この家の人たちは事件の数年前に移り住んできて、この家を借りて住んではったんです。でも、ああいう事件があったんで、家主さんはこの家のお父さんに土地を買い取ってくれるように求めたんです。こんな事件があった土地、もう借り手も買い手も見つからんやろうからね。ほんで、この土地は今、事件のあった家の人らの持ち物ですわ」

これまで報道されてきた情報では、少年の父は、少年を自分と同じように医師にすべく、長年に渡って暴力も交えた虐待のようなスパルタ教育を行っていたとされる。だが、男性によると、少年の家族は「どこにでもいそうな普通の人たち」だったという。

「勉強のことで子供に厳しくするのは、普通はお母さんでしょ。あの家の場合、それがお父さんやったみたいですが、普通の家族と違っていたのはそれだけじゃないですかね。そんなに交流があったわけじゃないけど、亡くなったお母さんは道ですれ違ったら普通に挨拶してますし、本当に普通の人やった。火をつけた子も普通の賢い、しつけの行き届いた坊ちゃんいう感じでしたよ」

そんな少年に対し、地元では事件が起きた当初から同情が集まり、自治会の人たちは少年の刑を軽くすることを求める署名を集めて回ったのだという。

◆地元の人はネットの噂を否定

インターネットでは、少年の父が事件後、医師を辞めたかのような噂が飛び交った。だが、男性はこの噂を否定した。

「お父さんは、今も普通に医者として働いているように聞きますよ。事件の頃に勤めてはった病院とは、別の病院に勤め先が変わってるみたいですけどね」

男性によると、少年の父が事件のころに勤めていたのは、自宅から60キロ近く離れた三重県の病院だったという。「お父さんは今もこのへんで暮らしてはるそうです」とのことだが、通勤時間にゆとりのある病院に勤務先を変えたのではないかとふと思った。

父の虐待による広汎性発達障害と診断された少年は、奈良家裁で刑事処分より保護処分が適切だと判断され、中等少年院に送致されている。しかしその後、少年に対する精神鑑定を実施した医師が女性ジャーナリストに鑑定資料を漏えいさせ、秘密漏示罪で逮捕、起訴されるという騒ぎも起き、事件は再び社会の耳目を集めた(結果、医師は有罪判決を受けたが、女性ジャーナリストは不起訴)。男性は「事件だけでも大変なのに、ああいうつまらんことが起きて、家の人らはなおさら大変だったでしょう」と振り返り、しみじみとこう語った

「あの子はもう出てきてるでしょう。今はどこで何をしとるんか知らんけど、あの子やったら、ちゃんとやってるんやないかな。それこそ医者になっとるかもしれんと思いますよ」

現場は今、年に2回ほど、シルバー人材センターから派遣されてきた人たちが草刈りをしているという。このエピソードからも、少年の父らが責任感のある誠実な人たちであることが窺える。少年は今、26歳。彼が起こした不幸な事件はなかったことにはできないが、きっと堅実に更生の道を歩んでいるのだろうと筆者にも思えた。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)