◆西欧文明の衰退

21世紀に入ってアメリカやEUをはじめとする西欧文明の覇権の衰退が明らかになり始め、それに伴い中華文明の中心国家である中国がその存在を主張し始めた。「一帯一路」構想の提案、南シナ海における主権の主張、アフリカへの進出、ICT分野をはじめとする技術力の急速な拡大など、中国は超大国としての座を狙っている。

こうした非西欧諸国の台頭は各地で顕著である。東方教会文明の中核国家であるロシアも中国に続こうとしている。軍備増強やクリミア半島の不法占拠、アメリカと対立するベネズエラへの支援などを通じてその存在を世界にアピールしようとしている。ヒンドゥー文明のインドでも近年、ヒンドゥー・ナショナリズムが強まりつつあるという。イスラーム文明でも近年はイスラーム国(IS)がシリアとイラクに跨る地域に、既存の国境を否定してイスラーム国家を建設、カリフ制の復活を宣言した。このように西欧による主導で進められてきた主権国家体制や「民主主義」や「人権」といったイデオロギーは力を失いつつある。

このような文明間の国際秩序再編の動きを安倍晋三はわかっているのだろうか。安倍はいつも「日米同盟はゆるぎない」と言うが、急激な時代変化の中で弱体化を続けるアメリカに対して、過去と同じように接しようとすることはあまりにも時代の流れに対して鈍感と言えよう。

◆日本とイスラームの同盟 戦前日本とのイスラームの友好

私が考えるのは、今後の日本はアメリカよりもイスラーム諸国と同盟を組むことにシフトすべきではないのかと言うことである。将来的に、イスラームは世界で最大の信者数になるとの予想がある。また近年、インドネシアを中心とする東南アジアからのムスリムが増加するにつれて、日本でもイスラームの存在はもはや無視できなくなった。「ハラール」認証の食品や礼拝室についての話題はよく耳にするようになった。とはいえ何かしら多数の日本人には「イスラームは不可思議な宗教」という考えがあるようだ。また、「9.11同時多発テロ」やイスラーム国の蛮行もあって、イスラームに悪い印象を持っている人も少なくない。

しかし戦前の日本はムスリムに対して、極めて友好的であった。日露戦争開始時の1904年頃より、日本の中央政府内では、日本の勢力拡大を狙う政治家や軍部からムスリムを利用しようとする声が出てきた。これに基づいて実施されたのが「回教工作」であり、対外的に中国や東南アジアのムスリムへの宣撫工作がなされた。日本国内では、軍部や外務省の指導により『大日本回教協会』が設立され、ムスリム諸国との外交や研究を国策として推進していた時期があったのである。

 

代々木上原にある東京ジャーミィの外観(出典『JUST PHOTO iT』2019/2/7閲覧)

1938年5月に代々木にできた東京モスク(後の東京ジャーミィ)は宣伝工作の一環として、日本の寄付で建立されたものである。この時の開堂式には、日本陸軍関係者やイエメンの王子、エジプト大使などが出席している。その後も1939年11月に大阪でムスリム諸国の風俗や文化を紹介した「回教圏展覧会」が開催、同月には東京でも「世界回教徒第一次大会」が開かれるなど、日本におけるイスラームに関する活動は盛んであった。

ムスリムの側としても、西欧列強からの解放を日本に期待する者がいた。ロシア出身でタタール人のアブデゥルレシト・イブラヒムはその一人である。ロシア革命によって無神論の共産主義者が権力を掌握すると、イスラームが弾圧されることを恐れた者はロシア国外に逃亡したが、イブラヒムはその時に日本に亡命した。イブラヒムは回教工作にも関与し、北京のモスクのイマーム(教主)に日本と連帯するよう呼び掛けている。

このころ日本は傀儡国家・満州国を成立させ、ソ連と対峙していた。そこで「中国回教総連合会」を樹立させ、漢人ムスリムや新疆のウイグル族、それと隣接する中央アジアのムスリムとのネットワークを構築、ソ連の包囲網を築こうとしていた。同時にムスリムのスパイ養成や医療・教育支援、モスク修復などを行っていた。さらに、1930年代前半にできた東トルキスタン共和国(現・新疆ウイグル自治区)の元首に、旧オスマン帝国のカリフの末裔を日本の支援で擁立し、新疆に満州国のような親日的傀儡国家を作る計画もあったのである。この計画が実現すれば、中央アジアにカリフの末裔が東トルキスタン共和国のトップとして就任後、傀儡的ではあれ日本がカリフ制を復活させるという歴史展開もありえたと言える。カリフと言えば2014年にイスラーム国のバグダディがカリフ制復活を宣言したが、そのカリフ制の復活に日本もかつては関わっていたかもしれない事はなんとも不思議である。

しかし、戦前の日本であった「イスラーム・ブーム」も終焉を迎える。1945年の敗戦に伴う大日本帝国の崩壊で、日本国内のムスリムは強力な支援者を失い、半場忘れ去られることになったのである。戦後、イスラームに改宗した森本武夫は日本の敗戦により「日本におけるイスラームの夜明けが忽ち暗雲に覆われる有様となった」と述べている。戦後も日本人ムスリムによる布教活動の展開やビジネスマンのイスラーム圏への渡航など、日本とイスラームの接点が消えたわけではなかったが、2000年代に入るまで日本社会全体でイスラームと向き合おうとする風潮は小さなものであった。(つづく)

◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈1〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈2〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈3〉

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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