19人の入所者が殺害された相模原市の知的障害者施設殺傷事件が先月26日、発生から3年を迎え、報道各社が横浜拘置支所に勾留中の犯人・植松聖被告(29)に面会したことを相次いで報じた。各社の記事を読み比べると、大変興味深いことがあった。

◆大学教授が面会した植松被告は、筆者が知る植松被告とは別人

私は2017年から2018年にかけて、植松聖被告と面会や手紙のやりとりを重ね、今年初めに上梓した「平成監獄面会記」(笠倉出版社)という本でも、実際に会ったからわかった植松被告の実像を紹介している。そんな私にとって、とくに興味深かったのは、弁護士ドットコムニュースの以下の記事だ。

「植松君には人間の心が数パーセントある」相模原殺傷から3年、佐々木教授が面会を振り返る(弁護士ドットコムニュース)

犯行後、ツイッターに投稿していた植松被告

この記事に登場する静岡県立大学短期大学部の佐々木隆志教授(社会福祉学)は、自分自身が障害者の父親だそうだが、植松被告とは5回面会しているという。佐々木教授によると、面会した際、植松被告は19人を殺害した理由について、「とにかく目立ちたかったんですよ、先生」と答えたという。また、「もし、糞尿を散らすお父さんがいて、徘徊するお母さんがいたとしたら、植松くんはデリートするのか」と聞くと、植松被告からの答えはなかったそうだ。

この記事が興味深かったのは、佐々木教授が語る植松被告の人物像は、私が知る植松被告とはまったく別人のようであることだ。私が面会した際、植松被告は自分の犯行を正義だと信じて疑わず、「心失者(植松被告は、意思の疎通がとれない重篤な障害者のことをこう呼ぶ)は安楽死させるべきです」と自信満々に言っていたからだ。

また、私が手紙で、「両親や親戚、恋人、友人などが心失者になった場合も安楽死を望むのか」と質問した際も、植松被告から届いた返事の手紙には、きっぱりこう綴られていた。

〈両親、恋人、友人が「心失者」になれば、もちろん悲しいですが、仕方がないこと、受け入れなくてはならない現実と考えます〉

おそらく植松被告は、障害者の息子がいる佐々木教授に対しては、私と面会した時ほどには「心失者は安楽死させるべき」という意見を強く言えなかったのだろう。

◆死刑判決に対し、弱気な一面をのぞかせたそうだが・・・

一方、死刑に関する植松被告の発言として、興味深い情報を伝えていたのが時事通信の以下の記事だ。

自分は責任能力ある=「死刑」直視できず-植松被告・障害者施設襲撃3年(時事ドットコムニュース)

この記事によると、植松被告は死刑判決を言い渡される可能性については「それは仕方がない」とうなずいたという。ただ、記者が「事件前に考えが及んだのか」とただすと、「後回しにしてしまった。今も後回しにしている」と弱気な一面をのぞかせたそうだ。

この記事が興味深く思えた理由も、記事に出てくる植松被告が、私が知る植松被告とまったく別人のようであることだ。私が面会した際には、植松被告は自分の犯行について、「自分の生命を犠牲にしてでも、やらないといけないことだと思ったんです」と力強く言っており、死刑は犯行前から覚悟していたとしか思えなかった。植松被告は時事通信の記者と面会した際、そのように強く言い切れない何らかの事情があったのだろう。

◆筆者のイメージそのままの植松被告が出てきた記事も

私が面会した時とまったく同じイメージの植松被告が登場する記事もあった。神奈川新聞の以下の記事だ。

揺らがぬ独善今なお 植松被告「責任能力ある」(カナロコ)

この記事では、植松被告は事件からの3年間を振り返り、「あっという間。非常に有意義だった」と説明。「意思疎通がとれない“心失者”は安楽死するべきという考えや知識を深められた」と満足げにうなずいたという。また、死刑判決が出たらどうするかとの問いには「受け入れるしかない。死にたくないが、僕が死ななければ社会が丸く収まらないのでは」と自嘲気味に語ったそうだ。

この記事での植松被告は、自分の犯行を正義と信じて疑っておらず、死刑についてもあらかじめ覚悟のうえで犯行に及んだように語っている。私が知る植松被告そのままなので、私はこの記事を読みながら、植松被告の口調や目つきなどもリアルにイメージできた。

こうしてみると、同じ1人の殺人犯と面会しても、その殺人犯から聞ける話や受ける印象は取材者によって様々だ。これが、事実を見極める難しさであり、面白さなのだろう。

植松が収容されている横浜拘置支所

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。「平成監獄面会記」が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が8月8日発売。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)