◆修行の癒し

タイに修行に行った選手が日々、ムエタイジムでの厳しい練習や暑さ不潔さ、むさ苦しい男集団生活、ものの考え方の違う土地での住み難さに耐える中、タイ選手との友情も芽生え、修行の成果と想い出を持って帰国する。その修行を活かし、日本での試合で勝利する、とは行かぬ場合も多いが、ムエタイ修行は人生に於いて貴重な経験だろう。

そのタイ遠征に於いて、恋愛に至る出会いも少なくない。昭和のある時期はキックボクサーとタイ人女性との結婚が小さなブームのような現象さえあったものだった。

より海外へ渡り易くなった後々には正確な数値は分からないが、過去のカップル誕生にはいろいろなエピソードがあっただろう。

向山鉄也氏、息子さんは羅紗陀(向山竜一/元WBCムエタイ日本ライト級チャンピオン)(1985.1.6)

単純な例だが、朝、ロードワーク中にジムの近くの住宅地に住む、通学中の女の子と目と目が合う。そんな自然な出会いから必死でタイ語も覚えて声を掛け、お喋りに発展する。そんな日々、通りすがりに手を振って微笑んでくれる。その笑顔に心奪われていく。死ぬような苦しいムエタイ修行に対する微笑みの国の美女は、日本人女性とは違った清々しい優しさに癒されるのである(と、勘違いするのである)。

◆羨ましい仲

そんな数々の出会いの中、現在一番円満な家庭のひとつと思うのが、元・日本ウェルター級チャンピオン、現・キングジム会長の向山鉄也氏の家庭である。

こちらの奥様は、来日当時は片言の日本語だったが、いつの日か写真の用で私に電話が掛かってきて「向山の妻です!」と聴こえてきても「この人、向山さんの奥さんとは違うんじゃないの?」と思うほどタイ語訛りが全く無い、日本の標準語の発音が完璧。

そのキングジム所属の元・WBCムエタイ・インターナショナル・スーパーライト級チャンピオン、テヨン選手は千葉(センバ)ジムの元・日本ムエタイ・ミドル級チャンピオン、中川栄一氏の次男(中川勝志)だが、中川栄一氏もタイ遠征でタイ人女性と恋愛結婚した人。昭和の終わり頃、私はたまたまタイで幾度か二人の様子を見かける機会があったが、仲睦まじく、この二人は絶対上手くいくと確信できたものだった。

◆縮まらぬ意識

他にもお似合いカップルを見たり聞いたりしてきた反面、恋愛はしたが結婚には至らなかったケースも、更には結婚はしたが、短期で離婚に至ったケースもあった。

私の知人範疇から外れるが、有名なところでは、タイの英雄、元・WBA世界ジュニアバンタム級チャンピオンのカオサイ・ギャラクシーが日本人女性と結婚したり、元・WBC世界ストロー級チャンピオン.ナパ・キャットワンチャイが井岡弘樹と王座を懸けて戦っていた頃も、ナパはチェッカーズの郁弥似の甘いマスクで人気が出て、日本女性がタイまで追っかけて行ったという、ボクサーとしての実力とは別の、アイドル型人気という現象も時代が変わったものだった。

その国際結婚も恋愛も、次第に心がズレていくのは日本人とは違う気質、文化、習慣、学問の深さの違い。彼女がカップラーメンすら作れないといった些細なことから感情のもつれもあったり、旦那が必死で稼いできた安月給から、将来やイザという時に蓄えたお金を「こんなにあるんだからいいじゃないの!」と躊躇いなくタイの実家へ送ってしまう奥様。

あくまでも相手にもよるが、価値観の違いや育った環境の違う国際結婚は難しいものである。

世界王座19度防衛のカオサイ・ギャラクシー氏(左)。人気No.1ナパ・キャットワンチャイ氏(右)

現在は、はまっこムエタイジム会長のユタポン前田氏(1992.10.10)

◆無知な人の話

キックボクサーに限らず、自然な流れの一般旅行者、ビジネスマンも同じような恋愛に進む日本人男性は多い。

私がムエタイ選手のビザ申請の為、日本大使館を訪れたある日、日本の小金持ち風50代ほどのオッサンが、いかにも水商売系の女の子を連れて窓口で、「この子、日本に連れて帰りたいんやけど、何を用意したらいいん?」と問い掛けても、そんな胡散臭い出会いの相談に、親切なアドバイスされる訳もなく、「どこ行ったら教えてくれるの?」と怒りに近い口調で厚い防弾ガラス越しのインターホンで訴えていたが、要件が違えばサッサと通話を切って去ってしまう大使館員。

公務員のふてぶてしい連中には私もラオスのタイ領事館でも味わっているが、この時はこの旅行者男性が無知過ぎると思ったものだ。

1980年代以降は日本で不法滞在、不法就労者が増えていた時代で、一試合のみの短期滞在予定プロボクシング世界チャンピオンでさえ書類審査が難しかった時代に、特に若い一般女性のビザ取得は不可能と言えるほど難しいものだった(現在は経済格差が縮まり、かなり緩和されています)。

そんな他人事を話している私もタイ人女性に惚れた一人である。付き合った女性の中には一方的にフッた私の罪があった。甲斐性無い私に結婚は無理だった。

伊達秀騎(左)、チャイナロン・ゲオサムリット(右)(1995.6.10)

そんな過去の、様々な過ちを反省する私的な思いで、その後、出家に至った理由の一つがあった(こんな志で出家するものではない)。

それも三日で挫けそうだったのだが、還俗し生まれ変わった後、人を不幸にすることは無かったが、無知で甲斐性無いのは変わらない私である。

◆逆パターン

キックボクシング関係者の中では昭和の時代から、渡航が増えた平成の時代にも国際結婚に至った夫婦を見かけることが多かった。タイ女性をお嫁さんに迎えるだけでなく、日本人女性がムエタイボクサーを迎えるパターンもあった。

業界では有名どころ、はまっこムエタイジムを経営するユタポン前田さんもその一家。私が来日のお手伝いをしたチャイナロンというムエタイボクサーも日本で結婚し円満に暮らしている。

1997年にタイへビジネスで渡って、現在バンコク中心部でムエタイジムを経営している、「タイで三日坊主!」にも登場した伊達秀騎氏も現地でタイ女性と結婚し、一女を儲け円満に暮らしている。どこの国からであろうと文化の違いを乗り越えた家庭は今後も末永く幸せを貫いて頂きたいものである。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年7月号【特集第3弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!