山口県萩市にあるアルミ素材メーカーの工場で働いていた鹿嶋学は2004年10月5日、自暴自棄になり、会社を辞めて東京に向かう途中、広島県廿日市市の路上で見かけた高校2年生・北口聡美さんをレイプしようと考えた。そして聡美さん宅に侵入したが、聡美さんが逃げようとしたために持参したナイフで刺殺。さらに聡美さんの祖母ミチヨさんの背中などを刺して重傷を負わせ、聡美さんの妹で小学6年生のA子さんを追いかけ回し、一生消えないようなトラウマを与えた。

3月4日、広島地裁で開かれた裁判員裁判の第2回公判。鹿嶋はこのような犯行の経緯を打ち明けたのち、犯行後の行動も詳細に語った──。

◆ホームセンターで両手や顔についた血を洗い、服も着替えた

「小さい女の子(A子さんのこと)を追いかけ、追いつけずに追うのをやめた後は原付で再び東京方面に向かいました」

弁護人から犯行後の行動を質問されると、鹿嶋はそう答えた。そして原付を東へ走らせる途中、まずホームセンターに立ち寄ったという。

「ホームセンターに立ち寄ったのは、両手と顔についていた血を洗うためでした。服にも血がついていたので、この時に服も着替えました。血がついていた服はその後、橋の上から川に捨てました」

こうして証拠隠滅を済ませると、鹿嶋は引き続き、野宿を繰り返しながら原付で東京へと向かった。弁護人からその時の気持ちを聞かれ、こう答えている。

「3日間くらいはすごく後悔し、嫌な気持ちになっていました。何も食べずにずっと原付を東へ走らせました」

被告人質問では触れられなかったが、10月だから、野宿は寒かったはずである。それでも鹿嶋は2週間くらいかけ、東京にたどり着いている。東京到着までにそれほどの時間を要したのは、単純に「急ぐ理由がなかったから」だったという。

そして東京到着後、鹿嶋は重大なことに気づく。それは、「東京で何もすることがない」ということだ。

弁護人から「あなたは何のために東京に行ったのですか」と質問され、鹿嶋は「最初は…」と言い、しばらく沈黙した後、こう答えた。

「なんとなく、漠然と東京に行くことだけを考えていたのだと思います」

鹿嶋が東京に行こうと思ったのは、下関市で暮らしていた子供の頃、温泉に入るために自転車で東京から下関に訪ねてきた人物がいたのを思い出したためだった。元々、東京に何か目的があったわけではない。とはいえ、東京到着までに2週間もあったにも関わらず、この間に東京到着後のことを何も考えていないというのは、やはり思考回路に人と違うところがあるのだろう。

未解決事件としてテレビでも取り上げられていた(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

◆東京で所持金が無くなって「飢え死に」が怖くなり……

「東京では、お金が無くなるまで適当に原付を走らせるなどして過ごしていました」

弁護人から東京到着後の行動を質問されると、鹿嶋はそう答えた。そして所持金が無くなると、不安な思いにとらわれたという。

「お金が無くなり、何も食べられず、5日間くらい過ごして、飢え死にするのではないかと怖くなりました」

そして鹿嶋が選択したのは、実家がある山口県の宇部市に帰ることだった。そのために鹿嶋は、上京前に「餞別」として5万円をあげていた友人に電話し、銀行口座に金を振り込んでもらった。その金によりバスで宇部に帰ったという。ちなみに上京する前、地元にはもう戻らないつもりで携帯電話は川に捨てていたので、友人に電話をかける際はパン屋で電話を借りたという。

当時の新聞では、広島県警は事件発生当初、現場周辺を中心に犯人の足取りを追っていたと報じられている。その間に犯人が野宿を重ねながら原付で上京し、山口の実家にバスで戻っていたなどとは、県警の捜査員たちは当時、想像すらできなかったはずだ。犯人の鹿嶋の行動があまりにも特異で、合理性を欠いていたことは、この事件が13年半も未解決だった要因の1つだろう。

事件が未解決の頃の報道には、今思うと的外れなものも……(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

◆事件後に就職した会社の社長との思い出を話し、感極まる

宇部に帰った後、鹿嶋は実家で生活し、2004年12月に土木関係の会社に就職した。そして逮捕される2018年4月まで13年余り、この会社に勤め続けている。弁護人から、「なぜ、長く働き続けられたのですか?」と質問され、鹿嶋はこう答えている。

「今の社長は自分と4歳くらいしか離れていない人ですが、自分が車の免許をまだ持っていない頃には、毎日のように帰りにビールを1杯おごってくれました。自分は、ロクに話もせんのに……」

ここまで話すと、鹿嶋は感極まって沈黙したが、嗚咽しながらこう続けた。

「今の社長の親父さんも、自分が免許を取ったら車をタダでくれたりして…その頃、自分はまだ入社して1年くらいしか経っていなかったのに…そういう人たちに出会えたからだと思います」

毎日、仕事の後にビールを1杯おごってくれるくらいの社長はいくらでもいそうだし、車をタダでもらったという話も「処分することが決まっていた古い車」を与えられただけである可能性を感じた。しかし、前回までに触れてきた通り、鹿嶋は少年時代から血のつながらない父親との関係が複雑だったうえ、高校卒業後に就職し、事件直前まで勤めていた会社も「ブラック企業」と呼ばれて仕方のないような会社だった。それゆえに、社長たちの優しさが深く身に染みたのだろう。

こうして鹿嶋は地元宇部で普通の市民として生活し、警察の捜査が及んでくる気配はまったく無いまま、事件から13年半の月日が流れた。この間、「廿日市女子高生殺害事件」は日本全国でも有名な未解決事件の1つとなり、しばしばメディアで取り上げられたが、鹿嶋は事件のことを思い出さないようにしていたという。(次回につづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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