2004年10月、広島県廿日市市の高校2年生・北口聡美さんが自宅で何者かに刺殺された事件は、今年3月、広島地裁であった犯人の鹿嶋学に対する裁判員裁判でようやく真相がつまびらかになった。

鹿嶋は1983年、山口県生まれ。その生い立ちは複雑で、母親が父親と結婚前、父親以外の男性との間に授かった子供が鹿嶋だった。そのために幼少期から父親との関係が悪く、鬱屈した思いを抱えて育った鹿嶋は、広汎性発達障害的な偏りがあり、普段はおとなしいが、カッとなると、暴力的になることがあったという。

高校卒業後はブラック企業的な会社で3年半、辛抱強く働いていたが、たった一度、朝寝坊して仕事に遅刻しそうになっただけで会社を辞めてしまう。そして自暴自棄になり、あてもなく原付で東京に向かう途中、ふと「性行為をしてみたい」と思い立つ。そんな時、たまたま路上で見かけたのが北口聡美さんだった。

聡美さんの家に侵入した鹿嶋は、逃げようとした聡美さんを持参したナイフで刺殺した。さらに現場に駆けつけた聡美さんの祖母ミチヨさんも刺して重傷を負わせたうえ、聡美さんの妹も追いかけ回し、一生消えない心の傷を負わせた──。

3月10日にあった第4回公判。審理で明らかになった上記のような事実関係に基づき、検察側は「有期懲役が相当な事案とは到底言えない」として無期懲役を求刑した。対する弁護側は、「動機は言い訳できないが、鹿嶋さんは発達の遅れがあり、自分の意思だけでどうにかなるものではなかった」として有期懲役が相当だと主張した。そして最後に鹿嶋本人が意見陳述を行った。

◆公判終了後、足早に法廷を出ていった犯人の父親

「私は、事件のことを思い出せる限り、正直に話しました。しかし、ミチヨさんのことは思い出せなくて、申し訳ありませんでした。あと、この裁判を通じ、ご遺族の方の顔を見ることができませんでしたが、この場でご遺族の顔を見て、謝罪したいと思います」

鹿嶋は証言台の前に立ち、嗚咽交じりにそう語ると、檀上の杉本正則裁判長に「マスクをとってよろしいでしょうか」と問いかけた。そして許可されると、マスクをとり、検察官席にいた聡美さんの両親に顔を向け、叫ぶようにこう言った。

「自分の身勝手な都合で、大切なご家族の命を奪い、ご家族の方々を傷つけ、申し訳ございませんでした!」

この時印象的だったのは、聡美さんの父・忠さんが潤んだ目で鹿嶋のことをじっと見すえていたことだ。娘の生命を奪った犯人と目を合わせ続けるのは精神的に相当きつかったろうと思うが、「目をそらしたら負けだ」と思っていたという。

こうして公判審理はすべて終わった。傍聴席では、鹿嶋の両親も審理の行方を見守っていたが、鹿嶋の母親は閉廷後も両手で顔を覆い、うなだれたままだった。一方、その隣に座っていた鹿嶋の父親は、杉本裁判長が公判の終了を告げると、すぐに立ち上がり、足早に法廷を出ていった。筆者はそんな様子を見て、鹿嶋と父親の複雑な関係はやはり事件と無関係ではないだろうと改めて思ったのだった。

◆無期懲役という結果に、被害者の父親は無念そうだったが……

この8日後の3月18日、杉本裁判長は鹿嶋に無期懲役の判決を宣告した。その判決公判後、忠さんは無念そうにこう言った。

「娘には、『負けたよ』と伝えます」

殺害された人数が1人の殺人事件で死刑判決が出ることはめったにない。この事件の場合、検察官も無期懲役を求刑していたので、死刑判決が出る可能性は皆無に等しかった。しかし、やはり遺族は裁判長が判決を宣告するその時まで死刑判決を願い続けていたのだろう。

判決後、無念の思いを語る北口聡美さんの父・忠さん

ただ、杉本裁判長が読み上げた判決理由では、遺族の思いに配慮したかのように鹿嶋のことを厳しく指弾する言葉が並んでいた。

「被害者家族が味わった悲しみは筆舌に尽くし難く、被告人の極刑を望むのも本件の重大性を表すものとして理解できる」

「本件が地域社会に与えた影響も大きかったものと推察される」

「被害者らに対する犯行を選択した経緯は、身勝手極まりないと評価すべきである」

この判決が実は「遺族以外の人たち」の思いもくんだものだったとわかったのは、裁判員たちの会見に出た時のことだった。

◆2歳の娘のことを思いながら裁判に臨んでいた裁判員

会見に参加した2人の男性裁判員に対し、筆者は「もしも自分が被害者のご両親と同じ立場だったらと考えることはなかったですか?」と質問してみた。この質問は思っていた以上に2人の感情を大きく揺さぶったようだった。

まず、1人目の男性裁判員(36)は目から涙をあふれさせ、嗚咽を漏らしながらこう言った。

「私も2歳の娘がいて……かわいい、かわいい……と言いながら育てているので、もしも娘が同じことをされたらと思うと……」

この男性は感極まり、これ以上、言葉をつなげなかった。一方、もう1人の男性裁判員(年齢は未公表。推定で40代後半から50代前半)も神妙な面持ちでこう言った。

「私も被害者と同じくらいの子供がいるので、自分の子供に同じことが起きたらと思わずにはいられませんでした」

2人の話を聞く限り、裁判員たちは聡美さんの遺族に深く感情移入していた。彼らも遺族同様、本当は鹿嶋を死刑にしたいという思いだったことがよく伝わってきた。鹿嶋を厳しく指弾した判決理由の言葉の1つ1つはそんな裁判員たちの思いをくんだものだったのだ。

私は、鹿嶋本人にも会って話を聞いてみたいと思い、取材依頼の手紙を出したうえで、判決公判の翌朝、彼が収容されている広島拘置所を訪ねた。しかし、職員を通じて面会を断られてしまった。そしてその後、鹿嶋も検察も控訴せず、鹿嶋に対する無期懲役刑が確定した。

生い立ちが複雑な鹿嶋は、仕事はまじめだったが、友だちが少なく、ゲームをしたり、アダルトビデオを観たりすることしか趣味がなかった。人生で一度も女性と性行為をしたことがなく、風俗店にも行ったことがなかったと言っていた。そしてこれから長い服役生活を送り、いつか出所できたとしても、その時は老人になっているはずだ。彼の人生は一体何だったのだろうか。(終わり)

鹿嶋が収容されていた広島拘置所。鹿嶋は、筆者との面会に応じなかった

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

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