ピョンヤンから感じる時代の風〈16〉米国式民主主義こそ専制主義だ 小西隆裕

◆なぜ今「民主主義」なのか

今、盛んに「民主主義」という言葉が使われている。

先日は、ウクライナ側から、ウクライナ戦争を指して「一政権対民主主義の戦争」だと言う主張がなされた。

ゼレンスキー大統領が昨年12月の訪米の際、米議会の演壇で、ウクライナ戦争を「民主主義 VS 専制主義」の戦争だと改めて規定しながら、「民主主義の勝利のため」に軍事支援を要請したのに続く発言だ。

昨年、バイデン米大統領が「米中新冷戦」の本質が「民主主義VS専制主義」だと言って以来、これが米側の基本主張になっている。

しかし、それにしても今なぜ「民主主義」なのだろう。

「民主主義」が今、世界でそれほど切実に求められているのだろうか。

求められている兆候はほとんどない。その証拠に、鳴り物入りで昨年末開催が予定されていた「民主主義サミット」は流れてしまった。米側から何の発表もないところを見ると、開催できなかったのだろう。「民主主義陣営」として結集結束するのに従う国の数が予定の数を大きく下回ったためだと推測される。

米国式民主主義から民心が離れたのは、何も今に始まったことではない。

長期経済停滞や泥沼の反テロ戦争、そこから生まれた数千万難民の激増、等々が続く中、それらに対し完全にお手上げ、全く無力な二大政党制など「米国式民主主義」に対する民心は、世界的範囲で完全に離れたと言うことができる。

それは、それらの根元にあるグローバリズム、新自由主義に反対し、新しい政治を求める、「自国第一主義」の広範な大衆のかつてない政治への進出として現れた。

主として米欧側メディアや政界によって「ポピュリズム」のレッテルを貼られたこの新しい政治、「自国第一」「国民第一」の波は、各国の古い二大政党制、「民主主義体制」を突き崩し、いくつかの国では政権をとるまでに発展してきた。

グローバリズム、新自由主義の矛盾として顕在化してきたこうした傾向は、今、「新冷戦」の時代を迎えながら、一時的な「ポピュリズム」ではなく、一つの時代的趨勢になってきているように見える。

にもかかわらず、今なぜ「民主主義」なのか。

◆米国式民主主義というもの

米大統領バイデンが「米中新冷戦」の本質として、「民主主義 VS 専制主義」を打ち出したのは、世界の「民主主義」への要求に応えてのものではなかった。 

それは、すぐれて、米覇権の回復のため、米国自身が求めているものだったと言える。

2017年、米国家安全保障会議は、「現状を力で変更する修正主義国家」として中国とロシアを名指しで規定した。

それに基づき、米トランプ政権は、2019年、「米中新冷戦」を宣言し、中国を相手に「貿易戦争」を開始すると同時に、ロシアに対しては、ウクライナにゼレンスキー大統領を押し立て、ウクライナの対ロシアNATO国家化、軍事大国化を推進した。

この中国とロシアに対して、「二正面作戦」を避けながら、仕掛けられた陽と陰、二つの「新冷戦」、米覇権回復戦略で掲げられたのが、中ロの「専制主義」に対する米国の「民主主義」だった。

だが、トランプからバイデンへと引き継がれた中ロを包囲、封鎖、排除してその弱体化を図る一方、日本や欧州など「民主主義陣営」を米国の下に統合して、米国を強化することにより、米覇権の回復を図るこの目論見は成功するだろうか。

ほぼ確実にしないだろうと思う。

なぜか。それは、米国式民主主義が民主主義ならぬ専制主義だからに他ならない。

そんなまやかしが通用するほど世界は甘くないと言うことだ。

そもそも民主主義とは、古来、集団の意思をその成員皆の意思を集め、集大成してつくる政治のことだ。

そこで、当然のことながら、その集団は共同体であるのが前提だ。すなわち、集団の成員皆が対等な共同体であってこそ民主主義は成り立つ。

ところが、世界中から国と民族を超え人々が集まって来てつくられた新興国家、米国は、今、民族と人種が融合せず、差別と分断が横行する「サラダボール」と言われるような状況にある。

さらにその根底には、米国という国が個人主義の極致、資本主義の総本山として発展してきたという事実がある。

その米国にあって何より尊ばれたのは、個人の自由であり、民主主義も、共同体の意思をつくると言うより、個人の自由を保障するものとして発展してきたのではないか。

そこにあって、弱肉強食、富があり強い者が貧しい弱者を支配する自由も個人の自由だ。しかもそれに、「サラダボール」と言われる状況まで重なり、個人の自由は、支配と差別、虐待の自由、何をやっても構わない自由にまでなってしまっている。

今、米国の政治において、国という共同体が責任を持って人々の生活を保障する社会保障という考え方が極めて薄弱であること、大統領選が政策そっちのけの候補者相互間の誹謗中傷合戦の場に化してしまっていることなどとともに、GAFAMなど超巨大IT独占による独裁支配が目に余るものになり、「1%のための政治」になってしまっているのは、十分に根拠のあることだと言えると思う。

◆世界最大の専制主義国家、米国 

「1%のための政治」、自国民からそう呼ばれるような国の政治を民主主義だと言えるだろうか。世界が米国を「民主主義の国」「民主主義の総本山」として憧れ、敬う時代は遠の昔に過ぎ去った。

その米国が、今、「民主主義 VS 専制主義」を掲げ、「新冷戦」を世界の前に押し付けてきている。その結果、物価の高騰、軍事費拡大と財政難、等々、経済危機と生活苦が広がっているだけではない。戦争、それも熱核戦争の危険までが深まっている。

これは、専制主義以外の何ものでもないのではないか。自分が専制主義をやりながら、「民主主義 VS 専制主義」を掲げ、世界中を「新冷戦」、そしてウクライナ戦争に駆り立て、落とし込んでいる。これ以上に破廉恥で悪質な専制主義はない。

世界最大、最悪の専制主義国家、米国を覇権の座から引きずり下ろす時が来ているのではないか。そのために、「新冷戦」の最前線に立たされている日本がどうするかが問われていると思う。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』
『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
最新刊 月刊『紙の爆弾』2023年3月号