チェルノブイリ30年──国家の狂信、現実の忘却

1986年4月26日から30年目を迎える。あの事故は近隣住民以外の世界の人々の頭の中では「歴史」になってしまっているのではないだろうか。旧ソ連、現在のウクライナで発生した「チェルノブイリ原発事故」である。

◆「原発=核発電」は狂信的な国家意思の象徴

Fukushima2016

記憶の中では「歴史」となっても、事故地では今日にいたるも放射能漏れを防ぐ作業が継続している。事故後原子炉を封じ込める為に作られた「石棺」と呼ばれる構造物が内部からの強力な放射線によりボロボロに劣化し各所にひびが入り危険な状態となったので、ウクライナ政府は巨大な「第二石棺」を建設中だ。

思い起こせば爆発したチェルノブイリ原発4号機は「運転中」ではなかった。しかも福島の様に地震や津波と言った自然災害が原因でもなかった。運転停止中に外部電源喪失に対応する非常時用発電系の実験を行っている際に、原子炉出力管理のコントロールミスから事故が発生したと言われている。つまり「人災」であったわけだ。

Fukushima2016

つい最近、事故後に現地を取材したジャーナリストは「事故直後ソ連の政府は何をやったと思いますか。なんと兵士にソ連の国旗を持って原子炉の上に行かせ立てさせたというのです」と俄かには信じがたいエピソードを教えてくれた。それほどどの国にあろうと原発=核発電は狂信的な国家意思の象徴であることの現れであろう。

◆1975年の戦後日本を思い出してみる

30年経過すれば、たいがいの事は「歴史」になる。本当はその事件や事故が終わらずに不可視な形で継続していても体に痛みを伴う直接被害者や、事故により生活全体を破壊された人びと以外は容易に「現実」を「歴史」と見まがう。

Fukushima2016

私は1975年を思い出している。言うまでもなく敗戦後30年目の年だ。戦地に赴いた元兵士や銃後を支えた明治生まれ、大正生まれの人びとがまだ多く生きていた。皇国史観で教育を受けながらいきなり「民主教育」への転換を経験した人々が丁度子供を産み育てている頃だった。「戦争」が話題になることは私の周りでも、珍しいことではなかった。でも「戦争反対」を語る人も「戦時中の苦労」を語る人、または懐古的に「日本軍の雄姿」を語る人、いずれもそれは「思い出物語」としてであって「今は違う」が無言の枕詞になっていたように思う。

◆「ソビエト」の消滅──原発事故は国を亡ぼす

チェルノブイリ原発事故は、2016年の日本から回想すれば2つの事を示唆したいたのだと今更ながらに思う。

Fukushima2016

1つは「原発事故を一度起こせば人間の力では対応が出来ないことだ。そのことは、事故後30年経過するも「第二石棺桶」建設を余儀なくされているウクライナの姿が事実をもって示している。あの巨大なドーム状の構造物さえ、また何十年かすれば劣化を余儀なくされ、「第三石棺」、「第四石棺」の建設が行われることになるだろう。

そしてもう1つの重大な示唆は「原発事故は国を亡ぼす」ことだ。これは文字通り「国が無くなる」、「国が崩壊」することを意味する。1986年4月「ウクライナ共和国」は「ソビエト社会主義共和国連邦」を構成するひとつの「共和国」と称されていたが実態は「ソビエト」の中の一地域である。

Fukushima2016

「ソビエト」は当時、米国と世界を二分する東陣営の巨大な指導国であり、モスクワやクレムリンが陰に陽に世界に発する力は絶大であった。「東西冷戦構造」は西側のNATOと東側のワルシャワ条約国機構が特に欧州では隣接し合いながら、「核戦争」の危機を抱え、日々緊張の壁を境につばぜり合いを続けていた。

その価値判断は横に置くとして、時代は「東西」という相いれない二極が不思議な均衡を保ちながら世界を支配していたのだ。ところが「東側」の親玉「ソビエト」は崩壊してしまった。1991年、チェルノブイリ原発事故から5年後のことだ。この事実を福島第一原発事故発生から5年後の今日、私たちは極めて重大に受け止める必要があるのではないか。

Fukushima2016

「ソビエト」崩壊の序章を、ミハエル・ゴルバチョフが大統領に就任後打ち出した「ペレストロイカ」・「グラスノスチ」などの「開放・改革路線」、「新思考外交」との見立てるのはおそらく間違いではあるまい。

しかし「東側世界連鎖崩壊ドミノパズル」には「チェルノブイリ原発事故」のピースを欠くことは出来ない。ゴルバチョフは確かにホーネッカー率いる東ドイツの崩壊(=東西ドイツの統合)へ内々に「許諾」を与え「ソビエト」以外の国への支配を急激に弱めていったが、「そうせざるを得なかった」事情のひとつが「チェルノブイリ原発事故」だったのではないかと指摘する専門家は少なくないし、私も同意する。

歴史の「教示」や「示唆」は事後になれば解読がいともたやすいが、同時間にあって正確な解析は困難を極める。そして歴史はそれ自体が教訓化されることを望んでもいる。

◆フクシマ以後──この国を待ち受けているもの

私(たち)は今どこへ向かっているのだろうか。世界を二分する勢力の頭目、政治力と軍事力、総合的な影響力と「何があっても壊れることはないだろう」と思われていた巨大国家「ソビエト」を消滅せしめた一因のチェルノブイリ原発事故。

そして4機の原発爆発を起こした、福島第一原発事故を当時「ソビエト」の領土の約60分の1で受け止めている日本はどうなるのだろうか。ゴルバチョフはチェルノブイリを隠蔽しようと画策したが無駄だった。民主党から自民党へと続く日本の政権は「事故収束宣言」(野田)「アンダーコントロール」(安倍)と平然といいのける。4年後には東京でオリンピックを開くという。日本には当時「ソビエト」が従えていたような経済ブロックも実質上の従属国もない。日本はひたすら米国に隷属するのみだ。

歴史を「ソビエト」の先例にあてはめてみよう。日本を待ち受けているのは「さらなる繁栄」や「より幸せな生活」だろうか。「祝賀に沸く東京オリンピック」は現実のものとなり得るのか。残念ながら私にはそのイメージを描くことが出来ない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

ヤクザの被災地救援は「反社会的」行為なのか?──「夕刊フジ」報道の傲慢

重い筆をとるときが来たようだ。ヤクザを擁護し、知り合いのいる「夕刊フジ」を攻撃しなくてはならない。

4月21日の「夕刊フジ」には、神戸山口組系暴力団が救援物資を配り始めたことが「復興利権」を狙うものだと書いてあった。この傲慢な記事は、斬りようがいくらでもあるが、まずは昨年の年末に北九州の小倉、つまり工藤會の足元に行ったときのレポートから展開しようと思う。

小倉の街並み

小倉は、いうまでもなく工藤會が支配してきた町だ。この町では工藤會をターゲットにまずは警察が徹底的に組員をマークし、特定危険指定暴力団として認定された。僕に言わせれば、これは後に山口組を切り崩したいがために試験的に「与しやすい」暴力団を狙ったにすぎない。つまり工藤會を攻めたのは、山口組を切り崩すためのモデルケース作りだ。

事実、福岡県警なんて警察庁には信頼されていない。だから警察庁は、多くの人員をこの小さな小倉に送り込んだ。僕はヤクザとも警察のエリートとも同等につきあうが、どうひいきめにみても、福岡県警とヤクザの癒着ぶりは目にあまる。腐っているといってもいいが、これは尊敬すべき先輩の宮﨑学氏の領域なので深くは追わない。

また、警察の警戒が強化する中で、工藤會は飲食店からみかじめが取れず、スナックなどは警察が来るときには「暴力団排除」標章のシールをドアに張り、工藤會組員が来るときはそっと外すして店内に張るというわけのわからない行動をとらざるえなくなった。

「かなり平和になった」といわれているが……

小倉では、バスに乗っても「暴力団は予告なくやってきます」と注意勧告のアナウンスが流れてくる。そんな街中でスナックで、ホステスのA子さん(仮名)は言う。

「本音と建て前はうまく使いわけないといけない。暴力団は確かに悪いと思うけれど、それを理由にヤクザにたかりすぎた福岡県警はやりすぎた。なにしろ好き勝手に飲んで喰って、工藤會のツケにして帰っていく。これでは町はいつになってもヤクザか警察、両方の支配下に置かれることになるわ」

人々は工藤會を恐れて小倉への旅行をパスする。だが僕にとっては古いつきあいのある組員がいる小倉は落ち着く。熱海は、稲川会に知己があるのでさらに落ち着く。新宿・歌舞伎町は極東会の知人が多いので安心は安心だが、いつ何時、トラブルに見舞われて力関係が変わるとも限らない。
「それじゃ密接交際者じゃないの」と揶揄するなかれ。警察ともヤクザとも仲良くするのがジャーナリストの生きる道なのだ。

そして今、小倉のカメラ店の店主の言葉を借りれば「かなり平和になった」という。だが警察が力を誇示してかろうじて成り立っている平和など、クソくらえである。事実、刑事が無料でスナックで飲んでいるのを目撃した。金を払うそぶりすらない。
「俺が来てるから、工藤會が来れない。用心棒代をくれ」と彼ら刑事は臆面もなく言ってのける。
これこそ「利権」じゃないのか、ええ?

小倉のスナックで話を聞いた

本題に戻す。震災だ。緊急事態なのだ。政治が悪いなどといっているときではない。国民がひとつにならないといけないときに、神戸山口組系組員が被災者に食料や水を配って何が悪い?!

たとえば衆議院議員の先生がたたちが何人、熊本に入って食料を配ったのか? 日ごろから耳ざわりのいいことばかり言っている地震学者たちが「当たりませんでした」と熊本まで土下座に来たのか? 偉そうに講釈をたれる僧侶が何人、車を飛ばして熊本に入ったのか? そんな中、ひとまず民衆のために食料を配るヤクザは、行為自体を評価すべきである。

いうまでもなく、戦後、不良の在日朝鮮人や中国人から国民を守ったのは、今は嫌われまくっているヤクザたちだ。ヤクザたちが原点に返って、食料支援をしている。これは、義侠心からなせることだ。復興利権だなんだという前に、マスコミはおにぎりのひとつでも配りに来たほうがいいんじゃないのか? 恥を知るべき腐れ右翼メディア、汝の名は「夕刊フジ」である。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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この春オススメ!妖艶系「人妻もの」AV女優はこの3人!

なんと鹿砦社の松岡社長が「鹿砦社通信」でもドシドシAVを紹介してもいいという。誰にも頼まれないのに年間、365本ものAVを見ている自分、多摩川三郎としては、趣味=仕事につながるありがたい機会だ(涙)。

さて、今、AVの業界は「人妻もの」じゃないと売上がたたない。陵辱もの、SM、寝取られもの。もはやうぶ声をあげて30年以上たつこの業界でそれなりに「ジャンルが淘汰」されてきた。その結果、〝人妻もの〟が残るなら、それはそれで「人類の欲求」というものだ。とりわけ、今回とりあげる3人は「年齢が不詳」ゆえに妖艶さで成功しているという種類の女優たちだ。本当に見た目だけでは年齢がわからぬ。40歳と言われても35歳といわれても、28歳といわれても納得の不思議系女優たちのマジックセクシーワールドを紹介しよう。

◆かすみ果穂「夫の親友に犯され感じてしまった私…」

「夫の親友に犯され感じてしまった私… かすみ果穂」(溜池ゴロー)

まずはかすみ果穂。この女優は、05年に「かすみ果穂 Debut 」(SOD)からデビューした「かわいい妹系」の女優だ。かすみチャンは賢くて(当社比)、ラジオのDJもこなす。確か2011年に『品川近視クリニックpresentsかすみ果穂ナイト』という番組を展開し、蒼井そらやみひろなど、テレビに出まくる「アイドルでセクシー女優」路線に行くかと思いきや、4月末での引退を発表してしまった。うーん至極残念。

かすみ果穂はテレビから派生した「恵比寿マスカッツ」のメンバーでもあった。「おねがい!マスカット」の番組開始から1年半後の09年10月に3期生として加入し、シコを踏みながら繰り出す下ネタで中心メンバーの一角となった。だから、今後、リリースされる作品があったとしても、それは果穂チャンが「過去によがったもの」だ。「夫の親友に犯され感じてしまった私… かすみ果穂」(溜池ゴロー)は、夫に内緒で不倫相手にじょじょに濡れているプロセスがいやらしい。とくに騎乗位でジワジワと少しずつ、前後に腰を揺らせるテクニックには熟達した「女のサガ」を感じさせる。嗚呼、それにしても引退を撤回してほしいっス!(いやマジで) 

◆秋山祥子「僕の妻を寝取ってください。」

「僕の妻を寝取ってください。 秋山祥子」(MOODYZ DIVA)

つぎに「年齢不詳」で、妖艶さをかもしだし、フェロモンむんむんの女優は秋山祥子だ。秋山は「MIJYUKUな果実」(スパイスビジュアル))で2009年7月にデビュー、翌年12月いっぱいで早くも引退するが、後に復活する。いわゆる〝美しすぎる市議〟として話題になった藤川ゆりのそっくりさんとして「フラッシュ」のグラビアに登場したこともある秋山は、なんといってもアスリートばりに鍛えた太腿から尻にかけてのフォルムが美しい。二本の脚は、まるで別な生き物のように男優を挟みこみ、その腰はせり上がる悦楽とともに、いつまでもベッド上の満足を得るまで、のたうつ。彼女のベストはやはり、設定も優れている「全裸生活を強要されて…。」 (MOODYZ DIVA)だと思うが、ややSMチックなので、「僕の妻を寝取ってください。 秋山祥子」(MOODYZ DIVA)をオススメしよう。

◆波多野結衣「不倫妻野外露出」

さて、ラストはもはやベテランの域に入ってきた波多野結衣だ。
08年に、「ZERO 素人以上、女優未満 07」でプレステージからデビューした結衣チャンは、昨年、映画のオファーがあり「サシミ」(監督: パン・チーユエン、台湾)に出演、演技力を見せつけた。

「不倫妻野外露出 波多野結衣」(バミューダ/妄想族)

そして今もなおバラエティ番組に出ている。僕は「第二の飯島愛」が出現するとしたら、自分の言葉で話せることもできる彼女だと思う。及川奈央でもなく、蒼井そらでもない、また別な個性の元セクシー女優の到来だ。だが今はまだ計算されたバラエティ番組の彼女よりも「服を脱いだ状態」の美しい肢体に身をゆだねたい。ツンと上を向いたヒップを惜しげもなくさらす結衣チャンの「今」は刹那であり、幸せだ。

彼女の演技力と妖艶さは、たとえば団鬼六の世界をふんだんに再現した「屋根裏の恋 波多野結衣」(アタッカーズ)のムチで打たれつつも好きな男性への表現をヨダレをたらしながら魅せるシーンで確認できる。

だがおそらく最近だと「RIZAP」ばりにかなり体を鋭く絞っており、直近のスレンダーな彼女を見たいなら「不倫妻野外露出 波多野結衣」(バミューダ/妄想族)がいいだろう。いずにせよ、さてさてこの春もまた、フェロモンむんむんのAVがたくさんリリースされる。諸兄も「自分だけの抜ける作品」を探索してみよう!

(多摩川三郎)

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新スター作りの難しさ、高橋三兄弟、長男は王座奪取成らず!

スターを作りだすのは難しいものだ。人気・実力が伴わなければならない。マイナーと言われるキック競技で人材は集まり難く、有望な選手が出現しても順調に成長するとは限らないサバイバルマッチの世界。その底辺から育成して、ようやく数年に一人の逸材が生まれてくるのでしょう。

ムエタイ仕込みの蹴りに苦戦ではないだろうが、村田のペースにはまる高橋一眞

今や那須川天心を先頭に、身体の成長期にムエタイを習った十代の逸材が幾らか存在しますが、30歳を超えてデビューして開花する選手も少々ながら存在します。格闘技の経験が無くても十代から何かスポーツを続けていて、それで何かひとつでも技を持っていれば、活かせる要素を持ったのがキックボクシングかもしれません。勝ち上がれるとは限りませんが。

過去2戦になかった村田の威圧感

注目の次代を担う高橋三兄弟、大阪の真門ジムで元NKBミドル級チャンピオンの若生浩次会長の下、鍛え上げられた三兄弟の次男・亮は昨年12月に先に王座奪取しましたが、長男・一眞は亮に続けず、昨年6月の夜魔神戦から試練の戦いが続いています。

パンチ連打でラッシュが得意の高橋が逆に打たれる

期待を掛けすぎるとプレッシャーがキツくなるかもしれませんが、高橋三兄弟はそういう期待と運命を背負って走り出しました。キック業界にはいろいろなタイプの選手がいるだけに交流していくことも大事でしょう。閉鎖的と言われたこの難しい団体が変わりつつある現状で、世代交代を担ってもらいたいところです。

◆武士シリーズ vol.2 / 4月16日(土) 後楽園ホール17:30~21:10
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

大心vs洋介。「皆さん、僕負けると思ったでしょ、僕がいちばん負けると思いました」。不利な状況から逆転に結び付く前

一眞は長引くとスタミナ切れの欠点は変わらず。村田裕俊はタイ修行した成果を活かせるか注目の中、蹴りの技術よりはその修行の経験値で距離感や蹴りのタイミングが活かされ、後半に入ると首相撲でも組負けない村田。

最後の勇姿。チャンピオンには成れなかったが

3ラウンドには村田のローキックでダウンを取られた一眞、バランスを崩しただけのダメージは無さそうだが印象の悪い倒れ方。劣勢に陥った選手が少ない時間で逆転するにはパンチしかないパターンで一眞は再びラッシュするも村田の主導権を奪った流れは崩せず、村田の戦略勝ちで、2~3ポイント差で村田が雪辱し、王座奪取しました。

大心はラストファイトと宣言しての登場。動きもいいとは言えない中、2ラウンドには洋介の右フックでダウンした大心。ところが第3ウンドには大心が逆に連打の中、右フック一発で逆転KO、驚きの逆転の結末でした。

◆第13代NKBフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.高橋ー眞(真門/57.1kg)vs 3位.村田裕俊(八王子FSG/57.05kg)
勝者:村田裕俊
0-3 (主審 前田仁 / 川上 46-49. 佐藤友章 47-50. 鈴木 47-49)

◆ライト級5回戦

NKBライト級3位.大心(SQUARE-UP/61.2kg)vs 同級8位.洋介(渡辺/61.05kg)
勝者:大心 / TKO 3R 0:42 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 馳大輔

◆ウェルター級3回戦

NKBウェルター級4位.稲葉裕哉(大塚/66.55kg) vs 6位.SEIITSU(八王子FSG/66.45kg)
引分け / 0-0 (主審 川上伸 / 馳、前田、佐藤友章とも30-30)

◆68.0kg契約3回戦

NKBウェルター級8位.野口大輔(テツ/67.6kg)vs 9位.塚野真一(拳心館/67.75kg)
勝者:塚野真一 / TKO 1R 2:14 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 鈴木義和

◆フェザー級3回戦

NKBフェザー級8位.坂本秀樹(大塚/56.7kg)vs 9位.安田浩昭(SQUARE-UP/57.1kg)
勝者:安田浩昭 / KO 3R 1:52 / テンカウント

次回、武士シリーズ興行は6月19日(日)後楽園ホールで、メインイベントは2月にゴンナパー・ウィラサクレック(タイ)に敗れた大和知也(SQUARE-UP)。再び大和魂を見せるため与えられた試練に、翔センチャイジム(センチャイ)と対戦。翔はムエタイオープン・ライト級チャンピオンで、4月3日にWMC日本ライト級チャンピオンになったばかりの選手。乱立する中でまた出来たばかりの国内王座ですが、センチャイジム所属の選手はセンチャイ会長の下、当然ながらムエタイ志向のしぶとい技術を持った選手ばかり。大和知也にとってNKBの面目に懸けて負けられない試合となります。

連盟マスコットガールの折原陽子さん(右から3番目)が所属するグループ「リーブルエール」の仲間に囲まれた村田新チャンピオン

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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熊本大震災への支援対応に表れた熊本出身タレントの明暗

熊本大震災への支援を呼びかけ、自ら行動する熊本出身の芸能人が続々現れている中で、その対応の実態をめぐってタレントへの評判の明暗が分かれてきた。

まずは「暗」から紹介しよう。さっそく震災直後に、テント暮らしを始めざるを得なかった井上晴美に対して「井上晴美に露天生活を書かせたい」と「週刊ポスト」の編集者が企画を上にあげたようだ。だが「今さら井上晴美?」と企画は通らず、残念至極。

同じくご当地のヒロシは、駆けつけようとしたが、自らが経営するカラオケバーの売り上げが足りずに「出張版ヒロシバー」を企画したが、スタッフに「顰蹙を買うだけ」と却下されている。しかし自分の車で支援に向かったというから「故郷への愛」が勝ったか。

レイザーラモンRG(レイザーラモン)は相棒に「すぐに熊本へ行ったほうがいい」と言われるも「なにか番組がくっついてないと金がもったいない」というやりとりをして、これが地元のファンに伝わり、好感度を下げたようだ。「いますぐに駆けつけたいが無力で」と報道陣の前では涙して見せたが、実際には仕事スケジュールを優先したものだから誤解しないように。

◆感謝の声が絶えない上田晋也、井手らっきょ、コロッケ

他方、お株をあげたご当地タレントは、お笑いのコンビ『くりぃむしちゅー』の上田晋也。サンドイッチマンの伊達みきおに必要な物質についてメールするとこれが拡散され、水やインスタントラーメンなど生活必需品が殺到。「おかげで助かりました」と現地の被災者から感謝のメールが殺到した。

同じく井手らっきょは『とにかく命だけは守って下さい。余震にもくれぐれも気を付けて下さい。今は無事を祈る事しかできませんが、頑張ってください』とブログで書いていたが、「熊本出身の野球チームを」でバラエティ番組のオファーがあり、景気がよくなりそうだ。

コロッケもご当地タレントだ。益城町の避難所を訪れ、被災者にのり巻き約千個とパン約1500個を贈るなどして感謝と喝采を浴びた。 熊本の市役所関連から「ぜひコンサート」をというオファーがあったとか。

かくも明暗が分かれたご当地タレントだが、窮地にはタレント性というより「人間性」でいざというときの対応力が問われるのかもしれない。

(伊東北斗)

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「取締り」という冤罪からわが身を守る法──警察にひと泡吹かせたAさんに学ぶ

長い間、ブログをやっていると時たま、おもしろい投稿が来たりする。先月、こんな投稿がAさん(都内在住)から来ていた。警察との戦いの様子が仔細にみてとれる。

◆「そこの自動車すぐ止まれ。バカ野郎!」と突然の罵声

20代始めにバイクの免許を取り、社会人になって普通自動車を取りました。スタンダードな免許ライフだと思います。若い頃は取締りをうければ素直に反則金を払っていました。ですが、ある取締りをうけて以来「警察官は敵だ」と認識するようになりました。反則金を払うのも、青切符や調書にサインするのも敵の利益になります。

そう考えるようになってから受けた取締りのことを聞いていただきたく筆を取りました。

ずいぶん昔の話です。高速道を快適に走っていました。他の自動車を抜くこともあれば、抜かれもするぐらいの速度です。

突如、罵声が浴びせられました。
「そこの自動車すぐ止まれ。バカ野郎!」
ルームミラーには覆面が映ってます。

カッとなってフルブレーキで止まりました。自動車を路肩に移動させ、停止させると、車検証と運転免許を持って、指示に従って覆面の後席に乗り込みました。

警官は車検証と免許証を見ながら書類を作ります。いわゆる赤切符(保管証)と取調調書です。調書は警察官が検察に提出して「被疑者はこんな悪い奴だ」と納得させる書類です。当然、一定の説得力が必要です。

警官 「目的地はどこ」
  「××です」

書類が書き上がりました。

警官 「これでいいね、署名して」
  「イヤです」

◆交通警察官と対峙する時、絶対に必要なのは「正直」です

車内はすでに真っ黒い雰囲気が漂ってます。
交通警察官と対峙する時、絶対に必要なのは「正直」です。警察官も手間を省くため自分の主観で書類を作ります。思い込みをほっといて書類を作らせると、とんでもないものが出来上がります。

書類が書き上がった時、「ここに『○○に急ぐため速度を超過していた』と書いてありますが、別に急いでません。書き直してください」
このやり方で56枚書かせて署名拒否しました。

◆警官の決めゼリフは「裁判になりますよ」

次に印字された数字を見せられました。当時は「追跡」と呼んでパトカーや白バイが一定時間、被疑者と同じ速度で走り計測していました。その数字が記され「以上の速度で走行しました」と署名欄があります。署名すると認めた事になります。

警官 「この速度で走ってましたよね。署名してください」
  「できません。だって、これ覆面の速度でしょう。私がどうかは判りません」
警官 「速度計ぐらい見ているでしょう。覚えてないのですか」
  「前見て走ってますよ。おまわりさんこそ、速度計見つめて走っているのですか。死にますよ」

警官の決めゼリフに「裁判になりますよ」がありますが、どうせ裁判になる速度でしたし、こちらも一度は交通裁判を受けた身。内容は知っています。

速度欄に署名無しで済ませるわけはないらしく、警察官は道路管理の自動車を呼びました。到着するまで二時間ほどかかりました。さすがに飽きてきて「もう行って良いですか」とたずねても「もう少し待ちなさい」と制止されます。

◆警察の交通取締りは自白あるいは運転者への押し付けによって成り立っている

「住所氏名不明」「逃亡」「証拠隠滅」の三つがそろうと逮捕条件が成立します。「逃亡した」とか言われてもイヤなので、管理者が来るのを待ちました。いま思い返せばパトカーの中でウンコしてやれば良かったと思います。

パトカー内で待っていると、明白な速度違反の自動車が横を通り過ぎていきます。
「あれは速度違反ですね」と私が指さすと、
「だからなに? あなたみたいな警官がいるから事故が減らないんだ」

この後、警察に呼び出され、試験場で悶着があったのですが、結果から言うと罰金、免停等一切無しとなりました。

警察の交通取締りが、自白あるいは運転者への押し付けによって成り立っている事例かと思います。

もし、よろしければ検察庁でうけた扱い、試験場での出来事も述べさせていただきたいと思います。

(Aさん・都内在住・56歳)※記事にはAさんの許可を受けて、少し手を入れた。

これは、警察に逆らっても「よし」となった希有なケースだ。機会があれば、追加原稿をもらおうと思う。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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世界最大のイスラム教国インドネシアと日本を結ぶ「ジョヨボヨ王の大予言」

世には様々な伝説、予言が存在する。週刊誌の後ろに載っている恋占い、神社のおみくじから辻占(つじうら)まで。キリスト教新約聖書には千年紀の最期にイエスが降臨し、すべての死者がよみがえり神が王国を築くとある。

ノストラダムスを引き合いに出すまでもなく、こうした予言は大抵が戯れ言であり、実現したとしても「これは、あのことだったんだ」とつじつまをあわせる程度である。しかし、疑いがつけいる余地もなく、絵に描いたように予言が実現したら、どうだろう?

◆ジョヨボヨ王が12世紀に予言した「白い人」と「黄色い人」の戦い

12世紀インドネシアの予言者ジョヨボヨ王の肖像画

インドネシアには「ジョヨボヨ王」の予言が伝わっている。 ジョヨボヨ王(Jayabaya ジャヤバヤ)とは、12世紀に現在のジャワ島、クディリ王国で実在の人物である。ジョヨボヨ王が書き残した民族叙事詩『バラタユダ』として伝えられ、東南アジアで多く上演される「ワヤン・クリ」(影絵人形劇)で取り上げられるエピソードも多く含まれている。

ジョヨボヨ王の予言の中にきわめて興味深い文言が見て取れる。
「わが王国に混乱が生じる。どこからか現れる白い顔の人に長期に支配されるであろう。彼らは魔法の杖を持ち、離れた距離から人を殺すことができる」

予言には〈支配からの脱出〉として、2つの部分で触れている。

「北の方から黄色い人が攻めてきて、白い人を追い出し、代わって支配するが、それはトウモロコシ一回限りの短い期間である」

「私たちが苦難に陥った時、天から白い布をまとった人が舞い降りてきて我らを救うだろう」

ここには暗喩も比喩も含まれない。

「白い人」とは、長きに渡って東南アジアを支配したオランダ人であり、北から来た「黄色い人」は日本人である。

いかにもネトウヨや、エセが捏造しそうな話題であるが、英語でも明白に”Japan”と記載され、ジャワ語でも記録が残っている。

◆ジョヨボヨ王の予言通り、日本軍はインドネシアから2年半で立ち去った

インドネシアは1602年のオランダ東インド会社の設立以来、植民地支配を受けた。オランダの支配は苛烈で、住民には教育を施さず、労働者として酷使し、高価な産出物を根こそぎヨーロッパに持って行ってしまった。

1941年、日本はオランダを含む連合国に宣戦を布告し、太平洋戦争が始まった。太平洋戦争の目的は幾つもあげられるが、その一つにインドネシアの石油産出地帯確保があった。

開戦の翌年、2月14日、日本軍はスマトラのパレンバンに対して空挺作戦を実施した。パラシュート部隊である。降下するのに大砲や機関銃のような大型の火器は持って行けない。約430名が拳銃や、手榴弾などの小火器でもってパレンバンを守る英蘭兵に立ち向かった。英蘭は戦車、機銃などを装備した500名の兵で対抗したが、わずか3日で壊滅させた。

文字通り「白い布をまとった人たち」が天から降臨したのである。

熱帯の真っ青な空を降りて来る純白のパラシュートを見て、インドネシア人は「ジョヨボヨ王の予言」を思い出して狂喜したという。日本軍は3月にはジャカルタを占領。歓呼の声と、後にインドネシア国歌になる「インドネシアラヤ」で迎えられた。350年を持ってしたオランダ支配は日本軍の攻撃、わずか1ヶ月で終焉を迎えたのである。

戦局が日本不利になり、太平洋戦争が終結して2日後、8月17日、インドネシアは独立を宣言。オランダは再進出を計画したが「かつて猫のようだったインドネシア人は虎になっていた」と苛烈な抵抗によって独立国としての地位を勝ち取った。
ジョヨボヨ王の予言通り、2年半で日本はインドネシアから立ち去ったのである。

ある国を「反日国」「親日国」と分別するのは無意味であるし、時には危険でもある。だが、日本が国政として「親米国」であるように、インドネシアは政治的にも親日的であるし、人心も日本派が多い。

◆千年前の予言で繋がる

日本が抱える国際的な問題として、いわゆる従軍慰安婦問題がある。韓国では国際問題として取り上げ、オランダでも問題視する議員がいる。日本軍占領地であったインドネシアも同じ問題を抱えていたが、1995年に設立された元総理・村山富市の「女性のためのアジア平和国民基金」により解消してしまった。

これは被害者が特定された場合、首相の「おわびの手紙」とともに、一人当り200万円を渡し、不確定の国には、その国に対して基金の支援により女性関連施設や機関が作られた。韓国、オランダなどではこれを拒否したケースがほとんどだったが、インドネシアではスムースに進み、トラブルには発展していない。

また、伝説ではあるが、2004年、13万人の死者を出したスマトラ沖地震で、各国の支援部隊が現地へ入り、救護、治療に当たっていた所に自衛隊がテントを設営すると「日本軍が助けに来てくれた」と被救護者が集中してしまったという。

1997年、アジア通貨危機でも日本は一国でIMF(国際通貨機構)を上回る援助をアジア諸国に与え、日本のいわゆる「失われた20年」の間にもインドネシアは年間5%の経済成長を続け工業国へと変貌を遂げつつある。

日本人からすればインドネシアは東南アジアの一国に過ぎないが、現実は人口2億4,000万人。インド、中国、アメリカに次ぐ人口大国であり、世界最大のイスラム教国にして、有数の親日国なのである。

その奥底には千年も前の「ジョヨボヨ王」の存在があったのは、インドネシアにとっても、日本にとっても幸いである。

(伊東北斗)

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党幹部が続々亡命で囁かれる北朝鮮崩壊へのカウントダウン

韓国政府は4月12日、北朝鮮で対南工作をしていた偵察総局の大佐が昨年、韓国に亡命していたことを明らかにした。ほかにもアフリカに駐在していた北朝鮮外交官や中国にある北朝鮮レストランの従業員たちが集団で韓国に亡命しており、韓国内では「北の崩壊が近いのではないか」という見方も強まっている。

「金正恩政権が発足してから、地位も金もある北朝鮮のエリート幹部が続々と韓国に亡命しているのは異常事態。今回の偵察総局大佐はサイバー攻撃や破壊工作を担う秘密工作機関の責任者で、北朝鮮の内部情報を売る代わりに今後の生活を保障してもらう道を選んだのではないか」

ある韓国紙ではこんな内容のコラムがあったが、これに対し北朝鮮は、「韓国の諜報機関による集団的な拉致事件だ」と非難した。アジア情勢に詳しい軍事評論家の青山智樹氏は「国内の食料事情があまり悪いためで、韓国の工作とは思えない」とする。

「北朝鮮は1月以来、核実験や事実上のミサイル発射実験を強行し、さらに移動式弾道ミサイル『ムスダン』の発射準備をしていることが伝えられています。ミサイルは1回の発射に億単位の金円がかかるのに加え、国際社会からの制裁も強まって、国民は日用品の入手も苦労するようになっています。そんな中、外交官や他国に滞在する人民は、いかに自国の状況が悪いかを知っていますから亡命する者が後を絶たないんです。中国もいま経済発展が著しく、それを見たら脱北を試みる傾向が強まるのは当然でしょう」(同)

北朝鮮では20~30代の若者たちが、100万人以上の餓死者を出した90年代に幼年期を過ごし「苦難の行軍世代」と呼ばれ、脱北の思いの強い世代といわれる。実際、脱北した中国の北朝鮮レストラン従業員13名も全員がこの世代だった。その世代の間では「また餓死の時代が来る」 というウワサが広まっているという。

「金正恩は独裁的な力はあっても統率力は乏しく、父親が健在でも役員の交代を進めた金正日時代と違い、正恩は任命の遅れから役職の空白期間も目立っています。権力闘争をうまく収めきれていないようで、問題があれば粛清という最終手段を安易にとっています。この1年でも党の主要メンバーが10名ほど粛清されていたという話もあります」

ただ、脱北者だからといって受け入れることには危険もあると青山氏は言う。
「脱北者は中国や韓国、タイなどで食料を略奪するゲリラとなっている例もありますし、命を懸けてサバイバルして生きてきた北に比べれば諸外国の環境はぬるいですから、マフィア化する者も出てきます。これは過去、西欧に逃げたロシア人がマフィアになってイギリスなどで社会問題化したのと似ています。特に軍人の亡命者には生きるためなら人をも殺す冷酷な者もいます。北の亡命者が増えれば、アジア全体での受け入れ問題が出てくるのは必至。それを受ける土壌が日本にあるかどうかが問題です」

日本に来られたとしても、独裁政権で集中管理されてきた人たちが、日本の一般市民に溶け込んでコンビニや建築現場で地道に働くかどうかは分からない。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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4月26日に最高裁判決!死刑が宣告された長野一家3人殺害事件の深層

犯人にも被害者的な面がある事件がたまにある。10年に長野市で起きた会社経営者一家 殺害事件もその1つだ。あまり報じられていないが、事件の「首謀者」とされて死刑判決を受けた伊藤和史(37)は被害者家族から奴隷的な拘束をされていた。知られざる一家殺害事件の深層とは・・・。

◆「首謀者」の素顔

長野市のリフォーム会社の社員だった伊藤は10年3月24日、仕事を通じて知り合った松原智浩(45)や池田薫(40)、斎田秀樹(57)と共謀し、勤務先の経営者・北村博史(仮名、享年62)とその長男・礼司(仮名、同30)、礼司の内妻・香田葉子(仮名、同26)をいずれもロープで首を絞めて殺害。現金約 416万円を奪うと、3 人の遺体をトラックで愛知県西尾市の資材置き場に運び、土中に埋めて遺棄した――。

最高裁。伊藤の判決公判が4月26日にある

伊藤が11年に長野地裁の裁判員裁判で受けた死刑判決によると、これが事件の概要だ。すでに松原は死刑、池田は無期懲役、斎田は懲役18 年が確定。「首謀者」とされる伊藤は最高裁に上告中だが、その上告審も3月29日に弁護側と検察側が意見を述べる公判が開かれて結審し、4月26日には判決が宣告される。

筆者は一昨年の秋、伊藤と初めて面会した。一家3人の命を奪った「首謀者」がどんな人物か確かめたく、東京拘置所まで訪ねたのだ。

「はじめまして。寒い中、わざわざありがとうございます」

スウェット姿で面会室に現れた伊藤は思ったより若く、くりっとした目が印象的。いかにも親しみやすい雰囲気を漂わせており、拍子抜けするほど普通の男だった。

◆何でも気さくに話すが・・・

今は東京拘置所に収容中の伊藤。獄中生活は被害者たちの拘束下にあった時より楽だという

以来1年余り、筆者は伊藤と面会や手紙のやりとりをしてきたが、伊藤は第一印象の通り、何でも気さくに話すタイプだった。出身は大阪で、中学時代は吹奏楽部。中学卒業後、高校はどこも受からずに専修学校へ進んだが、勉強についていけずに中退。その後はコックやゴミ回収員、風俗店従業員として働いた。サッカーやビリヤードなど趣味が多く、花も好きなのだという。

ただ、事件のことは当初、話しづらそうだった。

「今思えば、他に何かあったように思うんです。でも、あの時はああするしか思いつかなくて・・・」

取材を進めるうち、伊藤が事件のことは話しにくい事情は理解できた。この事件は加害者と被害者の関係が特異なのだ。

◆心身共に疲弊して耐え難い心境

伊藤が制作したポストカード (1)

大阪の風俗店で働いていた伊藤が暴力団組員の真山文剛(仮名)に因縁をつけられて暴行され、家の合鍵を取り上げられたのは05年の夏だった。以来、伊藤は真山に言われるままに養子縁組をして姓を変え、消費者金融で借金させられたり、仕事で得た金を取り上げられるように。この間、ビールジョッキで頭を殴られたり、包丁で足を刺されるなどの激しい暴行も受けていた。

そして翌06年1月、伊藤は被害者の北村親子と出会う。北村礼司が真山の舎弟だった縁だ。やがて伊藤は北村博史が営む高利貸し業を手伝わされるようになるが、08年の夏、衝撃的事件が起こる。兄貴分の真山を疎ましく思っていた礼司が真山を拳銃で撃ち殺したのだ。

その場に居合わせた伊藤は、礼司から真山の遺体の遺棄を手伝わされ、その後は博史の営む会社で働かされることに。長野市の事務所の住み込みにされ、09年からは監視カメラの設置された北村親子宅で同居させられた。

それ以降、伊藤は朝から夜まで博史の会社で働かされ、収入を得るために深夜は別の仕事をし、1日3、4時間しか眠れない日々が続く。休日も博史や礼司の付き人や運転手として拘束され、暴力も頻繁にふるわれた。「大阪の妻子に会いたい」と再三訴えたが、「真山のようになってもいいのか」と脅かされ、帰宅できたのは盆や正月、自宅が火事になった時などだけだった。

伊藤は疲弊し、逃げ出したいと考えた。だが、北村親子が高利貸し業の債務者が逃げた際に住民票の除票から住所を突き止めたのを知っていた。逃げても逃げ切れないし、家族にも危害が及ぶかもしれない。北村親子は警察と懇意にしており、警察も頼れないと思えた。

やがて伊藤は、この生活から解放されるには北村親子を殺すしかないと考えるように。翌10年には、同僚の松原も「同じ考え」だと知る。そして松原と共に同僚の池田や取引先の斎田も引き込み、犯行に及んだ――。

以上、事件の経緯は主に控訴審判決を元にまとめたが、控訴審判決は犯行時の伊藤を〈心身共に疲弊して耐え難い心境〉だったと認め、同情的だ。だが、〈殺害以外の適法な方策を選択することが可能であった〉と裁判員裁判の死刑判決を追認したのだ。

伊藤らは北村親子のみならず、現場の北村親子宅に居合わせた礼司の内妻・葉子も突発的に殺害したのだが、それがなければ死刑判決はなかったろうと筆者を考えている。

※なお、礼司による真山銃殺事件はこの事件と共に発覚し、伊藤も死体遺棄で有罪とされている。

◆「逃げるための手段だった」

伊藤が制作したポストカード (2)

「私はこれまで伊藤さんが死刑になるべきだと思ったことは一度もないんです」

そう言い切るのは、逮捕直後から弁護人を務め、400回以上の接見を重ねてきた弁護士の今村義幸だ。

伊藤は後頭部にビールジョッキで殴られた跡、左足の腿の前後と左腹にはガラスで刺された跡がある。今村によると、これらの痛々しい傷跡はすべて真山の暴力によるものだが、伊藤は「真山さんの暴力より、北村さん親子の精神的支配がきつかった」と言っているという。

「弁護士をしてわかったことですが、人はすごく弱く、とくに精神面の抑圧にもろい。伊藤さんにとっては、何より家族と会えない状態が続いたのが大きかったんです」

裁判では、伊藤らの犯行は金目当ての面もあったと認定されている。だが実際には、伊藤と松原は斎田に相応の報酬を支払い、遺体の運搬を頼むと決めており、金を盗んだのは主にそのためだった。

「お金を取り、報酬を支払うことは、伊藤さんたちにとって北村さん親子から逃げるための手段だったんです」

北村親子宅には数千万円単位の金があったのに、伊藤らが盗んだ金は約416万円だけだったことがこの今村の説明を裏づけている。

◆「感謝しております」

手紙をくれる時、封筒の表書きと裏書はいつも毛筆

伊藤は今、日々、被害者のために読経にいそしんでいる。それと共に支援者らのサポートをうけ、自作の絵をポストカードにする活動に打ち込んでいる。「伊藤和史という存在をできる限り、色々な形で残したい」という思いが創作意欲の源だ。
 
面会に訪ねると、その後たいてい手紙をくれるが、いつもこちらが恐縮するくらい丁重な謝礼がしたためられている。

〈普段、会話の出来ない私に、会話するチャンスを与えて下さり、とても感謝しております〉
〈片岡さんの大切なお時間を私と向き合うお時間として費して頂いたこと、大変に感謝しております〉

この律儀すぎる男を取材しながら、筆者は何度も自問した。仮に自分が事件当時の伊藤だったら、どんな選択をしたろうか、と。確信できる答えが見つからないでいる。

◎伊藤や共犯者たちを支援する「死刑をとめよう!長野の会のブログ 彼らと生きたい!」
http://blogs.yahoo.co.jp/yopparai_nagano/61341891.html

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)

蘇我英樹が引退──満身創痍の壮絶ラストファイト!

蘇我英樹が引退を決意し、ラストファイトの相手に選んだのは、昨年5月に激闘の末、判定で蘇我を破った大月晴明。最強で最も噛合う相手として、またリベンジも含め最高の相手となりました。

懸命の反撃、蘇我英樹

この日は蘇我の現役中で最も壮絶な打ち合いとなった試合。第1ラウンドに大月の右ヒジが蘇我の眉間辺りをカットし流血。これが精神的に焦ったか距離感が狂ったか、微妙に歯車を狂わせたかもしれない流れで、捨身の打ち合いでダメージを負った蘇我は2ラウンド半ばで脚にきたようなフラつき。懸命に打ち合いの姿勢で蘇我が出れば大月も応戦。

燃え尽きる前の捨て身のローキック

僅差で大月がリードしつつ、蘇我のダメージは深くなる一方。少しでも長く戦わせてやろうと意志が働いたかもしれないレフェリーの動きも、これ以上は無理といった感じでレフェリーが割って入ったところで精根尽き果てたかのように蘇我は崩れ落ち、3分ほど立ち上がれませんでした。

大月の爆腕の連打を浴び、立っているのが精一杯

公式戦の後、即引退式というパターンは過去にもありましたが、こんな壮絶な試合の後の引退式は過去になかったでしょう。引退式は一旦は中止かと思われる中、蘇我は落ち着きを取り戻し立ち上がって引退セレモニーに臨みました。

レフェリーが止めた途端、崩れ落ちる蘇我英樹

チャンピオンベルトの返上、役員各位より御祝儀授与、そして蘇我英樹の挨拶、「鼓膜が破れて頭の中の反響が凄いです」という状態でも周囲の仲間や役員に感謝の言葉を、やや呂律があやしい部分もありつつ、しっかり述べてテンカウントゴングを聴きました。雪辱は果たせぬも大月を褒め、感謝を述べた蘇我、すべてが激闘だったキック人生に悔いはなく、今後の天職となる転職はすでに決まっているようです。

蘇我の健闘を称え、見舞う大月晴明

スーパーキック / 4月10日(日)市原臨海体育館16:00~19:20
主催:市原ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆62.0kg契約3回戦
WKBA世界スーパーフェザー級チャンピオン.蘇我英樹(市原/61.9kg)
VS
大月晴明(元・全日本ライト級C/キックマスターズマスクマン/61.5kg)
勝者:大月晴明 / TKO 3R 2:39 / レフェリーストップ / 主審 椎名利一

インパクトある引退式となったテンカウントゴング。恩師の市原ジム小泉猛会長、蘇我、伊原代表

◆ミドル級3回戦 
日本ミドル級1位.今野明(市原/72.2kg) vs 徳王(伊原/72.1kg)
勝者:今野明 / KO 2R 2:53 / 3ノックダウン / 主審 桜井一秀
強い今野が観られた試合。バッテイングによるカットでレフェリーの曖昧なタイムストップ後、怒涛のラッシュでパンチによる2ノックダウンの後、最後はボディブローでKO

◆バンタム級3回戦 
日本バンタム級3位.阿部泰彦(JMN/53.2kg) vs 田中亮平(市原/53.1kg)
勝者:阿部泰彦 / 2-0 (29-29. 30-29. 29-28)
今年に入って3連勝の阿部。38歳になって調子が上向き気味。再度、王座を狙いたいところ。

◆59.0kg契約3回戦 
チュ・キフン(韓国/58.3kg)vs日本フェザー級4位.拳士浪(治政館/58.7kg)
勝者:拳士浪 / 0-3 (29-30. 28-30. 28-29)

◆エキシビジョンマッチ2試合

マネージャーの安奈さん、西島洋介、鈴木一成

鈴木一成(市原)vs西島洋介(元・東洋太平洋クルーザー級チャンピオン)
花澤一成(市原/12歳)vs蒲田拓真(治政館/12歳)

プロボクシング引退後、総合格闘技などに出場して世間を賑わせた西島洋介が42歳となって昔と変わらぬ風貌で登場。JBC管轄下では西島洋介山というリングネームでした。

エキシビジョンマッチは2回戦(2分制)で行われ、西島洋介はボクシングシューズを履きパンチのみの攻め、鈴木一成(47歳/市原)はスネ当てを着用でローキック、ヒザ蹴りも当てる中、西島は効いた様子はなく余裕で的確なパンチを当て軽いスパーリングをこなした表情。

蘇我英樹が引退した現在、来年の市原興行のメインイベントは誰でしょうか。今野明がこの日の弾みで再度、日本ミドル級チャンピオンの斗吾(伊原)に挑戦する道を開けば市原ジムのエースとして話題は明るくなるでしょう。

大月晴明は先月のNO KICK NO LIFE以来の試合、といっても1ヶ月弱で、1ヶ月ペースで試合をこなす選手はこのところ増えている感じです。連続で毎月試合は難しいでしょうが、ボクシングのように頭部にダメージを負わなければ安静期間も短く済み体調管理が上手くいくでしょうし、キックボクシングの創生期は試合で蹴られ殴られ、全身打撲で歩くのも困難なダメージを引きずって月2回以上試合をやっていた時代もありました。

時代の変化の中でも派閥や団体の壁は相変わらずですが、フリーのジムも幅広く興行が増えて緩やかに出場可能になったことや、科学的トレーニングやムエタイ修行、栄養学も加えて体調万全で頻繁に試合が出来る環境へ、大きく改善されてきたことが要因でしょう。

新日本キックボクシング協会の興行予定は4月17日(日)にTITANS NEOS,19、5月15日(日)はWINNERS 2016 2ndがそれぞれ後楽園ホールで17:00より行われます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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