ちょうど昨年の7月に沢尻エリカが5年ぶりに主演した『へルター・スケルター』が公開されたが、沢尻エリカの育ての親ともいえる井筒監督が「沢尻はなんであんな作品に出たんやろか。乳を見せることでしか勝負できへんかったのやろうか」「美術として背景は美しいが、内面はまったく描かれていない」と酷評したために、まったく見る気にはなれなかった。もしも近所のビデオ屋で「夏休み、旧作80円でレンタル」キャンペーンをやっていなければ、まず見る機会はなかっただろう。
それでも、蜷川実花監督が作り出す、摩訶不思議なインテリアは、映画美術的には、一見の価値があるような気がする。

主人公のりりこは、耳と眼球と女性器以外は、ほぼ全身整形であり、後遺症と、人気を維持しないとならないプレッシャーに少しずつ苛まれて、精神を壊して行く。原作を描いた岡崎京子は、りりこを奔放な女として描いたが、沢尻の奔放なプライバシーと重なり、りりこは確かに美しく妖艶に映る。それでも、自らを落ち着かせるために、セックスを重ねていき、ついにはマネージャーの彼氏までも寝取るりりこの傲慢さには、共感をもてない。映画を映画たらしめるのは、まちがいなく「主人公への共感」である。

それにしても沢尻の演技の劣化をどうして誰も論じないのか。
『パッチギ!』『間宮兄弟』で見せた才能の煌きは、いったいどこにいってしまったという感じで、蜷川ワールドに完全に流されている。たとえば、マネージャーにレズプレイを強要するシーンがあるが、まったく文脈がわからない。そう、まったく布石なしにアブノーマルな場面が連続するので、見ているほうが「りりこの奇特な行動に酔う」のである。
映画ライターに言わせると、「壊れていく」姿を演じたら、沢尻の右に出るものはいないという。確かに「1リットルの涙」(テレビドラマ)で見せた病魔に冒されながらも、人生を謳歌する姿は、演技達者として広く実力を知らしめた作品だ。

それでも、ひとつ褒めておけば、映画を成立させているのは、魔性をともなう沢尻の笑顔であり、バランスがとれた脚であり、乳房である。沢尻は「第36回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞」をこの映画でとったが、果たして本当に賞の価値はあったのだろうか。天才女優の名前をほしいままにした沢尻だが、この映画以降、出演オファーがあるとは聞いたことがない。
「彼女は、役に入りこみやすく、なかなか役から抜け出るのに時間がかかる。悪女のイメージがついた沢尻だけに、よほど役を選ばないと、嫌われる可能性がありますよ」(映画関係者)
沢尻はもう27歳だ。次回作でどんな入魂の演技を見せるか、醜聞ではなく、実力で客を呼んでいただきたいものである。

(鹿砦丸)