「安全管理体制が機能していないことが明らかになった」
太田昭宏国交相は10月15日の閣議後会見で、9日から12日までの4日間、JR北海道に対して行った特別保安監査の結果について、そう述べた。
事故や不祥事、レール異常の放置など、トラブルが続発している、JR北海道。
原因の一つに現場のコミュニケーション不足が指摘されているが、その背景に労働組合どうしの確執がある。

JR北海道には、80%強が加盟するJR総連系のJR北海道労組(約5600人)、約8%のJR連合系のJR北労組(約550人)、約2%の国労北海道本部(約130人)と、3つの主要労組がある。
最大勢力のJR北海道労組は、2008年11月から導入されたアルコール検知器に対して、「前日に飲んでいなければやらなくていい」などと言って、組合幹部が率先して拒否し続けてきた事実がある。
組合幹部は組合員に対して、他労組と飲みに行くことや、結婚式に呼ぶことを禁じるだけでなく、他労組の組合員との会話を禁じて、業務伝達も困難になることも多かった。

JR北海道労組はJR総連(全日本鉄道労働組合総連合会)系である。JR総連には「革マル派」の浸透が指摘されている。
これは、もう少し歴史を掘り起こして、把握すべきだ。
1962年に結成された革マル派の正式名称は、「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」。武装闘争による革命を唱える、いわゆる過激派と呼ばれる集団の一つだ。

JR総連の前身は、動労(国鉄動力車労働組合)である。
動労の委員長であった松崎明(故人)は、革マル派の副議長であったことを本人自身も認めていた。動労が革マルの影響下にあったことは、公然たる事実である。
動労は苛烈なストライキ闘争を展開し「鬼の動労」と呼ばれた。

だが国鉄が分割民営化されてJRになる前年に、動労は、組合員と家族を守るとして、分割民営化反対を取り下げた。
これは、革マルらしい転換である。

「過激派」と呼ばれる革命党派が中心となった全学連や全共闘による学生叛乱で、1960年代後半、学生がバリケード封鎖してストライキを強行することが、様々な大学で起こった。
東京大学では、1968年に安田講堂を学生がバリケード封鎖して占拠した。
だが、機動隊が導入されることが分かると、革マル派はバリケードから出て行ってしまった。

その後も、中核派や解放派、ブント諸派などの「過激派」が火焔瓶を使った機動隊との街頭闘争やゲリラを行うのに対して、革マル派はそのような戦術を批判し、理論学習を中心にして組織を広げてきた。他からも組織温存主義と批判されたが、革命のためには組織建設が重要であり、メンバーの逮捕などで組織を損なうのはそれに反すると、革マル派は考えていたのだ。
一方で革マル派は、中核派や解放派を相手に、お互いのアジトを襲撃し、活動家を死に至らしめるという凄惨な内ゲバを、長年に渡って続けてきた。

現在、中核派や解放派、ブント諸派が凋落する中で、革マル派は「過激派」の最大勢力だ。
公安当局が革マルを恐れるのは、その勢力の大きさだけではない。
絶対に傍受は不可能とされていたデジタル化された警察無線を、革マルは盗聴したことがある。警察のデジタル無線を聞くには、定期的に変更されるパスワードを知っていなければならず、警察にまで革マルが浸透しているのでは、という疑念さえ生まれている。

国鉄分割民営化を呑み込んだ動労は、それまで敵対していた鉄労(鉄道労働組合)などと合体して、JR総連が結成された。だがそれ以降、主導権争いが起こり、旧鉄労は分離してJR連合を結成して、現在に至っている。

松崎明は、JR総連の幹部になってからは、革マル派とは手を切ったと公言していた。JR総連は革マル派との関係を否定している。
だが、両者の来し方は、あまりに似通っているのだ。

(FY)