今年の「万年筆の日」(9月23)は、一部で意外な盛り上がりをみせていた。万年筆は文化人の高貴な道具なのであって、パソコンで書くとしても、その前の思案は、やはりブログなどとは違い、紙に書いて思案するとどこか違うのである。SF映画『スターウォーズ』に描かれる、野蛮な銃を跳ね返す騎士の剣というのと同じである。またPKデックのSF小説にも、未来の世界で万年筆を使う文化人という場面がある。

このところ、あらゆる筆記具が、ワープロとパソコンの浸透によって衰退ぎみであると言われている。また、百円均一店の盛況によって、小さな文具店は次々と潰れている。

これは、書店と同じような事情である。雑誌はコンビニやスーパーで買えるし、書籍の注文と購入はネットで早くできる。生き残れるのは品揃えが豊富な大手の書店ばかり。

また、かつて書店の経営者はインテリ親父が多く、本のことを訊けばなんでも教えてくれたものだったが、今は何も知らないバイト店員ばかりで、質問すれば「そこに端末があるので検索してください」と言われる。これでは、みんなネットで買って当然だろう。

そんな中で、文具店と書店の品揃えが豊富な大店舗は、単に物品をそろっているというだけではなく、その場に行くことで知性を刺戟する楽しい空間となっているから、足を運んでいる人も多い。

そこで特に注目なのが、万年筆である。これは都心の大手専門文具店だけでなく、カメラや家電の大型量販店でも、売り場の一角を占めている。小さな商品であるが、高級品になると家電に匹敵する値段であるから、鍵のかかったショウケースに入れられている。

この万年筆の利点は、手に力を入れて筆圧をかけなくてもペンそれ自体の重さだけで書けるため、大量に筆記しても疲れないことだ。それで最近では学校の勉強でも、安価な万年筆が使用されることがある。早く大量に書くには、鉛筆では疲れるからだ。また、鉛筆一辺倒でなくなってきたのは、パソコンの浸透により、筆記方法と器具はさまざまであるという認識が広がったからだ。つまりパソコンに衰退させられた筆記具が、それによって逆に再認識された面もあるのだ。

しかし、もともと万年筆を使用していたのは「物書き」の人たちである。愛用の一本があったり、文字の太さによって草案用とか下書き用などと使い分けたり。井上ひさし等、インクが馴染む原稿用紙を紙質からこだわって作っていた人もいる。本多勝一の名著『日本語の作文技術』も、作文の次に道具の問題に言及し、ペリカン、ウォーターマン、パーカー、など具体的な万年筆の話になっている。石原慎太郎がプラチナ愛用というのも有名な話。田中康夫がサインペンで原稿を書いていたが、テレビに出たさい万年筆の話題が出て興味を持ったという逸話もある。これだから「作家と万年筆」というテーマで展示会まで開催されもする。作家以外にも、建築家の黒川記章が設計の構想をするために書く万年筆を大量に所有していたとか、政治家とその愛用品とか、さまざまな話題がある。

そして、以前、鹿砦社の編集室で打ち合わせがあったさい、筆者がモンブランを使用しているのを見た松岡社長は、ちょっと貸してと言って書いてみると、先が金を使用しているため書き味が滑らかだと評した。もっとも松岡社長は、高価な品を色々と持っているはずだが、しかし万年筆とは使い込むほど手に馴染むもので、これはモンブランというだけでなく使い込んでいるから良いのだ、と指摘したのだった。

というわけなので、もしも未使用な方がいたら、ぜひお試しを。

(井上靜)