マスメディアが、決して報じないことの一つに、冤罪の問題がある。再審が行われて、無罪判決が出てから初めて報じる。
なぜ報じないか。有罪がどうか決めるのは法廷のはずなのに、逮捕された瞬間から、その人物を犯人だと決めつけて、徹底的に叩くからだ。逮捕される前から、それが行われることも珍しくない。

筆者が『女性死刑囚』を執筆中の頃。知り合いのシナリオライターから電話があって、近況を話す中で言った。
「膨大な資料を読んでるんだけど、林眞須美は、冤罪みたいだよ」
「ええっ!? あの人は無理でしょう」
「なんで?」
「だって、ホースで水撒いてたじゃない」
家の前を取り巻いている報道陣に、林眞須美が水をかけたことを言っているのだ。そのシーンはテレビで何度も放映されたので、印象深い。
確かに彼女を、おとなしい奥さんと見るのは難しい。だが、水をかけることと、殺人との間にはずいぶん隔たりがある。無関係だと言ってもいい。
だが、ある程度知的な者でも、そのようなイメージに意識を操作されてしまう。私だって人のことは言えない。資料を読み込むまでは、同じような感覚を持っていたのだから。

林眞須美がカレー鍋に毒物を入れたという、直接証拠はない。状況証拠も、極めて曖昧な物ばかりだ。
その中で比較的有力とされてきたのが、研究施設Sprinng-8を使った検証で、林宅で見つかった亜ヒ酸とカレー鍋に入れるために使われた紙コップに付着していた亜ヒ酸が組成上の特徴が同じである、という東京理科大の中井泉教授の鑑定である。
昨年、京都大学の河合潤教授が、中井鑑定の生データを再分析した。その結果、鉄、亜鉛、ヒ素、モリブデン、バリウムの強度比が異なり、2つの亜ヒ酸はまったく別物であることが立証された。
これを受けて中井教授は、両者の亜ヒ酸は、起源が同じであると言えるにとどまることを認めた。

ただ一つの有力な証拠が覆り、林眞須美は限りなく無実に近づいたにもかかわらず、マスメディアは一切これを報じない。もちろん報道の立場から、「無実だ」と断言することはできないだろうが、新鑑定の結果は報じるべきではないのか。

事件の1カ月後、「事件前にもヒ素中毒 関係者近く聴取」と、朝日新聞がスクープしてから、林家には報道陣が張り付くようになった。
林宅でヒ素中毒が出ているわけは、法廷で明らかになっている。夫の健治が「私たち夫婦は保険金詐欺のプロ」と言っているように、健治や仲間の男性達は入院保険金を騙し取るために、自分でヒ素を飲んでいたのだ。
そんなことも、マスメディアは報じない。それでいて、特定秘密保護法で報道が萎縮するなどと言っているのだから、笑止千万である。

(深笛義也)