「在特会」の活動や、排外主義と民族差別を煽る雑誌や書籍の流行などの「ヘイト・スピーチ」について、『紙の爆弾』でも特集が組まれたが、この背景には、極右の安倍政権下にある政治情勢と、不景気による大衆の不満、およびこれに迎合して商売する出版業界であると、既に指摘されている。

しかし、これは今に始まったことなのだろうか。
これについて、1960年代に大学生だった人から言われたのだが、その当時から、今の「ヘイト・スピーチ」は行われていたのだそうだ。

あの当時は学生運動が盛んで、その主流は左翼運動だったが、しかし、いちおう左翼用語を駆使してはいるけれど、あくまで上辺だけ。その語彙を正確に咀嚼して使用している者は極稀だった。ちょうど、今の自称保守とか自称右派の人たちが、紋切り型の言葉遣いをして絶叫するものの、意味内容はまるで解ってないのが明らか、というのと同じように。

また、いちおう左翼用語を使ってはいるが、その実質は保守性に根ざした憎悪による欲求不満の捌け口でしかなく、その程度のものであったのに、当時のマスメディア特に『朝日ジャーナル』 とか『サンデー毎日』が贔屓にし、意味ありげで熱心な政治活動であると煽り立ててしまい、あたかもその世代の主流であるように錯覚させられてしまう。まるで、今の『サピオ』などが商売で煽るのと同じであった。

そう言われて考えてみると、あの当時だって政治は保守というより右派であり、革新に勢いが有りはしたけれど、社会にしっかりと根を張ったものとは言えず脆弱だった。そんな中で学生運動が盛り上がってみたところで、どの程度のものだったのだろうかと誰でも思うだろう。

実際、もう少し上の世代で今では80歳代という人たちによる、戦後日本の学生運動発祥ともいうべき「東大医学部闘争」では、学問とかアカデミズムに対して腐敗を糺し改革を求めるものだったから、学業に対する真摯さが動機であったけれど、その後の学生運動は、権威主義を批判している体裁をとっているけれど、それは親のすねかじりたちの無責任な正義感で、ひどい場合は勉強を怠ける口実でしかなかった。

こんな調子だったから、保守的な人や無関心いわゆるノンポリの人たちだけでなく、進歩的とか革新的な志向の人たちも、学生運動に対して冷ややかだったり嫌悪感をもっていたりしており、そういう人のほうがむしろ主流だったという話は、よく聞く。

そして、当時は極左の運動に熱心だったという人たちが、しばらくしたら無関心になったどころか、「保守反動」と言えばまだ聞こえが良い、というくらい酷い差別主義者と化している者たちがゴロゴロいるわけで、それは時代の流れに迎合したとか転向とか変節ではなく、元々そうだったのだと考えれば、実に納得がいく。

今、「在特会」の熱心な活動をしていた者たちの中から、真面目な人たちの離脱が相次いでいる。本気で関心をもって参加した運動が、不謹慎かつ不真面目になってきたため、これに怒ったり嫌気がさしたりしてのことだ。

このことによっても、昔の学生運動が今のヘイト・スピーチと実質は同じだったと、その当時を直接に知る世代の人から証言されていることに、納得させられるのだ。

(井上 靜)