母が癌になった。ウチの家系で癌になった人は全くといって良いほどいなかったので、母もなるはずがない、と高を括っていた。しかしなってしまった。一寸先は闇、人の人生何が起こるかわからない。

母は手術し、大腸の半分を切除した。術後はしばらく流動食しか採れず、漏れるのでおむつをするようになった。さらに転移の可能性があるというので、医者から抗癌剤治療を勧められた。母は70歳過ぎだが、癌治療をするには若い年齢だというので、副作用も軽くあまり苦しむことはないだろうという話だった。

今まで癌治療の話を聞く度、恐ろしいものだと思わずにはいられなかった。全身の毛は抜け、吐き気と目眩に悩まされ、味覚が狂い食事も楽しめなくなり、手足のしびれが起こる。そこまでしながら、完全に回復するとは限らない。もし癌になっても、抗癌剤治療だけは受けるまい、と心に誓うようになった。

勿論上記の副作用は、誰でも必ず起こるわけではないし、一時的なものですぐ改善するケースも多い。しかし私は、そこまで辛い思いをして、みじめな姿を人に晒して生き永らえたくはないと思っていた。母は、家族の誰にも相談せずに、抗がん剤治療を受けることを決めた。

母から事後報告を受けた時、私はあることを考えていた。王貞治氏は、現役最終年に30本の本塁打を打ちながらも「王貞治のバッティングができなくなった」としてプロ野球選手を引退した。千代の富士関は優勝回数の大記録を打ち立てた翌年に「体力の限界」を語り、角界を引退した。そういった潔い身の引き方こそ美学であり、人生においてもそうあるべきと、私は常々思っていた。

抗癌剤の副作用でどれだけ苦しい目に遭おうとも、可能性を追いたい。母の決意は、野茂英雄氏や工藤公康氏を連想させた。野茂氏はプロの野球選手としての晩年怪我に悩まされ、どこの球団に所属していない状態ながら手術を受け、代名詞であるトルネード投法も捨てながら、ベネズエラやマイナーリーグで投げ、復活の機会を待った。引退した年もまだまだ続けたい気持ちはある、とした。工藤公康氏はプロ野球選手としては驚異的な47歳まで現役を続け、翌年は所属球団がないもののトレーニングを続け、現役続行の道を探った。獲得球団があれば続ける意思を持ちつつ、肩の怪我が癒えず現役続行が不可能となるまで待ち続けた。

余力を残しながら本来の自分の動きが出来なくなった時点で辞めるか、全身ボロボロになりながら最後の最後まで現役にこだわるか。どちらが正しいと言えることではない。本人がそう決めたのであれば、他人はそれを尊重して、見守るしかない。

医者に副作用は軽いと言われた母は、頭髪が抜け始め、食欲不振と倦怠感に悩まされている。それでも抗癌剤投薬は止めずに続けている。母がそれを決意したのだから、私はそれを尊重し、経過を見ていることしかできない。

(戸次義継)