多くの大学で既に推薦試験が始まっている。志望校から合格通知を受け取って一安心の受験生もいるだろう。が、この時期になっても確信を持って志望大学、学部を決めきれていない受験生もいるのではないか。それはそれで無理もない話である。大学の情報はインターネットやオープンキャンパスでかなり得ることができるが、肝心の「自分の将来像」が描けていなければ、その準備期間を過ごすこととなる大学選択は容易ではない。高校生で「自分の将来像」が描けてる生徒など一握りに過ぎず、それは企業への勤労者(会社員)が社会の中で多数を占める現代において無理からぬことである。

そこで受験生が進学先学部を決めるにあたって、参考にして頂きたい視点を以下何点か紹介してゆこう。ただし大学、学部選択の要素はこれだけに止まらない。ほかの視点からの大学選択法は近くご紹介したい。

◆大学が列挙する「資格取得」に騙されるな!

大学を無事卒業すると「学士」号が授与される。これが大学を卒業した証になるわけだが、各大学は「付加価値」を高めようと各種資格の取得(または受験資格)が可能となる課程を設けている。

一般的なところでは「教職課程」だ。文系の学部であれば中学・高校の「国語」、「社会」、「英語」などが多く、理系であれば「理科」、「数学」が主流となる。教職課程は「将来何かあったら教師になれるから」と比較的受講人数が多い。

しかしながら、将来教師を職業として目指す人以外には教職課程の取得はお勧めできない。その理由は第一に少子化が進展する中で、教員採用数自体が右肩下がりで、仮に教職免許を持っていても実際の採用試験に合格できる可能性が極めて低いからだ。第二に20単位以上の必修科目履修しなければならず、プラス教育実習、最近ではそれに加えて介護体験なども加わり、大学生として過ごせる時間のかなりを取られてしまう。大学の卒業要件は一般に124単位だが、教職課程履修者は150単位近くを習得しなければならないのだ。本気で教師を目指す人以外には無用な資格だろう。

また、「図書館司書」、「博物館学芸員」なども教職同様に設置している大学が多く、取得自体は可能だが、採用数が極端に少なく、この2つの資格を持っていなくとも図書館や博物館で働く人もいるなどほとんど取得するに値しない資格だ。履歴書の資格欄に「図書館司書」や「博物館学芸員」と書いてもほぼメリットはないと考えてよい。

これら国家資格の他にも実に様々な資格が準備されているが、資格課程を多く並べている大学ほど、本来の教育内容に自信がない、という傾向がある。大学は本来学問を究める場所であるので、予備的に供えられた資格課程に惑わされてはいけない。

◆看護、薬学、心理学を選択する際の留意点

近年、急増している「看護」、「薬学」、「心理」についても慎重な検討が必要だ。看護師不足は確かに深刻であり、「看護師」の資格を得ればほぼ就職からあぶれることはない。4年生大学の看護学部は概ね9割以上の国家試験合格率を出しているので、看護学部進学は就職へ直結と考えられる。

が、一部大学の看護学部はそのスタッフ、学生の扱い、学費などに深刻な問題がある。詳しくは延べないが、病院経営と大学経営の両輪で運営している私大には要注意大学が少なくない。また「看護学」は世界的にも未だ確固たる学問領域として確立されたと言い切れない部分があり(「看護」自体の歴史は古いが「学問」としては新しい分野である)ので、教員スタッフや大学自体についてしっかり調べたうえでの大学選択が重要だ。

文科省の方針で、医学部の新設はほぼ認められていないので、代わりに薬学部を開設する大学がここ10年ほど目立っていた。薬学部は薬剤師の資格習得を基本的には目指す学部で6年制だ。私学であれば学費も安くはない。薬剤師資格の社会的価値(マーケットバリュー)と薬学部への学費を天秤にかけるのは、あまりにも単純な比較だが、「医薬分業」(医学的治療は病院若しくは開業医で、薬の処方は薬局で)という国の施策の中、一般薬局に勤務する薬剤師の給与はどんどん下がっている。大病院や研究所、大学などに勤務していると一般の会社員より安定的に良い待遇を得られるが、大資本のチェーン店のドラッグストアなどでは時給が1500円を下回るケースも少なくない。

薬剤師免許は確かに有効な資格だが、それが豊かな収入の必ずしも保証するものではないということは、知っておいてよいだろう。

近年、総合大学でも新設が相次いで、やや過剰な感があるのが「心理学部」だ。心理学自体は欧米に比べると日本では大学で学部単位の学習の場の設立が遅れていたことは事実だ。ただ、心理学という学問の基礎知識を持ってこの学部を選択しないと、後悔が待っている。「心理学」という響きから受験生が思いつくイメージは圧倒的に「臨床心理学」に偏っている。将来の職業像も「カウンセラー」や、「臨床心理士」だろう。

しかし、「心理学部」を卒業しただけでは「臨床心理士」は取得できない。「臨床心理士」取得のためには修士号(大学院進学)が必要だ。しかも「臨床心理士」は公的資格ではあるが「国家資格」ではない。

心理学部への進学が「カウンセラー」関連の職業に直結しないことも(勿論その基礎知識を学ぶことは出来る)知られておくべきだろう。しかし純粋に学問として心理学を勉強した人は社会の幅広い分野で活躍している。

◆「グローバル」は疑え!

世は「グローバリズム」の時代だという。人、モノ、金が国境を越えて多量、急速に行き来するのが「グローバリズム」や「グローバリゼーション」らしい。大学にも「グローバル」を謳う学部が急増しているし、どこもかしこも「グローバル時代に」を枕詞に特徴を語ろうとする。でも、「グローバリズム」の本質は何であろうか。なぜ「国際化」という日本語があるのにわざわざ「グローバリズム」と言い換えるのだろうか。私の偏った見方では、大学における「グローバリズム」はたぶんこれある種の国策と一時の流行だ。確かに国外に出かける人や来日する人の数は増加している(大学の交換留学なども増加した)。

しかし、その現象は1980年代から既に始まっていた現象で、それが拡大したに過ぎない。何も21世紀に入ってから急に世界が「グローバル化」(国際化)してきたわけではない。そして近年、世間で言われるような「グローバリズム」は米国と多国籍資本主導の「新自由主義」を押し付けるとの意図が見え隠れする。大学が嬉々として飛びつくような概念ではないと思う。

「時代の要請」というと錦の御旗のように聞こえるが、意地悪な言い方をすれば「流行になびく」だけのことだ。

例えば、かつて「21世紀にはソフト開発技術者が20万人不足する」と政府が吹聴した時代があった。SE(システムエンジニア)と呼ばれる職種を中心とするプログラム開発従事者がコンピューターの能力向上と汎用化で枯渇するから、「大学はその人材を育成せよ」、と国が指令を出したのだ。しかし実際にはSEの職場に就職したのは半数以上が文科系学部出身者であった。電子工学やコンピューターを専門としない人間たちによってSEの現場は担われていた。しかしこの職種は大企業であっても過酷な労働環境がほとんどで、仕事は覚えたもののほぼ20代後半から30代半ばで使いつぶされ、体を壊す、というパターンが当たり前になった。

当時、大学では「コミュニケーション」が新設学部の流行キーワードだった。「マルチメディア」などという言葉も散々飛び交っていた。で、現状はどうだろうか。確かにクライアントの要請に応じてプログラムを作成し、調整するSEの仕事の需要は確実に存在するけれども、「BASIC」、「C言語」、「COBOL」などのコンピューター言語だけを知っていても実務はこなせない。もう古いのだ。「JAVA」が登場し、さらに次の言語が開発されるだろう。SEとして会社勤務を経験した人のほとんどが転職を経験している。

一時的な産業界の要請に人生を合わせていこうとすると、「時代」という気まぐれに梯子を外される。私には「グローバル」も似たような軽薄な流行に思われる。時代は何年も前から「国際化」が進展しているのだ。

◆「リベラルアーツ」の再発見

大学の学部名は昨今新聞紙上で問題にされるくらいに多様化している。多分その歴史の最初が「経営学部」の誕生だったろう。「経済学」でも「法学」でもなく「経営」は企業や組織の運営を労働者ではなく「経営者」の立場から科学する学問だ。家業を継ぐ予定のある受験生や、本当に「企業経営」に関心がある受験生は別だが、「経営学部」を出たからと言って、就職に有利だとか、経営者の考え方が分かるなどということはない。

「リベラルアーツ」という言葉がある。平たく言えば「広い基礎教養」とでも訳せばよいだろうか。かつて大学には必須科目として「一般教養」が置かれていたが、それよりも広い概念で人文科学、社会科学、自然科学を網羅的に学ぶことを目指すのが「リベラルアーツ」の考え方だ。

例えば、法学部に進学すれば基本的に法律の勉強をする。4年間かけて自分が専門とするテーマを絞っていき法学の中で専門を極めるわけだが、「リベラルアーツ」は言わば「広く浅く」(時には「広く深く」)知識、教養を身に着けることを目指す。やたらと細分化した学部名が増えた大学の中では「リベラルアーツ」教育を価値を見直す動きがあり、その名前を冠した学部もあるし、「教養学部」、「人文学部」などといった名前の学部はおおよそ「リベラルアーツ」志向の学部だ。

将来像が描きにくい受験生には豊かな教養を身に着ける観点から一度検討をお勧めしたい領域だ。

また、先の「グローバル批判」と矛盾するようだが、比較的社会で通りがよいのは語学関連の資格試験だ。英検、TOEFL、TOEICなどで高得点を得ておくことは単に体面上の武器になるだけでなく実際の社会生活でも役立つのでお勧めできる。

そして出来れば英語以外にもう一つ意思疎通可能な言語を習得しておくと知識吸収やコミュニケーションの幅が格段に広がる。大学時代は幸い時間にゆとりがあり、まだ脳も硬直化していない。大学の講義を受講するだけでなく、自己で外国語の習得を試みることだって可能だ。

以上述べたように、大学選択もさることながら、学部の名前である程度のふるい分けをすることが可能だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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