《NO NUKES voice》2022年こそ核兵器禁止条約に日本は参加を! さとうしゅういち

2017年8月7日、採択され、9月20日に署名が始まった核兵器禁止条約。2021年1月22日、批准・加盟国が50ヶ国に達してから90日を経過したため、発効しました。

原爆ドーム。長崎原爆の日の8月9日に筆者撮影

ガイアナ、バチカン、タイ、メキシコ、キューバ、エルサルバドル、パレスチナ、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、※クック諸島、ガンビア、セントルシア、サモア、サンマリノ、ヴァヌアツ、南アフリカ、パナマ、セントビンセント及びグレナディーン諸島、ボリビア、カザフスタン、エクアドル、バングラデシュ、キリバス、ラオス、モルディブ、トリニダード・トバゴ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、パラグアイ、ナミビア、ベリーズ、レソト、フィジー、ボツワナ、アイルランド、ナイジェリア、※ニウエ、セントクリストファー・ネイビス、マルタ、マレーシア、ツバル、ジャマイカ、ナウル、ホンジュラス、ベナン カンボジア、フィリピン、コモロ、セーシェル、チリ、モンゴル、ギニアビサウ(58ヶ国) 
※=オブザーバー参加 2021年11月ノルウェー、2021年12月ドイツ

核兵器禁止条約は、核兵器の開発・実験・生産・製造・取得・貯蔵はもちろんのこと、核兵器による威嚇も禁止しています。核兵器を包括的に違法とする初めての国際法です。また、核実験による被害者に対する援助および環境の修復についても定めている点も画期的です。

これまでも、「非核兵器地帯」は東南アジアやアフリカ、中南米、モンゴル、太平洋など各地にできています。核兵器禁止条約は、世界を対象にひろげた上で内容も充実させたものです。

わたくし、さとうしゅういちの父親は広島市内の被爆で全焼した地域に1945年の7月まで住んでいました。引っ越しが遅れればわたしは存在しませんでした。東京で過ごした小学校時代には、たまたま広島で被爆した経験をもつ先生に担任をしていただき、薫陶を受けました。高校時代には井伏鱒二の小説「黒い雨」に感動しました。そんな、わたしにとっても、核兵器禁止条約は悲願です。

◆日本政府は条約に反対

日本政府はご承知のとおり、「核兵器保有国と非核兵器国の橋渡しをする」といいつつ、アリバイ程度の国連決議を毎年の総会に提出する以外には、ほとんど何もしていないのが実態です。基本的には、アメリカの核抑止力に依存するから、何も言えない、というのがほんとうのところです。

日本政府はそもそも、核兵器禁止条約については「分断を広げる」という理由で反対をしています。その理由のひとつは、「安全保障環境」です。

◆安全保障環境は不参加の理由になるのか?

しかし、そもそも、安全保障環境は不参加の理由になるのでしょうか?

日本とほぼおなじような安全保障環境を共有している国といえば東南アジア(ASEAN)諸国です。そのASEAN諸国は核兵器禁止条約にすべて署名しています。たとえば、ベトナム。ご承知のとおり、南シナ海問題で中国とは紛争状態で、小競り合いもときどき起きています。さらにベトナムは中国と国境を陸上と接しており、過去には中越戦争も起きています。日中間の「尖閣諸島」問題どころではありません。

フィリピンについても南シナ海問題という意味では深刻な紛争を中国と抱えています。
安全保障環境は理由とした核兵器禁止条約不参加は、ベトナムやフィリピンを見る限り、成り立ちません。

欧州に目を転じてみましょう。ノルウェーがまず2021年はオブザーバー参加をしています。ノーベル平和賞の授賞式が行われることでも有名なノルウェーは、陸軍では世界最強ともいわれるロシアと陸上の国境を接しており、NATO加盟国です。

さらに、同じ第二次世界大戦の枢軸国かつ西側の経済大国という意味では日本と似たような立場にあるドイツも同条約についてはオブザーバー参加をしています。ドイツもNATO加盟国です。

ASEANをみても、ノルウェーやドイツをみても、日本政府が核兵器禁止条約のオブザーバー参加程度をちゅうちょする理由はどこにも見当たりません。

◆日本は核問題でもASEANと行動を共にしたら?

日本政府に申し上げたい。ここは核兵器禁止条約の面で東南アジア諸国と行動をともにしたらどうでしょうか?そもそも、日本の気候風土や文化は東南アジアと北東アジアの両方の要素を兼ね備えています。

すでに、中国は、2021年11月に北京にASEAN首脳を招いての首脳会議を開催しています。ASEANとの関係を格上げしています。ASEANはASEANで、南シナ海問題については、「法の支配」ということで、一致して中国に対応する一方で、経済的な関係は強化する、という現実的な対応もとっています。

日本人は長年、東南アジア諸国を自分たちより格下とみる傾向が否めませんでした。しかし、新型コロナ災害では、マレーシアに介護用手袋を依存していたために、我々介護労働者もマレーシアからの輸入がとだえ、苦労しました。日本企業がつくろうとしても、技術がないためにマレーシアに勉強にいかないといけない状況です。

また、わたし自身、現場で多くの東南アジアからの労働者と仕事をさせていただいています。

日本は、国力が落ちたにもかかわらず、アジアで盟主のように振る舞いたがり、浮いているように思えます。そのあたりが実は、本当の意味での安全保障環境の厳しさではないでしょうか?

日本人が潔く、国力低下をみとめ、東南アジア諸国とも名実ともに対等な関係にしていく。東南アジア諸国の仲間として、核兵器禁止条約にせめてご一緒させていただく。そのことを通じて「安全保障環境」を改善していく。このことがいま求められるのではないでしょうか?

もちろん、過去の選挙で野党が公約していた日本と朝鮮半島をふくむ北東アジア非核地帯も追求すべきです。ただ、日本さえその気になれば「いますぐ」実現するのは、ASEANとの統一行動、場合によってはASEANへの加盟とそれにともなう核兵器禁止条約と東南アジア非核兵器地帯への加入でしょう。

◆侵略の歴史はきちんと反省した上で日本が先頭に立とう

日本はそもそも、世界で最初に戦争による核兵器の被害を受けた国(最初に受けたのはほかでもないアメリカ自身)です。その日本が核兵器禁止の先頭に立たないでどうするのでしょうか?

「被害を受けた国が核兵器禁止に不熱心」ということは、核兵器保有国にも核兵器を維持する口実を与えてしまいます。

なお、いまだに、「日本は被害者としての側面ばかりを重視している。」という批判も、中国などからは、もちろんあります。

また、現時点でも日本を標的とした国連憲章のいわゆる敵国条項は厳密にいえばまだなくなっていません。従って、「敵基地先制攻撃論」などは、逆に緊張を高めるどころか、日本への攻撃の口実を与えてしまいます。そもそもが、第二次世界大戦に日本は敵基地先制攻撃により、参戦したのです。

核兵器禁止の訴えに説得力を持たせるには、かつての侵略の歴史については、今後とも日本は反省をしなければならない。その上でアメリカにも中国にも忖度せずに、東南アジア諸国とも連携しながら、核兵器禁止の先頭に立つべきではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈1〉「シラケの時代」がやってきていた 横山茂彦

1971~72年という時代は、どのような時代だったのだろうか。鹿砦社から刊行された『抵抗と絶望の狭間──一九七一年から連合赤軍へ』の書評でも取り上げた、連合赤軍事件50年の今日的な捉え返しである。

15年安保(6年前の安保法制反対運動を、若い世代はこう呼ぶ)以降、新しい世代が反戦運動や反原発運動に加わり、ある意味でまっさらな世代が登場した。

彼ら彼女らは、長らく日本社会を覆ってきたアパシーとは無縁で、全共闘世代と内ゲバの時代すら相対化している。清新な感性で、社会運動の歴史に学んでいるかのようだ。

しかし反ヘイト運動内部にリンチ事件が発生するなど、日本の社会運動に「伝統的な」内ゲバの病根が見られるとき、連合赤軍事件など負の過去を検証する作業は無駄ではないだろう。

まず71~72年という時代は、どういう時代だったのだろうか。72年元旦のお茶の間の風景から再現しよう。

木枯し紋次郎

◆「木枯し紋次郎」のニヒリズム

現在六十歳前後の方なら、この時代にご記憶にあるだろうか。ドラマ「木枯し紋次郎」がブラウン管に登場したのは、1972年1月1日のことだった。

シラケ世代を象徴する「あっしには、かかわりのないこって」という台詞は、単なるニヒリズムではなかった。

物語の展開のなかで「放ってはおけない」紋次郎の優しさが、事件の真実にふれさせ、哀しさとみずみずしい余韻をのこす。それは単純な義侠心や正義ではなない。ありのままの現実を直視する目撃者の視点、やさしさの希求、あるいはそれが果たせない末の諦観であろう。

そんな71~72年はおそらく、熱意と正義が失われた時代であった。ニーチェ風にいえば「善悪の彼岸」、キリスト教権力の「真理」が失われたときに「超人」の意志が求められたが、それすらも挫折する傲岸な権力の発動がそこにあった。

70年安闘争の敗北は、71年に爆弾闘争という副産物(60件以上)を生み、反体制運動は分散と混迷を深めていた。

ちょうどそのころ、群馬の山間では革命集団に凄惨な最期が訪れていることを、「木枯し紋次郎」に共感しているわれわれは知らなかった。

「木枯し紋次郎」のニヒリズムは、全共闘運動と70年安保の敗北をうけたものだ。正義はどこにもないし、闘っても何も意味がなかった。危ういことに関わり合いになると、ろくなことにはならない。政治なんて変わらないし、関わらない方がいい、という諦めへの共感だった。それはまた烈しい闘争のはてに、傷ついた心をいやす受け皿だったのかもしれない。

◆目的がわからなかった山荘占拠

紋次郎の口癖が話題になり、札幌オリンピックが閉会してから一週間後、その事件は、いきなりお茶の間のブラウン管に飛び込んできた。

赤軍派らしいグループが2月19日に、あさま山荘を占拠したのである。われわれ視聴者はもとより、捜査当局もその目的が何なのか、まったくわからなかった。山荘管理人の妻を人質に取っている以上、何らかの要求があるものと思われたが、電話線はたてこもったグループの手で早々に切られた。

やがて10日以上におよぶ「銃撃戦」が行なわれ、警官2名が死亡、民間人1人が死亡、20数名が重軽傷を負った。

山荘事件後、事前に逮捕されたメンバーの中から、自供に応じる者が出はじめた。そして捜査当局は、尋常ではないことが起きていたことを察知するのだ。12名のリンチ殺害、別件で2名の処刑という、同志殺し事件である。

われわれの知らないところで行なわれていた内部リンチ、やがてはブラウン管を独占する銃撃戦にいたる連合赤軍の闘いは、この時代のニヒリズムをいっそう拡大した。

◆分裂と内ゲバの時代

パリの5月革命をはじめとする、68年革命と称される世界的なスチューデントパワーは、69年には終息に向かっていた。

69年にブント(共産主義者同盟)が分裂し、70年には海老原君事件(中核派による革マル派学生殺害=中核vs革マル戦争の勃発)が起きている。日本中を驚愕させた、赤軍派のハイジャック事件(北朝鮮へ)。そして71年には、爆弾闘争が「流行」する。

◆狂気だったのか?

リンチ事件が発覚したとき、メディアは口をきわめて、事件を「孤立した革命集団」が」起こした「狂気の惨劇」「凶悪そのもの」「発狂寸前で行なわれた」と報じた。だが「狂気」ではなく、それが一途な思いで行なわれたところに、事態の深刻さがあるのだ。

この連載では「怖いもの見たさ」で、酸鼻を極めたリンチ事件を再現することはひかえ、連合赤軍が生まれなければならなかった必然性。その組織的・理論的な根拠を明らかにすることで、かれら彼女らの行動が「狂気」ではなく、社会運動に固有の問題であることを提示していこう。

そのことはたとえば、パワハラやモラハラが社会運動の中でこそ頻繁に発生し、運動の頽廃をもたらすことに逢着させるはずだ。

なお、略年譜をこの記事の最後に添付しますので、連載中もフィードバックして参照してください。(つづく)

連合赤軍略年譜

[関連記事]
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈1〉71年が残した傷と記憶と
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈2〉SM小説とポルノ映画の淵源
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈3〉連合赤軍と内ゲバを生んだ『党派至上主義』
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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読売新聞社と大阪府の包括連携協定、残紙問題が提示する読売グループの実態、読売に「道徳」を語る資格があるのか? 黒薮哲哉

昨年(2021年)の12月27日、読売新聞社と大阪府は記者会見を開いて、両者が包括連携協定に締結したことを発表した。大阪府の発表によると、次の8分野について、大阪府と読売が連携して活動する計画だという。特定のメディアが自治体と一体化して、「情交関係」を結ぶことに対して、記者会見の直後から、批判があがっている。

連携協定の対象になっている活動分野は次の8項目である。

(1)教育・人材育成に関すること
(2)情報発信に関すること
(3)安全・安心に関すること
(4)子ども・福祉に関すること
(5)地域活性化に関すること
(6)産業振興・雇用に関すること
(7)健康に関すること
(8)環境に関すること

(1)から(8)に関して、筆者はそれぞれ問題を孕んでいると考えている。その細目に言及するには、かなり多くの文字数を要するので、ここでは控える。

◆読売が抱える3件の「押し紙」裁判

多くの人々が懸念しているのは、大阪府と読売が一体化した場合、ジャーナリズムの中立性が担保できるのかとう問題である。もちろん、筆者も同じ懸念を抱いている。

しかし、筆者は別の観点からも、この協同事業には問題があると考えている。それは読売グループの企業コンプライアンスである。大阪府は、同グループによる新聞の商取引の実態を調査する必要がある。

結論を先に言えば、新聞販売店に搬入されている新聞の部数に不自然な点があるのだ。俗にいう「押し紙」問題である。現在、読売新聞社を被告とする「押し紙」裁判が3件起きている。しかも、東京本社、大阪本社、西部本社のそれぞれが裁判の被告になっている。いずれも販売店の元店主が、「押し紙」による損害賠償を求めている。

「押し紙」とは、簡単に言えば、新聞社が販売店に対して買い取りを強要する新聞のことである。しかし、読売本社は一貫して、「押し紙」をしたことは一度もないと主張してきた。読売の代理人を務めてきた喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)も、一貫してそのような考え方を表明してきた。

新聞販売店で過剰になっている新聞(残紙)は、新聞販売店が折込広告の受注枚数を増やしたり、本社から支給される補助金の額を増やすことなどを目論んで、自主的に注文してきた部数であるとする立場を貫いてきた。そのために残紙を指して、「押し紙」とは言わない。「積み紙」と言う。用語にもこだわりを持っているのだ。

残紙の回収風景(本文とは関係ありません)

◆ABC部数と実配部数が乖離している可能性

大阪府が調査しなければならないのは、読売新聞社と新聞販売店のどちらに残紙問題の責任があるのかという点ではない。それは裁判所の役割であって、大阪府は関知できない。

問題は、読売側に非があるにしろ、販売店側に非があるにしろ、公表されている新聞の部数(ABC部数)に疑義がある点なのである。実配部数(実際に配達している部数)を反映していないのではないかという疑惑があるのだ。

残紙を抱え込むことで、事業規模を実際よりも大きく見せていれば、広告主(折込広告、紙面広告)が経営判断を誤ることになりかねない。

調査の焦点は、読売グループの残紙である。残紙が確認できる読売の販売店が複数存在することは紛れない事実である。たとえば現在進行中の3件の「押し紙」裁判の資料を、裁判所の記録係で閲覧すれば、それは簡単に明らかになる。(誰でも閲覧可能)。

またABC部数を解析することで、ABC部数と実配部数に乖離があるかないかを推測することもできる。

次に示すのは、大阪府の大阪市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)である。着色した箇所は、部数がロック(固定)されている期間を示している。

読売新聞 大阪市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

通常、新聞購読者の数は日々変化する。しかも、「紙新聞」離れが進んでいるので読者数は極端な減少傾向にある。ところが上の表に見られるように、大阪市における読売新聞の場合、当たり前に部数がロックされている。読売本社が販売店に販売している部数が、1年から数年にわたり固定されているケースが頻繁に観察できる。
 
たとえば生野区の場合、2016年10月から2020年10月までの4年半にわたって、ABC部数が6083部にロックされている。1部の増減もない。その原因が読売本社にあるにしろ、販売店にあるにしろ、広告主(折込広告、紙面広告)は不信感を抱くだろう。PR戦略に不安を感じかねない。常識的にはあり得ない現象であるからだ。

参考までに堺市のデータも紹介しておこう。

読売新聞 堺市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

広告主は、ABC部数などのデータを参考にして、紙面広告の媒体を選んだり、折込広告の印刷部数や折込枚数を決めるわけだから、新聞の実配部数(実際に配達している新聞)を把握しておかなければ、経営判断を誤る。大阪府自身も広報紙『府政だより』の広告主(新聞折り込みで配布)になっており、正確な実配部数を把握する必要がある。

ちなみに次に示す熊本日日新聞の熊本市におけるABC部数は、新聞の商取引が正常であることを示している。わたしが知る限り、同紙は自由増減制度(販売店が、自分の判断で注文部数を決める制度と権利)を保証しているから、部数のロックが1部も観察できない。表の上で、着色対象になる期間がまったくない。

熊本日日新聞 熊本市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

「押し紙」裁判は、読売本社と販売店の係争(業界内の問題)であり、両者で決着すべき問題だが、残紙問題に折込広告や紙面広告がからんでくると、業界の壁を超えた大問題になる。残紙が広告主のPR戦略と経営判断に影響するからだ。かりに読売グループにコンプライアンス問題があれば、読売関係者が児童や生徒に読み書きや作文を指導するのはふさわしくない。彼らが「道徳」を語るべきではない。

大阪府の吉村洋文知事は、この点を踏まえて新聞の商取引の実態を調査すべきではないか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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《NO NUKES voice》核兵器禁止・原発ゼロの決意で原爆供養塔前から2022スタート 元旦8時15分は「はだし供養」 さとうしゅういち

2012年以降の毎年元旦の8時15分、筆者は広島市中区平和記念公園内の原爆供養塔前に行き、はだしになって黙祷。公園内の慰霊碑をめぐりながら、核兵器禁止・原発ゼロへの決意をあらたにしています。

ありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養

「元旦はだし供養」というイベントです。このイベントは、被爆者で元国鉄マン・講談師の緩急車雲助さん(本名・久保浩之さん、2020年逝去)が創始者です。

久保さんと筆者は2003年のイラク戦争反対運動で知り合いました。その後、疎遠になっていたのですが、2011年12月、あるイベントで偶然、再会しました。

「佐藤、よかったら参加しないか?」

そう声をかけていただき、2012年元旦から参加しています。(写真はありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養)

◆元旦はだし供養の由来

元旦はだし供養は、久保さんが、南アフリカ共和国のマンデラ大統領(故人)がアパルトヘイト廃止への協力を要請するために日本に派遣した使節団の若い女性たちをつれて平和公園を案内したことがきっかけでした。

くつを脱いで歩きはじめたのを見て衝撃を受けたことがきっかけです。

平和公園で久保さんが「地下一メートルには今も人骨が眠っている」と説明すると、南アフリカ共和国の若い女性は一斉に靴を脱いだそうです。

久保さんがびっくりすると彼女たちは「アフリカでは同胞の上を靴では歩きません。」
と答えたそうです。

「彼女たちに頭を殴られたような衝撃を受けた」という久保さん。

彼がそれ以来、せめて元旦の8時15分、はだしで原爆供養塔にお参りし、慰霊碑をめぐろうと呼び掛けたのが始まりです。久保さんがお元気な時代は、終了後、平和公園対岸の本川町集会所をお借りして甘酒を飲みながら新年の展望を語り合いました。

久保さんが体調を崩されてからは、イベント後の交流会はできていません。しかしながら、供養塔参拝、慰霊碑巡りだけは欠かさず有志が、誰から呼び掛けるともなく続いています。

◆平和公園を裸足で歩くとドライアイスのような熱さで被爆者を追憶

元旦は、温暖な広島でも雪に見舞われることもおおくあります。平和公園を裸足で歩くと、「ドライアイスのような熱さ」を感じます。あまりにも温度が低すぎるから、逆に火傷をするような熱さを感じました。

また、歩道よりは車道(元旦の朝の平和公園はまったくといっていいほど車は通りませんが)のほうがあるきやすいことも記憶しています。車のタイヤでつるつるになっているからです。

2017年の元旦はだし供養

在りし日の久保さんとともに公園内の慰霊碑をめぐり、1945年8月6日、被爆者が灼熱の地面の上を裸足で逃げ延びたことを思い出したものでした。

ただし、いまは、わたしも、黙祷のときだけ、裸足になり、その後はくつをはいて公園内の慰霊碑をめぐらせていただいております。また、参加者の高齢化にともなって、イベント時間短縮のため、参拝する慰霊碑も、近年では韓国人慰霊碑と旧二中(現・広島観音高校)慰霊碑のみになっています。


◎[関連動画]元旦はだし供養 「我々の世代がもっと正面へ出なければならない」と決意(2017年、この年が最後の完全な形でのイベントとなった、そのときの様子)

「義勇隊の碑」

かつては参拝していた慰霊碑に「義勇隊の碑」があります。

この碑は、現在の広島市安佐南区川内にあたる川内村のひとたちが、義勇隊という形で、市内中心部のこのあたりで建物疎開の作業にあたっておられて全滅したことを追悼するものです。この影響で、川内村は男性が非常に少ない人口比だったことも知られています。

◆2022年は6人で決行

さて、2022年の「元旦はだし供養」は、6人で行われました。わたしは、バスで広島市東区の自宅を出発。8時前には平和公園に到着しました。

原爆供養塔

わたしは、まず、原爆ドーム前を通過して元安川沿いを南下し、元安橋をわたって平和公園入りしました。

原爆の子の像の前にはまばらですが観光客もおられました。そして、原爆供養塔前に到着しました。

原爆供養塔には、身元がわからない原爆犠牲者の方、身元が分かっても引き取り手がない方ら7万柱のご遺骨が眠っています。最近でも2004,2005年に南区の似島から遺骨が多く出ています。ここは、戦前・戦中は大日本帝国陸軍の検疫所があり、そこに多くの被爆者がかつぎこまれたためです。

この供養塔に遺骨を運び込むドアの前にある線香立ての内部がコンクリートで埋められるという事件が昨年後半、発生しましたが、復旧していました。これは、民間の方から寄贈です。

供養塔の前で待機していると、ぼつぼつ人が集まりました。総勢6人。中には10年連続参加というNHK職員の方もおられました。この方は、以前はカメラをかついで取材をしてくださいました。平和担当を外れたいまも私人で参加してくださっています。

供養塔の次に参拝した韓国人慰霊碑は、もともとは平和公園のすぐ外にあたる場所で、被爆死した朝鮮王族(軍人だったため戦死の扱い)ことにちなんでできた慰霊碑です。ただ、公園の外にあることが差別的に見えるという議論が盛り上がり、現在の場所に移転した経緯があります。

広島にも被爆時には多くのコリアンの方がおられ、犠牲になりました。命が助かった方も日本国籍を戦後に一方的に奪われたために、日本に住んでいる被爆者が受けられるような援護策を受けられていない状態でした。韓国在住の方については、一定の解決をみましたが、朝鮮に住んでおられる方については日朝に国交がないためにいまだに見捨てられたままです。

[左]はだしになって、黙祷のあと、献花をおこないました。[右]そして、韓国人慰霊碑、旧二中慰霊碑の順でめぐり、黙祷、献花をおこないました
二中慰霊碑

◆先輩方を尊重しつつ若手主導で「復興」したい

さて、このイベントは2017年を最後に「多くの慰霊碑の前で黙祷と献花をおこないその後に本川町集会所で交流会」という「完全な形でのイベント開催」ができなくなっています。あれから5年がたってしまいました。2023年には、なんとか、「核兵器禁止・原発ゼロ」の決意をグラウンド・ゼロから元旦、あらたにするという趣旨のイベントを「復興」したいと思います。もちろん、先輩方を尊重しつつですが現実問題、先輩方の活動が難しいなら若手ががんばるしかありません。

最後にその2017年の交流会でのわたし自身の発言を再録し、わたし自身への戒めともしたいとおもいます。

「貧困、格差が独裁や戦争を生んできたのは歴史の教訓。庶民の暮らしを守る
政治に切り替えていかねばならない。そのために全力をつくす決意だ。」
「我々の世代があまりにも久保さんたち上の世代に甘えすぎたのではないか?」
「わたしも四十を超えた 。三十代の頃はまだわたし自身もどこか甘えがあった。」
「我々の世代がもっと正面へ出なければならないと思う。」
と提案をさせていただきました。


◎[関連動画]元旦はだし供養2022を前に

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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2022年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!
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《1月のことば》越えてゆけ 今を 少しだけ前へ ちょっとだけ前へ 鹿砦社代表 松岡利康

《1月のことば》越えてゆけ 今を 少しだけ前へ ちょっとだけ前へ(鹿砦社カレンダー2022より。龍一郎揮毫)

2022年を迎えました。
新たな年、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

コロナ禍が2年も続き、社会は疲弊しています。
1年ならまだしも2年となると私たちの会社も大きな影響を受けました。
昨年、とりわけ後半は大変でしたが、皆様方のご支援により、なんとか年を越せました。

本年、まだコロナの動向は不透明ですが、コロナなどに負けず、この困難を越えてゆかねばなりません。

「少しだけ前へ ちょっとだけ前へ」。

本年も、魂の書家・龍一郎の言葉と力強い筆致に力をもらい頑張っていきましょう!
昨年は私たちもコロナに負けそうになり少しへたりましたが、本年は心機一転、反転攻勢に打って出ます!
旧に倍するご支援をお願いいたします!(松岡利康)

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「生命」が輝いていた日々 田所敏夫

生きた。生き抜いた。それだけで充分価値があった。生き抜いた「生命」はもちろんのこと、残念ながら生物的には終焉を迎えた人々の「精神」にすら、それが輝いていた日々を思い起こせば「充分価値があった」のだ。

希薄で触感に乏しく、手で触っても質感・凹凸すらを感じない。色は不明確で、匂いもしない。それがこの時代の主流派(メインストリーム)の共通項だ。地球温暖化のために「脱炭素社会」を目指す一団であったり、「SDGs」とかなんとかいう国際的欺瞞を堂々と掲げている連中は全員その一味だと考えていい。

「新自由主義」は金融資本がやりたい放題狼藉を働くために、「米国流」と称する基準の世界への押し付けじゃないのか、と目星をつけていたが、「新自由主義」もどうやら質的変化を遂げたようだ。その正体、曖昧ながら反論を封じる回答が「SDGs」ということのようである。

近年耳にしなくなったが、「南北問題」という設問(あるいは課題)があった。地球の北側に裕福な国が集まり、おしなべて南側のひとびとは貧しいこと、を指す言葉だ。「南北問題」は解決したわけではまったくない。問題の位相が南北だけではなく、東西にも広がり尽くし「北側」の国の中にも貧困がどんどん拡大しつつある。「グローバル化」を慶事の枕詞のように乱発した連中は、相変わらず同じ題目を唱え続けているのだろうか。「南北問題」つまり「階級格差」の世界的拡大こそが、今日の困難を端的に指し示すひとつのキーワードであろう

その端では「国連」をはじめとする国際機関が、中立性や科学を放棄し、目前の銭勘定や政治に翻弄される姿も顕在化する。ほかならぬ「災禍の祭典」東京五輪を控えて、「わたしは五輪終了まで一切五輪についてコメントしない」と勝手にみずからを律した。

ここで多言を要せずとも、「東京五輪」がもたらした「返済不能」な負債は、財政問題だけではないことはご理解いただけよう。コロナウイルス猛烈な感染拡大の中、開催された「東京五輪」は、開催直前にIOCの会議にWHOの事務局長が出席するという、わたしの語彙では説明ができない狼藉・混乱の極みと、価値の喪失を堂々と演じた。ここでバッハであったり、テドロス・アダノムといった個人名を取り上げてもあまり意味はない。「五輪」をめぐる利益構造への洞察と徹底的な批判だけが言説としては有効だと思う。

「東京五輪」は単に災禍であった。あれを「それでもアスリートの姿に感動した」などと評する人がいるが、社会を俯瞰する視野をまったく持たない悲しい輩である。

選手村の食事が大量に捨てられたことが報道されたようだが、そんなことは当然予想された些末な出来事の「かけら」に過ぎず、小中学校の運動会が規制され、修学旅行が取りやめになるなかでも「世界的な大運動会」を恥じることなく行ったのが、「日本という国」であり、「東京という都市」だ。「レガシー」という言葉を開催のキーワードに使っていたようだが、資本の論理で巨大化したIOCと称するマフィアは、健康や感染症の爆発的拡大と関係なく「五輪」を今後も開きつづける、と「東京五輪」開催で高らかに宣言をしたのだ。それが連中の「レガシー」だ。

WHOもIOC、国連。一切が利権により不思議な律動を奏でる今日の世界。液晶の向こうには何でもありそうで、本当はなにもない日常。「繋がっていないと不安」な精神は逆効果として個人の精神をますます蝕み「繋がること」と「疎外」が同時に成立する不可思議。なにかの「終焉」が足音を早めると感じるのはわたしだけだろうか。

生きた。生き抜いた。それだけで充分価値があった。生き抜いた「生命」はもちろんのこと、残念ながら生物的には終焉を迎えた人々の「精神」にすら、それが輝いていた日々を思い起こせば「充分価値があった」のだ。

本年も「デジタル鹿砦社通信」をご愛読いただき、誠にありがとうございました。2022年が読者の皆様にとって幸多き年となりますよう、祈念いたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

2021年回顧【拾遺編】天皇制・工藤會・三里塚…そして1971年の記憶 横山茂彦

◆天皇制と皇室はどう変わってゆくのか?

眞子内親王が小室氏と結婚し、晴れて平民となった。小室氏が司法試験に失敗し、物価の高いニューヨークでは苦しい生活だと伝えられるが、それでも自由を謳歌していることだろう。

小室氏の母親の「借金」が暴露されて以来、小室氏側に一方的な批判が行なわれてきた。いや、批判ではなく中傷・罵倒といった種類のものだった。これらは従来、美智子妃や雅子妃など、平民出身の女性に向けられてきた保守封建的なものだったが、今回は小室氏を攻撃することで、暗に「プリンセスらしくしろ」と、眞子内親王を包囲・攻撃するものだった。

ところが、これらの論難は小室氏の一連の行動が眞子内親王(当時)と二人三脚だったことが明らかになるや、またたくまに鎮静化した。眞子内親王の行動力、積極性に驚愕したというのが実相ではないだろうか。

さて、こうした皇族の「わがまま」がまかり通るようになると、皇室それ自体の「民主化」によって、天皇制そのものが変化し、あるいは崩壊への道をたどるのではないか。保守封建派の危機感こそ、事態を正確に見つめているといえよう。

年末にいたって、今後の皇室のあり方を議論する政府の有識者会議(清家篤元慶応義塾長座長)の動きがあった。

有識者会議は12月22日に第13回会合を開催し、減少する皇族数の確保策として、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、戦後に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰する案の2案を軸とした最終答申を取りまとめ、岸田文雄首相に提出したというものだ。

女性皇族の皇籍はともかく、旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰という構想は、大いに議論を呼ぶことだろう。

それよりも、皇族に振り当てられている各種団体の名誉総裁、名誉会長が本当に必要なのかどうか。皇族の活動それ自体に議論が及ぶのでなければ、単なる数合わせの無内容な者になると指摘しておこう。

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◆工藤會最高幹部に極刑

工藤會裁判に一審判決がくだった。野村悟総裁に死刑、田上不三夫会長に無期懲役であった。弁護団は「死刑はないだろう」の予測で、工藤會幹部は「無罪」「出所用にスーツを準備」だったが、これは想定された判決だった。

過去の使用者責任裁判における、五代目山口組(当時)、住吉会への判決を知っている者には、ここで流れに逆行する穏当な判決はないだろうと思われていた。

福岡県警の元暴対部長が新刊を出すなど、工藤會を食い扶持にしている現状では、警察は「生かさず殺さず」をくり返しながら、裁判所はそれに追随して厳罰化をたどるのが既定コースなのである。

いわゆる頂上作戦は、昭和30年代後半にすでに警察庁の方針として、華々しく掲げられてきたものだ。いらい、半世紀以上も「暴力団壊滅」は警察組織の規模温存のための錦の御旗になってきたのである。

たとえば70年代の「過激派壊滅作戦」は、警備当局によるものではなく、もっぱら新左翼の事情(内部ゲバルト・ポストモダン・高齢化)によって、じっさいにほぼ壊滅してしまった。この事態に公安当局が慌ててしまった(予算削減)ように、ヤクザ組織の壊滅は警察組織の危機にほかならないのだ。

いっぽう、工藤會の代替わりはありそうにない。運営費をめぐって田上会長の意向で人事が動くなど、獄中指導がつづきそうな気配だ。

[関連記事]
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◆三里塚空港・歳月の流れ

個人的なことで恐縮だが、われわれがかつて「占拠・破壊」をめざした成田空港の管制塔が取り壊された。歳月の流れを感じさせるばかりだ。

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三里塚空港の転機 旧管制塔の解体はじまる 2021年3月25日

◆続く金融緩和・財政再建議論

今年もリフレに関する論争は、散発的ながら世の中をにぎわした。ケインズ主義者が多い経産省(旧経済企画庁・通産省)から、財務相(旧大蔵省)に政権ブレーンがシフトする関係で、来年も金融緩和・財政再建の議論には事欠かないであろう。

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緊縮か財政主導か ── 財務次官の寄稿にみる経済政策の混迷、それでもハイパー・インフレはやって来ない 2021年10月16日

◆渾身の書評『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』

年末に当たり、力をこめて書いた書評を再録しておきたい。

他の雑誌で特集を組む関係で、連合赤軍事件については再勉強させられた。本通信の新年からは、やや重苦しいテーマで申し訳ないが、頭にズーンとくる連載を予定している。連合赤軍の軌跡である。請うご期待!

[関連記事]
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈1〉71年が残した傷と記憶と 2021年11月24日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈2〉SM小説とポルノ映画の淵源 2021年11月26日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈3〉連合赤軍と内ゲバを生んだ『党派至上主義』2021年11月28日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明 2021年11月30日

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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病床で痛感した病より怖い「災害報道」の弱体化 田所敏夫

わたくしごとで恐縮であるが、本年は予定しない入院を複数回余儀なくされた。通院回数や検査の回数が年々増加するのは、加齢故に現状維持のためには致し方ない。もう慣れた。

◆「警戒レベル5」で募るのは、不安より不満の声

ただ、予定しない数日の入院の際に、医療とは関係のない奇妙(今日にあっては「当たり前」ないのかもしれない)な体験をした。わたしが居住している地域は地上波のテレビやAMラジオが受信しにくい。拙宅にテレビはないが、この地域でテレビを視聴するためには、ケーブルテレビなどのサービスを利用しなければ、地上波は受信できない。

たまたまの入院と同時期に記録的な豪雨の雲が、この地域にも到達した。4人病室、カーテンで仕切られた空間の中で、病院が準備したテレビを1000円のカードを購入して見ている口々に心配の声が聞こえてくる。わたしを除く全員がテレビに夢中になっていたとき、既に携帯電話には「緊急速報」が何度も鳴り響き、その情報は最初「警戒レベル3」であったものが数時間で「警戒レベル4」にあがり、ついには病院近辺の複数地域に「警戒レベル5」が出されたことを伝えていた。耳障りな警報音が、複数の携帯電話から病室に響き渡る。

「警戒レベル5」は気象庁によれば「災害が発生又は切迫していることを示す」もっとも警戒を要するレベルの警報だ(これより程度の高い警報は、現状ない)。だから頑丈な病院に入院していても、家族や知人の心配をして、より詳しい情報を求め同室の皆さんはテレビを見ていたのだろう。だが、どの声も不満をつぶやくものばかりだ「こんなん、テロップ出しただけで、わからへんやんか」、「なんで普通の番組やっとんや。特別番組に切り替えんのや」自分の携帯電話に送られてきた「警戒レベル5」が示すエリアには、わたしの自宅があるの町名も含まれている。

「直ちに命を守る行動を」と横のベッドから漏れ聞こえてきた音声を聞きながら、はて、こんな緊急時にどうしてNHKテレビやラジオはそれこそ娯楽番組を放送していないで、何度でも警戒警報が出されている地域に呼びかける放送をしないものか。

◆「直ちに命を守る行動を」と報じつつ、あまりに呑気なマスメディア

この際自分の目で確認しようと、1000円のテレビ視聴カードを購入してまずNHK総合テレビ見た。この時大雨は西日本を中心に広い地域にわたり、多くの河川氾濫も起こっていた。だから警報が出ている地域も複数県にわたっていた。

それにしても「直ちに命を守る行動を」要請されているのは、何十か所もあるわけではない。河川氾濫や土砂崩れによる道路寸断のニュース画面が繰り返し流される一方、「いま」危機を迎えている地域への呼びかけは、極めて抽象的だ。

民放にチャンネルを変えても放送内容は大差ない。ではラジオはどうかと、病院内に設置されている入院患者用のパソコンでネットで地元のラジオが聴取できるサービス「radiko」からNHK第一放送を聞いてみる。NHKラジオもやはり通常通りの番組を放送していて「直ちに命を守る行動を」との状態にしては、呑気なものである。

そこで、せっかくパソコンを触っているのだから、ネットで情報を調べてみた。入院中の病院近くの複数の市や町に「警戒レベル5」が出されている。そこには町名のほか何世帯が警戒の対象かも記載されている。繰り返すが「警戒レベル5」は「もう避難できない人は最悪に備えて、家の中で比較的安全な場所に身を寄せて」とも表現される警報だ。近年地震だけでなく、大雨による水害や山の崩落が毎年発生しているからであろうか、あるいはこの時の大雨被害がかなり広域にわたったためか、詳しい避難情報はテレビ・ラジオからは得ることができず、ネットがなければどうしようもないのではないか、と気になった。

◆手術と同じくらい恐ろしかった「災害報道」の弱体化

次の日病室で同室の人が見ているテレビの声が漏れてきた。話口調から民放の番組のようだ。「それでは今回のような災害の際に、お住まいの場所にどんな警報が出ているかを知る方法をお伝えします」とアナウンサーらしき男性の声は「ネットで『気象庁』と検索すると、このように詳しい警報の情報が出てきます」(このあたりのコメント内容は記憶が完全ではないが)とこともなげに説明をはじめた。わたしはテレビから離れて30年ほどになる。それでも外出先で短時間テレビに接することはあり、その都度「知らないことばかり」の画面を無感動に眺めているのだが、この時は違った。

テレビはもう、命にかかわる災害発生時にも情報を頼る相手ではなくなった。それを知り「ここまで来たか」と衝撃を受けた。ラジオも同様だ。NHKは各県に放送局を設けているのだから、その気になればかなり細やかな情報提供は可能だろうに、もうはなからテレビやラジオにはそんなつもりはないらしい。「非常持ち出し袋にはラジオを入れておきなさい」と昔から教わったが、この地域ではそもそもAMラジオ電波が届きにくい。そのうえ電波を受信できても肝心の避難情報が放送されなければ、ラジオを持っている意味はないだろう。

テレビも同様。すべてを「ネットで」と誘導するのが今日当たり前のようだが、「災害時にネットへアクセスできるかどうか」この基本的な問題が度外視されてはいまいか。スマートフォンだって基地局のアンテナが倒れたら使えないし、そもそもネットはおろか、パソコンを使わないかたがたにはどうしろというのだろう。

手術も恐ろしかったが、同じくらい「災害報道」の弱体化には恐れ入った数日間であった。情報技術やインターネットは“進歩”したようだが、災害時におけるこのような報道姿勢は「退行」以外のなにものでもないのではないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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全米民主主義基金(NED)による「民主化運動」への資金提供、反共プロパガンダの温床に、香港、ニカラグア、ベネズエラ…… 黒薮哲哉

「スタンピード現象」と呼ばれる現象がある。これはサバンナなどで群れをなして生活しているシマウマやキリンなどの群れが、先頭に誘導されて、一斉に同じ方向へ走り出す現象のことである。先頭が東へ駆け出すと、群れ全体が東へ突進する。先頭が西へ方向転換すると、後に続く群れも西へ方向転換する。

わたしが記憶する限り、スタンピード現象という言葉は、共同通信社の故・斎藤茂男氏が、日本のマスコミの実態を形容する際によく使用されていた。もう20年以上前のことである。

ここ数年、中国、ニカラグア、ベネズエラなどを名指しにした「西側メディア」による反共キャンペーンが露骨になっている。米中対立の中で、日本のメディアは、一斉に中国をターゲットとした攻撃を強めている。中国に対する度を超えたネガティブキャンペーンを展開している。

その結果、中国との武力衝突を心配する世論も生まれている。永田町では右派から左派まで、北京五輪・パラの外交的ボイコットも辞さない態度を表明している。その温床となっているのが、日本のマスコミによる未熟な国際報道である。それを鵜呑みにした結果にほかならない。

写真出典・プレンサラティナ紙

◆メディアは何を報じていないのか?

新聞研究者の故・新井直之氏は、『ジャーナリズム』(東洋経済新報社)の中で、ある貴重な提言をしている。

「新聞社や放送局の性格を見て行くためには、ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる。ジャーナリズムを批評するときに欠くことができない視点は、『どのような記事を載せているか』ではなく、『どのような記事を載せていないか』なのである」

新井氏の提言に学んで、同時代のメディアを解析するとき、日本のメディアは、何を報じていないのかを検証する必要がある。

結論を先に言えば、それは米国の世界戦略の変化とそれが意図している危険な性格である。たとえば米国政府の関連組織が、「民主化運動」を組織している外国の組織に対して、潤沢な活動資金を提供している事実である。それは「反共」プロパガンダの資金と言っても過言ではない。日本のメディアは、特にこの点を隠している。あるいは事実そのものを把握していない。

「民主化運動」のスポンサーになっている組織のうち、インターネットで事実関係の裏付けが取れる組織のひとつに全米民主主義基金(NED、National Endowment for democracy)がある。この団体の実態については、後述するとして、まず最初に同基金がどの程度の資金を外国の「民主化運動」に提供しているかを、香港、ニカラグア、ベネズエラを例に紹介しておこう。次の表である。

全米民主主義基金(NED)はどの程度の資金を各国の「民主化運動」に提供しているか

次のURLで裏付けが取れる。2020年度分である。

■香港:https://www.ned.org/region/asia/hong-kong-china-2020/

■ニカラグア:https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/nicaragua-2020/

■ベネズエラ:https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/venezuela-2020/

これらはいずれも反米色の強い地域や国である。そこで活動する「民主化運動」に資金を提供したり、運動方法を指導することで、「民主化運動」を活発化させ、混乱を引き起こして「反米政権」を排除するといういのが、全米民主主義基金の最終目的にほかならない。

◆反共プロパガンダのスポンサー、全米民主主義基金

日本のメディアは、皆無ではないにしろ全米民主主義基金についてほとんど報じたことがない。しかし、幸いにウィキペディアがかなり正確にこの謀略組織を解説している

それによると、全米民主主義基金は1983年、米国のレーガン政権時代に、「『他国の民主化を支援する』名目で、公式には『民間非営利』として設立された基金」である。しかし、「実際の出資者はアメリカ議会」である。つまり実態としては、米国政府が運営している基金なのである。

実際、全米民主主義基金のウェブサイトの「団体の自己紹介」のページを開いてみると、冒頭に設立者であるドナルド・レーガン元大統領の動画が登場する。

同ページによると、全米民主主義基金は「民主主義」をめざす外国の運動体に対して、年間2000件を超える補助金を提供している。対象になっている地域は、100カ国を超えている。

その中には、ウィグル関連の「反中」運動、日本では悪魔の国ような印象を植え付けられているベラルーシの運動体、キューバ政府を打倒しようとしているグループへの支援も含まれている。ひとつの特徴として、反共メディアの「育成」を目的にしていることが顕著に見られる。

■キューバの反政府運動への支出 https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/cuba-2020/
 
レーガン大統領(当時)が全米民主主義基金を設立した1983年とはどんな年だったのだろうか。この点を検証すると、同基金の性格が見えてくる。

◆ニカラグア革命とレーガン政権

1979年に中米ニカラグアで世界を揺るがす事件があった。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が、親子3代に渡ってニカラグアを支配してきたソモサ独裁政権を倒したのだ。米国の傀儡(かいらい)だった独裁者ソモサは自家用ジェット機でマイアミへ亡命した。

米国のレーガン政権は、サンディニスタ革命の影響がラテンアメリカ全体へ広がることを恐れた。ラテンアメリカ諸国が、実質的な米国の裏庭だったからだ。とりわけニカラグアと国境を接するエルサルバドルで、民族自決の闘いが進み、この国に対しても政府軍の支援というかたち介入した。その結果、エルサルバドルは殺戮(さつりく)の荒野と化したのである。

中米諸国の位置関係を示す地図

わたしは1980年代から90年代にかけて断続的にニカラグアを取材した。現地の人々は、革命直後に米国が行った挑発行為についてリアルに語った。ブラック・バード(米空軍の偵察機)が、ニカラグア上空を爆音を立てて飛び回り、航空写真を取って帰ったというのだった。

レーガン政権は、ただちにニカラグアの隣国ホンジュラスを米軍基地に国に変えた。そしてニカラグアのサンディニスタ政権が、同国の太平洋岸に居住しているミスキート族を迫害しているという根拠のないプロパガンダを広げ、「コントラ」と呼ばれる傭兵部隊を組織したのである。

レーガン大統領は、彼らを「フリーダムファイターズ(自由の戦士)」と命名し、ホンジュラス領から、新生ニカラグアへ内戦を仕掛けた。こうした政策と連動して、ニカラグアに対する経済封鎖も課した。日本は、米軍基地の国となったホンジュラスに対する経済援助の強化というかたちで、米国の戦略に協力した。

しかし、コントラは、テロ活動を繰り返すだけで、まったくサンディニスタ政権は揺るがなかった。

そして1984年、革命政府は、国際監視団の下で、はじめて民主的な大統領選挙を実施したのである。こうしてニカラグアは議会制民主主義の国に生まれ変わった。その後、政権交代もあったが、現在はサンディニスタ民族解放戦線が政権の座にある。

全米民主主義基金は、このような時代背景の中で、1983年に設立されたのである。もちろんサンディニスタ革命に対抗することが設立目的てあると述べているわけではないが、当時のレーガン政権の異常な対ニカラグア政策から推測すると、その可能性が極めて高い。あるいは軍政から民生への移行が加速しはじめたラテンアメリカ全体の状況を見極めた上で、このような新戦略を選んだのかも知れない。露骨な軍事介入はできなくなってきたのである。

◆米国の世界戦略、軍事介入から「民主化運動」へ

それに連動して米国の世界戦略は、軍事介入から、メディアによる「反共プロパガンダ」と連動した市民運動体の育成にシフトし始めるが、それは表向きのことであって、「民主化運動」で国を大混乱に陥れ、クーデターを試みるというのが戦略の青写真にほかならない。少なくともラテンアメリカでは、その傾向が顕著に現れている。次に示すのは、米国がなんらかのかたちで関与したとされるクーデターである。

筆者が作成したものなので、すべてをカバーできていない可能性もある。ここで紹介したものは、一般的に熟知されている事件である

これらのほかにも既に述べたように、1980年代の中米紛争への介入もある。1960年のキューバに対する攻撃もある。(ピッグス湾事件)このように前世紀までは、露骨な介入が目立ったが、2002年のベネズエラあたりから、「民主化運動」とセットになった謀略が顕著になってきたのである。

◆アメリカ合衆国国際開発庁からも資金

このような米国の戦略の典型的な資金源のひとつが、全米民主主義基金なのである。もちろん、他にも、「民主化運動」を育成するための資金源の存在は明らかになっている。たとえば、米国の独立系メディア「グレーゾーンニュースThe Grayzone – Investigative journalism on empire」は、アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)が、2016年に、ニカラグアの新聞社ラ・プレンサに41,121ドルを提供していた事実を暴露している。反共プロパガンダにメディアが使われていることがはっきりしたのだ。

また、同ウェブサイトは、今年の11月に行われたニカラグアの大統領選挙では、サンディニスタ政権を支持するジャーナリストらのSNSが凍結されるケースが相次いだとも伝えている。 

わたしは、香港や中国、ニカラグア、ベネズエラなどに関する報道は、隠蔽されている領域がかなりあるのではないかと見ている。それはだれが「民主化運動」なるもののスポンサーになっているのかという肝心な問題である。

仮に海外から日本の「市民運動」に資金が流れこみ、米国大統領選後にトランプ陣営が断行したような事態になれば、日本政府もやはり対策を取るだろう。露骨な内政干渉は許さないだろう。中国政府にしてみれば、「堪忍ぶくろの緒が切れた」状態ではないか。ニカラグア政府は、現在の反共プロパガンダが、かつてホンジュラスからニカラグアに侵攻したコントラの亡霊のように感じているのではないか。

エドワルド・ガレアーノは、『収奪された大地』(大久保光男訳、藤原書店)の中で、ベネズエラについて次のように述べている。

「アメリカ合州国がラテンアメリカ地域から取得している利益のほぼ半分は、ベネズエラから生み出されている。ベネズエラは地球上でもっとも豊かな国のひとつである。しかし、同時に、もっとも貧しい国のひとつであり、もっとも暴力的な国のひとつでもある」

米国のドルが世界各地へばらまかれて、反共プロパガンダに使われているとすれば、メディアはそれを報じるべきである。さもなければ政情の客観的な全体像は見えてこない。間接的に国民を世論誘導していることになる。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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