《韓国特派員・ウナの留学日記》メッコールの里・椒井薬水は韓国版玉川温泉?

先日、韓国に住んでいる友人の家に遊びにいきました。そこで飲んだ炭酸水がとてもおいしかったので、どこで売っているかを彼女に尋ねると、ニヤリとしながら「これ、メッコールの会社が作ってるんだけど、その辺のスーパーでフツーに売ってるよ」と言いました。

メッコール。皆さんも聞き覚えがあるかもしれません。麦味のコーラというか、気の抜けたビールというか、とにかく麦風味の韓国ではメジャーなお飲み物です。そして製造会社の一和(イルファ)は、あの統一教会との関係が深いことで知られています。私が飲んでいる「チョジョン炭酸水」なるお飲み物も、一和が製造しているとのこと。

「椒井薬水ってところから汲みあげてるんだけど、ここ、炭酸温泉があって水も飲み放題なんだって。でも炭酸温泉だから、つかると局部が痛くなるらしいよ」(友人談)

なんですって? 炭酸水飲み放題?

というのも私は極度の炭酸水好きの温泉好き。これは行くしかない。ということで週末を利用して、チョンジュという街の郊外にある「椒井薬水」を目指すことにしました。チョンジュといえばビビンバを想像する方もいらっしゃると思いますが、あれは全州でこっちは清州。音は似てますが全然違う場所で、ガイドブックもロクにありません。しかも某宗教と縁が深い場所に1人でノコノコ行くというのは、かなりの不安がつきまといます。行こうと決意したものの、前の晩、友人に「私が帰ってこなかったら捜索して」と、言い残しておきました……。

ソウルからバスで清州バスターミナルを目指し、そこから市内バスで1時間と少し。たどり着いた先で見たものは、巨大なメッコール工場と「世界三大鉱泉 椒井」と書かれた石碑。椒井薬水はアメリカのシャスタとイギリスのナポリタスとともに、世界三大鉱泉に選ばれたらしいですが、シャスタはともかくナポリタスはどこにあるのか、調べてもよくわかりません。そしてなんでもここには、ハングルを作った朝鮮時代の王様、世宗(セジョン)大王も眼病を癒すために訪れたそうです。彼の銅像もありましたが、残念ながら蜘蛛の巣が張っている有様でした……。

温泉地に建っている一里塚のような石碑
ひときわ目立つ、メッコールの工場
炭酸水を献上される、世宗(セジョン)大王

目指す温泉は、銅像のすぐ後ろにありました。駐車場は満車で、駐車待ちの車列ができていた程。人気スポットに7000ウォン(約800円)払って入ることにしました。裸になったところを羽交い締めされて、宗教施設に連れて行かれたらどうしよう……。一抹の不安を覚えながらも浴場の扉を開けると、そこはまさにマンガ『テルマエ・ロマエ』の世界! かつてはヴィーナスやアフロディーテだったであろうハルモニ(おばあちゃん)達が、肢体をあらわに温泉にサウナに水風呂で水泳にと、思い思いに過ごしていました。海外で盗撮犯にはなりたくないので温泉内の写真はありませんが、レジャーよりも湯治目的っぽい感じで、例えるなら秋田の玉川温泉といったところでしょうか。天井の照明は赤・黄色・青の三色旗状態のステンドグラスで、違う宗教の施設かと思いました。

某宗教の息がかかる「椒井元湯」。カギが閉まっていて中には入れません
老若男女が真っ昼間から集う、大人気の温泉施設「椒井薬手温湯」

ウワサの「局部が痛くなる」源泉は沸かしていない水風呂状態なので、少しずつ慣らしながら浸かりましたが、とくにそのようなことはありませんでした。しかし亀の口からピュピュッっと、なんだかイヤらしく源泉が出てくる蛇口で目を洗ってみると、確かに粘膜がピリピリきました。世宗(セジョン)大王ももしかしたら、このピリピリを求めていたのかもしれません。

どうやらこの地にはメッコールの工場があるというだけで、温泉地一帯を某宗教が仕切っているというわけではなさそう。私も安心して温泉を楽しみ、道端の水汲み場でたっぷりと源泉を頂いて帰りました。

寮に戻って冷やしてから飲んでみると、ちょっと泥臭いながらも友人の家で飲んだ、炭酸水と同じ味がしました。旅行者がわざわざ訪れるほどの場所ではないと思いますが、長期滞在者や私のような炭酸水マニアだったら、一度は行く価値があるかもしれません。

不思議な感じになっている、チョジョン炭酸水の顔はめパネルがありました

▼サ・ウナ
韓国の地方都市にある某大学に留学中の女子大生。世界中から来ている学生たちによる、ミックス言語で繰り広げられている「かわいい~」「○○さんかっこいい~」「○○が××のことを好きだって言ってたよ~」などの会話に、日夜イライラしながら学業に勤しむ25歳。

《韓国特派員・ウナの留学日記》
《04》 日帝支配からの解放を祝う「独立記念館」へ
《03》 日帝支配時代について、フツーに教えてます
《02》 「ゆとり」は世界の共通語!?
《01》 MERSアタック!? in ソウル

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有名スポーツ選手たちが乱発する「愛国発言」処世術

こんな言い方をすると、また叱られるのを承知であえて言う。

橋本聖子

「高いレベルで活躍したスポーツ選手は社会的発言を慎重に」と。自転車、スケートで五輪に出まくった橋本聖子は自民党から出て既に当選4回。日本スケート連盟の会長にもなり、もう古参政治家の風格だし、同じスケート出身では堀井学も知らない間にちゃっかり自民党議員に収まっている。元巨人投手の堀内恒夫も現役の自民党国会議員だとご存知の方はどれくらいいるだろうか。「やわらちゃん」こと谷亮子は小沢が天下を取ると見間違えたに違いない。「民主党」から当選したが、こんなことになるのが分かっていれば最初から自民党から出ていただろう。

与党政治家でなくとも、「語り部」となって恥ずかしくも恐ろしい発言を行う元スポーツ選手には毎度がっかりさせられる。スポーツ選手として一流を極めた人には頭脳明晰な人が少なくないことは知っている。だがその知名度や頭脳はほとんど「時の権力」に収斂されて行ってしまい利用される。ご本人たちもそれを問題とは感じない。

◆暗い本性がにじみ出る為末大

為末大

語り部として、最近その暗い本性をあからさまにし出して来た人間に為末大がいる。為末は元400mハードルの選手だった。世界選手権で2大会連続銅メダルを獲得し、日本人としては卓越した競技者だった。現役中から陸上選手としては口数の多い方だったが、最近為末のツイッターには下記のようなやり取りがある。

「左翼思想とは、自己中心的で自己陶酔して優越感に浸る幼稚な人間が陥る病気らしいですからねw「自分は凄くてお前らは駄目なんだ」という他者を蔑む意識があるから、馬鹿にし蔑む他者を「国家」「権力」に転化して反国家、反権力の左翼思想に傾倒するらしい」

これはある人物が為末に向けて投げかけた言葉だ。これに対して為末は以下のように答えている。

「確かにいい年をこいたおっさんが何かに傾倒して自己陶酔するのはみっともないかもしれないですね 」、「なるほど自分は凄くてお前らはダメなんだという他者を蔑む意識があるとだめですよね」とコメントしている。

また、「政治家と話をするとそんな悪代官みたいな人なんてそうそういないと気づくし、中国人と話をするとそんなに日本嫌いの人ばっかりでもないとわかるし、障害者と話をするといいやつもいればやなやつもいるということがわかる。友達の幅を持つことがバランスを保つ上で大事」と大所高所からご説を仰せられるが、個人で会って「悪代官」ズラをして話す政治家などよほどのアホであり、政治家の評価は彼らがどのような政策を実行したか、しようとしているかで判断されるべきだという基本的な評価基準を為末は理解していない。また自民党政治家の連中は次期選挙の比例区候補として為末の名を挙げていることだろう。これらのコメントから分かるのは、為末は多くの与党政治家と接触していることと、「左翼嫌い」であることだ。最近は目出度くも「バンキシャ」を始めとする低俗テレビ番組へ「コメンテーター」としての出演も多いらしい。

為末は正直な告白もしている。

「僕は未だに国と呼ばれるものが一体なんなのかがわからない。人なのか土地なのか組織のことなのか価値観のことなのか」と。これは本音だろう。だが大々的に社会的な発言を行うのならば、「国」の本質について回答が出なくとも、自分の中で考えに考え抜いてから言葉にすべきだ。「国」や「国家」をどう考えるかの参考書はいくらでもあるのだから。

また、「昔からわからないことを素直に聞く度に相手に鬱陶しいと言われて、それが辛くて小学校中学校ぐらいは黙っていたけれど、大人になって試しに言ってみたら今度は逆に褒められてあの時と何が違ったんだろうと考えている」とある。

「大人になって試しに」言ってみた為末は小中学校時代の無名な生徒ではなく、マスメディアにとって「商品価値」がある人間に変わったからだ、と言う簡単な理由もわかっていないようだ。為末ではなく一般の市民が同僚や先輩に同じ問を投げかけても、それは「鬱陶しがられる」ことだと言う洞察力が為末にはない。

◆外国人力士の台頭を「蒙古襲来」と語った舞の海

舞の海

為末ばかりを叩いたが、これは如何なものかと思われる元スポーツ選手の発言は枚挙にいとまがない。

例えば『週刊金曜日』によれば、舞の海が改憲推進団体主催の集会でこんな発言をしたという。
「元相撲取りの舞の海は4月29日の改憲を進める団体が開いた『昭和の日をお祝いする集い』で、『昭和天皇と大相撲』と題し“記念講演”をした舞の海秀平氏が『外国人力士が強くなり過ぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが、蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる』と語ると、参加者から拍手が湧いた。“日の丸”旗を手にした男性が『頑張れよ』と叫び、会場は排外主義的空気が顕著になった。さらに舞の海氏が『天覧相撲の再開が必要だ。日本に天皇がいたからこそ、大相撲は生き延びてこられた。天皇という大きな懐の中で生かされていると感じる。皇室の安泰を』と結ぶと、大拍手が起こっていた」。(週刊金曜日記事より)

おいおい舞の海、このセリフ横綱以下モンゴルを始めとする外国人力士の前でも発言できるのか?

スマートなアスリートは発言も慎重だ。為末や舞の海とは逆に。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《ウィークリー理央眼019》戦争法案に反対する若者たち VOL.13 福岡

7月29日(水)、福岡県福岡市中央区で安保関連法案(戦争法案)に反対するデモが行われた。
安倍政権が7月15日に行なった強行採決に危機感を抱き、自ら動かなければと福岡の大学生らが「FUKUOKA YOUTH MOVEMENT」を結成した。デモを主催したことがないのと、大学のテスト期間が重なり準備は大変だったというが、初めてのデモを滞りなく行なっていた。


[動画]安保法案いけんくない!?パレードデモ@福岡 – 2015.7.29 福岡市(8分19秒)

ローカル感あふれる「方言シュプレヒコール」が天神の街に響いた。
今回のデモの為に学生たちが意見を出し合って決めたものだ。デモそのものが怖く、デモで叫ばれる強い言葉が怖かったから、柔らかめの言葉をチョイスしたという。

「安保法案はいけんばい!」
「集団的自衛権はいけん!」
「憲法守らん総理はいらん!」
「うちらで権力しばろうよ!」
「憲法9条がよかろうもん!」
「何よりいのちをまもろうよ!」
「憲法!」「守れ!」
「権力!」「縛ろう!」
「憲法!」「壊すな!」
「いのちを!」「守ろう!」

東京や関西で大学生が立ち上がり、遂に福岡でも大学生によるデモが行われ、他でもない福岡が感じられた。

彼らは言う、若い人達にもっと政治に関心を持って様々なことについて積極的に考えて欲しい、と。
そして、単に、法案に対してNO!と言うだけではなく、自分たちがデモをして人前に立つことによって、今日本で起っていることを、同世代の若い人たちに、ちゃんと自分のこととして考えてもらうきっかけになって欲しいとの願いも込めて、今回のデモを企画し実行したのだ。

デモ出発の前と後に行なわれた参加者スピーチは、事前に原稿が用意されていたものではなく、参加した若者たちの生の声が聞けた。
以下、少し長いがその一部を書き起したので読んでみて欲しい。

女性「安倍さん悪いと思うんですけど、今日本にいるみんなが関心を持っていないっていうのも一つあると思って、だから自由にされちゃうっていうのはあると思うんですよ。それでわたしは今関心のない人達の気持ちをちょっとでもかき立てて、今まで私達の先輩達が作り上げてきた、ずっと守ってきた平和、その平和を守ってきた憲法っていうのを守りたいと思って、その思いを今の世代の若い人達、次の世代を担う若い人達に知って欲しいと思って今活動しています。本来は憲法って言うのは権力者を縛る為のものであるのに、国民がそれによって不利益を被るようなことがあるのは絶対にいけないと思います。その思いを伝えるのはもちろんなんですけれども、やっぱり若い人達がたくさんいる天神で、関心の無い若い人達が自分の意見を持てるように、私は活動していきたいと思っています」

女性「初めてこのようなデモに参加してすごく緊張しました。それに先頭も歩いてしまって、こんな私が歩いていいのかなって思いましたけど、私達若い人が先頭に立って歩いて、声を上げて行かないと、全然安倍さんにも伝わりません。歩きながら何か言われたりもしましたけど、私達は私達の声を上げていきましょう」

女性「生活保護費の総支給額よりずっと高い、この5兆円を使って私たちの頭の上に戦闘機を飛ばし、きれいな海を埋め立て基地を作り、そして隣の国を恐れ、彼らを貶めるような言葉をぶつけ合うような、そんな中で守られる平和を私たちは平和と呼ぶんでしょうか。彼らの言う抑止力なんて、きっと嘘っぱちだと、私はそう思ってここに来ました。もう今日から私たち、若者は立ち上がります。この福岡という街は、アジアのリーダー都市だと、そういうようなスローガン掲げています。それならば、こんな小さな島を出て、私たちは、いろんな場所で、いろんな友達を作ります。いろんな人たちと、いろんな言葉で、互いの文化を交わし合って、歌を歌いながら、いつか軍事の、基地や戦闘機じゃなくて、私たち、ひとりひとりが、そんな戦争の抑止力なんだと、いつか言ってやりたいと思って、ここに集まりました」

女性「今日初めてデモっていうものに参加して、且つ主催者っていう立場で、何もわからなくて参加したんですけど、直前とかもどれだけの人達が来てくれるんだろうって思って、すごいドキドキしながら待ってたんですけど、こんなにたくさんの人が来て一緒に声を上げてくれて、すごく今心強い気持ちです。新聞とかを読んでいて集団的自衛権とかいろいろ出てきて、わかんないから自分なりにすごく勉強して、国会中継とかも見て、政府が出してるQ&Aも読んで、でもどれだけ見てもわからなくて、すごく不安な気持ちとか怖い気持ちになって、その不安な気持ちとか怖い気持ちっていうのを、解消してくれる答えが全然見つけられなくて、きっとそういう人がいっぱいいて、そういう気持ちでみんな集まってくれたのかなと思います」

男性「僕は今大学三年生です。今日初めてこのデモに参加しました。率直な感想としては、こういう風に声を上げるっていうのは、本当に勇気がいるなあっていう風に思いました。最初、ここに来た時、僕は震えていました。今も若干震えています。でも、こうやって声を上げるっていうことは非常に大事な事だと思います」「今この流れが全国各地に広がっています。この運動をこの先もずっと継続的に続けて行けたらと思っています。みなさん様々な考えを持って参加してるとは思うんですけど、今日こういう風にして自らの考えを示す事が出来たっていうのは、大きな一歩だと思っています」

男性「同じ大学生が何か声を上げてるっていう事で、気になって法案を調べてみたら、色々おかしなところがあるみたいで、それで何よりも僕が反対したいのは、自分、友達に自衛隊の子がいるんですけど、その子を戦地に派遣する法案を僕は絶対に通す事は出来ないと思いました。自分の一緒に部活とかをしてきた仲間が、まるでスプラッター映画のように戦地で殺されるような様は絶対に想像したくないし、それに反対するために何かしとかないと絶対に後から後悔すると思ってこの活動に参加させてもらいました。最初怖かったんですけど、本当に参加してよかったと思いました」

女性「今日も高校生も来てくれて、でも制服姿だからそんなに前には出れないけど、でも来てくれて、それって本当に草の根的にというか、本当に名も無い人達が声を上げてきてる、全然政治の話は意識高いやつがやってるとか、そういう問題ではなくて、自分たち一人一人の問題なんだっていうのを、今日デモをしてみて自分でも実感したし、またこれをいろんな人に広げていかないといけないなって思いました」

自らの行動に対し不安や恐怖と同時に希望を感じ、現状を一緒に変えようという気持ちが溢れ出ていた。
勇気を出して表に立った彼らの後ろには、まだ見ぬ多くの若者たちが見えたような気がした。



[2015年7月29日(水)・福岡県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《018》戦争法案に反対する若者たち VOL.12 福島
◎《017》戦争法案に反対する若者たち VOL.11 長崎
◎《016》戦争法案に反対する若者たち VOL.10 津
◎《015》戦争法案に反対する若者たち VOL.9 熊本
◎《014》緊急寄稿・朝日新聞と冨永特別編集委員のおわび

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快挙は国会前デモだけじゃない!──6日目124時間を越えた学生ハンスト闘争

〈学生ハンスト実行委員会9月1日付Facebookより〉

8月27日14時から「安保関連法案を阻止し、安倍政権打倒」を訴えてハンストに決起した学生達の闘いが開始から121時間(9月1日15時現在)を経過してもまだ続いている。8月中旬までの猛暑がうそのように東京は朝晩「寒い」と感じるほど温度が下がることがある。あいにく雨天も多く寒暖の差が激しい条件の中、学生達はまだ闘い続けている。災害時など行方不明者の生死を分けるのは事故後72時間といわれている。120時間超のハンストが如何に激烈な行動か想像いただけるだろう。

寒さは普通に生活していても体力を奪うが、水分とスポーツドリンク、わずかの塩以外、一切固形物を口にしないという方針での「ハンガーストライキ」。学生達の体力消耗と疲労はすでに「限界状態」(学生達の健康状態を管理している医師)に達している。学生達はただ黙して、座っているのではない。毎日何度も集会を開き彼らの訴えを語っている。


◎[参考動画]「安保法案阻止」学生ハンスト6日目・二人の思い(2015年9月1日レイバーネットTV公開)

◆ハンスト続行の最中に井田敬さんが極限状態で語ってくれたこと

8月30日国会に12万人が集結した際には、ハンストの場所を国会議事堂前に移し、そこで彼らも集会に参加した。内外多くのメディアからの取材があり、彼らが配布するビラはほとんどの人が快く受け取ってくれるという。特に中国のテレビ局は現場からの生中継も行ったそうだ。

しかし、体力には限界がある。彼らは大丈夫だろうか。そこで、1日午前ハンスト参加学生の井田敬さんに電話で取材した。井田さんによると彼らが本当に極限状態であることが伝わって来る。

「ハンスト参加学生のうち1名が昨日医師から『生命の危険がある』と警告されたために、開始から101時間で本人の希望に反する形になりましたが終了させました。また、もう1名も昨夜から体調不良を訴えていましたが、今朝医師から『きわめて危険』と判断され、開始から113時間で終了させました」

「私も数日前から医師には『いつ何が起きても不思議ではない』状態と言われていますが、何とか頑張っています。反応が鈍くなったり、疲労もありますが、それにもまして、私達の訴えを一人でも多くの人々に伝えたいとの気持ちがあります。30日には本当にものすごい数の人たちが国会を包囲しました。私は7月15日委員会で強行採決された日にも国会に来ていたのですが、比較にならない熱気でした。とても意義深かったと思います」

「でも、大切なことは国会を包囲した、あの『熱気』を家庭や職場、学校に持ち帰って、そこで広めていくことだと思います。そのために残った二人で頑張ってさらに訴えを広めたいと思います」

◆なぜ安保法案に反対し、ハンストを行っているのか?─いま一度、彼らの宣言を読んでほしい

そう語ってくれた井田さんからは彼らの訴えを「是非読んでほしいです」との要望があったので、以下に全文引用する。

私たちはなぜ安保法案に反対し、ハンストを行うか (学生ハンスト実行委員会)

私たちの安保関連法案に対する考えと、ハンスト戦術の持つ政治的な意義について以下のように述べておきたいと思います。是非ご一読ください。

安保体制への私たちの評価

まず安保法案の是非を論じるにあたって、その不可欠な前提をなす戦後安保体制に対する評価は避けて通ることができません。

植民地争奪戦としての第二次世界大戦終結後、朝鮮戦争を始めとした米ソ冷戦構造において日本は東アジアでの「防共の砦」の一員となり、1951年、日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)を締結しました。かかる条約はアメリカとの実質的な軍事同盟として、日本の緩やかな武装化をともないつつ軍事的牽制を基軸とした東・東南アジアの「秩序」を形成してきたと言えます。しかし、この条約に基づく「秩序」は、アメリカ主導の侵略戦争に日本が加担することで成立した欺瞞的な平和であったと言わざるを得ない、と私たちは考えます。

例えば朝鮮戦争においては、日本はGHQ公認の下で兵器製造・輸出を媒介とした「朝鮮特需」といわれる利潤を一方的に享受し、経済発展を遂げました。また他方で1960年代には、ベトナム戦争において、主に沖縄に米軍出撃拠点としての役割を強制するなど積極的な兵站支援を行ってきました。もちろん上記代理戦争の相手方たるソ連を支持できるものではありませんが、日米安保体制下の「平和」や「豊かさ」は他地域の民衆に犠牲を強いることで成り立ってきたことは否定しえない事実です。

そして冷戦終焉後、21世紀に入った現在も、イラク戦争に見られるような「対テロ戦争」を名目とした非対称戦争を主導する根拠として安保体制が機能していますし、国内でも、沖縄に在日米軍基地の74パーセントが押し付けられていることから考えると、日米安保体制の本質は変化していないといえるのではないでしょうか。私たちはそのような戦後体制を変革する必要があると考えています。

安保法案と安倍政権

しかし、安倍政権が押し進める安保法案は、この戦後体制を改善するどころか悪質に転換し、日本の軍事大国化を志向するものです。独力で覇権を維持できなくなってきたアメリカは、日本にさらなる軍事的貢献を要請してきており、日本は今回の法案によって自衛隊の海外派兵を含む直接的な戦争支援を可能にしようとしています。

アメリカが遂行している「対テロ戦争」や他国への軍事介入は、集団安全保障を名目に多国籍企業の利益を擁護するものとして、米ソ冷戦終結以前の「集団的自衛権」に基づいた戦争と比しても、その本質に変わりありません。

例えば中東「イスラム国」への掃討戦は、有志連合の集団的自衛権の発露として行われていますが、20世紀に行われた帝国主義国による中東の人工的分割の生んだ矛盾を温存し、クルド人をはじめ抑圧された民族の抵抗を圧殺する役割を果たしています。「イスラム国」が悪辣な体質を有しているとはいえ、現状の「集団的自衛権」がさらなる戦争の火種を生んでいる側面は否定できません。今回の安保法案はそうした戦争に日本が直接に参加することで支配的な地位を獲得しようとするものであり、上記のような戦争の性質に鑑みれば非難せざるを得ません。

また対内的には閣議決定による集団的自衛権の合憲化と軌を一にして、日米合同の戦争のために、沖縄へさらに米軍基地・自衛隊基地を押し付けようとしています。2014年の沖縄県内の各種選挙において辺野古新基地反対派が軒並み勝利したにも関わらず、政府が新基地建設工事を強行しようとしている現状は、最低限の議会制民主主義のルールすらも否定するものと言わざるを得ません。

さらに安保法案の制定を目指して行われた安倍政権下での数々の立法と「解釈改憲」(特定秘密保護法の制定・集団的自衛権の閣議決定に基づく合憲化)は、おおよそ立憲主義を無視しており、安保法案はまさにそうした立憲主義破壊の集大成と言わざるを得ません。安倍政権がこういった違憲立法を行うことは、アメリカなどが主導する侵略戦争に一主体として参加していこうとする意志の表れであると私たちは考えます。

上記の理由から、私たちは安保法案の制定に反対し、これを阻止するために行動します。

ハンスト戦術について

安保法案に反対する私たちがなぜハンガーストライキという戦術を採用し、これからいかなる戦略をもって安倍政権に反対していくのか、以下に述べたいと思います。

現在、衆参両院の議席の過半数は自民党と公明党に保有されています。政府与党は選挙の結果を以て彼らの安保政策は「民主的に」支持されていると主張していますが、はたしてこれは正しいのでしょうか。選挙による選任は、政策の白紙委任を意味しません。選挙で多数派の得票を得たからと言って、自由に政治的決定を行っていいわけはありません。

しかし、政府与党は多数派の威力によって強行的に安保法案を通そうとしています。この局面において、ただ間接的な手法で抗議するだけでは法案成立を阻止できないと、私たちは考えます。

そもそも民主主義とは全員参加の意思を決定するプロセスで、多数派の専制を防ぎ、少数派を見捨てることがあってはなりません。議会の多数決だけで物事を決めることは民主主義の否定と言うべきでしょう。そして、現在、反対派の意見は見捨てられ、強行的に法案が成立されようとしています。すなわち、民主主義が機能していないからこそ私たちは直接的に民意を反映させようと試みる必要に迫られています。

代議制だけでは、民主主義を機能させるには不十分です。直接行動は民主主義を機能させるうえで絶対に不可欠なのです。

私たちは今回、こういった危機的局面においてハンガーストライキという手法を使って安倍政権に抗議します。私たちは無駄に身体を傷つけ命を粗末にしたいわけではありません。ハンスト中は医師についてもらい、体調管理をしていただきます。確かに行動に伴うリスクは低くはありません。しかし、私たちはこういったリスクを冒してでも訴えたいことがあります。戦争とは、自分が命を落とすと同時に他者を殺すことです。戦争に反対するとは単に自分が命を落としたくないという表現であるだけでなく、他者を殺すことを拒否するという宣言でもあります。今現在、この瞬間にも世界中で武力紛争は続いており、犠牲者は増え続けています。数えきれないほどの難民が日々命を脅かされながら生きています。このような世界で、いま私たちはこういった戦争への加担を準備するのか、それとも戦争を止めるために行動するかの選択を迫られています。ハンスト実行委員会は殺すことの拒否、人殺しによる繁栄の拒否をハンガーストライキという形で明確に示していきます。

私たちはかかる見解に基づいて、8月27日よりハンガーストライキに突入します。

学生ハンスト実行委員会
ブログ ? ? ? ? http://blogs.yahoo.co.jp/hansutojitsu
Facebook ?https://www.facebook.com/Hungst.co.jp

もう十分に闘った。学生達のハンスト闘争は「勝利」だった。もう何時終結しても胸を張れる。彼らの体を賭した行動に再度最大級の賞賛と敬意を伝え、そして、無力な私は頭を下げたい。


◎[参考動画]「安保法案成立阻止 安倍政権打倒」学生の無期限ハンスト(2015年8月27日レイバーネットTV公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《ウィークリー理央眼018》戦争法案に反対する若者たち VOL.12 福島

7月26日(日)、福島県福島市で安保関連法案(戦争法案)に反対するデモが行われた。
福島からも「戦争法案」反対の声をあげるべく結成された「戦争法案に反対する福島県若者有志の会」が主催し、福島駅東口周辺を約200名で行進した。盆地の福島市は非常に蒸し暑かった。


[動画]戦争法案に反対するデモ@福島 – 2015.7.26 福島市(12分14秒)

福島県庁前を出発したデモ隊は、ふくしま自民党(自由民主党福島県支部連合会)が入る中町ビル前で、「なんか自民党感じ悪いよね!」「内閣支持率何%?内閣支持率35%!」「未来のために今声あげよう!」等のシュプレヒコールを上げた。
そして、街宣車に乗り込んだ若者たちは次々に「戦争法案」に反対するスピーチをしていった。

「僕のおじいちゃんは戦争経験者です。
小さい頃から戦争の話を聞いて育ちました。
小さい頃、おじいちゃんに『人を撃った事あるの?』って聞いたことがあります。
しかし、その質問にはきちんと答えてくれませんでした。
今ではもう聞くことができないけど、絶対に大変な経験をしたんだろうなあと思います。
『戦争ほど酷いものはない』と何度も言っていたおじいちゃん。
戦争ほど何も生み出さないものはないと思います。
その戦争を今安倍首相はやろうとしています。
僕たち若者の未来を、一政権の勝手な独断で決めてほしくありません。
僕たちは、自分の未来は自分で決めます。
その為に、今こうして全国の仲間たちと一緒になって声を上げています。
今集まっている人、今聞いている一人一人、様々な想い、
確かな決意があって来ていると思います。
僕は、今回の戦争法案で若者が政治に対して声を上げること、
政治に関心を持つことのきっかけになったと思います。
もう安倍政権は僕たちの声は無視できない」

「安倍首相は、この間テレビで、『この法案はいわば隣の家の火事を消すことだ』
と言ったそうですが、はっきり言って全然説明になってません。
戦争は消火活動なんかじゃないんですよ。人殺しですよ。
消すのは火じゃなくて人の命です。
それに手を貸す、それがどうして日本の安全に繋がるというのでしょうか。
そんな犠牲を負ってまで、強硬な軍事同盟による抑止力なんてものが必要なんでしょうか。
バカの説明には納得されず、自分で思考し、自分で行動していきましょう」

「4年前、福島の原発事故が起きた時、
たくさんの人が、先の見えないままに避難を余儀なくされました。
私はボランティアを通じて、いろんな人に出会いました。
家をなくした人、仕事をなくした人、仲の良かった友人と離ればなれになった人、
生き甲斐にしていた畑を原発事故によって奪われてしまい、
あの日から時間が止まったままだという人もいました。
それを知って私は、どこか罪悪感を感じ、今まで原発に対して、
まるで無知で無関心だった自分にすごい腹が立ちました。
どうしてこんなことになる前に、原発に反対しなかったんだろう、
もっと早い段階で気付いて行動を起こしていたらどれだけの被害者を出さずに済んだんだろう。
今回、無理やり成立させようとしている戦争法案も、決して他人事じゃないです」

それぞれが思い思いの言葉を街に響かせた。
安倍首相をバカ呼ばわりしているが、バカはきちんとバカとして扱わないといけないと思うので、必要に応じて今後も罵倒すれば良い。
全国各地で多くの人々が立ち上がっているのだから、自分たちの属している自治体で行動を起こした時は、よりパーソナルなレベルの話をするのは戦略的に間違っていないだろう。
地元の構成員たる自分が、自らの言葉を使い、当たり前のことを堂々と発言していくべきだ。そのようなことが全国各地で行なわれれば、本当に大きな力となるだろう。この福島市での行動は小さなものかもしれないが、大きな力の中のひとつだと感じた。

今回のデモでは、立派な大型街宣車を借りてきていたのだが、備え付けられたスピーカーは使用せず、より音の良いスピーカーを別に用意して設置していた。
音は非常に良かったのだが、それをモニタリングするスタッフがおらず、BGMと話す声のバランスが悪かったり、商店街を通行する時に音量が大き過ぎたりしていた。
話す人によって声量が違うし、かける曲によって音量が違う。それだけでなく、立地によってスピーカーから出して良い音のレベルが違うので、それを車の外からチェックしオペレーターに音量変更の指示ができればベストだ。

デモは正当な権利であるのだけど、時と場合を考えないと逆効果になってしまうこともある。
例えば、学習塾や病院、冠婚葬祭を行なう施設、イベント会場のそば等では、楽器を鳴らすのをやめたり、スピーカーの音量を下げたりする配慮は、その街を大事に思っている人として当たり前ではないだろうか。
防音対策が施されている建物だろうと、その施設の休みの日であっても、そのことを知らない人がいないとも限らない。デモは「イメージ」でもあるので、配慮があってこそ効果を生むと思う。

若者たちの感性をストレートにぶつけ、それなりの配慮のデモをしていけば、こんなに強い武器はないだろう。

[2015年7月26日(日)・福島県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社) にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《017》戦争法案に反対する若者たち VOL.11 長崎
◎《016》戦争法案に反対する若者たち VOL.10 津
◎《015》戦争法案に反対する若者たち VOL.9 熊本
◎《014》緊急寄稿・朝日新聞と冨永特別編集委員のおわび
◎《013》戦争法案に反対する若者たち VOL.8 福岡

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《我が暴走07》「プリズンブレイクしたい気分」マツダ工場暴走犯独占手記[後]

2008年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車を突入させて場内を暴走し、1人を殺害、11人に重軽傷を負わせた引寺利明(48)。「マツダの工場で期間工として働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役刑が確定。現在は岡山刑務所で服役中だ。

この引寺が〈ここにマツダ事件から丸5年経った今のワシの気持ちを書きますので読んで下さい。〉と送ってきた手記を前回に続いて、紹介する。今回紹介する手記の後半部分では、犯罪者たちの服役生活の実情が前回紹介した前半部分以上に詳しく綴られている(手記の引用は基本的に原文ママだが、「行替え」「見出し」を加えた)。

引寺から2通の封書で届いた便せん13枚の手紙

================以下、手記================

◆逮捕時に90キロ近くあったメタボ体型が58キロになってしまった

今現在のワシのメンタルについてはここに書いた通りだが、身体については、この5年間で劇的に変わってしまった。逮捕時には90キロ近くあったメタボ体型が、広拘で70キロ台になり、ここに来てからもガンガンやせていき、ついには60キロを切って58キロになってしまった。(驚)まさしく文字通りのガリガリ君である。

シャバにいた頃には酒は全く飲まなかったが、毎日タバコ2箱ペースで吸いまくり、あま~~い缶コーヒーもガンガン飲んでいたので、20代後半頃から逮捕されるまでの間、数々の会社で働いていた時に受けた健康診断の血液検査では、毎回、肝臓と糖尿の数値がレッドゾーンだった。逮捕されて拘留生活となり、ポリ署ではタバコが吸えたものの、広拘に移管されてからは完全に禁煙となってしまった。(悲)2年ほど経った頃に、医務で血液検査をした所、なな、なんと!!あれほど何年間もレッドゾーンが続いていた肝臓と糖尿の数値が完全に正常値になっており、医師から「血液の数値は全て正常です。すこぶる健康ですよ」と言われてしまった。

ホンマ、人生とは因果なもんよのー。塀の中で強制的に規則正しい生活をする破目になり、その結果、健康になってしまった。

◆ここでは、いやし系よりいやらし系の映像がウケます

シャバとは違う塀の中での制限がキツイ禁欲生活ではあるが、1年2年と経つうちに慣れてしまった。人間とゆうものは、どんな環境においてもそれなりに順応するもんなんじゃのーと思う。住めば都とはこの事か。刑務所では筋トレをする受刑者がけっこー多いのだが、ワシは筋トレはたいぎいので全くしていない。

ここまでやせられたのは単純に飯のせいである。拘置所も刑務所も飯の量とカロリーが少なすぎる。もうちーたー喰わしてくれーー!!ギブミーカロリー!!って感じである。(笑)塀の中の飯は、文字通り生かさず殺さずである。ここで暮らしているとホリエモンが30キロ痩せたのも十分理解出来る。

雑居房でテレビを見ている時に、うまそうなステーキやスイーツが画面に写ると、みんな口々に「かあーー、うまそうなのーー」「喰いてーのー」「あーあ、もう一生喰う事は出来んのんかのーー」などと言っている。ここでは、いくら金を持っていても好きな食い物は買えない。出された物しか食べられない所がヒジョ~~~~にツライ!!

ちなみに、ナイスバディのイケてるオネーチャンが画面に写った時も「かあーー、えーのー」「たまらんのーー」「パフパフしたいのーー」などどワーワーゆーとります。(笑)ここでは、いやし系よりいやらし系の映像がウケます。

◆サーキットでレースを観る事が出来ないのがヒジョ~~~~に残念

事件当時の報道にあったように、ワシは無類の車好きです。もうこれから先、自分で車を運転することはないと思うが、やっぱ車が好きじゃのー。ワシが車好きという事と、事件に車を使った事については、ワシにとっては全く別の話じゃ。それはそれ、これはこれじゃ。

受刑者の中にはけっこー車好きな人が多く、工場での休憩時間や運動時間には、アーダコーダと車ネタで盛り上がる事がある。ワシはスーパーカー、チューニングガー、レーシングカーが好きなので、手元にあるゲンロク、オプション、オートスポーツなどの雑誌を、日々ヒマな時に眺めている。ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、若い時には、SA22CやFC3Sを所有していた時期があったのだが、残念ながらFD3Sは所有する事が出来なかった。それがちょっと心残りじゃのー。

シャバにいた頃には、毎年数回ほど岡山国際サーキットやミネサーキット(現在はマツダのテストコースになっている)へ出向いて、スーパーGTやフォーミュラーニッポンのレースを観ていた。特に好きだったのがスーパーGTを走っていたRE雨宮のRX-7で、あのペリチューン独特のつんざくような高周波のエキゾーストノートにシビれていた。サーキット特有の非日常な世界の光景が大好きだった。もうこれから先、サーキットでレースを観る事が出来ないのがヒジョ~~~~に残念に思う。

ワシはスポーツカーやチューニングカーが好きなので、早いこと新型RX-7が見たいのだが、なかなか出てこんよのー。えーかげん待ちくたびれとるでえー。いつになったら出るんかのー。どの雑誌を見ても、新型ロードスターに関する記事はあっても新型RX-7の記事は全くない。マツダのエンジニアの皆さんには期待しとるけーのー。世界中のRX-7ファンがあっと驚くようなインパクトのあるカッコイイRX-7をデビューさせてくれ。塀の中にも熱狂的なRX-7ファンがいる事をお忘れなく!!

◆柩に入って静かに出所する事になるんじゃろーのー

ワシがここに来て一年半が過ぎた。刑務所にキッチリ管理された制限がきつくて刺激のない単調で退屈な日常生活が日々続いている事に、もう飽きてしまった。ホンマ、何だかなーって感じである。

以前見た新聞記事で、全国の刑務所を調査し、無期懲役の受刑者が入所する人数と仮釈で出所する人数の統計があったのだが、無期懲役の判決を受けて入所する受刑者の数は、毎年かるーく何十人かはいるのに、仮釈をもらって出所する受刑者の数は、年に数人ぐらいだった。このバランスの悪さは何なんや。まあー、わかりやすく説明すると、無期懲役で服役している受刑者の大半はシャバに出ておらず、世間に知られる事もなくひっそりと獄中死しとるゆーこっちゃ。

世間に知らされるのは死刑囚の執行だけじゃ。ワシの場合、事件の規模からして、これから先、いかにワシが10年20年30年と真面目に服役したとしても、仮釈なんぞ絶対にありえないだろうと思っている。おそらく大半の受刑者と同じように柩に入って静かに出所する事になるんじゃろーのー。

あーあ、な~~んかワシもプリズンブレイクしたい気分じゃのー。(笑)

================以上、手記================

筆者は過去様々な殺人犯に会ってきたが、誰もが引寺のように獄中で無反省の日々を送っているわけではない。しかし一方で、引寺のように刑罰すらも無力だと思わせるような殺人犯もたしかに存在するのである。

引寺が暴走したマツダ本社工場

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走》マツダ工場暴走犯の独占手記!
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

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反骨の砦に集え!『紙の爆弾』9月号絶賛発売中!

 

鬼才・インベカヲリ★のきらめく写真群の秘密と編プロ時代

ものすごい勢いで「表現者」として、かなり高みに上っていく才気あふれる撮影家として、「インベカヲリ★」を語る。その少女は僕が経営する編集プロダクションに新人社員としてやってきた。少女は、おそらく村上春樹の「1Q84」が映画になった場合、スクリーンにて『ふかえり』を演じそうなほど摩訶不思議なオーラを漂わせていた。要するに、言語も、ふるまいも、不思議なほど説明できない魅了に覆われていたのだ。

おおよそ、素直に仕事をこなし、言われた仕事は確実に処理していたし、編集者としてはライターやデザイナーに好かれていたほうだ。僕は彼女の悪口というものを聞いたことがなかったからだ。が、ある日、この少女は自分を被写体にして、『選挙は出ません』というキャッチコピーをつけたポスターを作ってきて、会社の事務所にピタリ、と貼り付けた。

インベカヲリ★「やっぱ月帰るわ、私。 」(赤々舎2013年11月)

このとき、少女は20歳。のちに、撮影家として業界を席巻することになる「インベカヲリ★」だ。

いっぽう、僕のほうはというと、経営者という立場に馴染めず、資金繰りの不調を抱えて連日、嘔吐と頭痛に耐えていた。要するにメンタル的に参っていたのだ。このとき、僕は「この少女を、編集者として抱えていていいのだろうか」という疑問に唐突にさいなまれる。自分を被写体にしてポスターを作るようなコは、「編集者」として適していない。むしろ「アーティスト」を目指していくべきだと考えた。くわえて、初めてロケに行かせたら、撮った写真が初めてにしては、あまりにも画角も光量も的確だった。たぶんレストランの外観を撮ったものだと思うが、その画角は、被写体に対する愛に充ち満ちていた。簡単に言うと、僕は彼女の写真に魅入ったのだ。

それからしばらくして、おそらくなんのプランもないまま、思いついくままに、僕は少女にほかの道に進むように説得したと思う。こんなに言葉を並べて人を説得したのは、僕にとっておそらく生まれて初めてだっただろう。ただ、僕としては少女を手元において、その才能を「編集者」のような実需に埋没させて、ひからびさせるのが怖かったのだ。

「少女」は、さまざまな賞をとり、海外でも評価されていくのだが、注目するかぎり、僕が「ほかの道を探したほうがいい」と示唆したのはショックだったようだ(それは、彼女自身のインタビュー記事で確認した)。

このとき、僕の目には、少女がサイト紹介の原稿を書き(この時代は、サイト紹介をするムックが流行していた)、行ってもさして精神的な糧にならぬ飲食店の取材をし、僕の気ままな命令を受けて銀行に行ったり、郵便局に行ったりと(いかにもつまらなさそうに)雑務をこなす生活に辟易しているように見えた。その時代を彼女が「もっとも輝いていたとき」(これもインタビューで彼女が語っていた)とするなら、僕はおおよそ人を見る目がなかったのだろう。もともと経営者になる器ではなかったのだ。

インベカヲリ★が撮る写真は、実は「生きる」ということに絶望しながら、「生きる」ことに執着している人たちの物語だ。詳しくは、ホームページを観てほしいが、彼女が「新潮45」の8月号に書いているように、インベカヲリ★は、被写体になる人たちの話をじっくり聞いてから、撮影に入ることにしているようだ。そこには、「被写体も表現者なのだ」という確個たる信念を感じることができる。時代がインベカヲリ★を呼んだのだ。そして、彼女が時代を呼んでいく。

僕が彼女に「この仕事(編集)には向いていない」と説得したのを、リストラと捉えたようで、ずいぶん苦しい思いをしたそうだ。

だが勝手なことを言えば、おそらく僕は本能的に、彼女を「いったん仕事がない状態」にした場合、なんらかの表現者となって再び世の中に出現することをうっすらと予感していたにちがいない。撮影家になるとはたぶん、1割くらいしか思っていなかったが。

彼女が会社から去り、もともと持っていたホームページに、モノクロームの写真があり、タイトルが「夏の蝶々儀式」と書かれていた。実に不思議な構図の写真だった。ただ僕そのものは「始まったな。表現者としての人生が」と思ったものだ。

機会があれば、おそらく僕は彼女のギャラリーに足を向けるだろう。

だが僕は今、表現者としてはとっくに彼女に追い抜かれている。少なくともイーブンになるまで、ギャラリー行きはお預けになりそうだ。なぜなら彼女をリストラしたのは、どう美しく弁解したとしても、ほかならぬ僕自身なのだから。

◎[HP]インベカヲリ★ http://www.inbekawori.com/

(小林俊之)

◎警察が「ぼったくり」を刑事事件化したことでヤクザのさらなる地下潜行が始まる
◎塩見孝也『革命バカ一代』で思い出したベテラン警備員『ゲンさん』たちの物語
◎「工藤會壊滅ありき」で福岡県警が強引に人権を無視し続ける邪な理由
◎ライターが撮影を担う時代の到来と、写真塾の展覧会から得る刺激

“民主主義って何だ?”7・15を忘れない「SEALDs」の闘い──独裁者を撃つ反骨の砦『紙の爆弾』!

 

橋下「維新の党」離党の茶番──マスコミが取り上げなければ橋下は終わる

〈橋下徹公式HPトップより〉

橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事が7月27日、「維新の党」を離党する意向を明らかにした。

ほら見たことか。

橋下の行動は容易に予想が出来ていた。数日前に地方選挙を控えた候補者が「維新の党」から出ると連絡してきたので、「当選したいのであれば、その選択は絶対にやめるべし、橋下の名前は近く『維新』から消えるだろう」と警告した直後だった。政治部記者でもない私が、なぜそのように予想できたのか。

◆橋下はマスコミに取り上げられなければ政治生命が持たないことを熟知している

答えは簡単だ。橋下は、おおよそ半年以上メディアに大きく取り上げられないと、自分の政治生命がもたない、「タレント政治家」だということを自覚しているからだ。注目を浴びるためであればテーマは何でも構わない。大阪都構想で敗北し、任期満了で市長、政界から引退すると語ったとき、私は市長を辞めたら、大臣の椅子確保の裏約束を取り付けて自民に鞍替えし、来年の参院選に出るだろう、と予想していた。だが橋下はそこまで我慢できなかったようだ。

世間は「戦争推進法案」についての報道であふれている。もう在阪のメディアでも「かつてのように橋下でレートが取れる時代じゃない」と見切りをつけ、扱いは大幅に減っていた。

橋下にとって、なにが我慢ならぬかといえば「自分に注目が集まらない」ことほど許せないことはない。

市長辞任再選挙の茶番までは、マスコミもかろうじて取り上げ、話題になった(させた)ろうが、都構想もダメ、咲州庁舎処分もダメ、自身が選んだ教育長はセクハラで退職(その後天下り)、職員に訴えられた裁判は敗訴続き・・・八方塞がりで、

「あかん、弾切れや・・・(大阪弁はしゃべれないものの橋下の内心)」

と、意気消沈していたところ、中央で、柿沢未途や松野頼久が民主らとの共闘を模索している。「これだ!」と目を付けた橋下は「内紛をしている場合ではない」とコメントしながら離党(!)を決意したのだ。そうだ、そうだ。橋下よ、お前の言い分は正しい。「内紛」の原因になったのは自分自身なのだから離党するのだろう。うん。これで橋下が維新の中で内紛の原因になることはなくなるだろう。

◆政策以外の行動原理は終始一貫している橋下

タレント政治家、橋下は全く信用に値しないけれども、彼の行動だけに限れば、実は結構一貫している。「いつでも威張っている」、「差別発言をしても許されると考えている」、「約束を守らない」、「気に入らないと投げ出す」、「不都合は他人に責任を押し付ける」。「平気で前言を翻す」。

なかなかどうして、一貫した行動性の持ち主だ。ただし行動原理一貫性に「政策」が含まれることは金輪際なかった。

読者諸氏は注目なさる必要はない。そうでなくとも奴は必ずまた「奇をてらった」形で、自らの存在をアッピールする行動をとり皆さんの前に現れることを予想しておく。

◆5月17日に「政治家引退」を表明したはずなのだが……

ただこの一言だけは覚えておいて頂きたい。本年5月17日大阪都構想の住民投票で敗れた時に橋本は「(12月の)市長任期後は政治家はやりません。政治家は僕の人生で終了です」と語ったことを。

私はこの「約束」を橋下は必ず反故にすると見立てている。

また、橋下だけでなく「維新」にありもしない幻想を抱いていた方々もそろそろこの現象にお気づきになって頂きたい。橋下は知事時代に退職金減額して、いかにも「経費節減」を実践しているかのパフォーマンスには気を配っていたけれども、要りもしないSPを付けた経費は税金からの出費だ。また知事時代、市長の現在を通して、首長としての給与を貰いながら、どれだけ自分の政治活動に時間と金を費やしたことか。

市長、知事などには出勤時間や政治活動の制約はないものの、公務員であることに変わりない。滋賀県の嘉田前知事が「日本未来の党」代表に就任した際は「知事の仕事と兼務できないだろう!」との県議会で批判と議決を経て党代表を辞任した。はて、嘉田氏には認められず、橋下氏には何故全くおとがめがなかったのだろう。

本人だけでなく、テレビを通じてあるいは選挙を通じて、「なんとなく」橋下を支えてきた人々にも責任の一端はある。もうやめよう。こんなわがまま坊やに付き合うのは。

と、ここまで書いたら橋下と一緒に維新を離党する!と宣言した松井知事が「もう一度大阪都構想を掲げて知事選で闘う!」と言い出した。橋下のコバンザメ松井はあまりにも小者なので(見かけはヤクザ風の強面だが)無視してきたが、「一事不再理」の原則を知らないのだろう。厳格に言えば条例に「一時不再理」は適用されないけれども、橋下が「都構想敗北、引退宣言」をした時点でこの話は終わっていたはずだ。

私があれこれ例を挙げるまでもなく、維新一派の妄想性がまた明らかになった。


◎[参考動画]【都構想否決】橋下徹政界引退を表明 ノーカット 第一部(Zipang News Watch2015年5月17日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎フジサンケイ「育鵬社」公民・歴史教科書の採択拡大で子供の臣民化がはじまる
◎8.27反安倍ハンストの大きな意味──開始直後の学生4人に決起理由を聞いてみた!
◎原発・基地・戦争=「犠牲のシステム」を解体せよ!「NO NUKES voice」05号発売!
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

『NO NUKES voice』第5号amazon.co.jpでも発売中!

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8.27反安倍ハンストの大きな意味──開始直後の学生4人に決起理由を聞いてみた!

8月18日の記事でご紹介した通り、27日14時から「安保関連法案制定を阻止し、安倍政権を打倒するための学生ハンスト実行委員会」によるハンガーストライキが始まった。参議院議員会館近くでハンストに突入した学生4名だが、ハンスト開始直後には全国紙をはじめ、多くのマスコミや支援の学生、労働者など80名近くが集まった。そこで早速ハンスト闘争に決起した4名の学生に、「なぜハンスト闘争に立ち上ったのか」を電話で伺った。

ハンストを決行した4人の大学生(ハンスト実行委員会ツイッターより)
◆各々がやれることをやるべきだ(井田敬さん)

井田敬(上智大学2年)さんは「7月15日衆議院特別委員会採決、16日衆議院本会議通過というスケジュールの中、限定的条件のもとのハンストです。これだけで何かが変えられるとは思わないけれども、各々がやれることをやるべきだと思いハンスト参加を決意しました」と語ってくれた。

◆戦場に連れて行かれるのは私たち若者だ(木本将太郎さん)

木本将太郎(早稲田大学1年)さんは「安保法制反対、安倍政権打倒のためにハンスト参加を決めました」と極めてシンプルに決意の理由を語る。「解釈改憲で集団的自衛権が認められてしまい、『何でもあり』の状況になっています。同時代の人々に呼びかけたい。日本で若者は大変苦しい状況におかれています。大学に進学する人の中には奨学金を借りている人が多数いますが、奨学金の返済に困っている人は凄まじい数です。また、たとえ就職できたとしても、労働条件が劣悪なブラック企業は数知れずあります。安保法案が仮に成立すれば、戦場に連れて行かれるのは私達若者です」と危機感を訴える。

◆沖縄の犠牲で成り立つ日本のありように行動で意見を示したい(元木大介さん)

元木大介(専修大学4年)さんは「僕には自衛隊員の友達がいます。彼は『安保法案』に反対しています。彼が自衛隊に入った理由は3・11で自衛隊が災害時に救援活動を行っていたことに共鳴してのことでした。『安保法案』が成立すれば私の友人は、戦場に行かなければいけないかも知れなくなる。彼は戦争をしたくて自衛隊に入ったわけではないし、私も彼に戦場へは行って欲しくない。日本のありよう、とくに世界の中での日本の立場を考えてハンスト参加を決めました。また、今の日本は沖縄の犠牲があって(辺野古基地建設問題など)成り立っていると思いますが、いい加減にやめるべきだと思います。『安保法案』を何としても阻止したいと思います。仮にこの法案が成立すれば、またしても沖縄が一番の被害にあうのは明らかでしょう。この法案を審議しているのは主として『おじいちゃん連中』ですが、彼らは一切若者の意見は聞かないですね。『安保法案』が成立しても、『おじいちゃん連中』には関係ないですからね。だから行動で意見を示します」と述べた。

◆安倍政権への反対を直接的な方法で訴えたい(嶋根健二さん)

最後に嶋根健二(専修大学4年)さんにお話しを伺った。「安倍政権の安保法制審議は、違憲である『解釈改憲』をもとにしたものです。許せません。私は沖縄辺野古の運動に関わっていますが『戦後70年理想の平和』という概念は、沖縄や朝鮮を犠牲にして日本の平和を成り立たせていた「利権をもとにした平和」だと思います。このことも安倍政権に訴えたいですね。より直接的な方法で示せないかと考え、ハンストに参加することにしました」

◆体を張った4人の問題提起に賛同と連帯の意を送る!

まだハンストを始めて数時間なので皆さん元気にあふれていた。しかし40代くらい男が「安保法制賛成じゃ!」などと大声を上げて彼らに迫ってきて、一時は制止する警察官との間で数分のもみ合いになったという。「無期限ハンスト」を掲げて決起した学生達。個々が誠に見事な行動理由を語ってくれた。酷暑からややましな季節になったとはいえ「ハンスト」による体力の消耗は著しい。だが、それを支える人々の応援があれば彼らは確実に勇気づけられ、士気も高まる。彼らの決起に再び大いなる賛同と、連帯の意を送る。このハンストは様々な意味で大きな意味を持つだろう。運動の在り方へ投じられた、体を張った問題提起でもあると思う。

学生ハンスト実行委員会

[Facebook] https://www.facebook.com/Hungst.co.jp
[ブログ] http://blogs.yahoo.co.jp/hansutojitsu

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎決起する若者たち──8月27日、4人の学生が安倍退陣を求めてハンスト闘争へ!
◎原発・基地・戦争=「犠牲のシステム」を解体せよ!「NO NUKES voice」05号発売!
◎愛国者たちはなぜ「対米売国」血脈の安倍政権にNOと言えないのか?
◎「不逮捕特権」を持つ国会議員は「体を張って」安保法案を阻止できる!
◎フジサンケイ「育鵬社」公民・歴史教科書の採択拡大で子供の臣民化がはじまる
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

『NO NUKES voice』第5号amazon.co.jpでも発売中!

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《我が暴走06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]

〈片岡さん、お元気ですか? ワシはボチボチ元気にやっております。ってゆーか、ホンマ、マジで、ここでの生活に飽きが飽きが飽きが飽きが飽きが飽きが飽きがきております。(笑)〉(筆者注:7つの飽きの右横には・・)

先日、男から久しぶりに届いた手紙は相変わらずハイテンションだった。名は引寺利明(48)。当欄で繰り返し近況をレポートしてきた暴走殺傷犯である。

引寺は2008年6月22日の朝、広島市南区のマツダ本社工場に自動車を突入させて場内を暴走し、1人を殺害、11日に重軽傷を負わせた。事件後ほどなく自首したが、その口から明かされた犯行動機は特異なものだった。

「マツダの工場で期間工として働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」

そして引寺は裁判でも被害者や遺族に謝罪せずじまい。逆に公判廷で「ワシがマツダに黒歴史を刻んでやったでぇ!」と叫ぶなど、被害者、遺族の心情を逆撫でする言動を繰り返した。結果、集団ストーカー云々の話は妄想性障害ゆえの妄想だと認定されたが、完全責任能力を認められ、無期懲役が確定。現在は岡山刑務所で服役している。

当欄では、そんな引寺が無期懲役囚となった今も無反省の日々を過ごしていることはすでに紹介した。今回の手紙は便せん13枚に及び、2通の封書で届いたが、簡単な近況報告ののちに次のように綴られていた。

〈ここにマツダ事件から丸5年経った今のワシの気持ちを書きますので読んで下さい。〉

このあと、引寺は便せん約9枚に渡り、「今のワシの気持ち」を書き綴っているのだが、結論から言うと、引寺は今も徹底的に「無反省」だ。この手記を読めば、気分を悪くする人もいるだろう。

とはいえ、この手記が重大殺人犯の実像を知るための貴重な情報であることは間違いない。また、犯罪者の矯正の実情を窺い知れる記述も散見される。そこで、この手記を前後編2回に分け、紹介する(手記の引用は基本的に原文ママだが、「行替え」「見出し」を加えた)。

引寺から2通の封書で届いた便せん13枚の手紙

================以下、手記================

◆5年という時間の流れを遺族や被害者はどう感じとるんかのー

6月の22日でマツダ事件から丸5年が経ちました。この5年間とゆうのは、ワシにとっては長く感じました。

振り返れば逮捕後に南署での取り調べで一ヶ月ちょいかかり、精神鑑定で九州の精神病院に3ヶ月、広島の南署に戻ってから一ヶ月弱過ごし、その時に起訴された。広拘に移管されてから約3年ほど過ごした時には、弁護士に金を渡して買ってもらったロト6のくじで3等が当選してバブルとなり、その金でお菓子、パン、カップラーメンや雑誌などを買い漁り、独居房の中が小さなコンビニのようになったり、一審や二審の裁判の時には法廷で言いたい放題ブチまけたり、何人もの記者と毎日のように面会したりなど様々な出来事があり、今でも時々思い出す事がある。

ハッキリ言って今の時点においても、ワシには謝罪感情は芽生えておりません。ただ、事件から5年という時間の流れを、遺族や被害者の方々はどう感じとるんかのーと思う事はあります。

◆刑務所で精神障害の治療なんぞありゃーせん

広島地裁で行われた一審の判決日に、ワシに向かって無期懲役を言い渡した裁判長が「刑務所で精神障害を治療して治ったら、自分が犯した罪に向き合って考えて下さい」などと言っておったが、いざ刑務所に来てみると、精神障害と断定されたワシに対する治療なんぞありゃーせん。体調不良になった時に医務が薬をくれるだけで、専門医によるカウンセリングや投薬などの治療なんぞ全くない。あの裁判長は刑務所の現状なんぞ全く知らんのじゃろーのー。今でも裁判で精神障害と断定された事に対する怒りがある。

ショボイ捜査をしやがった警察、ワシをキチガイ扱いした検察や裁判所にはホンマ頭にくるぞ。その怒りのせいで謝罪感情がどっかへ飛んでいってしもーとる。結局の所、何年何十年と刑事や検事や裁判官をやっとっても、真実を見極める目なんか全く持っておらんゆーこっちゃ。事件の真相が一審の前に明らかになっていれば、ワシには精神障害なんぞ全く無い事になり、正当な裁判が行われたはずじゃ。

裁判所に関しては、裁判官には怒りがあるが裁判員に対してはそうでもない。裁判員は所詮素人じゃし、どうせ裁判官の連中にうまくのせられとるだけじゃろーけーのー、アーダコーダと言うつもりはない。

◆裁判員だったオッチャンが語った記事に笑ってしもうた

一審が終わった頃の中国新聞に、裁判員の一人だった年配のオッチャンが語った記事があり、裁判員を務めた感想についてアレコレと語った後に「また機会があれば裁判員をやりたい」と言っているのを見て笑ってしもうたで。ワシはそのオッチャンに対して、裁判員ゆーのは一人の人間が何回もやるもんじゃないんでえー、と突っ込んでやりたかった(笑)おそらくそのオッチャンは、法廷での裁判員とゆう非日常に味をしめたんじゃろーのー。ホンマ、困ったもんよ。

ワシが逮捕された後も、世間では様々な殺人事件が起こり、裁判の判決をテレビのニュースや新聞で見ていたが、1人殺害で死刑になる被告もいれば、2人殺害で無期になる被告もいる。いかに市民感覚を取り入れた裁判員裁判とはいえ、この判決のバラツキはいかがなものかと思う。マツダ事件の裁判も、真相が明らかになった上で正当な内容の一審が行われていれば、例え判決が死刑になったとしても、ワシは満足したじゃろーのー。

================以上、手記================

引寺は筆者の取材に対し、裁判で真相が明らかにならなかったことが不満であると以前からずっと主張し続けてきた。真相とは、自分がマツダで期間工として働いていた頃、集団ストーカー被害に遭ったことや、その犯人が誰だったのか、ということだ。しかし裁判では、引寺が訴える集団ストーカー被害は妄想性障害ゆえの妄想と認定され、引寺としては真相が明らかになったとは到底思えないことが反省の思いを持つことを妨げているわけだ。

それにしても、引寺が裁判で精神に障害があると認定されたうえ、裁判長から「刑務所で精神障害を治療して治ったら、自分が犯した罪に向き合って考えて下さい」と言われながら、刑務所で何の治療もされていないというのは、本当ならば日本の犯罪者矯正システムに疑念を抱かせる話である。(後編につづく)

引寺が服役している岡山刑務所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走》
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

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