朝鮮のミサイル発射報道〈日常化〉の中で放置されるこの国の〈本当の危機〉

9月15日朝鮮が長距離弾道弾(ICBM)と思われるミサイルを発射した。報道によればミサイルは北海道上空を飛んで北海道から2000キロあまり東の太平洋に落ちたという。朝鮮の中長距離ミサイルの試験的発射は、もう日常的な感すらある。私はこのような朝鮮のミサイル発射実験を好感しない。


◎[参考動画]【ニコニコ実況付】北朝鮮がミサイル発射 Jアラート発表時のNHKニュースダイジェスト(sk5417さん2017年9月15日公開)

2017年9月15日付け産経新聞

それにもまして「対話と圧力」で朝鮮との二国間関係に臨むと宣言した、安倍政権及び、それに追従する中央省庁、さらには地方公共団体の、過剰かつ全く無意味な反応に気持ち悪さと怒りを禁じ得ない。9月15日のミサイルは日本の上空700キロを飛んだと米国当局は想定を発表している。上空700キロとはどんな場所か? 一言で言えば「宇宙」だ。静止衛星は高度35万キロ以上の上空に打ち上げられるが、用途が限定される人工衛星は高度600-700キロにいくらでも飛んでいる。

今回打ち上げられたミサイルの飛行した弾道を各種報道で見る限り、日本上空を通過した時は上空700キロ程度で飛んで行った可能性が高い。この高度で飛ぶミサイルが弾道に高性能爆薬や核兵器を仮に搭載していたとして、この島国はどのような対策を取るのが最も適切だろうか。

それは「放置」することだ。

隠された技術があるのかもしれないが、現在公表されている地対空ミサイルの最大迎撃距離は地上から500キロだ。これでも本当かな? と思うが日米は「実験」で何度か上空500キロの「標的」迎撃に成功しているというから、そこまで飛んでいく性能はあるのだろう。しかし、朝鮮が実験で打ち上げたミサイルを万が一にも日本が迎撃ミサイルで撃ち落としたら、朝鮮や国際社会はこの島国をどのようにとらえるだろうか。それは仮に日本が種子島宇宙センターから「ロケット」を打ち上げた際に、中国、ロシアや朝鮮から「撃ち落とされた」事態を考えてみれば、想像の助けとなるだろう。

「メルカトルの呪い? 地図のおはなし」(2013年3月2日付けNonrealさん海国防衛ジャーナルより)http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50695367.html
「メルカトルの呪い? 地図のおはなし」(2013年3月2日付けNonrealさん海国防衛ジャーナルより)http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50695367.html
「メルカトルの呪い? 地図のおはなし」(2013年3月2日付けNonrealさん海国防衛ジャーナルより)http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50695367.html

◆「全く無意味」な訓練が大きな反対もなく行われている

「民生」ロケットを撃ち落とされたら(そうでなくとも、日本のロケットはしばしば打ち上げに失敗するが)、重大な国益棄損と場合によっては、軍事的攻撃として対象国は非難の的になるだろう。J-アラートがバカ騒ぎして待機していたようなタイミングで早朝官房長官が会見を行う。地下鉄が止まり、多くの市町村のHPには「ミサイル飛来の際には」との穏当ではない見出しが躍り、義務教育の現場で「全く無意味」な訓練が大きな反対もなく行われている。

万が一弾道を搭載したミサイルが人のいる場所に着弾すれば、「丈夫な建物」に入っても、「頭を何かで覆っても」、「窓際から離れても」全く無意味である。中程度の地震対策と同じように「何の効果もないミサイル対策」を無責任に流布する政府、地方自治体のありさまは、あえてきつい言葉で言えば「愚の骨頂」である。


◎[参考動画]北朝鮮ミサイル発射 J アラート情報 在京キー局報道の5分間(J-POP遺産さん2017年9月15日公開)

◆どうして朝鮮と「対話」を行おうとしないのか?

ミサイルが飛んで来たら「何をしても無駄」なことは、シリアや中東紛争地帯のニュース映像が伝えるとおりだ。

であるから、仮にこの島国の国土にミサイルが飛来しようが、「放置」するのが現状では最善の策であると私は考える。ただし、それには条件がある。朝鮮がこのかん何回中距離長距離ミサイルの発射実験を行ったか、正直興味がない(調べれば簡単に判明するが、その回数は本質的な問題ではない)。

もっと注視されるべきは、この島国の政府が本当にこの島国に住む(あるは滞在する)人々(日本国籍保持者に限らず、特別永住者を含む)の安全、安寧を第一に考えるのであれば、「圧力」ばかりでなく、どうして朝鮮と「対話」を行おうとしないのか、という基本的な問題だ。

「そんな昔の話とミサイルは別問題だ」とおっしゃる向きが多いかもしれないが、この島国は朝鮮半島の南半分を統治する「大韓民国」とは不充分ながらも占領時代の保障を含んだ、「日韓条約」を締結している。一方日本占領時代には2つの国に分かれてはいなかった片方の国、「朝鮮民主主義人民共和国」との間では、なんら植民地支配、戦後補償の話が行われていない。

つまり直近の状況がどうであれ、この島国が行った「植民地支配」に対する最低限の保障も行っていない中で、「拉致問題」を先頭に「北朝鮮=悪の国」との政府を先頭としたマスコミも同調する広報により、私たちは重要な歴史的過去の債務を忘却しかけており、それゆえ「圧力と対話」などと、はなから朝鮮を敵国視した歪な態度にすら、批判の声は小さく、「対話」を行おうとする態度は、われわれが知る限り、「皆無」だといっていいのが今日の姿である。

そして、マスメディアは歴史を全くと言ってよいほど無視し、何かにつけて容疑者を常時監視している警察のように、朝鮮中央放送がニュースで流す日常的な独特の派手な言い回しをとらえては、明日にでも朝鮮が暴発するかの如き報道を何十年も続けてきた。

◆金日成以来「天皇制」を模して作られた「独裁」体制

国力や外交力、何よりも自国民の福祉に対して現在の朝鮮独裁政権は、評価に値しないと私は考える。その根拠は朝鮮における金日成以来の「独裁」体制が、この島国の「天皇制」を模して作られたものであり、実際に世襲3代目の昭和天皇の時代にこの島国は、途方もない他国への侵略と自滅を経験している事実から導かれる。

この島国は何故あの様な暴虐を成しえたのか。そしてありもしない神話に依拠した「天皇制」に多くの人々が洗脳され、殺し、殺されたのか。独裁三代目の朝鮮に私は危機感を感じる。100年弱前のこの島国の自滅とどこかが似ている。そしてその過ちを加害的に起こした日本国安倍政権は「対話」を一切行わず「経済制裁」という名の「虐め」に専念している。歴史に学ぶということが、この島国の権力者には不可能なのだろうか。


◎[参考動画]ドキュメント北朝鮮①個人崇拝への道(60min)(アナログチャンネルさん2017年1月16日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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国崇も勢い上げるDUEL.11、女子キックも充実!

国崇vsチャーオサム。開始早々から攻勢を掛ける国崇、倒す気満々
国崇vsチャーオサム。国崇のローキックで棒立ちとなるチャーオサム
勝利者ならではのツーショット

◎DUEL.11 / 2017年9月3日(日)ゴールドジム・サウス東京ANNEX.17:00~19:20
主催:NJKF若武者会 / 認定:NJKF

国崇(くにたか)のローキックで早々にチャーオサムの動きが止まり、パンチでのボディブローと左頬にヒジ打ちを加えると、ダメージ深いチャーオサムはやや遅れて倒れ、レフェリーが止めて国崇の勝利となる。今年に入って4連続KO勝利、まだまだ現役を続ける意思表示を見せた国崇でした。

C-CHANは序盤、長身を利した右ミドルキックで自分の距離間を掴むが、接近戦に持ち込む百花のパンチが次第に増えて圧力を掛ける。C-CHANの蹴りが優ったように見えたが、百花のパンチで攻め返される見映えの悪さと、百花の積極性でポイントが流れた様子でC-CHANは王座陥落。百花がNJKFミネルヴァ・アトム級王座奪取となる。ピン級(-45.359kg)での王座争奪トーナメント戦出場を願い出た百花は、この軽量級エリアで更なる上位階級への挑戦も目指して欲しいところです。

《全10試合結果》

◆第10試合 メインイベント 57.0kg契約 5回戦

ISKA(ムエタイ)世界フェザー級チャンピオン.国崇(拳之会/56.7kg)
vs
チャーオサム・エスジム(タイ/56.8kg)
勝者:国崇 / TKO 1R 3:03 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮本和俊

◆第9試合 NJKF女子(ミネルヴァ)アトム級(-46.266kg)タイトルマッチ3回戦

チャンピオン.C-CHAN(TEAM GONJI/46.3→46.26kg) vs 挑戦者同級1位.百花(魁塾/45.3kg)
勝者:百花 / 判定1-2
主審:多賀谷敏朗
副審:宮本29-28. 竹村28-30. 白神28-30

C-CHANvs百花。後半の追い込みを掛ける百花
C-CHANvs百花。蹴られ続けても我が身を信じ、パンチで攻めた百花
百花が王座奪取。更なる階級制覇へ意欲を見せる

◆第8試合 58.5kg契約3回戦

hayato (FOKAIJAPAN/58.3kg)vs 雅也(T-KIX/58.5kg)
勝者:hayato / 判定2-0
主審:竹村光一
副審:宮本30-29. 多賀谷30-28. 白神29-29

◆第7試合 フライ級3回戦

一航(新興ムエタイ/50.8kg)vs 池上侑李(岩崎/50.7kg)
勝者:一航 / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:宮本30-28. 多賀谷30-28. 竹村30-28

◆第6試合 女子アトム級3回戦(2分制)

美保(KFG URAWA/46.1kg)vs めぐみ(日進会館・宮原/46.0kg)
勝者:美保 / 判定3-0
主審:白神昌志
副審:中山30-27. 多賀谷30-26. 竹村30-27

◆第5試合 女子53.0kg契約3回戦(2分制)

田丸茜(エイワS/52.5kg)vs 坂本優(CROSSLINE/51.6kg)
勝者:坂本優 / 判定0-3
主審:宮本和俊
副審:中山28-30. 白神28-30. 竹村29-30
狩野友里(KICK BOX)の欠場により田丸茜が代打出場

◆第4試合 女子50.0kg契約3回戦(2分制)

ライトフライ級3位.後藤まき(RIKIX/49.6kg)vs にゃあしゃー綿田(チームNYAA/49.0kg)
勝者:にゃあしゃー綿田 / 判定0-2
主審:多賀谷敏朗
副審:中山29-30. 白神29-29. 宮本29-30

◆第3試合 女子ピン級(-45.359kg)3回戦(2分制)

真奈長(真樹・オキナワ/44.8kg)vs 奥脇奈々(はまっこムエタイ/45.35kg)
勝者:真奈長 / 判定3-0
主審:竹村光一
副審:多賀谷30-27. 白神30-28. 宮本30-27

◆第2試合 フェザー級3回戦

小田武司(拳之会/57.0kg)vs 獠太朗(DTS/57.0kg)
勝者:獠太朗/ 判定0-2
主審:中山宏美
副審:多賀谷28-29. 竹村29-29. 宮本28-30

◆第1試合 女子フライ級3回戦(2分制)

七美(真樹・オキナワ/50.1kg)vs 佐藤瑠南(VERTEX/50.7kg)
引分け 0-1
主審:白神昌志
副審:多賀谷29-29. 竹村29-29. 中山29-30

hayatoの勝利を祝して、3日後の試合を控える梅野源治も登場
NJKF斉藤京二理事長(左)より認定証を受け、DUEL竹越義晃代表(右)よりチャンピオンベルトを受けた百花
DUELでは恒例のラウンドガール実来さん登場

《取材戦記》

女子の軽量級域の細か過ぎるウェイト間隔。選手にとっては「1ポンドでも大きな差」と言っても一般人では、1日以内で変化ある1キログラム以下の間隔ってどうなのでしょう。百花はピン級ウェイト(-45.359kg)でアトム級(-46.266kg)王座を奪った形です。

その女子を中心とした興行もかなり増えました。少子化や競技の多様化で、各格闘競技人口の減少の上、こんな痛い思いして、お金にならないことしなくてももっと儲かる競技を目指す若者も多い中、女子キック・ムエタイ競技の興行が増えたことは、喜ばしいことなのかもしれません。

ウェイトの問題ではもうひとつ。クルーザー級は1980年にWBCのプロボクシング世界戦で新設され、後にキックボクシングでも真似するように新設されました。当初は190ポンド(86.182kg)以下でしたが、10年ぐらい前に200ポンド(90.718kg)以下に変更されました。

ところがキックボクシング各団体は知ってか知らずかそのまんま。キックやムエタイの各団体で「190ポンドで行なう」と宣言してくれれば、それで確定で分かり易いのですが、ボクシングの試合は観るがルール変更に気が付かないキック関係者が多いようです。

国崇は、今年2月のスペンサー・テー(シンガポール)戦からこれで4連続KO勝ちとなりました。今回も5回戦ヒジ打ち有りルールの試合でしたが、「ムエタイがそのルールですから」と本来のルールに拘りました。多くの世界王座を奪取し、ムエタイ殿堂王座挑戦も経験している国崇は37歳にしてまだ上を目指す挑戦を続けます。

NJKF興行は9月24日(日)に後楽園ホールで、NJKF 2017 3rdが行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

9・16神宮前で第99回草の実アカデミー 安倍政権後の政治のかたちを考える

戦後培ってきた民主主義を否定し、基本的人権を保障した憲法を壊そうと安倍政権は暴走し続けているが、それにつれて政権打倒、政権交代の声も高まっている。

野党共闘を推進しようという声もあるなかで、市民が明確な政策をかかげ、政策の一致で市民レベルがまとまろうというイベントが本日9月16日(土)夕方6時から、東京都渋谷区の穏田区民会館で行われる(後述)。

◆森友・加計問題で安倍政権は窮地に

このところ、北朝鮮のミサイル問題が騒がれて報道量は減っているものの、森友学園・加計学園問題で安倍政権は窮地に陥っている。安倍政権の「お友達政治」の実態は、どんどん明らかになっている。怒涛のような北朝鮮ミサイル報道で隠されているだけだ。

とりわけ加計学園獣医学部問題では、安倍首相の関与は深く、放置できない問題である。8月末に、地元の今治加計獣医学部問題を考える会の共同代表・黒川敦彦氏が、獣医学部の建築図面を公表してますます疑惑が強まった。建築費水増し問題である。

公表された資料から計算すると建設坪単価は約150万円にものぼる。黒川氏らが専門家に意見をもとめたところ、「倉庫に毛が生えた程度の建物で、民間どうしの発注だったら、坪70万円くらい」との回答が来た。

政府統計の「建築着工統計調査」のうち、愛媛県内の学校建築7件中6件は加計学園のものと判明した。そこに記載されている数値をもとに建築費坪単価を割り出すと約88万円。どうみても150万円は高額すぎる。

これに対して加計学園側は、立て続けに4通のファックスで反論してきた。それよると、「校舎の建築費は136億円で1期工事が約80億円と認めました。2期工事は1945㎡(平米)しかないのに建設費56億円ということになるので、坪単価は、なんと962万円! ひとつ嘘をつくと辻褄があわないことがどんどん出てきます」(黒川氏)という状況だ。

さらに黒川氏は続ける。
「森友学園の籠池前理事長夫妻は、補助金約5600万円を詐取した容疑で逮捕されましたが、加計学園の疑惑は50億円以上の建設費水増しです。加計孝太郎理事長と安倍晋三首相を刑事告発する全国運動を展開したい」

こうした動きが実際に起きれば、相応のインパクトがあるだろう。このような森友・加計学園隠しをはかる安倍政権に対し批判はますます強まるに違いない。

◆キーワードは「受け皿」「消費税廃止」「原発廃止」

8月29日の院内集会。安倍打倒の声は急速に高まっている

このような動きの中で、政権交代に向けて様々な人やグループが動き始めている。そうした人々が9月16日(土)渋谷区の穏田区民会館集会室に集まる予定だ。

ひとつには、従来から言われている、民進党・共産党・社民党・自由党による野党共闘がある。また、①消費税廃止、③原発廃止、③悪法一括廃止(共謀罪法・秘密保護法・安保関連法・盗聴法新刑事訴訟法)、の三つの政策で一致して一大勢力を築けないかという試みもある。

いずれにせよ、安倍政権、自公政権に批判的な人たちを受け入れる“受け皿”が必要だということだ。都議会議員選挙における、都民ファーストの圧勝を見ても、現状に批判的な人のための“受け皿”があれば事態が大きく変わるのは間違いない。

「不公平な税制をただす会」の財源試算によれば、2017年度のデータで企業優遇税制などを廃止すれば38兆円の税収増が見込める(『福祉と税金』第29号より)
同上

この場合、どの政党が、どの政治家が……というよりも、争点となる重要政策を市民・有権者の側が明確に設定し、その政策に賛同する政党・政治家・市民が結集すればいいのではないか。まずは明確な政策を提示し、少なくとも市民レベルの共通認識にできないか、というのが16日のイベントの趣旨である。

最近、自民党の一部が消費税10パーセントへの増税を強調し始めているので、「消費税」を最大の争点にすべきだという意見が急速に増えている。そもそも、1989年4月1日に消費税が導入される以前の日本経済は、基本的に右肩上がりだった。

しかし消費税導入以後、じり貧状況が続いており、97年4月1日に消費税が3%から5%に増税されたときからデフレがはじまり、「失われた20年」が続いている。

その一方で、大企業減税、高額所得者や大資産家への減税は続いてきた。消費税導入の1989年から2015年までに法人税の減税累計は、262兆円。消費税の累計は294兆円。貧乏人から金持ちまで一律に支払う消費税で大企業減税の穴埋めをしている事実に注目すべきだろう。

さらに、いまは原発反対が多数派になっているのだから、原発廃止も加えて総選挙の争点づくりをしたらどうかという意見もある。

今回は、政権交代を目指して活動している方々に集まってもらい、その方法と展望を語ってもらう。イベントの詳細は下記のとおり。

第99回草の実アカデミー 「“受け皿”は、消費税廃止・原発廃止・悪法廃止で」

講師:小林哲雄氏(市民と野党をつなぐ会@東京事務局長)
田中正道氏(森友・加計告発プロジェクト共同代表)
黒川敦彦氏(今治加計獣医学部問題を考える会共同代表)
斎藤まさし氏(選挙ボランティア)

日時:9月16日(土)17:40開場 18:00開演 20:40終了
場所:渋谷区穏田区民会館1階集会室  渋谷区神宮前 6-31-5
交通:JR東京メトロ千代田線明治神宮前駅徒歩2分

※会場への問い合わせはしないでください。連絡は下記まで
資料代:500円
主催:草の実アカデミー(公益社団法人マスコミ世論研究所)
E-mail kusanomi@notnet.jp

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

本日発売『NO NUKES voice』13号 3・11以後、この国は何を考えているのか?

本日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

 
『NO NUKES voice』が本日15日全国書店で発売された。季刊誌ながら発刊3年、13号を迎えることができたものの、財政的にも、紙面づくりでも予想を超える困難があったことは今号の巻頭で発行人の松岡がお伝えしている。たしかに鹿砦社という小さな出版社にとって「脱・反原発」に特化した雑誌の発行は、身の丈を考えればかなりの「冒険」で、けっして収益的に楽観できるものでは当初からなかった。

だからといって、福島第一原発事故で起きたあの大事故から目を逸らすことが、われわれには出来なかった。人間が何世代も生きてすら「収束」することはできない大惨事などそうそうあるものではない。地域紛争だって、戦争だって、被害を受けたひとびとの心の傷はいやされずとも、数十年で町や国は外見上復興する。しかし原発事故はそうはいかない。人間がコントロールできない自然災害と似たような性質も有するが、決定的な違いは自然災害から人間は逃げおおせないが、原発事故は人間が決断すれば簡単に防ぐことができる、ということである。

にもかかわらず、福島第一原発で大事故を起こした東京電力の柏崎刈羽原発にまで再稼働の適合性を原子力規制委員会は認めようといている。原子力規制委員会の役割は「原発の安全を審査」することではなく「審査基準に適合しているか」を審査する場所であるそうなので、「安全を保証するものではない」と田中俊一委員長が繰り返し「正直に」述べているとおり、原発に限れば「安全の保証」などはできえないのである。

◆この国は何を考えているのか?

経産省前テントひろば共同代表の渕上太郎さん

72年前、非戦闘地域に2つの原爆を落とされ、6年前に4基の原発を爆発させた国は、世界広しといえども、この国をおいてない。そしてこの国は「核兵器禁止条約」には参加しないという。

どういう頭の構造をしているのか。何を考えているのか。なぜそんなに死に急ぐのか。私にはまったく彼らの考えていることが理解できないし、その弁明に微塵の合理性も感じることができない。下手くそな言い逃れと、詭弁、迂遠なモノ言いながら簡潔化すれば小学生程度の論理性も保持しない稚拙な言い訳。こういった「欺き」を生業にしている人に判断を委任していたら、再度(いや最後)の事故が起きることは必至だ。

そして、その可能性は残念ながらどんどん高まっている。反対の声を押し殺して徐々に進む再稼働。それと歩調を合わせるかのように全国で頻発する中規模の地震。1995年阪神大震災以来、この島は地震の活動期に入った。さらに太平洋プレートの向こうの端、チリ、ペルー、ニュージーランド、台湾などでも大地震が起きた。北海道、新潟、岩手、鳥取、熊本、鹿児島、沖縄など全国各地で中規模から大規模の地震が毎年起きている。スーパーマーケットへ行けば「○○災害支援募金箱」が置いてあるが、近年のゲリラ豪雨の被害と相まって、募金箱の名称が長続きすることはない。年から年中自然災害だらけである。

せめて、人間の判断と手で、止めることができる災害であれば、止めよう。

◆私たちの希望と要求はシンプルにして簡潔だ

私たちの希望と要求は実にシンプルにして簡潔だ。筆舌に尽くしがたい原爆・原発事故による被害者の方々の苦難の「現在進行形」と隣り合わせで生きているわれわれは、見て見ぬふりが許されるのだろうか。あれは「他人事」なのか。厚労省の国会答弁(2017年4月14日参議院・東日本大震災復興特別委員会での山本太郎議員の質疑)によれば1082人(2011-15年までの5年間での福島県内9病院集計)を超えたとされる福島県での甲状腺がんの手術を受けたひとびとは、私たちと「無縁」の人なのか。ほおっておけばまた明日の朝が必ずやってくる保証は、本当にあるのか。毎朝、毎夕の東京の満員電車は自然な光景なのか。

これは編集長以下が協議して作成した見解ではない。しかし私たちは(おそらくあなたも)細部が異なることはあれ、原発が「在る」こと、「再稼働」されることに、どこか私と重なる気持ちをお持ちではないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
[写真=大宮浩平および本誌編集部]

『NO NUKES voice』vol.13
創刊三周年記念総力特集
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

[グラビア]我に撃つ用意あり/強制撤去から一年 闘い続ける「経産省前テントひろば」他
[インタビュー]望月衣塑子さん(東京新聞社会部記者)
森加計・原発・武器輸出 〈タブーなき記者〉の軌跡
[インタビュー]寺脇研さん(元文部官僚、京都造形芸術大学教授)
原子力村と宇宙村 省庁再編が壊した教育の未来
[インタビュー]中島岳志さん(政治学者、東京工業大学教授)
脱原発こそ「保守」の論理である 安倍内閣終焉後の対抗軸
[インタビュー]鵜飼哲さん(フランス文学・思想研究、一橋大学教授)
反原発と反五輪 復興五輪が福島を殺す
[講演]水戸喜世子さん(「救援連絡センター」元事務局長)
原発は滅びゆく恐竜である
[講演]笹口孝明さん(元新潟県巻町町長)×村上達也さん(元茨城県東海村村長)
巻町「住民投票」の教訓と東海村「脱原発」の挑戦
脱原発をめざす首長会議・原子力市民委員会共催シンポ「原発に依存しない地域社会のために」より
[インタビュー]温品惇一さん(放射線被ばくを学習する会共同代表)
被曝測定・国のウソ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
東電再建計画『新々・総特』は瓦解する
[報告]三上治さん(経産省前テントひろばスタッフ)
言い残したきことを抱えての日々
[報告]本間龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈11〉電力会社のHPにおける原発PRの現状
[報告]「くまさん」須藤光郎さん(脱原発川内テント・蓬莱塾スタッフ)
八月六日の脱原発川内テント・蓬莱塾から
[報告]安部川てつ子さん(子どもたちを放射能から守る伊豆の会代表)
まずは大人から正しい福島の現実を知ってもらいたい
[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
ある夏の体験
[報告]納谷正基さん(高校生進路情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)
反原発に向けた思いを次世代に継いでいきたい〈12〉
文部科学省は誰を守り、誰のために存在しているのか?
[報告]田村八洲夫さん(大飯原発稼働差止訴訟原告団サポーター)
大飯原発における「反射断面」による地下構造評価(関電提出)について
[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
「日米原子力協定」来夏“満期”を迎え撃つ

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
夏~冬の焦点──東海第二、大飯、玄海、伊方 四つの原発再稼働に反対する闘い
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
《高浜》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
《伊方》名出真一さん(脱原発アクションin香川)
《福島》佐々木慶子さん(原発いらない福島の女たち)
《避難》鴨下祐也さん(ひなん生活をまもる会代表)
《刈羽》清水 寛さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
《六ケ所》中道雅史さん(なくそう原発・核燃、あおもりネットワーク)
《東海第二》相沢一正さん(脱原発とうかい塾)
《大洗》山田和秋さん(たんぽぽ舎ボランティア)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《若狭》けしば誠一さん(杉並区議会議員)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

『NO NUKES voice』13号 多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

前川喜平さんと寺脇研さん

明日15日『NO NUKES voice』13号が発売される。今号は創刊3周年の特別号。多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて、これまで以上に多彩な人たちに登場していただいた。

◆我に撃つ用意あり──野に下った文科官僚二人の覚悟

巻頭グラビアトップは、加計学園問題をめぐり国家戦略特区という利権行政の闇を証言した前川喜平さんとゆとり教育のエヴァンジェリストの寺脇研さんの元文科省官僚のツーショット。残念ながら前川さんへの本誌原発インタビューは丁重にお断りされたものの、寺脇さんが文科行政の歪みの起源を存分に語ってくれた。

◆望月衣塑子記者、3・11からの軌跡を語る

特集冒頭では東京新聞社会部の望月衣塑子記者が登場する。官邸記者クラブで菅官房長官を問い詰めたことで一気にその名が知れ渡った望月記者は目下、官邸と御用メディアから陰に陽に不当な恫喝を受けているが、庶民の疑問を直球で権力に投げつける望月記者の姿勢こそ正しく真っ当なのは明かだ。〈タブーなき記者〉として森友・加計問題、詩織さん問題、原発、武器輸出に至るまで3・11以後、取材し報じてきた自身の軌跡を語っていただいた。

次いで登場は寺脇研さんの「原子力村と宇宙村 省庁再編が壊した教育の未来」だ。本コラムで常々文科省の「犯罪性」と「文科省不要論」並びに「宇宙開発の危険性」を指摘している私にとっては、強き味方を得た気分だったが、後段で語られる3・11後の映画批評がむしろ寺脇節全開で面白い。こういう個性的な人が多くいれば「文科省」もここまで馬鹿にはならなかったであろう(現実にはそんな「個性」を認めはしまいが)と感じさせられた。

寺脇研さんと望月衣塑子さん
中島岳志さん
鵜飼哲さん

◆脱原発こそ保守の論理である──中島岳志さんが語る安倍内閣終焉後の対抗軸

中島岳志さん(政治学者、東京工業大学教授)は「脱原発こそ保守の論理である」で持論を展開してくださっている。「保守」、「脱原発」、「安倍内閣終焉後の対抗軸」と興味深い言葉が並ぶが、果たしてそれらはどのように編み上げられていくのか。「保守」、「リベラル」の語意が著しい変化を見せている今日、「リベラル保守」の論客、中島さんのお話には要注目だ。

◆反原発は反五輪に向かう──鵜飼哲さんのラディカルなアクティビズム

鵜飼哲さん(一橋大学教授)は前出の中島さんと異なり、脱原発を志向する方々にはわかりやすいだろう。福島原発事故がもたらした諸矛盾と2020年東京五輪とがどう関係しているか。これまた非常に興味深い論考である。ジャック・デリダに師事した鵜飼さんらしくフランス現代哲学の香りも時々漂う。多くの読者が首肯されながら鵜飼さんのお話を読まれることであろう。

水戸喜世子さん
村上達也さんと笹口孝明さん

◆原発は滅びゆく恐竜である──水戸喜世子さんが語る夫・巌さんの思想と行動

水戸喜世子さんの講演記事「原発は滅びゆく恐竜である」はかつてのお連れ合い水戸巌さんの書名でもある。巌さんと学生時代から学問や社会運動に恐ろしいほどのエネルギーでかかわってきた水戸さんのお話は、明確にして高貴にラディカル。可能であれば読者に活字ではなく音声でお伝えしたかった。

◆虚妄の原発立地・成長神話──巻町・住民投票の教訓と東海村・脱原発の挑戦

「巻町・住民投票の教訓と東海村・脱原発の挑戦」は7月中旬新潟市で行われた脱原発を目指す首長会議と原子力市民委員会の共催シンポジウムにおける、元・新潟県巻町町長の笹口孝明さんと元・茨城県東海村村長の村上達也さんの対談録だ。司会は元国立市長の上原公子さんが務めている。なぜ全国の原発立地自治体は原発を受け入れてしまうのか? 原発に反対する首長にはどのような仕打ちがおこなわれるのか。厳しくも示唆に富んだ元首長お二人の体験談は、原発立地地元の現状と、地域変革のための方向性を示唆している。

◆被ばく測定・国のウソ──闘う元・東大助教、温品惇一さん

温品惇一さん

温品惇一さん(放射線被ばくを学習する会共同代表)の「被ばく測定・国のウソ」は東大助教時代に公害問題に取り組んで以来、「闘う東大助教」の異名をとった温品さんが福島原発事故後に政府が制定した被ばく基準や、ガラスバッジ測定のウソを温品さんの闘いの歴史の中で再び位置付ける。公害から原発(被ばく)へと長年の取り組みは私たちに何を教えてくれるだろうか。

◆言いがかりで市民を逮捕している暇があれば、東京電力幹部を即刻逮捕せよ!

特集に続き、常連執筆陣も常に熱い。山崎久隆さんの「東電再建計画『新々総持』は瓦解する」、三上治さんの「言い残したきことを抱えての日々」は経産省前テントひろばや闘いの現場からの骨太報告だ。

9月11日夕刻、経産省前テントひろばの共同代表であるFさんが抗議集会の最中に「無届けデモの指揮を行った」という口実で不当逮捕された。本日14日夕刻6時から緊急抗議行動が警視庁前で行われる。本誌は3年前の創刊当初から経産省前テントひろばと連携しているが、今号の表紙とグラビアは経産省前テントひろばで闘う人たちの姿を掲載した。

経産省前テントひろば共同代表の渕上太郎さん
経産省前テントひろば9月11日付けテント日誌より

多くの方々が見守る中での不当逮捕は、物理的に経産省前テントを撤去しても、強い意志で集まり続ける人々への〈国側の焦り〉が表出したとも理解できる。しかしながら、このような不当逮捕は断じて許されてはならず、当局は被逮捕者の一刻も早い身柄の解放と、不当逮捕に対する謝罪を明らかにするべきだ。官憲は言いがかりで市民を逮捕している暇があれば、国土やあまたの人々の生活を奪った東京電力幹部を即刻逮捕せよ!

◎[参考動画]脱原発テントひろば7年目→9・11経産省前へ!【後半・丸の内警察署まで】
三輪祐児さん2017年9月11日公開 ※不当逮捕に関する模様は動画22:30頃~

◆〈流浪の聖者〉くまさんによる脱原発川内テント・蓬莱塾レポート

現場からの報告はまだ続く。今号では脱原発の集会ではだれもが知る〈流浪の聖者〉「くまさん」こと須藤光郎さんに脱原発川内テント・蓬莱塾からの現地報告をいただいた。また、子どもたちを放射能から守る伊豆の会代表の安倍川てつ子さんからは2012年から続けている保養プロジェクトの歩みを寄稿いただいた。

大飯原発の地層の危うさを科学的に論証した田村八洲夫さん(大飯原発稼働差止訴訟団サポーター)の論考、来夏に満期をむかえる「日米原子力協定」の継続阻止をめぐる佐藤雅彦さんの論考は精緻かつ実証的な強力レポートだ。

◆本間龍さん、板坂剛さん、納谷正基さんの好評連載

全国的に「どの面下げて」と思わずにはいられない電力会社の広告の大々的な再登場を目にするが、今号も本間龍さんの連載「原発プロパガンダとは何か?」では電力会社のHPにおける原発PRの現状分析が紹介される。

板坂剛さんの「ある夏の体験」は板坂さんのこれまでの原稿の中で、突出して出色だと著者は感じた。

納谷正基さんの連載「反原発に向けた想いを次世代に継いでいきたい」、今回は「文科省は誰を守り、誰のために存在しているのか?」だ。過日、納谷さんとお会いした。ニコニコ笑顔を絶やさない趣味豊かな温厚な人格と、絶対に欺瞞や嘘を許さない、鋼鉄のような意思の同居した方だった。納谷さんの文章は語り言葉のようだ。だがいったん、その語り言葉が紙から飛び出して議論の場に躍り出ると納谷さんは熱の塊と化す。そんな人物像を想像しながらお読みいただくとさらに趣が深いだろう。

◆今年下半期の行動指針を示す再稼働阻止全国ネットワーク報告12本

再稼働阻止全国ネットワーク―夏~冬の焦点―東海第二、大飯、玄海、伊方四つの原発再稼働に反対する闘いが、柳田真さん、木原莊林さん、名出真一さん、佐々木慶子さん、鴨下祐也さん、清水寛さん、中道雅史さん、相沢一正さん、山田和秋さん、木村雅英さん、けしば誠一さん、天野惠一さんが各種報告を寄せてくださっている。

巻末には「よいしょ」ではない読者からのある意味厳しい投稿も掲載された。

発刊後3年、13号にして、『NO NUKES voice』はまだまだ、未完であるが、毎号着実に試行錯誤の中から「新しいなにか」を獲得できていると実感する。本誌の目指すものはさしあたり日本における脱原発ではあるが、その視線お先には世界からの原発・核兵器の廃絶も当然視野に入る。

まだまだ足りないところだらけではあるが、読者と共に「脱原発」に向け小さくとも、着実な歩みを続けていきたいと思う。仮にそれが身の丈を超えるものであっても──。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
[写真=大宮浩平および本誌編集部]

9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

のりこえねっと・北原みのりの錯誤と佐藤優を容認するリベラル論壇の癒着

河出書房新社ツイッターより

北原みのりといえばしばき隊との強いつながりを持つ「のりこえねっと」共同代表であり、著名な作家・運動家だ。ろくでなし子氏の逮捕に関して連座し、自身も逮捕された経験を持つ。その北原氏が同じく逮捕経験のある右翼作家佐藤優との対談本を河出書房新社から昨年末に出版していた。読んでみたが想像以上に北原氏が何をしたいのかよくわからない内容だった。まずはウェブ上の出版記念対談から。

北原 いままで佐藤さんの本を手に取ったことのなかった女友達からは、100パーセントの確率で「佐藤さんっていい人なんだね!」という読後の感想をいただきます(笑)。
佐藤 そうですか、強面のイメージがありますからね(笑)。
   (情報サイトBOOK BANGの対談記事より)

「強面のイメージ」と自分で言ってしまう佐藤優には失笑するし、手放しで褒めてしまう北原氏とその女友達も盛大な勘違いをしている。佐藤に批判的な論文『佐藤優現象批判』を執筆した岩波書店社員の金光翔氏にたいして佐藤がどんな攻撃をしたのかを知れば「イメージ」どころではない佐藤の本質がわかるだろう。ぜひこの詳細は金氏の個人ブログ『私にも話させて』、もしくは鹿砦社から出版されている『告発の行方2』をお読みいただきたい。メディアによって狡猾に主張を使い分ける佐藤優を容認する「論壇」の腐敗した実態も告発している。

 
『告発の行方〈2〉知られざる弱者の叛乱』

◆佐藤優の危険性に気づかない北原みのり

佐藤優の主張の使い分けは対談本「性と国家」でも存分に発揮されている。「性と国家」では従軍慰安婦問題に関して多くの紙数が割かれているが、佐藤は従軍慰安婦の告発に対して以下のように述べている。

[大事なのは、告白される側に、上から目線ではなく、フラットに告白を受け入れる能力があるかどうか。元日本軍「慰安婦」の話を戦時の性暴力という限られた局面にずらしてしまわず、ごく普通の家庭に潜んでいるような性的暴力や、ジェンダー的な無理解の問題として受け取れるかどうか](『性と国家』151頁)

一見いかにも真摯で真っ当な意見であるようにみえる。しかし佐藤は民主党政権時の玄葉光一郎外相(当時)の従軍慰安婦問題に関する発言に対してこう述べている。
「韓国に対して、『死活的利益を共有している』などという過剰なレトリックは避けるべきだ。韓国との関係で、焦眉の課題は、慰安婦問題の国際化を韓国が行わないようにするための方策を考えることだ。なぜなら、慰安婦問題が国連総会第3委員会に提起されると、それがわが国にとって死活的に重要である日米関係に悪影響を与えるからだ。」(2011年10月1日脱稿のBLOGOS記事より)

ここにみられるのは露骨な国益主義だ。「フラットに告白を受け入れる」態度とは明らかに違い、慰安婦問題を封殺する意図しかない。

またこの対談本では朴裕河の著作『帝国の慰安婦』の評価についても言及されている。北原氏はもともとこの著作に否定的だ。東大でのこの著作をめぐるシンポジウム(肯定派、否定派が勢ぞろい)に出席した北原氏は朴裕河を擁護する学者に対する違和感を佐藤優にぶつけている。

[かりにも東京大学で、教授クラスの方々が一冊の本を巡り議論するわけじゃないですか。私も発表の機会を与えられたので、けっこう緊張して行ったんです。ところが、そういう場で怒声が飛んだりするんですよね。(中略)「和解から始めればいいだろう!」と大声を出す男性知識人もいてびっくりしちゃった](『性と国家』103~104頁)

ちなみに引用部分の「和解」は朴裕河が多用するキーワードである。上記のヤジは朴裕河を擁護する学者のものと思われる。

北原氏は自身の持っている連載などで慰安婦の思いをよそに国家間の都合で合意(和解)が進められていくことに憤りをつづっている。その点は貴重な視点だ。しかし、朴裕河をこのシンポジウムで最も痛烈に批判した鄭栄桓明治学院大学准教授は前述の金光翔氏を支援する目的で以前から佐藤優を顕名で批判している。

[ここに岩波書店の就業規則改悪問題を取り上げるのは、問題が岩波書店の労働問題並びに日本の言論の自由に対する悪影響に留まらず在日朝鮮人の言論活動への弾圧としての側面を有しているからである。今般の岩波書店の就業規則改悪はこの間の金光翔氏の言論活動への封殺を意図したものと考えられる。(中略)金氏はこの間、論文「〈佐藤優現象〉批判」(『インパクション』第160号、2007年11月)を皮切りに、右翼・国家主義者であり在日朝鮮人への弾圧を煽る佐藤優を他でもない岩波書店が積極的に起用することを批判し続けてきた。極めて重要な批判であり、私も多くを学んできた](ブログ『日朝国交「正常化」と植民地支配責任』より)

北原氏も鄭栄桓氏の精緻な読解により朴裕河がいかにデタラメな解釈をしているのか学んでいたはずだ。それをよりにもよって佐藤に違和感をぶつけるとは(多分この経緯を知らなかったのだろうが)絶句せざるを得ない。

北原氏は対談本の巻末で「私はこれまで男性と対談する機会はほとんどなかった。その私が安心して佐藤さんと対話できたのは、佐藤さんが米軍ゲートの前で動かなくなる棺の重みを、説明しなくとも感じる人だからと思う。差別と暴力を、握り拳のなかで感じられる人との語りは、私を様々なところに連れていってくれた。」と佐藤優を絶賛しているが、何をかいわんやである。

◆M君リンチ事件を早期に知っていた北原みのり

 
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

北原氏の軽率さはこれだけではない。北原氏と『奥様は愛国』という共著もある朴順梨が鹿砦社の元社員に送ったメールによれば、北原みのりは事件後李信恵と会った際にM君リンチ事件を知ったのだという。(『反差別と暴力の正体』58頁~59頁より)

北原氏は「これだから男は! これからは女達が声をあげていこう」という趣旨の話を朴順梨に電話でしていたようだ。続編の『人権と暴力の深層』で触れられているが、鹿砦社によるM君リンチ事件の取材にたいして、北原氏は今まで返答をしていない。
 
◆共通する佐藤優現象としばき隊現象

佐藤優にしろしばき隊にしろ近年の日本の論壇・社会運動の腐敗を象徴するものだ。最近ではしばき隊の一派でM君リンチ事件の隠ぺいにも一役買った男組の組長(民団新聞によれば彼は右翼とされている)がハラスメントを行っていたとの告発もあった。佐藤もしばき隊も一見右翼の国家主義者には見えない点も共通しており、明敏な識者からは以前から安易に右翼を容認する危険性を指摘されていた。佐藤優が論壇にのさばることを止められなかったことが現在のしばき隊の跳梁跋扈を準備したと言っていいだろう。

その点北原氏が佐藤優との対談に応じて、佐藤に関して間違ったイメージを拡げてしまったこととしばき隊の横暴に沈黙していることは重大だ。佐藤優を称賛したことを反省し、M君リンチ事件に関して知っていることを公にすべきだ。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

9月15日発売開始『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

鹿砦社からの「警告書」に対し、李信恵代理人・神原元弁護士から“回答にならない回答”届く。誠意のない回答にわれわれの方針はただ一つ!鹿砦社特別取材班

度重なる「鹿砦社はクソ」といったツイッターへの書き込みを行っていた李信恵被告(以下、李被告と記す)に対して、代理人の神原元弁護士から“回答にならない回答”が届いた。李信恵被告に「警告書」が届いたのが8月26日(配達証明郵便のため確認できる)、「警告書」では7日以内の回答を求めていたが、7日後にあたる9月2日になっても李被告側からは何の連絡もなく、2日遅れた4日になり下記の「FAX通信」が神原元弁護士から鹿砦社代理人の元に届いた。

2017年9月4日に鹿砦社代理人の元に届いた神原元弁護士からの「FAX通信」

あっさりとしたものだ。「警告書」では、到着後7日以内の回答を求め、また「誠意ある回答」を求めたが、これが「誠意ある回答」と言えるであろうか? 李被告が代理人に対応を依頼したのは間違いだったようだね。われわれも血の通った人間、李被告みずからが鹿砦社に飛んできて必死に謝罪すれば、法的措置は免れたと思うが、これでは鹿砦社代表の松岡のメンツ丸潰れで、われわれが苛立つほどアクションが遅いさすがの松岡も、腰を上げようとしている。

ところで、神原元弁護士から「FAX通信」が鹿砦社側に届いたのは何回目になるだろうか。最初は2015年12月2日に李被告らにも繋がる「反原連」がホームページに鹿砦社を侮辱する内容の絶縁声明を出し長い間会計報告もしなかったことに対し、当然の会計報告を求めた時だった(今でもその絶縁声明は削除されずに残っている)。鹿砦社から1年間に300万円余りの「広告代」名目の経済的支援を受けていた「反原連」が一方的かつ無茶苦茶な〝理由なき理由〟で鹿砦社絶縁を行ったので、それに抗議し会計報告を求めたところ、神原元弁護士から「FAX通信」が届いた。

次いで『反差別と暴力の正体』に取材内容が掲載されている、秋山理央。同様に五野井郁夫の代理人に就任したと、同様の「FAX通信」が鹿砦社に届いた。最近ではツイッターに「どこに書籍を送ったのかちょっと書いてみたら」と、送付先の明示を求めてきた香山リカのリクエストに応じて送付先を返答したら、またしても神原元弁護士から即「FAX通信」が届き書き込みの削除を求められた(この顛末は今でも理解に苦しむ)。

そして9月4日付けの恒例「FAX通信」である。神原元弁護士は鹿砦社に対して、少なくとも5名(個人・団体)の代理人に就任しているということである。李被告の代理人就任にあたっては、

「書簡は8月17日から24日までのTwitterにおける発言について『名誉毀損にあたる』等主張していますが、李信恵氏の発言は貴社の出版物に対する意見ないしは反論を行ったに過ぎず、『名誉毀損』に該当しないことは明らかです」

と自信満々に「『名誉毀損』に該当しない」と断言している。そうか。間違いはないだろうな。

「鹿砦社はクソですね。まとめサイトと同じなので普通に文句は言います」をはじめとして、あまたの「クソ」という表現は「『名誉毀損』に該当しない」と神原元弁護士は主張する。そうであれば、8月26日以降鹿砦社代理人からの配達証明郵便が届いて以降、どうして李被告は「鹿砦社はクソ」という表現を使わなくなったのだろうか?「『名誉毀損』に該当しない」と本気で信じ、やましさがなければこれまで同様に堂々と「鹿砦社はクソ」となぜ書き続けないのだ。指摘したいことはほかにもある。こちら側が正式に代理人を通して配達証明郵便で要請した内容に、期限以内には回答寄こさなかった不誠実さもそうだ。期限を超えたのだから、何らかの対応を思案しているのかと思いきや、「やより賞」を受賞した李被告による「クソ」発言にまったく謝罪や訂正の意思はなく、「『名誉毀損』に該当しない」と主張する。

であれば仕方ない。何度か本コラムで取材班並びに松岡が警告してきたが、相次いだ「鹿砦社クソ」発言や、あたかも鹿砦社と青林堂を同一視した趣旨の書き込み等に対して、われわれは、不本意ながら法に則った手段を講じる以外に被害回復の手段はあるまい。これ以上詳細は述べない。本来望むものではないが、われわれも最終手段に打って出ざるをえない。もう猶予の余地は微塵もない。

いやしくも「反差別」や「人権」を錦の御旗に掲げ「レイシスト」や「ヘイトスピーチ」と闘うと公言する者が、その崇高な志を忘れ、「ヘイトスピーチ」と見紛うような汚い言葉を連発することはあってはならない。

※取材班スタッフに取材や出張が重なりご報告が遅れましたことをお詫びいたします。

(鹿砦社特別取材班)

◎[参考記事]2017年8月30日付デジタル鹿砦社通信
大学院生リンチ事件加害者・李信恵被告による、鹿砦社に対する悪質な誹謗中傷、名誉毀損発言について「警告書」を送付しました。 差別に反対し人権を守るという者が、「クソ鹿砦社」とか人の人格を辱める汚い言葉を遣ってはいけません。(株式会社鹿砦社代表取締役 松岡利康)

最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)
AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

「報道特集」から金平キャスターが消える時、テレビジャーナリズムは絶命する

TBSテレビ「報道特集」のキャスターで、世界各国のニュース現場に毎週のように取材へ出かけ、現地からのニュースを伝え続けている金平茂紀さん。金平さんは2016年3月末までTBSテレビの社員であり、執行役員でもあった。

◆古舘氏、岸井氏、国谷氏が降板した昨年3月末、金平さんはTBSを退社した

金平茂紀さん

ところが金平さんは2016年が3月31日で執行役員を解かれるだけではなく、TBSを退社していたことを読者諸氏はご存知だろうか。金平さんはTBSテレビの執行役員を3月末まで勤めながら「現場に立つ」異色の報道人として注目を浴びていたが、執行役員退任とともに同社を退社していたことは当時も事情を知る人の間では衝撃を与えていた。いまでも退社前と変わらずに「報道特集」のキャスターを引き続き担当しているので、「金平さんTBS退社劇」をご存知ではない方が多いのではないだろうか。

関係者の話によると、金平さんの退社は極めて近い人々の間でしか伝えられておらず2016年4月23日、鹿砦社取材班が「退社の噂は本当でしょうか」と金平さんにメールで問い合わせたところ「事実です」とのご返答を頂いていた。しかし、金平さんからは、当時役員解任から退社までの動きを、あまり大きく話題とされることを望まない意向が伝わってきていた。よって鹿砦社取材班も、「金平さんTBS退社」のスクープ記事を準備しながらも、金平さんの意向を尊重して掲載を見送ってきた。

鹿砦社取材班は2016年3月30日、TBSテレビ内で金平さんに取材を行っていた。手元には「TBSテレビ『報道特集』キャスター執行役員 金平茂紀」の名刺がある。つまりこの名刺は残り1日しか使えない名刺だったわけだ。取材班が金平さんに面会したのは彼がイラク・クルド人地区の取材から、ブリュッセルでのテロ事件を取材して帰国された直後だった。取材の約束は頂いていたものの、ブリュッセルでのテロ事件発生に伴い帰国が遅れたこともあり、我々が取材させてもらう時間が確保できるか、不安だったが金平さんは忙しい時間を割いてTBS社屋内で、われわれの取材に応じてくれた。

◆一線で仕事をし続ける「報道人」の凄み

 

ここでは詳細をお伝え出来ないが金平さんは3月31日をもって降板した『報道ステーション』(テレビ朝日)の古舘伊知郎氏、『NEWS23』(TBSテレビ)の岸井成格氏、『クローズアップ現代』の国谷裕子氏の降板に強い関心を持ち、それぞれの方々に取材を行なっていたことを語っていた。取材班も金平さんが3月31日で執行役員を降板することは事前に知っていたが、まさかTBSテレビを退社するとは予想しなかったし、インタビュー中もそれについての言及はなかった。

金平さんは取材後「じゃあ軽くいきますか」と取材班を誘ってくださり、TBS近所の居酒屋で一緒にもつ鍋をつついた。金平さんは健啖家だった。よく食べた。仕事をたくさんする人はエネルギーも消費するのだろう。そして彼は「ホッピー」を飲んでいた(どうでもよいことではあるが)。

エネルギッシュであらゆる質問へ瞬時に反応が返ってくる金平さんに、一線で仕事をし続ける「報道人」の勢いを感じたものだ。「一度仕事を始めてしまうとaddictというか、抜けられなくなるんですよ。だから泳ぐときと酒を飲むときだけは全てを忘れますね」と語っていた金平さんからは凄みすら感じられた。一方メディア状況の体たらくに話題が向くと、「何かあるんでしょうね」、「この民にしてこのマスコミありといった側面はありますね」と時として悲観的な表情に変わったことも印象深い。

◆「報道特集」に金平さんが登場し続けることを切望する

TBS「報道特集」HPより

金平さんのTBS退社から1年以上が経過したが、「報道特集」では毎週視点の鋭い貴重な情報を提供してくれている。同番組キャスターの日下部正樹氏も、地震が相当苦手そうだが、やはり鬼瓦のような(これは褒め言葉である)趣で国内外から、新しい情報を伝えてくれる。

オフレコの本音も聞いた。そこから推測すれば金平さんの退社は「ああ、やっぱり」と思わないでもない。金平さんは「テレビが好きだ」と語った。そうだろう。昨年ブッリュッセルでの現地からの中継を「現地では4人いれば日本に映像を飛ばすことはできるんです。私たちは4人でしたよ。でもNHKは仮設テントまで作って10人、いやそれ以上いたんじゃないですか、何やってるのかという感じですよ」と語ってくれた金平さん。「帰りの飛行機でも原稿を書いていました。時間がないですから」と語ってくれた金平さん。彼の主張や視野のすべてに絶賛するわけではないが、今日、日本のテレビ報道界において、卓越した人物であることは間違いない。その金平さんが登場する「報道特集」は硬派な報道番組だ。最低限TBSの「報道特集」に金平さんが(体力が持つ限り)登場し続けることを私は切望する。

NHKは受信料を取りながら、程度の低いタレントを並べる「ひな壇番組」を平気で放送するようになった今日、TBS「報道特集」の価値はこれまでになく高い。

ほら、もう水際はそこまでやってきた。金平さんが体調や個人的理由ではなくテレビの画面から消える時、日本のテレビメディアは「壊死」から「心肺停止」=「絶命」を迎えると言い切ってても大きく間違いはあるまい。テレビは多くの害悪を振りまく。しかし例外的に妙薬を与えてくれることもある。その薬剤師がいなくなった時、テレビが振りまくのは悪性のウイルスだけになろう。

▼佐野 宇(さの・さかい)

9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

《建築漂流08》 黒川紀章 〈共生〉と〈メタボリズム〉の極へ ── 国立新美術館

タイトルの通り、今回は国立新美術館を紹介します。そんなもんメディアで紹介されてて超有名だしネットにも写真いっぱいあるしそもそも何度も行ってるんだけど!なんて声が聞こえてきそうですが、写真については他のどんなものよりもカッコよく撮ったつもりなのでとりあえず見てもらいたいということと(ああ怖い……)、すでに紹介されているとはいっても建築の思想に触れたものは少なく、そのあたりのオモシロイところを軸に改めて国立新美術館を紹介します。

◆1960年から黒川紀章が育んだ2つのキーワード

2007年に完成した国立新美術館は、森美術館・サントリー美術館とともに六本木界隈の美術館の中心として迫力ある大規模な展示を行っています。国立新美術館を設計したのは〈メタボリズム〉運動や〈共生〉思想で知られる建築家・黒川紀章。黒川は国立新美術館のことを「1960年から続けてきた〈共生〉と〈メタボリズム〉の集大成である」と表現しています。この2つのキーワードを追いかけてみましょう。

◆機械的潮流の終焉

20世紀以降の主流であるモダニズム建築[※1]は、近代社会的な工業化の潮流のなかで科学技術や経済の発展と共に築かれたものであると言えます。第一次世界大戦後の都市再生を目指したル・コルビュジエの画一的な建築様式や、普遍的な空間としてのユニバーサルスペースを夢見て尽力したミース・ファン・デル・ローエの仕事は、やがて圧倒的な量産によって徹底的に工業化されていきます。

もはや出番のなくなったル・コルビュジエは1958年、日本の丹下健三へ宛て大人が子供を肩に乗せた象徴的なスケッチを送ります。ここには「次の世代へ」というメッセージが添えられていました。建築を安価に量産することができるようになった今、機械的・工業的な建築に変わる新しいムーブメントが必要なのであり、それをあなたたちに託します、といった意味なんじゃないでしょうか。

「普遍的価値で世界が均一化されてしまって良いのだろうか」という疑問がいたるところで噴出しはじめた時代。丹下健三門下として活動していた黒川紀章は、この時期から〈共生〉思想を発展させていき、また1960年の世界デザイン会議[※2]を目前にして黒川紀章らは壮大な建築運動〈メタボリズム〉を提案します。

◆〈共生〉思想とは

〈共生〉というのは黒川紀章によって1960年に提唱された概念で「対立・競争・矛盾を抱えつつ互いを必要とする関係」と定義されています。世界には多様な価値が存在し、それらは互いに対立・矛盾する。そうした要素の間に中間領域を置くことによって共に生きることができるのではないか、という考えです。

ここからは筆者の勝手な解釈ですが、国立新美術館に入ると、最初に歩くことになるのがその中間領域にあたります。展示室やレストランといった異なる部分が直接繋がっているのではなく、一度中間領域としてのフロアを歩いてから別の世界へ足を踏み入れることになります。共有空間としての中間領域ですね。また、円錐型のコンクリート塊を地面にブチ込んでつくられた要素の天辺がレストランになっているのですが、そこへと繋がる橋のような部分も同様の、しかし微妙に異なる役割を果たしています。これは、種の多様性を維持するためには孤立した生態系間を結ぶ道が必要だとする考えに基づいて作られたもので、生態回廊としての中間領域と捉えるべきです。

国立新美術館周辺の緑は近隣の青山公園や青山霊園といった森との境界を、透明な外壁は内部と外部の境界を弱めており、これは曖昧領域としての中間領域だと考えることができます。このように、矛盾・対立するもののあいだに置くべき中間領域にも様々な種類や機能があり、それらを適切に配置することが重要なんじゃないでしょうか。

◆〈メタボリズム〉について

〈メタボリズム〉というのは1959年に黒川紀章や菊竹清訓といった建築家や都市計画家が始めた運動で、社会の変化に対応することができる柔軟な建築・都市を目指そうというものです。筆者は2011年に森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市」展をきっかけに強く興味を持つようになり、映画「風立ちぬ」に登場する黒川が黒川紀章に似ていて(しかしなぜか誰もそのことに触れていない)大笑いするくらいにはハマった運動です。

代表作としてあげられるのは1972年の黒川紀章作品「中銀カプセルタワービル」でしょう。この建築は各個室の独立性が非常に高く“部屋ごと取り換える”ことが可能な構造になっています。実際に取り替えは行われていないものの、時間的な変化に応じて部分を“新陳代謝”させることができるというわけです。ちなみに、この中銀カプセルタワービルを原型として1979年に登場する世界初のカプセルホテル「カプセルイン大阪(2017年現在営業中)」は黒川紀章の設計です。

◆共時的多様性と通時的多様性

先ほど〈共生〉のところで多様性について書きましたが、多様性というもののなかには共時的多様性(現在、東京とキエフでは食生活が異なる)とは別に通時的多様性(10年後、東京にはますます多くの外国人が溢れているだろう)というものが考えられます。社会の通時的な変化つまりは多様性に対応することがメタボリズムの目的なのであれば、多様なものの共存を目指す〈共生〉思想と〈メタボリズム〉は不可分であるはずなんですね。というよりも、〈共生〉思想のなかに〈メタボリズム〉は包括されていると言った方が正確です。黒川は国立新美術館を「〈共生〉と〈メタボリズム〉の集大成である」と言いましたが、「〈共生〉の集大成である」と表現すべきだったのではないでしょうか。

◆思想との同調

1960年頃というのは、思想的にも大きな転換期でした。カント、デカルト、ヘーゲルといった西欧の二元論に代わり、サルトルの実存主義やメルロポンティの両義性といった新しい哲学体系の流れが始まり、そして多様性を構造的に捉えたレヴィストロースやデリダ、バルトへ、フーコーへと紡がれていきます。〈共生〉思想や〈メタボリズム〉運動はこのような哲学的潮流と同調していました。というか、絵画も音楽も経済も文学も全てが同調しているのであり、これは当然のことです。こうした全てに先んじて一歩を踏み出すのがアーティストの仕事なのであり、今の時代に対する筆者の不満はこのような……とこれはまた別の機会に。

国立新美術館で9月4日まで開催されている「ジャコメッティ展」は強力にオススメです。ダイレクトに実存に働きかけてくるので、他者の少ない平日午前に観覧すべし!

[※1]モダニズム建築=機能的、合理的な造形理念に基づく建築。産業革命以降の工業化社会を背景として19世紀末から新しい建築を求めるさまざまな試行錯誤が各国で行われ、1920年代に機能主義、合理主義の建築として成立した。

[※2]世界デザイン会議=1960年5月7日から16日まで、27カ国、二百数十名のデザイナー、建築家を集めて東京・産経ホールなどで開催された。勝見勝、坂倉準三、柳宗理、亀倉雄策、丹下健三らが中心となり、デザインの分野の違いを超えて討論を行ない、世界のデザイン界との国際交流の場を生み出そうという意図から開催された大規模な会議

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい) [撮影・文]
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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私の内なるタイとムエタイ〈8〉 タイの安堵感、ノンカイの寺巡り

いっしょに寝そべって撮りたくなるユニークさを誘います
サーラケーウクーの世にも奇妙な石像たち

国境を越え、入国手続きを済ませてタイ領土に戻ると安堵感がありました。タイの方が慣れた土地、まだ広くて静かなノンカイに居ることが幸せな気分でした。

「ビエンチャンの街はどうでした?」と大阪弁オジさんに感想を聞かれ、率直に「楽しかったです!」が本音であり大雑把過ぎる返答をし、ビエンチャン談議もそこそこにノンカイの見所を教わって出発準備。

そこでオジさんに呼ばれた隣の店で休憩中のトゥクトゥクの色黒の運ちゃん。観光地3箇所と最後にミーチャイター寺を巡ってノンカイ駅前に戻って来るコースをお願いしてくれました。

◆ノンカイで寺巡り

願い事、占いも人気のポーチャイ寺、祈る女性が奇麗だと見とれてしまいます
聖水を掛けられる願掛け、有難さが増します

最初に向かった先は、サーラー・ケーオ・クー(ケーク寺)、ビエンチャンにあるブッタパークと同じような形でノンカイにも造ったらしく、仏教とヒンズー教が入り混じったと言われる、多くの奇妙な石像が立ち並び、見応えある寺の庭園でした。

写真を撮るなら何を主役に撮るか、彼女や友人が一緒なら、人と多くの石像をどう捉えるかなど撮影のいい勉強になる、そんな利用価値ある広い庭園です。

2番目に向かったのが、ポーチャイ寺。ここも大きな寺で観光スポットとして女性が多い賑やかな寺でした。願掛けや運勢を占う者、比丘から説法を受ける者多く本堂が広いので、仏陀像の前に長く座って我人生の在り方を心で問いかけてみるのも心安らぐ場所でしょう。

◆過去を振り返るノンカイの街

3番目に向かったのはメコン河沿いにあるターサデット市場で、メコン河沿いから対岸のビエンチャンを眺めたことで両岸から眺める目的も果たせ、運気を上げる充実の時間でした。河沿いにあるラムドゥアン寺に近寄ると、掃き掃除をしていたネーンに「上まで上がっていいですよ」と誘われ、高い本堂の最上部に上がって眺めるメコン河もいい眺め。この寺もいいなあと、“隣の芝は青く見える”状態でした。

ノンカイには幾つか市場があり、このターサデット市場は広い敷地で22年前、ビエンチャンで知り合ったアメリカ人青年がこの市場で簡易湯沸かし器を買っていましたが、古く懐かしい電化製品も日用品も何でも揃う市場です。

平日の昼では人通りが少ないですが、夜や日曜日は賑わう市場です
多くの仏陀像が売られるお店、タイにはまった者は仏像には興味をそそられます

ターサデットは船着場でもあり他の箇所でも、“矢切の渡し”のような船の発着場がありますが、観光客は出入国手続きのあるところしか乗ることはできません。でもそんな矢切の渡しで国境越えを経験したいものです。

昔、托鉢で歩いた懐かしい道をトゥクトゥクで走り、一昨日に続き、ミーチャイター寺へ訪問。

本堂が開いていたので勝手に入り、一人で三拝。朝4時と夕方6時に始まる読経に藤川僧と加わった数日や、先のアメリカ青年をここで出家させた記憶が蘇りました。「あれから22年だぞ」と時間の大切さを実感させる仏陀の目線でした。

この日は和尚さんのお兄さんという俗人のお寺の世話人と偶然対面。タイ人は信頼ある友人は皆、兄弟みたいな呼び方をするので、和尚さんとは血縁関係は無さそうな風貌。この日も念の為、この寺で撮った昔の写真を持って行ったので、この兄さんに見せながら22年前のことを話してみました。

「和尚は明日戻るけど来るかい?」と言われても、私らは明朝の列車でバンコクに帰らねばなりません。「じゃあまた来てくれ、和尚に伝えておくから」と、わずかな信頼関係を作って、同行友人から奪ったマイルドセブンをプレゼントし、この寺を後にしました。

ミーチャイター寺本堂、壁画は仏陀の一生。ここでの思い出も蘇ります
どこの屋台でもこんな光景が日常的
ノンカイ駅に佇む地域犬
プラットホームに入って来ても追い払われないのどかな田舎の駅、馴れたものです

この道路を挟んだ向かい側の路地の奥に“ミーチャイトゥン寺”があり、今は改築されて建物の造りが変わり、ミーチャイトゥン寺と気が付かぬほど。色黒運ちゃんがなぜか機転が利いて最後に立ち寄ってくれましたが、この寺は22年前、比丘としてノンカイに来た際の最初にお世話になった寺でした。より交流が深まったミーチャイター寺から比べれば記憶から外れてしまいましたが、いずれまた来なければならないと誓って最後の訪問地を去りました。

◆再び煩わしいバンコクへ

「ノンカイ観光はどうでした?」と大阪弁オジさんに聞かれて、率直に「楽しかったです!」と本音であり大雑把過ぎる、同じこと繰り返す返答をした後、雑談に花を咲かせる飲み会状態。この店では簡単なバミー(ラーメン)や炒め物など5種類だけのメニューをやっているという大阪弁オジさんの奥さんが切盛りする屋台で、ノンカイ・ビエンチャンの旅では最後の晩餐となりました。ビエンチャンで使ったトゥクトゥクやタクシー値段は「ちょっとボラレとるね!」というオジさんの率直な回答。ちょっとどころではなかったかもしれません。

翌日早朝は、6時40分に駅に入り、列車の到着を待ちました。前日、ノンカイ駅で列車乗車券を買っておきましたが、早朝7時発なのに窓口で「明日は6時30分までに来なさい」と言われ、その意味深く考えず見過ごしていましたが、バンコクからやって来る寝台列車が折り返して行くのだと思って、6時45分頃到着した寝台列車の切り離しや清掃を待ち、乗車できるタイミングを見計らっていたら、なんとトゥクトゥクの昨日の色黒運ちゃんが突然やって来て、「君ら、この列車じゃないぞ、向こうの列車だ」と言われ慌てました。

知らなかったら乗り過ごすところでした。日本と違い低いプラットホームで、通常は線路を渡れるものの、手前に列車がいては2番線に行くには大回りになるので、車掌さんに頼んでくれて両側のドアーを開け、2番線の列車に導いてくれました。乗車券窓口での「6時30分までに来い」と言う意味がこの時初めて分かる、鈍感な我々。

「色黒運ちゃんには感謝する、ビエンチャンのタクシー運ちゃんよりいいオジちゃんだ、また会いましょう」と簡単な御礼を言って笑顔で別れました。この色黒運ちゃんもまた使ってやりたいオジちゃんです。

この地で生きるトゥクトゥク色黒おじさん。また思い出の仲となりました

◆バンコクでムエタイ関係者との最後の晩餐

列車はやや定刻遅れの17時20分にバンコク・フアランポーン駅に着き、最終宿泊地、スクンビット通りのホテルへ、早速の煩わしい渋滞を避け地下鉄で移動は大成功。夜はムエタイ関係者と旅最後の晩餐となりました。

帰りの列車の中で振り返ったこの10日間のタイ・ラオスの旅では、ペッブリーでの得度式に出会い、行かないつもりだったビエンチャンに渡り、予定より2日間を費やした為、昔バンコクでお世話になった人のところやサムットソンクラーム県のお寺へ行けず、更に再会したい人も増え、もう一度行かねばならないところかなり増えた旅となりました。

「またお会いしましょう」と何人に言ってきたことか、この先また“22年後”にならないよう急ぎたいものです。その頃は生きてても長旅は無理かもしれません。

今回は過去に比丘として訪れた街を再訪問しただけの単純な旅でしたが、ノンカイへ向かう列車の中で、「途中下車したらどうなるだろう」と頭を過ぎるも、過去に訪れた地方都市を通過しました。過去にはムエタイ選手が、試合が終わってロッブリー県への里帰りに同行したことや、試合取材で訪れた地方都市などを再訪問するムエタイ絡みの旅も機会あればしてみたいと思います。

単なる日記形式の羅列でしたが、この旅で偶然出会った地元の人達との触れ合いが強烈に記憶に残る楽しさがありました。これから、現在のこんな出会いに繋がった22年前のタイで出家した物語に移りたいと思いますが、興味御座いましたらお付き合いくださいませ。

夕陽のメコン河、対岸からやって来る船、見ていて飽きない風景です

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき最新刊『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか
9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて