《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈5〉 尾崎美代子

◆あの日、夫に何が起こったのか?

遺体発見時の10時間前に亡くなっていた動燃職員・西村成生(しげお)氏。しかし、妻・トシ子さんへの遺書には「3:40」との時刻が書いてあった。遺書は確かに西村氏の字だが、数字は別人のものだった。

「夫はどこかで無理やり遺書を書かされたあとで、殺害されたのでないのか」。

トシ子さんはそう確信し、8年後の2004年、ようやく闘ってくれる弁護士に出会えた。しかし、動燃を「殺人罪」で訴えたいというトシ子さんの要求はかなわず、西村氏が自殺したというならば、動燃に「安全配慮義務違反」があったと訴えることになった。

トシ子さんにとっては不本意だったが、証人尋問で証言した、理事長・大石氏、理事の大畑氏、安藤氏、広報室長・廣瀬氏、そして理事長秘書役・T氏らの証言の記録から、西村氏が不審死する前後に何があったのかが明らかになってきた。

もう一度時系列で追ってみる。1996年1月11日夕方、動燃本社で大石理事長、安藤氏、理事長秘書役のT氏らが出席し、調査チーム主催の会議が行われた。8時過ぎには、動燃と科技庁との間で、どのタイミングでメディアに公表するかが話し合われた。しかし、前述の通り、12日、中川科技庁長官が会見で「ビデオは動燃本社に持ち込まれ、本部員も見ていた」などと発言したためメディアが騒ぎ出し、動燃も急きょ会見せざるをえなくなっていた。

1回目の会見で理事の安藤氏は、メディアの質問にまともに答えられず、怒ったメディアから、理事長大石氏の会見が要求された。

安藤氏の会見後、大石氏、関係者らは1回目の打ち合わせを行った。会見前の関係者の打ち合わせは、この1回目と、3回目会見前の2回目があり、証人により、そのどちらの打ち合わせかは違っているが、全員が、大石氏が「『2時ビデオ』が本社に持ち込まれていたことを確認した日は12月25日であると、正直に言いなさい」と指示したと証言した。大石氏がそこまで「12月25日と正直に言いなさい」と指示したとなれば、確かにT氏の「西村職員の自殺に関する一考察」のように、西村氏が間違った発言を苦に自殺したとも推測できる。しかし、裁判で証言した大石氏、大畑氏、T氏、広報室長・廣瀬氏らの証言からは、そうした事実と相反する事実が次々と明らかになった。

◆誰が嘘をついているのか?

2006年2月、東京地裁で大石氏は、「2時ビデオ」が本社にあったことを知ったのは、1月11日の会議の場だったこと、調査チームからは、それまで1度も報告がなかったこと、西村氏には11日初めて会ったと証言した。ビデオ問題が、もんじゅ存続の可否を決める重大事項になっている最中、自ら指示して作らせた調査チームの職員に、会ったたことがなかった……そんなことがあり得るだろうか。

また西村氏、安藤氏、広報室長・廣瀬氏が、会見後に大石氏に報告した際、大石氏は「安藤理事がなんとか無事に記者会見を終えることができましたという旨の報告がありました」「西村氏に変わった様子はなかった」と証言した。

また大石氏は、弁護士に「西村氏がなぜ自殺したと思うか?」「本社に『2時ビデオ』があったことを確認した日が12月25日であったのに、1月10日と発言したことと関連しているかどうかについてはどう思うか?」と問われ、「わからない」と答え、西村氏が「1月10日」と発言したことは、西村氏の死後、秘書役のT氏から聞いたと証言した。繰り返すが、重要な会見で、出席者がどのような発言をしたか、理事長が知らなかったなんて、あり得るだろうか?

では会見後、普段と変わった様子のなかった西村氏が、なぜ自殺しなければならなかったのか? その原因と思われる個所を、西村氏が間違った発言を苦にして自殺したと「考察」したT氏の証言から見てみよう。

西村氏が会見に使った資料(想定問答集)には、西村氏の字で「1月11日頃」との書き込みがあった。それについて、弁護士がT氏に、打ち合わせで何が話し合われたかと質問した。

弁護士 弁護士21号証で、これは調査グループが調査に入ってから、12月25日であるという1つの想定の答えが書いてあって、その右側に1月10日頃という記載があるんですけれども。

T氏  はい、ありますね。

弁護士 どういうやりとりがあったかは思い出せますか。12月25日という書き込みがあり、他方、本当のメモ書きなんだけれども、コピーで1月10日というふうに残っている。この1月10日頃という書き込みの、この字は西村さんの字なんですけども、どんなやりとりが行われたか。

T氏  それは私には判りませんが、やりとりがあったのは私のほうからご質問させていただいたんでよく覚えているんですが、この質問の、Eが保管していた事実が判明したのはいつかということで、12月25日という回答がでたわけですね、議論の中で。

弁護士 回答って、事実でしょう、調査結果の。

T氏  (12月25日を)ここに書きましょうという。それで、そのときに私から理事長に、12月25日ということで本日になって発表すると、いままでの経緯、ビデオ問題をさんざん隠して社会の糾弾を浴びておりましたから、今日になって、12月25日に判明しましたということをいうと、また騒ぎになりますが、それで宜しいですねということを聞きました。そのときに理事長がいいと、事実をありのままに言いなさいとおっしゃったので、よく記憶しております。(中略)

弁護士 第3回目の記者会見に向けて、あなた自身は12月25日の日取りについて不安があったと。12月25日といっちゃうと10日間以上も何をやっていたんだという話になると、大丈夫でしょうかという不安があったとおっしゃるわけね。

T氏  はい。

弁護士 実際には、理事長は本当のことを言いなさいというんだと。第3回目では結局(西村氏は12月25日とは)言ってなかったということになったんですが、その記者会見はどう聞いておられますか。

T氏  だいぶあとですね。僕は(会見で西村氏が)1月10日というふうにいわれたということを知ったのは2日後ぐらいですから。

弁護士 要するに、西村さんが亡くなられたと、関係方面から耳に入ってきたという話ですよね。

T氏  はい。

動燃理事長秘書役(当時)だったT氏が書いた手書き文書「西村職員の自殺に関する一考察」1-2頁
同上 3-4頁

西村氏が発言した3回目の会見後、大石氏に報告した際、西村氏が1月11日と発言したことは、誰からも全く問題にならなかったと、T氏は証言した。西村氏の両隣には安藤氏、廣瀬氏もいたし、事前の打ち合わせで大石氏にあれだけ「12月25日と正直に言いなさい」と指示されながら、西村氏の間違った、ある意味大石氏に背くような発言を行ったことを、咎める、訂正させる人が全くいなかったということがあり得るだろうか?

大石氏が、12月25日と正直に言うことについて、T氏自身が懸念を示していたのだ。であるならば、会議でなんらかの対処法などが検討された可能性もあるが、それについてはT氏はきっぱりと否定。さらにT氏は、11日午前と12日午後に、大石氏はじめ関係者が出席した重要な会議に出席した事実が議事録にも残っているのに、「まったく記憶にない」と否定した。T氏の理事長秘書役という役職は、通常の秘書業務だけではなく、「理事長に関わる問題のほとんど全部についてかかわってくる。理事長に情報を提供したり、いろんな問題について提案をしたりする」と理事長の大石氏が証言していた。その T氏は、理事長秘書役として重要会議に出席していたことを、なぜ頑なに否定するのだろうか?(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

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《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈4〉 尾崎美代子

日本原子力研究開発機構(JAEA)は、2022年4月22日、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で行われていた原子炉内核燃料の取り出しを終えたと発表、今後は原子炉内を冷却していたナトリウムの抜き取り作業が行われることになった。

1兆1313億円もの総工費を投入しながら、ほぼ稼働せずに廃炉が決まったもんじゅでは、JAEAの前身である「動燃」(動力炉・核燃料開発事業団)時代に職員が不審死を遂げている。

1995年12月8日に起こった、もんじゅのナトリウム漏洩事故で、動燃は当初、事故直後の生々しい事故現場を撮影した「2時ビデオ」を隠蔽し、翌日撮影した「4時ビデオ」の一部しか公開しなかった。その後、地元自治体などの立ち入り調査で、「2時ビデオ」の存在が発覚。それまでも日本の原子力産業での秘密主義、隠蔽体質が問題視されていたが、こうした動燃の対応のまずさに、メディアや住民の非難が高まってきたことはいうまでもない。

そうした中で、動燃の大石理事長〈当時〉は、なぜこんなことが起きたかを内部で調査するチームが作らせた。不審死した西村成生(しげお)氏(当時47歳、以下西村氏)はその一員だった。

◆夫は本当に自殺したのか?

事故後の12月23、24日、西村氏ら調査チームは、敦賀市のもんじゅで職員に聞き取り調査を行った。その結果、「2時ビデオ」が事故の翌日に東京本社にも運ばれていたことが判明した。西村氏らは、翌25日、東京本社に戻ってすぐに大石理事長にそのことを報告、早急に公表すべきと進言した。

しかし、大石氏は公表を先延ばしし、国会で参考人に呼ばれた際も、公表しないまま、年を越してしまった。翌年1月、橋本龍太郎氏に政権交代したことから、新たな科学技術庁(当時)長官に就任した中川秀直氏が、記者会見で動燃が公表していない、その事実を突然公表してしまった。前日に、動燃から科技庁に提出された資料を、勝手に読んでしまったのだ。そのため、動燃も急きょ会見を行うこととなった。

 
西村さんが飛び降り自殺したとされるホテルの前でトシ子さん

1回目の会見に出席した安藤隆理事は、記者らの質問にまともに答えることができず、怒った記者らから、大石理事長の会見が要求された。2回目の会見に出席した大石理事長は、そこでも事実を公表せず、「2時ビデオ」が本社にあったことを知ったのは、1月11日だったと虚偽の発言をした。そして「詳細は、調査チームに話させる」と逃げたため、3回目の会見に調査チームの西村氏が駆り出されることとなった。西村氏は、そこで、大石理事長の発言にあわせ、「2時ビデオ」の存在を知ったのは、大石理事長が知った11日の前日の1月10日だったと発言せざるを得なかった。

3回目の会見を終えた西村氏は、科技庁から戻った動燃本社で簡単な打ち合わせを行ったのち、翌日早朝に、大畑理事と敦賀市に出張に出るため、東京駅近くのホテルに深夜1時ころチェックインした(ことになっている)。2時過ぎ、ホテルに動燃から西村氏宛のfaxが届き、浴衣姿の西村氏が、5枚の用紙を取りに来たこととなっている。その後、3時台に妻・トシ子さん、大石理事長、秘書役T氏の3人に遺書をしたため、早朝、8階の非常階段から飛び降り自殺したとなっている。

ホテルの敷地内で西村氏の遺体を発見したのは大畑氏だった。西村氏の部屋の机に3通の遺書があったことから、駆け付けた中央警察署は飛び降り自殺と断定したとなっている。

しかし、聖路加国際病院の霊安室で、西村氏の遺体と対面したトシ子さんは、8階から飛び降りたとは思えないに夫の遺体を見て、「何かがおかしい」とすぐに疑問を抱いた。

60人ほどの小さな葬儀を考えていたトシ子さんに、動燃は「もっと大きな会場を」「4人に弔辞を読ませる」などと無理な注文を付け、結局、国会議員など1500人もの弔問客が訪れる「社葬」のような葬儀が執り行われた。大石氏、T氏ら4人の弔辞は、西村氏の死を動燃の復活へと結び付ける内容で、その後メディアの動燃批判は一挙に沈静化した。

 
動燃本社の裏口。遅くに外に消しゴム1つ買いに行くにも記帳しなけれぱならなかったのに、あの日深夜、科技庁から戻り、ホテルに行くため出た西村さんの記帳は確認出来なかった

◆夫の死後、次々に起きた不可解なこと

「夫の死は政治的に利用されているのではないか」。そう考えるトシ子さんの周辺では、次々と不可解なことがおきた。初七日の翌日、総務部長から「お礼参りに来て欲しい」と連絡された。「お礼参り?」と訝しく思ったが、夫の死について何か聞けるのではないかと、息子らと動燃本社に出向いた。動燃本社に到着するなり、役員室に案内された。理事長などから西村の死について説明があると思ったが、役員20名がただ青ざめて立っているだけで、説明も何もなかった。そのつぎに、西村さんが在籍していた総務部に案内されたときだ。若い職員が駆け寄り「西村さんの机の上にあった沢山の資料はどうしたんでしょうね?」と言った。成生氏は普段から、秘密事項などの重要書類を扱うため、席を外す際には書類を必ず鍵のかかる引き出しにしまっていた。若い職員の言うことが事実なら、西村氏は、書類をしまう間もないほど急がされて、会見に引きずり出されたのではないか? トシ子さんの疑念は深まるばかりだった。

次に向かった科技庁では、中川長官から「生前の西村さんは何か言い残していないですか」と確認されるように聞かれた。トシ子さんは「もんじゅの担当にされてしまったよ」と、いつになく悔し気に語った西村氏を思い出した。トシ子さん自身、そう聞いて妙な胸騒ぎを感じていたのだった。

お礼参りの最後、新橋駅近くの雑居ビルに入る動燃関連会社「ペスコ」に向かった。ワンフロアを貸し切ったペスコに入った途端、トシ子さんはなんともいえぬ薄気味悪さを感じていた。平日の昼間なのに、動燃の職員が何人もいたうえ、みな、西村氏の死を悲しむような表情ではなく、平然としていた。葬儀で弔辞を読んだ一人、竹ノ内会長が「前の日もここで(成生氏と)一緒にお茶を飲んだのに…」とつぶやいた。西村氏が亡くなった前日1月12日は、科技庁の会見が予定されており、そこでの中川長官の発言から、動燃も緊急会見を余儀なくされ、1日中バタバタ慌ただしかったはずだ。ここに来てお茶を飲む時間などなかったはず…。トシ子さんはそう考え、「ここで何かあったのではないかしら」と思えてきた。

初七日後、初めて西村家に連絡してきた理事長秘書役のT氏の動きにも気になることが多々あった。葬儀後、初めての電話でいきなり「今どんな気持ちがするか?」と聞いてきた。そして翌日来訪すると伝えられた。来訪の理由は、自分が葬儀で読んだ手書きの弔辞を、ワープロのものに差し替えたいということ、もうひとつは、形見に、西村氏の着けていたウッジウッドのカウスボタンが欲しいと言ってきた。もちろんカウスボタンを渡さなかった。

その後、多くのメディアに「亡くなった西村職員の友人」として登場するT氏だが、ある日、トシ子さんから「Tさんは夫の親友でもなんでもなかったのよね」と聞いた。二人は大学が同期というだけで、趣味の麻雀やゴルフも一緒にやったことがない、2ショットの写真も一枚もないという。そしてT氏の書いた「西村職員の自殺に関する一考察」では、西村氏の自殺の原因は、3回目の会見で、西村氏が間違った発言をしたことではないかという。果たして、あの時点で、西村氏の発言は、「自殺」を考えるほど間違っていたものといえるのだろうか?(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈3〉 尾崎美代子

◆遺書に書かれた「3:40」の謎

西村成生氏(以下、成生氏)の遺書は3通とも、動燃の社用箋に書かれ、一番上に遺書を認めた年月日、曜日と時刻が書かれていたが、報告書のように「以上」と締めくくられていたり、「勘違い」を「勘異い」、「発展」を「反展」、「通り越し」を「遠り越し」などの漢字ミスがあるなど不可解なことが多かった。

というのも、成生氏は、行政などに提出する公文書の最終チェックを行う総務部文書課にも長く属しており、文章には非常に厳しく、残されたノートなどにも誤字などはまったくなかったからだ。

「夫がそんな間違いをするだろうか」

不思議でならなかったトシ子さんが、遺書に書かれた「勘異い」「反展」などの漢字ミスを、その後、ある文章で知ることとなった。 それは、秘書役T氏が書いた「西村職員の自殺に関する一考察」の中でだった。

「一考察」にはまた、「妻宛の遺書にはこう書かれていた」との説明も書かれていた。T氏は「一考察」を、成生氏が亡くなった直後の1月15日に書いていたが、トシ子さんは、警察から手渡された遺書を、その後1年間ほど、誰にも見せていなかったのだ。その遺書の内容を、何故T氏が知っていたのか? それはのちの裁判で明らかになる。

成生氏の死から1年後、聖路加国際病院の医師に、成生氏の遺体は死後10時間くらい経って病院に搬送されたと告げられたトシ子さんは、遺書に書かれた「3:40」の字も偽装されたのではないかと疑い始めた。その時刻、成生氏はもう亡くなっていたのだから、時刻を書きこむことは出来ないではないか。

3通の遺書に多く書かれた「3」の数字を改めて確認すると、大量に残された成生氏の生前の文書に記された「3」とは明らかに違っていることがわかった。しかも、何時何分と書く際、何分を何時より小さく書き、下に線を1本引くという成生氏のクセもないことにも気づいた。遺書の字は確かに成生氏のものだが、遺書を認めたという時刻は、誰かがあとで書き足したものではないか?その時刻に、あたかも成生氏が生存していたようにみせるために……。

 
夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

◆夫の死の真相を追及する闘い

夫の死の真相を何とか知りたいと、1年後、トシ子さんは宿泊していたホテルに宿帳を見せてほしいと求めたが拒否された。同じころ、聖路加国際病院の医師から、成生氏の遺体は死亡から10時間経過していたと聞かされたトシ子さんは、成生氏の遺体を処理した中央警察署に説明を求め訪れた。刑事課長は名前すら明かさなかったが、代わりに対応した課長代理が、成生氏の遺体に関する説明を行った。

トシ子さんは、「ホテルの部屋や8階の非常階段に成生さんの指紋はあったのですか?」と尋ねると、「指紋の資料はない」と答え、さらに「救急搬送する前に、警察で遺体を見ているのですか?」と尋ねると、「見ています」とファイルを差し出した。

そこには、成生氏の頭部と全身を写した写真が3枚あった。しかし、転落現場を撮った写真は1枚のみ、スーツ姿の成生氏が転落したコンクリートの地面ではなく、担架にうつぶせに寝かされているものだった。なお、ホテルにチェック・イン後、成生氏に動燃から送付されたFAX用紙について、中央警察署は把握していないとの回答だった。深夜2時過ぎにホテルに送信され、浴衣姿の成生氏がフロントに取りにきたという5枚のFAX用紙はどこに消えたのだろうか?

その後、トシ子さんは、死体検案書を作成した東京都監察医(当時)の大野曜吉氏に面談した。大野氏は、「検視は、1月13日午前10時55分頃。聖路加国際病院の霊安室で行った。立会人は、中央警察署の警部補だった」などと話した上で、難解な説明が長々話すので、トシ子さんはそれを止めるように、こう質問した。

「深部温度は計ったのですか?」

素人のトシ子さんから医学的な専門用語が出たため、顔色を変えた大野氏、「計ってません。なぜそんなことを聞くのか?」と聞いてきた。

トシ子さんはそれに答えず畳みかけるようにこう聞いた。

「じゃあ、どうやって死亡推定時刻を判断したのですか?」

すると大野氏は「遺体の発見は5時40分だと(立ち会った)警部補がいうから、それのやや前だろうと(考えた)」と答えた。

さらにトシ子さんが「転落したらしいと書いてありますが、なんで『らしい』なんですか?」と尋ねると、それも警部補からの伝聞だという。あまりにずさんな鑑定ではないか。

そのためトシ子さんは、監察医の大野氏を死体検案書の虚偽私文書作成で、秘書役のT氏を遺書の私文書偽造で、東京地検特捜部に告訴したが、2件とも「嫌疑なし」で不起訴となった。

2002年10月、トシ子さんは、東京都公安委員会に犯罪被害者等給付金請求申請を提出したが、翌年棄却。2004年10月13日、トシ子さんは2人の息子と、核燃料サイクル開発機構(旧動燃)に対して、成生氏の死が「自殺」というならば、動燃から虚偽の説明を強いられたためだとし、安全配慮義務違反の損害賠償を求める裁判を提訴した。

しかし、東京地裁は「動燃が虚偽の発表を強いたとはいえない」として請求を棄却、東京高裁も「動燃には自殺を予見できなかった」などとして一審を支持、2012年、最高裁は上告を退ける決定を下した。

しかし、高裁判決では「もし虚偽の回答をしてしまったことが発覚した場合には、もんじゅ現地のみならず動燃本社までもが嘘をついているとして、社会から厳しい指弾を受け、大石理事長の早期辞任はもとより、動燃の体質論から動燃の解体論にまで発展しかねない重大な事態を引き起こす危険性があった」と認定した。

成生氏の死が、まさにその「重大な事態」を食い止めたのだ。

2015年2月13日、警視庁中央署に対し、成生氏の全着衣、FAX、遺書作成に使用した筆記用品などの遺品について、返還を求める未返還遺品請求を提訴したが、2017年9月13日、東京高裁で棄却された。

さらに2018年2月22日、日本原子力研究開発機構と大畑宏之理事に対し、成生氏の全着衣、FAX、遺書作成に使用した筆記用品、手帳、事務机内の全遺品の返還を求める未返還遺品請求を提訴。その後大畑氏が死亡したため、現在トシ子さんは、同機構と大畑宏之元理事の遺族を相手取り、遺品返還訴訟を行っている。

前述した通り、トシ子さんは、葬儀に献花した国会議員らに、動燃本社内の成生氏の机の封印の嘆願書を提出しており、机は封印されていた。その事務机内の遺品とともにトシ子さんは、中央署員が大畑理事に渡した成生氏の遺品(ホテルで受信したとされるFAX受信紙、鞄に入れていた95年「どうねん手帳」、遺書を書いた万年筆、マフラー、ネクタイ、靴、着衣等々)の返還を求めた。

2021年9月30日、東京地裁は訴えを棄却したが、トシ子さんは、2021年10月14日、東京高裁に控訴し、今も闘い続けている。(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈2〉 尾崎美代子

◆動燃の説明で強まる不信感と疑念

動燃は、トシ子さんに成生氏の死の経緯の説明など行わない一方、ささやかな葬儀を予定していたトシ子さんに、ハイヤーが6台入るようにもっと広い会場を、4人に弔辞を読ませる時間がないと困るなどと注文をつけ、葬儀を取り仕切った。

実際、葬儀には1500人もの参列者が訪れ、梶山静六官房長官(当時)はじめ田中真紀子氏ら国会議員、原発立地の県会議員、原発関連企業幹部ら「大物」の名前が並び、費用は西村家が出したにもかかわらず「社葬」のようだった、とトシ子さんは振り返る。「夫はもんじゅ事故騒ぎの鎮静化のために亡くなったというふうに、政治的に利用されているのではないか」。

 

トシ子さんは涙も見せず、葬儀を注意深く見ていた。「当日読まれた弔辞を全部あわせて読むとよくわかるんです」と、4人の弔辞内容が巧妙に連携されていたと説明する。科技庁・石田寛人事務次官の「明日へのエネルギー確保のための原子力」、動燃・大石博理事長の「もんじゅ事故の混乱」、関連企業ペスコ・竹ノ内一哲会長の「ホテルで1人で遺書を書き」、そしてT秘書役の「自ら命を絶った」と。

実際、成生氏の死後、動燃批判は一挙に沈静化したが、トシ子さんの疑念はますます強まっていった。葬儀の10日後、トシ子さんは、葬儀に献花した閣僚らに対し、動燃内の成生氏の事務机の封印について嘆願書を提出し、その10日後、科技庁事務次官から「奥さんの望むようにした」との返書が届いた。

一方、トシ子さんは大石理事長に、夫の死について何度も説明を求めたが、まったく返答はなかった。そんななか4月22日、T秘書役から「説明したい」と連絡があった。

T氏は、成生氏から遺書を受け取った1人であるが、夫の大学の同窓生でもあった。待ち合わせ場所は動燃本社ビル地下にあるスナックだった。トシ子さんは、そこに現れたT氏からてっきり動燃社内に案内されると思いきや、近所の居酒屋に案内された。

そこに大畑理事が現れ、T氏と2人で酒を飲み始めた。「夫の死の話をするのに、どういう神経をしているのかしら?」と訝しく思うトシ子さんに、T氏は「西村職員の自殺に関する1考察」と題した社用箋に手書きした文書を手渡した。

そこには、成生氏の死は、前日の会見で、本来上層部がビデオの存在を知ったのは、前年12月25日だったから、成生氏は「12月25日」と返答すべきところ、「1月10日」と言い間違えて返答してしまったことを苦に自殺したという内容だった。

「それは違う」。トシ子さんは咄嗟に思った。前述したように、夫の死後、トシ子さんに返された成生氏の鞄に入っていた記者発表の想定問答集には、「12月22日から1月11日の間」と記載されていたが、当日、2回目の会見で、大石理事長が「1月11日に初めて知った」と答えたことから、成生氏は、安藤理事、廣瀬広報室長と行った3回目の会見で、理事長発言の1月11日の1日前の「1月10日」と答えるしかなかったのである。

しかもその答えを、同席していた安藤理事や廣瀬広報室長も訂正しなかった。それは動燃の「統一見解」であったからだ。成生氏も仕方なく従うしかなかったのだ。成生氏が「言い間違えた」というなら、同席していた安藤理事、広報室長らが訂正したり、再度会見を開くことも可能だったのに、行っていなかった。

そんなトシ子さんの思いも知らず、T氏は「西村は発作的に自殺をしてしまったんだ。でも潔ったよ」と語ったという。

「事実は違うと思います。夫は当日、ホテルでファックスを受け取ったそうですが、その受信紙は今どこにあるんですか?」とトシ子さんは2人に問い詰めた。

すると大畑理事は、顔色を変え、突然店から出て行ってしまった。そのファックス用紙が存在すれば、刻印時刻に成生氏がホテルに宿泊し、その時刻まで生存していた第一級の証拠物であるというのに、警察と動燃は、その後の裁判においても証拠提出していない。

 
夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

◆夫の死後、初めて涙した日

数日後、自宅に〈「動燃もんじゅ大事故」と「ビデオ隠し」の犠牲者〉と題された記事が掲載された講談社発行の月刊誌が、差出人不明で届いた。内容は、先日聞いたT氏の「1考察」に沿う内容で、T氏自身も実名でコメントを寄せていた。

「数日前の奇妙な説明は、この記事が出る前、私を説得させるためのものだったのか」とトシ子さんは考えた。

1年後、その記事を見せた知人に「それは変だ。調べ直したほうがいい」と言われ、夫の遺体を死亡確認した聖路加国際病院の医師に説明を求め電話を入れた。

驚くことに医師は、トシ子さんからの連絡を待っていたという。成生氏の死に不信を感じていたのか、当日トシ子さんに話をするため霊安室に向かったが、入口で動燃職員に止められたという。

医師はトシ子さんに、(成生氏の遺体は)「死後、10時間くらい経って、病院に連れてこられたんですよ」と、驚くべき事実を伝えてきた。

直腸など身体の奥の外部の気温などに左右されにくく、常に約37度で安定している「深部体温」から推測すると、成生氏の死亡推定時刻は、動燃や警察が発表した午前5時頃よりかなり前だというのだ(法医学では気温が常温18度の場合、遺体の深部体温は1時間に1度低下するとされるが、1月で気温が低かったため、少なくとも午前1時までには死亡していたと推測される)。

監察医は、死体検案書に成生氏がホテル8階から転落、「即死」したのが午前5時頃と記載、搬送先の聖路加国際病院の医師が、死亡確認した時刻は6時50分で、その時の「深部体温」は27度と記載していた。

その後、トシ子さんが何人かの法医学者に尋ねたところ、午前5時から6時50分までの約2時間で、深部体温が10度も低下することについて、全員が「あり得ない」と答えた。

さらに、側頭部のレントゲン写真を撮ったところ、頭の中央部が白く映っており、脳幹に空気が入った状態だったことがわかった。脳幹には生命維持機能があり、脳幹に空気が入ると息が止まり、致命傷になるとのことだった。

数日後、トシ子さんは、聖路加国際病院が撮影した成生氏のレントゲン写真を受け取り、付添人と病院の庭園で封を開け、写真を見た。夫の頭蓋骨、胸郭には、骨折など目立つものは何もなかった。

「頭蓋骨骨折で…」と書いた新聞もあったではないか…。死んだ夫のレントゲン写真が、夫が8階からの飛び降り自殺ではない事実を証明してくれたのだ。霊安室でも葬儀でも泣かなかったトシ子さんが、その時初めて涙した。(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44727
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44733

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ── 夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い〈1〉 尾崎美代子

1996年1月13日、千葉県柏市に住んでいた西村トシ子さんは、早朝、突然の電話で起こされた。

「西村さんが救急車で運ばれました」

電話をかけてきたのは、夫・西村成生(しげお)氏が勤務する動燃(動力炉・核燃料開発事業団、現在は国立開発研究法人・日本原子力研究開発機構)の安藤隆安全管理担当理事だった。15分後再びかかった電話で、成生氏の死亡が告げられた(当時49歳)。

 
夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

安藤理事に「お宅にハイヤーを差し向けたので、それに乗るように」と告げられたトシ子さんは、まもなく到着したハイヤーに2人の息子と乗り収容先の聖路加国際病院に向かった。ハイヤーのラジオで、成生氏が宿泊先ホテルの非常階段の8階から飛び降りたらしいとのニュースを聞いた。

「遺体は相当酷いだろう」。そう危惧しながら霊安室に入ったトシ子さんは、遺体と対面するなり「えっ」と声を上げそうになった。遺体は、顔と肩に腫れた青痣、両腕に多数擦過傷があるものの、30メートルもある8階から、非常階段下のコンクリート床に飛び降りたとは思えない状態だったからだ。

警官からは、死体検案書、トシ子さん宛の遺書、成生氏の腕時計、財布、鍵の入った封筒が渡された。遺書は成生氏の字に間違いないが、遺体には殴られたような跡があったことから「無理やり書かされたのではないか? 何かがおかしい」と直感したトシ子さんは、嗚咽を漏らす長男の傍らで、ただ立ち尽くしていた。

霊安室から出ると、成生氏と同じホテルに宿泊していた総務担当理事の大畑宏之氏が「僕が付いていながら、こんなことになって……」と詫びながら、トシ子さんに成生さんの鞄とコートを渡した。

◆もんじゅ事故とビデオ隠し事件

実は前年(95年)の12月8日、動燃運営の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)がナトリウム漏れ事故を起こし、核燃料サイクルはとん挫し、原発の安全神話は崩壊し、事故の報道や反原発運動で騒然となる中、事故現場を撮影したビデオを隠した事件が発覚し、さらに大きな社会問題になっていた。

動燃は、事故翌日の午前2時に撮影したビデオ(「2時ビデオ」)の存在を隠し、マスコミには午後4時に撮影したビデオ(4時ビデオ)を公表していた。

それは15分のビデオから生々しい事故状況を隠し、1分に編集したもので、その事実が20日発覚、動燃の秘密主義・隠ぺい体質に非難が強まり、所長が更迭に追い込まれる1方で、動燃や監督官庁である科学技術庁(当時)へ、原発反対を訴えるデモがおしかけられていた。

21日、成生氏は「ビデオ隠蔽問題」の調査を命じられた。成生氏は、前年10月、茨城県東海村事業所から動燃本社(東京)の総務部次長へ転属し、人形峠(鳥取・岡山の県境)のウラン残土問題の住民対策の特命を命じられていた。

そんな成生氏に「ビデオ隠蔽事件」内部調査団の副団長という、さらに困難な任務が課せられた。「もんじゅに担当にされてしまったよ」。家で滅多に仕事の話をしない成生氏が、そうこぼしたときから、トシ子さんは「妙な胸騒ぎ」を感じていたという。

◆記者会見後の不可解な「自殺」

12月22日、科学技術庁(当時)の強制立ち入り調査で、隠していた「2時ビデオ」の存在が発覚。自身もかつて動燃職員だったトシ子さんは憔悴した夫の様子が気がかりだった。

23日~24日、成生氏が、敦賀市のもんじゅで60人もの職員から聞き取り調査を行った結果、問題の「2時ビデオ」が事故翌日、東京の動燃本社にも運ばれていたことが判明した。

翌日本社で調査団長鈴木氏を通じて、大石理事長にその事実を告げると、理事長から「本社関係者からも、詳しい事情聴取を行うように」と命じられた。しかし、大石理事長自身は国会の参考人に呼ばれた際も、本社関与に言及することはなかった。

1996年1月11日、社会党(当時)から自民党に政権交代したことを受け、新科学技術庁長官に就任した中川秀直氏が所信表明することになった。

午後11時、成生氏から「明日の所信表明を録画しておいてくれ」と電話があり、それがトシ子さんの聞いた夫の最後の声となった。というのも、深夜帰宅後、すぐに就寝した成生氏とは話もできないまま、翌朝、いつもはコーヒーを飲んで出かける夫が、コーヒーも飲まずに家を出たからだ。

1月12日午後4時過ぎ、中川秀直科学技術庁長官が「2時ビデオは動燃本社に持ち帰られ、本社の者も見ていた」と発表したことを受け、動燃は第1回会見を4時20分から、急きょ行った。

最初の安藤理事の報告に、記者からは「納得できない」などの声が飛び中断、次に第2次会見を行った大石理事長は「知ったのは1月11日だった。本社上層部はビデオの存在を知らなかった」と虚偽の報告を行った。しかし、同じく記者らの質問には答えず「詳細は担当者に答えさせる」と会見を打ち切った。

その後、動燃の広報室は科技庁へ「実は(前年の)12月25日に知っていた」と手書きの、10枚のファックスを送信していた。そのファックス紙には成生氏の会見が始まる直前の午後8時32分と刻印があった。

しかし、不可解なことにそのファックスは、成生氏の鞄の中に2枚だけしかなく、ほかの8枚は見当たらず、何が書いてあるかもわからなかった。

成生氏が引っ張り出された第3回目の会見が始まったのが、午後8時50分。そこで成生氏も「1月10日だった」と発言した。成生氏の死後、返却された鞄に残された「想定問答集」には「12月22日から1月11日の調査の過程で判明した」と記載され、これが動燃の統一見解だったからだ。それにも拘わらず、大石理事長が「1月11日初めて知った。本社上層部はビデオの存在を知らなかった」と虚偽の発言をしたことにより、成生氏は「1月10日だった」と答えるしかなかったのだ。

3回の会見はそれぞれ虚偽発表を行い、記者などを混乱させたのである。会見終了が午後10時5分。その後、成生氏は、翌日早朝から大畑理事と敦賀市で会見を行うため、2人で日本橋の「センターホテル東京」に0時45分にチェックインしたことになっている。しかし、その後の裁判で、大石理事長、安藤理事、廣瀬広報室長は「大畑理事と成生氏が敦賀に会見に行くことは知らなかった」と証言し、大畑理事とT秘書役のみが「敦賀に行くことを知っていた」と証言したのである。

トシ子さんはこれにも疑問を呈する。「前日敦賀入りするならば別だが、出張の当日都内のホテルに宿泊するなんて、それまで一度もありませんでした。まず宿泊代が出ませんから」。

午前2時半頃、ホテルのフロントに動燃から成生氏宛のファックスが5枚送られ、それを浴衣姿の成生氏が取りにきたという。その5枚のファックス受信紙は裁判の証拠としても、いまだに提出されていない。

「そもそも、科学技術庁での記者会見の議事録という極秘文書をホテルにファックスで送るだろうか? 動燃本社とホテルは車で15分とかからない。直接夫に手渡すはずだ」と、トシ子さんはこれにも疑問を呈する。

遺体発見は、その4時間後。ホテルのモーニングコールに出ず、約束の6時前、フロントに降りてきた大畑理事が不審に思い、成生氏の部屋の鍵を開けて入ったところ、3通の遺書を見つけたという。

6時過ぎ、非常階段の下で、スーツ姿でうつぶせの成生氏の遺体を発見、搬送先の聖路加国際病院で死亡が確定されたのが6時50分。中央署と大野曜吉監察医は、聖路加国際病院で死体検案書を作成したが、遺書があったことから自殺と断定され、司法解剖は行われなかった。

なお中央署は、遺体着地点の現場検証写真を撮っておらず、のちにトシ子さんに見せたのは、担架にうつ伏せに乗せられた成生氏の写真、それも一方向からの1枚のみだった。成生氏の遺体は、その後全身をさらしにまかれた状態で、病院の救急用駐車場に、動燃があらかじめ準備した車を配備し、段取り良く乗せられ、遺族に返されたが、成生氏のスーツ、下着、靴などは返還を拒否された。

当日の午後、会見した大石理事長は、成生氏の死を「自殺」と断定し、自身に宛てられた遺書を読み上げたが、のちにその内容まで改ざんされていたことが判明した。(つづく)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

関西電力の「土砂処分」「土地賃借の不正」で新たな告発を大阪地検、最高検に提出! 「関電原発マネー不正還流を告発する会」告発人募集は9月20日まで 尾崎美代子

福井県高浜町の元助役・森山栄治氏の死去により明らかになった関電の原発マネー不正還流事件。2019年12月13日に八木誠前会長、岩根茂樹前社長ら元役員ら12人を金品受領・報酬補填などの問題で、特別背任罪(会社法960条1項)、背任罪(刑法247条)、贈収賄罪(会社法967条1項)、所得税法違反(238条1項、120条1項)の疑いがあるとして、3272人が9月6日、告発状を大阪地検に提出した。2020年10月5日、「関電原発マネー不正還流を告発する会」(以下、告発する会)は、被告発人を森元会長ら9名に絞った告発状を大阪地検に提出、正式に受理された。

しかし、昨年11月19日、大阪地検は、強制捜査等行われないまま、嫌疑不十分として全員を「不起訴処分」にしてしまった。大阪地検OBには、多数の関電役員が天下りしているが、不都合な真実を隠ぺいするため「忖度」した結果であろう。告発する会は、すぐに「検察審議会」に申し立てることを決め申立人を募集、今年1月7日、検察審査会に申し立て、その後4回にわたり「補充書」を提出、追訴相当の議決がでるよう働きかけてきた。

そんななか、4月20日、関電内に設置されたコンプライアンス委員会が、調査報告書を関電に提出、公表された。それによれば、関電の土砂処分、土地の賃貸借及び倉庫の賃貸借でコンプライアンス違反があったことが認定されていることがわかった。

告発状を提出した大阪地検前で抗議の声をあげる市民たち(写真提供=末田一秀さん)

1つ目の、土地処分案件では、亡くなった森山元高浜町助役の関連会社「吉田開発」が、土砂の崩壊事故を起こして評判が悪いにもかかかわらず、元請けゼネコンが決まる前から吉田開発に下請けさせ、吉田開発は孫請けに仕事を出す一方で、自らは何もせずに「中抜き」で儲けるスキームを作っていたことが明らかになった。

報告書は、関電の当時の原子力事業本部の豊中秀己本部長(特別背任)、森中郁雄本部長代理(背任)、鈴木聡副事業本部長(背任)が関与していたと実名が挙げており、金沢国税局は、14件の工事について、差額は森山元助役に渡ったのではないかと指摘した。

2つ目の土地賃借案件では、吉田開発と同じ経営者の吉田関連X社や柳田産業が持っている土地を、森山元助役の求めにより、「適正賃料」よりもはるかに高額で関電が借りていたことがわかった。これに関しては、豊松氏に了承を得ていたと推認されるなどと書かれている。

関電は、事件が発覚後、株主が提訴した損害賠償請求の裁判などで、「発注額は適正であった」と主張し続けており、当時の大阪地検検事も不起訴理由説明会で「関連する発注の捜査を尽くしたが、府政発注などとは認められなかった」と述べていた。

ところが、4月のコンプライアンス委員会報告書は、吉田開発などに不当利益を与えるために高額での不正発注があったことなどを、根拠となるメール題名を記載しながら、詳細な数字を出して明らかにした。

土地賃借案件は、関電の役職員らが、森山元助役の要求に応じて土地A(高浜町内)の賃借を決定し、吉田開発の要求(賃料200万円/月)をうけて、社内規定に違反して賃借の算定をおこない、不相当に過大な賃料を、吉田関連X社へ支払っていたというものだ。

2015年3月、鈴木副事業本部長は、森山から「土地A」を駐車場用地などとして賃借して欲しいと要請された。これを受けて関電原子力事業本部では、「土地A」を月額50万円で賃借するとして、交渉していた。しかし、吉田開発が月額200万円を譲らなかったため、関電側は月120万円に加えて、B倉庫管理業務月額30万円、アクセス道路の巡視業身利益ベースで月額50万円を、吉田開発に発注していた。

土地Aの賃貸契約は、2016年7月5日に締結され、2021年3月に解約されるまでの間、適正賃料(17万5000円)と、実際の賃料(120万)の差額の総額は、1億2000万円超に上ると考えられている。

なお、新たな疑惑の「倉庫案件」は、毎日新聞が2012年2月23日に報じたものの、関電第三者委員会報告書には書かれていなかった問題だ。原発推進の高浜町議が、事業に失敗し面倒みてくれと依頼、高浜町幹部が関電にもちかけ、町議が経営する工場を、関電が2008年から倉庫として借り上げたものだ。相場が年1600万円のところ、5520万円。2013年10月、国税局に問題を指摘され、4860万円に減額し、2018年度に1620万円にするまで間、町議が得た不当利益は、3億5174億円と計算されている。    

前述したように関電は、これまで株主が提訴した損害賠償請求の裁判などで、「発注額は適正であった」と主張し続け、大阪地検も不起訴理由説明会で、「関連する発注の捜査を尽くしたが、不正発注などとは認められなかった」と述べていた。

ところが、4月のコンプライアンス委員会報告書は、吉田開発などに不当利益を与えるために高額での不正発注があったことを具体的な数字で明らかにした。

告発する会は、4月28日、大阪地検に対して、再捜査を求める申し入れ書を提出するとともに、検査を行う検察審議会へに対して、起訴相当の議決を行うよう補充書を提出していた。

そして、9月6日(火曜日)午後1時より、大阪地検と最高検察庁に告発状を新たに提出した。その後、会場を移動し、弁護団の報告会が開催された。河合弁護士、海渡弁護士、川上弁護士らがオンラインで記者会見し、多くのマスコミの質問に応じた。

海渡弁護士

海渡弁護士「前回、検察審査会の内容は、報酬補填の部分は起訴相当だったが、不適正発注については、不起訴不当にしかならなかった。それは証拠が不十分だったからでしたが、今回のコンプライアンス委員会の調査で分かったことは、それらの氷山の一角です。しかし、ここでは非常にはっきりした形で、全部の証拠が集まっているので、今回の検察審査会の見解からすれば「起訴しなくてはいけない」と考えるべきと思います。大阪地検は、とうぜん起訴しなくていけないと判断してくださると考えますが、大阪地検は競うべき事件を不起訴にしてきた前科があるので信用できないとして、今回は最高検察庁も入れてやろうとしました。双方が協力して起訴して貰えば問題はないわけです。最後に私からひとこと『大阪地検は、この件でかならず起訴して欲しい。仮に大阪地検が不起訴にしてしまっても、最高検察庁がかならず起訴相当にするに至るだろう』と考えている。再捜査の中で、この問題がでてきたので、これを調べればいいのです」。

河合弁護士「大阪地検と最高検察庁の両方に訴えるということは異例のことです。我々はこの事件を取り組むなかで、大阪地検のなかに、関電幹部が多数天下り、しかもそれなりの要職に就いていること。だから不起訴にしたのではないかと考え、その不信感の表れが、最高検察庁にも訴えたということに現れたと考えています。大阪地検は信頼できない。最高検察庁は、大阪地検をきちんと指導してほしい。そうして市民の信頼を取り戻してほしい」と訴えた。

9月6日は、4月20日付けの関電のコンプライアンス委員会・調査報告で明らかになったうち、土砂処分問題、土地賃借問題の2件を告発した。新らに分かった3つめの倉庫問題については、弁護団が多忙で告発状が間に合わなかったため、9月30日に改めて告発する。なお、告発人の募集は9月20日まで行われている。

「関電の原発マネー不正還流を告発する会」
 事務局:〒910‐0859 福井県福井市日之出3-9-3
    「原子力に反対する福井県民会議」気付 
 mail:fukuiheiwa@major.ocn.ne.jp

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

〈原発なき社会〉を求めて集う不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2022年秋号
NO NUKES voice 改題 通巻33号
紙の爆弾 2022年10月号増刊
2022年9月11日発行 
A5判/132ページ(巻頭グラビア4ページ+本文128ページ)
定価:770円(本体700円)

主要目次
[コラム]樋口英明(元裁判官)
株主代表訴訟東京地裁判決と国家賠償訴訟最高裁判決
小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
[報告]原発が原爆になる
[コラム]戦争に落ちていこうとするこの国
[講演]3・11福島原発事故から11年
脱炭素・原発再稼働・小型原発を問う
[講演]広瀬隆(作家)
二酸化炭素地球温暖化説は根拠のまったくないデマである〈中編〉
[講演]小山美砂(毎日新聞大阪社会部記者)
疑わしきは救済する──「黒い雨」訴訟と核被害への視座
[インタビュー]井戸謙一(311子ども甲状腺がん裁判弁護団長)
福島第一原発事故と甲状腺がんの因果関係を証明する
[報告]漆原牧久(「脱被ばく実現ネット」ボランティア)
311子ども甲状腺がん裁判を傍聴して
山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表、東電株主代表訴訟原告)
[報告①]東京地裁で東電元経営陣に一三兆円余の賠償金を命じる判決
原発を動かし続ける電力会社経営陣への警告
[報告②]電力逼迫を利用した原発推進政策の問題点
[報告]鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
そこに民主主義はない
福島第一原発「汚染水」海洋放出強行
[報告]森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表)
原発事故避難者に国連「指導原則」に則った人権保護を!
[報告]伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
「原発事故避難者」はどこにいるのか?
[映画評]細谷修平(メディア研究者)
シュウくんの反核・反戦映画日誌〈2〉
原子爆弾と夢想の力──『太陽を盗んだ男』を観る
[報告]板坂 剛(作家/舞踊家)
何故、今さら重信房子なのか?
[報告]山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈17〉今日における日本人の原罪
[報告]三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
とめどなく出てくる統一教会汚染と国葬
[報告]佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
原爆・原発・統一教会~天網恢々、疎にして漏らさず!~
[書評]大今 歩(高校講師・農業)
福島の小児甲状腺がん検査は本当に「過剰診断」なのか
『福島の甲状腺検査と過剰診断』(あけび書房)
[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
虚構の「電力逼迫」発表にまどわされない!
本命の原発再稼働に反対し、言論と大衆行動で闘う
《全国》柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
「原発の過酷事故は我が国の存立を危うくする」=東電株主代表訴訟判決文
《六ヶ所村》山田清彦(核燃サイクル阻止一万人訴訟原告団事務局長)
高レベル放射性廃液の冷却不能トラブル
《福島》けしば誠一(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
福島の実態を全国に配信し 原発を止める闘いを強めます
《東京電力》佐々木敏彦(東京電力本店前合同抗議実行委員会)
電力危機を煽る岸田政権・原発推進派に抗して、原発再稼働の動きを阻止しよう
《東海第二》志田文広(東海第二原発いらない!首都圏ネットワーク)
東海第二原発いらない!-茨城県知事へ要望書、日本原電へ申入書を提出
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
老朽原発・美浜3号機を廃炉に! 過酷事故が起こる前に 電気は足りている
《伊方原発》秦 左子(伊方から原発をなくす会)
私たちは「原発いらん!」と叫び続ける
伊方原発3号機再稼働絶対反対!
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
一二〇〇件のパブコメ反対意見を無視して海洋投棄認可、規制委緊急抗議行動
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
日野行介『調査報道記者 ── 国策の闇を暴く仕事』
[反原発川柳]乱鬼龍

私たちは唯一の脱原発情報誌『季節』を応援しています!

『季節』秋号をお届けするにあたって 季節編集委員会

9月に入りました。酷暑と新型コロナ禍再爆発で大変だった今夏も、まだ暑さは残るとはいえ少しは秋の訪れを感じさせる季節となりました。

岸田政権は、安倍前首相暗殺後の混乱に乗じ原発再稼働、さらには原発新規建設まで口に出し始めました。とんでもない話で、断固粉砕しなければなりません。

さて、本年より『NO NUKES voice』を改題、全面リニューアルし『季節』として再出発いたしました。今号で3号目となりますが、多くの皆様方にご支援いただき、まずまずの船出でした。ありがとうございました。

本誌は(2014年8月の旧『NO NUKES voice』)創刊から8年が経ちました。同時に2011年3・11から11年余りが経ちました。

創刊したのはいいとしても、以後1号たりとも黒字にならず赤字を重ね、鹿砦社の他の分野の書籍の利益を回すことで継続してきました。しかし、昨今の新型コロナ禍による打撃は想定以上に大きく、会社も急激な業績悪化で、昨年末には休刊の危機に追い込まれました。そうした情況下、小出裕章さん、樋口英明さん、井戸謙一さんはじめ多くの先生方、読者の皆様の物心両面にわたるご支援と叱咤激励は、私たちに勇気を与え奮起せざるをえない闘志を惹起させました。また、苦渋の想いで部数を減らしたり工夫に努め今号もお届けすることができました。次号以降も、多くの皆様方に支えられ必ず継続していくことを決意しお約束いたします。
 
改題・リニューアルした『季節』の前途は荒海です。しかし私たちは、被災された方々、故郷を追われた皆様方に寄り添い(皆様のご苦労に比べればなんのことはありません)、なにがなんでも寄稿者や読者の皆様方と共に乗り切ってまいります! あらためて、今後ともよろしくご支援お願い申し上げます。チラシを同封させていただきましたので、知人・友人の方へ本誌の販促、定期購読(新規、前倒し更新、複数年申し込み)、書籍や本誌バックナンバーなどの直販などをお勧めください。

末筆ながら、コロナ禍長期化と、急激な物価高など社会情勢の悪化の中、皆様方のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

2022年9月
季節編集委員会代表兼編集長 小島 卓
株式会社鹿砦社 代表取締役 松岡利康

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

〈原発なき社会〉を求めて集う不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2022年秋号
NO NUKES voice 改題 通巻33号
紙の爆弾 2022年10月号増刊
2022年9月11日発行 
A5判/132ページ(巻頭グラビア4ページ+本文128ページ)
定価:770円(本体700円)

主要目次
[コラム]樋口英明(元裁判官)
株主代表訴訟東京地裁判決と国家賠償訴訟最高裁判決
小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
[報告]原発が原爆になる
[コラム]戦争に落ちていこうとするこの国
[講演]3・11福島原発事故から11年
脱炭素・原発再稼働・小型原発を問う
[講演]広瀬隆(作家)
二酸化炭素地球温暖化説は根拠のまったくないデマである〈中編〉
[講演]小山美砂(毎日新聞大阪社会部記者)
疑わしきは救済する──「黒い雨」訴訟と核被害への視座
[インタビュー]井戸謙一(311子ども甲状腺がん裁判弁護団長)
福島第一原発事故と甲状腺がんの因果関係を証明する
[報告]漆原牧久(「脱被ばく実現ネット」ボランティア)
311子ども甲状腺がん裁判を傍聴して
山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表、東電株主代表訴訟原告)
[報告①]東京地裁で東電元経営陣に一三兆円余の賠償金を命じる判決
原発を動かし続ける電力会社経営陣への警告
[報告②]電力逼迫を利用した原発推進政策の問題点
[報告]鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
そこに民主主義はない
福島第一原発「汚染水」海洋放出強行
[報告]森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表)
原発事故避難者に国連「指導原則」に則った人権保護を!
[報告]伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
「原発事故避難者」はどこにいるのか?
[映画評]細谷修平(メディア研究者)
シュウくんの反核・反戦映画日誌〈2〉
原子爆弾と夢想の力──『太陽を盗んだ男』を観る
[報告]板坂 剛(作家/舞踊家)
何故、今さら重信房子なのか?
[報告]山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈17〉今日における日本人の原罪
[報告]三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
とめどなく出てくる統一教会汚染と国葬
[報告]佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
原爆・原発・統一教会~天網恢々、疎にして漏らさず!~
[書評]大今 歩(高校講師・農業)
福島の小児甲状腺がん検査は本当に「過剰診断」なのか
『福島の甲状腺検査と過剰診断』(あけび書房)
[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
虚構の「電力逼迫」発表にまどわされない!
本命の原発再稼働に反対し、言論と大衆行動で闘う
《全国》柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
「原発の過酷事故は我が国の存立を危うくする」=東電株主代表訴訟判決文
《六ヶ所村》山田清彦(核燃サイクル阻止一万人訴訟原告団事務局長)
高レベル放射性廃液の冷却不能トラブル
《福島》けしば誠一(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
福島の実態を全国に配信し 原発を止める闘いを強めます
《東京電力》佐々木敏彦(東京電力本店前合同抗議実行委員会)
電力危機を煽る岸田政権・原発推進派に抗して、原発再稼働の動きを阻止しよう
《東海第二》志田文広(東海第二原発いらない!首都圏ネットワーク)
東海第二原発いらない!-茨城県知事へ要望書、日本原電へ申入書を提出
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
老朽原発・美浜3号機を廃炉に! 過酷事故が起こる前に 電気は足りている
《伊方原発》秦 左子(伊方から原発をなくす会)
私たちは「原発いらん!」と叫び続ける
伊方原発3号機再稼働絶対反対!
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
一二〇〇件のパブコメ反対意見を無視して海洋投棄認可、規制委緊急抗議行動
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
日野行介『調査報道記者 ── 国策の闇を暴く仕事』
[反原発川柳]乱鬼龍

私たちは唯一の脱原発情報誌『季節』を応援しています!

「政府の内部被曝無視を許さない」 黒い雨の被害者もあらたに伊方原発ストップへ提訴 さとうしゅういち

四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを求めている広島での裁判は6月8日、第28回口頭弁論がありました。

この口頭弁論を前に、「黒い雨」裁判原告の高東征二さんら6人が新たに提訴しました(裁判所に提訴しに入場する高東さんらの後ろ姿)。
これで本裁判の原告は367人となりました。

この日の口頭弁論では、被告の四国電力が、前回、水蒸気爆発の危険性を否定したのに対して、原告側が福島でも水蒸気爆発があった可能性を指摘して反論しました。次回の法廷は9月14日水曜日14時からです。

◆「政府の内部被曝無視を許さない」

法廷後の報告集会で高東さん(写真左から二人目)から決意表明がありました。
高東さんは、今回、伊方原発運転差し止めの原告になった理由として、内部被曝をしているという面で「黒い雨の被害者は原発の被害者と同じだから」と訴えます。

ご承知のとおり、「黒い雨」裁判は、当時の菅義偉政権が広島高裁の判決を受け入れました。しかし、当時の菅政権の談話は内部被曝については、「容認できない」としました。判決をもとにした救済策は長崎の被害者や黒い雨に濡れた11疾病以外の人は対象外で、判決で確定したことを実施していません。

高東さんは、こうした政府の対応について、「黒い雨の被害者が病気で苦しみどんな生活をしているか見にもこないし調査もしない。」と強く批判しました。

高東さんは、1945年8月6日を4歳6ヶ月のとき、現在の広島市佐伯区で体験しました。「空は暗くなり、ホコリやゴミがただよい、焼け焦げた紙や板が落ちてきた。」「大粒の雨が降り出したが濡れた記憶はない」と証言しました。しかし、「濡れたかどうかではなく、放射性微粒子が身体に入り込む事情があったかどうかが問題だ」と「黒い雨裁判」で高東さんは、主張したそうです。

高東さんは、小1、小2のころは体がよわく、できものや鼻血に悩まされたそうです。小3でリンパ腺がはれて切開をしたあとは元気でしたので被爆しているとは思っていなかったそうです。そして、黒い雨裁判の原告になるのも躊躇されたそうです。
しかし、地裁での勝訴判決を受けたころから脳梗塞や不整脈など多くの病気に悩まされました。「黒い雨の被害者」は病気だらけの人生でも国を訴えずにひっそりなくなった方が多い、と高東さんは、憤ります。

そして福島についても、国は「黒い雨」と同じ手法、すなわち内部被曝を隠蔽してごまかそうとしている、と怒ります。高東さんらは、最初は地域でも冷たい対応をされるなど署名運動に苦労されました。しかし、秋葉市長の時代に広島市による詳細な調査を勝ち取ります。ところが、民主党政権時代の2010年12月にやっと立ち上がった厚労省の「黒い雨検討会」に広島市の独自調査の結果は、蹴られてしまいます。

そこで、放射線影響研究所の理事長と話し合ったところ、同研究所には「爆心地から2km以遠での被曝や内部被曝のデータはない。」と言われて、びっくりしたそうです。

この放射線影響研究所の指標が国際基準にもなり、福島原発の問題も核心には触れずに進められているのです。

高東さんは、「原発の恐ろしさをしらないふりをして進めている」と国を批判し「核のない地球をめざし、命尽きるまでともにがんばりましょう」と呼びかけました。

法廷後の報告集会の様子。写真左から二人目が「黒い雨」裁判原告の高東征二さん

◆「青森県を高レベル放射性廃棄物の最終処分場にしない条例を」

また、裁判原告団の事務局もつとめる筆者からは青森県を高レベル放射性廃棄物の最終処分場にしないよう求める条例制定を求める署名への協力を呼び掛けさせていただきました。

なぜ、本裁判原告団でこの問題に取り組むのでしょうか? 今回の署名運動は、高レベル放射性廃棄物の最終処分をどうするか、とは切りはなして、青森県に死の灰を押し付けることに反対するという社会正義の観点からおこなうものです。青森県のこころある人たちは、青森県が六ヶ所村の再処理工場がけっきょく死の灰の最終処分場になってしまう、という危惧を抱いています。

三村知事は青森県を最終処分場にしないという口約束は国から引き出していますが、あくまで口約束です。したがって条例にする必要があります。

六ヶ所村のすぐちかくでは政府がM9.3の海溝型超巨大地震の発生の可能性が高いと認めています。もし、実際におきれば、六ヶ所村も震度6強で830-1500ガルに達します。再処理工場の耐震基準は700ガルですから耐えられません。なお、アクティブ試験で再処理工場の設備は放射能汚染されていますので、いまさら耐震補強もできません。

また、わずか60kmの地点には過去にレベル6の巨大な噴火を起こした十和田湖があります。十和田湖の地下には過去に巨大噴火した当時と同じくらいのマグマが溜まっているおそれがあるということです。

このように、自然災害の危険が高いところに、死の灰を一極集中させることの危険性を今回の署名運動でわたしたちは訴えていきます。ご協力よろしくお願いいたします。

なお、12日執行で村長選が六ヶ所村であります。村長選は、毎回、核燃料サイクル賛成派の現職が圧勝しまくりで、前回は反対派新人が供託金没収となっています。筆者は昨年の自身の参院選で供託金没収となったことに言及して笑いをとりつつ「今回は新人が供託金は奪還できるよう応援しよう」と呼びかけました。

署名を呼びかけている大元の連絡先は以下です。ネット署名もできます。期限は8月末です。伏してご協力よろしくお願いいたします。

子どもたちに負の遺産を残さない「青森県を高レベル放射性廃棄物の最終処分地としない条例」制定を求める県民の会
〒039-1166 八戸市根城9-19-9 浅石法律事務所内  http://www.kenminnokai.shop/
インターネット署名 (form-mailer.jp) https://ssl.form-mailer.jp/fms/ad5b6e88679317

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年夏号(NO NUKES voice改題 通巻32号)

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
季節 2022年夏号
紙の爆弾2022年7月増刊(NO NUKES voice改題 通巻32号)

2022年6月13日発売開始
A5判 132頁(巻頭カラー4頁+本文128頁)
定価 770円(本体700円+税)

[表紙とグラビア](写真・文=おしどりマコ&ケン
《福島第一原発・現場の真実 第2弾》事故後11年、構内劣化が止まらない

樋口英明(元裁判官)
ロシアのウクライナ侵攻と原発問題

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
放射能汚染の環境基準とハザードマップの作成を
《講演①》戦争と原発 ── ウクライナから考える
《講演②》「四〇年で廃炉」のデタラメと無責任 福島の放射能汚染と原発の後始末

「脱原発をめざす首長会議」発足10周年記国際シンポジウム
ドイツ脱原発への歩みと日本の十一年
《講演》菅 直人(衆議院議員、元内閣総理大臣)
〈核の共有〉でなく〈農と太陽の共有〉を!
《開会の辞》桜井勝延(元南相馬市長)
事故から十一年経った現実
《講演》ユルゲン・トリッティン
(ドイツ連邦議会議員、「同盟90・緑の党」会派所属、元環境・自然保護・原子力安全大臣)
ドイツ脱原発への歩み
《講演》飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
この十一年間で起きた三つの世界史的な出来事
《質疑・討論》先崎千尋(元瓜連町長)×桜井勝延(元南相馬市長)
×田中全(元四万十市長)×村上達也(元東海村長)
太陽光発電は自然破壊の原因になっているのではないか?

《対談》鎌田 慧×鴨下全生
未来に向けて真実を!
《講演》鴨下全生(大学生)
福島から東京へ 十九歳が問う原発事故 
《講演》鎌田 慧(ルポライター)
僕が原発に反対する理由

おしどりマコ(漫才師/記者)
私は広瀬隆氏の「地球温暖化説はデマである」を支持しません

尾崎美代子(西成「集い処はな」店主)
《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件
元動燃職員・西村成生さんは「自殺」していなかった!

森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表)
逃げずに火を消せ お国のために
「避難」は「権利」だと考えたことはありますか?

伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
「汚染水海洋排出」は可能なのか

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
福島第一原発からの「汚染水海洋放出」に反対する

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
ロシアのウクライナ侵略と原発

板坂 剛(作家/舞踊家)
何故、今さら昭和のプロレスなのか?

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈16〉
核による人類滅亡を目の前にしながら子孫を残すことができるのか

再稼働阻止全国ネットワーク
《北海道》瀬尾英幸(北海道泊村在住)
《新潟》山田和秋(なの花会)
《トリチウム》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東海第二》相沢一正(脱原発とうかい塾)
《東海第二》志田文宏(東海第二原発いらない首都圏ネットワーク)
《首都圏》柳田 真(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会、たんぽぽ舎)
《東京電力》佐々木敏彦(東京電力本店合同抗議実行委員会)
《浜岡原発》沖 基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《鹿児島》江田忠雄(蓬莱塾)
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク)

[反原発川柳]乱鬼龍

私たちは唯一の脱原発情報誌『季節』を応援しています!

季節2022年夏号刊行にあたって 季節編集委員会

6月に入りました。もうじき暑い季節がやって来ます。

被災された方々、意に反し故郷を離れざるを得なかった方々、また脱(反)原発運動に関わる皆様には大変な季節です。

さて、前号より『NO NUKES voice』を改題、全面リニューアルし『季節』として再出発いたしました。多くの皆様方にご支援いただき、まずまずの船出でした。ありがとうございました。

本誌は(2014年8月の旧『NO NUKES voice』)創刊から8年近くが経ちました。同時に2011年3・11から11年余りが経ちました。

前号でも触れ繰り返しになりますが、2014年の創刊のころ鹿砦社はイケイケの時で、本誌の前身『NO NUKES voice』も、僭越な言い方ですが、いわば勢いで創刊いたしました。

しかし、創刊したのはいいとしても、以後1号たりとも黒字にならず赤字を重ね、加えて昨今の新型コロナ禍による打撃は想定以上に大きく昨年末には廃刊の危機に追い込まれました。そうした情況下、小出裕章さん、樋口英明さん、井戸謙一さんらの物心両面にわたるご支援と叱咤激励は、私たちに勇気を与え奮起せざるをえない闘志を惹起させました。
 
改題・リニューアルした『季節』の前途は荒海です。しかし私たちは、被災された方々、故郷を追われた皆様方に寄り添い(皆様のご苦労に比べればなんのことはありません)、なにがなんでも寄稿者や読者の皆様方と共に乗り切ってまいります! あらためて、今後ともよろしくお願い申し上げます。定期購読(前倒し更新、複数年)、書籍や本誌バックナンバーなどの直販、取材活動を支える賛助会員などでご支援ください。

一時は弱気になっていましたが、あらためて本誌を継続させる決意を表明させていただきます。

末筆ながら、コロナ禍長期化と、予想される猛暑、皆様方のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

2022年6月
季節編集委員会代表兼編集長 小島 卓
株式会社鹿砦社 代表取締役 松岡利康

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年夏号(NO NUKES voice改題 通巻32号)

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
季節 2022年夏号
紙の爆弾2022年7月増刊(NO NUKES voice改題 通巻32号)

2022年6月13日発売開始
A5判 132頁(巻頭カラー4頁+本文128頁)
定価 770円(本体700円+税)

[表紙とグラビア](写真・文=おしどりマコ&ケン
《福島第一原発・現場の真実 第2弾》事故後11年、構内劣化が止まらない

樋口英明(元裁判官)
ロシアのウクライナ侵攻と原発問題

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
放射能汚染の環境基準とハザードマップの作成を
《講演①》戦争と原発 ── ウクライナから考える
《講演②》「四〇年で廃炉」のデタラメと無責任 福島の放射能汚染と原発の後始末

「脱原発をめざす首長会議」発足10周年記国際シンポジウム
ドイツ脱原発への歩みと日本の十一年
《講演》菅 直人(衆議院議員、元内閣総理大臣)
〈核の共有〉でなく〈農と太陽の共有〉を!
《開会の辞》桜井勝延(元南相馬市長)
事故から十一年経った現実
《講演》ユルゲン・トリッティン
(ドイツ連邦議会議員、「同盟90・緑の党」会派所属、元環境・自然保護・原子力安全大臣)
ドイツ脱原発への歩み
《講演》飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
この十一年間で起きた三つの世界史的な出来事
《質疑・討論》先崎千尋(元瓜連町長)×桜井勝延(元南相馬市長)
×田中全(元四万十市長)×村上達也(元東海村長)
太陽光発電は自然破壊の原因になっているのではないか?

《対談》鎌田 慧×鴨下全生
未来に向けて真実を!
《講演》鴨下全生(大学生)
福島から東京へ 十九歳が問う原発事故 
《講演》鎌田 慧(ルポライター)
僕が原発に反対する理由

おしどりマコ(漫才師/記者)
私は広瀬隆氏の「地球温暖化説はデマである」を支持しません

尾崎美代子(西成「集い処はな」店主)
《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件
元動燃職員・西村成生さんは「自殺」していなかった!

森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表)
逃げずに火を消せ お国のために
「避難」は「権利」だと考えたことはありますか?

伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
「汚染水海洋排出」は可能なのか

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
福島第一原発からの「汚染水海洋放出」に反対する

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
ロシアのウクライナ侵略と原発

板坂 剛(作家/舞踊家)
何故、今さら昭和のプロレスなのか?

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈16〉
核による人類滅亡を目の前にしながら子孫を残すことができるのか

再稼働阻止全国ネットワーク
《北海道》瀬尾英幸(北海道泊村在住)
《新潟》山田和秋(なの花会)
《トリチウム》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東海第二》相沢一正(脱原発とうかい塾)
《東海第二》志田文宏(東海第二原発いらない首都圏ネットワーク)
《首都圏》柳田 真(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会、たんぽぽ舎)
《東京電力》佐々木敏彦(東京電力本店合同抗議実行委員会)
《浜岡原発》沖 基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《鹿児島》江田忠雄(蓬莱塾)
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク)

[反原発川柳]乱鬼龍

私たちは唯一の脱原発情報誌『季節』を応援しています!

札幌地裁が泊原発の運転認めない判決! 大阪では「老朽原発このまま廃炉!」大集会に2100人が結集! 老朽原発の完全廃炉を実現すれば、この国にだって世界の脱原発の動きを先導できる! 尾崎美代子

5月31日、北海道電力・泊原発(北海道泊村)の周辺住民1200人が、泊原発に地震や津波に対する安全性が不十分だとして、1号機から3号機の運転差し止めや廃炉などを求めていた裁判で、札幌地裁・谷口哲也裁判長は、「現在ある防潮堤は津波に対する安全性の基準を満たしていない」などとして、運転を認めない判決を言い渡した。

一方、廃炉の請求は「具体的な必要性がない」として認められなかった。提訴から10年、泊原発は再稼働に向けた原子力規制委の審査中であった。にも関わらず、「安全性に問題がある」と運転を認めない判決が下された背景には、多くの論点について北電が主張を先延ばししてきたこともある。そのため判決は「提訴から10年以上経っても(北電側が)主張を終える見通しが立っておらず、審理を継続するのは相当ではないと判断した」とされた。


◎[参考動画]”泊原発「運転認めない」判決 廃炉請求は棄却(2022年5月31日)

この大きな判決に先立つ5月29日、大阪市内の靭公園で「老朽原発このまま廃炉!大集会inおおさか」が開催された。真夏のような猛暑のなか、全国から反原発、老朽原発廃炉を訴える人たちが2100人も結集した。

若狭の僧侶、中嶌哲演さんは、主催者あいさつで「戦争も原発もそれを推進する元凶は、もっともらしいプロパガンダで本質を覆い隠し、それに抵抗・反対する人たちを弾圧している。しかし、今や戦争に反対し、老朽炉稼働に反対する潜在的な世論は、絶対過半数を超えているはずだ。その不同意・不服従する意志を非暴力的に表明するチャンスは、6月の参議院選挙だが、その潜在的世論をどう高めていくか、本日の集会で共に考え、共に声をあげていきましょう」と訴えられた。

僧侶の中嶌哲演さん(前列中央)

以下、集会での発言者の報告を要約紹介する。

◆美浜3号機運転差止裁判と5月26日東京地裁で第1回期日が始まった「311子ども甲状腺がん裁判」について 井戸謙一さん(弁護士)

老朽美浜3号機の運転差止仮処分は、昨年5月に提訴されました。その後、6月23日に再稼働した美浜3号機は、テロ対策施設の未完のため、一旦停止、今年の10月テロ対策施設が完成したら再稼働の予定です。先日5月23日、第4回の審尋が行われ、関電はなんとかひきのばそうとしましたが、裁判所はそれを許さず、次回7月4日の審尋で期日は終わり、10月の再稼働までには判決が出そうです。関電はまともに反論出来ていないので、勝てると考えております。40年超の老朽原発を止める闘いは、非常に重要な闘いです。ぜひ、ご注目ください。

もう1つ、5月26日東京地裁で「311子ども甲状腺がん裁判」の第1回期日がありました。沢山の方が集まり、27席しかない傍聴席の抽選に226人の方が並んでくれました。裁判は、まず弁護団が内容を説明したあと、原告6人のうち1人の女性の意見陳述がありました。原告は、この間の辛かったことを思い出して言葉にしており、水をうったように静まり返った法廷のあちこちですすり泣く声が聞こえ、本人も涙を流しながら、最後までしっかり陳述しました。裁判官も身を乗りだして聞いていましたが、その目は赤かったと私には見えました。

その後、私たちは裁判所に、残り5人の原告の意見陳述もさせて欲しいと訴えました。関電代理人は、事前の進行協議では反対していましたが、さすがに反対とは言えず「裁判所に任せます」と言わざるをえませんでした。それだけの力があった意見陳述でした。

裁判後の記者会見には、入りきれないほど大勢のメディアが来ていました。先日、TBSの報道特集がこの問題を取り上げており、その後「被ばくで甲状腺がんが増えるんはデマ」という激しいバッシングが起こっていました。しかし、福島で甲状腺がんになった被害者が初めて声をあげた歴史的な日だと思います。これを報道できないメディアは駄目ですが、そうならば、私たちは、口コミでこの話を伝えていかなくてはならないと考えます。この裁判を絶対勝たせるために、ぜひ強力なご支援をお願い致します。

弁護士の井戸謙一さん

◆福井県の敦賀市から駆け付けた元原発技術者・山本雅彦さん
 
電力会社と立地自治体は、この間、共同で巻き返しをはかっています。政府のカーボンユートラル政策、ウクライナ情勢に便乗し、エネルギー安定供給には原発が必要だと、政府のクリーンエネルギー政策に沿って、日本原電の3、4号機の新増設、廃炉のもんじゅ敷地内に新型原子炉の建設、更には美浜、1、2号機をリプレイスをさせようとしています。また首長は口を揃えて、原発をテロや戦争の攻撃から守るために自衛隊の誘致しようとまで言い始めています。

昨年秋、福井農業高校の生徒さんたちが、原発を題材にした「明日のハナコ」を上演したが、ケーブルテレビで放送除外となり問題となりました。劇中で、元敦賀市長が石川県で原発を誘致する際「原発は金になる木で、50年後100年後に産まれた子供が『カタワ』(脚本ではカタカナ表記)になるかもいれないが、今は原発をやったほうがいい」という台詞があり、それが差別発言に当たるからだと言われました。

福井県、財団から金がでていることから、彼らに忖度したのでもないかといわれています。こうした報告を聞くと、原子力ムラのやりたい放題ではないかと思われるかもしれない。しかし、昨年6月に私たちが実施した美浜町全戸でのアンケートでは、原発不必要の方が54%、反対が61% 再稼働に不安と考えている方が71%もおられた。今年4月講演会を行った際にも、皆さんは「避難先がおおい町では近すぎて不安だ」「避難ができたとして本当に故郷に戻れるのか」などの悲痛な声がでました。

私たちの運動によって、こうした声を圧倒的多数にすれば、原子力ムラの画策を止めることができるのではと確信しています。共に頑張りましょう。

◆「東海第二原発の再稼働を止める会」副代表の佐藤勝十郎さん

老朽原発の1つで、3・11の被災原発である茨城県東海第二原発のある茨城県からかけつけました。東海第二では、昨年3月、日本原電を相手とした裁判で、運転を禁止するという勝訴判決がだされました。その後、原告・被告とも控訴、現在東京高裁で控訴審に入っていますが、控訴審も一審勝訴を確定させたいと思っています。

この間、380頁にも及ぶ控訴理由書を提出し、再来月進行協議が始まる予定です。何故勝てたのか? 規制委は「深層防護」の1層~4層までは合格とし、第5層の住民避難については規制委の審査はないが、裁判所は不十分と判断しました。今後は、この問題を深堀し、事実として東京高裁に認めさせていきたいと考えています。

◆木原壯林さん(実行委員会)が読み上げた「集会アピール」(案)

ほかにも、青森県、島根県、愛媛県、鹿児島など全国の反原発を闘う皆さんが発言したり、アピールを寄せてくれた。最後に実行委員会の木原壯林さんが「集会アピール」(案)を読み上げた。

「老朽原発動かすな!の闘いは、国内だけではなく、韓国はじめ世界の脱原発運動から注目されている。現在、川内原発1、2号機、高浜3、4号機が運転開始後36年を超えており、韓国の原発5基も35年を超え、2機は来年40年を迎える。もし、高浜1、2、美浜3号機の再稼働を許せば、国内だけでなく、世界の原発の40年超運転の前例にされてしまう。
 一方、老朽原発の運転と原発新設を阻止すれば、最悪でも2033年に若狭から、2049年に存国から稼働する原発がなくなり、世界の脱原発の動きを先導できる。老朽原発完全廃炉に向けてやれることは全て実行しよう。
 とりわけ6月参議院選挙には『老朽原発動かすな!』を争点にし、核依存、原発推進の岸田政権にノーをつきつけよう!」

アピール(案)は、満場からの大きな拍手で確認された。

 

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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紙の爆弾2022年7月増刊(NO NUKES voice改題 通巻32号)

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A5判 132頁(巻頭カラー4頁+本文128頁)
定価 770円(本体700円+税)

[表紙とグラビア](写真・文=おしどりマコ&ケン
《福島第一原発・現場の真実 第2弾》事故後11年、構内劣化が止まらない

樋口英明(元裁判官)
ロシアのウクライナ侵攻と原発問題

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
放射能汚染の環境基準とハザードマップの作成を
《講演①》戦争と原発 ── ウクライナから考える
《講演②》「四〇年で廃炉」のデタラメと無責任 福島の放射能汚染と原発の後始末

「脱原発をめざす首長会議」発足10周年記国際シンポジウム
ドイツ脱原発への歩みと日本の十一年
《講演》菅 直人(衆議院議員、元内閣総理大臣)
〈核の共有〉でなく〈農と太陽の共有〉を!
《開会の辞》桜井勝延(元南相馬市長)
事故から十一年経った現実
《講演》ユルゲン・トリッティン
(ドイツ連邦議会議員、「同盟90・緑の党」会派所属、元環境・自然保護・原子力安全大臣)
ドイツ脱原発への歩み
《講演》飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
この十一年間で起きた三つの世界史的な出来事
《質疑・討論》先崎千尋(元瓜連町長)×桜井勝延(元南相馬市長)
×田中全(元四万十市長)×村上達也(元東海村長)
太陽光発電は自然破壊の原因になっているのではないか?

《対談》鎌田 慧×鴨下全生
未来に向けて真実を!
《講演》鴨下全生(大学生)
福島から東京へ 十九歳が問う原発事故 
《講演》鎌田 慧(ルポライター)
僕が原発に反対する理由

おしどりマコ(漫才師/記者)
私は広瀬隆氏の「地球温暖化説はデマである」を支持しません

尾崎美代子(西成「集い処はな」店主)
《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件
元動燃職員・西村成生さんは「自殺」していなかった!

森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表)
逃げずに火を消せ お国のために
「避難」は「権利」だと考えたことはありますか?

伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
「汚染水海洋排出」は可能なのか

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
福島第一原発からの「汚染水海洋放出」に反対する

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
ロシアのウクライナ侵略と原発

板坂 剛(作家/舞踊家)
何故、今さら昭和のプロレスなのか?

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈16〉
核による人類滅亡を目の前にしながら子孫を残すことができるのか

再稼働阻止全国ネットワーク
《北海道》瀬尾英幸(北海道泊村在住)
《新潟》山田和秋(なの花会)
《トリチウム》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東海第二》相沢一正(脱原発とうかい塾)
《東海第二》志田文宏(東海第二原発いらない首都圏ネットワーク)
《首都圏》柳田 真(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会、たんぽぽ舎)
《東京電力》佐々木敏彦(東京電力本店合同抗議実行委員会)
《浜岡原発》沖 基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《鹿児島》江田忠雄(蓬莱塾)
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク)

[反原発川柳]乱鬼龍

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