《2019年回顧・死刑》死刑運用が慎重になった司法、ますます強気になった政府

数少ない死刑存置国の日本では、2019年も様々な事件の裁判で死刑か否かが争点になった。また、東京五輪が終わるまで死刑の執行は難しいのではないかという大方の見方を覆し、今年も新たに2人の死刑囚が死刑を執行された。そんな1年の死刑に関する重大ニュースTOP5を筆者の独断と偏見で選び、回顧する。

◆【5位】新潟小2女児わいせつ殺害事件の裁判員裁判で死刑回避の判決

2009年に始まった裁判員裁判では、被害者の人数が1人の事件でも死刑判決が出るケースが増えていた。たとえば、松戸女子大生殺害放火事件(2009年)や南青山マンション男性殺害事件(2009年)、神戸小1女児殺害事件(2014年)などがそうだ。

したがって、この新潟の事件でも、検察官は死刑を求刑したのだが、それは当然の流れだった。小林遼被告は、女児に軽乗用車をぶつけて車に乗せ、わいせつ行為をしたうえ、首を絞めて殺害、さらに遺体を線路に放置して電車に轢かせるなど、残虐非道の限りを尽くしていたからだ。

しかし、山崎威裁判長が宣告した判決は無期懲役だった。まれに見る凄惨な事件だと認めつつ、被害者が1人の殺人事件では、わいせつ目的の殺人は無期懲役にとどまる量刑傾向があるとして、公平性の観点から死刑を回避したのだ。

被害者が1人の殺人事件について、裁判員裁判で死刑判決が出ても、控訴審で覆り、無期懲役に減刑されることが繰り返されてきた。上記の松戸女子大生殺害放火事件や南青山マンション男性殺害事件、神戸小1女児殺害事件もそうだった。その傾向を踏まえ、山崎裁判長をはじめとする新潟地裁の裁判官が死刑の適用に慎重になり、裁判員たちもそれに従ったのではないかと私は見ている。

◆【4位】熊谷6人殺害事件控訴審で一審死刑の被告が「心神耗弱」を認定されて無期に

2015年に熊谷市内の住宅に次々侵入し、男女6人を包丁で刺すなどして殺害したペルー人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告は、裁判員裁判だった一審・さいたま地裁で死刑判決を受けていたが、東京高裁の控訴審で12月5日にあった判決で、犯行時は統合失調症のために心神耗弱だったと認定され、死刑判決が破棄、無期懲役を宣告された。

この被告人は、事件を起こした当初から言動が異常なのは明らかで、心神耗弱と認定されても別におかしくはない。ただ、日本の刑事裁判では、被告人が極めて重篤な精神疾患に陥っていたとしても、死刑に相当するような罪を犯している場合には、裁判官が強引に完全責任能力を認め、死刑を宣告するのが慣例化していた。その慣例がなぜ破られたのかは不明だが、裁判員裁判は死刑適用のハードルが下がっていることに対し、控訴審の裁判官たちが何か思うところがあったのかもしれない。

◆【3位】犯行時に現職の福岡県警警察官だった被告に死刑判決

犯行時に現職警察官だった中田被告に対し、死刑が宣告された福岡地裁

2017年に福岡県警の巡査部長・中田充被告が福岡県小郡市の自宅で妻子3人を殺害したとして殺人罪に問われた事件は、福岡地裁の裁判員裁判で12月13日、中田被告の「冤罪」主張が退けられ、死刑が宣告された。マスコミは「直接証拠がなく、有罪、無罪の判断は難しい事件だった」という論調で報じたが、筆者が取材した限り、有罪の証拠は揃っており、有罪、無罪の見極めは特別難しい事件だったとは思えなかった。

この事件が特筆すべきは、中田被告が犯行時、現職の警察官だったことだ。元警察官が死刑判決を受けた例としては、元警視庁の澤地和夫死刑囚(病死)、元京都府警の広田(現在の姓は神宮)雅晴死刑囚、元岩手県警の岡崎茂男死刑囚(病死)らの例があるが、筆者の知る限り、犯行時に現職だった警察官に死刑判決が宣告された例は無い。あったとしても極めて異例だろう。

中田被告は現在、控訴しているが、このまま死刑が確定する公算は大きく、歴史的な事件と言えるかもしれない。

◆【2位】「死刑執行は難しい」との予想に反し、今年も2人の死刑執行

8月、2人の死刑囚が新たに死刑執行された。1人は、2001年に神奈川県大和市で主婦2人を殺害した庄子幸一死刑囚、もう1人は、2004~2005年に福岡県で女性3人を殺害した鈴木泰徳死刑囚だ。これで、第2次安倍政権下での死刑執行は計38人となった。

このニュースを2位に挙げたのは、今年は死刑執行が難しいのではないかという見方が強かったためだ。元号が令和に変わり、天皇陛下の「即位の礼」などの皇室関連行事があるうえ、来年は東京オリンピックも開催されるためだ。そんな中、死刑を執行したのは、政府が「今後もどんどん死刑を執行する」という考えを表明したとみるのが妥当だ。

今後も安倍政権下では、死刑はこれまでの通りのハイペースで執行されていくだろう。

◆【1位】寝屋川中1男女殺害事件の控訴取り下げが無効に

山田死刑囚が死刑確定直前に綴った手記をまとめた電子書籍「さよならはいいいません」

自ら控訴を取り下げ、一審・大阪地裁の死刑判決を確定させていた大阪府寝屋川市の中1男女殺害事件・山田浩二死刑囚について、大阪高裁は12月17日、控訴の取り下げを無効とし、控訴審を再開する決定をした。山田死刑囚の弁護人が高裁に取り下げ無効を求める申し入れ書を提出していたのを受けてのことだ。

山田死刑囚が控訴を取り下げた原因は、拘置所に借りたボールペンの返却が遅れたことで刑務官と口論になり、自暴自棄になったことだった。大阪高裁はそれを前提に、山田被告が控訴を取り下げたら法的な帰結がどうなるかを忘れていたか、明確に意識していなかった疑いを指摘し、「控訴取り下げの効力に一定の疑念がある」と判断したのだ。

大阪高検は、この決定を不服として最高裁に特別抗告し、大阪高裁にも異議申し立てを行った。そのため、現時点で控訴審が再開されることは確定していないが、このように殺人犯1人の死刑を確定させるか否かについて、裁判官が慎重な判断を下すのは珍しい。というより、このような決定は前代未聞で、筆者にもまったく予想できないことだった。

ただ、この大阪高裁の裁判長の名前を聞き、合点がいった。村山浩昭氏。袴田巌氏に対して再審を開始し、死刑と拘置の執行を停止する画期的決定を出した静岡地裁の裁判長(当時)だ。村山氏はその後、名古屋高裁の裁判長だった時、冤罪を疑う声が非常に多い藤井浩人美濃加茂市長に逆転有罪判決を出すなど、良し悪しは別にして空気をまったく読まない判決を下す裁判長だ。

山田死刑囚の控訴の取り下げは、その経緯からして無効と判断されてもおかしくはないが、世間の空気を読むタイプの裁判官であれば、控訴審を再開する決定はなかなか出せないだろう。それが出せたのは、村山氏の空気を読まない性格があってこそだと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著「さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―」(KATAOKA)に、原作コミック『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

死刑回避の大阪通り魔殺人「裁判官はむしろ遺族の思いに応えた」と言える理由

2012年6月に大阪・ミナミの路上で音楽プロデューサーの男性・南野信吾さん(当時42)とスナック経営者の女性・佐々木トシさん(同66)の2人を包丁でめった刺しにし、殺害した男・礒飛(いそひ)京三(44)が死刑を免れることになった。

礒飛は、裁判員裁判だった1審・大阪地裁で死刑判決を受けたが、2審・大阪高裁で破棄されて無期懲役判決を受けていた。そして今月12月2日、上告審・最高裁の小池裕裁判長が検察側、弁護側双方の上告を棄却する判決を出したため、2審の無期懲役判決が事実上、確定したのだ。

これをうけ、ネット上では、「裁判官は相変わらず浮世離れしている」「裁判官も被害者や遺族と同じ目に遭ってみろ」などと、案の定ともいうべき裁判官批判が繰り広げられている。その気持ちはわからないでもない。筆者も自分がこの事件の遺族であれば、礒飛が死刑にならないと納得できないだろうと思うからだ。

もっとも、礒飛が死刑を免れたことについて、裁判官を批判するのはお門違いだと言うほかない。なぜなら、この事件の裁判官たちはむしろ遺族の思いに応えているからだ。

◆裁判官が頑張らなければ、無罪もありえた

では、なぜ、この事件の裁判官が遺族の思いに応えていると言えるのか。法律を厳格に適用すれば、礒飛は死刑を免れるどころか、無罪になりうる被告人だったからである。そのことを説明するうえで、まず裁判で認定された事実関係を見てみよう。

礒飛は覚せい剤取締法違反で2度の服役歴があり、この事件を起こしたのは2度目の服役を終え、出所した翌月のことだった。生まれ育った栃木で仕事が見つからず、刑務所内で知り合った男から「仕事を紹介してやる」と言われて大阪に赴いた。しかし、紹介された仕事は詐欺や覚せい剤の密売人だったため、礒飛は失望した。そして翌朝、覚せい剤精神病による「刺せ。刺せ」という幻聴に促されるまま、上記のような犯行に及んだのである。ちなみに犯行に使った包丁は、10分ほど前に近くの大丸百貨店で購入したものだった。

事件があった大坂・ミナミの路上

このような事実関係を素直に見れば、刑法第39条が適用されるのが妥当な事案だと言える。刑法第39条では、責任能力(=物事の善悪を判断し、それに従って行動する力)が無い者の行為は罰せず、責任能力が著しく減退した者の行為はその刑を減軽すると定められている。この事件の裁判官たちが礒飛に対し、この法律を厳格に適用していれば、礒飛は無罪や有期刑になっていてもおかしくなかったろう。

しかし、1審・大阪地裁の死刑判決はもとより、2審・大阪高裁の無期懲役判決、その2審判決を是認した最高裁の判決のいずれにおいても、礒飛は完全責任能力を認められている。それもひとえに、裁判官たちが礒飛は犯行時に完全責任能力があったと認めるため、判決であれこれと強引な理屈を重ねて頑張ったからである。

1審・大阪地裁の裁判官たちは、一緒に審理した裁判員たちの後ろ盾があったため、かろうじて礒飛に死刑を言い渡すことができたが、2審・大阪高裁と上告審・最高裁の裁判官たちは裁判員の後ろ盾がなかったため、そこまでは叶わなかった。しかし、「死刑は無理でもせめて無期に」と彼らが頑張ったからこそ、礒飛は無期懲役になったのだ。

この話が信じられない人は、裁判所のホームページにアップされた大坂高裁の2審判決と最高裁の上告審判決を実際に見てみるといい(URLは後掲)。とりわけ大阪高裁の裁判官は、63枚に及ぶ長い判決文を書き連ね、責任能力の有無や程度を争った弁護側の主張を退けている。その文面からは、「遺族の思いに応えたい」という裁判官の切なる思いが読み取れる。

◆無期が納得できない人が批判すべき対象は法律

礒飛が勾留されている大阪拘置所

日常的に事件取材や裁判の傍聴をしていればわかるが、日本の刑事裁判では、重大事件の被告人が明らかに重篤な精神障害者であっても、刑法第39条が適用され、無罪になったり、刑が軽くなったりすることはなかなかない。礒飛が死刑を免れたことに関し、裁判官を批判している人たちもその現実を知れば、自分たちの批判がお門違いだとわかるだろう。

今回、礒飛の裁判の結果に納得がいかない人が批判すべき対象は裁判官ではなく、法律である。ヤフーニュースのコメント欄を見ていたら、「1人でも殺したら、自動的に死刑にすべき」という刑法の改正案を述べていた人がいたが、この意見は筋が通っている。筆者はこの意見に賛同しかねるが、この意見の主は少なくとも批判する対象を間違ってはいない。

【参考】
礒飛の2審判決 http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=86655

礒飛の上告審判決 http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=89071

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

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女児誘拐は「精神障害者の犯行」? 大阪女児誘拐容疑者の発言が示唆する可能性

「SNSで助けを求めていた子を助けてあげた。正しいことをした」

共同通信の報道によると、大阪市の小6女児誘拐事件の容疑者・伊藤仁士(35)が、逮捕前の調べでそのような趣旨の供述をしていたという。これをうけ、ネットでは、伊藤が自分の犯罪を正当化している可能性や、刑事責任能力が無いと装って罪を免れようとしている可能性を疑う声が飛び交っている。

しかし、伊藤が取り調べでそのような異常な供述をしているのが事実なら、本当に精神障害を患っている可能性が高いとみるのが妥当だ。過去の同種事件でも、犯人が精神障害に陥っており、取り調べや法廷で異常な供述をした例が複数あるからだ。

◆精神障害でも有罪とされた2人の女児監禁犯

1人目は、埼玉県朝霞市の中1女児監禁事件の寺内樺風(27)。2016年に逮捕された当時、千葉大学の学生だった寺内は、被害女児を自宅で2年余り監禁していた間、アサガオの種で合成麻薬のようなものを作り、少女の食事に混ぜて食べさせていたとされる。これだけでも相当異常だが、さいたま地裁での公判でも裁判長に職業を聞かれ、「森の妖精」と答えたのをはじめ、「私は日本語がわからない」「ここはトイレです」などと意味不明な言葉を次々に発し、世間を騒がせた。

そして2人目は、2012年に広島市で小6の女児をカバンに入れ、タクシーで連れ去ろうとした小玉智裕(27)。小玉は当時、成城大学の学生だったが、事件を起こした時は運転免許を取得するために広島市に滞在していた。逮捕された時は小玉を取り押さえたタクシー運転手や社会人野球選手のお手柄が話題になったが、広島地裁の裁判では、「自分の手足になる人間をつくろうと思った」「植物工場を作って、研究者や労働者にしようと思った」などと特異な犯行動機を語った。

そんな2人はいずれも裁判で完全責任能力を認められ、寺内は懲役12年、小玉は懲役3年の判決がそれぞれ確定している。だが、寺内については、精神鑑定で発達障害の一種である自閉スペクトラム症の傾向があったと判定されており、小玉も精神鑑定で「広汎性発達障害を基盤とする空想癖」があり、それが犯行に影響した判定されていた。社会の注目を集めた重大事件では、被告人が犯行時、明らかに重篤な精神障害に陥っていた場合も裁判で完全責任能力を有していたと認定されるのが常だが、この2人もそうなったわけである。

◆伊藤が異常発言をしているのが事実なら・・・

翻って、今回の大阪女児誘拐事件の伊藤については、現時点でまだ責任能力について深く考察しうるに足る情報は報道されていない。しかし、寺内や小玉に続き、女児を誘拐したり、監禁したりしようとした犯人がまたしても精神障害を疑わせる発言をしている事実だけでも重要だ。

精神障害者の犯行というと、刃物を振り回して無差別に人を刺し殺すような事件のイメージが根強いが、女児を誘拐したり、監禁したりする犯行も精神障害者にありがちな犯行なのではないだろうか。伊藤が報道されているような異常発言をしているのが事実なら、少なくともその可能性が浮上していると言える。

重大事件で犯人が精神障害に陥っている可能性が論点になると、犯人が責任能力を否定されて罪を免れたり、刑が軽くなったりすることを想像し、冷静な思考ができなくなる人は少なくない。しかし、同種犯罪の再発防止のためには、まずは冷静に事実関係を見極める必要がある。

伊藤が身柄を拘束されている大阪府警察本部

▼片岡健(かたおか けん)

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《殺人現場探訪25》100年前に新潟であった「死刑冤罪」、その子孫との邂逅

ここで紹介する新潟の冤罪事件が起きたのは1914年だから、あの第一次世界大戦が勃発した年だ。「大昔の事件」と言っても過言ではないが、筆者は今から数年前、その現地を訪ねて取材したところ、無実の罪で処刑された青年の「子孫」に会うことができた。事件取材をしていると、奇跡のような出会いに恵まれることはままあるが、これはとくに忘れがたい経験の1つだ。

◆家族を救うために死刑になった模範青年

その事件が起きた場所は、新潟県中蒲原郡の横越村大字横越という所で、今の地名で言えば、新潟市江南区横越東町にあたる。被害者は、この村で農業を営んでいた細山幸次郎(当時50)という男性だ。2014年12月30日の早朝、この幸次郎が自宅の納屋で頭部を鈍器でめった打ちにされ、死んでいるのが見つかったという事件だった。

その容疑者とされたのは、幸次郎の義母ミタ(同68)、妻のマサ(同45)、長男の要太郎(同23)、次男の幸太(同19)の4人である。つまり、警察はこの事件を家族間の殺人事件だとみたのだが、実はその根拠は脆弱だった。幸次郎の遺体が見つかった時間は雪が降り積もっており、外部の者が細山家に出入りした足跡がなかった。それだけのことで、内部犯と決めつけたのだ。

横越東町の細山家があったあたり

実際には、事件当日はひどい雪で、雪の上に足跡がついても、すぐに消える状態だったから、外部犯も十分に考えられた。今の警察の捜査が何も問題ないとは言えないが、当時の警察の捜査は驚くほど杜撰なものだった。

もっとも、長男の要太郎と次男の幸太は、容疑者として新潟監獄に収監されたのち、父の殺害を自白するに至っている。それは、「予審」で予審判事から厳しく追及されたためだった。

予審とは、旧刑訴法時代、公判をすべきか否かを決めるためなどに裁判官が行っていた手続きだ。しかし実際には、非公開の法廷で裁判官が捜査の延長をしていたようなものだった。その予審の法廷で、まず幸太が「家族4人で父を殺害した」と自白した。すると、今度は長男の要太郎が「他の3人は関係ない。父は自分が1人で殺した」と自白したのだ。

その後、新潟地裁の第一審では、4人全員が無実を訴えたが、幸太の自白が真実と認められ、全員が死刑に。続く東京控訴院(現在の東京高裁に相当)の控訴審では、要太郎の自白が真実と認められ、要太郎のみが死刑維持、他の3人は逆転無罪となった。この判決が大審院(現在の最高裁に相当)で確定し、要太郎は1917年12月8日、東京監獄で処刑されたのだ。

しかし、その捜査は上記したように杜撰なもので、要太郎、幸太共に自白内容は客観的事実との矛盾点が多かった。そもそも、幸次郎は温厚な性格で、子供たちをかわいがっており、要太郎らが父を殺害する動機も見当たらなかった。地域で評判の模範青年だった要太郎は、接見に来た弁護士に、「他の3人を出獄させるため、自分1人で罪を引き受けた。公判へ回れば、事実の真相はわかるものと思っていたのです」と訴えていたという。

◆子孫が語る「事件のその後」

筆者がこの事件の地元・横越東町を訪ねたのは2015年の8月だった。この時点で、事件発生から101年の月日が流れていた。現場は田んぼが広がり、のどかな雰囲気だったが、当然というべきか、現場となった細山家のあった場所はすでに別の家族の家が建っていた。

その家の人に話を聞いてみたが、100年前、自分の家があった場所で、そのような事件が起きたことは全く知らなかった。それも当然だろう。筆者自身、自分の家がある場所やその近所で100年前に起きた出来事など何も知らない。大した収穫もなく、取材を終えることになりそうだと思いきや・・・現地で1人、処刑された要太郎の子孫が今も暮らしていたのだ。

「私が生まれる前のことなんで、詳しいことはわかりませんけど、そういうことがあったとは聞いていますよ。その死刑になった人は、いい子だったんで、なんとかしたいと裁判所に手紙やら何やらを出したけど、ダメだったってね」

そう聞かせてくれた女性Mさんは、要太郎の叔父の娘さんである。この時点で95歳。腰は少し曲がっていたが、話し方はしっかりした人だった。民謡をやっているという。100年前に起きた事件について、このように当事者の血縁者から話を聞けるとは、夢にも思っていなかった。

Mさんによると、要太郎の家族は群馬に移り住んだそうだが、その際、「一番下の弟」がこの地の寺にあった要太郎の墓を掘り起こし、「先祖の墓は自分が守る」と言って群馬に持って行ったという。その「一番下の弟」とは、幸太のことだと思われる。自分の生命を犠牲にして家族を守った兄・要太郎を強く尊敬していたことが窺えた。

「もうそろそろいいですか? 私も忙しいんですよ」

Mさんは迷惑そうにそう言うと、最後はそそくさと家の中に入っていた。自分が100年前の大事件の生き証人だという意識など微塵もなく、淡々と生きている感じの人だった。それがまた良かった。

細山家の近くにある寺の墓地。細山家の墓はここから群馬に移された

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福岡警官妻子殺害裁判 「死刑求刑」を予想する報道が皆無に等しいのはなぜか?

妻と子供2人を殺害した罪に問われ、今月5日から福岡地裁で裁判員裁判が行われている元福岡県警の警察官、中田充被告(41)について、筆者は同8日の当欄で冤罪の疑いを指摘した。報道を見る限り、めぼしい証拠はなく、動機も曖昧なうえ、むしろ中田被告はこのような犯行を行わないのではないかと疑わせる事情もあるからだ。

さらにこの裁判では、他にも気になることがある。それは、「死刑求刑」を予想する報道が皆無に等しいことである。今回は、この点を切り口に事件を考察してみたい。

◆検察の主張通りなら情状は最悪だが・・・

裁判員裁判では、裁判官、検察官、弁護人が公判前整理手続きを行い、証拠や争点を絞り込み、審理計画を立てる。そして初公判では、裁判でどういうことが争点になり、どういう審理が行われるが明かされる。そのため、被告人が有罪の場合に死刑が適用されるか否かが争点になるようであれば、初公判の時点で普通はわかるものである。

では、中田被告の場合はどうか。

初公判の罪状認否で中田被告は容疑を全面的に否認し、冤罪を訴えており、「被告人は犯人か否か」が裁判の大きな争点であることはわかった。これは大方の予想通りだ。

一方、「中田被告が有罪の場合、死刑が適用されるか否か」が争点になること(あるいは、なりそうであること)を伝える報道は皆無に等しい。これはつまり、検察がこの裁判で死刑を求刑する可能性はほぼ無いことを示している。中田被告が本当に検察の主張通りの犯行を行っているならば、次のように死刑求刑のための材料は揃っているにも関わらずにだ。

(1)殺害した被害者は3人
(2)動機は、「妻との不仲」という身勝手なもの。しかも、妻を殺害しただけでなく、何の罪もない子供まで殺している
(3)妻が子供と無理心中をしたように偽装するなど、極めて計画的かつ悪質
(4)犯行の発覚を防ぐため、妻の姉に「子供が小学校に登校していないので、家に様子を見に行って欲しい」と依頼し、遺族を第一発見者に仕立て上げている
(5)一貫して容疑を否認しており、反省は皆無で、遺族に対する謝罪も一切ない。
(6)現職の警察官が起こした殺人事件として大きく報道され、社会に与えた衝撃は甚大。警察の信頼も失墜させた

親族間殺人は求刑や量刑が軽くなりがちな傾向があるにはある。しかし、これだけの事実が揃っていれば、親族間殺人とはいえ、検察が死刑を求刑しないというのは変である。【※】

中田被告の裁判員裁判が行われている福岡地裁

◆あの「北稜クリニック事件」と同様のケースか?

過去、死刑を求刑しないことが話題になった事件としては、地下鉄サリン事件を実行した元オウム真理教幹部・林郁夫被告の例が有名だ。林被告の場合、改悛の情が顕著であるうえ、自供により事件の全容解明に貢献したことなどから、検察は裁判で死刑ではなく、無期懲役を求刑したとされる。そして実際に、林被告は死刑を免れ、無期懲役判決を受けている。ただ、中田被告は冤罪を訴えており、林被告のケースとは完全に異なるので、参考にならないだろう。

一方、被告人が否認している事件でも、検察が裁判で死刑を求刑せず、驚かせた例が存在する。2000年に仙台市の北稜クリニックで起きたとされる患者殺傷事件だ。

この事件では、同クリニックに勤務していた准看護師の守大助被告(当時29)が同年2~11月、患者の点滴に筋弛緩剤を混入する手口により5人を殺傷したとして殺人罪と殺人未遂罪に問われた。殺害したとされるのは89歳の女性1人だが、殺人未遂の被害者4人の中には、小さな子供が3人いたうえ(1歳の女児、4歳の男児、11歳の女児)、うち1人(11歳の女児)は植物状態に陥っていた。

しかも、守被告は捜査段階に一度は自白しながら、裁判では無実を訴えており、まったく反省していなかった。それゆえに、検察は論告で、死刑を求刑する可能性は高いのではないかと思われていたのだが・・・実際に検察が裁判で求刑したのは無期懲役だったのだ。そして守被告は求刑通りに無期懲役判決を宣告され、確定している。

では、なぜ守被告について、検察の求刑は死刑ではなく、無期懲役にとどまったのか。

よく言われるのが、実は検察も有罪を主張しつつ、内心は守被告が犯人だという確信が持てていなかったからではないか、ということだ。というのも、この事件については、被害者とされる5人が容態を急変させた本当の原因は医療過誤であり、守被告は冤罪だという説が根強くある。実際、検察が守被告に死刑を求刑しなかった事情は他に考えにくく、求刑が無期懲役にとどまったことが守被告の冤罪を裏づけているという意見もあるくらいだ。

結論を言うと、中田被告に対する「死刑求刑」を予想する報道が皆無に等しいことから、筆者が思い出したのが、実はこの守被告のケースだった。つまり、検察がこの裁判で死刑を求刑しなければ、検察は中田被告が妻子3人を殺害したことに確信を持てていないのを露呈したのも同然だと筆者は考えている。そういう意味で、12月2日にあるという検察の量刑に関する最終論告に注目している。

【※】比較対象としては、2010年に宮崎で親族3人(妻、義母、生後5カ月の長男)を殺害し、宮崎地裁の裁判員裁判で殺人罪などに問われた元自衛官の会社員・奥本章寛被告の例がある。奥本被告が犯行に及んだ事情は、同居していた義母が厳しい性格で、普段からきつくあたられ続け、精神的に追い詰められたことだった。奥本被告は犯行後、長男の遺体を近くの資材置き場に埋め、第1発見者を装って警察に通報してはいるが、犯行の隠蔽のために被害者遺族を利用したりはしていない。犯行時は24歳と若く、逮捕後は罪を認めて反省の言葉を述べており、社会に影響を与えるほど事件が話題になったわけでもない。それでも、奥本被告は検察官の求刑通りに死刑を宣告され、その後、最高裁で死刑確定している。

[関連記事]
福岡県警「現職警察官」妻子殺害事件は冤罪か? 証拠なく、動機も曖昧(2019年11月8日)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

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福岡県警「現職警察官」妻子殺害事件は冤罪か? 証拠なく、動機も曖昧

やはり、冤罪なのだろうか。今月5日、福岡地裁で始まった福岡県警の元警察官・中田充被告(41)に対する裁判員裁判の報道を見ながら、そんな思いを強くしている。

中田充被告の裁判員裁判が行われている福岡地裁

2017年6月、当時は現職の警察官だった中田被告は、妻と子供2人を殺害した容疑で福岡県警に逮捕された。この時、事件は「県警史上最悪の不祥事」と言われた。

しかし、このほど始まった裁判員裁判では、中田被告は「事実無根です」「間違いなく冤罪です」とかなり強い言い方で無実を主張。これに対し、検察側は「被告による犯行を直接証明する証拠はない」と明言したという。

もちろん、検察は中田被告を起訴した際、有罪を立証するに足る証拠が揃っていると判断してはいるだろう。しかし、報道を見る限り、「冤罪の疑いが濃厚」と言うのが現時点での私の見解だ。

◆無理心中を装った殺人だとみられたが・・・

では、この事件がなぜ、冤罪の疑いが濃厚だと言えるのか。まず、前提となる事実関係を整理しておきたい。

事件発生は2017年6月6日のことだった。この日の朝、中田被告の妻由紀子さん(当時38)の姉であるA子さんは、勤務中の中田被告から電話で「子供が登校していないと学校から連絡があった。様子を見に行って欲しい」と頼まれた。そして午前9時20分頃、中田被告の家の台所で由紀子さん、2階の布団の上で長男涼介くん(同9)、長女実優ちゃん(同6)がそれぞれ亡くなっているのを見つけた。由紀子さんのそばには練炭のようなものがあり、煙が充満していたという。

一見、由紀子さんが子供2人を道連れに無理心中したような状況だ。しかし、司法解剖の結果、涼介くんと実優ちゃんの首にヒモで絞められたような跡があったばかりか、由紀子さんの首にも圧迫されたような内出血の跡があった。そのことから中田被告が疑いの目をむけられる。そして8日、中田被告は由紀子さんに対する殺人の容疑で逮捕されたのだ。

さらに8カ月余りが過ぎた2018年2月、中田被告は子ども2人に対する殺人の容疑でも逮捕される。つまり、中田被告は、妻の由紀子さんが子供2人と無理心中したように装い、妻子3人を殺害した疑いをかけられたのだ。中田被告は当時、由紀子さんと仲が悪く、同僚に「妻に死んでほしい」と話していたという。ただし、容疑については一貫して否認してきた。

◆有罪を裏づける確たる事実は何も無し

では、検察は裁判で、どんな根拠に基づき、中田被告が犯人だと主張しているのか。毎日新聞が11月5日、ホームページ上で配信した記事によると、検察側は有罪の根拠として主に5点の間接事実を挙げているようだ。しかし、そのいずれもが有罪の根拠としては、はなはだ心許ないのだ。以下、順番に指摘しよう。

〈検察が示した有罪の根拠① 被告が事件当日は家にいた〉
事件当時、中田被告は残業と偽り、家に帰らなくなるほど夫婦関係が悪化していたそうなので、「事件当日に家にいたこと自体が怪しい」という趣旨の主張なのだと思われる。しかし、それだけでは単に「犯行は可能だった」という意味しか持たないだろう。

〈検察が示した有罪の根拠② 携帯電話のアプリに死亡推定時刻の6日未明に被告が活動していた記録がある〉
中田被告は「午前6時45分頃に出勤した際、3人はまだ寝ていた」と証言していたが、3人の死亡推定時刻は、午前0時から6時までの間なのだという。そのため、中田被告が死亡推定時刻に活動していた記録は、3人を殺害するために活動していた記録だと検察は言いたいわけだろう。しかし、そもそも、死亡推定時刻というのは、法医学者によって見解が大きく分かれがちで、事実認定の根拠とするには頼りないものである。

〈検察が示した有罪の根拠③ 妻子の周りにライターオイルがまかれており、被告の勤務先のロッカーに使い残しのライターオイルが保管されていた〉
中田家にあった複数の同種のライターオイルについて、妻の由紀子さんと中田被告がそれぞれ所持していたと考えても説明がつく。そもそも、中田被告が本当にライターオイルを犯行に使ったのなら、勤務先のロッカーに入れておかず、さっさと捨ててしまうほうが自然だ。

〈検察が示した有罪の根拠④ 第三者の犯行がうかがえない〉
家に侵入して犯行に及んだ第三者がいないとしても、由紀子さんが子どもたちと無理心中をしたと考えれば、中田被告が犯人でなくとも説明がつく。由紀子さんの首の内出血について、検察側は「首を圧迫された跡だ」という見解の法医学者を証人出廷させ、由紀子さんの自殺を否定しようとするとみられるが、法医学者の見解は分かれがちなので、弁護側も独自に法医学者の証人を用意できていれば、充分に対抗できるだろう。
 
〈検察が示した有罪の根拠⑤ 妻の首から被告と妻の混合DNAが検出された〉
事件とは何の関係もなく、中田被告のDNAが由紀子さんの首についたと考えても、夫婦なのだから何もおかしくないだろう。

以上、毎日新聞の記事で示されていた検察の主張に基づき、検証してみたが、有罪を裏づける証拠が乏しいのは間違いないと思われる。

◆子供たちまで殺す事情が見当たらない

一般論を言えば、被告人がクロでも有罪の証拠は乏しい場合もある。ただ、中田被告については、無実だと考えたほうがしっくりくる事情もいくつかある。

まず何より、中田被告には、子供を殺さないといけない事情が何も見当たらないことだ。中田被告が由紀子さんと夫婦仲が悪く、離婚も考えていたのは事実のようだが、それは子供たちまで殺す事情にはならないだろう。

第2に、いくら無理心中を装ったとしても、妻の首を圧迫して殺せば、解剖により犯行が露呈する可能性が極めて高い。そのことは、警察官である中田被告がわからないはずがない。こういう言い方は変だが、中田被告が妻子を殺害し、完全犯罪を狙うなら、他のやり方を考えるほうが自然だ。

以上、報道の情報をもとに検証してみたが、筆者は裁判の後半からでもこの事件の取材に動くことを検討中だ。有力な情報が得られたら、当欄で改めて報告させて頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

月刊『紙の爆弾』2019年12月号!
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

検証・冤罪疑われる今市事件の自白調書【下】犯行の詳細を語れなかった被告人

2005年12月に栃木県今市市(現在の日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が失踪し、刺殺体で見つかった「今市事件」。殺人罪に問われた勝又拓哉被告(37)は、裁判で無実を訴えながら一、二審共に無期懲役判決を受け、現在は最高裁に上告中だ。

この事件は冤罪を疑う声が非常に多いが、勝又被告の自白調書の内容を改めて検証したところ、自白が嘘であることを示す形跡が新たに色々見つかった。そのことを3回に渡って報告する。今回はその最終回。

◆自白に基づいて捜索しても、凶器や軍手が見つからないのはなぜか?

今回、検証結果を報告するのは、勝又被告が「犯行後の言動」を供述した2014年6月22日付けの自白調書(作成者は宇都宮地検の阿部健一検事)だ。

調書によると、勝又被告は午前4時頃、現場の林道で有希ちゃんを刺殺し、その遺体を林道脇のヒノキ林に投げ入れると、カリーナEDでその場を離れたことになっている。そしてしばらく車を走らせてから、血のついた軍手や凶器のバタフライナイフを証拠隠滅したことになっているのだが、この場面の供述がまずおかしい。具体的に見てみよう。

《私は、車を止めると、運転席に乗ったまま、その窓から道路脇の林みたいなところに、軍手2つを一緒にポイッて投げ捨てました。私は、有希ちゃんから外したガムテープもその時、ポイッて投げ捨てました。そのガムテープに有希ちゃんの血がついていたか憶えていません。

私は、車を走り出して、2、3分くらいのところで、また車を止めると、運転席に乗ったまま、その窓から、道路脇の林みたいなところに有希ちゃんを刺すのに使ったバタフライナイフを投げ捨てました。そのナイフは、刃のところも、手で持つところも有希ちゃんの血でベットリしていました》

さて、何がおかしいか、おわかりになるだろうか?

問題は、勝又被告が証拠を捨てた場所をこのように明確に供述しているにも関わらず、これらの証拠が何一つ見つかっていないことだ。「血がついた軍手」も、「有希ちゃんから外したガムテープ」も、「有希ちゃんを刺すのに使ったバタフライナイフ」も、警察の大がかりな捜索に関わらず、見つかっていないのだ。

私は、勝又被告がこれらの証拠を捨てたことになっている「道路脇の林みたいなところ」を特定した。その場所の様子を撮影したのが後掲の写真だが、草木が広範囲に渡って伐採されており、大勢の捜査員が大々的な捜索活動を行っていたことがよくわかる。

それでも結局、勝又被告が「投げ捨てました」と供述した物が一切見つからなかったのは、なぜなのか。普通に考えれば、自白が嘘なのだろう。

草木を広範囲に伐採した捜索でも証拠は見つからなかった

◆ランドセルを細かくハサミで切ったはずだが・・・

調書によると、証拠を「道路脇の林みたいなところ」に捨てた勝又被告は、次にこんな行動をしたことになっている。

《私は、公衆便所を見つけたので、有希ちゃんの血がついた手を洗おうと思い、そこに入って、両手を洗いました。右手には、掌も甲も有希ちゃんの血がべっとりついていて、左手にも指と掌の上のほうに有希ちゃんの血がついていました》

このような調書の供述には「公衆便所」が印象的な形で登場するが、実はこの公衆便所も見つかっていない。警察捜査で、公衆便所の1つも見つけられないとは考えにくいから、この公衆便所も最初から実在しなかったのだろう。

そして調書によると、勝又被告は自宅アパートに帰宅後、《もうこれからどうしよう》と不安な日々を過ごしつつ、また新たに次のような証拠隠滅をしたことになっている。

《シャルマン(引用者注・勝又被告のアパートの名称)の部屋には、有希ちゃんのランドセルや服や靴などが置いたままでした。私は、1週間か、2週間くらいかけて、有希ちゃんのランドセルや靴などを細かくハサミで切って、いくつものビニール袋に入れ、それらをシャルマンの前のゴミ捨て場で何度かに分けて、捨てていきました。1週間か、2週間くらいかかったのは、とくにランドセルを細かく切るのに時間がかかったからです。

有希ちゃんの遺体が見つかったということは、すぐにニュースでわかりました。私は、とくにランドセルはそのようなものを私が持っていたと誰にもわからせたくありませんでした。それで、ランドセルは、直径2センチくらいに細かく切っていって、少しずつ捨てていきました》

この供述には、いくつもの疑問がある。

まず、ランドセルを細かく切る程度のことに1週間とか2週間もかかるのか。それに、勝又被告が本当に有希ちゃんを殺した犯人なら、そんな重要な証拠はもっと急いで処分するのではないか。そして、何より疑問なのが、勝又被告がランドセルを細かくハサミで切ったと供述しつつ、「ランドセルにぶら下がっていた物」や「ランドセルの中に入っていた物」を何1つ供述していないことだ。

参考までに、有希ちゃんの母親の供述によると、ランドセルの脇には、(1)青色で、5センチくらいの防犯ベル、(2)ミッキーマウスのキーホルダー、(3)リラックマの小さい人形、(4)白色の毛がついた猫のキーホルダー――の4つがぶら下がっていたという。また、ランドセルの中には、小1の国語、算数、生活の教科書とそれぞれのノート、ブリキ製の筆箱が入っていたとのことだった。

勝又被告がランドセルを切り刻んで処分したように供述しながら、調書中にこれらの物に関する言及が一切ないのは、あまりに不自然だ。

有希ちゃんの母親はランドセルについて、《フタをあけたところに、有希の名前、電話番号、保護者として夫の名前が書いてありました》とも供述している。勝又被告が本当にこの事件の犯人で、ランドセルをハサミで細かく切って処分していたなら、この事実が印象に残っていないはずがない。調書にこの事実が書かれていないのは、勝又被告がこのランドセルを見たことがなかったからだろう。

ハサミで細かく切ったランドセルはアパートの前のゴミ捨て場に捨てたというが・・・

◆ポスターの白いセダンは見ていても、ランドセルは見ていなかった?

警察のポスターには、ランドセルの特徴も色々記載されていたが・・・

さらに調書を読み進めると、また不可解な供述が出てくる。以下の部分だ。

《その後、刑事が5年くらい私のところに来なかったので、もう捕まらないのではないかと思いました。でも、コンビニとか交番前とか、町中のあちこちに、有希ちゃんを殺した犯人の情報提供を求めるポスターが貼られていたのです。それを見るたびに怖い思いをしていました。

怖いので、そのポスターはあまり見ないようにしていましたが、不審車両として、白いセダンの車の絵が載っていました。その白いセダン車は、左後ろがへこんだように描いてあり、私のカリーナEDの左後ろの塗装が剥がれているのとよく似た特徴があったので、自分の車がばれているのではないかと思い、怖かったです》

警察の情報提供を求めるポスターには、たしかに白いセダン車が「不審車両」として紹介されていたが、それだけでない。後ろにポスターの実物を掲載したが、有希ちゃんのランドセルの特徴も色々記載されているのがすぐ目に飛び込んでくるはずだ。勝又被告が本当に犯人で、このポスターを見るたびに怖い思いをしていたなら、ランドセルの特徴を供述していないのはなおさら変である。

この調書の最後では、勝又被告は、《本当のことを話して、凄い楽になりました》と供述し、《もう決心しました。有希ちゃんを殺した罪をちゃんと償いたいと思います》と締めくくっている。しかし、自白調書を検証すれば、勝又被告が取り調べで本当のことなど何も話していなかったことは明らかだ。

それは、なぜなのか。私は、勝又被告がそもそも今市事件の犯人ではないから、犯人が何をしたかを知る由もなく、取り調べで犯行の詳細を語れなかったのだろうと思っている。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―』(山田浩二=著/片岡健=編/KATAOKA 2019年6月 Kindle版)。

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検証・冤罪疑われる今市事件の自白調書【中】自宅と現場を見れば嘘は一目瞭然

2005年12月に栃木県今市市(現在の日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が失踪し、刺殺体で見つかった「今市事件」。殺人罪に問われた勝又拓哉被告(37)は、裁判で無実を訴えながら一、二審共に無期懲役判決を受け、現在は最高裁に上告中だ。

この事件は冤罪を疑う声が非常に多いが、勝又被告の自白調書の内容を改めて検証したところ、自白が嘘であることを示す形跡が新たに色々見つかった。そのことを3回に渡って報告する。今回はその2回目。

◆20キロ程度の女の子を抱きかかえて運んだ!?

勝又被告の自白調書には、被害者の吉田有希ちゃんを車で鹿沼市の自宅アパートに連れ込み、様々なワイセツ行為をしたように供述した内容のものもある。その調書にも、自白が嘘だと示す大きな形跡があるのだが、ここで内容を詳しく紹介するのは適切ではないと判断した。

そこで今回は、勝又被告が有希ちゃんにワイセツ行為をした“後”のことを供述している2014年6月21日付けの自白調書(作成者は宇都宮地検の阿部健一検事)の検証結果を報告したい。

この調書によると、勝又被告は自宅アパートで有希ちゃんへのワイセツ行為を終えた後、60キロ以上離れた茨城県常陸大宮市の山中まで車で連れて行き、殺害したことになっている。

だが、有希ちゃんをアパートの部屋から連れ出し、出発するところの供述内容からして、早くも嘘っぽい。

というのも、この調書では、勝又被告が全裸の有希ちゃんの目、口にガムテープを貼り、さらに手首と足首にもガムテープを巻いたうえ、白色のフード付きジャンパーを頭からかぶせると、次のようなやり方で車に乗せたことになっているのだが・・・。

《私は、有希ちゃんを抱きかかえ、部屋から出て、駐車場に止めてあるカリーナEDの助手席に座らせました》

さらりと「抱きかかえ」などと書かれているが、有希ちゃんは当時、20キロ程度の体重があったのだ。そして、勝又被告の自宅アパートは、後掲の写真のような作りで、勝又被告が住んでいたのは2階の奥の部屋だった。

この部屋から体重20キロ程度の女の子を裸のまま抱きかかえ、外廊下や外階段を通って地上の駐車場まで運ぶことができるだろうか? 少なくとも、決して簡単ではないだろう。そもそも、仮に有希ちゃんを抱きかかえて運べるとしても、有希ちゃんに服を着せ、駐車場まで一緒に歩いて行かせたほうがはるかに自然であるはずだ。

勝又被告が事件当時に住んでいたアパート

◆現場の林道までの道のりの供述内容があやふやで・・・

さて、調書によると、勝又被告は午前0時を過ぎてから家を車で出発したように供述している。そして、茨城県常陸大宮市の山中にある殺害現場の林道で午前4時頃に有希ちゃんを殺害したことになっている。

ここで不可解なのは、自宅から殺害現場まで60キロ以上ある道のりについて、勝又被告の供述内容があやふやで、「国道123号線」を通ったこと以外では、何一つ具体的な道順を説明できていないことだ。実際にその供述を見てみよう。

《私は、地図でAと書いたあたりまで来たことは憶えていますが、その先のことはよく憶えていません。運転している最中に色々考えちゃって、わけわかんない道に入ったから、それで、とりあえず、どっか止められるところがないかと探して、今回の場所に行き着きました。そこが、私が有希ちゃんを殺害した場所です。アスファルトで舗装されていない、林道の途中のようなところでした。

私は、「ここだったら誰も来ない。ゆっくり考えられる」と思って、その場所に来ると、車を止めました》

この供述では、勝又被告は途中で道がわからなくなり、やみくもに車を走らせていたら、いつのまにか、現場の林道に到着したようになっている。しかし、この現場に一度でも行けば、この供述は嘘であることがわかる。

それは、現場の林道近辺の写真を見て頂けばわかりやすい。現場の林道は、車通りも人通りもほとんどない山奥の道路からさらに脇道に入り、坂を上ったところにある。その脇道の入り口は次の写真のような状態なのだ。

殺害現場の林道に続く脇道の入り口

このような草木の生い茂った道に、わけもわからないまま車で入っていく人間がいるだろうか?

さらにこの先の上り坂は、下の写真の通りだ。車1台通るのがやっとの狭い道は、落ち葉で埋め尽くされている。どんな場所かを事前に知らず、この道を車で上っていく人間はなかなか存在しないだろう。

何も知らずにこの道を車で上る人間がいるだろうか・・・

◆1000ミリリットルの出血がほとんど採取されていない・・・

調書によると、勝又被告は有希ちゃんを自宅から連れ出した当初、「遠くに連れて行き、そこで解放しよう」と思っていたが、現場の林道に到着後、次のように考えが変わったことになっている。

《このまま、有希ちゃんを解放したら、万が一、私のことなどをしゃべられたら、姉と母とか、妹たちが困ることになる。もうこのまま、殺すしかないと思いました》

調書では、このように考えた勝又被告が、車の助手席に裸のまま乗せていた有希ちゃんを林道に立たせ、胸をサバイバルナイフで10回刺し、殺害した――ということになっているのだが、どんな供述内容だったかを実際に見てみよう。

《私は、両手を使って、バタフライナイフの刃を出しました。私は、左手で有希ちゃんの右肩を押さえると、右手に持ったバタフライナイフで有希ちゃんの胸のあたりを刺し続けました。10回くらい刺し続けました。有希ちゃんが早く楽にならないか、何回か刺せばすぐに死んでくれるんじゃないか、苦しませないように。そう思って、刺し続けました》

勝又被告が犯人か否かはさておき、有希ちゃんの遺体が胸部などを刃物で10回くらい刺されていたのは、この調書の通りだ。

だが、遺体からは1000ミリリットルの出血があったと推定されるにも関わらず、林道では有希ちゃんの血液はほとんど採取されていない。勝又被告の自白の大部分を否定した控訴審判決では、殺害の場所に関する供述も信用性を否定されているが、それも当然のことだ。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―』(山田浩二=著/片岡健=編/KATAOKA 2019年6月 Kindle版)。

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あおり運転男の捜査で活躍のドラレコ、もしも「あの事件」の頃もあれば・・・

常磐自動車道で悪質な「あおり運転」を行い、被害男性の車を停めさせて殴りつけた男が指名手配の末、ついに逮捕された。この男を追い込んだのが、テレビとインターネットで公開されたドライブレコーダーの動画だ。

私はこの事件に関する報道を見ながら、四半世紀以上前に起きた「あの事件」のことを思い返していた。

◆茨城県警を早期の事件解決へと駆り立てたドラレコの動画

高速道路で蛇行し、真ん中の車線で後続の車を停止させたうえ、運転席の窓を開けさせて、運転手の男性を力いっぱい殴りつける――。

被害男性の車のドライブレコーダーに録画されていたこの動画は、テレビとインターネットで公開され、容疑者の男の凶暴性は世間を震撼させた。

そんな事件は発生9日目、容疑者の男が大阪市内のマンション近くで警察に身柄確保され、ひと段落ついたが、ここに至るまでにドライブレコーダーの動画が大きな役割を果たしたことに異論はないだろう。

この動画は今回、犯行状況の証拠化や、容疑者の特定に役立っただけにとどまらない。世間にインパクトを与え、ひいては、現場を管轄する茨城県警に少しでも早く事件を解決しなければならないという使命感を抱かせた。だからこそ、茨城県警は容疑者を指名手配するなど意欲的な捜査を展開し、それが早期の容疑者検挙につながったのだ。

そんな一連の流れを報道で見つつ、私が思い返した「あの事件」とは、いわゆる「飯塚事件」のことだ。

◆ドラレコの活躍に思い返す飯塚事件

1992年2月、福岡県飯塚市で小1の女児2人が朝の登校中に失踪し、学校から数十キロ離れた峠道沿いの山林で遺体となって見つかった「飯塚事件」では、2年後、失踪現場の近くで暮らしていた男性・久間三千年さん(当時54)が逮捕された。久間さんは一貫して無実を訴えながら、2006年に最高裁で死刑が確定、2008年に死刑執行されるに至った。

だが、有罪の決め手となった警察庁科警研のDNA型鑑定が当時はまだ技術的に稚拙だったことが次第に知れ渡り、今では冤罪を疑う声が非常に増えている。久間さんの遺族も無実を信じ、再審(裁判のやり直し)を請求している状況だ。

では、私がなぜ、あおり運転事件の経緯を見つつ、飯塚事件のことを思い返したのか。

それは、飯塚事件の頃にドライブレコーダーが今くらい普及していれば、久間さんは容疑者として検挙されず、別の人物が真犯人として検挙されていたのではないかと思えるからだ。

◆ドラレコがあれば「真犯人」が検挙されていた可能性も

飯塚事件は、DNA型鑑定のことばかりが注目されがちだが、久間さんの裁判では、ある目撃証言も有罪の有力な根拠とされている。しかし、この目撃証言も疑わしいものだった。

その目撃証言の主は、急カーブが相次ぐ峠道を車で下に向かって走りながら、路上に停車していた「久間さんの車と酷似する車」を目撃したかのように供述していた。その車の停車場所は、道路脇の山林に被害者たちの衣服やランドセルが捨てられていたあたりだったため、この目撃証言は久間さんの裁判で、有罪の有力な根拠とされたのだ。

しかし、この目撃証言の主は、わずか10秒程度すれ違っただけに過ぎないその車やそのかたわらにいた「不審な男」のことを不自然なほど詳細に供述していた。案の定というべきか、再審請求後、弁護側に鑑定を依頼された供述心理学者もこの目撃証言は信用できないと結論づけている。かくいう私もこの目撃証言はまったく信用できないと思うから、飯塚事件が起きた頃、ドライブレコーダーが今くらい普及していれば・・・と、つい思ってしまうのだ。

ありていに言えば、目撃証言の主の車にドライブレコーダーが備え付けられていれば、久間さんとは別の真犯人や、真犯人の車が撮影されていた可能性があると私は考えている。また、久間さん自身の車にドライブレコーダーが備え付けられていれば、久間さんは事件に無関係であることが証明された可能性があるとも思う。タラレバの話をしても仕方がないが、そういう話をしたくなるのは、私がこの事件を冤罪だと確信しているからだ。

この10月で、久間さんの遺族が再審請求をしてから、ちょうど10年になる。再審請求の可否は現在、最高裁で審理されているが、少しでも早く公正な判断が下されて欲しい。

このあたりで「久間さんの車と酷似する車」が目撃されたことになっているが・・・

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が8月22日発売。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”
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検証・冤罪疑われる今市事件の自白調書【上】嘘を見抜くポイントは漫画と服装

2005年12月に栃木県今市市(現在の日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が失踪し、刺殺体で見つかった「今市事件」では、殺人罪に問われた勝又拓哉被告(37)が一、二審共に無実を訴えながら、無期懲役判決を受けた。そして現在、勝又被告は最高裁に上告中で、土俵際まで追い込まれた格好だ。

東京拘置所。勝又被告は現在、同所に収容されている

もっとも、裁判のそんな現状と裏腹に、冤罪を疑う声が非常に多いのがこの事件だ。事実関係を見れば、そうなったのはむしろ当然と言える。

何しろ、裁判では、検察側から有力な物証や証言が何ら示されず、勝又被告は事実上、捜査段階の自白のみで有罪とされている。その事実上唯一の有罪証拠である自白にしても、裁判員裁判だった宇都宮地裁(松原里美裁判長)の第一審でこそ信用性を認められたが、東京高裁(藤井敏明裁判長)の控訴審では、次のように大部分が否定されている。

「本件自白供述のうち、殺害犯人であることを自認する部分を超えて、本件殺人の一連の経過や殺害の態様、場所、時間等に関する部分にまで信用性を認めた原判決の判断は是認することができない」(控訴審判決より)

つまり、控訴審の裁判官たちは、勝又被告の捜査段階の自白のうち、自分が犯人だと認めている部分以外は、「信用できない」と判断したわけだ。

そもそも、勝又被告は当初、まったく別件の微罪の容疑(偽のブランド品を販売目的で所持した商標法違反)で栃木県警に逮捕されており、長期に渡る身柄拘束の末、今市事件の容疑を自白し、再逮捕されていた。この経緯を見ただけでも、自白偏重の捜査が行われたのは明白だ。裁判で自白の信用性に疑問が投げかけられたのは案の定の展開でもあった。

さらに裁判では、被害者の吉田有希ちゃんの遺体から、勝又被告とは別人のDNA型が検出されていたことも判明している。そのDNA型については、「殺害犯人のものである可能性が高いとはいえない」(控訴審判決)と片づけられているのだが、そのDNA型が誰のものかは特定されていない。これでは、そのDNA型が「真犯人」のものである可能性を疑われ続けても仕方ない。

◆女の子をさらいに行く前に漫画を借りていた!?

そんな今市事件について、私も当欄で繰り返し冤罪の疑いを指摘してきたが、勝又被告の自白調書の内容を改めて検証したところ、自白が嘘であることを示す形跡が新たに色々見つかった。そこで、その検証結果を3回に渡って報告したい。

今回はまず、勝又被告が被害者の女の子・吉田有希ちゃんを車で連れ去った状況などを供述した2014年6月20日付けの自白調書(作成者は宇都宮地検の阿部健一検事)を見てみよう。

この調書では、勝又被告はまず、《私は、事件の2、3年くらい前から子供の女の子に興味を持つようになりました》と切り出し、《「事件を起こす1カ月くらい前から、小学生の女の子をさらってセックスなどをしてみたい」と思うようになりました》と供述している。そして、鹿沼市の自宅アパートから車で今市市の大沢小学校近くまで赴き、小学生の女の子をさらおうと考えたと述べている。

《大沢小学校を狙ったのは、そこらへんの道をよく知っていて、当時住んでいたアパートから遠かったからです》

調書では、勝又被告はそのように供述しているが、この部分に不自然さは見いだせない。元々は台湾生まれの台湾人である勝又被告(逮捕される数年前に帰化)は、小6の時に来日し、大沢小学校とその隣にある大沢中学校に通っているためだ。勝又被告が大沢小学校周辺に土地勘があったのは確かだろう。

この調書で最初に出てくる問題供述は、事件当日の2005年12月1日の行動に関する以下の部分だ。

《記憶では午後2時から3時頃、下校途中の小学校の女の子をさらいにカリーナED(引用者注・勝又被告が当時乗っていた車)で大沢小学校の近くに行きました》

被害者の有希ちゃんはこの日、下校中の午後3時頃に行方不明になっている。つまり、勝又被告の供述は時間的な辻褄は合っているわけだ。

では、この供述の何が問題なのか。それは、この直前の時間帯の勝又被告の行動と整合しないことだ。

勝又被告が事件発生直前に借りていた「カペタ」の6巻と7巻

というのも、宇都宮市内にあったCDやDVD、漫画のレンタルショップ「ハーマン駒生店」(現在は閉店)の利用履歴には、勝又被告がこの日の午後1時58分頃、2冊の漫画を返却し、新たに2冊の漫画を借りた記録が残っていた。これから小学生の女の子をさらい、セックスしようとしている人間が漫画をレンタルショップで借りてまで読もうとするだろうか。普通、そういう行動はとらないはずだ。

ちなみに、勝又被告がこの時にレンタルショップに返した漫画は、FIを題材にした「カペタ」という漫画の4巻と5巻で、借りたのは同じ漫画の6巻と7巻だ。勝又被告のこの時の関心は、小さな女の子とセックスすることではなく、「カペタ」という漫画に向けられていたことが窺える。

げんに、ハーマン駒生店の利用履歴によると、勝又被告はこの時に借りた「カペタ」の6巻と7巻も、翌日の午後3時32分頃までに返却している。勝又被告が事件当日、この2冊の漫画を借りてすぐに読み始めたことは明白だ。

◆被害者の服装を「覚えていない」という不自然

有希ちゃんの服装は警察募集のポスターで詳細に紹介されていた

調書によると、勝又被告はカリーナEDで大沢小学校のあたりに到着後、女の子が1人で歩いているのを見つけたことになっている。被害者の吉田有希ちゃんだ。そこで、カリーナEDで有希ちゃんの横まで近づくと、運転席の窓からこう声をかけたという。

「お父さんに頼まれて迎えに来たよ。お母さんが大変だから」

きわめてベタで、犯人でなくても容易に思いつきそうなセリフだが、それはさておくとしよう。不自然さを見過ごしがたいのは、有希ちゃんに声をかけた直後の言動に関する次の供述だ。

《有希ちゃんは、「えっ」と言うと、ちょっと後ずさりしました。それで、私は、「信用されてないな」と思いました。私は、運転席のドアを開けて、身体を少し外に出して、有希ちゃんの脇の下に両手を入れて抱きかかえ、運転席を通して助手席に無理矢理乗せました。有希ちゃんは赤いランドセルを背負っていたことは憶えていますが、服装はよく憶えていません》

この供述の何が不自然かというと、勝又被告が有希ちゃんについて、《服装はよく覚えていません》と述べていることだ。

何しろ、この日の有希ちゃんの服装は、黄色いベレー帽をかぶり、アニメ「とっとこハム太郎」の絵が描かれたピンクのスニーカーを履いているなど、きわめて特徴的だった。しかも、事件発生から8年半後に勝又被告が逮捕されるまでの間、栃木と茨城では、後掲のような警察の情報提供募集のポスターが県内のあちらこちらに張り出されていたのだ。

本当に勝又被告が犯人であれば、このポスターで詳細に紹介されている有希ちゃんの服装を《覚えていない》ということはありえない。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―』(山田浩二=著/片岡健=編/KATAOKA 2019年6月 Kindle版)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』8月号