3・11甲状腺がん家族の会、設立会見詳報《4》河合弘之代表世話人による追加談話

2016年3月12日、3・11甲状腺がん家族の会が設立された。設立時の正会員は5家族7人、代表世話人には河合弘之さん(弁護士)と千葉親子さん(元会津坂下町議)が就いた。これまでほとんどタブー視されてきた福島での被曝被害の核心を伝える貴重な設立会見を7回に分けて詳報する。第4回は河合弘之代表世話人による追加談話。

図01=放射線被害の全体と甲状腺がん等疾病被害の概念図

先ほどの図(図01)を、もう一度示します。この大きなマルが放射線被害の全体です。そして、その大半を占めるのが財物補償と精神的慰謝料です。でも、財物損害も精神的慰謝料も元は病気になる、白血病や甲状腺がんになる、ということから発生します。この部分が否定されると、原発の損害、大きな損害、全体があるかないかわからない、いい加減なものになるということになります。

今ここ(病気:甲状腺がん、白血病)が、否定されているのです。それが大問題なのです。ここを絶対否定させてはならない。きちっと社会的にも、政治的にも、立証されていかなくてはならないというのが、私の意見です。

図02=線量と発病率の関係は〈しきい値〉なしの直線モデルが世界的な合意と説明する河合弘之弁護士

もう一つ。これを見てください(図02)。現在、世界的合意は、放射線量と白血病、その他の発病率は閾値(しきいち=いきち)なしということがあります。ここから下は安全という閾値が無いのです。そして、この直線モデルが示すように、線量と発病率は正比例というのが世界的な合意です。IAEAもこのことを認めています。その事実が第一にあります。

そして、ある原発から大量の放射性物質が放出され、その放出範囲に住んでいる人間が甲状腺がんになったら、原則として、その甲状腺がんや白血病は、その原発事故のせいだということで認定すべきで、逆にその子供の甲状腺がんは、別の理由だということをきちんと立証できれば原発事故が原因であるということは適応されない。

つまり、Aという子供が誤ってレントゲン検査において、大量の被曝をしたという医療ミスですとか、道端に転がっていた放射性物質を間違えて掴んでしまい、口に入れてしまったから甲状腺がんになってしまったなど、別の理由をきちんと立証できない限り、今言った3つの条件(放射性物資の大量放出、放出範囲に居住、別の罹患原因証明ができない)に絡む場合、甲状腺がん等の発症は、原発事故による放出された放射性物質に因果関係があると認定すべきであると思います。

そもそも、福島原発から発せられた放射性物質が「子供に付き、甲状腺にくっつき、そこから発癌した」などということを立証することは不可能なことです。その不可能な立証をできていないということを理由に「考えにくい」という言葉を用いて否定するということは、法律的にも間違いです。法律的には、因果関係というのは、被害を訴える側が立証しなくてはなりませんが、本件の場合や公害の場合には、立証責任は転換されるということになっています。まさにさっき言った、3つの条件に絡む場合には転換されていく。例外的な理由を否定する方が、例外的理由を立証しなくてならないという、判断理由の枠組みを変えないと、被害者は全く救済されないのだ、ということを私は強く訴えたいと思います。

 

そして、もう一つ。ここ(甲状腺のある首筋)に、手術の跡が既に残っている。手術跡ができている女の子がいます。もし、交通事故でこういうことが起きれば、女子の容貌に著しい醜状を遺すということで、これに対する後遺症慰謝料を何百万円という、高額な慰謝料を受けることが本来できます。そういう子供たちが何人も発生しているのに、そういう子供たちは一切そういう請求をしていません。そんなことができる環境にないのです。仮にADRをやっても、東京電力は、否定すると思います。「因果関係が考えにくいと、医者が、専門家が、言っていますよ・・・」と。そういうことになる。

しかし、そういうことが、許されて良いのでしょうか。僕は、術後の様子は見ていませんが、テレビや新聞で見ております。こういう風になって、こんな風になっている。そのことだけでも重要なことです。もちろん、そこから、さらに悪化することもあるが、そのことだけでも救われなくてはいけないのに、それも放置されているというのが、今の状態なのだということを、皆さんに知っていただきたいと考えております。以上です。
 
▼白田夏彦[取材・構成]
学生時代に山谷、沖縄などの市民運動を訪問。その後、9・11同時多発テロ事件をきっかけにパレスチナ問題の取材を開始。第二次インティファーダ以降、当地で起こった非暴力直接行動を取材。以降、反戦や脱原発などの市民運動を中心に取材。現在、業界紙記者。

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筑後リサイクル店殺人事件裁判員裁判──報道と異なる被告「美人妻」の実像

本人に直接取材したり、裁判を傍聴してみると、マスコミで大きく報道された事件の容疑者の実像が報道のイメージとずいぶん違うように感じることは多い。最近だと、福岡県筑後市のリサイクル店殺人事件の中尾知佐被告(47)がそうだった。

中尾知佐被告の裁判員裁判が行われている福岡地裁

◆数々の凶悪エピソードが報じられたが・・・

知佐被告が夫の伸也被告(49)と共に殺人などの疑いで逮捕されたのは2014年6月のこと。当時、筑後市でリサイクル店を経営していた2人の周囲では、様々な人物が行方不明になっているという情報が飛び交ったが、2人は最終的にリサイクル店の元従業員・日高崇さん(事件当時22)に対する殺人や、知佐の義弟・冷水一也さん(同33~34)とその息子・大斗君(同4)に対する傷害致死などの罪で立件された。

まぎれもない凶悪事件だったため、捜査段階からマスコミの扱いは大きかったが、その中でクローズアップされたのは、知佐被告のキャラクターだった。若い頃は中州でホステスをしていた知佐被告は評判の美人で、スタイルも抜群。ただし、気性は荒かった。リサイクル店では普段から些細なことで従業員を延々と怒鳴り続け、夫の伸也被告に命じて従業員たちに暴行させたりもしていた――。マスコミは当時、そんな数々の凶悪なエビソードと共に知佐被告が一連の事件の首謀者だったかのように伝えていたのだった。

◆案外地味な実物の本人

こうした情報に触れ、筆者は個々の情報の真偽はともかく、知佐被告に対し、「危険な香りを漂わせた美人妻」というイメージを抱いていた。実際、捜査段階に報道で見かけた知佐被告の写真では、ぱっちりした瞳が印象的で、非の打ちどころがない美人ぶりだった。しかし現在、福岡地裁で行われている知佐被告の裁判員裁判を傍聴したところ、実物の知佐被告は少々イメージが異なった。

案外、地味な感じなのだ。

白い丸首のカットソーに紺の薄手のカーディガンを羽織り、下はスリムのブルージーンズ。そんなラフないで立ちの知佐被告は化粧をしていないせいだろうが、瞳は報道のようにぱっちりしておらず、むしろ目は細かった。報道の写真では、40代後半の実年齢より若々しいように感じられたが、法廷では、2つに結った地味な髪型のせいもあってか、年齢相応の生活感を漂わせているように見えた。

不思議なもので、こういう案外地味な本人に接してみると、実はそれほど悪い人間ではないのでは・・・などと思えてくるのである。

◆「暴行には、金属バットを使った」と女性店長

もっとも、法廷に立ったリサイクル店の元店長の女性A子さんが知佐被告の人物像について語った内容は、すさまじいものだった。

A子さんの証言によると、リサイクル店では、従業員に報告ミスがあったり、掃除が遅かったりすると、知佐被告の指示により、店長のA子さんが従業員にビンタやゲンコツをしていた。A子さん自身が何かミスをした時には、知佐被告の指示により、他の従業員に頼み、自分にゲンコツをしてもらっていたという。

「こうした暴力は手加減せず、思いっきりやっていました。叩いた相手が知佐に『手加減されました』と言えば、自分が怒られるからです」(A子さん)

A子さんによると、やがて知佐被告は「ミスをして、ゲンコツやビンタだけではわからないから」と言うように。そして体罰に「金属バット」を使うことになったという。

「金属バットでは、従業員にケツバットをしていました。私以外では、伸也も金属バットで従業員にケツバットをしたり、体のあたりを叩いたりしていました」

被害者の1人、冷水一也さんは知佐被告にとって妹B子さんの夫で、B子さんと一緒にリサイクル店で働いていた。A子さんによると、知佐被告から「身内だから甘くする必要はない。厳しくするように」と言われており、この一也さんにも他の従業員にするのと同じように暴力をふるっていたという。

弁護人の隣にいた知佐被告は、A子さんの証言を顔色一つ変えずに聞きながらメモをとっていたが、途中でペンを持つ手の動きが止まり、何か思案しているようだった。無表情ではあるが、なんともいえない迫力を感じさせる女性でもあった。

公判が分離された夫の伸也被告も「暴行の9割は妻に指示された」と訴えている。

◆娘の映像に涙?

ただ、知佐被告はこの公判で殺人と殺人未遂の罪については、「暴力は夫がしたこと。私は指示していないし、夫と話し合ったこともない」と無実を主張している。夫の伸也被告は共犯者だし、店長のA子さんもある意味、共犯者だから、2人が知佐被告に罪を押しつける可能性もないわけではない。2人の証言がどこまで信用できるかは慎重に検討しなければならないだろう。

傍聴席には映像も音声も伏せられたが、公判では、知佐被告の娘に関係するとみられる映像が被告人や検察官、裁判員たちの前にあるモニターで再生された。この時ばかりは知佐被告は手で目をぬぐい、母親らしい感情を溢れさせているように思えた。

審理は9日まであり、24日に判決が宣告される予定だが、要注目裁判の1つだと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』
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3・11甲状腺がん家族の会、設立会見詳報《3》牛山元美さん=世話人の談話

2016年3月12日、3・11甲状腺がん家族の会が設立された。設立時の正会員は5家族7人、代表世話人には河合弘之さん(弁護士)と千葉親子さん(元会津坂下町議)が就いた。これまでほとんどタブー視されてきた福島での被曝被害の核心を伝える貴重な設立会見を7回に分けて詳報する。第3回は内科医で同会世話人の牛山元美さんの談話。

◆福島原発事故以前、小児甲状腺がんは非常に少なかった

会見する牛山元美さん

私は神奈川県内の病院に内科医として勤務しております。福島原発事故当時は、被曝を心配して、当時、小中学生だった二人の子供を九州の親せき宅に避難させました。事故後は、福島県内や関東で健康相談会や保養に参加し、子供を持つ親たちの不安を直に耳にしてきました。また、福島県内の医師不足を知り、2012年11月から福島県内の病院で、月一回の当直支援を始めました。 

福島県の健康調査により、原発事故当時、18歳以下だった子供たちに甲状腺がんが多発していることが明らかになっています。この5年間で、県が把握しているだけでも既に116人が手術を受けています。甲状腺がんは、進行度も遅く命に関わることはない、悪性度も低い癌だといわれていますが、実はそれは中年以降の女性にみられる成人の甲状腺がんについての話です。2011年の福島原発事故以前、小児甲状腺がんは非常に少なく、診療経験のある医師は、日本の甲状腺専門医の中でも非常にまれでした。

◆スクリーニング効果、過剰診断とはそぐわない事実

チェルノブイリ原発事故後に、7000例増えたとされる小児甲状腺がんは、腫瘍が小さくてもリンパ節や肺に転移を引き起こしやすく進行しやすいといわれています。今回、ほとんどの方を手術された福島県立医大の報告を見ると、手術を受けた方の90%以上は、腫瘍の大きさが既に手術適応基準を超えていたり、または小さくても、リンパ節転移や肺転移を引き起こしていたり、甲状腺の外に拡がり進行していたものであったり、すぐに手術することができて良かったという症例でした。

これは、たくさん甲状腺がんが見つかったのは検診のせいだ。スクリーニング効果だ、それは過剰診断だという意見とはそぐわない事実です。では、なぜこれだけの甲状腺がんが福島の子供たちから見つかったのか。未だ全く解明されていません。放射線の影響かどうかも、県の検討委委員会の中ですら意見の相違があり「(原発事故の)影響とは考えにくい」とか、「(原発事故の)影響を否定するものではない」とか、非常にあいまいな表現がされています。

◆相談に応じる医療機関が福島県内にはほとんどない

患者さんやご家族は、今回、診断された甲状腺がんがなぜ起こったのか、とても悩んでおられます。お母さまは、すぐにおっしゃるのですが、「あの頃の食事が悪かったからなのでしょうか?」「放射線汚染を気にせず食べ物を食べさせたから、だから癌なったのでしょうか?」「外で遊ばせたのがいけなかったのか…」高校生の子は、「自転車で通学したからいけなかったのか」、皆さん自分を責めています。また、遺伝的なものなのか。そんな風に本人も、親御さんも、自分がいけなかったのかと、とても悩んでおられます。

実は手術を受けて、その後再発された方も複数おられます。再手術前、治療方法についてセカンドオピニオンを気にする方も当然いらっしゃるわけですが、福島県内では「それは県立医大に行くように」と言われ相談に応じる医療機関もほとんどなく、実現が困難な状態です。より良い医療を受けたいという、患者として、またその親として当然の願いを実現させたいと思います。担当医師とのコミュニケーションもうまく取れていない、それをうまく取れるようにお手伝いもしたいと思っております。

◆福島の健康相談会では放射能という言葉すら口にしにくくなっている

甲状腺がんというものについて、忌憚のない意見の交換や適切な情報の共有をし、出来る限り、その不安を取り除いてあげたい。また、日常生活でも健康に関する疑問に気軽に答え、より安心でき、健康的な生活を楽しめるようサポートをしたいと思っております。

また、叶えばですが、患者さんがご自身の経験を活かせるよう、例えば手術の経験を、また新たに患者さんになった他の方に伝えることができる、そんな手助けもしていきたいと思っております。最近では、福島に健康相談会に行っても放射能という言葉すら口にしずらくなっています。また、福島県内では、放射能という問題は過去の話になっています。

◆問題を解決できるよう力を貸してください

そんな今、臨床医としてやれること、やるべきことがあるのではないかと思っております。私は原発事故当時、ちょうど18歳以下であった子供を関東で育てている母親でもあります。また、病気を抱えている患者さんの日常生活への助言や様々な不安を軽減することが主な任務の一つである内科の臨床医でもあります。その様なことを使命感に持ち甲状腺がん家族会の世話人になりました。  

甲状腺外科医たちが、今回、家族会のアドバイザーになってくれています。甲状腺がんという病気になっても、より良い治療を受け、不安を減らし、安心して幸せに生活できるように医師として力を尽くしたいと思っております。どうぞ、甲状腺がんと診断された福島の子供さんやご家族の方が一人でも多く、この家族会に参加され、つながり、力を合わせ、問題を解決できるよう力を貸してください。以上になります。ありがとうございました。


◎[動画]20160312甲状腺がん患者家族会設立記者会見(UPLAN三輪祐児さん公開)

▼白田夏彦[取材・構成]
学生時代に山谷、沖縄などの市民運動を訪問。その後、9・11同時多発テロ事件をきっかけにパレスチナ問題の取材を開始。第二次インティファーダ以降、当地で起こった非暴力直接行動を取材。以降、反戦や脱原発などの市民運動を中心に取材。現在、業界紙記者。

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絶望の牢獄から無実を叫ぶ極限芸術──広島で「冤罪死刑囚たちの絵展」が好評

5月21日(土)から広島市安佐南区の「カフェ・テアトロ・アビエルト」で開催されている「冤罪を叫び続ける死刑囚の絵展」が好評を博している。

これまで店内で様々な個性的イベントを開催してきた同店。死刑囚が獄中で描いた絵の展覧会は、数年前から全国各地で開かれるようになっているが、その先駆けといえる存在でもある。

独特の存在感を放つ林氏の作品

◆ブームの火付け役にも刺激

同店が初めて「死刑囚の絵展」を開催したのは2012年の秋だった。死刑囚・大道寺将司氏(1948年~)の亡母・幸子氏が遺した預金で創設された基金によって毎年開催される死刑囚の作品展に寄せられた20数名の約50点の絵を展示した。同店のオーナー・中山幸雄氏がその作品展の主催者らと親交があった縁で実現したとのことだった。

そして翌年、この展覧会に刺激を受けた福山市の「鞆の津ミュージアム」のアートディレクター・櫛野展正氏が死刑囚37人の約300点の絵を集めた展覧会「極限芸術 ~死刑囚の表現~」を開催。これが全国各地から観客が殺到する大ブレイクとなり、死刑囚が手がけた芸術に広く注目が集まるようになった。

実を言うと、筆者が今年2月、冤罪死刑囚たちの書画を集めて制作した編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」も元々、アビエルトが開催した2012年の「死刑囚の絵展」に足を運び、感銘をうけたことから着想したものだった。

司法に対する強い憤りを表現した高橋氏の作品

◆7人の冤罪死刑囚の絵を展示

今回、同店が開催した展覧会は、冤罪を主張する死刑囚の絵を特集したもの。林眞須美氏、藤井政安氏、何力(フウ・リー)氏、松本健次氏、風間博子氏、金川一氏、高橋和利氏という7人の冤罪主張死刑囚の絵を展示している。

毎度なんともいえない情念を感じさせる林氏の絵は今回も会場で独特の存在感を放っていたが、他の6人の作品もそれぞれ独特の味わいがある力作ぞろい。画力の高さには定評がある風間氏と高橋氏は前掲「絶望の牢獄から無実を叫ぶ」にも書き下ろし手記を寄稿してくれているが、この展覧会でも自らの潔白を訴えかけてくるようなメッセージ性の強い作品を提供していた。今回も一見の価値がある展覧会になっていると思う。

なお、風間氏については、蜷川泰司氏の小説「迷宮の飛翔」に提供した挿し絵の原画も同時に展示。会の開催は6月5日(日)まで。同4日(土)には、蜷川氏によるトークイベントも開かれる。

風間氏の抽象画。開いた扉からあふれる光は「無実の希望」か

(1)「冤罪を叫び続ける死刑囚の絵展」の詳細は「カフェ・テアトロ・アビエルト」のHPにて。
(2)上記の櫛野氏が福山市につくったアートスペース「クシノテラス」でも「極限芸術2 ~死刑囚は描く~」が8月29日まで開催中。5月29日には都築響一氏、7月4日には茂木健一郎氏のトークイベントがある。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)

3・11甲状腺がん家族の会、設立会見詳報《2》千葉親子=代表世話人の談話

2016年3月12日、3・11甲状腺がん家族の会が設立された。設立時の正会員は5家族7人、これまでほとんどタブー視されてきた福島での被曝被害の核心を伝える貴重な設立会見を7回に分けて詳報する。今回は千葉親子(ちかこ)さんの会見談話。

◆被曝者になってしまったという切ない思い

代表世話人の千葉親子さん(元・会津坂下町議会議員)

東日本大震災と、それに伴う原発過酷事故が起きてから昨日で5年になりました。この間、国内外の多くの方々に励ましをいただいたことに感謝申し上げます。今、私たちは福島県の現状に向き合いながら、悩み、苦しみ、励ましあいながら、傷つきながらも頑張っています。

時間の経過とともに諸課題も多岐にわたり、個人の力ではどうにもならないことがたくさん聞こえてきます。甲状腺がん問題もその一つです。小さなお子さんからお年寄りまで二百万人の県民が、原発事故により放射能の降り注ぐ下で生活をしていた事実は、けして忘れてはならないことと思います。

事故後、甲状腺検査が始まりました。甲状腺がんの発見が相次ぎました。原発事故が起きるまでは、甲状腺がんという言葉などはあまり耳にしない病気でした。一巡目の先行調査から二巡目と検査が進む中、甲状腺がんと宣告されたご家族の方々の悩みや苦しみに私たちは出会いました。過酷な原発事故や放射能のことなど交錯する情報の中で、保養の手立ても無く過ごす中、子供のことを思い、親御さんたちは、「あの時、外出させなければよかった」「あの時、避難しておけばよかったのではないか」「無用な被曝をさせたのではないか」とご自分のことを責め続けておられます。3・11以降、甲状腺検査を受け、被曝者になってしまったという切ない思いを抱えながら誰にも相談できない状態に置かれているのです。

◆今、起きていることの事実に触れ、悲しい怒りがこみ上げた

福島県健康調査検討委員会では「放射能の影響とは考えにくい」と説明を繰り返すばかりです。専門家の間でさえも、原発に由来する・由来しないと意見が分かれました。そんな曖昧な中、がんと診断された方も、被曝をした多くの県民も不安を抱えた5年となりました。

私たちは昨年、ご家族の方々と集いました。その日の私は初めての出会いでとても緊張していました。きっと、ご家族の方たちも家族同士が出会えることの期待と、どんな集まりなのか、どんな人が来ているのか、と不安があったろうと思います。

懇談が始まってからは、話す家族も、聞く私たちも涙でした。今まで色々な所で聞いていた不条理な出来事が目の前で話すご家族の方に、今、起きていることの事実。そのことに触れ、私も悲しい怒りがこみ上げました。ご家族同士の意見交換では、医師への不信感や診療の制約、情報不足が話題になりました。「病気の症状がこれからどうなっていくのだろう」「毎日のとまどいを誰には話したらいいのだろう」「誰に相談したらいいのだろう」という生の声を聞き、ご家族の孤独感を知りました。

懇談が始まる前の緊張していた雰囲気も、お茶会のころには、皆で持ち寄ったお茶菓子を分け合って、とても和やかな雰囲気になり「来てよかった」「同じ思いで話すことができた」と明るいお顔になられたように感じました。

◆同じ悩みや痛みを抱えている方同士が話し合うことで癒される

子供たちは、原発事故の後、理不尽な形で甲状腺がんと診断され、心に傷がつき、手術で体にも傷を残すことになってしまいました。私たちは、日頃から情報交換や情報提供が出来て、気軽に話し合い、支え合えあうことのできる関係と気軽に相談できる場所が必要だと思いました。同じ悩みや痛みを抱えている方同士が話し合うことが、どれだけ癒されるのか、どんな力にも勝ることだと思いました。

一人で悩まないで下さい。多くの患者の家族の皆さんと手をつなぎ、語り合う場所を持ちましょう。情報を共有し、課題を共有しながらそこから希望を掴みましょう。患者家族の皆さまには、気軽にお声をかけていただきたいと思います。そして、周りには安心して集えるようどうか温かく見守って頂きたいと思います。わたしたちも、そのお手伝いをさせて頂きたいと思っております。このような会が身近な所で色々と広まり、家族の方が安心して話しのできるような場所ができることを望みながら私の挨拶とさせていただきます。


◎[動画]20160312甲状腺がん患者家族会設立記者会見(UPLAN三輪祐児さん公開)

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5月27日発売!「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

小雨の中、裁判傍聴列に並びながら想う「清原和博の悲劇」

5月17日の朝9時すぎ、日比谷公園には、覚せい剤取締法違反で逮捕された元プロ野球選手、清原和博の裁判傍聴抽選にやってきた人たちで溢れかえっていた。
小雨が寒さを倍加させる。
「3列に並んでください」と整理スタッフが叫ぶ。

栃木から来たという51歳の会社員は語る。
「俺もPL学園高校のOBです。世代を代表するスターだから、ぜひ立ち直って俺等の先頭を走ってほしいです。でもこういう発言が清原のプレッシャーになったのかな、とは思いますけど」

◆清原を助けるリスク

清原を助けようとしている連中の何割かは真剣だろう。

だが何割かは、清原を利用しようといるのにすぎないのではないかと思う。

清原を救うのに、証言した野球評論家の佐々木主浩は「野球のことをやらせるのが一番更正にはいいと思う」として、「親友だから証言をすることは即決で決めた」とまで言う。

だが、記者なら誰もが知っている。
佐々木は、裁判寸前まで「清原の情状酌量のための出廷」はさんざんぱら悩んだことを。

清原と暴力団のつながりがまた囁かれたら、佐々木の野球解説や講演の仕事まで激減する。
そうしたリスクを清原は、常に背負う覚悟が本当にあるのだろうか。

清原はヤクザに憧れて刺青を入れたというが、いまどき、現役のヤクザだってそうそう刺青は入れない。
サウナに入れない、子供とプールに行けない、銭湯に入れないなど失うものが多すぎる。
キックボクシングや総合格闘技の世界だって「刺青はご遠慮下さい」という案内が興業主からやんわりと選手に伝わっている。

◆「ヤクザがまわりにいれば、わしも大きく見える」と考えた清原の悲劇

清原の悲劇は「ヤクザがまわりにいれば、わしも大きく見える」と考えたことだ。
周囲にヤクザが何十人いようが、実際、大きく見えることはない。

僕も清原と仲がいいヤクザと酒を飲んだことがあるが、そのヤクザは「清原は俺等を利用して、高いギャラをあちこちからとれるように演出しているだけ」と清原の狙いを見抜いていた。

清原は、いったい更正までにどれくらいの年数がかかるのか。
かつてKKコンビと言われた桑田真澄は「苦しくてもホームランを打って何度も助けてくれた彼のことですから、人生でも放物線を描いてくれると信じている」と語った。
今の段階で判決は出ていない。だが、いずれにしても同世代のスターの復活を祈りたいものだ。
    

         
▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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3・11甲状腺がん家族の会、設立会見詳報《1》河合弘之=代表世話人の談話

2016年3月12日、3・11甲状腺がん家族の会が設立された。設立時の正会員は5家族7人、代表世話人には河合弘之さん(弁護士)と千葉親子さん(元会津坂下町議)が就いた。これまでほとんどタブー視されてきた福島での被曝被害の核心を伝える貴重な設立会見を7回に分けて詳報する。

冒頭、設立趣意書が読み上げられる

◆司会者からのことわり

家族のお二方は、福島県からの中継での参加になります。お二方は、マスコミの前に出るのは、未だセンシティブで難しい状況になります。スカイプで、顔を隠しての会見になることをご了承ください。代表世話人3人のあいさつ後、甲状腺がんのお子さんを持つご家族二人のお話、質疑応答という流れになります。時間は1時間ほどと考えております。どうぞ、よろしくお願いいたします。

◆代表世話人、河合弘之弁護士による「甲状腺がん家族の会」設立主旨談話

右から代表世話人の千葉親子氏(元・会津坂下町議会議員)、河合弘之氏(弁護士)、世話人の牛山元美氏(医師)

代表を務めております弁護士の河合でございます。本日、甲状腺がん家族の会を設立致しました。名称は「3・11甲状腺がん家族の会」といいます。目的は、社会的に孤立している甲状腺がん患者家族同士の親睦を高めるとともに、患者の治療および、生活の質を高めることができるように情報交換を行い、関係機関に働きかけることであります。現在の正会員はご家族7人であります。中通り在住が4家族、浜通り在住が1家族。男の子の家族が3家族、女の子の家族2家族であります。

それから、代表世話人は私、千葉親子(元会津坂下町議)、副代表世話人が武本泰(医療学校教師)、飛田晋秀(写真家)、世話人が牛山元美(医師)でございます。また、甲状腺専門アドバイザーとしても、医師の方に何人かお願いしてあります。

設立趣意書の読み上げ。※参考(当会HP)http://311kazoku.jimdo.com/

◆現行の訴訟では被曝被害の損害がスポッと抜けている

会設立の概要としては以上になりますが、代表世話人としての私の考えを少しご説明したいと思います。3・11以降、本当にひどい、規模の大きな深刻な被害が出ている訳ですが、ADR(裁判外紛争解決手続)で問題にされ、訴訟で問題とされているのは、全部、財物損害と慰謝料だけです。放射能被曝の被害、損害の核心はその放射線から発生した病気であります。健康被害などという、甘い表現で私は申しません。放射線による病気、そして、とりわけ小児甲状腺がん、それから小児にも青年・大人にも発症する白血病、これが被害の核心であるというふうに考えます。

放射能被曝被害の考え方が図で示される

日本で今、大変なADRと訴訟の争いが発生しています。訴訟は、一万人もの人が起こしています。でも、それは全部、財物損害と慰謝料だけなのです。ちょっと図で書きますと、この様に膨大な賠償の請求がきているわけです。まず、財物の損害。それから、精神的な苦痛とか恐怖に対する慰謝料。で、それだけが問題にされていて、こうした白血病になった人や甲状腺がんになったという、病気になった・身体に損害を被ったということがスポッと抜けているのです。

◆「考えにくい」は「考えられない」と同義

メディアの人は感じてほしいのですが「変だな?!」と「一番肝心の損害や救済の追及が欠けているな」と。それが皆、何のせいかというと、原発と因果関係があると「考えられない」、「考えにくい」ということで押さえこまれている、否定されているから。「考えにくい」というのは「考えられない」というのと社会的には同義語です。

そして、この財物損害は、要するに放射能のある所にいると、健康被害を被るから、病気になるから、怖いから(自宅など、すなわち放射線計測区域から)出るわけです。子供が病気になる、怖いから出るわけですよね。だから財物損害の原因も、その放射能によって病気になる怖れなわけです。精神的苦痛も、放射能で病気になるのではないかと思うからです。だから、膨大に発生し、追及されている損害の中核部分が、スポッと台風の目のように空白になっているのです。

◆ジグソーパズルの一番の中核部分

これが、(原発事故と放射線被害の)因果関係が、あるのかどうかわからないということになると、財物損害とか精神的慰謝料とか、全部、根拠が無くなるのです。気のせいだとか、大丈夫だよ、ということになると、全部根拠がなくなる。全てここから発生しているから、財物損害や慰謝料が発生する。ここを無くしてしまおうというのが、今のやりかただろうと私は考えています。ここが、スポッと抜けたままだとどうなるのか?まるでジグソーパズルの一番の中核部分がスポッと抜けたままになっているのですが、文字通り、底抜けになるのです。

つまり、放射能の被害はよくわからない、気のせいだよ、因果関係が考えにくい。そうなると、じゃあ、財物損害も発生しないということになりかねません。それから、慰謝料というのも気のせいだよと、家が放射能で住めなくなる…それも本当にそれで病気が発生するかどうかわからないから、はっきりとしないということになると、放射能は怖くない。放射能が怖くなければ、原発は怖くない、だから原発を再稼働しよう、原発をどんどんやろうと、こういう論理になっていくのです。

◆一番肝心な部分の戦い

だから、この事実をきちん明らかにして、そして因果関係があるのだということをはっきりさせていくことが、全ての面、被害者救済にも重要だし、原発を無くしていくことにも重要なんだ、ということが私の考えです。ここが、まさに天下分け目の戦いというか、一番肝心な部分の戦いにこれからなっていきます。今までは、この問題が、なぜスポッと抜けていたかというと、患者の皆さんが完全に分断されています。お互い、顔見知りでもありません。だから、団結も生まれていません。お互い名前もろくに知りません。完全に分断されているだけでなく、この治療の過程において、現代医療において当然認められるべき、インフォームド・コンセントとセカンド・オピニオンが完全に否定された状態です。

「なぜ、私がこんなことになったのでしょうか?」と患者さんが医師に聞いた時、「あなたは、こうこう、こういう訳で、結果こうなったのだよ」という「だから、こういう治療が必要で、こうで、こうやって手術するんだよ」と、さらに、それでも不安が出てくれば、さらに説明を受けるという形でやっていくというのが普通の医療じゃないですか。それが(医師が)「あなたは癌です。切りましょう。」―(それに対し、患者が)「原発事故が原因でしょうか?」と聞くと、(医師により)「違う!」と、そういう風に言われてしまう。

そこには、問答無用の恩恵的な、家父長的な治療があっても、インフィームド・コンセントがないんです。そして、不安だからセカンド・オピニオンを求めようとしても、そんな事をして、ばれようものなら大変なことになる、というような恐怖感を持っているから、セカンド・オピニオンを求められない。

また、セカンド・オピニオンが、本来出せる人たちも、今の体制の中では、福島県立医大とか福島県とかに遠慮して、余計なことを言うと後で面倒なことになるからということで、(例えば、福島県外の病院でセカンド・オピニオンを求めた場合)「私は福島県から来ました。がんと言われています。本当でしょうか?」と聞こうにも、福島県の方だと分かると「県立医大に行ってください」ということになる。セカンド・オピニオンも求められない。こうやって分断され、完全に抑え込まれている。

◆押さえきれない気持ち

そして、僕たちも、さっき申し上げたように、ここが原発の放射能被害の中核ですから、何度かアプローチをしようとしました。しかし、一切アプローチできなかった。たとえば、福島県庁や県立医大の方にお聞きしようと思っても「とんでもない、個人情報ですから、そんな事は教えられません。」となる。

分断と、個人情報保護ということの二つの壁により、私たちは166人という数が分かっても、どこの誰というのは分からなかった。私としては、これがこのまま放置されていたら、本当にこれは憂慮すべき事態だ、と思っていたところに「もうこれは、我慢できない!」とカミング・アウトする人たちが出てきた。これは、押さえきれない気持ちから出たのだと思いますよ。そして、私の所に相談があったので、私が最終的に代表世話人を引き受けることになった。それまでは、千葉さん、牛山さん御二方が大変尽力されたわけですが、私の問題意識としては、以上、お話しした通りです。

全ては何から始まるのかと言うと、患者さんがお互いに住所氏名を知り合い、どういう状態にあるのかということを情報交換することから始まる。そこからスタートするというのが、今日の会の設立主旨であります。


◎[動画]20160312甲状腺がん患者家族会設立記者会見(UPLAN三輪祐児さん公開)

▼白田夏彦[取材・構成]
学生時代に山谷、沖縄などの市民運動を訪問。その後、9・11同時多発テロ事件をきっかけにパレスチナ問題の取材を開始。第二次インティファーダ以降、当地で起こった非暴力直接行動を取材。以降、反戦や脱原発などの市民運動を中心に取材。現在、業界紙記者。

『NO NUKES voice』08号【特集】分断される福島──権利のための闘争
5月27日発売!「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

「取締り」という冤罪からわが身を守る法──警察にひと泡吹かせたAさんに学ぶ

長い間、ブログをやっていると時たま、おもしろい投稿が来たりする。先月、こんな投稿がAさん(都内在住)から来ていた。警察との戦いの様子が仔細にみてとれる。

◆「そこの自動車すぐ止まれ。バカ野郎!」と突然の罵声

20代始めにバイクの免許を取り、社会人になって普通自動車を取りました。スタンダードな免許ライフだと思います。若い頃は取締りをうければ素直に反則金を払っていました。ですが、ある取締りをうけて以来「警察官は敵だ」と認識するようになりました。反則金を払うのも、青切符や調書にサインするのも敵の利益になります。

そう考えるようになってから受けた取締りのことを聞いていただきたく筆を取りました。

ずいぶん昔の話です。高速道を快適に走っていました。他の自動車を抜くこともあれば、抜かれもするぐらいの速度です。

突如、罵声が浴びせられました。
「そこの自動車すぐ止まれ。バカ野郎!」
ルームミラーには覆面が映ってます。

カッとなってフルブレーキで止まりました。自動車を路肩に移動させ、停止させると、車検証と運転免許を持って、指示に従って覆面の後席に乗り込みました。

警官は車検証と免許証を見ながら書類を作ります。いわゆる赤切符(保管証)と取調調書です。調書は警察官が検察に提出して「被疑者はこんな悪い奴だ」と納得させる書類です。当然、一定の説得力が必要です。

警官 「目的地はどこ」
  「××です」

書類が書き上がりました。

警官 「これでいいね、署名して」
  「イヤです」

◆交通警察官と対峙する時、絶対に必要なのは「正直」です

車内はすでに真っ黒い雰囲気が漂ってます。
交通警察官と対峙する時、絶対に必要なのは「正直」です。警察官も手間を省くため自分の主観で書類を作ります。思い込みをほっといて書類を作らせると、とんでもないものが出来上がります。

書類が書き上がった時、「ここに『○○に急ぐため速度を超過していた』と書いてありますが、別に急いでません。書き直してください」
このやり方で56枚書かせて署名拒否しました。

◆警官の決めゼリフは「裁判になりますよ」

次に印字された数字を見せられました。当時は「追跡」と呼んでパトカーや白バイが一定時間、被疑者と同じ速度で走り計測していました。その数字が記され「以上の速度で走行しました」と署名欄があります。署名すると認めた事になります。

警官 「この速度で走ってましたよね。署名してください」
  「できません。だって、これ覆面の速度でしょう。私がどうかは判りません」
警官 「速度計ぐらい見ているでしょう。覚えてないのですか」
  「前見て走ってますよ。おまわりさんこそ、速度計見つめて走っているのですか。死にますよ」

警官の決めゼリフに「裁判になりますよ」がありますが、どうせ裁判になる速度でしたし、こちらも一度は交通裁判を受けた身。内容は知っています。

速度欄に署名無しで済ませるわけはないらしく、警察官は道路管理の自動車を呼びました。到着するまで二時間ほどかかりました。さすがに飽きてきて「もう行って良いですか」とたずねても「もう少し待ちなさい」と制止されます。

◆警察の交通取締りは自白あるいは運転者への押し付けによって成り立っている

「住所氏名不明」「逃亡」「証拠隠滅」の三つがそろうと逮捕条件が成立します。「逃亡した」とか言われてもイヤなので、管理者が来るのを待ちました。いま思い返せばパトカーの中でウンコしてやれば良かったと思います。

パトカー内で待っていると、明白な速度違反の自動車が横を通り過ぎていきます。
「あれは速度違反ですね」と私が指さすと、
「だからなに? あなたみたいな警官がいるから事故が減らないんだ」

この後、警察に呼び出され、試験場で悶着があったのですが、結果から言うと罰金、免停等一切無しとなりました。

警察の交通取締りが、自白あるいは運転者への押し付けによって成り立っている事例かと思います。

もし、よろしければ検察庁でうけた扱い、試験場での出来事も述べさせていただきたいと思います。

(Aさん・都内在住・56歳)※記事にはAさんの許可を受けて、少し手を入れた。

これは、警察に逆らっても「よし」となった希有なケースだ。機会があれば、追加原稿をもらおうと思う。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』5月号!
抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

4月26日に最高裁判決!死刑が宣告された長野一家3人殺害事件の深層

犯人にも被害者的な面がある事件がたまにある。10年に長野市で起きた会社経営者一家 殺害事件もその1つだ。あまり報じられていないが、事件の「首謀者」とされて死刑判決を受けた伊藤和史(37)は被害者家族から奴隷的な拘束をされていた。知られざる一家殺害事件の深層とは・・・。

◆「首謀者」の素顔

長野市のリフォーム会社の社員だった伊藤は10年3月24日、仕事を通じて知り合った松原智浩(45)や池田薫(40)、斎田秀樹(57)と共謀し、勤務先の経営者・北村博史(仮名、享年62)とその長男・礼司(仮名、同30)、礼司の内妻・香田葉子(仮名、同26)をいずれもロープで首を絞めて殺害。現金約 416万円を奪うと、3 人の遺体をトラックで愛知県西尾市の資材置き場に運び、土中に埋めて遺棄した――。

最高裁。伊藤の判決公判が4月26日にある

伊藤が11年に長野地裁の裁判員裁判で受けた死刑判決によると、これが事件の概要だ。すでに松原は死刑、池田は無期懲役、斎田は懲役18 年が確定。「首謀者」とされる伊藤は最高裁に上告中だが、その上告審も3月29日に弁護側と検察側が意見を述べる公判が開かれて結審し、4月26日には判決が宣告される。

筆者は一昨年の秋、伊藤と初めて面会した。一家3人の命を奪った「首謀者」がどんな人物か確かめたく、東京拘置所まで訪ねたのだ。

「はじめまして。寒い中、わざわざありがとうございます」

スウェット姿で面会室に現れた伊藤は思ったより若く、くりっとした目が印象的。いかにも親しみやすい雰囲気を漂わせており、拍子抜けするほど普通の男だった。

◆何でも気さくに話すが・・・

今は東京拘置所に収容中の伊藤。獄中生活は被害者たちの拘束下にあった時より楽だという

以来1年余り、筆者は伊藤と面会や手紙のやりとりをしてきたが、伊藤は第一印象の通り、何でも気さくに話すタイプだった。出身は大阪で、中学時代は吹奏楽部。中学卒業後、高校はどこも受からずに専修学校へ進んだが、勉強についていけずに中退。その後はコックやゴミ回収員、風俗店従業員として働いた。サッカーやビリヤードなど趣味が多く、花も好きなのだという。

ただ、事件のことは当初、話しづらそうだった。

「今思えば、他に何かあったように思うんです。でも、あの時はああするしか思いつかなくて・・・」

取材を進めるうち、伊藤が事件のことは話しにくい事情は理解できた。この事件は加害者と被害者の関係が特異なのだ。

◆心身共に疲弊して耐え難い心境

伊藤が制作したポストカード (1)

大阪の風俗店で働いていた伊藤が暴力団組員の真山文剛(仮名)に因縁をつけられて暴行され、家の合鍵を取り上げられたのは05年の夏だった。以来、伊藤は真山に言われるままに養子縁組をして姓を変え、消費者金融で借金させられたり、仕事で得た金を取り上げられるように。この間、ビールジョッキで頭を殴られたり、包丁で足を刺されるなどの激しい暴行も受けていた。

そして翌06年1月、伊藤は被害者の北村親子と出会う。北村礼司が真山の舎弟だった縁だ。やがて伊藤は北村博史が営む高利貸し業を手伝わされるようになるが、08年の夏、衝撃的事件が起こる。兄貴分の真山を疎ましく思っていた礼司が真山を拳銃で撃ち殺したのだ。

その場に居合わせた伊藤は、礼司から真山の遺体の遺棄を手伝わされ、その後は博史の営む会社で働かされることに。長野市の事務所の住み込みにされ、09年からは監視カメラの設置された北村親子宅で同居させられた。

それ以降、伊藤は朝から夜まで博史の会社で働かされ、収入を得るために深夜は別の仕事をし、1日3、4時間しか眠れない日々が続く。休日も博史や礼司の付き人や運転手として拘束され、暴力も頻繁にふるわれた。「大阪の妻子に会いたい」と再三訴えたが、「真山のようになってもいいのか」と脅かされ、帰宅できたのは盆や正月、自宅が火事になった時などだけだった。

伊藤は疲弊し、逃げ出したいと考えた。だが、北村親子が高利貸し業の債務者が逃げた際に住民票の除票から住所を突き止めたのを知っていた。逃げても逃げ切れないし、家族にも危害が及ぶかもしれない。北村親子は警察と懇意にしており、警察も頼れないと思えた。

やがて伊藤は、この生活から解放されるには北村親子を殺すしかないと考えるように。翌10年には、同僚の松原も「同じ考え」だと知る。そして松原と共に同僚の池田や取引先の斎田も引き込み、犯行に及んだ――。

以上、事件の経緯は主に控訴審判決を元にまとめたが、控訴審判決は犯行時の伊藤を〈心身共に疲弊して耐え難い心境〉だったと認め、同情的だ。だが、〈殺害以外の適法な方策を選択することが可能であった〉と裁判員裁判の死刑判決を追認したのだ。

伊藤らは北村親子のみならず、現場の北村親子宅に居合わせた礼司の内妻・葉子も突発的に殺害したのだが、それがなければ死刑判決はなかったろうと筆者を考えている。

※なお、礼司による真山銃殺事件はこの事件と共に発覚し、伊藤も死体遺棄で有罪とされている。

◆「逃げるための手段だった」

伊藤が制作したポストカード (2)

「私はこれまで伊藤さんが死刑になるべきだと思ったことは一度もないんです」

そう言い切るのは、逮捕直後から弁護人を務め、400回以上の接見を重ねてきた弁護士の今村義幸だ。

伊藤は後頭部にビールジョッキで殴られた跡、左足の腿の前後と左腹にはガラスで刺された跡がある。今村によると、これらの痛々しい傷跡はすべて真山の暴力によるものだが、伊藤は「真山さんの暴力より、北村さん親子の精神的支配がきつかった」と言っているという。

「弁護士をしてわかったことですが、人はすごく弱く、とくに精神面の抑圧にもろい。伊藤さんにとっては、何より家族と会えない状態が続いたのが大きかったんです」

裁判では、伊藤らの犯行は金目当ての面もあったと認定されている。だが実際には、伊藤と松原は斎田に相応の報酬を支払い、遺体の運搬を頼むと決めており、金を盗んだのは主にそのためだった。

「お金を取り、報酬を支払うことは、伊藤さんたちにとって北村さん親子から逃げるための手段だったんです」

北村親子宅には数千万円単位の金があったのに、伊藤らが盗んだ金は約416万円だけだったことがこの今村の説明を裏づけている。

◆「感謝しております」

手紙をくれる時、封筒の表書きと裏書はいつも毛筆

伊藤は今、日々、被害者のために読経にいそしんでいる。それと共に支援者らのサポートをうけ、自作の絵をポストカードにする活動に打ち込んでいる。「伊藤和史という存在をできる限り、色々な形で残したい」という思いが創作意欲の源だ。
 
面会に訪ねると、その後たいてい手紙をくれるが、いつもこちらが恐縮するくらい丁重な謝礼がしたためられている。

〈普段、会話の出来ない私に、会話するチャンスを与えて下さり、とても感謝しております〉
〈片岡さんの大切なお時間を私と向き合うお時間として費して頂いたこと、大変に感謝しております〉

この律儀すぎる男を取材しながら、筆者は何度も自問した。仮に自分が事件当時の伊藤だったら、どんな選択をしたろうか、と。確信できる答えが見つからないでいる。

◎伊藤や共犯者たちを支援する「死刑をとめよう!長野の会のブログ 彼らと生きたい!」
http://blogs.yahoo.co.jp/yopparai_nagano/61341891.html

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)

《速報》堅川SLAPP訴訟で東京地裁が不当判決!

3月29日15時から東京地裁429号法廷でいわゆる「堅川SLAPP」訴訟(平成27年[ワ]第4562号 損害賠償請求事件、佐久間健吉裁判官)の判決言い渡しが行われた。判決は「被告に39,614円の支払いを命じる」という内容であった。

この裁判は原告である「地方公務員災害補償基金」が被告の園良太氏に対して、江東区の職員Kが「首を絞められた」として損害賠償請求を提起した裁判だ。

園良太氏

事件の背景や経過は、「堅川SLAPP訴訟をたたかう会(https://tatekawaslapp.wordpress.com/)」に詳しいのでご参照いただきたい。

極めて簡略な要約をすれば、園氏が江東区職員K氏の「首を絞めた」との原告の主張に対する民事の損害賠償事件である。しかし争いの事実が存在しているのであれば、本来園氏は刑事事件として「暴行」なり「傷害」なりで事件直後に取り調べの対象のなっていなければおかしい。

偶発的な「喧嘩」や「もめ事」で当事者同士が損害賠償を争う(民事係争や法廷外での示談交渉)ことは珍しくはないが、「地方公務員災害補償基金」という公的機関が職員を暴力行為の被害者に仕立て上げるのであれば、まず警察なり、検察なりに園氏が暴力を振るった事実を訴え出るのが筋だ。

事実として「傷害」なり「暴行」の犯罪があれば、公務員にはそれを告発する法的な義務がある(刑事訴訟法239条2項「官吏又は公吏(筆者注:公務員のこと)は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」)。これは訓示規定ではなく、したがってK氏(あるいは「地方公務員災害補償基金」)は刑事訴訟法上の義務を無視しながら、民事訴訟で損害賠償を行うという歪んだ行為をあえて意図的に行っていると解釈せざるを得ない。

原告から証拠として提出されたビデオ映像には、園氏が手を伸ばした場面は撮影されているものの「首を絞めた」場面はなく、法廷ではスケッチによる「証拠」が原告側から示されたという。しかしその内容や主張は度々変わっている。

本当に園氏がKの首を絞めた事実があったと私には到底思えない。判決後、園氏に見解を聞いた。

「この裁判は思想弾圧裁判の典型だと思います。被害とされる事実はそもそも存在しないのに、無茶苦茶な内容を押し付けてくる。証拠とされるスケッチは捏造され内容も途中で変わっていますが、判決文の中では裁判官は『それでも良い』というような表現をしている。証拠の不確実性を全く問題にはしていません。診断書があれば証言の変節も問題なしとしている。全く思考停止の判決です。この判決が適用されれば誰しもがこのような手段で弾圧を被る道筋をつけた。いつの行為かわからない、しかも事実がなくても権力に対する損害賠償を認めるという点で、この判決は権力が市民を弾圧しようとすればこんな無茶が通ると認めた点で深刻であり、全く不当な判決です」(園良太氏)

開廷を前に14:45から傍聴券が配布された。60名近くが傍聴券を求めて列をなし、東京地裁前には30名を超える公安警察があつまり、傍聴希望者の姿をビデオ撮影していた。

判決主文が言い渡されると被告の園氏は「不当判決を弾劾する!」と声をあげ、傍聴席からも次々に抗議の声が上がった。判決言い渡しであるから要する時間は数分であることは明白であるにもかかわらず、悪名高き東京地裁429号法廷(常時警備法廷)の入り口には多数の職員や公安警察が壁を作り、法廷内にも25名以上の職員が監視を行っていた。

この裁判を報じたマスコミはないだろう。しかし弾圧の水位は日常の中でじわじわと上昇していく。事実無根を根拠にした園良太氏への思想弾圧裁判は権力へ抵抗するものへの見せしめ以外の何物でもない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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