ムエタイの基本技、忘れて欲しくないヒジ打ちの存在 堀田春樹

◆ヒジ打ちの名手

過去、国内でヒジ打ち一発で勝負が付いた試合はどれぐらい存在するだろうか。あっけなく勝負が付く半面、感動的なフィニッシュも多く存在しました。

現在のキックボクシング界において、団体によってルールは微妙に異なるところは有りつつ、ヒジ打ち有効の団体と禁止されている団体等、または各々の試合毎に異なる場合もあります。

平成以降のK-1等のテレビ全国放送でヒジ打ち禁止の試合を放送されてから、多くの一般視聴者はヒジ打ちの認識が薄いという傾向が強くなっているかもしれません。

昭和40年代のキックボクシングブームで、沢村忠さんが主役の漫画「キックの鬼」主題歌でも「ヒジ打ちかわして」といった歌詞が含まれているほど創生期から間違いなく存在する技で、ヒジ打ちの名手・飛馬拳二さんの得意技としての存在感もありました。

低迷期を脱し安定期に入った昭和60年代のMA日本キックボクシング連盟では3回戦(新人戦)はヒジ打ち禁止。5回戦(ランカークラス)ではヒジ打ち有効としたルールが定着。後に復興した全日本キックボクシング連盟でも同様に、その後、新団体が設立されても、それまでに定着したルールを基に改訂されながら活動が続けられてきました。

サーティットvs伊達秀騎。ヒジ打ちで危なっかしい交錯を味わった伊達秀騎(1994年10月18日)
ヒジ打ちをしっかり学んだソムチャーイ高津(1991年頃)

◆ヒジ打ちのステータス

「早く5回戦に上がってヒジ打ち使いたかった」という選手も大勢居た時代は、「キックボクシングはヒジ打ち有りだよ」と教えられてきた昭和から平成初期世代で、ヒジ打ち禁止ルールはキックボクシングの存在意義が分からないという当時の選手も居ます。

ヒジ打ちは頭蓋骨陥没など危険が伴う過激な技であることは事実ながら、ムエタイから倣った基本的な技として、顔面を切る(皮膚を裂く)場合は負傷による試合続行不可能に追い込む手段となります。パンチで切れても同様の処置となり、偶発的なものでなく鮮やかに狙ったヒジ打ちで負傷TKOすることが警戒される存在感としたステータスとなっていくのでしょう。

ヒジ打ちは「しっかりガツンと当たらないと切れないので、パンチで言えば一発KO狙うくらいの勢いが必要」と経験者は言います。

パンチ同様に効かせて倒す(脳震盪起こす)ヒジ打ちは、至近距離でのアゴ狙いや側頭部へ狙い撃ちしてノックアウトに結び付ける選手も多く居ました。

1990年代にタイの地方へ遠征したソムチャーイ高津(格闘群雄伝No.7)は劣勢だった試合をヒジ打ちをヒットさせて形勢逆転させ、相手はかなり流血して2度のドクターチェックがあってもレフェリーは試合を止めず、地元選手を負けさせないが為の強引に行かせるパターンもあるのが昔の田舎ムエタイでもありました。

武田幸三を苦しめた北沢勝のしぶとさとヒジ打ち(2000年1月23日)

また、レフェリーの偏った判断でなくても、歯が頬を突き抜いていても続行した例もあり、視界がはっきり見えているかで判断する場合もあると聞いたこともあります。

切られたら瞬時に切り返す。そんな強引なタイのファイター型も居た昔の選手。ヒジで切られた瞬間、レフェリーに割って入られる前に、反射的にすかさずヒジ打ちで切り返す。それが成功しなくてもやるだけやってみる。執念で試合続行不可能道連れに持ち込む手段も見られた本場ムエタイです。

◆ヒジ打ち禁止の影響

日本においては負けている展開で、逆転狙いのヒジ打ちは最大限に重要視される打撃で、禁止されると困惑するという選手の意見も聞きます。

ヒジ打ち容認団体でも試合によってはヒジ打ち禁止ルールが用いられる場合もあります。ムエタイテクニシャンとの対戦ではヒジ打ち禁止ルールにすることで、形式上は公平さを保ちながら実質的ハンディキャップとしてしまう場合が暗躍します。

ヒジ打ちには拘っていなくても、しっかり習得しているオールラウンドプレーヤーでは、「距離感とかタイミングはヒジ打ちの代用としてヒザ蹴り、アッパー、左右フックなどあるので、特に問題無いです」と、意外にもヒジ打ちだけが禁止なら、あまり違和感は無いと言う選手も多く、「首相撲の規制や蹴り足を掴む行為の禁止、3回戦制の方が不利に傾く影響が大きい」という別の見方も浮上します。

K-1はヒジ打ちが無い分、高度なパンチとコンビネーション、テーンカオ(離れた距離からの突き刺すヒザ蹴り)を持った選手が増えたことはこのルール上の進化なのでしょう。

最近の画像から、大翔の縦ヒジ打ちが眞斗の眉間を切り裂く直前(2021年8月22日)

◆今後の方向性

ヒジ打ちであっけなく試合が止められるシーンは、テレビでは視聴者に伝わり難いものです。

更に「流血における過激なシーンはテレビ番組にはそぐわない」といった話を5年ぐらい前に聞いたことありますが、そう言えば昔のプロレスで“血だるま”という表現された大流血シーンは全く見なくなった気がします。

テレビ放映の在り方は昭和時代から大きく変わってきましたが、多くのスポーツ競技、エンターティメント番組、ドラマでも表れている過激さ制限の時代でしょう。

海外においても文化・風習によってヒジ打ちルールは有りと無しに分かれ、今後も共存していくと考えられますが、ムエタイと元祖キックボクシングは基本ルールから崩れないよう進化していって欲しいものです。

馬渡亮太vs大田一航。ムエタイスタイルの馬渡亮太もヒジ打ちを多用する選手(2021年8月22日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年4月号!

議論を尽くせなかったIPCの個人参加取り消し決定 オリンピック・パラリンピックの意義は? 横山茂彦

「平和の祭典」「障がい者の参加」を謳う、北京冬季パラリンピックが開幕した。いっぽうで、平和の祭典開催中にもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻は止まない。

この問題から、ロシアとベラルーシの選手が国の代表はもとより、個人参加も許されなくなった。IPC(国際パラリンピック委員会)は停戦決議に反したこと、抗議があったので安全な開催を選んだと、その理由に挙げている。

しかし、決定の前日(3月2日)には、いったん個人参加を認めていた。はたして議論を深めた結果なのだろうか。今回の問題の背景と課題を提起しておこう。

ロシアのウクライナ侵攻は、12月3日に国連総会で決議されたオリンピック停戦(開催前後7日間は紛争や戦争を停止する)に抵触する。これは明白な事実である。

この事実をもとに、IPCは国家の枠外での選手の個人参加を認める決定をしたが、一転して個人参加をも禁止したものである。


◎[参考動画]ロシアとベラルーシの選手団 北京パラリンピックへの出場一転不可に IPCが発表(TBS 2022年3月3日)

◆オリンピック休戦

オリンピックが、戦争を停戦(休戦)させる。戦争という究極の国権発動を左右するのだから、オリンピックの存在自体には、きわめて政治的な意味(意義)がある。

もともとオリンピックが古代ギリシャ諸国の、戦争に代わるイベントとして発祥したこと。パラリンピックが負傷兵たちのために、手術よりもスポーツによる回復(リハビリ)をめざしたものである。パラリンピックの起源は、第二次大戦後、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。

そうであれば、平和の祭典そのものが戦争に対しては政治的なものと言える。それは同時に、国家の争闘をこえた、個人参加の祭典でもあったのだ。もともとオリンピック・ムーブメントは、個人およびチームによるものだったからだ。

その意味では、最初にIPCが決定した個人参加の承認は、パラリンピックの精神を体現したものだったと言えよう。国旗を掲げず、メダルの数も国別にカウントされない。

しかしそのいっぽうで、ウクライナの記者が会見の時に掲げた、戦禍に倒れた選手の写真は重かった。「もうこの選手はパラリンピックに、永遠に参加できないのです」という主張。いまも戦火のなかで、防空壕のなかに入っている選手がいる事実は、重い主張として突き付けられたのである。

ウクライナほかの選手団が「ロシアの選手と試合はできない」と訴えたことで、IPCは「安全な開催」を名目に、ロシア・ベラルーシの選手の個人参加を取り消したのである。もっともな主張であり、判断であるといえるかもしれない。

◆議論は尽くされたのか?

しかし、なのである。国家の枠をこえて、個人参加しようとした選手たちを、排除していいのだろうか。

オリンピック・パラリンピックの開催地をギリシャ(アテネ)に限定し、国連がIOCに代わって主催者になる、という主張が、このかんのオリンピック弊害にたいして主張されてきた。巨大利権にふくれ上がったIOCに引導を渡せば、次回からでも実現できそうなプランである。

金額的にも施設規模も超巨大化し、主催国の政治的な思惑に従属した開催形式に疑問が提起されてきたのである。もうひとつ、いまだ議論の俎上にのぼっていないが、国別の参加ではなく個人・チームでの参加によって、国家主義・ナショナリズムをも超えられるはずだ。

今回、戦争によって現状変更しようとしたロシアの前時代的なウクライナ侵攻。それを批判する国際的な世論を背景に、IPCは国家の枠をこえた選手の交流を禁じたのである。その意味では、心から同情せざるをえないとはいえ、ウクライナおよびウクライナを支持する人々は、パラリンピックを政治的に利用したのである。すくなくとも、IPCの「事なかれ主義」によって、選手をまじえた議論が尽くされなかったのは事実である。

政治的に利用するのならば、むしろロシアとベラルーシの選手たちを個人参加させ、かれら彼女らに「母国の戦争行為反対」を語らせるほうが、何倍も政治的な効果があったのではないか。今後のオリンピック・パラリンピックのあり方のために議論を提起したい。このことばかりを言いたいために、本稿を起こした。パラリンピック参加選手たちの健闘、ウクライナ情勢の平和的な解決を祈念したい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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髙橋一眞、3度目の防衛で東京最後の試合を飾る! 堀田春樹

この興行でもコロナ感染や濃厚接触者発生で、2試合の中止が発生しました。

昨年10月予定からコロナ禍影響で延期となっていたNKBライト級タイトルマッチ、髙橋一眞は今回3度目の防衛戦を判定勝利で棚橋賢二郎を退け、東京での最後の試合を飾りました。次回、7月31日(日)の大阪176BOXで引退興行開催予定です。

過去2018年12月8日に髙橋が2度目の防衛戦で、棚橋の強打を貰わない上手い試合運びで3ラウンドKO勝利。今回もスリルある“倒すか倒されるか”の攻防に期待が掛かりましたが、打ち合い少ない展開に声援禁止にもかかわらず、鋭い怒りの野次が飛びました。

今回で引退を宣言している藤野伸哉はヒザ蹴りで野村玲央を最終ラウンドで仕留める有終の美。

笹谷淳は試合運びの上手さでJUN DA LIONを倒して1年ぶりの勝利。

◎喝采シリーズ 1st / 2月19日(土)後楽園ホール17:30~20:40
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第11試合 NKBライト級タイトルマッチ 5回戦

Champ.髙橋一眞(真門/1994.9.7大阪府出身/61.2kg)     
VS
同級1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県出身/60.9kg)
勝者:髙橋一眞 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木50-48. 川上48-47. 佐藤49-48

打ち合いの距離では棚橋賢二郎の剛腕が怖い

髙橋一眞のローキック中心とした前進。棚橋はパンチは出さず、返しの軽いローキックで様子見の下がる一方。第2ラウンドに入って、高橋一眞は強めのローキックから高めの蹴りも見せるが棚橋は返してこない消極的戦法。高橋一眞が棚橋の強打を警戒しながら前進して誘いかけるが、棚橋が下がる展開は3ラウンドまで静かな流れが続いた。

第4ラウンド開始前には会場から「つまんねえんだよコノヤロー、サッサと倒せよコノヤロー!」と静かな会場に響く、周囲が緊張する語気強い野次が飛ぶ。“倒すか倒されるか”のキャッチフレーズを煽りながら、全く打ち合いに行かない想定外の展開にキレるのも分かる空気。ようやく棚橋が左ジャブを打ち、打撃の交錯が始まったが、高橋一眞はパンチの距離は避けたいところで、組み合ってヒザ蹴りに移り、棚橋はパンチを打ち込み難い展開も、やや手数増やし前進に転じた後半で判定に縺れ込んだ。

第4と5ラウンドを棚橋に付けたジャッジは一人。もう一人は第5ラウンドだけ棚橋へ。もう一人は互角だった。前半3ラウンドまでに手数少ないながらローキックで攻勢維持した高橋一眞のポイントを押さえたラウンドが勝利を導いた流れだった。

髙橋一眞のローキックは感度も効果的にヒットした
昔のテレビ放送席のような雰囲気でインタビューに応える高橋一眞
蹴りで攻勢を維持した藤野伸哉はヒザ蹴りで仕留めた

高橋一眞は26戦17勝(12KO)9敗。

棚橋賢二郎は18戦9勝(7KO)8敗1分。

◆第10試合 ライト級 5回戦

WMC日本スーパーフェザー級2位.藤野伸哉(RIKIX/1996.5.31東京都出身/61.15kg)
VS
NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/1990.3.27東京都出身/60.75kg)
勝者:藤野伸哉 / TKO 5R 1:37 /
主審:加賀美淳

両者は2018年6月16日に対戦、藤野がノックダウンを奪って3ラウンド判定勝利。

パンチで圧力掛ける野村。蹴りのテクニックでやや優っていった藤野は接近戦でヒザ蹴りもヒットさせスタミナを奪っていく流れ。

最終ラウンドには強烈なヒザ蹴りでスタンディングダウンを奪い、更に追い打ちのヒザ蹴りヒットさせたところで、苦しそうな野村は再びスタンディングダウンとなってレフェリーが試合ストップした。

藤野伸哉は23戦13勝(4KO)7敗3分。

野村玲央は20戦8勝(5KO)10敗2分。

藤野伸哉の応援団が引退の花道を飾る

◆第9試合 66.4kg契約3回戦

NKBウェルター級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/1975.3.17東京都出身/66.3kg)
     VS
NJKFウェルター級3位.JUN DA LION(E.S.G/1976.8.3埼玉県出身/65.8kg)
勝者:笹谷淳 / TKO 3R 0:45 /
主審:佐藤友章

第1ラウンド、蹴りの攻防は笹谷淳の蹴りから組み合っても圧し負けない展開が続いた。笹谷は左ストレートでプッシュ気味ながらノックダウンを奪う。

第2ラウンド以降も笹谷が組み合っての攻防の中、ヒジ打ちでJUNの額を切る。第3ラウンド、パンチから蹴りがボディーに入ると崩れ落ちたJUN。ダメージ見たレフェリーがノーカウントで試合を止めた。経験値が優った笹谷淳のTKO勝利。

笹谷淳が勢いを増した左ストレートでJUN DA LIONを追い詰める

◆第8試合 フェザー級3回戦

NKBフェザー級5位.矢吹翔太(team BRAVE FIST/1986.8.2沖縄県出身/57.0kg)
     VS
半澤信也(トイカツ/1981.4.28長野県出身/57.1kg)
勝者:矢吹翔太
主審:川上伸
副審:加賀美30-29. 前田30-29. 佐藤30-28

パンチで攻めたい半澤信也に対し、矢吹翔太は組み合っての攻防でスタミナを奪う流れ。決定打は無い流れも攻勢を維持した矢吹が判定勝利を掴む。

矢吹翔太が半澤信也の勢いを封じる展開で勝利を導く

◆第7試合 ミドル級3回戦

NKBミドル4位.釼田昌弘(テツ/1989.10.31鹿児島県出身/72.55kg)
     VS
スーパー・アンジ(KUNISNIPE旭/1999.10.28千葉県出身/72.1kg)
勝者:スーパー・アンジ / KO 2R 2:58 /
主審:鈴木義和

アンジはパワフルな圧力でパンチも蹴りも剱田昌弘を上回った。第2ラウンドに豪快な左ロングフックヒットでノックダウンを奪うと更にパンチの圧倒で2度目のダウンを奪い、更にパンチで圧倒したところで剱田がフラフラとなってレフェリーがストップし、3ノックダウンを奪う結果となった。

スーパー・アンジがパワフルに剱田昌弘を圧倒していく

◆第6試合 フェザー級3回戦

松山和弘(ReBORN経堂/2000.3.15宮崎県出身/58.15→57.6kg/+450g)
     VS
七海貴哉(G-1 TEAM TAKAGI/1997.4.17東京都出身/56.9kg)
勝者:七海貴哉 / KO 1R 2:43 / 2ノックダウン制によるストップ
主審:加賀美淳

松山和弘はウェイトオーバーにより減点1が課せられた。

パンチとローキックの攻防から七海のリズムが優っていく中、右ストレートでノックダウンを奪う。更にパンチで攻める中、松山は弱気な表情に変わる。七海がパンチで攻め続けた中、松山2度目のノックダウンとなって崩れ落ちた。

七海貴哉がパンチで圧倒していくと松山和弘は戦意喪失気味

◆第5試合 バンタム級3回戦(新人)

中島隆徳(GET OVER/2005.4.8愛知県/52.95kg)
     VS
安河内秀哉(RIKIX/2003.10.7東京都/53.4kg)
勝者:中島隆徳 / KO 2R 1:23 / カウント中のタオル投入による棄権
主審:佐藤友章

第1ラウンド開始早々に左ストレートでノックダウンを奪う中島が主導権を奪った展開で安河内は蹴りでやや持ち直したが、第2ラウンドに仕留められてしまった。

スピード感が優った中島隆徳は飛びヒザ蹴りも見せる勢い優る展開

◆第4試合 56.0kg契約3回戦(新人) 笠原秋澄欠場で翼出場

蒔田亮(TOKYO KICK WORKS/2000.6.23千葉県/55.6kg)
     VS
翼スリーツリー(ダイケンスリーツリー/1997.7.2山梨県/55.8kg)
勝者:蒔田亮 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田30-25. 川上30-25. 加賀美30-25

◆第3試合 女子57.0kg契約3回戦(2分制/新人)

寺西美緒(GET OVER/1995.11.27愛知県/56.8kg)
     VS
田中美宇(TESSAY/1994.7.30新潟県/56.2kg)
勝者:寺西美緒 / 判定2-0 (30-28. 30-28. 29-29)

◆第2試合 63.0kg契約3回戦(新人)

哲太(Team S.A.C/1997.11.26千葉県/62.5kg)
     VS
折戸アトム(PHOENIX/1982.3.1新潟県/62.95kg)
勝者:折戸アトム / 判定0-3 (28-30. 29-30. 28-30)

◆第1試合 59.0kg契約3回戦(新人)

合田努(TOKYO KICK WORKS/1989.5.18愛媛県/58.75kg)
     VS
古木誠也(G-1 TEAM TAKAGI/1996.11.10神奈川県/58.2kg)
勝者:古木誠也 / 判定0-3 (27-30. 28-30. 26-30)

《取材戦記》

髙橋一眞の引退理由は「デビューして10年。満足いくまで戦えたからです。デビューから6連勝(6KO)で天狗だった頃、初めての敗戦の悔しさ、フェザー級のベルトを獲り損ねた悔しさ、連敗から抜け出せず諦めそうになったこと。チャンピオンになり一つの夢が叶ったこと、三兄弟で三階級を制覇したこと。KNOCK OUTに参戦出来た嬉しさ。世界最高峰王者、ヨードレックペットと戦えたこと。思い返せばいろんな思い出が蘇って来ます。ほんとに幸せな10年間でした。残る試合を自分らしい試合をして燃え尽きたいと思います(主催者発表インタビュー、一部引用)」。

試合直後のマイクアピールでは「棚橋選手はパワーあるしパンチ強いしビビったあ~!」と本音を漏らした髙橋一眞。

試合展開については緊張のあまりか、前半の手数少ない戦略や攻防も、野次が飛んだことも覚えていないと言う。健闘を称えに控室を訪れた高橋一眞は、ローキックの攻防について打ち明けていた両者。高橋は引退を宣言しているが「まだ3度目の対戦も有り得るから効いたところはバラすなよ」と言いたいところだった。

デビューから6連勝したこ頃は確かに太々しさが表れていた高橋一眞。3連敗から立ち直った頃がメインイベンターとした風格が感じられたものである。引退まであと一試合、“倒すか倒されるか”に全力で挑んで貰いたい。

セミファイナル出場の藤野伸哉も今回が引退最終試合。

引退試合に際し、NO KICK NO LIFEがホームリングでRIKIXジム所属である藤野伸哉に対し、しっかり5回戦が設定。5回戦だから展開出来たテクニックでのTKO勝利は感動的でもありました。

藤野伸哉は公認会計士講座講師として将来設計あっての引退となる模様です。

「日本キック連盟でのテンカウントゴングに送られるのか」と意外な感じもしたところで、記念贈呈品も無い、シンプルな引退テンカウントゴングが打ち鳴らされました。

若くしての引退は復帰したくなる気持ちが高くなる可能性もあるだけに、高橋一眞と藤野伸哉には、数年経った頃に徐々に復帰を誘いかけたら面白いかもしれません。

次回、日本キックボクシング連盟興行「喝采シリーズvol.2」は4月23日(土)に後楽園ホールにて開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

カード変更を余儀なくされつつ、好カードを維持したNJKF 2022.1st 堀田春樹

コロナ渡航制限が長引き、中止カードは国際タイトル戦が2試合、大田拓真は代打カード発表後に濃厚接触者となって国崇(拳之会)戦も中止。国内戦も代行カード2試合有り、波乱のカード編成となった。

メインイベントはジャパンキックボクシング協会から乗り込んでのWBCムエタイ日本ライト級王座初防衛戦に臨んだ永澤サムエル聖光は元・ウェルター級チャンピオンの健太を判定で退けた。

前田浩喜は過去ノンタイトル戦で、判定で下している大輔に2-1の僅差判定勝利でNJKFタイトル三階級制覇。

NJKFフライ級王座挑戦者決定トーナメントは4名参加による準決勝戦2試合で、勝ち上がった嵐と吏亜夢が次回6月5日興行で挑戦者決定戦が行われ、年内にはチャンピオンの優心(京都野口)に挑戦となる予定。

以下二つの国際戦中止カードは延期として次期開催予定

WBCムエタイ・インターナショナル・フェザー級王座決定戦5R
大田拓真vs世界19位.トミー・7ムエタイジム(イタリア) 

S-1レディース・バンタム級 世界決勝戦5R
SAHOvsザ・スター・ソウクリンミー(タイ) 

◎NJKF 2022.1st / 2月12日(土)後楽園ホール17:30~21:05
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:WBCムエタイ日本協会、NJKF

◆第9試合 WBCムエタイ日本ライト級タイトルマッチ 5回戦

第6代チャンピオン.永澤サムエル聖光(ビクトリー/1989.11.10埼玉県出身/60.9kg)
     VS
挑戦者・同級1位.健太(E.S.G/1987.6.26群馬県出身/60.9kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定3-0
主審:和田良覚
副審:少白竜50-46. 竹村50-47. 中山50-46

パンチとローキック中心の静かな探り合いは様子見で、一気に仕留める気配は無いものの、第2ラウンドには永澤サムエル聖光のローキックが徐々に健太の脚を捕らえて主導権を奪った流れに傾いていく。以前のような日焼け褐色から色白に変身した健太の脚と脇腹は赤く腫れる箇所が増えていった。

第4ラウンドには永澤のローキックで健太がバランスを崩し効いた様子が見られるが、永澤が偶然のバッティングで眉間辺りを負傷。負傷判定ルールは採用されない為、続行かTKO負けかの緊張が走る。あと強い一発か数発のローキックで健太は崩れそうなところ、しつこくは行かず、パンチで顔面からボディーも狙って圧倒した展開で終了。永澤が大差判定で健太を突き放した。

主導権を奪った永澤のローキックが健太の脚を麻痺させていく
永澤の積み重ねたローキックで健太は動きが止められていく
リング上では滅多に笑顔を見せない永澤が応援の声に応える

◆第8試合 第13代NJKFフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.大輔(TRASH/56.85kg)vs2位.前田浩喜(CORE/57.1kg) 
勝者:前田浩喜 / 判定1-2
主審:宮本和俊
副審:和田49-48. 竹村48-49. 中山47-49

前田浩喜は元・NJKFバンタム級とスーパーバンタム級チャンピオン。最初の獲得が2007年とキャリアは長い。

大輔がパンチで距離を詰める流れだが、前田の蹴りのディフェンス力が凌ぎ、コーナーに詰められてもパンチやヒジ打ちで返すのは落ち着いたベテランの捌き。

第3ラウンドまでの公開採点がやや遅れて第4ラウンドに入ってからの公開だったが、29-29、30-28、30-28で前田がリードしていることがしっかり聞こえたか、大輔は前進を強めた蹴りと、首相撲からヒザ蹴りと前田を下がらせる。最終ラウンドも大輔の勢いがあったが、前田も蹴り返しで大輔を追い詰めると流れを取り戻した感じで終了。際どい判定ながら前田が辛くも勝利を拾いNJKFでの三階級制覇。

後半の大輔の巻き返しに迎え撃つ前田浩喜
蹴りのコンビネーションはベテラン技となる前田浩喜、大輔の突進を阻止
三階級制覇となった前田浩喜

◆第7試合  54.0kg契約3回戦 (松岡宏宜がコロナ濃厚接触者となる影響で欠場、井原駿平出場)

井原駿平(ワイルドシーサーコザ/53.6kg)vs誓(ZERO/54.0kg)
勝者:誓 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:和田27-30. 竹村28-30. 宮本27-30

誓は前・NJKFフライ級チャンピオン。誓は距離に応じてテクニックで優っていく。井原駿平の出方を覗い、離れればハイキック、距離を詰めればヒジ打ちやヒザ蹴り、井原のパンチを凌いで、倒すには至らぬもフルマークの大差判定勝利。

技の多彩さで井原駿平を圧倒した誓

◆第6試合 ライト級3回戦

NJKFライト級1位.吉田凛汰朗(VERTEX/61.05kg)
     VS
JKAライト級2位.内田雅之(KickBox/60.9kg)
引分け 三者三様
主審:竹村光一
副審: 中山29-29. 少白竜30-29. 宮本29-30

様子見は軽いパンチとローキック、若さの勢い有る吉田とベテランの落ち着き有る内田。第3ラウンドに組み合った際、偶然のバッティングで内田の眉頭が切れるが深くはない。吉田は攻勢に転じようと飛び蹴りも見せ、内田も右ロングフックやバックヒジ打ちがインパクト与えるが互いの決定打が無く、三者三様の引分けに終わる。

ロングフックやバックハンドブローも決定打とならずの内田雅之

◆第5試合 63.0kg契約3回戦(タイのピューポン・ゲッソンリット、コロナ規制で来日不能、梅津直輝出場)

NJKFライト級6位.梅津直輝(エス/62.95kg)vs同級2位.羅向(ZERO/63.0kg)
勝者:羅向 / TKO 1R 0:56 /
主審:中山宏美 

羅向が蹴りの距離での攻防から前進して、速攻の左ハイキックで梅津からノックダウンを奪い、パンチ連打で右フックを決め、梅津は二度目のダウンでカウント中にレフェリーストップとなった。羅向はこの日のMVPに選ばれました。

速攻ノックアウト勝利となった羅向

◆第4試合 NJKFフライ級王座挑戦者決定トーナメント準決勝3回戦

2位.悠斗(東京町田金子/50.7kg)vs6位.吏亜夢(ZERO/50.75kg)
勝者:吏亜夢 / 判定0-3
主審:宮本和俊
副審:和田28-29. 中山28-29. 竹村28-30 

上背と手足の長さが優位に展開した吏亜夢のハイキック。悠斗の強打を封じ、ヒザ蹴りも効果的に攻め、ブロックの上からでもハイキックでダメージを与えた吏亜夢が判定勝利。

◆第3試合 NJKFフライ級王座挑戦者決定トーナメント準決勝3回戦

5位.TOMO(K-CRONY/50.6kg)vs嵐(キング/50.9→50.8kg)
勝者:嵐 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:和田27-30. 中山27-30. 宮本27-30

ローキック中心の様子見からTOMOはハイキックが効果的に出るが、次第に嵐のパンチが目立っていく。第2ラウンド以降も嵐のパンチがTOMOの顔面を捕らえるシーンが増え、優勢を維持してフルマークの大差判定勝利。

次回NJKFフライ級挑戦権を争うことになった嵐と吏亜夢

◆第2試合 女子キック・スーパーフライ級3回戦(2分制)

NA☆NA(エス/52.05kg)vsARINA(闘神塾/51.6kg)
勝者:ARINA / 判定0-3 (28-29. 28-30. 28-30)

◆第1試合 スーパーフェザー級3回戦

龍旺(Bombo Freely/58.4kg)vs昴治(東京町田金子/58.3kg)
勝者:龍旺 / 判定3-0 (30-27. 30-28. 30-27)

《取材戦記》

偶然のバッティングで負傷した永澤サムエル聖光は、負傷判定の無いWBCムエタイルールで、続行不可能となったらTKO負けとなる為、頭が低くなりがちな健太と再度のバッティングを避け、無理にローキックでは行かなかった模様。それでも最終ラウンドも攻勢を維持した永澤サムエル聖光。

プロボクシングと採点の流れが違う本場ムエタイは負傷判定は無く(後半勝負重視)、WBCムエタイも本場式に倣っている模様。しかし採点基準はプロボクシングの流れを汲んでいます(各ラウンドの独立した採点)。

ジャパンキックボクシング協会から乗り込んだ形の永澤サムエル聖光(ビクトリー)は、2020年9月12日にWBCムエタイ日本ライト王座決定戦で、鈴木翔也(OGUNI)に判定勝利して王座獲得。コロナ禍の影響もあって防衛戦は延びたが、今回再びNJKFのリングに上がって初防衛を果たしました。今後はホームリングとなるジャパンキックボクシング協会ビクトリージム興行での防衛戦計画がある模様。

健太は国崇に続く100戦達成の功績を称え表彰を受けました。この日は敗れて全103戦62勝(18KO)34敗7分。

健太は元・WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン。NJKFではウェルター級(2度)とスーパーウェルター級王座の二階級制覇し、徐々に階級を下げ、ライト級まで落としてきました。これ以上は下げないでしょう。でも健太ならやりかねないと期待をしてしまう人は居るかもしれません。逆パッキャオパターンである。

健太は「僕にとっては100戦とはただの数字です。目の前にある試合をめがけて一戦一戦やってきたら、気付いたら100戦になっていました。まだまだこれから目の前の相手に向かって一生懸命努力して勝利を目指して勝って、負けても次の勝利を目指して頑張る、その積み重ねでございます。」とアピール。

「気が付いたら」というフレーズは一般人にも思い浮かぶもの。「気が付いたら還暦」という人も多いでしょう。

コロナ規制も緩和に向かう予測も大きく外れ、今回の興行に関して、カード中止時点の発表上は直接の感染者は居ませんでした。感染も発病もしない濃厚接触者としての中止はやるせない思いでしょう。来日不能となった選手も同様に、計画を狂わすコロナ恐るべしである。

次回「NJKF 2022.2nd」は6月5日(日)後楽園ホールで開催予定です。

4月24日(日)には春日部市でRITジム主催興行が2年ぶりに「絆XIV(14)」が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

ムエタイの伝統、「戦いの舞い」ワイクルーの存在 堀田春樹

◆ワイクルーの演奏

ムエタイにおける伝統や習慣として、長きに渡り続けられているものが幾つかあります。

波賀宙也は毎度、しなやかにワイクルーを舞う(2021年11月7日)

すでに取り上げたタイオイルもその一つでした。

タイでは試合前の、「戦いの舞い」と言われるワイクルーを踊る儀式があります。

普段からキックボクシングなど観ない一般の方々でも、過去、テレビでワイクルーを僅かながら観たことある人も居るかと思いますが、このワイクルーの起源は1774年、ビルマとの戦争が激化したアユタヤ王朝時代、ビルマに囚われの身となっていたナーイカノムトム戦士が、ビルマ戦士10名と戦い全員を倒し、捕虜の釈放とタイの自由を勝ち取った英雄として、小学校の教科書で紹介されるまでに語り継がれています。

ナーイカノムトムがワイクルーを舞った上で戦ったことから、ムエタイの試合前に必ずワイクルーを舞う伝統となって組み込まれてきました。

“ワイ”は拝むこと。“クルー”は主に先生、師匠を意味します。

ムエタイ試合での演奏をタイ語では、「ピームエ」と言い、ワイクルーの演奏は「ピームエワイクルー」で、試合中の演奏は「ピームエタイ」と言います。

“ピー”とはタイ式のパイプ笛で、「ピーチャワー」と呼ばれる管楽器を指す言葉で、これが中心となる演奏から、太鼓とシンバル(鐘)は省略されたような呼び方になっているようです。楽器隊のことを「ウォンピームエ」と言います。

4名で奏でる楽器隊ウォンピームエ。なぜか私が中央に居たのでボカシました(1990年5月)

◆キックボクシングに於いては

昭和40年代の全日本系(NTV、12ch)ではタイ選手との対戦ではワイクルーの儀式は組み込まれていたと思いますが、大半の日本側は踊らなかったとみられます。日本系(TBS系)ではキックボクシングとしての意地とプライドで特例を除き、ワイクルーは行ないませんでした。

後には日本人で、立嶋篤史がムエタイルールでの試合の際、サムライ風に踊ったこともインパクトを与え、他の日本選手も導かれるよう踊るようになっていきました。

現在のキックボクシング興行では、存在が定着したWBCムエタイや、ラジャダムナンスタジアム、ルンピニースタジアム公認試合等、タイ国発祥か拠点となる組織の認定でない限り、ムエタイルールとセットにする必要はないものの、キックボクシングルールに於いてもワイクルーを行なう場合有り、無しと、その興行主催者次第で何とも曖昧な儀式となっています。

ワイクルーを舞う、以前紹介の小林利典(1994年10月18日)
一般的モンコン。形や色、素材はいろいろ有り
モンコンを着けてロープを跨いで入場、決してくぐらない(1988年11月)

◆モンコンの意味

日本では、戦いのお守りとされているモンコンの扱い方の意味が浸透しないところはありますが、敬虔な仏教徒が多いタイでは、人の頭部は神聖なる魂が宿る部分と考えられている為、頭に着けるモンコンもそれだけ尊重されるもので粗末に扱う選手はいません。女性は触れてはならないもので、ジムや自宅に居る時は高いところに掲げ、選手がリングに向かう際、ジムの会長に祈りを捧げられながら着けて貰います。

その後も可能な限り他の物がモンコンより高い位置になることを避ける為、トップロープを跨いでリング内に入るところを見たことがある人は多いでしょう。決して格好よく入場しようという意図はなく、ロープを潜るのはタイの選手には居らず、日本では知らないか、拘りの無い選手はやってしまいがちです。

試合前のワイクルーを終えた後、祈りを捧げてモンコンを外すまでの役割を果たす会長は、前日から女性には触れないというほど厳しく扱う仕来りもあるようです。

タイでの結婚式で新郎新婦の頭を繋ぐ、製糸の輪っかが「モンコンラチャック」と言われ、モンコンそのものは幸福繁栄、または勝利をもたらす縁起の良いものと解釈されます。粗末に扱えば凶兆をもたらす恐れがあり、勝負事のムエタイで粗末に扱う者など居ないでしょう。

リングに向かう前、師匠が祈りと共にモンコンを選手の頭に捧げる(1995年3月24日)
試合直前、モンコンを外して貰う儀式(2021年1月10日)
四方のコーナーで祈って終わる日本選手は多い(2021年11月7日)

◆ワイクルーを踊る上での配慮

ワイクルーを踊る際はTシャツを着たまま踊らない方がいいと言われます。これはタイでも明確にルールで決まられている訳ではなく、神聖なリング上でのワイクルーに際し、仕来り的に嫌うタイのスタジアム関係者、プロモーターも居るということで、今後のタイでの活動にも不利に導かれないよう礼儀作法にも注意した方がいいでしょう。

昔、藤原敏男さんがラジャダムナンスタジアムでの試合で、ワイクルーが始まり相手が踊り終えるのを待っていたら、レフェリーに「あなたも踊りなさい」と促されているシーンがありますが、外国人から見れば慣れていないワイクルーは、心の準備がなければ、ぎこちない踊りとなってしまいがち。現在でも踊りが苦手な選手は、四方のコーナーへ、ロープ伝いで歩いてワイをして、キャンパスに跪いて三拝して終わるワイクルーが定着しており、簡潔ながらこれでも充分と言えます。

このワイクルーに義務付けられている型はありませんが、原型となる古代ムエタイから進化・変化していく中で、地方の伝統が特徴となるスタイルが定着している場合もあるようです。

タイ国の文化風習には外国人には理解し難い部分は多いものの、それぞれに深い意味があるもので、ムエタイ本場の仕来りに従うことなど学ぶべきところはしっかり学んでおきたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

SNSが引き金! 対戦相手とコミュニケーションの影響 堀田春樹

◆シバター問題

昨年大晦日のRIZINにおいてのシバターvs久保優太戦で、第1ラウンド1分34秒、腕十字で一本勝ちしたシバター。その後、両者の対戦前のLINEのやりとりで、シバターから持ち掛けられた交渉事が後に大騒動に発展。

新人の頃の久保優太(2007.1.28)

シバターは、タレントユーチューバーの女性知人にラウンドガールを頼んでいる関係上、第1ラウンド終了後のラウンドガールでの出番を考え、「第1ラウンド目は軽く流して第2ラウンド目は本気で行こう」といった提案をしたとされ、段取りを破って第1ラウンドで勝負をつけてしまった。その後、事の成り行きが問題視された流れになっています。

キックボクシング関係者においては、この試合を格闘競技とは見ていない意見が多い中、多くのスポーツ競技においては、注意喚起はしておきたい試合前のコミュニケーションの在り方です。

対戦予定当人同士で連絡取り合うことはメリット・デメリットが生じることは当然で、起こり得るあらゆる事態は想定しておかねばならない問題でしょう。

◆拭いきれない闇

対戦前にSNSでのコミュニケーションで起こり得るのは、激励し合って士気を高めることも出来れば、罵り合いになって不愉快な思いをさせられるとメンタルが崩されることも考えられます。これが作戦だったりもします。

逆に情が移る場合。「八百長は無くても人情相撲は起こり得る」という、以前ニュース番組で語った大相撲の舞の海さん。取組み相手が古き仲で、その相手が十両陥落危機の中、仕切り中に相手家族と子供の顔が浮かぶと感情が揺らぐ場合があるといいます。大相撲は厳しい勝負ながら毎場所顔を合わせる対戦多く、起こり得る感情かもしれませんが、他競技においても前もって相手の苦しい境地を知ると情が移ってしまう場合もあるでしょう。

厄介なのは、何らかの事情で公開することによって、世間から見れば八百長が疑われること。意図は無くても可能性があるだけで疑惑が湧き、拭いきれない闇の深さに嵌まります。いずれも対戦前においては必要無いコミュニケーションでしょう。

イベント前の記者会見も増えた現在、対戦相手と対面、意気込みを語る風景(2019.2.23)

◆全てがライバル

一家に一台、昭和の固定電話時代は、マッチメイク契約成立した対戦者同士が偶然会うことはあっても電話で連絡することは殆ど考えられない時代でした。

昭和のキックボクサーで元・全日本ライト級チャンピオン、斎藤京二氏の現役時代は、「いつ対戦することになるか分からない相手と話なんか出来るか!」と堅実な考えで、他のジム全ての選手に対し、普段から交流など全くしなかったといいます。それは多くの選手が同様で、会場・控室などは殺伐とした雰囲気。ジュニア(スーパー)階級の無い時代で、一階級違ってもマッチメイクされれば否応なしに全て受けた時代。フライ級でも身体が成長して階級上げてくる選手も居れば、ミドル級から落としてくる選手の可能性もあり、全てがライバルという関係でした。

今時の若い選手同士は昔のような殺伐とした関係はなく、対戦の可能性があってもLINE交換する者も増えた様子で、友情対決も昔よりは多い傾向です。通常は無い同門対決もプロボクシングでは新人王トーナメント戦やチャンピオンと1位の関係が続けば対戦が起こり得ます。キックボクシングでも同様の中、対戦相手と事前に会ったり連絡を取り合ってはならないというルールは無くても、試合終了までがスポーツマンシップに則った行動を大方の選手は心掛けているでしょう。

試合後は健闘を称え合うスポーツマンシップ(2022.1.9)
勝ってマイクを握る勝次、今時の勝者の特権(2021.4.11)

◆言いたいことは勝ってから

最近はイベントアピールの為、公開計量や記者会見も増えています。

インタビューで相手の印象を応えるよう煽っても舌戦に繋がることは少なく、試合で勝ってから言いたいこと言うのが近年の傾向です。

リング上では勝者が自らマイクを要求するようになったのは平成初期頃からで、アピールする内容もチャンピオンといった団体トップを目指しつつも、流行りに乗った大型イベント出場志向へ変わってきた令和時代になりました。

固定電話から携帯電話へ、更にアプリケーション豊富なスマホが普及し、キックボクサーも後援会との交流や、チケット売るにもSNSが重宝するようです。

個人同士のコミュニティーを容易に構築できるSNSなどは今後の現役生活で便利なばかりではない時代。選手生活で有意義に使われることを願っていきたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

ムエタイの隠し味 “ナンマンムエ” 堀田春樹

◆試合の友“ナンマンムエ”

本場ムエタイや日本でもキックボクシングの会場に来れば何となく漂う香り。更に控室まで足を運べば分かる独特の匂い。大方の選手が使う、タイオイルという身体に塗るタイ製スポーツオイルがあります。

“タイオイル”はタイ語では発音上、カタカナ表記すれば、“ナンマンムエ”。文字から読めば“Namman Muay ナーム・マン・ムエ”。 “ナーム・マン”に当たる言葉が“油”を意味し、“ムエ”はボクシングを意味します。これが多くの選手が洗脳されていく魔法のオイルなのである。

タイオイルを擦り込む。名チャンピオンは名トレーナー、ガイスウィット(左)は上手かった(1991年4月21日)

◆マッサージ効果

試合準備に際し、前の試合が早いラウンドでの決着も大いに有り得るので試合時間に余裕を持って準備に掛かり、トレーナー等セコンド陣にタイオイルを身体に擦り込んで貰うことになります。

ムエタイマッサージは、元・選手等の腕力あるトレーナーが、うつ伏せに寝た選手の背中と脚、仰向けに寝た胸、腹と脚を強い握力でタイオイルを擦り込んだり、体重掛けてグイグイ圧したりするので、見た目には凄く気持ち良さそうである。でも揉むのではなく擦り込むのが正しいらしい。

「ムエタイ選手は試合準備に掛かると、バンテージを巻いてタイオイルでマッサージされたら、“痛い”という概念を失くしてしまうんだ。だから怪我したことも忘れるし、どんなに強いパンチや蹴り、ヒジ打ちやヒザ蹴りを食らっても我慢することが出来る。経験を積んでくると皆そうなるよ!」というタイのベテラントレーナーの名言である。

試合前の緊張の中、最もリラックスできる束の間かと見えるも、選手側はタイオイルを全身に擦り込まれると皮膚表面がカーッと熱くなり、「これから闘いに臨むのだ!」と闘争心が湧くと言います。

経験者の話では、タイオイルでマッサージ後、手に取れる多めのワセリンにちょっとだけタイオイルを混ぜて、 身体をピカピカに輝かせる為に、更に塗り込むように軽くマッサージするという隠し技もあるという。皆やるから隠し技とはならないが、これで相手の前蹴り等を滑らせる。その為、ムエタイ選手の前蹴りは、トランクスのベルト部分を狙うようになったという説もあるようです。

この後、顔にワセリンを塗って貰い、試合前最後のトイレに行き、トレーナーにノーファールカップを強烈にズレないように縛り付けて貰い、オーナーが祈りを込めながら頭にモンコン、腕にパー・プラチアット(いずれも日本式に言えば御守り)を授け、ガウンを纏うと選手はもう逃げられない(逃げる奴はいない)、行く道は特攻のリングのみとなります。

この刺激強いタイオイルは皮膚の弱い顔と脇の下と股間には塗らないよう注意が必要で、タイオイルをちょっとでも触れた手で、トイレに行って小便を済ませた後に、数分後から試合中までオチンチンがヒリヒリするという経験をした選手も居ることでしょう。

イタズラでワザと股間に垂らした意地悪なトレーナーを目撃したことありますが、「焼けるように熱くて、試合後に見たら先っぽが火傷みたいに爛れていました。」と話す選手もいました。

目に入ると瞼が開かないほど強烈な傷みに襲われるので、顔にタオルを掛けてマッサージを受ける場合も見受けられます。皮膚が弱い選手やアトピー性皮膚炎を持つ選手は使わず、ワセリンだけで済ませるようです。

旧・ルンピニースタジアムの控室スペースでのタイオイルマッサージ。長年タイオイルが染み着いた木の台も名物である(1992年9月15日)

◆ルール的には……

一般用クリームタイプ

タイオイルはムエタイ試合で使用するオイル版と、一般人でも打ち身や筋肉痛などに効果的なクリーム版があります。昔はガラス瓶のオイル版しかなく、各スタジアムやムエタイ用品店に売っていたが、ムエタイ人気が国際的になってきて、外国人が絡むムエタイイベントの際には積極的な売り込みがあったと言われます。現在もタイのどこの薬局にも売っています。

記載されている内容物はクリーム版(100g)で 75バーツ(約250円)。
サリチル酸メチル 10.20%、メンソール 5.44%、オイゲノール 1.36%。

オイル版(普通サイズ瓶120cc) は88バーツ(約293円)。
サリチル酸メチル 31.0%、メンソール 1.0%、オイゲノールは未記載。

[左]古き時代のガラス瓶タイオイル。[右]最近のタイオイル

タイオイルの歴史は製造会社の創業から見て90年ほどのようです。昔の名選手も現役時代はしっかり使っていたようで、戦後、スタジアム建設と共に普及して来たのものと考えられます。

日本でのキックボクシング興行では大概がタイオイルの使用は可能です。元々ムエタイから取り入れたもので、キックボクシングでは細かいルールは無く、禁止とは成り難いでしょう。しかし、K-1などのビッグマッチ興行に於いては「もしかしたらタイオイルは使用禁止かもしれない」という覚悟を持つ選手とその陣営も居るようです。

タイ陣営の場合、ベテラントレーナーやプロモーターは「タイオイル禁止だったら、試合しなくていい!」と出場拒否、即刻帰国すら念頭に置いているプライド高い重鎮も居るようです。

その試合ルールではなく、過去に会場の都合という場合がありました。結婚披露宴や各種会合パーティーが通常のセレモニーとする会場ではタイオイル禁止だったりします。床の絨毯が汚れたり、臭いが取れない、修復が高額になるなどの事情。それは前もって知らされるも、選手にとっては「普通の体育館使ってくれ!」と願うことでしょう。

プロボクシングでは身体に塗る物はワセリン以外は使用禁止。細部まで徹底した項目があるのが厳格な競技の証ではあるが、寛容な例外も少々あり(入れ墨対策等)。

かつて1984年(昭和59年)の話であるが、タイオイルを塗ったら、控室を覗いたファイティング原田さんに「何だこの匂い、臭いな!」と言われたことがある、プロボクシングへ転向した元・キックボクサーが居たが、おそらくJBCから完全な拭き取りを命じられたことでしょう。

手慣れた陣営がタイオイルを擦り込むマッサージ(1989年1月9日)

◆蘇える闘争本能

知らないで間違った使い方していたとか、塗る際にやるべきこと、やらない方がいいこと、そんな効力があるのかといった意見は、あまりタイ選手や経験豊富な先輩から見たり聞いたりした経験が無い選手や、トレーナー等が改めて知ること多い奥深さもあるようです。まだ経験浅い人は、ベテランから教わっておくことは必要でしょう。

選手には好まれるタイオイル。セコンド陣もその効能を分かっている上、しっかりタイオイルに触れる立場だが、関係者がスーツ姿や高級鞄を持ったまま控室を訪れる際は注意が必要。うっかりタイオイルの零れた台に座ったりしないこと。つい付着してしまった場合、拭い取ったぐらいでは臭いやベトベト感が落ちないのである。

選手に近づいた際、メンソール系の匂いがしたらそれはタイオイル。「何だこの匂い、臭いな!」とは言わず、興味があったら一度買って、選手になった気になって塗ってみるのも面白いでしょう。引退した選手もタイオイルは想い出深い存在のようです。あの匂いを嗅ぐと試合前の控室からリングに向かう道が思い浮かび、闘争本能が蘇ってくるという経験者は多く、潜在意識には一生残ることでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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2022年も新春からChallenger! メインイベンターは馬渡亮太! セミファイナルは麗也JSK! 堀田春樹

昨年1月から始まった武田幸三氏が主催するCHALLENGERシリーズは今回で4回目。前日計量は武田幸三氏が会長を務めるYashioジムで16時から行われ、秤に乗って100グラム以内のオーバーは居たものの、アンダーウェアを脱いで再計量も時間を割くことなく全員パスしました。

過去、馬渡亮太とモトヤスックがメインイベントを務める中、元々治政館ジム所属していた麗也が復帰し、よりスターが揃い賑やかになりました。

その麗也JSKはセミファイナル出場、左フック一発でノックアウト勝利し、本日のMVP(武田幸三賞)を受賞。

今回のメインイベンター馬渡亮太はヒジ打ちで仕留める快勝。

モトヤスックはアンダーカードに回るも、技量で圧倒する大差判定勝利で治政館ジム勢は貫録を見せました。

ヨーユットのヒザ蹴りに合わせて、馬渡亮太のヒジ打ちヒット

◎Challenger.4 ~Beyond the limit~
1月9日(日)後楽園ホール17:30~21:05
主催:オフィス超合筋、Yashioジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

◆第10試合 メインイベント 57.5kg契約 5回戦

馬渡亮太(治政館/57.5kg)vsヨーユット・ウォーワンチャイ(タイ/57.25kg)
勝者:馬渡亮太 / KO 3R 1:07 / 3ノックダウン
主審:少白竜

馬渡亮太は昨年1月に王座決定戦で獲得したWMOインターナショナル・スーパーバンタム級チャンピオン。

初来日から12年以上経過するベテランのヨーユットは元・ルンピニー系バンタム級4位。
ムエタイテクニックで日本選手を翻弄してきたヨーユットも歳を重ね、出場も減ってきた中でもテクニックは健在。

馬渡にプレッシャーを掛けていくが、馬渡も慌てず冷静に様子見からチャンスを伺い第3ラウンド、ヒザ蹴りに来たヨーユットのアゴに左ヒジ打ちをカウンターしノックダウンを奪う。

ダメージを負ったヨーユットに、再度ヒジ打ちでノックダウンを奪うとヨーユットは足をフラつかせながらカウント内に体勢を取り戻すも、最後は馬渡が弱ったヨーユットをパンチ連打で倒し切った。

馬渡亮太が最初のノックダウンを奪い、ヨーユットが崩れ落ちる

◆第9試合 54.5kg契約 5回戦

麗也JSK(=高松麗也/元・日本フライ級C/治政館/54.45kg)
     VS
NJKFスーパーバンタム級チャンピオン.日下滉大(OGUNI/54.5kg)
勝者:麗也JSK / KO 4R 0:45 / テンカウント
主審:椎名利一

麗也は2017年6月にBeWellジム移籍後、タイ遠征や他イベント興行、また拳の怪我を経て復帰、治政館系列興行では約5年弱ぶり。

日下洸大は昨年NJKFで王座に就き上り調子の現在と、ややブランクがある麗也の攻防が難しい予想となったが、日下洸大が長身を活かすパンチと蹴りがリズムを作っていく。麗也はやや圧されながら冷静な様子見も、第4ラウンド序盤に日下洸大の蹴り終わりに合わせた麗也の左フックカウンターで日下洸大は吹っ飛ぶようにノックダウンし、立ち上がろうとするも踏ん張れない足元で、レフェリーに抱えられながらテンカウントを聞かされた。

麗也の右ストレートが日下洸大にヒット
麗也の左フックを喰らった日下洸大が崩れ落ちる

◆第8試合 57.5kg契約3回戦

JKAフェザー級チャンピオン.渡辺航己(JMN/57.4kg)
     VS
皆川裕哉(KICKBOX/57.5kg)
勝者:渡辺航己 / 判定3-0
主審:松田利彦
副審:椎名30-27. 桜井30-27. 少白竜30-27

接近気味のアグレッシブなパンチヒジ、蹴りが交錯。両者の倒しに行く危なっかしいスピーディーな打ち合いが続く中、渡辺航己のヒザ蹴りで皆川裕哉の手数をやや減らし、やや的確さで優ったか、渡辺がフルマーク勝利となったが、各ラウンドは僅差の攻防が続いた。

渡辺航己のバックヒジ打ちが皆川裕哉にヒット
打ち合う両者、渡辺航己の右ストレートがヒット

◆第7試合 68.0kg契約3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.モトヤスック(治政館/67.8kg)
     VS
井原浩之(元・MA日本ミドル級C/ハーデスワークアウト/1984.3.21広島県出身/67.85kg)
勝者:モトヤスック / 判定3-0
主審:和田良覚
副審:椎名30-27. 松田30-27. 少白竜30-27

モトヤスックのスピード、パワーが終始上回った展開。第1ラウンドにモトヤスックの左フックで井原は腰を落としかけるも踏ん張り立て直すが、モトヤスックの勢いを止められない展開が続き、倒せなかったモトヤスックは残念そうな表情も採点は内容的にもフルマークで判定勝利。

モトヤスックが終始パワーとスピード、技の多彩さで圧倒

◆第6試合 ライト級3回戦

JKAライト級1位.睦雅(=ムガ/ビクトリー/61.05kg)
     VS
NJKFライト級4位.岩橋伸太郎(エス/60.8kg)
引分け 0-1
主審:桜井一秀
副審:椎名28-28. 松田28-28. 和田28-29

睦雅がパンチでやや優勢に進めながら第3ラウンドに岩崎伸太郎の左フックで、足が揃ってタイミング的にバランスを崩した感じではあったが、ノックダウンを喫してしまう逆転を許してしまい結果的に引分けとなった。

最終ラウンドで劣勢を巻き返した岩橋伸太郎が打ち合いに出る

◆第5試合 53.75kg契約3回戦

JKAバンタム級4位.義由亜JSK(=ヨシュア/治政館/53.2kg)
     VS
NKBバンタム級4位.佐藤勇士(拳心館/53.55kg)
勝者:義由亜JSK / KO 2R 2:52
主審:少白竜

ロープ際での縺れから崩しに入った義由亜に転ばされる中、ロープに足が引っ掛かって落下し、佐藤が後頭部を打ってしまいテンカウントを聞かされてしまった。

◆第4試合 女子ピン級(100LBS)3回戦(2分制)

女子(ミネルヴァ)ピン級6位.藤原乃愛(ROCK ON/44.9kg)
     VS
同級5位.撫子(GRABS/44.3kg)
引分け 1-0 (29-29. 29-29. 29-28)

いつものシャープな蹴りの切れ味が無い藤原乃愛。撫子が組み合ってのヒザ蹴りが藤原の持ち味を潰していくが、攻防は互角が続き引分けに終わる。

◆第3試合 バンタム級3回戦

樹(=イツキ/治政館/53.35kg)vs大崎草志(STRUGGLE/53.0kg)
勝者:樹 / 判定3-0 (29-27. 30-28. 29-28)

◆第2試合 ウェルター級3回戦

山内ユウ(ROCK ON/66.35kg)vs小林亜維二(新興ムエタイ/65.9kg)
勝者:山内ユウ / TKO 2R 2:09 / 2度目のノックダウンでレフェリーストップ

◆第1試合 62.0kg契約3回戦

古河拓実(KICK BOX/61.75kg)vs山西洋介(KIX/61.65kg)
勝者:古河拓実 / KO 2R 1:36 / 3ノックダウン

セレモニーにおいて武田幸三氏の挨拶、後輩にドスの利いた声で檄を飛ばす

《取材戦記》

今回も団体間交流に於いてはNJKFとNKBからの出場がありました。コロナ禍は続きますが、昨年秋から感染者数激減で規制は緩み、昨年12月12日から後楽園ホールでは観衆50パーセント以内の規制は一旦解除されています。

今回の興行ではコロナのオミクロン株拡大の影響があってか観衆は少ない状況でした。昭和のキックボクシング隆盛期には、正月松の内はタイトルマッチで盛り上がったもので、来年までにはコロナ禍を乗り越えて、次代の新春興行に相応しいビッグマッチを展開して欲しいところです。

セレモニーに於いて武田幸三氏が毎度、出場する後輩のモトヤスックや馬渡亮太に対し、脅すような叱咤激励も定着。昭和の厳しさ醸し出す存在に、観る側も気が引き締まります。

このところ興行パンフレットが無いジャパンキックボクシング協会興行。ポスターと対戦カードで両面印刷されたA4サイズのチラシが会場入り口に置かれていました。物足りなさは感じるものの、昔はパンフレットではなく4ページ程度のプログラムで無料配布でした。現在も他団体においてはパンフレットとして販売が多く、内容が充実していれば記念としてや観戦の友となりますが、手ぶらで来場された人や持っている鞄が小さい人などは対戦カードだけで充分かもしれません。

KIXジム所属の髙橋茂章(1989.12.21千葉県出身)選手がスキルス胃癌を患い、昨年暮れ12月29日に永眠され、今回の興行で冥福をお祈りする追悼テンカウントゴングが行われました。

「髙橋選手は昨年11月21日のKICK Insist.11に出場予定でしたが体調不良の為、欠場していました。」という発表で、亡くなる3ヶ月前は元気だった様子。こんな話は一般人においてもたまに聞くことがありますが、定期検査での早期発見は大事と痛感するところです。

次回のジャパンキックボクシング協会興行は3月20日(日)に新宿フェイスにて開催予定です(興行タイトルは未定)。

最終試合後の発表で麗也がMVPに決定、再びリングに呼ばれての受賞シーン

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

2022年キックボクシング展望 今年の変貌は! 堀田春樹

◆新世代の交流

今年のキックボクシング、定期興行が続いている既存の各団体(協会や連盟)において、年間スケジュールが発表されている範疇では、東京近郊開催は全部で20回あまりが確認出来ます。その他、地方興行、フリーのプロモーター主催興行を加えれば未発表を含みますが、全部で60回以上が予測されます。

昨年は各団体興行に他団体役員の来場が見られること多くなり、そこでは会長に連れられ「試合組んで頂きたくて交渉に来ました!」と言う選手の姿もありました。

今年、プロボクシング転向を宣言している那須川天心(画像は5年前)

過去に団体分裂した間柄では結束は難しくても、その他の団体と交流する中で、いろいろな顔触れが入り混じっていく中、昭和の殺伐とした因縁は新しい世代のジム会長には関係無く、今年も交流が増えるだろうと強く感じるところです。

また、一昨年からコロナ禍で海外からの選手を招聘出来なかった期間が長かったので、新たなオミクロン株は、年末時点ではやや拡大傾向で不安な年越しながら、無事開催が進めば滞っている国際戦タイトルマッチも行われることでしょう。

◆那須川天心はプロボクシングでどこまで通用するか

一般社会的にも注目されている那須川天心は、キックボクサーとしてはもう別格の有名人。4月でキックボクサーを引退するとしていた宣言は6月に延びましたが、その後はプロボクシング転向し注目されていくでしょう。

「手や足に脳が付いている」と言われるほど、頭で考える前に手足が相手に当たっている天才型でもプロテストはB級となるかと思いますが、合格は間違いないところでしょう。C級デビューは無いでしょうが、新人王トーナメントから勝ち上がる姿も見てみたいものです。

プロ専門家の意見では「日本か東洋までは早々に勝ち上がるだろう」と予測されますが、
「4回戦以上の長丁場で、闘志空回りしてしまう凡戦や、隙を突かれるクリーンヒットを貰ってしまう苦戦は見られるだろう」という見方もあり、今後の予測が難しいデビュー前の現在です。まずはライセンス取得し、年内にプロデビュー戦まで進めて話題を盛り上げるところでしょう。

◆本場ムエタイ、世界のトップリーダーを持続できるか

コロナ禍で延期、IBFムエタイ世界Jrフェザー級王座防衛戦を待つ波賀宙也

ルンピニースタジアムではコロナ蔓延以降、場内ギャンブル禁止(11月より)や女子試合導入に移行など新しいものを取り入れる時代に入りましたが、真のムエタイボクサーも昔のような伝説的バケモノのような頑丈さやテクニシャンは少なくなったことも起因し、今後、世界的に有名な総合格闘技、Mixed Martial Arts(MMA)の試合も組んでいく模様です。

スポンサーやテレビ局の意向が大きく影響していると見られますが、ラジャダムナンスタジアムはまだ大きな変化は無いものの、他からの影響を受け、殿堂スタジアムがどう変化していくのか今年の注目でしょう。

過去、タイ発祥のムエタイ世界認定組織が幾つも出来た上、一時は絶大な存在感を示しながら衰退していく組織がありました。その傾向は代表が亡くなられたり、失態を起こして辞任すると、いとも簡単に勢力が他組織に移る基盤の脆い造りで、世界機構の権威たるものがあっけなく崩れ落ちるのは以前から指摘されるところでした。

昨年10月にはInternational Muaythai Sport Association(IMSA)なる団体を元・WPMF会長のサーマート・マルリム氏が設立した模様で、世界を牽引する組織として期待していいのか衰退するのか、将来を占う今年の活動を見ていきたいところです。

◆日本国内王座は進化するか

IMSA、1年後はどんな評価を受けているか

「タイトルは多いけれどタイトルマッチが少ない」と見られるのが国内各団体タイトルでしょう。団体多過ぎて各ランキングが埋まらないのも当然のことです。

空位王座は通常のランキング上位による王座決定戦がありますが、争奪トーナメント戦で盛り上げる手法も増えている感じがします。

チャンピオンになっても直ぐ返上が多かった過去に対し、現・Krushライト級チャンピオン、瓦田脩二(K-1ジム総本部チームペガサス)は昨年9月に王座獲得し、今年2月のK-1出場後の4月に初防衛戦を行なう予定で、「Krushライト級のベルトの価値をドンドン上げていきたい」と言い、ベルト返上の意思は全く無い様子。そんな基本姿勢を持つ律儀な選手もまだまだ存在するもので、プロモーター意向にもよりますが、タイトルの防衛戦を重ねて他団体へも活性化を促して欲しいところです。

キックボクシング誕生から満55周年。創生期の重鎮が鬼籍に入り、幅広い世代に跨る時代となりました。今年も若い力が台頭して来ることでしょう。

[左]S-1ジャパン女子バンタム級チャンピオンSAHOもS-1世界トーナメントを待つ立場[右]Krushライト級チャンピオン瓦田脩二はK-1王座を目指しつつ、Krush王座を守り抜く宣言

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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《2021年キックボクシング回顧》「キックの鬼」沢村忠さん逝去、キック団体再編……コロナ禍の影響だけではない ムエタイ節目の時代へ! 堀田春樹

◆コロナが続く!

昨年拡大したコロナ禍による影響は今年も続きました。長期には至らぬも緊急事態宣言により延期や終了時刻を早めの設定と、観衆50パーセント以下の制限などは12月上旬まで響きました。

コロナウイルスに罹る選手もわずかながら居た中、濃厚接触者となった選手も一定の待機期間を設ける必要の為、無症状でも中止カードも発生するもどかしさもありました。

タイからの選手が来日不可能で、タイトル戦が絡む国際戦が停滞。こういった外国人選手の来日が閉鎖され、プロボクシングでも世界戦の延期が相次ぐ事態がこの12月でも発生しました。秋頃からコロナ収束の兆しが見えてきた中では観衆制限が緩められつつあり、新たにオミクロン株が蔓延し始める油断ならない現状も、今後は感染急拡大が無い限り、以前のような開催が待たれています。

NJKFで続く会場内の注意喚起(2021年6月27日)
沢村忠さんは最後までファンを大切にした人(2009年4月19日)

◆キックの鬼・沢村忠さん永眠

3月26日に亡くなられた沢村忠さん。4月1日のスポーツ報知一面で、「元・東洋ライト級チャンピオン、沢村忠さんが肺癌の為、亡くなられていた」という報道がありました。引退して44年。キック界から離れ、メディアには殆ど姿を現さずも、未だスポーツ新聞の一面で取り上げられるほど大きな存在感を示しました。身体の具合が良くないとは情報筋で聞いていたものの、ついにその日が来たという虚しさが残るキック関係者は多いでしょう。
昨年3月に名レフェリーだった李昌坤(リ・チャンゴン)さん、5月に藤本(旧・目黒)ジムの藤本勲会長が相次いで亡くなられ、ここ数年で野口プロモーションと目黒ジムの重鎮が逝ってしまう話が多いところで、創生期の語り部が少なくなる虚しさが残りました。

◆国崇と健太が100戦達成!

4月24日に国崇(=藤原国崇/41歳/拳之会)が100戦目を迎え、11月21日で102戦57勝42敗3分の戦績を残しました。健太(=山田健太/34歳/ESG)も9月19日に100戦目を達成し、62勝(18KO)31敗7分。二人はいずれもNJKFとWBCムエタイ日本王座獲得経験あるベテランです(戦績はNJKF発表を参照)。

国内に於いて100戦超えは昭和時代では藤原敏男氏をはじめ名チャンピオンが数名居て、国崇と健太は昭和時代以来でしょう。しかし現在は3回戦が主流で、一概には比べられない時代の格差は有るものの、現在の選手層の中には50戦超えは結構多いので、どこまで戦歴を延ばせるかの興味も湧くところです。

[左]岡山で活躍の国崇101戦目のリングは後楽園ホール(2021年9月19日)[右]健太は安定した試合運びで戦歴を積み重ねた(2021年6月6日)

◆今年のキック団体(協会・連盟)の変化は

今時は業界が統一されない限り、何も驚かない時代です。過去に有った団体や個々のイベントプロモーションも形を変えつつ進化してきたのがここ数年で、2010年1月にスタートした「REBELS」は存在感が大きかったイベントでしたが、今年2月28日で幕を閉じ、「KNOCK OUT」に吸収され、統一という形でビッグイベントは続いている模様です。

既存の団体に留まっていては鎖国的で、エース格でも存在感が薄く「RIZINに出たい、ONEに出たい!」等のビッグイベント出場アピールが多く、団体トップだけでは飽き足らないのが選手の本音。

「これではいけない」とマッチメイクに苦しむ各団体幹部の平成世代は結束力も生まれ、団体交流戦も活発に行われていますが、客観的に見ればこれが一つの圏内のキックボクシング界で、昨年末から比べて大きな変化は無いものの、今後も交流戦から緩やかな進化が続くでしょう。

ルンピニースタジアム(まだ屋外)で行われた女子試合(2021年9月18日 (C)MUAYSIAM)

◆崩れ行くムエタイの伝統

タイ国に於いては日本と違い、ほぼ毎日興行が行なわれていたバンコクで、昨年3月のコロナ感染爆発からスタジアム閉鎖が続き、ムエタイ界はかなりの打撃を受けました。

2016年10月のプミポン国王が崩御された際でも30日間の自粛期間でしたが、目処の立たない長期に渡っての閉鎖は各スタジアムに於いては史上初。

更にはコロナ禍の影響だけではないムエタイは節目の時代に来たのか、今年9月中旬からの規制緩和後も、ムエタイの伝統・格式が崩れてきた現象も起こりました。

古き時代はリングや選手に触れることも許されなかった厳格な女人禁制のムエタイは、1990年代から徐々に緩む中、地方では女子試合が行われるようになり、二大殿堂のルンピニースタジアムとラジャダムナンスタジアムだけは厳格さが近年まで変わらなかったところが、今年9月18日にはルンピニースタジアムで、プロ初の女子の試合が行われるようになり(コロナ禍で当初は屋外特設リング、現在は本来のメインスタジアム)、こんな前例が出来れば、汚点とまでは言えなくとも、設立以来65年間も守ってきた規律を破ってまでもやる必要があったかは疑問で、もう二度と消せない歴史が残ってしまいました。

「女子試合は時代の流れとしても、ラウンドガールがリングに上がるのは格式高いルンピニースタジアムとして如何なものか!」と失望する日本のキック関係者も居るほど、まだある威信の崩れがムエタイの権威を貶めている様子です。これも新しい時代として受け入れるしかないのか。そして今後の展開はどうなるのか。日本のキックボクシングを含めて次回の“2022年の展望”で書いてみようと思います。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」