3月16日に初陣興行が控える中、昨年8月の全日本キックボクシング協会設立後、3度のアマチュア大会が行われています。

元・日本ライト級チャンピオン飛鳥信也さん出場。昨年からのこの大会での栗芝貴代表と飛鳥信也さんは、目黒ジムの原点と全日本キックボクシング協会の原点回帰が重なる再会でした。

本日のベストファイト賞は伊藤健翔(左)と飛鳥信也(右)、トロフィーを贈呈する栗芝貴代表(中央)

◎全日本キックボクシング協会第3回アマチュア大会
 1月28日(日)稲城ジム14:00~16:15(全イベント終了時)
 主催:稲城ジム /

◆第1試合 ジュニア(中学生以下)Dクラス 34.0kg以下 2回戦(1分制)

海老原琉偉(岡田道場)vs 古山風愛我(TAKADA KBA)
勝者:古山風愛我 / 優勢判定 (審判三者支持数不明)

第1試合、ジュニアDクラス34.0kg以下勝者、古山風愛我。レフェリーは竜哉さん

◆第2試合 ジュニアDクラス 34.0kg以下 2回戦(1分制)

佐々木空(岡田道場)vs GENSEI(TAKADA KBA)
引分け(審判三者支持数不明)

◆第3試合 一般男子Dクラス 52.0kg以下 2回戦(1分制)

横尾空(稲城)vs 佐藤寿輝也(スクエアーアップ)
勝者:横尾空 / 優勢判定3-0

◆第4試合 一般男子Cクラス 86.0kg以下 2回戦(90秒制)

義斗(Kick Boxing fplus)vs 山下大樹(ウルブズスクワッド)
勝者:義斗 / TKO(RSC)2ラウンド

◆第5試合 一般男子Cクラス 55.0kg以下 2回戦(90秒制)

伊藤健翔(IDEL)vs 藪祥基(スクエアーアップ)
勝者:伊藤健翔 / 優勢判定3-0

◆第6試合 一般男子Eクラス 55.0kg以下 1回戦(1分制)

小堀海凪(岡田道場)vs 横山潮音(稲城)
引分け三者三様

◆第7試合 一般男子Cクラス 62.0kg以下 2回戦(90秒制)

藤本KID(TAKADA KBA)vs 早川悠太(ウルブズスクワッド)
勝者:早川悠太 / TKO(RSC)2ラウンド

◆第8試合 一般男子Dクラス 62.0kg以下 2回戦(1分制)

吉田秀介(稲城)vs 田所匠(相模原burn)
勝者:田所匠 / 優勢判定0-3

◆第9試合 一般男子Dクラス 66.0kg以下 2回戦(1分制)

森谷一貴(スクエアーアップ)vs 望月一斗(相模原burn)
勝者:望月一斗 / 優勢判定0-2

◆第10試合 一般男子Dクラス 70.0kg以下 2回戦(1分制)

ダイチャン(team彩)vs 立花俊太
引分け1-0

◆第11試合 一般男子Dクラス 64.0kg以下 2回戦(1分制)

飛鳥信也(目黒・新宿スポーツ)vs 熊田真幸(スクエアーアップ)
勝者:飛鳥信也 / 優勢判定3-0

元・日本ライト級チャンピオン、飛鳥信也の攻勢、熊田真幸を下す

戦う指導者、飛鳥信也さんの現役時代同様のアピール

◆第12試合 一般男子Aクラス 58.0kg以下 3回戦(2分制)

高橋巴俉(スクエアーアップ)vs 吉田鋭輝(team彩)
勝者:吉田鋭輝 / 優勢判定0-2

◆第13試合 一般男子Dクラス 86.0kg 2回戦(1分制)

木村健太(JTクラブ)vs 山下大樹(ウルブズスクワッド)
勝者:山下大樹 / 優勢判定0-3

被災地に仮設住宅を建設中から上京、山下大樹の蹴りで攻勢

山下大樹勝利、レフェリーは勝本剛司。この日は竜哉氏と親子でレフェリーを務められた

◆第14試合 一般男子Cクラス 55.0kg以下 2回戦(90秒制)

伊藤健翔(IDEAL)vs 横山潮音(稲城)
勝者:伊藤健翔 / TKO(RSC)1ラウンド1分16秒

顔は隠れたが、勝負を決定付けた伊藤健翔の右ストレートヒット

伊藤健翔の右ストレートヒットで横山潮音を倒す

《取材戦記》

キックボクシング系プロ各団体等でアマチュア大会が活発である。乱立はするものの交流も活発で、アマチュア大会で実績を残してプロ出場資格を得る選手もいるでしょう(プロテストも有ります)。

創価大学丈夫会でキックボクシングを指導している飛鳥信也氏は、前回12月17日に引分けた熊田真幸と再戦。新人枠ではないオヤジファイトに近いが、前回はEクラスとして1分のみの1ラウンド制。今回はCクラスとして2回戦でした。熊田真幸に勢いで圧されても相手をしっかり見て打ち込む有効打とバランスの良さが優り、優勢支持を受ける判定勝利。全盛期には及ばなくても、経験値豊富な当て勘がありました。

試合後、いずれまた対戦するかもしれない熊田真幸と語り合う飛鳥さん。ディフェンスの大切さを伝授。「熊田さん次は更に上手くなって来てやり難くなるかもね!」と言いながら試合が楽しそうだった。

栗芝貴代表に健闘を称えられて飛鳥信也、熊田真幸のスリーショット

第13試合の山下大樹は、能登の被災地で仮設住宅作っている中での出場だったという。ウルブズスクワッドジムは富山にあるジムで震源地には近いが、通信障害の影響で会長がなかなか連絡取れなかったとか。そんな参加で優勢判定勝利(2戦目)を得て、また被災地に戻って頑張っている模様です。皆、それぞれの事情を抱えながら出場しているのが常である。

プログラムと画像確認すると、山下大樹は第4試合にも出場して敗れているが、スタンディングダウンから早めのレフェリーストップでダメージは無かった模様。
最終試合でTKO(RSC)勝ちした伊藤健翔は、第5試合にも出場して藪祥基に優勢判定勝ち。

2試合終えて「久しぶりの試合で凄く疲れたんですけど、最後までセコンドの言うこと聞いて、ここまで信じて練習して来て良かったです。」と応えた。

全試合終了後に希望者参加のスパーリング大会が予定されていたが、二人組になっての前蹴りの避け方、ブロックと蹴りに入る練習、軽いマススパーリング、首相撲からの崩し方など栗芝貴代表が見本となる動作からタイ人トレーナーも加わって指導。小学生から成人まで入り混じっての練習となっていた。こういう底辺からプロへ育っていく過程は重要である。

そんな先を見据えてプロ初陣興行を控える栗芝貴代表は、「プロ興行はデビューする選手集められてスタートらしいスタートに向けています。年末に向けてタイトルマッチに準ずる試合まで進められたらいいですね。」と語る。そのプロを目指すアマチュア大会も競技の基礎固めとして開催が続きます。

昨年10月15日は41試合、12月17日は36試合行われていますが、今回は正月明けで参加数は少なかった様子でした。やっぱり正月は皆休みたいのか、国内ではプロ興行も少なかった感じがします。

3月31日(日)大森ゴールドジムで第4回アマチュア大会が開催予定で、今度は試合数も多く戻って来る様子です。

今回、稲城ジムを初めて訪れて、栗芝貴代表が行なうイベントの様子を窺って、見ておきたかったものは勿論、飛鳥信也さんの還暦を越えた動きと、3年後を見据えた全日本キックボクシング協会の姿でした。私の予想は殆ど外れるので今は何も語りませんが、悪しからずです。

試合後の公開練習、マイクを使って蹴りの指導する栗芝貴代表

◎全日本キックボクシング協会 https://www.ajkba.com/

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年3月号

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連載
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「格差」を読む 中川淳一郎
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シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
キラメキ★東京漂流記 村田らむ
裏から世界を見てみよう マッド・アマノ
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1月21日に後楽園飯店でニュージャパンキックボクシング連盟2023年の年間表彰式が行われました。この表彰式はこの一つの団体で行なわれているイベントで、他団体は含みません。

・最優秀選手賞 大田拓真(元・WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン/新興ムエタイ)

・年間最高試合賞 NJKFスーパーライト級タイトルマッチ、畠山隼人(E.S.G)vs吉田凜汰朗(VERTEX)
・殊勲賞 NJKFスーパーライト級チャンピオン.吉田凜汰朗(VERTEX)
・敢闘賞 龍旺(NJKFスーパーフェザー級チャンピオン/Bombo Freely)
・技能賞 嵐(NJKFバンタム級3位/KING)
・努力賞 坂本直樹(道場373)
・新人賞(関東) 赤平大治(VERTEX)
・新人賞(関西) 髙木雅巳(誠至会)
・イーファイト賞、バウトレビュー賞 大田拓真(新興ムエタイ)
・女子優秀選手賞 Nao(ミネルヴァ・アトム級チャンピオン/AX)

受賞選手6名

武田幸三氏から高評価を得た大田拓真は最優秀選手賞

 

最優秀選手賞受賞した大田拓真

◆受賞者コメント

最優秀選手賞、バウトレビュー賞、イーファイト賞 大田拓真(新興ムエタイ)

「三つの賞に選んで頂き有難うございました。NJKFの会長さん方々には、お世話になっていますので、今年も僕は結果を出して、NJKFと自分の選手としての価値を上げて行くだけなので今年も勝ち続けていきたいと思います。宜しくお願い致します。」

 単独コメント
「武田幸三さんに、試合を生で見て貰ったのは前回(昨年11月12日)の試合が初めてだったのですが、『初めて見たけど凄くテクニックも有って全体的にバランスも良かった。』と言って頂いて評価は良かったです。序盤、相手(対ルークワン戦)はグローブを交えてやっぱり強いと思ったので、僕も戦いながら考えましたが倒して勝って、武田さんの現役時代をテレビで観ていた憧れの存在だったので、その武田さんに評価されたことは凄く嬉しかったです。」
と語ってくれました。

殊勲賞、年間最高試合賞 畠山隼人(E.S.G)vs吉田凛汰朗戦

吉田凜汰朗(VERTEX)
「まず2月11日、勝ちと内容をしっかりと、NJKFの中量級は自分しかいないなというのを魅せるので注目していてください。畠山隼人戦については、最初にダウン喫したのですけど、タイトルマッチ5ラウンドあるというところで、絶対逆転出来るという気持ちが第2ラウンドに活きました。今後は世界を獲る為に一戦一戦確実に仕留めていきます。自分の試合に来ればハズレは無いなと思って貰える様にやるべきことに集中して強くなって年間最高試合賞獲ります。最優秀選手賞も獲りたいと思います。応援宜しくお願い致します。」
  
 単独コメント
「今年はWBCムエタイ日本タイトルを獲りに行かないといけません。今年中にもう一回畠山隼人さんと、今度はノックダウン取られないように無難にノックアウトで勝ちたいです。次は2月の東西対決ですが、ここを制して次のタイトルですね。」と語ってくれました。

殊勲賞受賞した吉田凛汰朗

畠山隼人を倒してチャンピオンとなった吉田凛汰朗は殊勲賞

年間最高試合賞 畠山隼人(E.S.G)は欠席の為、NJKF発表の本人コメント 
「この度は名誉ある賞をありがとうございます。倒し倒されの熱い試合が出来たのも対戦相手の吉田凛汰朗選手の御陰です。選手を続ける以上は見ている方に面白いと思って貰える様な熱い試合を心掛けたいと思います。」

敢闘賞 龍旺(Bombo Freely)は欠席の為、NJKF発表の本人コメント 
「沢山の選手がいる中で選んで頂き嬉しいです。チャンピオンとしては勿論、NJKFを引っ張っていける選手になります。期待していて下さい。」

NJKFスーパーフェザー級チャンピオンとなった龍旺(左)は敢闘賞、右は大田拓真

技能賞 嵐(KING)  
「今回は技能賞に選んでくださり有難う御座います。今年のNJKFの主役は俺になると思うので応援宜しくお願いします。」

 単独コメント
──「今年はMVPを狙うとなれば、大田拓真を越えるような存在となりますか?」
嵐「その気で居ます。」
──「2月11日の甲斐元太郎(理心塾)との東西対決は、前回11月21日のセレモニーで両者エキサイトした発言となりましたが、この時の発言は本気でしたか?」
嵐「今もムカついているのでぶっ倒すつもりです。1ラウンドから倒しに行こうと思っています。」と自信満々の回答でした。

努力賞 坂本直樹(道場373) 
「この度努力賞に選んで頂き有難うございます。2024年も賞に選ばれるように頑張りたいと思います。毎試合皆の記憶に残る試合をするので応援よろしくお願いします。」

[左]努力賞受賞した坂本直樹/[右]技能賞受賞した嵐

新人賞(関東)赤平大治(VERTEX)
「このような新人賞を頂いてとても嬉しいです。更にやる気に満ち溢れてきたので今後も賞を頂けるように精一杯努力して、勝利はもちろんKOを量産出来るようにNJKFを盛り上げていきたいと思います。」

新人賞(関東)を受賞した赤平大治

 

女子の優秀選手賞受賞したNao

新人賞(関西) 髙木雅巳(誠至会)は欠席の為、NJKF発表の本人コメント 
「団体からこのような賞を頂いたことは素直に嬉しいです。今後の抱負として、NJKFのチャンピオンになります。」

女子(ミネルヴァ)優秀選手賞 Nao(AX)
「ミネルヴァ優秀選手賞に選んでくださり有難うございます。このような素敵な賞を受賞できて本当に嬉しいです。昨年4試合目でタイトルマッチを組んで頂いて、アトム級のチャンピオンに成ることが出来ました。今後は追われる立場になるのですけど、今後も一戦一戦挑戦するという気持ちを忘れず、チャンピオンベルトを守っていきたいと思いますので、今後も宜しくお願い致します。」

《取材戦記》

ニュージャパンキックボクシング連盟に限って見れば、大田拓真の活躍は想定出来た範疇で、今年も世界規模の期待が掛かるエース格です。

畠山隼人の牙城を崩した吉田凛太朗の王座奪取は予想外だった意見は多いようでした。今年は安泰と行くか、チャンピオンとしての真価が問われる年でしょう。嵐の喧嘩腰のアピールは賛否はあるものの、本気で最優秀選手賞とバンタム級王座狙っているチャンピオン候補です。

◆年間最優秀選手賞はパウンド・フォー・パウンド!?

複数階級あってもウェイト差関係無く評価した場合、最優秀選手賞はその年のパウンド・フォー・パウンド的最高峰と言えるでしょう。試合でまず判定でも勝つことが重要ながら、その勝利に多くの評価を得るには感動を与える名勝負を残すことが重要です。

プロボクシングでは1月16日に、日本ボクシングコミッション、日本プロボクシング協会、東京運動記者クラブ・ボクシング分科会による2023年の年間表彰候補者を発表された模様です。最優秀選手賞候補は井上尚弥(大橋)、寺地拳四朗(BMB)、井岡一翔(志成)、中谷潤人(M・T)。新鋭賞には那須川天心(帝拳)も候補に挙がっています。

受賞者は2月2日に発表される模様で、2月19日に例年どおりなら東京ドームホテルで年間表彰式が行われます。

やっぱり存在感の大きさを感じるのがこのプロボクシングの組織の在り方です。世界戦の前日計量と調印式や、年間表彰式は新聞社記者クラブの記者がドッと繰り出し、コロナ禍前の日本プロスポーツ協会が主催の年間表彰式も同様に記者がドッと繰り出していました。

先日1月20日の全日本キックボクシング協会設立記者会見は格闘技専門マスコミの記者が3名のみ。翌21日のニュージャパンキックボクシング連盟年間表彰式は記者1名のみ(いずれも私以外)。

そんなキックボクシングも選手層の薄い各団体枠でなく、業界全体を見渡せば厚い選手層となる中での年間表彰式から選出されれば、受賞はより遠い存在となってしまうにしても、より一層希少価値が上がり、選手はモチベーションも上がることでしょう。

今年も進化あるキックボクシングに期待して、次回の年間表彰式も多くの記者や関係者が賑やかに談笑していることに期待したいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

今年最初の「キックボクシング 2023年の回顧と2024年の展望」の中で述べました、新団体の全日本キックボクシング協会設立と活動に向けての記者会見が1月20日に後楽園ホールで行われ、概要が発表されました。

[左]原点回帰、初陣興行ポスター [右]全日本キックボクシング協会の役員と加盟ジム一覧

栗芝貴代表は、

「私達はこの度、昨年8月1日、全日本キックボクシング協会を設立致しました。この協会名は皆さんの御存知のとおり、日本のキックボクシング最初期に作られた名称です。
 これは私達がもう一度、この素晴らしい格闘技を見つめ直すという気持ちを込めて、この団体名となりました。キックボクシングがプロスポーツ競技として益々発展し、子供達に夢や希望を与える目標に掲げて設立に至りました。現在の立ち技格闘技は多様化された幾つかのルールへと移行しております。私達が目指す本格キックボクシングは、ムエタイを始め、世界各国の強豪選手にも対等に戦える技術や精神を身に付けて、会場に来られた皆様には感動や勇気を感じて頂けるように選手を育てていくことが重要であると考えます。」

という設立の趣旨を語りました。

全日本キックボクシング協会代表となった栗芝貴代表

団体名については、「いろいろ調べましたが、以前(平成期)の全日本キックボクシング連盟と昭和期の石原慎太郎氏がコミッショナーを務めた旧・全日本キックボクシング協会の繋がりは無く、その後存続していない模様。どなたも関わっていないので問題無いと思います」と説明。

協会副代表に就任したかつての名チャンピオン、小野瀬邦英氏は「この6年程、キックボクシング界から離れていたのですが、またこの機会を昨年、栗芝会長からお話を頂いて、日の当たるところへ出して頂き、そしてまた皆さんとお会い出来ることを嬉しく思います。今後とも頑張りますので宜しくお願い致します」と語り、過去の垣根を越えた新たな顔合わせの栗芝代表との連携に注目が集まります。

かつて日本キックボクシング連盟でエース格を務めた小野瀬邦英氏が副代表を務める

◆原点回帰

栗芝代表は、

「我々がやりたいのは、やはり本格キックボクシングです。他の団体との違いは、試合によってヒジ打ち無しとか、ヒザ蹴り無しというルールは無いことです。ヒジ打ち有り、ヒザ蹴り有りという中で、時間の都合(興行内)もあるんですが、3回戦と5回戦という元来のラウンド制で、58年前にスタートしたキックボクシングという競技の姿へ、もう一度その原点に立ち返って作り上げる。世間やテレビ側に合わせるだけのイベントではなくて、プロ競技として確立したい。私達の認識はプロスポーツ競技として、常に選手が上を目指す道筋を作っていかなければならない。デビュー戦からチャンピオン目指す志を皆で共有して、原点に返って頑張ろうという気持ちで原点回帰になりました。そして我々が経験してきた様々な経験の中で、どうしたらお客さんが後楽園ホールに集まって頂けるかチャレンジしていきたいです。」

と語った。

全部で19軒の加盟ジムが発表された中、大半は新鋭のジムで、平成初期までに選手として活躍後、ジムを立ち上げ実績積み上げた会長は幾人かいますが、仲ファイティングジムとして加盟している仲俊光会長は唯一、昭和の全日本キックボクシング協会で王座挑戦まで経験した大御所でしょう。

かつての新団体立ち上げは、チャンピオンを抱えていたジムが新加盟し、初回興行から豪華カードやタイトルマッチが備わっていたものでしたが、この全日本キックボクシング協会は“1からのスタート”と言えるほど新人から育てるスタートである。正に原点からスタートする初陣興行は、3月16日土曜日に、新人戦中心ではあるが、全13試合がマッチメイクされています。今後の興行で6月、9月、12月に勝ち上がっていく選手からランキング入りし、全ての階級でチャンピオン揃うのはまだ先の話となる模様。

新日本キックボクシング協会で2022年10月23日に日本フェザー級王座挑戦まで経験した瀬川琉(稲城)はメインイベンタークラスだが、内臓損傷の為、リハビリトレーニング中で復帰時期を調整中。6月の第2回目興行か、それ以降に復帰予定という。この瀬川琉と王座を争う有力候補にあるのが同じく新日本キックでフェザー級で戦った仁琉丸(ウルブズスクワッド)だが、これが今度の全日本キックボクシング協会最初のタイトルマッチ(王座決定戦)となる可能性は高い模様。

エース格としてチャンピオン目指し、他団体にも喧嘩売る勢いでアピールした瀬川琉

◆確立したプロスポーツへ

近年はどこの団体も集客力が落ちていく中、イベント系格闘技は集客力があるが、栗芝代表らが育ってきた新日本キックボクシング協会や日本キックボクシング連盟といった団体が培ってきた日本タイトル戦。こういった道筋を築いていかなければ、何らかのショー的要素ばかりで将来、キックボクシングは無くなってしまうんじゃないかという強い想いがあったという。

「私は今から36年ぐらい前になりますけど、日本プロスポーツ大賞新人賞を頂きまして、他のプロスポーツ競技選手と同様に表彰されるような舞台に立たせて頂いたのですが、このような表舞台へまた選手を送り出せるよう、このキックボクシングをもう一回原点に立ち戻って、プロスポーツ競技として確立していくことが一番の志です。」

と栗芝代表は語る。

瀬川琉と稲城ジム栗芝貴会長、愛弟子が勝つと喜びのあまりツーショットに収まること多かった

◆任期は3年?

栗芝氏は過去39年間、伊原ジムで伊原信一会長のもとで裏方として支えて来られましたが、今回の設立後も「小野瀬くん代表やって!俺裏方やるから。」と言ったところが、小野瀬氏から「それダメです!」と突っ撥ねられて、「ならば俺、3年で全国に全日本キックボクシング協会の名前轟かせる。3年でスター選手作る。その暁には代表は小野瀬くんに代わるという計画です。組織が発展する為には、ルール、人事、常に刷新していかねばならないと思っています。一応3年で代表を代わっていく為には、後楽園ホール満員にして、この3年で作り上げていくのが僕の責任と思っています。」という“常に刷新”という発言には組織の在り方として進化が期待出来る部分です。

栗芝貴氏が過去、新人賞を受賞した日本プロスポーツ協会表彰式での、プロ野球や大相撲、プロボクシングの各競技者と並ぶ舞台に立ったことは何よりも誇らしい経験だったでしょう。しかしキックボクシング競技の確立性が伴わなかった過去、キックボクサーはステージの上でも周囲の注目が集まり難い存在でした。

確立したプロスポーツを目指すことは50年前からしっかりやるべきだった基礎固め。原点回帰して、本来有るべきキックボクシングの確立を、今から目指すことは素晴らしいことながら、これから3年でどこまで進化させられるか。まず3月16日の初陣興行に注目が集まります。今後、キックボクシング界に新風を巻き起こせれば、全日本キックボクシング協会設立の意義は、より活きてくるでしょう。

記者会見に出席した役員と各ジム会長が揃った

◎全日本キックボクシング協会 http://www.ajkba.com/

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

◆頭と頭がぶつかる原因

偶然を装うヘッドバッティングについては、「キックボクシング、勝ちたい一心の反則行為」でも少々触れましたが、プロボクシングでもキックボクシングでも起こり得る戦略でしょう。また、故意ではなくても試合早々、バッティングで試合が終了してしまう事態も多くありました。

杉山空の鼻が則武知宏にぶつかったバッティング(2022.10.29)

 

バッティングで瞼を切った杉山空はこの後、試合を止められた

その一例は1983年(昭和58年)7月10日のプロボクシング世界戦、渡嘉敷勝男vsルペ・マデラ、因縁の第3戦(渡嘉敷氏のV6防衛戦)では、偶然のバッティングでルペ・マデラが試合続行不可能に陥り、渡嘉敷勝男が第4ラウンド1分50秒、TKO負け裁定。当時は第3ラウンドまでの採点による判定(3ラウンド以内は負傷引分け)。期待された決着戦はあっけなく終了。こんな試合終了は選手当人や応援するファンとしても残念でならないでしょう。

プロボクシングでバッティングが起こる原因は、クラウチングスタイルが多い為、踏み込む足より頭が前に出る選手は、互いに打ち合いに行った際、頭同士がぶつかる場合が起こり得ると言われます。

キックボクシングでは蹴りに移る為、重心が後方に掛かりアップライトスタイルが普通。例えとして「パンチは頭をぶつけるように突っ込んで打て!」といった指導もあったようで、キックボクサーがボクシングを習って、パンチだけで頼っていくのは重心が前に掛かって、蹴りとパンチのコンビネーションブローが崩れると言う元・選手もいます。

◆切られる外傷より怖い眼窩底骨折

現在レフェリーを務める中山宏美氏は選手時代、偶然のバッティングで負傷。ドクターチェックで「相手が二人に見える」と言ったらレフェリーストップとなり、診察では眼窩底骨折が判明したと言います。

ドクターチェックにより杉山空は試合続行不可能へ、幸い負傷判定勝利

格闘群雄伝登場の赤土公彦氏は現役時代、蹴りに忠実なスタイルのせいか、「幸いバッティングの経験は無かったです。」という。しかし、20年以上前に弟さんがデビュー戦での第1ラウンドに偶然のバッティングが起こり、インターバル中、「相手が二重に見える」と言われ、「そんな強い攻撃を受けた感じもなかったので『気合いを入れろ!』と昭和チックな檄を飛ばしたのですが、試合後、検査をしたら眼窩底骨折という事で、すごく責任を感じた経験があります。」と語られました。

タイでの試合で、ある日本人選手のセコンド陣営の話では、「バッティングが起こった第3ラウンド終了後、選手がコーナーに戻って来た際に焦点が合っていない状態で『相手が二重に見える』と訴えるものの、会場のギャンブラーも陣営のタイ人トレーナーも異様に盛り上がっていて、試合を棄権させる判断が出来ませんでした。」という。幸い、視力は何事も無く徐々に回復したようでしたが、脳震盪や視界の異常はセコンド、トレーナーとしてどうすべきか、周りの盛り上がりに圧されず、危険なスポーツである認識を持って判断しないといけないと反省していた様子でした。

眼窩底骨折は眼窩の奥や底は薄い骨で、頬骨や目の周りの骨は丈夫でも、打撃の衝撃で眼窩壁が骨折し、眼球陥没等が起こる現象があります。ヒジで斬られる外傷と違って、リング上では選手が本音で「相手が二重に見える」等を言わない限り、レフェリーやドクターが目視では判断し難い状況でもあるでしょう。

初回早々、偶然のバッティングで倒れ行く花澤一成、ダメージ深く立ち上がれず負傷引分けとなった(2023.3.19)

 

この画像はバッティングではないが、傷が深い頭部の負傷は痛々しい (2023.5.21)

◆昔の選手は偶然のバッティングの経験が無い!?

昭和の選手ではバッティングで試合中断やTKOという経験が少なく、テレビ放映でも殆ど見なかった感じがします。

昭和のレジェンド達の話では、藤原敏男氏は「俺なんか意識的に頭から突っ込んで行ったよ!」という発言自体も過激ながら、試合もそういうアグレッシブな展開ではありました。

現レフェリーで、高橋宏(当時全日本フライ級チャンピオン/東金)とタイトルマッチ経験ある仲俊光氏は「現役時代、バッティングはあったかもしれないけど殆ど記憶に無く、“ちょっと頭当たったかな”ぐらい!」と言い、増沢潔氏も思い出せないほどバッティングの記憶が無い様子でした。

歳取って記憶力が衰えた訳ではなく、それほど過激な試合展開で、投げられて転ばされ、踏み付けられたり顔面蹴られたり、反則スレスレの何でもあり過ぎて、偶然のバッティングはよほどの衝撃か故意でない限り、印象に残らない様子の昭和の選手達。

少し時代が後の船木鷹虎氏は「バッティングは経験無いけど、斎藤京二さんに投げられて倒された際に顔面にヒジ落とされました。流れの中では何でもあった時代だけど、そういう事態に陥る方が悪いからね。相手より下になってはその場は負けです!」と懐かしく語られました。

 

流れの一瞬の中、接近戦での頭を押し付ける攻防。菊地拓人vs隼也JSK(2023.11.26)

◆テクニックの進化が原因!?

ムエタイの首相撲では両腕で首を掴み、頭をアゴに押し付けてロックするやるやり方はテクニックの一つですが、「意図的に頭部を使っているので厳密には反則」という意見がある一方、「戦略として頭を押し付けて行くのは有り」という意見もあります。

対首相撲のヒザ蹴り選手に対する戦法として、偶然を装うバッティングを教わった選手は頭部の使い方をしっかり伝授されているようで、ムエタイは反則スレスレの技まで奥が深いものです。

昔に比べ、バッティングで試合続行不可能になる展開が増えた近年は、ルールの徹底で負傷による早めのストップが掛かり易いこと、多彩なテクニックを学ぶ機会は増えたものの、タイ選手のように器用ではない等、ヒジ打ちや蹴りとのコンビネーションでのバランスの狂いがあるのかもしれません。

現在においては比較的背の高い選手はバッティングは起こり難いようです。階級的には長身だったNJKFの若武者役員、桜井洋平氏や若林直人氏もバッティングは経験が無いと言われました。

パンチでノックアウトされるよりダメージが深い場合もあるバッティングで、名勝負があっけなく終わることが極力無いように願いたいものです。今回のプロの意見も十人十色なので、ここでの意見は参考までに、一例として捉えてください。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◆導かれた野口ジム

ブルース京田(本名=京田裕之/1960年6月30日、富山県富山市出身)は、プロボクシング日本スーパーフェザー級4位まで上昇。チャンピオンには届かなかったが、勝った試合はすべてノックアウトで、逆転も多いアグレッシブな展開で人気を得た。

 

現役時代のプログラムに載ったブルース京田のクローズアップ

リングネームはブルース・リーが好きだったことの影響が大きいが、観客から「お前、アレクシス・アルゲリョに似てるな!」と言われたことから「アレクシス京田」も考えたという。

「とにかく目立つ名前にしたかった。ブルースでいいかな!」と思い付いたネーミングだった(4回戦時代は本名)。

昭和の殺伐とした時代で口数少ない選手が多い中、ユニークな感性を持っていたブルース京田。小学校3年生の頃からプロレスを観てアントニオ猪木のファンになり、その頃のプロボクシングでは西城正三、大場政夫、ガッツ石松、輪島功一らの世界戦に感動したことや、キックボクシングでは富山県で沢村忠の試合も観戦し、控室まで忍び込んでも、快くサインをしてくれた感動から、将来はいずれかの競技を目指していた。

しかし、「プロレスはヘビー級中心だし、目指すなら小さい身体でも出来る階級制があって世界的に競技人口多いプロボクシングの世界チャンピオン」と決めた。

高校時代、富山ではボクシングジムは存在したが、野口ジムの元・プロボクサーだった地元の先輩に野口ジムを勧められていた為、高校卒業後、上京してジム入門する計画だった。その為、一年生から続けていた陸上競技で基礎体力を付け、1979年(昭和54年)3月、卒業するとすぐに上京、野口ジムに入門。

高校時代は具志堅用高が一世を風靡していた時代。その協栄ジムに行きたかったが、先輩に対し、そんな我儘は言えなかった。入門後、練習中の肩の大怪我で長期療養し、プロテストは少々遅れることとなったが、1982年(昭和57年)春、C級を難なく取得。スパーリング審査では右クロスカウンター一発、相手を1分ほどで倒してしまった。観ていた輪島功一氏には「お前凄いなあ!」と褒められたことが嬉しく、強烈に記憶に残っているという。

◆勝利への魔力

デビュー戦は同年7月6日、平野直昭(本多)に第1ラウンドにフラッシュ気味ながらノックダウン喫し、第3ラウンドで逆転ノックアウト勝利。スリルある展開はデビュー戦から見せていた。

東日本新人王スーパーバンタム級予選トーナメントは1983年9月2日、島袋朝実(帝拳)に3ラウンドノックアウトで敗れ予選落ち。当時、野口ジムでは萩野谷さんというトレーナーが居たが、重病を患い入院してしまい、萩野谷氏が不在となると練習生は誰も来なくなってしまった。

その後、退院した萩野谷氏が三鷹市にある楠ジムを任される立場になって移籍した為、ブルース京田も楠ジムに移籍することになった(後の楠三好ジム)。

新人王スーパーバンタム級トーナメント予選は島袋朝実に敗退(1983.9.2)

島袋朝実にKO負けの直後(1983.9.2)

移籍第1戦目は1984年8月2日、2度目の挑戦となった東日本新人王スーパーバンタム級トーナメント予選は、ランボー平良(京浜川崎)に第2ラウンドと第3ラウンドにノックダウン奪われた絶体絶命のピンチのインターバル中に野口ジム時代の先輩、龍反町さんがやって来て、「京田~!お前ふざけんじゃねえぞ、コラー!」とドスの利いたでっかい声で恫喝されたのが効いたか、第4ラウンドに逆転ノックアウト勝利。

楠ジムへ移籍第一戦目はランボー平良にKO勝ち(1984.8.2)

これで準決勝に進んで黒沢道生(鹿島灘)に敗れたが、ここまで7戦5勝(5KO)2敗。次戦は初6回戦だったが、スーパーバンタム級では減量がキツく、二階級上げてスーパーフェザー級でのB級6回戦スタートとなった。二階級上げるのはなかなか居ないが、フェザー級でもフラフラで、それだけキツかったという。

同年9月24日、初の8回戦でウルフ佐藤(日立/後のチャンピオン)と引分け。それまで4ラウンドを越えたことは無かったが、全然噛み合わない凡戦ながら初めて8ラウンド終了まで戦う貴重な経験をした。

同年12月5日、強打者・飯泉健二(草加有沢)に打ち合いで敗れた後、1986年7月14日は、これも強打者で、勝つも負けるもノックアウト決着の砲丸野口(川田)だった。この試合が決まる前、高校時代の友人だったテレビディレクターが企画した「今風ボクサーは目立ち屋さん」というテーマで、TBSのテレポート6での特集が組まれたが、いざ試合となった第1ラウンドに、二度ノックダウン奪われ、「テレビ企画どうなるんだろう?」とそちらに不安が向いてしまう試合だったという。

やがて砲丸野口が失速、第5ラウンドに逆転ノックダウン奪い、第6ラウンドに連打でノックアウト勝利して後日、友人プロデューサーから「番組の評判良くて電話が何本も入ってたよ!」と喜ばれたというこの勝利でランキング入りとなった。

更に1986年12月9日、前年度西日本ライト級新人王の久保田陽介(尼崎)も第6ラウンドで倒したが、1987年3月23日、元・日本スーパーフェザー級チャンピオンの安里佳満(ジャパンスポーツ)に第3ラウンド、ノーカウントのレフェリーストップ負け。安里は元・協栄ジムで名が売れた選手。メッチャ強く上手かったという。

安里佳満にノーカウントのレフェリーストップ負け(1987.3.23)

 

最後の勝利となった佐久間孝夫戦(1987.8.25)

◆ノックアウト必至の陰り

1987年、ランキング4位まで上がるも、同年10月22日、後に日本スーパーフェザー級チャンピオンとなる赤城武幸(新日本木村)に第5ラウンドのノックアウト負け。

ここから引退まで6連敗を喫してしまう。強打者とのハードな試合が続いたのは、マッチメイカーが持って来る依頼を断ったりすると試合が組まれなくなるから、三好渥好会長が全て受けてしまっていたようだ。

もう自分が描く動きが出来なくなっていた中のラストファイトは、1989年(平成元年)10月16日、高橋剛(協栄)に第1ラウンドのノックアウト負け。これで正式に引退を決意した。生涯戦績:20戦9勝(9KO)10敗1分。

「チャンピオンに届かなかったら1位も10位も全部負け組!」と語っていたブルース京田。引退後も汗を流すことが信条で、そんな青春の忘れ物を取り戻すかのように練習を続け、楠三好ジムと古巣の野口ジムには頻繁に足を運んでいた。

◆トレーナーとして開花

ブルース京田はデビュー前からキックボクサーと交流は深かった。その縁は、まだデビュー前の1981年7月当時、権之助坂にあったキックボクシングの目黒ジムが立ち退きになる危機があった。そこから路地を下った目黒雅叙園側にある野口ジムと合併になり、キックボクサーとの合同練習の毎日となった。当時は現役バリバリの伊原信一氏にはアドバイスを受けたり、食事に連れて行って貰ったりとお世話になったという。キックボクシングを勧められたのも言うまでもない。

引退間近、我孫子稔戦(1989.5.8)

野口ジムの他の練習生らはキックボクシングに興味は無かった様子だが、ブルース京田は元からプロレスファンだったり、小学生の頃、沢村忠さんに優しく接して貰った感動からキックボクシングに理解も深かった。後にはチャンピオンと成る鴇稔之や飛鳥信也らとは頻繁に食事に行ったり、キックボクシングの技を教わって練習したりと、彼らとの交流は長く続いていた。

そんな引退後の日々、目黒ジム野口和子代表から「力ちゃん(小野寺)を視てやって!」と指示を受け、パンチの指導が始まったことは新たな展開となった。他の選手も視ているうちトレーナーとして存在感が強まると、自分の練習時間は無くなり、指導一本の時間が増えていった。

選手らは皆礼儀正しく練習熱心だが、当時の新人の北沢勝は自ら「御指導お願いします!」と名乗り出て来て、教えたことをしっかり復唱して繰り返し、また疑問を問いかけて来る。この熱心さには、チャンピオンを獲らせてやりたくなる存在だったというブルース京田。実際に北沢勝が2002年1月に日本ウェルター級チャンピオンと成った時は自分のことのように嬉しかったという。

そうして選手を育てる達成感も積み重なってくると、声が掛かるのは目黒ジムだけではない、他のジムからも引っ張りダコ。トレーナーとして忙しくなる日々へ、ブルース京田の第二の人生は大きく移り変わっていくのであった。

トレーナーとして小野寺力を指導、目黒ジムで多くのキックボクサーを指導した(1995.12.2)

※写真はブルース京田氏提供

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

昨年もキックボクシング界の出来事は細かく見れば沢山ありました。しかし世間一般の方々に心響かせるニュースは、毎年のことながら少なかったと言えるでしょう。

そんな一年間、キックボクシング業界関係者、ファンの中では比較的インパクトあった話題をここだけの独断と偏見で纏めてみました。

◆重森陽太、本場ラジャダムナン王座初挑戦も奪取成らず

今年2月19日に、ラジャダムナンスタジアム・ライト級王座挑戦した重森陽太(伊原稲城=当時)、チャンピオンのジョーム・パランチャイに判定負けで王座奪取成らず。ポイントは僅差であっても、相手に優る駆引きの差は大きいムエタイの壁でした。

その翌月、新日本キックボクシング協会から伊原稲城ジムの脱退があり、重森陽太は脱退した稲城ジムからの離脱で、個人でもフリーとなりました。その後は主に「KNOCK OUT」に出場しており、今後の彼自身のビッグイベントに注目されます。

殿堂ムエタイ王座奪取成らなかった重森陽太(2023.2.19)

◆吉成名高はラジャダムナン王座二階級制覇と現地で初防衛

 

7月に殿堂王座二階級制覇した吉成名高(2023.11.26)

吉成名高が11月26日に1年ぶり2度目のジャパンキックボクシング協会KICK Insist出場。1年前と比べ、新たな実績が上積みされていました。

2018年12月9日のラジャダムナンスタジアム・ミニフライ級に続き、2019年4月14日にルンピニースタジアム同級王座をも奪取には、二大スタジアム同時制覇は初と言われた当時の快挙の後、昨年は7月9日にラジャダムナンスタジアム・フライ級王座奪取し、殿堂王座の二階級制覇は外国人として初快挙。

8月12日には本場スタジアムでKO初防衛と更なる快挙を達成。2001年1月8日生まれの吉成名高の今後は三階級制覇や日本でのムエタイの浸透、メジャー化を目指しています。その表れが今年の防衛戦や井上尚弥並みの複数階級への挑戦でしょう(“名高エイワスポーツジム”がリングネームですが、世間一般に伝わり易いように、ここでは本名にしてあります)。

◆武田幸三の新天地

昨年1月29日はジャパンキックボクシング協会の興行で、いつもの武田幸三氏の気合いが入るYashioジム主催の「CHALLENGER」興行でしたが、5月14日に予定されていた「CHALLENGER」興行は中止となっていました。

しかし、9月10日にはNJKFアマチュア部門の「EXPLOSION.38」に於いて、武田幸三氏が登場。ベストファイトに送られる「武田幸三賞」が復活していました。すでに察する情報はありましたが、10月に入って武田幸三氏はニュージャパンキックボクシング連盟にTAKEDAジムとして移籍加盟。その存在感は健在。

11月12日のニュージャパンキックボクシング連盟興行「NJKF 2023.5th」は「CHALLENGER」興行復活となって武田幸三氏にNJKFが乗っ取られたような興行の変わりようでした。2024年は2月11日から「本気でトップ狙って本気でトップの団体にしようと思っています。」と語った武田幸三氏主催の興行が続きます。

新天地で活動開始した武田幸三氏(2023.11.12)

◆“新団体”全日本キックボクシング協会誕生

2月19日の重森陽太が挑戦したラジャダムナン王座の興行後、伊原稲城ジムが脱退したことはすでに述べたとおりですが、「新団体を立ち上げる!」と言っていた栗芝貴会長。当初はフリーのプロモーターとしての活動かと思いましたが、実際に団体として8月に全日本キックボクシング協会を設立されました。

12月17日には稲城ジムでアマチュア大会を開催。すでに稲城、SQUARE-UP、JTクラブ、バンゲリングベイ、ウィラサクレック、MONKEY-MAGICといった知名度有るジムを含めた20軒のジム加盟が発表されていて、3月16日(日)には後楽園ホールで設立記念興行が開催されます。

この団体名は昭和40年代の創生期に、老舗の日本キックボクシング協会(TBS系)に対抗する形で存在した全日本キックボクシング協会(日本テレビ系、東京12チャンネル系)や、1987年(昭和62年)に復興する形で始まった全日本キックボクシング連盟とも直接的な関係は無い新団体となります。この名称、使えるのかなと思いましたが、引き継いだ人物がいないことや商標登録されていなければ問題無いと考えられます。

比較的歴史の浅いジムが多いことから新時代の展開が見られると考えられますが、どんな歴史を作り上げるか、設立興行から今後の運命が掛かるでしょう。

新生全日本キックボクシング協会発動

◆老舗を継承する新日本キックボクシング協会の今後

 

江幡塁が復活宣言(2023.10.15)

2019年の分裂とコロナ禍明けに稲城ジムが脱退し、5月に日本ライト級チャンピオン、髙橋亨汰(伊原)がジムと協会脱退。勝次(藤本)は先に発表済ながら10月15日の試合を最後に脱退しTEPPENジムに移籍。メインイベンタークラスが次々脱退が続く中、フリーとなった重森陽太が7月に新日本キックボクシング協会のリングで御挨拶に立ちました。

「今後の進路を迷っていた時に、伊原会長から『お前はキックボクシングを続けなさい。今迄頑張って来たのだから、お前の好きなようにやりなさい。』と激励の言葉を頂き、背中を押されました。」と語っていましたが、伊原信一代表の“去る者は追わず”、激励の言葉を掛けて送り出す姿には粋な計らいの印象が浮かびます。髙橋亨汰や勝次、栗芝貴氏にも同じ計らいだったと言えるでしょう。

ただ、これで新日本キックボクシング協会が、散々噂された崩壊へ繋がるとは思えません。立て直しへの兆しが10月15日興行で復活宣言した江幡塁の存在で、「僕は今後、新日本キックボクシング協会代表のもとで、選手育成を行なっていきたいと思っています。」

「新日本キックボクシング協会から世界を獲れるような強さ、そして自覚を持った選手を輩出していけるように力を尽くしていきます!」という言葉から読めて来るものが今年の興行に表れて来るでしょう。

◆東京町田金子ジム閉鎖とこの年引退した選手

前身は1972年(昭和47年)に創設された萩原ジムで、後にジムを引き継いだ金子修会長でしたが、その後は1987年の全日本キック復興の頃からチャンピオンが育ち、存在感も増していったかと思います。一昨年の千葉ジム閉鎖に続く、歴史あるジムの閉鎖は時代の流れ、世代交代を強く感じます。

東京町田金子ジムが閉鎖、金子修会長に花束贈呈(2023.4.16)

更にこの年、引退テンカウントゴングを聴いたのは2月11日の「NO KICK NO LIFE」興行で森井洋介、喜入衆、緑川創、4月15日のNKBでの笹谷淳、10月8日のジャパンキックボクシング協会での内田雅之がいました(確認出来る範囲まで)。

皆、長らくの現役に完全燃焼した姿。緑川創は目黒イズムを継承するかのように、その時戦える最強の相手、海人と対戦。完膚なきまで打たれ続け散った緑川創でした。内田雅之も体調の影響でラストファイトは王座決定戦での睦雅戦となりましたが、ボロボロになるまで5回戦を戦い抜いての完全燃焼でした。

完膚なきまで倒された緑川創に内山高志氏より労いの花束贈呈(2023.2.11)

森井洋介の引退テンカウントゴング、身体の故障でセレモニーのみだったが完全燃焼の現役生活だった(2023.2.11)

◆プロに繋がるアマチュアの存在感

アマチュアではWBCムエタイジュニアリーグ全国大会の存在も将来に繋がり、世界大会は2年に一度の開催として第2回が今年2月2日~5日、タイ・バンコクのルンピニースタジアムでの開催予定で、これがプロに繋がるステップとして注目が集まるでしょう。まずは2月の世界大会に注目です。

WBCムエタイジュニアリーグ全国大会から世界大会へ舞台は整った(2023.11.5)

◆ガルーダ・テツ東京進出のその後

テツジムが目標だった6人目チャンピオン誕生には繋がっていませんが、NKBでのタイトルマッチが停滞している中では無理があったでしょう。12月16日に棚橋賢二郎を破ったばかりの勇志は今年、フェザー級王座争奪トーナメントに出場予定でチャンピオン有力候補。一昨年から続く、日本列島テツジム計画は着々と進行中でしょう。

思い付くままの回顧録でしたが、今年も幾つも新たな展開が見られるでしょう。それが世間一般の人に少しでもインパクトを与えるなら、吉成名高が目指す日本でのムエタイメジャー化、武田幸三氏の言う「自己主張がしっかり出来る人間、目標が明確な人間、本気でキックボクシングに命を懸けている人間が勝ち残るリングへ」という意識向上へ、キックボクサーを大舞台に立たせる計画へ繋がることでしょう。

また今年の一年を振り返った際、業界の前進・飛躍が見られることに期待致します。

日本列島テツジム計画中のガルーダ・テツ会長とデビュー戦を終えた期待の新星・中山航輔(2023.12.16)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

テツジムからは東京2名、大阪4名、岡山1名合わせて3勝3敗1分。勇志が棚橋賢二郎破る飛躍の圧勝。

◎野獣シリーズ FINAL(Vol.7) / 12月16日(土)後楽園ホール17:30~21:08
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第14試合 59.0kg契約 5回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県出身/ 58.65kg)
23戦11勝(7KO)11敗1分
        VS
NKBフェザー級3位.勇志(テツジム大阪/2000.4.28大阪府出身/ 58.8kg)
12戦9勝(4KO)2敗1分
勝者:勇志 / TKO 3ラウンド 13秒
主審:前田仁

NKBフェザー級トーナメントに繋がる試合である。

「棚橋は攻撃力あるがディフェンスに難あり」と言われていた前評判。

スピードあるサウスポーの勇志がパンチで先手を打って出た後、強い左ミドルキックが棚橋のボディーにズバッとヒット。更にパンチからの左ミドルキックは完全に主導権を奪った勇志。左ヒジ打ちから右フックでノックダウンを奪う。

更に勇志のパンチ連打から左ハイキックでインパクトを与え、縺れ合った中、勇志の左フックで2度目のノックダウンを奪う。

第2ラウンド、棚橋も巻き返しに掛かるが勇志の勢いを止められず、再び勇志が強い左ミドルキックでインパクトを与え、左ローキックでノックダウンを奪う。更にローキックでダメージを与えて棚橋が前かがみになったところで右ローキックから左ストレートでスタンディングダウンを奪う。

勇志の鋭い左ミドルキックが棚橋賢二郎のボディーに度々ヒット、インパクトを与えた

第3ラウンド、勇志がローキックで攻め、棚橋がパンチで出て組み付いたところで首相撲の形からヒザ蹴り連打した勇志。棚橋陣営からタオルが投げ込まれたが、レフェリーの背後で、勇志陣営のセコンドが相手陣営のタオル投入を訴えたか、レフェリーの独自の判断か、試合を止めレフェリーストップとなった。

勇志は「今日の試合は完璧でしょう。全部倒せる技を身に着けていたので、相手の攻撃も全部見えていて、貰っても怖くなかったですね。」と応えた。

勢いに乗った勇志がパンチ、ヒザ、ヒジ、飛び蹴りも見せた

◆第13試合 62.0kg契約 5回戦

横山典雄(元・聖域統一60kg級C/不死鳥道場/1986.5.13新潟県出身/ 60.8kg)
9戦7勝(4KO)2敗
        VS
NKBライト級5位.蘭賀大介(ケーアクティブ/1995.2.9岩手県出身/ 61.95kg)
8戦5勝2敗(3KO)1NC
勝者:横山典雄 / 判定3-0
主審:高谷秀幸
副審:笹谷49-46. 亀川50-46. 前田49-47

初回、蘭賀大介がローキックから前蹴り、ハイキックなど蹴りからパンチでやや攻め手が多いも終了間際にやや強い横山の右ストレートを貰ってしまう。

第2ラウンドも蘭賀大介がローキックからパンチの流れも終盤、横山の右ストレートで蘭賀はノックダウン喫するがラウンド終了。ダメージは無いが、横山が主導権を奪った。

第3ラウンド、攻防激しくなるがローキック中心に高い蹴りも牽制。パンチの攻防が増えて行くが第4ラウンド、激しくなるパンチの打ち合いで、やや蘭賀が盛り返し連打で追うが、両者とも精魂尽き果てた表情。これが5回戦で見られる本来の姿。

激しくなった打ち合いの横山典雄と蘭賀大介

最終第5ラウンドも蹴りからパンチへ繋げ、打ち合いはやや蘭賀が持ち返したかと見えたが、横山のヒットも目立って互角。互角に蹴りとパンチの交錯が続いて終了。

打ち合ったダメージがやや心配な両者の脳への影響も、蘭賀大介はしっかり試合展開を覚えていて、「1ラウンドは蹴りを当てて、2ラウンドも蹴りを当てていたんですけど、右のパンチ貰ってダウンして、3ラウンドぐらいから蹴りが当たらなくなってパンチで行ったらあんな感じになちゃっいました。」と振り返った。

横山典雄の右ストレートで蘭賀大介がノックダウンを喫する

◆第12試合 60.0kg契約 3回戦

NKBフェザー級4位.矢吹翔太(team BRAVE FIST/1986.8.2沖縄県出身/ 59.65kg)
16戦10勝3敗3分
        VS
KEIGO(BIG MOOSE/1984.4.10千葉県出身/ 59.95kg)
22戦7勝9敗6分
引分け 1-0
主審: 鈴木義和       
副審:加賀見30-30. 笹谷30-30. 前田30-29

前回対戦した2月は矢吹翔太の首相撲からのヒザ蹴りがやや上回って判定勝利ながら、大差は付かない噛み合わなかった試合で、「組むんだったら倒しに行け!」と、ヒザで倒すか絶対打ち合うことが条件の試合と言われていた。下手な試合したら暫く試合組まれなくなる脅しもある中、前回より両者積極的だったが決め手を欠く展開の引分け。矢吹翔太がもっと圧倒していかねば合格点は難しいだろう。

打ち合うことが条件。しかしインパクトあるヒットは少なかった

いきなり飛んだ半澤信也、気が抜けない得意技を持っている

◆第11試合 フェザー級 3回戦

半澤信也(team arco iris/1981.4.28長野県出身/ 57.05kg) 29戦11勝(4KO)14敗4分
         VS
堀井幸輝(ケーアクティブ/1996.11.7福岡県出身/ 56.75kg) 4戦2勝1敗1分
勝者:半澤信也 / 判定3-0
主審:亀川明史
副審:前田30-29. 高谷30-29. 鈴木30-29

初回、ローキックからパンチ中心の攻防。動きはあるがヒットにインパクトが無く差は出ない流れ。第2ラウンドに半澤信也のいきなりの飛びヒザ蹴り。半澤にはこれがあるから油断ならないがヒットせず。手数優った半澤信也がやや優勢維持し、各ラウンド、僅差の振り分けながら半澤信也が勝利を導いた。

◆第10試合 54.0kg契約 3回戦

牧野亮佑 -無所属-(1990.07.24栃木県出身/ 53.95kg) 10戦5勝5敗
        VS
シャーク・ハタ(テツジム東京/1987.10.20大阪府出身/ 53.4kg) 9戦4勝4敗1分
勝者:牧野亮佑 / 判定3-0
主審:笹谷淳
副審:前田30-26. 加賀見30-28. 高谷30-28

初回から牧野亮佑のサウスポーからの左ハイキック、パンチ、先手の攻めがインパクトを与える。

第3ラウンドにシャーク・ハタの右ストレート打ち終わりに合わせて牧野が左ストレート打ち込むとクリーンヒットし、シャーク・ハタがノックダウンを喫する。時間は少なく逆転狙ったシャーク・ハタは巻き返せず終了。

牧野亮佑の左ストレートを、うっかり貰ったシャーク・ハタがノックダウン

ちさと(右)が何度も当てたヒジ打ちでコウキの左目辺りが腫れ上がっていった

◆第9試合 62.5kg契約 3回戦

NJKFスーパーフェザー級8位.コウキ・バーテックス
(VERTEX/1997.9.20栃木県出身/ 62.3kg) 11戦4勝6敗1分
        VS
ちさとkiss Me!!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/ 62.25kg)
38戦7勝(2KO)28敗3分
勝者:ちさとkiss Me!! / TKO 2ラウンド1分37秒
主審:亀川明史

初回、蹴りからパンチの静かな攻防も組み合いに移り、ちさとのヒジ打ちがコウキの左目上辺りをヒット。更に密着したまま身体を預けて転ばし、打ち合いたいコウキだが、ちさとの組み付きに手を焼く。更に打ちこむヒジ打ちをしつこく続けたちさと。一旦離れても更に組み合ってヒジ打ち。コウキの左目瞼から眉上まで腫れ上がる。

第2ラウンドも、ちさとは組み合いコウキのコブにヒジ打ち叩き込む。コブは腫れが酷くなってドクターの勧告を受け入れたレフェリーストップとなった。ちさとのヒジ打ちは切りに行くヒットではなく、ゴツゴツ当てるヒジ打ちで、コウキの目が塞がりかけた為のストップとなった。

◆第8試合 55.0kg契約 3回戦

香村一吹(渡邉/2007.2.22東京都出身/ 54.7kg) 3戦3勝(1KO)
        VS
兵庫志門(テツジム大阪/1996.4.14兵庫県出身/ 54.65kg) 12戦4勝(1KO)6敗2分
勝者:香村一吹 / TKO 3ラウンド35秒
主審:加賀見淳

渡邊ジムとして期待の16歳高校生キックボクサー。パンチからローキック、時折ハイキックを放つ香村一吹。戦歴で上回る兵庫志門が圧倒するかと思われた初回は香村が勇敢に攻め、迎え撃った兵庫志門。互角の展開だが、香村の善戦が目立つ。次第に兵庫志門が勢い付いてきた感はあるが、香村は蹴られたら蹴り返し互角を保つ。
第3ラウンドに香村が蹴りから組み合うタイミングで右ヒジ打ちをヒット。左眉上を切った兵庫志門。パンチからヒザ蹴りに出て行くがドクターチャックが入り、そのままドクターの勧告を受け入れレフェリーストップとなった。香村は3連勝。渡邉ジムでは来年も頼もしい存在となるだろう。

香村一吹が積極的に攻める、地味ながらしっかり技を持っている

◆第7試合 54.0kg契約 3回戦

幸太(八王子FSG/1998.3.19山形県出身/ 53.85kg) 6戦1勝5敗
         VS
滑飛レオン(テツジム岡山/2004.12.23岡山県出身/ 53.8kg) 6戦4勝(3KO)1敗1分
勝者:滑飛レオン / KO 1ラウンド51秒 / 3ノックダウン
主審:笹谷淳

◆第6試合 ライト級 3回戦

須藤誇太郎(フジマ/2001.8.12神奈川県出身/ 61.1kg) 6戦4勝(1KO)1敗1分
        VS
龍志(テツジム大阪/1995.12.12大阪府出身/ 60.6kg) 4戦1勝3敗
勝者:須藤誇太郎 / 判定3-0
主審:高谷秀幸
副審:鈴木30-25. 前田30-25. 笹谷29-26

◆第5試合 ライト級 3回戦

辻健太郎(TOKYO KICK WORKS/1984.3.13東京都出身/ 61.05kg) 4戦2勝(1KO)2分
        VS
津田宗弥(クロスポイント吉祥寺/1980.1.8神奈川県出身/ 60.95kg) 2戦1勝1敗
勝者:辻健太郎 / 判定3-0
主審:加賀見淳
副審:亀川30-29. 前田30-29. 笹谷30-28

◆第4試合 女子51.5kg契約 3回戦(2分制)

RUI・JANJIRA(JANJIRA/2000.11.5東京都出身/ 51.1kg) 3戦1勝2敗
        VS
足立麻衣子(ワンサイド/1996.4.4長野県出身/ 51.45kg) 4戦4敗
勝者:RUI・JANJIRA / 判定3-0
主審:鈴木義和        
副審:前田30-26. 亀川30-26. 高谷30-26

◆第3試合 ウェルター級 3回戦

安田学登(TEAM Aimhigh/1995.9.14群馬県出身/ 66.45kg) 8戦1勝7敗
        VS
健吾(BIG MOOSE/1993.10.10千葉県出身/ 66.35kg) 3戦2勝1敗
勝者:健吾 / 判定1-2
主審:笹谷淳
副審:前田30-29. 亀川29-30. 加賀見29-30

◆第2試合 ミドル級 3回戦

TOMO JANJIRA(JANJIRA/1992.1.12京都府出身/ 72.5kg) 3戦2敗1分
        VS
木戸翔太(テツジム大阪/1983.2.4大阪府出身/ 71.95 kg) 2戦1勝1分
引分け 1-0
主審:高谷秀幸
副審:鈴木30-29. 亀川29-29. 笹谷30-30

◆第1試合 58.0kg契約 3回戦

岡部惇(アント/1993.10.20岡山県出身/ 57.9kg)1戦1敗
        VS
中山航輔(テツジム東京/2002.10.13香川県出身/ 57.6kg)1戦1勝
勝者:中山航輔 / 判定0-3
主審:前田仁
副審:鈴木26-30. 笹谷28-30. 加賀見28-30

イッセイ会長と勇志、応援旗を掲げたトレーナーと勝利のポーズ

《取材戦記》

ガルーダ・テツ会長は「テツジム7名は良いところも悪いところもあったが、皆よく大阪も岡山も頑張ってくれた。中山航輔はデビュー戦ながら粘ってノックダウン奪うし良かったな」といきなり振った質問にも応えてくれました。練習で厳しく、試合前も険しい表情だが、試合終われば優しいコメントに移るのは毎度のことかな。
棚橋賢二郎を破った勇志はフェザー級王座争奪トーナメントに出場予定でチャンピオン有力候補でしょう。更に棚橋賢二郎とのタイトル(たぶんライト級)を懸けたリマッチも視野に入れている模様。NKBでの世代交代も進んでいるなと感じる勇志の存在である。

テツジム大阪の兵庫志門にヒジ打ちで勝利した香村一吹は2月のデビュー戦と6月の第2戦目も判定勝利だが、ノックダウン奪っての勝利で、今回はヒジ打ちTKO。何か秘策持ってるな香村は。「これが当たれば絶対勝てる」といった技があれば強い。次戦は更なる上位と対戦になるだろうが、来年の注目株である。

2024年の日本キックボクシング連盟興行は、「冠鷲シリーズ」として、
2月17日(土)後楽園ホール
4月20日(土)後楽園ホール
6月29日(土)後楽園ホール
7月28日(日)大阪176BOX、NKジム・テツジム2部制興行
8月10日(土)新潟万代島多目的広場大かま、拳心館興行
10月19日(土)後楽園ホール
12月14日(土)後楽園ホール
以上が予定されています。

「冠鷲」は何と読むのか。うっかり読めなかった私。日本では沖縄地方に少数生息し、特別天然記念物となっている“カンムリワシ”。昭和時代だったら読めたのに。字が読めたかより具志堅用高氏のキャッチフレーズだったから読めただけでしたけど。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◆丈夫会(ますらおかい)とは?

格闘群雄伝第2回に登場して頂いた元・日本ライト級チャンピオン飛鳥信也氏に、「ここにまだ目黒ジムの原点が残っているよ!」とお聞きし、先日お伺いしたのが創価大学キックボクシング部・丈夫会でした。

飛鳥信也氏は現役引退15年後の2011年に筑波大学大学院に入学し、スポーツマネージメントを学び、選手の心のケアに重点を置いた研究を続けました。2013年に筑波大学大学院で修士号も取得。自らアマチュア版キックボクシング数々の大会に出場し、還暦を過ぎても実戦しながら論ずる指導者を続けています。

その飛鳥信也氏が師範を務める丈夫会では、12月9日に35年続いている(コロナ禍を除く)という第53回昇級昇段審査会が行われました。

1年生、川越勇輝のミット蹴りによる技量審査

口頭試問を受ける川越勇輝

空手部としては全国の大学・高校に存在し、諸々の大会が各地で行われていますが、キックボクシング部としては創価大学、東海大学、日本大学、拓殖大学、中央大学、専修大学、明星大学、東洋大学などに存在し、1972年(昭和47年)設立の全日本学生キックボクシング連盟選手権大会で、創価大学は過去8回の団体優勝。その丈夫会は創価大学キックボクシング部の名称で、“丈夫”は三国志から由来する“勇気のある強い男”を意味します。

飛鳥信也氏が現役時代、「青春を完全燃焼したか不完全燃焼で終わったかで、大いなる人生の分岐点がある。」という持論を掲げていましたが、その完全燃焼とは、1988年1月、越川豊(東金)から王座奪取した際、チャンピオンベルトを持って、創価大学創立者・池田大作名誉師範を訪問したところ、「あしたのジョー」の「真っ白な灰に燃え尽きるまで戦うんだ」というストーリーを例に激励・指導してくださった文言で、その池田名誉師範の教えが直結する丈夫会であると語られています。

緊張を解す大地フォージャーの語りがあった

◆昇級昇格口頭試問審査が厳しい

この日に行われた、通常半年に一度の審査会の段級は四級、三級、二級、一級、初段があり、コロナ禍を挟んだ為、4年ぶりの今回、審査を申し込んだのは1年生4名。コロナ禍前は10名程居た様子。

実技審査はシャドウボクシング(1ラウンド/3分)での基本動作と、パンチと蹴りのミット打ち(1ラウンドずつ)での技量審査、実戦力と総合力を見るスパーリング(1ラウンド/2分)が行われました。

これだけでも日々の地道な練習の積み重ねが必要ですが、丈夫会特有の精神性を問う口頭試問は、審査に通る為だけの勉強では通過出来ません。実技練習と同じぐらいの時間を通して丈夫会宣言にある三つの項目と、その在り方を把握して身体に沁み込ませておかねばなりません。これが筆記試験とは違う、他校には無いであろう飛鳥信也師範オリジナルの、現役時代さながらの縦横無尽な質疑が待っていました。深層心理を抉り、自ら気付き、自らの行動を促すというアスレチック・カウンセリングマインドを駆使した審査でした。

飛鳥氏よりいきなり大地の奥様に質問を任せた為の方向転換、垣野隼人への質疑応答

キューバからの留学生、フラビオ選手。肩の脱臼で口頭試問のみだがパンチが強い選手

丈夫会宣言第一項には、「我々丈夫会は、丈夫の心を以って人間練磨に励み、この青春を完全燃焼していきます。」と掲げられています。

「宣言第一項の中で、いちばん心に留まる言葉は何ですか?」の飛鳥氏の問いに、「“完全燃焼”の言葉が心に残ります。」と応えた受審者。そこから「この宣言に“完全燃焼”の文言が有るのは何故ですか?」というプレッシャー掛ける問いに繋がった。

「青春のある時期に一つのことに打ち込んで前後の見境なく全てを費やしてやり切る。やり切った極地の言葉が完全燃焼。その完全燃焼することが、その後の人生の大きな分岐点となる。」

悔いを残さぬ学生生活で、その後の人生での飛躍へ、その大学生の最終イベントは就職の面接。そこで活かされるように、審査は実力向上の為に、あらゆる角度から質疑に掛かる。回答に惑い苦戦する受審者もそれぞれの思考を廻らし応えるのもまた良い経験値となったでしょう。

ゲスト審査員として招聘されたのは、創価大学出身で現・ジャパンキックボクシング協会ウェルター級チャンピオン・大地フォージャー(=山本大地/誠真)でした。

大地は「学生時代にキックボクシング部に見学には行ったものの入部していませんでした。」と語り、その心残りをプロデビューに向けた想いと、学生時代で悔いを残さないよう完全燃焼することの重要さを語られました。飛鳥師範のような厳しい突っ込みは無いものの、プロの目から見た意見は的確なアドバイスでした。この日、丈夫会名誉会員に任命された大地フォージャー。これからも指導に訪れる立場となった。チャンピオンとして今後もより一層試合一つ一つが完全燃焼である。

ゲスト審査員、大地フォージャーがスパーリング指導を務めた

大地フォージャーからプロ目線のテクニックを語った

◆キックボクシングの原点とは?

飛鳥信也氏が現役時代、目黒ジム入門当時から見た練習風景は、野口里野会長がジム出入り口にある会長席に座って、口癖のようにリングに向かって毎日毎日叫んでいたという。

「ジャブを打ちながら左に左に回るんじゃよ!」
「止まったらいかん、動いて動いて!」
「前後前後、上下上下、下から打った方がいいんじゃよ!」
といった声が響いていた。

実戦力と総合力を見る太田勇樹のスパーリング、相手はコーチが務めた

元・日本ライト級チャンピオンの飛鳥信也師範。未だ実戦と研究と指導の日々

里野会長とはライオン野口という昭和初期の日本ウェルター級チャンピオンだった野口進氏の奥様。キックボクシング創始者・野口修氏の母親である。

練習生は皆、「野口おばあちゃんがまた何か言ってる!」と適当に聞き流し、自分なりの練習をやっていたという。

里野会長も若い頃からボクシングの現場を見て来た人。考え方は古くても知識は持っていたのである。その里野会長の言葉を素直に聞いて忠実にやっていた飛鳥信也は、やがて縦横無尽に動いて、どんな角度やタイミングでのパンチや蹴りが出るか分からない「動きが読めない広角殺法」を導き出しチャンピオンに上り詰めた。

それは目黒ジムの原点、野口家の直属の教えを伝授され継承し、その指導を続けているのは飛鳥信也が指導する創価大学の丈夫会で、日本のキックボクシングの原点がここにあるという。

◆飛鳥信也の戦い

12月17日には稲城ジムでのアマチュアキックボクシング大会に出場した飛鳥信也。熊田真幸(SQUARE-UP)と1ラウンド(1分制)で引分け。開始早々やや圧されながら打ち返して挽回した模様。次は来年2月18日、総合アマチュア大会XSTREAMにエントリー中という。

野口里野会長は1988年5月に永眠し、2016年には野口修氏も永眠。時代の節目を感じる中、野口家の教えは飛鳥信也氏が担っている。野口里野会長から教わったフットワークから、答えを導き出した縦横無尽の広角殺法のように、学生が自分で答えを導き出す指導は昇級審査でも活かされていた。今回の丈夫会昇級審査はまだ初心者レベルで、飛鳥信也氏の広角殺法には及ばないが、キックボクシングの淵源は無くならないと感じさせられる指導でした。

現在と過去が入り混じる丈夫会。私(堀田)も目黒ジムでの見学や取材の立場ではあったが、里野会長の怒鳴り声を聞いたことのある一人。飛鳥信也氏の指導姿から里野会長の声も聞こえて来るようであった。

四級昇級審査に臨んだ左からフラビオ、垣野隼人、太田勇樹、川越勇輝、来年は二級まで行けるか?

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

◆試合前の重要事項

キックボクサー達の過酷な減量とトレーニングを経て、試合に臨む前に立ちはだかる計量。それともう一つ立ちはだかるのはドクターによる検診があります。健康診断的にキツイ、辛いものではないので不安材料が無い限り心配する選手は少ないでしょう。

プロボクシングでは前日計量時において、計量の前に検診が義務付けられています。検診をパスしないと計量器に乗れないのが規定です。キックボクシングでは主催者・団体によりますが、プロボクシングと同様か、計量は前日、検診は当日会場入り後と別々が多いと見受けられます。

計量時の昔ながらの血圧測定(1982年1月4日)

主な診断は、心拍数、体温、血圧、瞳孔検査、問診など簡易的診察といった範疇でしょう。コロナ禍では簡易PCR検査も行われていましたが、現在はおそらく行なうところは少なく、平常に戻ったようです。

昭和や平成初期頃までのキックボクサーは、現在の一般人が熱中症に罹り易い暑さの中でもジムワークと減量をしていて、今でも一般人が入院するような環境でも体調を崩さず、あるジム会長は「現在でも普通の人が熱中症に掛かるほどの、ちょっと無理しても俺らの時代の者は問題無いよ!」と言うほど免疫ある頑丈な肉体が多いようです。

聴診器で心音を聞く、一般人と変わらない診察(1982年1月4日)

◆検診の幅

その昭和時代は、検診という時点でも試合出場可能とする許容範囲は広かったと考えられます。実際には高熱でドクターストップが掛かった選手もいましたが、例え高い数値が計測されても選手は上手く言い包め、「38度以上熱があっても、試合前に嘔吐するような状態でも試合をしたこともありました。」という例や、骨折していてもドクターに悟られないよう、無理して出場といった場合も多かったと言われます。

タイでは現在、ラジャダムナンスタジアムなど、法的に標準規定を満たしている厳格なスタジアムは朝計量前に検診があり、基本の身体測定の他、足の爪が伸びていれば、日本でも同様ながら注意されるようです。また夕方のスタジアム入りした際にも簡易的に検診があるようで朝夕の二重検診になっているようです。

これは計量後にも体調を崩してないかの検診で、薬物を盛られてないかの確認があるようです。計量後に何者かに薬を盛られて尿が止まらないといった事態や、意識朦朧となって倒れてしまう例もあるようです。

アメリカでは各州が義務付けるアスレチックコミッションの厳格な検診があり、身体測定の他、通常の検診に加え、眼科医による眼の精密検査、歯医者による歯の状態まで診られる様子で、これは他の原因で失った歯を試合のせいにして保険金を騙し取る手口があった為と言われます。アメリカでは訴訟の国と言われるほど弁護費用が安く、些細なことでも訴えると言われているだけのことはあるという感じです。

チェンマイでの検診の一部、主要スタジアムやテレビ放映があるビッグマッチでは堅実に検診は行なわれるムエタイ(1995年1月29日)

◆ドーピング検査は進まない

オリンピックでは必要不可欠となっているドーピング検査は、プロ競技ではなかなか難しい問題のようです。日本ではプロボクシング世界戦のみドーピング検査が行われていますが、以前は簡易的な検査で、日本においては2020年大晦日の井岡一翔選手の故意ではないながらも物議を醸す事態が発生したことは記憶に残るところでしょう。

まずキックボクシングにおいてドーピング検査実現に至らないのは、公的な分析機関に依頼するとなると費用が高額という点に尽きるでしょう。更には疑念を持たれる結果が出易い点。風邪薬などの市販薬でも陽性となる点は仕方無いとしても、種類によっては食品やサプリメントからも陽性が出るものがあるとなると、詳細に禁止薬物、食品を区分けしなくてはならない難しい問題となってしまいます。この基準が決定し難いと、故意ではなくても違反者が続出し、出場停止となったら小規模で運営される団体は、コロナ禍より興行数減少が起こり得るでしょう。

現状はダメージを軽減するとか、疲れない体質を保つなどの、覚せい剤などのよほど強い薬を使わなければ試合を優位に導く効果は薄く、反面、副作用も現れる身体への負担があります。これがどうしても勝たねばならない、多くの群衆に注目されるレベルの世界戦などの最高峰の戦いになれば「どんな手を使ってでも勝つ!」という発言も意味深になってきますが、勝ってもすぐビッグマッチへ繋がり難い細分化した団体の、ランカー以下の戦いでは、ドーピングする意味が無いと考えられ、「ドーピングしたとしても顎でも打たれたら倒れるだろうし、効き目が薄くてリスクが高いから現状では殆どやらないでしょう。」という意見は多いようです。

瞳孔検査に選手が並ぶ、バンテージを巻いている点から夕方試合前の光景(1986年6月28日)

◆疾病と検査

1990年代前半から問われ始めたのがエイズ検査でした。更にB型肝炎の検査も注目され始め、近年ではこれらも検査が進んでいるようで、頭部のCTスキャンを含めた一つの例としては、ジャパンキックボクシング協会では年一度のライセンス更新時に検査を義務付けて、試合出場認可という診断書を受けている様子です。他団体等でも検査項目や手順は違っていても実施は進んでいる様子です(選手負担が一般的)。

一般的に報道されることが少なくなると感染者は減少したかに錯覚し易い、これらの疾病は幾らか感染報告はあるようで、今後も検査の重要性も増していくでしょう。

スポーツマンシップに反する薬物使用はやる奴はやるのでしょうが、違法薬物は長期に渡って精神をも蝕む恐れがあるので、最初から手を出さない方が賢明です。

禁止薬物と食品に及ぶ複雑さや検査すべき疾病も増えて来た現在、今何をすべきかは解らないにしても、他のメジャー競技の動向を参考としながらも、今後も新たな展開を注視したいものです。

コロナ禍では前日計量時に簡易PCR検査が行われた(2020年9月26日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

ビクトリージムの主役、永澤サムエル聖光は薄氷の引分け。
瀧澤博人は元・世界覇者の牙城崩せず。
睦雅はベテラン健太をヒジ打ちで破る殊勲。

◎KICK Insist 17 / 11月26日(日) 後楽園ホール17:15~21:00
主催:VICTORY SPIRITS、ビクトリージム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA) 

◆第13試合 52.5㎏契約 5回戦

名高・エイワスポーツジム(=吉成名高/2001.1.8生/ 52.5kg)58戦52勝(34KO)5敗1分
        VS
ルンサックノーイ・シットニワット(タイ/ 51.7kg)大凡120戦超

名高は現・ラジャダムナンスタジアム・フライ級チャンピオン
ルンサックノーイは元・ムエサヤーム・スーパーフライ級チャンピオン

勝者:名高エイワスポーツジム / TKO 2R 0:25
主審:椎名利一

名高がどんな高度な技を見せるか注目の初回、蹴りの駆引きでのスピーディーな攻防は、名高がやや攻勢を維持。第2ラウンドには互いの左の蹴りが交錯。名高のハイキックがルンサックノーイのアゴにヒットすると、両者がダブルノックダウンのように倒れ込むが、名高はバランスを崩したスリップ。ルンサックノーイは失神状態で後方へ倒れ、マットに後頭部を打ち付け、ノーカウントのレフェリーストップとなった。ほぼ1分程、意識回復まで身体を起こせないダメージだった。

左の蹴り合い、しっかり狙っていた吉成名高のハイキックがヒットする

スリップした名高はすぐ立ち上がり勝利確信。ルンサックノーイは大の字

◆第12試合 61.4㎏契約 3回戦

永澤サムエル聖光(ビクトリー/ 61.4kg) 42戦28勝(12KO)10敗4分
       VS
ボム・ピンサヤーム(タイ/ 61.3kg)34戦27勝(10KO)4敗3分

永澤サムエル聖光は現・WBCムエタイ日本ライト級チャンピオン
ボム・ピンサヤームは元・ルンピニー系スーパーバンタム級チャンピオン

引分け 0-1
主審:少白竜
副審:椎名28-29. 仲29-29. 中山29-29

ローキック中心にパンチを繰り出す永澤サムエル聖光が主導権を奪いつつある中、ベテランのボムは永澤のローキックで効いた様子を見せながらも、BOMスポーツジムでトレーナーを務めるボムは簡単に勝負を捨てるボクサーではなかった。

永澤サムエル聖光の左ストレートがボムの胸元にヒット、いつもの勢いはあった

しぶとくパンチでジワジワ反撃に出て来るボム。第3ラウンドにはボムの右ストレートで永澤は腰砕け的尻餅ダウンしてしまう。プッシュ気味のパンチでダメージは無く、すぐ立ち上がったことでノックダウン裁定とはならず続行。残り時間は少ない中、パンチの交錯で終了。スリップ裁定のダウンはノックダウンとされても仕方無い流れで、レフェリーに救われた感もあった。

ボムの右ストレートで尻餅ついた永澤サムエル聖光、際どいダウン

◆第11試合 57.5㎏契約 3回戦

瀧澤博人(ビクトリー/ 57.4kg) 38戦25勝(13KO)9敗4分
VS
ペットタイランド・モー・ラチャパットスリン(タイ/ 56.9kg)大凡100戦超

瀧澤博人はWMOインターナショナル・フェザー級チャンピオン
ペットタイランドは元・WBC・IBFムエタイ世界スーパーフライ級チャンピオン

勝者:ペットタイランド / 判定0-2
主審:勝本剛司
副審:椎名29-30. 仲29-29. 少白竜29-30

初回、瀧澤博人はローキック中心にミドルキックとパンチの牽制で様子見。第2ラウンドには蹴りの攻防からペットタイランドの蹴りの勢いが増し、ハイキックが瀧澤を襲う。瀧澤はローキック中心に巻き返していくも、ペットタイランドの圧力に突破口が見い出せない。試合終了時の会場内は、瀧澤の勝利は難しい空気が漂っていた。結果、ペットタイランドの勢いを止められず、ポイント的には僅差判定負け。

負けられない瀧澤博人の右ストレートとペットタイランドの右ミドルキック交錯

◆第10試合 64.0㎏契約 3回戦

JKAライト級チャンピオン.睦雅(ビクトリー/ 63.8kg)19戦13勝(7KO)4敗2分
           VS
健太(元・WBCムエタイ日本ウェルター級Champ/E.S.G/1987.6.26群馬県出身/ 63.8kg)
114戦65勝(21KO)42敗7分
勝者:睦雅 / TKO 2R 1:55
主審:中山宏美

パンチとローキック中心の睦雅。健太の出方を落ち着いて見て、睦雅の左ジャブで健太の前進を止め主導権を譲らず、睦雅の成長と強さが感じられた。

第2ラウンドにはパンチからヒジ打ちで健太の眉間辺りをカットし、飛びヒザ蹴りで圧力を掛ける睦雅。流血激しくなった健太にドクターチェックが入り、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップとなった。

いきなり飛ぶからフレームから外れてしまったが、睦雅の飛びヒザ蹴りヒット

◆第9試合 52.0㎏契約 3回戦

JKAフライ級1位.細田昇吾(ビクトリー/ 51.9kg)19戦11勝(1KO)6敗2分
        VS
同級2位.西原茉生(治政館/ 52.0kg)12戦7勝(2KO)4敗1分  
勝者:西原茉生 / 判定0-3
主審:椎名利一
副審:勝本29-30. 中山29-30. 仲29-30

新鋭・西原茉生は先手を打つ蹴りで細田昇吾に主導権を与えず、互角以上の展開で成長を見せた。

西原茉生の左ハイキックで細田昇吾に圧力を掛ける

◆第8試合 67.0㎏契約 3回戦

JKAウェルター級1位.正哉(誠真/ 66.65kg)9戦6勝(2KO)3敗
        VS
NKBウェルター級5位.Hiromi(拳心館/ 66.75kg)8戦4勝(4KO)4敗 
勝者:正哉 / TKO 1R 0:31 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

正哉は蹴りから打ち合いに入ったところで左フックがヒット、この速攻の攻防でHiromiはノックダウンし、ダメージ深く、カウント中のレフェリーストップ。

これもいきなりのノックダウン。KOの気配はあったが速かった

◆第7試合 ウェルター級 3回戦

JKAウェルター級2位.政斗(治政館/ 66.68kg)31戦17勝(4KO)11敗3分
        VS
同級4位.我謝真人(E.D.O/ 66.6kg)13戦3勝(1KO)9敗1分 
勝者:政斗 / 判定3-0
主審:勝本剛司
副審:椎名30-27. 少白竜30-27. 仲30-27

序盤、我謝真人のパンチ、ヒザ蹴り、ミドルキックでの攻めがあったが、政斗は慌てず手数とヒット数で攻勢を維持した経験値が優った展開でジャッジ三者ともフルマークでの大差判定勝利。

政斗がベテラン技で我謝真人を圧して行った

◆第6試合 ライト級 3回戦

JKAライト級4位.古河拓実(KICK BOX/ 61.05kg)5戦5勝(2KO)
        VS
同級5位.林瑞紀(治政館/ 61.23kg)13戦6勝(1KO)6敗1分
勝者:古河拓実 / KO 2R 2:57
主審:中山宏美

第2ラウンド古河拓実が右ハイキックで林瑞紀からノックダウンを奪い、更にハイキックからパンチ連打で2度目のダウン、パンチ連打で3ノックダウンとなってノックアウト勝利。

古河拓実の前蹴りが林瑞紀にヒット

◆第5試合 56.5㎏契約 3回戦

JKAフェザー級4位.勇成(Formed/ 56.4kg)5戦4勝(3KO)1敗
       VS
石川智崇(KICK BOX/ 56.25kg)4戦2勝1敗1分
勝者:勇成 / TKO 2R 2:20
主審:椎名利一

初回に勇成が左フックで石川智崇からノックダウンを奪い、第2ラウンドにも左フックでダウンを奪い、右ヒジ打ちで頭部にヒットさせると、ダメージを見たレフェリーがノーカウントでストップをかけた。

◆第4試合 フライ級3回戦

花澤一成(市原/ 50.7 kg)6戦1勝(1KO)3敗2分
     VS
阿部温羽(チームタイガーホーク/50.9→50.85→50.8kg)6戦2勝3敗1分
勝者:阿部温羽 / 判定0-3 (29-30. 29-30. 28-30)

◆第3試合 ライト級 3回戦

岡田彬宏(ラジャサクレック/ 61.05kg)7戦4勝(1KO)3敗
     VS
勇(OU-BU/ 61.1kg)8戦3勝(1KO)5敗
勝者:岡田彬宏 / 判定3-0 (30-28. 30-28. 30-28)

◆第2試合 ライト級 3回戦

菊地拓人(市原/ 60.9kg)2戦2敗
     VS
隼也JSK(治政館/ 61.1kg)5戦1勝3敗1分
勝者:隼也JSK / 判定0-2 (28-29. 29-30. 29-29)

◆第1試合 ミドル級 3回戦

白井大也(市原/ 72.3kg)2戦1分1NC
     VS
久保英輝(MIYABI/ 71.8kg)2戦1敗1分
引分け 三者三様 (29-29. 29-30. 30-29)

《取材戦記》

吉成名高が1年ぶり2度目のジャパンキックボクシング協会KICK Insist出場。2018年のミニフライ級に続き、今年7月9日にラジャダムナンスタジアム・フライ級王座奪取し、二階級制覇。8月12日には本場スタジアムでKO初防衛。昨年同様に本来の主役、ビクトリージム勢とは違った会場の雰囲気変わるメインイベンターだった。

エイワスポーツジムの中川夏生会長は名高の今後について「三階級制覇は当然なんですけど、名高が行きたい方向へ行かせてやりたいですね。仮に一部で噂されるプロボクシングに行くとしたら、ムエタイに戻って来れなくなると思います。でも名高はあくまでムエタイを突き詰める方向を目指しています。名高が日本でムエタイをメジャーに出来なかったら、日本でムエタイがメジャーになることは100パーセント無いと思います。その名高がムエタイを日本で広める最後のチャンスだと思います。」

元々キックボクシングはヒジ打ち有りだったことを強調され、その原点に戻ってメジャーを目指さねばならないという信念があるでしょう。今後は階級を上げて行く予定という。

本場でムエタイ王座目指す、永澤サムエル聖光と瀧澤博人は主導権奪えず不完全燃焼。

7月16日のKICK Insist.16で「今年は勝負に向けた準備の年」と語っていた瀧澤博人は来年への足掛かりとなる試合だったが、攻めの攻防は互角も、圧倒に至る為の突破口を見い出せず、僅差判定でも負けは負けで出直しの来年となる。

永澤サムエル聖光も7月興行で「ラジャダムナンチャンピオンを倒さないと満足出来ない!」と語っていたが、今回は辛うじて引分け現状維持。来年初戦は仕切り直しのスタートになる。

スリップ裁定のダウンはノックダウンとされても仕方無い流れで、レフェリーに救われた感もあった。仮に、定期的にレフェリーを務める日本人レフェリーの判断だったら8割以上はノックダウン裁定としただろう。しかしタイ人レフェリーだったら逆に8割ぐらいはスリップ裁定としたかもしれない。「昔のリー・チャンゴン氏だったら確実にノックダウン裁定だな」とは思うが、「当たって倒れればノックダウン」と「クリーンヒットしててもダメージが無いなら瞬時に立ち上がればフラッシュダウン。ノックダウンとはしない」という裁定はレフェリーとして瞬時の判断は難しいでしょうね。プロボクシングの場合、いずれも最高権限者のレフェリーが判断したら、その場はその裁定に従うしかありませんが、ラウンド終了後、ジャッジによって審議に入ることは可能です。

睦雅はベテラン114戦目の健太にヒジ打ちでTKO勝利。3月に王座決定戦で内田雅之を破りチャンピオンとなって勢い付いて健太を破った今回。来年も注目株となりそうです。

2024年最初のジャパンキックボクシング協会興行は、3月24日(日)に後楽園ホールに於いてKICK Insist.18が開催予定となっています。今年度は武田幸三氏が抜けたことで、次の新春興行が無いのはやや痛いところか。

5月には日時未定ながら市原臨海体育館での市原ジム興行。

7月28日(日)に後楽園ホール、9月29日(日)に新宿フェイス、11月17日(日)に後楽園ホールで開催。現在のところ年5回の興行が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

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