◆相手の動きを止める技

キックボクシングは骨と骨がぶつかり合う競技である。その中のローキックとは名の通り“低い蹴り”を意味しますが、位置的には腰より下の脚を狙うことになります。その蹴り易い位置にあるのが大腿筋(太腿)を狙ったローキックでしょう。最近はカーフキックが注目されていますが、これもローキックの一種です。

ムエタイとは異なり、キックボクシング式に考えれば、パンチとローキックのコンビネーションブローがノックアウトに繋がり易い展開で、昭和40年代の創生期こそはローキックに対する防御が出来ない選手も居たようですが、ムエタイから学ぶテクニックが浸透していくと蹴り方や避け方、ブロックの仕方が熟練していきました。

しかしそこはプロの戦い。互いが戦略持って戦えば、駆け引きの中で上手く蹴れない展開や逆にやられてしまう敗北もありました。

ヤンガー舟木のローキックをブロックする須田康徳、昭和の名勝負の中で(1982年12月18日)

松本聖がローキックで逆転KOに結び付けた酒寄晃戦(1983年3月19日)

笹谷淳の得意のカーフキック、天雷しゅんすけにヒット(2022年6月18日)

◆防御

相手の蹴りを自分の胸の高さまでは膝(ヒザ)から脛(スネ)を盾にしてブロック。ハイキックを避けるには腕ブロックもしますが、腕で受けては強い衝撃で負傷の恐れがある為、動きが読めるなど可能な限りスウェーバックして避けた方がいいと言われます。

その脛を鍛える為にはビール瓶で脛を叩く伝説もありますが、ジムのリングの鉄柱を軽く蹴ったり、野球バットを打ち付けるのはあまりやらない方がよく、多くはミット蹴りやサンドバッグを長期間蹴っているうち、脛は自然と堅くなるようです。
或いは大きいサンドバッグの詰め物が重力でしっかり詰まった底の堅い部分を蹴るといいとも言われます。

そんな練習で鍛え上げた脛を持つプロ選手に「どこからでも蹴ってみろ!」と言われても簡単に脛でブロックされるので、それが素人にとっての脛は弁慶の泣き所で、痛いと分かるから本気で蹴れない怖さがあるでしょう。

技術的には、パンチ主体の構えでは脚のスタンスが広く重心が前に掛かり気味で、比較的ローキックは貰い易いと言われます。蹴り主体のスタンスでは膝を柔軟に、重心を真ん中(両足)に、踵(かかと)は常に上げ気味にフットワークを使い、対ローキックには脛ブロックで対応出来る感じです。

細田昇吾のカーフキックがTOMOにヒット(2022年11月20日)

◆経験談

顎(アゴ)にパンチや蹴りをまともに喰らえば脳震盪を起こし、ボディーに喰らえば腹部全体が鈍痛で呼吸困難になり、ローキックを脚に何発も貰うと麻痺して歩くことも困難に立ってもいられなくなると言われます。

過去のインタビューから得た話ながら、テツジム会長の武本哲治氏はプロ・アマチュアのボクシングの経験の後、キックボクシングデビュー戦で早くもローキックで痛い目に遭いました。脛ブロックも身に付いておらず、第2ラウンド中盤には脚を引き摺り、第3ラウンドには立っているのがやっとで、諦めた訳でもないのに脚が言うこと聞かず三度のノックダウンを奪われノックアウト負け。悔しさからリング上で号泣。そこからローキックの蹴り方と避け方、パンチとのコンビネーションブローを研究するも、真っ新な新人よりボクシングを熟知しているが為に、逆に身に付き難いコンビネーションに苦労したと言います。

元・全日本バンタム級チャンピオンの赤土公彦氏は「デビュー前のまだ脛ブロックも覚えていないのに、先輩方に散々ローキックで脚を蹴られて、脛ブロックの大切さを痛感。プロになって以降、家族や知り合いの前で無様にノックダウンするところは見せられないという意地が芽生えました。」と言う経験談。

空手経験者の話では、練習生に太腿を蹴らせて我慢する練習方法もあるようで、ダメージには慣れていく対処法もある様子。

1990年代までのキックボクシングの指導では「パンチからローキック!」と短絡的な指導中心だったという当時のチャンピオンも居ますが、「上下の打ち分けや、様々な蹴り方を研究する時代に入って進化した」と言われます。

昔の指導で「ボディーブローとローキックで負けるのは恥!」と言われたのは、「忍耐力が無い」と言った意味合いがありますが、忍耐力はあってもローキックで脚が麻痺して立てなくなることは、赤土氏が言うような、あまり見せたくない無様と思える展開なのでしょう。

則武知宏のローキックをブロックする藤原あらし(2022年12月24日)

岩橋伸太郎にローキックをヒットする内田雅之(2023年1月29日)

◆技の進化

最近はカーフキックが注目され、MMA(Mixed Martial Arts)などの総合格闘技から流行りだしたと言われますが、キックボクシングでもよく見かけるようになりました。

堅い脛を避けて、脹脛(ふくらはぎ)側面や後ろから上手く蹴れたら効果的ながら、脛を蹴ってしまうと蹴った方にダメージが残ったりします。

カーフキックを貰ってしまうのは、蹴りに対する対応を甘く見ていたり、「脛ブロックしないから効いてしまうんだ!」と言う意見も多い中、

「スパーリングで左ミドルキックを蹴ったら、右ローキックを合わされ、右脹脛を蹴られて歩けなくなって、それまでカーフキックを軽く見ていましたが、やはり脛ブロックがいちばんの防御でしょう。」という昔の某選手が甘く見ていて蹴られた感想。

1990年代のムエタイ名チャンピオン、ジョンサナン・フェアテックスは足払いみたいな形でカーフキックをよく使っていたようです。この蹴り難いカーフキックを的確に当てられたら、それは芸術的なテクニックで、そんな選手が増えていくかもしれません。

今回のテーマは、キックボクシング関係者からの一定の情報で纏めており、もっと高度な技術論もあるかと思いますが、あくまで一般向け解説として御理解ください。

笹谷淳のカーフキックがカズ・ジャンジラにヒット(2023年2月18日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランスとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家した。

◆競技の基盤はアマチュアから

アマチュアのムエタイ、キックボクシングに関しては、過去にも若干、話題を取り上げることはありましたが、この10年ではアマチュア界は遥かに進化し、競技人口は日本だけでなく海外でも大幅に増えています。裾野が広がり基礎が出来上がれば、数十年後にはプロとしても競技の確立に繋がる期待が高まるでしょう。

ボクシングには大正時代からアマチュアボクシングがあり、競技的には別組織でも、アマチュアからプロへの転向は実績が分かり易く、比較的スムーズな流れを持っています。

キックボクシングは創生期からアマチュア競技は無かったため、空手の経験を経てキックボクシングに移って来ること多く、昭和末期になってキックボクシング団体が母体となる、顔面打撃ありの新空手(全日本新空手道連盟)やグローブ空手(全日本グローブ空手道連盟)といった空手スタイルのアマチュア版キックボクシング競技が普及・継続されてきました。

2005年にはタイ国のムエタイ関係者がプロボクシングのWBCに打診し、プロのWBCムエタイが発足。その影響も含め、2007年頃から幾つかのプロ団体やプローモーターが低年齢層を対象としたジュニアキック・ムエタイ大会をアマチュア枠として活動し始めました。

2019年8月、第5回大会開催

WBCムエタイ日本協会代表を務める齋藤京二氏

2019年、中学生の部の55kg未満で上田咲也と対戦した小林亜維二

現在も多くの組織でアマチュア大会は拡大化し、オリンピック新種目を目指すIFMAといったタイ国が拠点の団体や、世界大会まで段階を組み立てたWBCムエタイ・アマチュア大会が存在します。

WBCムエタイ日本協会(元・実行委員会)傘下に於いては2015年から始まったU-15大会、翌年からU-18も開催。コロナ禍前の2019年8月24日に開催された、WBCムエタイ・ジュニアリーグ第5回U-15(第4回U-18)全国大会では全19階級の覇者が決定。
近年のコロナ感染拡大の影響で、2020年から各国で中止が続いたものの今年は再開に漕ぎ付けました。

WBCムエタイ・ジュニア世界大会は2022年8月にカナダ・バンクーバーで第1回大会が行われており、世界21ヶ国のU-18の代表選手にて開催されました。2年に一度の開催として、次回は第2回大会として2024年2月2日~4日、タイ国ホアヒンビーチにて開催予定です。

その出場選手代表選考会として、2023年11月5日に第6回WBCムエタイジュニアリーグ全国大会が、11月5日(日)に新宿区百人町のGENスポーツパレスにて開催されます。キックボクシング各団体やプローモーター主宰のアマチュア大会は多いものの、プロの柵は無く交流が続けられており、全国大会には各地域のアマチュア大会より代表選手を選出され、世界大会出場権を争うことになります。

WBCムエタイ・アマチュアのチャンピオンベルト

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WBCムエタイ・ジュニアリーグ世界大会日本代表選考会
(第6回WBCムエタイ・ジュニアリーグ全国大会)

2019年、中学生の部55kg未満で優勝した小林亜維二

日時:11月5日(日)午前10時より選手受付計量開始(予定)
試合開始:午前11時30分(予定)
主催:WBCムエタイジュニアリーグ実行委員会

出場年齢、階級、アマチュアとして、また少年期としてのジュニアルール制定、必須用具等の指定が有ります。

ジュニア層は身体の発育期にあり、無理な減量は行なわない指導もされている模様。そのため、世界大会まで極力待機期間が空かない11月開催が予定。

競技会の年齢別カテゴリー(参加は10歳以上)
キッズ・12歳未満(10~11歳)
キッズ・14歳未満(12~13歳)
ジュニア・16歳未満(14~15歳)
ジュニア・18歳未満(16~17歳)

参加選手の年齢は、試合当日の生年月日で決定されます。
ジュニアカテゴリーでの参加選手の最高年齢は17歳を超えてはなりません。

ラウンド数
キッズ/12歳未満(3回戦/1分制/インターバル1分)
キッズ/14歳未満(3回戦/1分半制/ インターバル2分)
ジュニア/16歳未満(3回戦/2分制/インターバル2分)
ジュニア/18歳未満(3 回線/3分制/インターバル1分半)
ジュニア王座決定戦(5回戦/2分制/インターバル2分)

制限                      
ヒジ打ち無し、キッズ(14歳未満)は頭部顔面への攻撃は禁止、ジュニアは頭にヒジ打ち、ヒザ蹴りは禁止。    

着用必須用具(グローブ・トランクス以外)
ボディプロテクター、マウスピース、肘サポーター、ノーファールカップ、バンテージ、レッグガード(脛保護サポーター)、ヘッドギア

階級
キッズ(kg)は10歳から13歳まで30kgから60kgまで2kg間隔のリミット、60kg超から71kg超まで異なるリミットが存在します。

ジュニア:16歳未満、18歳未満。基本的には大人と同じ階級。
階級はミニフライ級からライトヘビー級までプロボクシングの階級に準じ、クルーザー級以上はスーパーヘビー級まで異なる4階級のリミットが存在します。

他、医療関連の問題に関する適格性
最終決定は、計量時前のメディカルチェック時に医師によって行われます。

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2022年1月、ウェルター級でプロデビューした小林亜維二、山内ユウと対戦

十代の成長は早いものです。個人差はあれど、3ヶ月で1~2cm、体重も2~3kg増えそうなものです。長期に渡るトーナメント戦は成人の場合と違い、ウェイト制の難しさがあるので開催はしない模様。アマチュアの試合なのでワンデートーナメントが多いものの、世界大会出場権を得ての3ヶ月は大事に過ごして欲しいものです。

かつては他のアマチュアイベントに於いて、那須川天心、福田海斗、吉成名高らがアマチュアジュニアムエタイを経てプロで名を馳せました。WBCムエタイ・ジュニアリーグだけでないジュニア世代の、今後も新たなスター発掘となる十代の活躍でしょう。

2019年、第5回大会の表彰選手達、今年の優勝者は誰か

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今回のメインイベンター則武知宏はTOMOにヒジ打ちで切り裂く見せ場を作るも引分けに終わる。

◎野獣シリーズvol.3 / 6月17日(土)後楽園ホール17:30~21:02
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

(試合順は中止試合を省いています。戦歴はパンフレットより。この日の結果を含む)

◆第13試合 フライ級5回戦

NKBフライ級3位.則武知宏(テツ/1994.12.5岡山県出身/50.65kg)
19戦8勝(4KO)7敗4分
        VS
NJKFフライ級3位.TOMO(K-CRONY/1982.10.30茨城県出身/50.65kg)
22戦7勝(5KO)12敗3分
引分け0-1
主審:前田仁
副審:加賀見49-49. 鈴木48-49. 高谷49-49

則武知宏は昨年12月24日に、ノンタイトル戦ながら藤原あらしに挑む形で、4ラウンド3ノックダウンによるKO負けを喫しているが、今回のメインイベントはTOMOを迎え撃つ形でしっかり勝利を掴みたいところ、両者は2020年2月8日に3回戦で引分けており、今回は5回戦で決着が付くと思われた。

引分けは惜しいが、一進一退の攻防が続いた則武知宏とTOMOの5回戦

初回はローキック中心の攻防。距離は遠く、単発の蹴りで長丁場を意識した様子見の両者。第2ラウンドには距離が近くなり、蹴りからパンチが激しくなる。

第3ラウンドには則武知宏がTOMOを青コーナーに追い詰め、ヒジ打ちでTOMOの額を切ってややリズムに乗って攻勢に転じるも、TOMOも劣勢を許さず先手打つパンチとローキックもあったが決定打に繋がらず試合終了。攻防の密度は濃かったが、またも引分けに終わった。

TOMOの長身が活きる中、則武知宏の距離を詰めての攻勢も強かった

健闘を称え合いツーショットに収まる両者

◆第12試合 57.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級9位.TAKERU(GET OVER/1999.4.20愛知県出身/ 56.55kg)
25戦16勝(8KO)8敗1分
        VS
NJKFバンタム級4位.吏亜夢(ZERO/2004.12.3栃木県出身/56.85kg)
14戦8勝4敗2分
引分け 1-0
主審:高谷秀幸
副審:加賀見30-29. 鈴木29-29. 前田29-29

アンダーカードに比べ、スピーディーで、しなやかさが増した蹴りの攻防。2ラウンドまでは吏亜夢の長身を活かした蹴りと首相撲からヒザ蹴りで主導権奪った展開も、初回からコツコツ蹴って来たTATERUのカーフキックが第3ラウンドには逆転した流れで吏亜夢を苦しめたが時間切れで終了。

KAKERUがカーフキックで吏亜夢を苦しめた

ラストラウンド、吏亜夢の左ストレートがヒット

◆第11試合 ライト級3回戦

KEIGO(BIG MOOSE/1984.4.10千葉県出身/60.75kg)21戦7勝9敗5分
      VS
蘭賀大介(ケーアクティブ/1995.2.9岩手県出身/61.1kg)7戦5勝(3KO)1敗1NC
勝者:蘭賀大介 / 判定0-3
主審:加賀見淳
副審:前田27-30. 鈴木27-30. 高谷27-30

初回、互角の攻防から徐々に首相撲からヒザ蹴りの連打と圧力で第3ラウンドにはKEIGOを体力消耗でヘロヘロにしたところで右ストレートからパンチ連打でロープダウンを奪った蘭賀大介。更にパンチで追って大差判定勝利。

グロッギー状態のKEIGOを追い詰める蘭賀大介

蘭賀大介の連打を受けてロープダウンを喫するKEIGO

◆第10試合 59.5kg契約3回戦

半澤信也(Team arco iris/1981.4.28長野県出身/59.35kg)27戦9勝(4KO)14敗4分
       VS
NIIZMAX(クロスポイント吉祥寺/1980.9.20東京都出身/59.0kg)32戦15勝15敗2分
引分け 三者三様
主審:鈴木義和
副審:前田30-29. 高谷30-30. 加賀見29-30

スロー気味にフェイント入れる蹴りで、やや変則的なNIIZMAX。半澤信也も攻め難そうな中、互いのヒットも単発で噛み合わない攻防の末の引分け。

決定打の無い展開からラスト1秒でNIIZMAXが後ろ蹴りを見せる

◆第9試合 60.0kg契約3回戦

田中大翔(不死鳥道場/2002.7.4新潟県出身/59.0kg)7戦6勝(4KO)1敗
        VS
山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/60.0kg)13戦5勝(4KO)5敗3分
勝者:田中大翔 / TKO 2R 1:21 /
主審:前田仁

序盤は山本太一の先手パンチが有効だったが、田中大翔の左ストレートで山本がバランスを崩したような転び方。スリップ扱いだったが、このパンチが効いていたか、流れは田中に傾き、第2ラウンドにも左ストレートで山本を倒し、立って来るがカウントほぼ8辺りでレフェリーストップ。

田中大翔の左ストレートを喰らってスリップダウンする山本太一、これは効いていたか

◆第8試合 55.0kg契約3回戦

ベンツ飯田(TEAM Aimhigh/1997.4.17群馬県出身/54.7kg)14戦3勝(1KO)9敗2分
       VS
蒔田亮(TOKYO KICK WORKS/2002.6.23千葉県出身/54.9kg)3戦3勝
勝者:蒔田亮 / 判定0-3
主審:加賀見淳
副審:高谷27-29. 鈴木28-29. 前田28-29

ダブルノックダウン寸前のパンチ交錯の後、蒔田亮がパンチでノックダウンを奪って攻勢を維持して判定勝利。

ダブルノックダウン寸前から蒔田亮が攻勢に転じてここでノックダウンを奪う

◆第7試合 57.5kg契約3回戦

村上祐馬(不死鳥道場/1994.6.23長野県出身/57.25kg)3戦2勝(2KO)1分
       VS
堀井幸輝(ケーアクティブ/1996.11.7福岡県出身/57.3kg)3戦2勝1分
引分け 0-1
主審:鈴木義和
副審:高谷29-29. 前田29-29. 加賀見29-30

下がり気味の堀井幸輝だったが、クリーンヒットが優って互角の展開に収まり引分け。

◆第6試合 ライト級3回戦

マングース松崎(NEXT LEVEL渋谷/2003.3.7沖縄県出身/60.15kg)3戦1勝1敗1分
        VS
辻健太郎(TOKYO KICK WORKS/1984.3.13東京都出身/61.2kg)3戦1勝2分
引分け 三者三様
主審:高谷秀幸
副審:加賀見30-29. 前田30-30. 鈴木29-30

◆第5試合 54.5kg契約3回戦

安河内秀哉(RIKIX/2003.10.7東京都出身/54.4kg)5戦3勝(2KO)2敗
      VS
煌(KANALOA/2004.12.18岐阜県出身/54.45kg)1戦1敗
勝者:安河内秀哉 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:加賀見30-28. 前田30-28. 高谷30-28

安河内秀哉がカーフキックで煌を苦しめ主導権奪って第2ラウンドと3ラウンドを抑えて判定勝利(10-9)。

◆第4試合 バンタム級3回戦

幸太(八王子FSG/1998.3.19山形県出身/53.3kg)5戦1勝4敗
      VS
香村一吹(渡邉/2007.7.22東京都出身/53.4kg)2戦2勝
勝者:香村一吹 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 27-30)

香村一吹は前進気味に幸太をロープ際に追うが蹴りが少ない。それでも接近戦でパンチ連打でスタンディングダウンを奪って大差判定勝利。

◆第3試合 60.0kg契約3回戦

木村郁人(BIG MOOSE/2000.12.27千葉県出身/59.65kg)5戦1勝4敗
      VS
利根川仁(Realiser STUDIO/2003.1.24東京都出身/59.6kg)1戦1勝
勝者:利根川仁 / 判定0-3 (26-30. 26-30. 26-30)

第2ラウンドに利根川仁がヒザ蹴り連打でスタンディングダウンを奪って攻勢を維持して大差判定勝利。

◆第2試合 女子53.0kg契約3回戦(2分制)

KARIN(HEAT/2007.2.15静岡県出身/51.9kg)2戦1勝1敗
     VS
RUI・JANJIRA(JANJIRA/2000.11.5東京都出身/52.7kg)1戦1敗
勝者:KARIN / 判定2-0 (29-28. 30-30. 29-28)

KARINが前蹴りの素早さで主導権奪って攻勢維持。RUIも細かくパンチを打って出る踏ん張りを見せた。

◆第1試合 ウェルター級3回戦

健吾(BIG MOOSE/1993.10.10千葉県出身/66.3kg)2戦1勝1敗
      VS
後藤啓太(拳心館/1997.8.29新潟県出身/66.6kg)2戦2勝(1KO)
勝者:後藤啓太 / 判定0-3 (28-30. 28-30. 29-30)

◆フェザー級3回戦 真生の体調不良により欠場により中止
真生(神武館)vs増田康介(Realiser STUDIO/ 56.75kg)

《取材戦記》

前回興行までは藤原あらしや片島聡志が特別出場していた感じの賑やかさも、今回は特別参加は無く、やや物足りなさを感じる興行でした。更に13試合中5試合が引分け。それがセミファイナルとメインイベントが含まれていては消化不良の印象は拭えないでしょう。

第12試合で、蘭賀大介の連打を受けてKEIGOがロープダウンを喫しました。ロープが無ければ倒れていたと考えられる状態を言います。今回はスタンディングダウンと言っても問題無い範疇でしょう。スタンディングダウンは立ったまま打たれ続けては危ない為、“ノックダウン同様扱い”となりますが、プロボクシングではスタンディングダウンが無い為、このまま試合ストップされます。これには賛否両論あるようですが、スタンディングダウンは有った方がいいと思います。

日本キックボクシング連盟興行は8月5日(土)に拳心館主催興行、野獣シリーズvol.4が新潟県万代島大かま多目的ホールにて開催。メインイベントは「棚橋賢二郎(拳心館)vsガン・エスジム(タイ)。

8月6日(日)には大阪府豊中市の176BOXに於いて、「Z-V Carnival」が朝11時より開催。メインイベントは高橋聖人(TRIANGLE)vsどん冷え貴哉(Maynish)。夕方興行では「ガルーダフェスvol.4」が15時30分より開催。メインイベントは高橋一眞引退試合、高橋一眞(TRIANGLE)vs駿(Reborn)。

いずれも野獣シリーズvol.5となるようです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

月刊『紙の爆弾』2023年7月号

タイからやって来た実力者二名はいずれも左フックでノックダウンを奪って勝利に結びつけ、オールラウンドプレーヤーの実力を見せた。
ヨッド・パランチャイは波賀宙也に判定勝利。
ペッチ・パランチャイは山浦俊一にノックアウト勝利。
在日タイ選手のガン・エスジムもしぶといムエタイ技で判定勝利を飾った。

◎NJKF 2023.3rd / 6月4日(日)後楽園ホール17:30~20:25
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:NJKF、S-1
(戦績はNJKF発表でこの日の結果を含む)

◆第8試合 S-1世界ジュニアフェザー級(122LBS)王座決定戦 5回戦

ヨッド・パランチャイ(1999.5.4タイ・ナコンシータマラート出身/ 54.2kg)
       VS
波賀宙也(立川KBA/1989.11.20東京都出身/55.33kg)46戦27勝(4KO)15敗4分
勝者:ヨッド・パランチャイ / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:中山50-46. 児島50-47. 少白竜49-46

波賀宙也は元・IBFムエタイ世界Jrフェザー級チャンピオン。
ヨッド・パランチャイは現・BBTV・120LBS級チャンピオン。元・タイ国ムエスポーツ協会ミニフライ級チャンピオン。

主審・副審はWBCムエタイライセンスを取得している審判団で構成。

波賀宙也の蹴りに対する様子見のヨッド・パランチャイ。牽制する波賀は突破口を開きたいがヨッドの返し技の圧力が強い。

波賀も負けない攻勢を掛けるも的確さで優るヨッド。試合への意気込みを語っていたとおり、オールラウンドプレーヤーぶりを発揮。

第4ラウンドにはヨッドが狙った左フックで波賀がノックダウンを喫する。最終ラウンドには逆転狙う波賀と、逃げ切りモードのヨッドは下がり気味ではあるが波賀のクリーンヒットは許さず熟練のテクニックで凌いだ。

ペッチと似た流れでヨッド・パランチャイの左フックが波賀宙也の顎に炸裂

その左フックでノックダウンを喫した波賀宙也

先手打つヨッド・パランチャイが前蹴りで波賀宙也の前進を拒む

◆第7試合 61.0kg契約3回戦

ペッチ・パランチャイ(2003.9.21タイ・ナコンシータマラート出身/59.75kg)
VS
山浦俊一(新興ムエタイ/1995.10.5神奈川県出身/60.8kg)32戦17勝(3KO)13敗2分 
勝者:ペッチ・パランチャイ / KO 2R 1:25
主審:竹村光一

山浦俊一は前・WBCムエタイ日本スーパーフェザー級チャンピオン。

開始早々のペッチの左フックで山浦俊一が不覚のノックダウン。すぐさまペッチはヒットさせるよりプレッシャーを掛けるような飛びヒザ蹴り。パンチも強く、ハイキックもローキックもしなやかにスピーディーに蹴って来るペッチ。

ダメージは少ない山浦は冷静に巻き返しに出るが、目が良いペッチ、第2ラウンド半ばにはまたも左フックでノックダウンを奪うと山浦はゆっくり立ち上がるも陣営からタオル投入、レフェリーは続行寸前だったが、タオル投入を見て、これを認めて終了。

止められた途端、限界を超えたか倒れ込む山浦俊一だったが、時間をおいて無事に立ち上がった。

第2ラウンドのペッチの左フックで山浦俊一のこめかみヒット、これでKO

立ち上がるもKO負けを宣せられて集中力が切れたか、倒れ込む山浦俊一

◆第6試合 60.0kg契約3回戦

ガン・エスジム(元・ラジャダムナン系フェザー級7位/1995.3.30タイ・ラチャブリー県出身 58.3kg)
VS
NJKFスーパーフェザー級5位.龍旺(Bombo Freely/ 2002.1.20茨城県出身/60.0kg)
7戦5勝(2KO)1敗1分 
勝者:ガン・エスジム / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:竹村29-28. 多賀谷30-28. 児島30-28

日本の新鋭とタイのベテランの対決。離れての攻防は龍旺の勢いがあるが、至近距離に入るとガンエスジムの本領発揮。

スタミナ勝負でも龍旺が優る兆しも、最終第3ラウンドにはガンエスジムが接近戦に持ち込み、ムエタイ技の的確さでロープ際での右ヒジ打ちで龍旺の左目尻をカット。

上手さで優ったベテラン、ガンエスジムが判定勝利した。

ガンエスジムの右ヒジ打ちで龍旺の左眉尻にヒット、流血となる

流血しながらガンエスジムの前進を食い止める龍旺

◆第5試合 55.0kg契約3回戦

NJKFバンタム級3位.嵐(キング/2005.4.26東京都出身/54.75kg)10戦8勝(3KO)1敗1分
        VS
KAZUNORI(T-KIX/1986.5.20静岡県出身/55.0kg)38戦14勝(4KO)24敗
勝者:嵐 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:竹村30-26. 多賀谷30-27. 中山30-27

的確差で圧倒する嵐が前進。テクニックの差を見せ付ける展開から右ヒザ蹴りでノックダウンを奪い、パンチでラッシュを掛けるも仕留めきれない。

第2ラウンド以降も嵐が優勢もノックアウトに結び付ける勢いは無くなってしまう。

嵐のスタミナ切れか、KAZUNORIは反撃の踏ん張りも見せ、判定は大差で嵐の勝利。これが5回戦だったら、更なる展開も予想されるところだろう。

嵐が素早さと勢いで圧倒もパワー不足でKO成らず

◆第4試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級1位.谷津晴之(新興ムエタイ/2003.5.7神奈川県出身/50.65kg)
15戦8勝(3KO)4敗3分
        VS
同級7位.西田光汰(西田/2001.2.12愛知県出身/50.7kg)5戦4勝(1KO)1敗
勝者: 谷津晴之 / 判定3-0
主審:児島真人
副審:竹村30-26. 少白竜30-26. 中山30-26

第1ラウンド、テクニックで優った谷津晴之。コーナーに詰めて飛びヒザ蹴り。更にパンチ連打でスタンディングダウンを奪う。

第2ラウンドも的確さが増していく谷津晴之だが、西田光汰の反撃も衰えない。的確さと圧力で谷津晴之が大差判定勝利。

谷津晴之も終始圧倒の展開を見せた

◆第3試合 フライ級3回戦

愁斗(Bombo Freely/2001.11.24茨城県出身/50.6kg)5戦3勝(1KO)2分
        VS
高橋大輝(エス/1996.4.24神奈川県出身/50.25kg)5戦2勝(1KO)2敗1分
勝者:愁斗 / KO 1R 1:27 /

新井田豊似の愁斗の離れても接近してもスピーディーな蹴り。その鋭いヒザ蹴り一発でノックダウンを奪ってテンカウントによるノックアウト勝利。

風貌が新井田豊に似ている愁斗、この選手も素早く圧倒でKO勝利

◆第2試合 女子(ミネルヴァ)アトム級3回戦2分制

AZU(DANGER/1993.5.19生/46.2kg)7戦2勝5敗
        VS
Nao(AX/1998.11.1埼玉県出身/45.8kg)2戦2勝(1KO)
勝者:Nao / TKO 2R 1:42 /

的確差で優ったNaoが接近戦でのヒザ蹴り一発でAZUをノックダウンさせると、蹲ったまま苦しそうな表情でカウント中のレフェリーストップ。AZUはすぐには立ち上がれなかった。

◆プロ第1試合 フェザー級3回戦

パヤヤーム浜田(キング/1983.11.29神奈川県出身/56.95kg)16戦2勝(1KO)13敗1分
        VS
隼人(西田/2004.3.2愛知県出身/57.1kg)5戦3勝2敗
勝者:隼人 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 27-30)

タイ語の“パヤヤーム”は努力を意味する。開始後は互角に進むも徐々に打たれて行くパヤヤーム浜田。蹴られても殴られてもコーナーに詰められ連打され、止められそうな劣勢でもチャンスを待ち時折、反撃のパンチをヒットさせ終盤には逆転の兆しも見せたパヤヤーム浜田。ほぼ一方的な劣勢でも諦めなかったパヤヤーム浜田は、毎度のことながら敗れても名に恥じない意地を見せた。

◆アマチュア試合(over40) 66.0kg契約2回戦(90秒制)

ゴッドファーザーTOMO(FREEDOM・OZ/1973.2.22神奈川県出身/65.6kg)
        VS
クラッシャー萩原(TeamK.O.garage/1975.6.9東京都出身/65.75kg)
引分け0-0 (19-19. 19-19. 19-19)

《取材戦記》

タイ文字を掲載出来ないので省きますが、ヨッドは発音的には“最高” を意味するヨードだろうか。ペッチはダイアモンドを意味するペットかもしれません。インタビューしておけばよかったと今更後悔です。辛(から)いと言う意味のペットではありません。昔(1986.11.29)、「神秘のムエタイ」で来日した無冠ながら、ペット・ライオンマンというアグレッシブな選手がいましたが、そんな選手も思い出しました。

名ばかりの世界戦が増えたキックボクシング界は、さすがにその注目度が観衆の数に表れてしまうが、この日の閑散とした中での後半は日本vsタイ国国際戦3試合で、第一線級で戦っている来日タイ選手2名と、在日ながらガン・エスジムはその高い技量で存在感を示しました。

昨年6月5日、IBFムエタイ世界ジュニアフェザー級王座を失った波賀宙也は、9月25日に片島聡志(Kick Life)に判定勝利して復活も、今年4月16日にコンコム・レンジャージム(タイ)に判定負け。今回はIBFムエタイ世界再挑戦へ向けた中での前哨戦となるS-1世界戦。敗れはしたが、立川KBA伊藤浩之会長は「チャンスがあればとことんやる!」と波賀はまだまだ挑戦のモチベーションは衰えていないと宣言。今後の話題性高めた世界戦に期待したいものです。

毎度の赤コーナーと青コーナーの逆位置パターンが定着したNJKF興行。他団体やフリーの興行の中でも増えて来ている現在、横文字で対戦カード選手名を書いた場合、左側に赤コーナー選手が来ないと映像と文字配列の位置的な関係が悪いのだろう。しかし、長く後楽園ホール興行を観て来た偏屈高齢者だけかもしれませんが、後楽園ホールの造りからチャンピオンの定位置と言える赤コーナーは長年、テレビで観て来た右側(北東側)から入場してリングに立つパターンが固定概念となっているのである。テレビ画面に流れた選手名は縦書き(右に赤コーナー、左に青コーナー)でした。沢村忠さんの定位置とも言えた赤コーナーは元のままがいいという偏見です。若い人には現在の横文字式が違和感ないかもしれませんね。これが時代の流れなのでしょう。

次回NJKF興行は8月11日(金・祝)に埼玉県春日部市にてPITジム興行「絆」が開催。9月3日(日)には大阪府堺市にて誠至会興行「NJKF 2023 west 4th」が開催。9月17日(日)には後楽園ホールに於いて本興行「NJKF 2023.4th」が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◆渡邊ジム初のチャンピオン

酒寄晃は1953年(昭和28年)4月、茨城県出身。第4代、第8代全日本バンタム級チャンピオン、第7代全日本フェザー級チャンピオン。現在も続く名門・渡邉ジム最初のチャンピオンとして、キックボクシング界黄金期から斜陽化時代に、強面でパワフルにKOを狙う負けん気の強さでチャンピオンの座に長く君臨した。

1972年(昭和47年)4月、19歳でデビューした酒寄晃は、元々プロボクシングの経験があったが、芽が出ずキックボクシングに転向してきた経緯があった。新人時代は伸び悩んだりジムから遠ざかったりと周囲から期待も小さかったが、それまでの下積みが基盤となって徐々に実力開花していった。

1974年11月6日に茨城県水戸市での全日本バンタム級王座挑戦では、所属する渡邊ジムが一丸となって酒寄晃をバックアップ。ジム設立5年目にして初のチャンピオン誕生を目指していた。そして俊善村正(烏山)をパンチで4ラウンドKOして王座獲得。当時の全日本・協同プロモーション系は日本テレビ系で放送されていた時代。現在と違い希少価値あるチャンピオンの名は全国に轟く効果があった。そんな全盛期、毎月の試合も志願した酒寄晃だったが、誰もが通る試練もやって来た。

◆スランプから開花

1975年7月7日、茨城県笠間市で俊善村正との再戦に薄氷の引分け初防衛したが、1976年4月24日、茨城県下館市で渡辺己吉(弘栄)に4ラウンドKO負けで王座陥落。

1977年6月17日、日本武道館で渡辺己吉と再び王座決定戦を争うが、判定負けで返り咲き成らずも、渡辺己吉の引退で1978年2月10日、酒寄晃は王座決定戦で隼壮史(栄光)に2ラウンドKO勝利して王座返り咲き(以後・後楽園ホール)。減量苦もあったが、スランプを脱したその勢いで同年7月22日、全日本フェザー級王座決定戦で、花井岩(雷電)に判定勝利して二階級制覇。第7代全日本フェザー級チャンピオンとなる。バンタム級王座は返上。

酒寄晃が更に自信を深めたのは1979年9月、タイの二大殿堂ジュニアライト級元・チャンピオンで、長江国政や藤原敏男も下している上位ランカーだったビラチャート・ソンデンをパンチでKOしたことだった。

渡邉信久会長も後に、「酒寄はごく普通の入門生で、気は強そうだったがムラッ気があって成長に時間が掛かったが、こんなに強くなるとは思わなかった。」と語るほどだった。

とにかくブン殴れば倒れない相手はいないと自信を深め、KOを狙う試合が増えていった。

翼五郎(東洋パブリック)、金沢竜司(金沢)、佐藤正広(早川)、少白竜(萩原)、甲斐栄二(仙台青葉)らを退けた中、1981年元日の挑戦者だった、当時まだ18歳の現・レフェリーの少白竜氏は、

「50戦を超える獰猛なゴリラみたいなベテランの酒寄さんはとにかく強かった。パンチ躱すのが速く、違うところから素早く蹴られ、重いパンチでわずか2分あまりで倒されました!」と恐怖?体験を語る。全日本フェザー級王座は5度防衛に達したが、当時はキックボクシング界が低迷期に入り、1981年は業界分裂・新団体設立が始まった年だった。

◆頂上決戦

1982年1月4日、日本プロキック・フェザー級王座決定戦で、玉城荒次郎(横須賀中央)に4ラウンドKO勝利で新王座獲得。

1982年7月、日本ナックモエ・フェザー級王座決定戦で、佐藤正広(早川)に判定勝利して新王座獲得。

細分化していく業界だったが、酒寄晃は分裂の度に王座決定戦を制し、常に頂点に君臨。現在のような、戦わずにチャンピオン認定など行わない正当な制度だった。
その実力を証明する1983年3月の1000万円争奪オープントーナメント56kg級決勝7回戦は事実上の日本フェザー級頂上決戦の構図となり、年齢もデビュー時期も近く、同時代を生きつつも戦うことは難しかった日本系(旧TBS系)で成長して来た松本聖(目黒)と拳を交えた。

初回、酒寄が先にフラッシュダウンはするものの、逆にパンチで三度のノックダウンを奪いながら、第2ラウンド以降、松本のパンチとローキックで酒寄はリズムを徐々に崩し、セコンドからの「お前の方がパンチ強えんだからパンチで行け!」という声も、解っているけど当たらない、もどかしい表情で松本に向かうが、歴史に残る名勝負となる激戦を残しながら5ラウンド逆転KO負けを喫した。松本よりパンチも蹴りも、打たれ強さも兼ね備えていながら敗れたのは、「慢心から来るものだった」と深く反省したという。

強いパンチと蹴りで松本聖を苦しめたがKOには繋げず(1983.3.19)

松本聖のローキックに苦しめられたのは酒寄晃(1983.3.19)

酒寄晃のパンチは重かった。第1Rには圧倒したが……(1983.3.19)

気が強い酒寄晃、心機一転、甲斐栄二戦に臨む(1983.9.10)

本領発揮、右ハイキックで甲斐栄二を苦しめる(1983.9.10)

強打者同士、鼻血を流したのは甲斐栄二(1983.9.10)

まだまだ全盛期、引退の陰りは無かったが……(1983.9.10)

◆昭和のレジェンド

その後、日本統一王座を決する計画が進められ、松本聖との再戦が浮上したが、組織の細分化は再集結には難しい不運な時期だったこともあり、統一戦は実現に至らず、1984年夏、長年のライバルの佐藤正広(早川)にKO勝利した試合をラストファイトとして引退を決意。

同年の1984年11月、業界が急好転し期待された4団体統合の日本キックボクシング連盟設立で、酒寄晃の再度の活躍が期待されたが、すでに31歳。長年の激戦からくる故障もあってモチベーションを高めるには至らなかったようだ。同門の新鋭・渡辺明がタイトルを争うまでに成長して来た影響もあっただろう。

そして翌年の6月7日、盛大に引退式を行ないリングを去った。

[写真左]引退セレモニーでの御挨拶、風貌に似合わず優しい口調で感謝の言葉を述べられた(1985.6.7)/[右]テンカウントゴングに送られる酒寄晃、13年の現役生活だった(1985.6.7)

 

引退興行の当日プログラムはポスターとともにインパクトがあった(1985.6.7)

強面顔の酒寄晃は、近寄り難いタイプながら仲間内では明るく振る舞うムードメーカー的だったとも言われ、渡邉会長の厳しい指導もあっただろうが、「性格は繊細でジムでも練習道具は整理整頓し、試合で使用するバンテージも鮮やかなほどキレイに巻いていた。」と言われるほど几帳面だった。

引退後は若い職人を従えての内装建築業を営み、その繊細な心で事業を展開していた様子。

「引退当時はジムによく来ていたよ。」という渡邊会長も、事業が忙しくなった様子で後には姿は現さなくなったという。「今は何しているのかなあ!」という古い時代の渡辺ジム関係者達である。

全日本系列では歴史上、藤原敏男、大沢昇、島三雄、岡尾国光、長江国政、猪狩元秀といった名チャンピオンが名を連ねる中、後に分裂で道は分かれたものの、酒寄晃は昭和の名チャンピオンに並ぶレジェンドだったと言えるだろう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

睦雅と大地・フォージャーはいずれも王座獲得後初戦となる。

睦雅はヒジ打ちで初戦を飾り、大地・フォージャーはムエタイ戦法に攻め倦み、持ち味を殺された決定打の無い引分けに終わる。

◎Road to KING / 5月21日(日)市原臨海体育館 / 開場15:00、開始16:00~18:47
主催:市原ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

※試合順は西原茉生vs花澤一成を省いています(プログラムと異なります)

◆第8試合 62.0kg契約 5回戦

JKAライト級チャンピオン.睦雅(ビクトリー/ 61.85kg)18戦12勝(6KO)4敗2分
      VS
チュ・ギフン(元・韓国格闘技ライト級Champ/韓国/ 61.5kg)39戦22勝12敗5分
勝者:睦雅 / TKO 1R終了 / ヒジ打ちによるカットによる顔面負傷で棄権。
主審:少白竜

睦雅の様子見の右ミドルキック、次第に圧力を増していった

睦雅が左ヒジ打ち、これがヒットかは微妙ながら、この後すぐ、チュ・ギフンが流血

今回の試合で引退と発表しているチュ・ギフンと、3月19日の王座獲得後、最初の試合になる睦雅。前日計量では髪の毛を金髪にしてイメージチェンジをした睦雅。タイトル奪取と試合に向けてのコメントは「有難うございます。明日は必ず勝ちます。」と語った。チュ・ギフンは同国の選手と軽い談笑はしていたが緊張気味であった。

第1ラウンド、睦雅が蹴り主体に攻め、チュ・ギフンが対抗し一進一退の攻防で進むが、残り30秒辺りに睦雅の左ヒジがチュ・ギフンの左瞼をカット。ドクターチェック後、睦雅はパンチ、ヒジ打ちでチュ・ギフンの負傷箇所を襲うが、チュ・ギフンも反撃しながら凌いでラウンド終了もインターバル中、チュ・ギフンサイドからタオル投入。負傷箇所が悪化で続行出来ないと判断した様子。

睦雅はメインイベントをKO勝利で締めたこともあり、「王者として興行を締める責任を果たせたと思います。有難うございます。」とコメント。チャンピオンとしての責任感を何度も意識していた睦雅は、「先輩の永澤サムエル聖光選手の姿を見たり、直接指導を受けて学びました。」と語った。

◆第7試合 67.0kg契約3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.大地・フォージャー(誠真/ 66.95kg)
17戦7勝(5KO)9敗1分
VS
コンデート・ギャットプラパット(元・タイ7ch・フェザー級Champ/タイ/ 66.5kg)
107戦82勝(11KO)21敗4分
引分け 三者三様
主審:松田利彦
副審:少白竜29-30. 仲29-29. 桜井29-28

両者探り合いの展開から大地は体格差を活かしパンチを主体に攻めていく中、コンデートは手数は少ないものの、大地に攻め込ませないように上手くリング(広さ、奥行き)を使った距離を取る戦法。大地はラッシュをかけるも決定打を打たせて貰えず終了。

時折コンデートが技を見せ、左ハイキックが大地を襲う

追う大地とロープに詰まりながらも余裕のコンデート

◆フライ級3回戦 -中止-

JKAフライ級2位.西原茉生(治政館/ 50.4kg)vs花澤一成(市原/ 50.7kg)

前回3月19日の、偶然のバッティングによる負傷引分けとなった再戦も、花澤一成が前日計量はパスしているが、急な発熱による体調不良の為、ドクターストップ(検診時)。西原茉生はリング上で「フライ級の王者を目指す」と宣言。再戦は7月16日のKICK Insist.16へ延期。

◆第6試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級2位.皆川裕哉(KICK BOX/ 57.1kg)21戦10勝9敗2分
        VS
ユン・ソン(韓国/ 56.7kg)14戦9勝(2KO)5敗
勝者:皆川裕哉 / 判定2-0
主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 松田30-29. 仲30-29

試合前、皆川裕哉はリラックスした表情で、「勝ちます。もちろんKOで、楽しんで来ます。」とコメント。

初回、皆川裕哉は得意の多彩な蹴りで自分の距離に持ち込もうとするが、ユン・ソンは受け身となりながらも回転回し蹴りで会場を沸かせ、皆川はしっかりブロックをしてダメージを受けず。その後、皆川のパンチとキックのコンビネーションにユン・ソンは打たれ強さで耐え、重いパンチで反撃をして来ると皆川が攻め倦むシーンもあった。最終ラウンドも皆川のローキック中心で優勢な展開の中、再びユン・ソンの回転回し蹴りが仕掛けられるが皆川は冷静に対処して判定勝利。
試合後、ユン・ソンは終始無言。皆川裕哉は「試合は楽しめました。相手の選手の回転蹴りは驚きました。いい経験でした。」と語っていた。

攻勢の中でも危険な打ち合いに出ること多い皆川裕哉

大技を繰り出すこと多い皆川裕哉、勢い付いて左ミドルキックヒット

◆第5試合 55.0kg契約3回戦

JKAバンタム級4位.樹(いつき/治政館/ 54.9kg)9戦5勝(2KKO)3敗1分
      VS
キム・テゴン(韓国/ 55.0kg)12戦7勝(4KO)4敗1分
勝者:樹 / 判定3-0
主審:松田利彦
副審:桜井30-27. 少白竜30-27. 仲30-27

樹は同日の岡山ジム興行に出場している麗也(治政館)を意識し、「負けられない、勝利を約束します!」と力強くコメント。

初回、樹のローキックが効果的に決まり、キム・テゴンはパンチで応戦するも、ラウンドが進むにつれ、樹の圧力で前に出難い状況になる。樹はキム・テゴンへのローキックの効果を確信し、パンチの連打でコーナーに追い込むが、キム・テゴンはタフネスぶりを発揮し、ノックダウンを許さない。

最終ラウンドには樹はセコンドの指示(キム・テゴンのタフネスさから深追いさせない)によりKOを狙わず、ポイントを守るスタイルに切り替え、キム・テゴンの最後の追い込みを躱して終了。

主導権奪って右ハイキックで出る樹、フルマークで圧勝

◆第4試合 バンタム級3回戦

紫希士(=きしと/Formed/ 53.3kg)2戦2勝
     VS
河村秀和(ラジャサクレック/ 53.3kg)7戦3勝4敗
勝者:紫希士(赤コーナー) / 判定3-0 (29-28. 29-28. 29-28)

開始早々に紫希士のパンチの連打が河村秀和の顔面を捉え会場がどよめく。特に紫希士のやや離れた距離からのストレートは効果的だった。河村秀和も久しぶりの試合ながら、紫希士の攻撃に応じて打ち合いになり、会場が盛り上がる。第3ラウンドに紫希士のヒジ打ちが河村選手の右頬をカットするが、最後まで打ち合う展開で終了。

紫希士はまだ2戦目ながら積極的に攻めて僅差ながら判定勝利

◆第3試合 ミドル級3回戦

西田絋佑(ビクトリー/ 72.3kg)2戦1敗1分
     VS
白井大也(市原/ 72.0kg)1戦1分
負傷引分け / TD 2R 1:22

白井大也がパンチを主体に攻め、西田絋佑はクリンチをしながら主導権を握らせない展開であったが、第2ラウンドの半ばあたりの偶然のバッティングにより、白井大也が流血し試合続行不可能となる。

◆第2試合 女子スーパーバンタム級3回戦

大内咲(市原/ 55.0kg)1戦1敗
     VS
珠璃(闘神塾/ 54.3kg)2戦1勝(1KO)1分
勝者:珠璃(青コーナー) / TKO 2R 終了

初回から珠璃のパンチが大内咲を的確にとらえ、珠璃のストレートが顔面に当たる度に大内咲の顔が後方に反る。大内咲も蹴りやパンチで返すも珠璃の圧倒的な手数に圧され、劣勢のまま第2ラウンド終了後、大内咲サイドからタオル投入による棄権で終了。

この日の女子キック、終始、珠璃が圧倒

◆第1試合 ライト級3回戦

菊地拓人(市原/ 60.6kg)1戦1敗
     VS
龍将(TRY HARD/ 61.0kg)1戦1勝
勝者:龍将(青コーナー) / 判定0-3 (28-29. 27-29. 28-29)

初回から龍将の蹴りヒットで菊地拓人のペースを奪っていく。龍将のミドルキックに意識がいったか、菊地は一瞬ガードが下がったところへ龍将の左ストレートがヒットし、ノックダウンを喫する。菊地は立ち上がり、龍将の左ミドルキックを貰い動きが止まるが、更なるノックダウンは免れる。

第2ラウンド、菊地が反撃をし、龍将は右ストレートを貰いながらもミドルキックで反撃。最終ラウンドでは、菊地の右ストレートが龍将のコメカミにヒットするも単発で終わり、龍将は一発狙い、菊地はスタミナが切れている状況でノックダウンを奪う打ち合いにまで至らず終了。

チュ・ギフンの棄権ではあるが、完全勝利でメインイベントを締め括った睦雅

《観戦記》岩上哲明

7年ぶりの市原興行は成功したと思われます。市原ジムのOBであった須田康徳さんや真鍋英治さん、蘇我英樹さんなどの姿には懐かしさを感じました。

睦雅選手が最後を締めてくれて、王者としての責任を果たしたと思いました。去年の11月の試合で左ヒジ打ちでのKO勝ちをして上昇気流に乗り、今年の3月19日に王者になり、今回の興行でメインイベントを締めてくれたのを嬉しく思いました。
大地・フォージャー選手はコンデート選手の戦い方に合わせ過ぎてしまった感があり、実力を発揮出来なかったでしょう。

他団体も含めて、「打倒ムエタイ」の傾向が続いていますが、タイだけではなく、今回出場した韓国の選手のように世界には多数の外国人選手がいます。団体のカラーもあると思いますが、そのカラーに合った外国人選手を興行に合わせることで、団体としての力もアップするのではないかと感じました。

《取材戦記》堀田春樹

睦雅と対戦したチュ・ギフンは2016年4月10日に当時、日本フェザー級4位.拳士浪(治政館)に判定負け。日本では市原ジムを拠点とし、在日韓国人として幾らか試合出場している様子。

市原ジム前会長の玉村哲勇氏が2019年5月に肺癌で亡くなり、追悼興行はまず2020年に予定されながら、コロナ禍の影響で暫く開催出来なかったようです。他、市原ジム顧問の鈴木熊男氏、中岡優治氏が逝去された模様で、3名にテンカウントゴングで送られました。

昭和の市原ジムから伝説のチャンピオン須田康徳氏をはじめ、四元伸一郎氏、松田勇氏や当時トレーナーだった太田浅男氏の御来場、玉村会長の奥様、長男・長女さんの顔触れがありました。私がキックボクシング関係者と家庭的なお付き合いがあったのは40年前に、この市原ジムと玉村会長家が初めてでした。その懐かしさと温かい心配りに感慨無量でした。

また、市原臨海体育館も2016年4月の蘇我英樹引退興行以来となりましたが、ツイキャス中継用のセッティングで、ビッグマッチイベントの大会場のような雰囲気があり(照明は明るくはなかったけど)、以前の外光が入る体育館とは違った印象がありました。昔はここで沢村忠さんの試合も行なわれた会場です。市原ジムの今野顕彰選手は引退の意向のようで、メインイベンターとしての出場は無くなってしまいましたが、ビクトリージムの睦雅はチャンピオンとしてメインイベンターを務め、しっかり責任を果たしたと言える勝利でした。

今後の市原ジム興行は誰がメインイベンターとなるか、今回欠場となってしまいましたが、花澤一成には期待が掛かるでしょう。

次回のジャパンキックボクシング協会興行はビクトリージム主催「KICK Insist.16」が新宿フェースにて開催されます(昼夜二部制の可能性あり)。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

以前、「ウェイト競技の宿命、試合に向けた最後の仕上げ、計量後のリカバリー!」というテーマで計量後のエピソードを取り上げましたが、今回、計量失格に関わるテーマで語りたいと思います。

対戦相手の秤の目盛りを見つめる梅野源治(2014年2月10日)

全裸での計量も多いパターン(アンディー・サワーの例)(2015年2月10日)

◆確信犯?!

近年、プロボクシングやキックボクシングで時折問題となるのが、ウェイトオーバーによる計量失格です。昔からそんな事態はごく少数的にありましたが、我々は直接の計量風景を見ていないせいか、あまり耳にしない話でした。プロボクシングの世界戦に於いては試合までの全てが注目されるので計量も映し出されますが、少々200~300グラムぐらいのオーバーはあっても2時間以内の猶予の中で落とすという流れは昔も今も、キックボクシングにおいても存在します。問題は最初から2kg以上のオーバーでやって来て、全く落とす気が無い選手が世界戦においても居ることでしょう。

昨年のあるキックボクシング興行で、既定の2時間の猶予が与えられた後も2.0kgオーバーで失格した選手において、試合開催へ協議はされるも条件が合わず中止となったところが、その計量失格した選手がタイの選手との代打試合が行われたことには前代未聞の展開に周囲は驚き、ルールの基本形が細部まで明確にされていなかったことが問題だったでしょう。

◆明確に模範となるプロボクシングルールでは

プロボクシングで、JBCのウェイトオーバーに関する規定では、計量失格となったボクサーに関してペナルティーの規定が明確に存在します。

公式計量において、リミットオーバーが契約体重の3パーセント以上の場合、再計量2時間以内の猶予は無く、計量失格となって試合出場不可となります(フライ級ならば50.8kgリミットで52.32kg超えは即失格)。リミットオーバーが契約体重の3パーセント未満の場合、再計量2時間枠の猶予が与えられ、この再計量でもリミットオーバーの場合は計量失格となりますが、試合を中止しない選択肢は残され、開催の場合は当日朝に再計量を義務付けられます。再計量時の体重が契約体重を8パーセント以上超過した場合、試合出場は不可。ペナルティーについては、試合を中止する場合、ファイトマネー相当額の制裁金や、1年間のライセンス停止処分と次戦以降は一階級以上の階級転向を義務付けられ、更に計量失格となったボクサーのマネージャーを戒告処分があります。

試合を中止しない場合、ファイトマネー相当額の20%を制裁金や6ヶ月のライセンス停止処分があります。マネージャーには厳重注意処分があります。

試合中止となった場合、いちばん困るのは対戦者で、コンディションを整えてきた長い日々の努力や、試合におけるファンの前でのパフォーマンスが披露出来なくなる精神的失望感があり、勝利に相当する待遇を受けても、チケットを買ってくれたファンへのお詫びと払い戻しがあったりとなかなか受け入れられるものではないと言えます。

シュートン(タイ)の計量、通常はこんな計量風景(2022年3月19日)

計量失格でレフェリーが減点を宣告する試合開始直前のリング上(2017年10月22日)

◆計量失敗の原因

キックボクシングにおいても当日計量から前日計量への移行が大半を占める現在、衰弱した身体のリカバリーの時間が丸一日ある為、当日計量ならバンタム級リミットが限界でも、前日計量なら減量リミットをより無理して設定し、スーパーフライ級まで落としてもリカバリー出来るだろうといった思惑が上手くいかなかったという事態もあるようです。そんな階級が細分化されたことも一因でしょう。

昔はジムワーク中に水を飲むことなど許されなかった時代もありましたが、現在は水分を摂りながら練習しているのはごく普通で、大量に水分を摂る選手は、最後の数日間で水抜きに入り、体調が良ければ順調に落ちる見込みも風邪を引いてしまったり、どこかちょっと怪我したりと、想定外の事態が起こると最後の追い込みに狂いが生じ、減量失敗している例はあるようです。

◆ペナルティー問題

女子選手においては難しい問題も存在します。生理中は胎盤を守る抵抗力が働いて、減量では水分を抜き難く、そういう事態で大幅オーバーという失態があっても試合出場を控えたプロとしては失格。公正なルールの下ではペナルティーが科せられることは仕方無いところ、ウェイト競技としての女子だけの苦悩でしょう。

あるライト級元・選手の減量エピソードでは、
「普段ジムワークしている上での平常ウェイトが71kgぐらいだったので更なる10kgの減量でした。昭和や平成初期はとにかく食べないだけだったのでキツかったですね。63.0kgぐらいまで落ちながら、あと2kgがなかなか落ちずに気が狂いそうでした。どうしてもアイスクリームの大きいサイズのレディーボーデンが食べたくて、コンビニで買って来て一気に食べて、すぐに喉に指突っ込んで吐いたこともありました。あの苦しみはもう味わいたくないですね。」

現役当時だったら周囲に言えないであろうエピソードも多そうですが、幾つもの我慢を重ねて計量に向かう一方、大幅にオーバーして来る選手にはペナルティーはより厳しくすべきかは女子の例も含めて難しい判断でしょう。

現在有るペナルティーは、キックボクシングでは罰金と試合における減点。それらの幅は団体や興行によって差があります(例として100グラム毎に1万円、500グラム毎にマイナス1点など)。ペナルティーは矛盾点も出て来る場合があり、グローブハンディーはサイズが大きく重くなる分、逆効果という意見があって、現在では採用されない場合が多いようです。減点は1点と2点の場合とラウンド数との比率も大きく影響する部分があり、減点だけで開始前から勝負が偏ってしまう点が考えられます。

試合に向けて身を削って、計量後のリカバリーで体格的に優位に立つ為の試合前の闘いが、効力を発揮したりしくじったり、永遠のテーマとなる減量物語は今後も続くのでしょう。

現在も使われる天秤式計量秤(2022年9月24日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランスとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家した。

◆試合の必需品、ノーファールカップとは?

キックボクシングにおいて、必要不可欠となるものがマウスピースとノーファールカップでしょう。

ムエタイのノーファールカップ、長年愛用される必需品

ローキックやヒザ蹴りが繰り出される中、股間への蹴りは偶然にしても故意であっても、脛ブロックやバックステップで全てを防御しきれるものではなく、自分自身の為、ノーファールカップはしっかりと装着しなければならない、ルールに定められた防具でもあります。

ムエタイのノーファールカップは金属製(ジュラルミンが多い)で、肌に当たる淵部分はゴムやスポンジなどの柔軟な素材で保護されていますが、昔は保護部分が無い、金属が直に股間辺りに食い込んで痛かったというものでした。更にズレないように紐で強く締め上げるので、保護面があっても股間と腰に食い込む紐などによる痛さはある程度は仕方無いところです。

◆防具していても苦しいダメージ

現在でのムエタイでは、股間を強く蹴られた場合、中断や反則裁定を取る傾向がありますが、昔は「ノーファールカップしているんだから大丈夫だろ!」と当たり前のように強烈なヒザ蹴りを喰らっても、「蹴られる方が悪い」と言わんばかりにレフェリーは試合続行し、股間ローブローで倒れてもノックダウン扱いでした。

更に股間を蹴られて割れた金属カップが睾丸を覆う陰嚢に突き刺さる悲惨な負傷もありましたが、あるジム関係者に聞くと、そんな事態に備えてカップの内側にバンテージテープを厚めに貼り付けておくと言います。割れても急所に突き刺さらないよう最悪の事態を想定した工夫のようです。

1988年のタイにて。試合前のノーファールカップ装着する姿

日本での試合中に破損した場合は取り換えに控室に戻る事態をたまに見かけます。昭和時代にはリング上の自軍のコーナーでセコンド陣が選手の下半身をタオルで覆って、その場で取り換える光景もテレビに映っていましたが、大体は観衆の目に入らないリングから離れた位置に移動します。最近は不正を防止する為、非番審判が立ち会うことが多く、その監視役が居ないと水分を摂ったり、ダメージ回復に加療する時間となるので改善が必要とされていました。

以前、再三の股間ローブローを受けながらも続行した試合があって、何度も受ければ数分休んだぐらいでは激痛が和らぐものでなく、アグレッシブさが激減。ノーファールカップで保護されているとはいえ、ヘルメットのように衝撃を軽減する防具であって、ある程度はダメージに繋がります。

プロボクシングでは故意のローブローによる試合続行不可能となれば、打った側の失格負けで、故意ではない偶然と認められれば、打たれた側は最大5分のインターバルを与えられ、試合続行不可能となればTKO負けとなります。それはリング上では患部を確認できない為、効いたフリをして勝利を拾う為の演技の防止でもあります。

キックボクシングでは各団体、興行によって対処は違いますが、最近では偶然のアクシデントとして負傷判定が採用されたり、プロボクシングに準ずる適切なルールが無いが為の無効試合になる場合が多い感じがします。

最近の前日計量において、「股間ローブローはノーファールカップで守られているから“ノーファール、つまりファールとしない”という意味で、少々のヒットでは止めません」というルール説明される場合があります。流れの中で当たってしまうことはよく起こりますが、極力試合を中断しない、観衆を白けさせない配慮があります。

アラビアンにやられたらやり返したソムチャーイ高津、衝撃は倍返しだった(1998年頃)

以前には「相手が明らかにワザと蹴って来たから股間蹴り上げてやった」という、やられたらやり返す展開もあり、推奨できないものの偶然を装うテクニックも必要な競技かもしれません。

◆起こり得るのはジムワーク

股間ローブローによる負傷は公式試合より、ジムでのスパーリングが多いようです。それはジムメイトに故意に狙われることはないという安心感で、ノーファールカップを自分で装着するが為の強く縛れない緩めの装着や、練習用のアンダーウェア型簡易防具、或いは全く装着しないスパーリングなどが多いでしょう。思いがけない強い蹴りを受け、カップが緩い為にズレて隙間に睾丸を挟んでしまい、そこを蹴られてモガキ苦しむ姿も見受けられます。ある元・選手は睾丸がテニスボールぐらいに腫れ上がって、会長に病院に連れて行って貰ったという事態もありました。

「昭和時代や平成初期までは、脛当てパットもノーファールカップも着けないでスパーリングしていました!」という話は特別なことでなく、過去には多くのジムで起きているアクシデントのようです。

「蹴られてキンタマ一個無くした奴、あのジムのあいつもそう、こいつもそう、昔の選手ではこの選手もそう!」といった話を聞くと、過去のキックボクシングの歴史の中で探せば結構居そうな片玉キックボクサー。

因みに睾丸二個とも無くなれば男性生殖機能は消滅し、外見の男らしさも低下するでしょう。現在は練習においても各自ノーファールカップを持たせ、持って来るのを忘れた奴にはスパーリング禁止と諭しているジムは多いようです。

股間ローブローを受けて悶絶の姿、佐藤勇士vs義由亜戦(2022年1月9日)

インターバルを与えられる時間は少ない中、呼吸を整える(2022年1月9日)

◆後悔無きよう!

公式試合においてノーファールカップをしっかり縛れるセコンド陣営が居ない場合、他のジムトレーナーに依頼することも必要でしょう。緩い装着で試合中にズレた上に蹴りを貰ったら、観衆の前で上記のような悲惨な事態になりかねません。

トレーナーからすれば、選手のバンテージ巻くのとノーファールカップ装着を完璧にやらねばならない責任が大きいものの、自らも痛い経験があるだけに数多くこなしてきた紐を縛り上げる装着は上手く、特にタイ人ベテラントレーナーに委ねられる場合が多いようです。

試合に於いてはマウスピースとノーファールカップは必需品。無かったら試合に出られません。ジムにおいてはあのような痛い想いは二度としないよう、古い時代の先輩に「俺らの時代は何も着けずにスパーリングしたんだ、無くてもいいだろ、早くスパーリング始めろ!」とせかされても後悔しないように、昨年のテーマで拾ったマウスピースとノーファールカップの準備は万全な態勢で掛かりましょう。

試合続行不可能となった大場一翔vs小林亜維二戦、この時は負傷判定による引分け(2022年3月13日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランスとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家した。

髙橋亨汰は対戦相手のピューポン・ゲッソンリットが欠場によりメインイベントが消えた。
トリを務めた木下竜輔は流血の激戦の末、沖縄の下地奏人に判定負け。

◎TITANS NEOS.32 / 4月23日(日)後楽園ホール17:30~20:00
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

※試合レポートは岩上哲明記者(一部編集)

63.0kg契約3回戦 ピューポンの怪我により中止
髙橋亨汰(WKBA62kg級Champ/伊原)vsピューポン・ゲッソンリット(タイ)

◆第8試合 フェザー級3回戦

木下竜輔(伊原/26歳/ 56.95kg)9戦4勝(2KO)5敗
      VS
下地奏人(RIOT/18歳/ 57.2→57.15kg)7戦7勝(1KO)
勝者:下地奏人 / 判定0-3
主審:椎名利一
副審:勝本26-30. 桜井26-30. 仲26-30

陽気さと余裕感が出ている下地奏人に対し、右肩にテーピング、左太腿にサポーター、両足首にテーピングをしている悲愴感を漂わせる木下竜輔。

開始早々から打ち合いになったが、下地はミドルキックをキャッチされても構わず木下にパンチを打つテクニックを披露。そして、木下に左フックをヒットさせノックダウンを奪う。

木下竜輔の強打、右ストレートはヒットせず

第2ラウンド、下地の攻勢は続き、右の縦ヒジ打ちで木下の眉間がカットされ、追撃の左縦ヒジ打ちで傷口が広がり、ドクターチェックが入るも続行。その後も下地のヒジやパンチがヒットするが、木下の大振りのパンチがヒットすると会場は盛り上がった。

第3ラウンド、木下は下地のパンチ連打でコーナーに追い込まれ、カウンターで右フックをクリーンヒットさせるが劣勢を覆すには至らず。下地は最後まで手数を減らすことなく攻勢を維持し判定勝利。

試合後、下地奏人はKO勝ちが出来なかったことをセコンド陣と一緒に反省していたが、「次回、呼ばれたらしっかりKO勝ちをします。」とこの日の試合を今後に活かしたい決意が現れていた。

多彩に柔軟に攻めた下地奏人の前蹴りが木下竜輔のアゴにヒット

沖縄から乗り込んだ下地奏人が判定勝利を飾った

◆第7試合 スーパーフェザー級3回戦

小林勇人(伊原/26歳/ 58.85kg)2戦2勝(1KO)
      VS
渋谷昴治(東京町田金子/ 57.9kg)9戦5勝(2KO)3敗1分
勝者:小林勇人 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:椎名30-29. 勝本30-28. 仲30-29

2月19日の仁琉丸との試合で、右ストレート一発で豪快なTKO勝利をした小林勇人は「今回もKO勝ちします。」という意気込みで試合に臨んだ。

第1ラウンド、渋谷昴治は微妙に距離を作り、小林勇人のパンチを軽減しながら、隙を見てパンチのコンビネーションを仕掛けていく。小林の重いパンチがヒットするも渋谷も対抗していく。

第2ラウンド、渋谷は自ら攻めに入り、ローキックがキレイに決まる。小林はパンチで出るが、渋谷のタフさと決定的なダメージを貰わない距離感でクリーンヒット出来ず。

第3ラウンド、両者の打ち合いで会場は盛り上がる中、渋谷は隙を突いてパンチの連打を決めていくが、小林も蹴りを混ぜながら連打で返す。勝負は微妙な流れだったが、小林が判定勝利となった。

小林勇人が右ストレートで渋谷昂治にヒット、僅差ながら攻勢に転じる

◆第6試合 57.0kg契約2回戦

中村哲生(伊原/57歳/ 56.85kg)5戦5敗
      VS
長友亮二(キング/ 56.4kg)1戦1勝(1KO)
勝者:長友亮二 / TKO 1R 0:53 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:桜井一秀

長友亮二はアマチュアキック版オヤジファイト、「ナイスミドル」で活躍し、今回がプロデビュー戦。「自分なりのケジメをつける戦いになると思います。」と決意を語っていた。

開始早々、長友亮二は右ストレートを決め、中村哲生は出鼻を挫かれ反撃をさせて貰えず、ローキックの連打で動きを止められ、ガードが下がったところに長友の右ストレートが顔面に炸裂。そのままレフェリーストップされ、長友亮二のTKO勝利。

短い時間の中、パンチと蹴りで上回った長友亮二が圧倒してTKO勝利

◆第5試合 76.0kg契約3回戦

マルコ(伊原/34歳/ 75.15kg)5戦3勝(1KO)2敗
      VS
鈴木健太郎(E.S.G/32歳/ 75.85kg)5戦4勝1敗
勝者:マルコ / TKO 1R 3:00(アナウンス発表) 、 1R 3:06辺り(レフェリーストップされたおおよそのタイム、カメラデータによる)
主審:勝本剛司

前日計量でマルコは「少し落とし過ぎたかな。1ラウンド、いや1分でKOします。」とコメント。表情はリラックスしていた。

開始後、両者は探り合いのような形で始まるが、鈴木健太郎のローキックに対し、マルコもローキックで返していき、パンチで攻勢に出ると会場から声が挙がる。ラウンド終了近くにマルコはローキックで動きを止め、右フックでノックダウンを奪う。鈴木は立ち上がろうとするが効いて足が縺れてレフェリーストップ。マルコのTKO勝利。

試合後 控室に戻っていたマルコ選手は「1分ではKOできなかったけど、1ラウンドKOが出来たのは嬉しい。」と英語で陽気にコメントしていた。

マルコが右ストレートで攻勢に転じ、宣言どおりのノックアウト(TKO)に繋ぐ

◆第4試合 女子アマチュア35.0kg契約2回戦(2分制)

西田永愛(伊原/11歳/34.7kg)vs岩本心(FACT MMA/ 33.8kg)
勝者:西田永愛 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-19)
主審:椎名利一
副審:桜井20-18. 仲20-28. 勝本20-19

まだ小学生と見られる両者は共に家族と一緒に会場入り。

西田永愛はバックスピンキックで会場を盛り上げ、岩田心も負けじとパンチを中心に反撃をする。西田の蹴りを中心にし、技を正確に魅せるように決めていく攻撃に、怯むことなく攻めていく岩本だったが、西田が判定勝利となった。

アマチュア試合。11歳にして柔軟な技を魅せた西田永愛

◆第3試合 女子50.5kg契約3回戦(2分制)

オンドラム(伊原/ 50.45kg)7戦2勝5敗
      VS
高橋友菜(Team lmmortaL/ 48.05kg)1戦1敗
勝者:オンドラム / 判定3-0
主審:少白竜
副審:椎名30-29. 桜井30-28. 仲30-29

計量規定内とはいえ、2.4kg差は大きかったかもしれない。しかし、デビュー戦らしく、オンドラムとの体格差をカバーするように前へ前へとパンチを連打しながら攻めていく高橋友菜。オンドラムは慌てず冷静に打ち合いに応じながらも体格差を活かし、高橋の連打を最小限に抑える。第2ラウンドに入ると、高橋のスタミナが少しずつ切れてきた。オンドラムは自分のペースに持ち込み、第3ラウンドは打ち合いになるも優勢のまま判定勝利を得る。

オンドラムが体格差を活かして攻勢を維持して判定勝利を導く

◆第2試合 58.0kg契約2回戦

吴嘉浩(中国留学生24歳/伊原/ 57.6kg)2戦1勝1敗
      VS
聖那(ANCHORAGE/21歳/ 58.6→58.1kg)2戦1勝1敗
勝者:聖那 / 判定0-3
主審:勝本剛司
副審:少白竜18-20. 桜井18-19. 仲18-20

初回、?嘉浩はパンチ中心に手数多く時折ワンツーを決めていく。聖那は劣勢かと見えたが、パンチに合わせたローキックで返し、ラウンド後半になると確実に?嘉浩にダメージを与えていった。

第2ラウンド開始早々の打ち合いから聖那の右ストレートが決まったのを切っ掛けに、?嘉浩は劣勢になり始める。聖那はハイキック、アッパーからボディへのパンチ、右ミドルキックで?嘉浩はスタンディングダウンを喫し、聖那が判定勝利。

◆第1試合 女子フライ級3回戦(2分制/ミネルヴァ推薦試合)

青木繭(SHINE沖縄/32歳/ 50.4kg)4戦3勝(1KO)1敗
      VS
片岡真秀(チーム・タイガーホーク/17歳/ 50.35kg)5戦4勝(1KO)1分
勝者:片岡真秀 / 判定0-2
主審:椎名利一
副審:少白竜28-30. 勝本29-29. 仲29-30

2月19日興行でオン・ドラムに判定勝利した青木繭。「前回KO勝ちが出来なかったので今度こそはKO勝ちします。」と語り、ゆくゆくはミネルヴァのタイトルも狙っていくと力強いコメント。一方の片岡真秀は冷静に「心を折られず、心を折りにいく」とコメント。

青木繭は体格差を気にせず攻めていくが、片岡真秀のハイキック、ミドルキックが的確に決まる。青木はもろに何発も受けるがタフネスぶりを発揮し、パンチを打ち返す展開。青木のタフネスぶりは発揮されたが、片岡が技の的確さで判定勝利。

《岩上哲明取材観戦記》

今回の興行はメインイベントが無くなったことで盛り上がりに欠けると懸念していましたが、それをチャンスと捉えた下地選手とセコンド陣、そして、前回のKO負けを反省し、意地を貫いた木下選手の攻防が見事にスイングしてトリを締め、コンパクト感は感じたものの良い興行になりました。

興行は初め、中間、最後の3場面で盛り上がるかどうかのポイントになると思いますが、この3場面を選手達は盛り上げてくれました。また、今回の興行でデビュー戦を飾った二人の選手は対照的なものでしたが、次回への期待を沸かせるような試合ぶりでした。

興行を理解して試合出場している選手達が、多くの機会に恵まれるように団体運営陣、マスコミは応援しなくてはならないでしょう。

《堀田春樹取材戦記》

“メインイベントが消えた”意味は二つあり、この日の高橋亨汰の対戦相手のピューポンが欠場と、いつものメインイベンター重森陽太、勝次ら不在の現象がありました。勝次は近々、他興行出場予定があり、重森陽太はは2月の試合での脛の怪我の影響や、所属ジムの方針があったかと思いますが、かつての隆盛が感じられないメインイベンター不在でもありました。高橋亨汰はヤル気満々だった様子で、次なるメインイベンターとして、しっかり役割を果たすことでしょう。

今回の興行ではセミファイナルの木下竜輔vs下地奏人戦が最終試合となりましたが、昨年5月15日に木下竜輔が、KO負けの少ないジョニー・オリベイラを右ストレート一発で失神TKO勝利して強烈な存在感を示し、順調だったデビュー後も、今や負け越してしまう苦しい立場だが、髙橋亨汰に続くエース格に期待が掛かっているので踏ん張って欲しいところです。

第1試合で片岡真秀のセコンドに着いた船木鷹虎さん。仙台青葉ジムから独立し、2002年に鷹虎ジムを開設。現在はプロ部門をチーム・タイガーホークとして活動中である。そんな鷹虎さんの現役時代を片岡真秀はどれ程知っているだろうか。試合中、そんな想いが過りましたが、ミドルやハイキックは直伝の当て勘と上手さを感じました。

先週のNJKF興行で 、東京町田金子ジム閉鎖の発表がありましたが、この日、小林勇人(伊原)と対戦した渋谷昴治の敗れた試合が、東京町田金子ジム最後の試合だったかもしれません。所属選手はフリーとなって、今後の活動は移籍など自由となるようです。

次回の新日本キックボクシング協会興行は7月9日(日)に後楽園ホールに於いて「MAGNUM.58」が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

岩浪悠弥が志賀将大を倒してフライ級、スーパーバンタム級に次ぐ三階級目を制覇。
IBFムエタイ世界王座奪還目指す波賀宙也は、不運なダメージで判定負け。
前田浩喜があっけなく倒される誤算。勝者・鎌田政興はNKBの存在感を示した。
東京町田金子ジムが閉鎖で金子修会長に功労顕彰の表彰。昭和から続いた名門がまた一つ消える。

◎NJKF 2023 2nd / 4月16日(日)後楽園ホール17:30~20:15
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / NJKF、WBCムエタイ日本協会

※試合レポートは岩上哲明記者

◆第8試合 第8代WBCムエタイ日本バンタム級王座決定戦 5回戦

志賀将大(エス/53.35kg/1993.2.20福島県出身)19戦14勝(4KO)4敗1分
         VS
岩浪悠弥(橋本/ 53.5kg/1998.1.6東京都出身)34戦22勝(4KO)10敗2分
勝者:岩浪悠弥(王座獲得) / KO 2R 2:59
主審:竹村光一 / チェアマン:中山宏美

(志賀将大はNJKFバンタム級とWKBA日本バンタム級チャンピオン)
(岩浪悠弥は元・WBCムエタイ日本フライ級とスーパーバンタム級二階級制覇)

前日計量で志賀将大選手から「2月のタイトルマッチ(WKBA日本)は相手がノラリクラリ躱(かわ)したこともあり不完全燃焼だった。今回は下馬評では橋本選手と言われているようですが団体の対抗戦ということもありスッキリ勝ちたい。」とコメント。

一方の岩浪悠弥選手は「三階級制覇が懸っており気合いが入っています。団体(JKイノベーション)の代表選手ということもあり、勝ちに拘ります。」とコメント。

初回は両者ともローキック中心の牽制で探り合いの展開。

第2ラウンド、志賀将大は前に出ながら蹴りから首相撲を仕掛ける。岩波悠弥も応戦し互角の展開で進んだところ、岩波悠弥の左ハイキックが志賀の顎にヒットし、志賀は動きが止まってしまう。そのダメージから回復させないように岩波はパンチ連打し、右フックでノックダウンを奪う。

勝負の運命を分けた岩浪悠弥の左ハイキックが志賀将大の顎にヒット

志賀は立ち上がるも、岩波のパンチ連打にロープ際に追い込まれ、腰が落ちたところに岩浪の右ミドルキックを顔面に貰い2度目のノックダウン。懸命に立ち上がろうとするも、カウント中にファイティングポーズがとれず、岩波悠弥のKO勝利となった。

ダメージ大きい志賀将大を追って攻める岩浪悠弥

試合後、岩浪悠弥選手は三階級制覇達成の興奮のせいか試合中の緊張感を残したまま、祝福の声に「有難うございます。」とコメント。敗れた志賀選手はセコンド陣と話をしながら、「纏まりが無く雑になった。ダウンを取られるとは思わなかった。」とコメントしながらも敗戦を分析し、「次回に繋げます。」と前向きなコメントだった。

三階級制覇した岩浪悠弥が挨拶、陣営が見守る

◆第7試合 57.0kg契約3回戦

波賀宙也(立川KBA/ 57.05→57.0kg/1989.11.20東京都出身)45戦27勝(4KO)14敗4分
      VS
コンコム・レンジャージム(タイ/ 56.9kg/1988.6.29イサーン地方出身)
勝者:コンコム・レンジャージム / 判定0-3
主審:少白竜
副審:椎名27-29. 竹村27-29. 多賀谷28-29

(波賀宙也は前・IBFムエタイ世界Jrフェザー級チャンピオン)

初回、波賀宙也はミドルキック主体でペースを掴もうとするが、コンコムは組むことで体格差を無くしながら躱(かわ)していく展開。

第2ラウンド、波賀はローキックを中心に切り替えていくが、コンコムは首相撲に持ち込み、上手く波賀の攻撃を躱していく。会場から「上手いなあ!」とコンコムの躱す技術を褒める声が上がった。波賀は逃れようと右ボディーにパンチを決めるが続かず、逆に転ばされてしまう。

第3ラウンド、コンコムの上手さに翻弄されている波賀はカウンターのヒジ打ちを決めるも単発で終わる。流れで組んでしまった際に、コンコムはブレイクしようと半ば投げ捨てるように離したが、波賀はマットで頭を打ち、立ち上がるも足が痙攣していた。コンコムは逃さず右ストレートを決めノックダウンを奪う。波賀は立ち上がり反撃をするも試合終了。コンコムが判定勝利を飾った。

試合後、波賀宙也選手は「サイズは関係ないですし、カードが決まる期間が短かったのは相手も一緒です。最後の第3ラウンドだけでしたね。そのラウンドだけは忘れてください。次回に繋げて頑張ります。」と前向きなコメントをしていた。

首相撲からの崩しで転ばされた波賀宙也は立ち上がるにも足がふらつく

ダメージ負った波賀宙也に攻勢に出るコンコム、惜しいラウンドとなった

◆第6試合 57.5kg契約3回戦

NJKFフェザー級チャンピオン.前田浩喜(CORE/57.45kg/1981.3.21東京都出身)
48戦29勝(17KO)16敗3分
        VS
NKBフェザー級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/57.3kg/1990.5.6香川県出身)
18戦8勝(3KO)8敗2分
勝者:鎌田政興 / TKO 1R 2:04
主審:中山宏美

試合前、前田浩喜選手から「王者としてNJKFを盛り上げる為に熱い試合をした上で勝ちます。」とコメントがあった。それ以外にも、入場時や大会場での開催など、NJKFを試合以外で盛り上げたいと熱く語っていた。一方の鎌田政興選手は「団体(NKB)の代表選手として、そしてフェザー級を盛り上げるために勝ちにいきます。」と緊張気味にコメントをしていた。

試合当日もリラックスをして談笑していた前田浩喜だったが、開始早々、鎌田政興の左右のストレートを貰い動きが止まる。その後、自分のペースに持ち込もうと首相撲などで攻めていくが、鎌田はパンチを中心にコーナーに前田を追い込み、左右のストレートを決め、ノックダウンを奪う。前田はすぐに立ち上がれず、目の焦点が合わないことでレフェリーはストップをかけ鎌田政興がTKO勝利。

鎌田政興の連打で劣勢に追い込まれた前田浩喜、この後、連打で倒される

◆第5試合 64.0kg契約3回戦

健太(E.S.G/ 63.6kg/1987.6.26群馬県出身)109戦63勝(17KO)39敗7分 
        VS
NJKFスーパーライト級2位.吉田凛汰朗(VERTEX/63.9kg/2000.1.31栃木県出身)
21戦9勝8敗4分 
勝者:健太 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:少白竜30-28. 竹村30-28. 中山30-28

(健太は元・WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン)

10ヶ月ぶりのホームリングでの試合になる健太選手。「大会場で何度も試合をしていますが、久しぶりの後楽園ホールで勝利を得ます。」とコメント。

初回、健太はオーソドックスなローキックを中心に隙を突いてパンチを入れていく。吉田凛汰朗はミドルキックからパンチを決めていくが、健太の距離で戦ってしまい攻めきれない。第2ラウンド、健太の圧力が大きくなり、吉田は前に行けず手数が少なくなる。健太は的確にパンチやキックを決めていき優勢になった。
第3ラウンド、吉田は終盤にバックハンドブローを仕掛けるも健太のガードで決まらず。優勢を維持している健太はパンチを中心に自分の距離で戦い、吉田の勢いを潰しながらパンチを決めていった。吉田は力を出し切れなかったようで、健太が判定勝利となった。

109戦目の健太は試合運びの上手さで攻勢を維持して判定勝利

◆第4試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級2位.悠斗(東京町田金子/50.8kg/1993.2.24東京都出身)
37戦20勝(9KO)13敗4分
      VS
同級3位.TOMO(K-CRONY/50.7kg/1982.10.30茨城県出身)21戦7勝(5KO)12敗2分
勝者:悠斗 / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:少白竜30-29. 竹村30-29. 中山30-29

所属ジムの金子修会長がジム閉鎖の決意と創設51周年の功労顕彰賞を授与されたことを受け、負けられない状況になった悠斗。初回、ローキックから隙をついて重いパンチを決めていく。TOMOはミドルキックと左右のパンチで対抗。

第2ラウンド、悠斗の重いパンチは衰えることなく、的確にTOMOにヒットしていく。TOMOも反撃するが悠斗の圧力が強く、TOMOの勢いを削っていく。

第3ラウンド、悠斗のパンチ中心の攻撃にTOMOは耐えていき、起死回生のバックハンドブローを決めるが、ガードの上でダメージを与えることが出来ず、悠斗のジャブのヒットを許してしまう。最後は打ち合いになるがそのまま終了し、悠斗が判定勝利。

悠斗が重いパンチで主導権を奪った展開の中、ハイキックも繰り出していく

◆第3試合 スーパーライト級(当初)3回戦

NJKFスーパーライト級4位.宗方888(キング)欠場によりTAKUYA戦は中止。

ガン・エスジム(タイ)が代打出場
      VS
NJKF ライト級3位.TAKUYA(K-CRONY/63.3kg/1993.12.31茨城県出身)
13戦7勝5敗1分
勝者:ガン・エスジム
主審:椎名利一
副審:少白竜29-28. 竹村30-28. 中山29-28

出場予定だった宗方888が減量失敗で脱水状態になり、救急車で運ばれる事態だった様子で前日計量には現れず。電話では謝罪を述べていた様子。

TAKUYA選手は「今回はキレイに勝ちますよ。」と意気込みを語っていたが、代打出場となったガンエスジムとの対戦が決まった。

初回、TAKUYAがガン・エスジムに仕掛けるが、ガンのパンチや的確な右ヒジ打ちが入り、一瞬ぐらつく。ガンは右フックを初め的確で手数多いパンチを繰り出し、TAKUYAはローキックで反撃をする。

第2ラウンド、TAKUYAは右ストレートをヒットさせるも、ガンが前に出て来て組みながらのヒジ攻撃にペースが掴めず苦戦する。ガン選手は急遽試合が決まったとは言え、果敢に攻めていく姿勢は変わらず。

第3ラウンド、TAKUYAはセコンドからの「ヒジで行け!」との指示でヒジ打ちを決めていくが、ガンはポイントで優勢になっていることを意識し、付き合わずに躱したり組んだりして時間を稼いでいるようだった。TAKUYAは攻めきれず終了。ガン・エスジムの判定勝利。

試合後、TAKUYA選手は「すみませんでした」と悔しそうにコメント。「次に繋げましょう。」という声に「有難うございます。頑張ります。」と前向きな返事だった。

急遽決まったムエタイ実力者との対戦、TAKUYAは苦戦を強いられた

◆第2試合 スーパーフェザー級3回戦

NJKFスーパーフェザー級10位.コウキ・バーテックス(VERTEX/58.8kg/1997.9.20栃木県出身)9戦4勝4敗1分
      VS
颯也(新興ムエタイ/58.8kg/2002.5.4神奈川県出身)6戦2勝4敗
勝者:颯也 / TKO 3R 1:51 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:多賀谷敏朗

◆プロ第1試合 ヘビー級3回戦

レオ(K-CRONY/100kg超・秤の都合/1998.9.3ブラジル出身)1戦1勝(1KO)
      VS
長里清(サンライズ/93.7kg/1969.7.29埼玉県出身)1戦1敗
勝者:レオ / TKO 1R 2:04

◆アマチュア第2試合 (over40) 68.0kg契約2回戦(90秒制)

河野友信(A-sk/ 67.2kg)vsカズshooter(テツ/ 66.2kg)
勝者:河野友信 / 判定3-0 (19-18. 19-18. 19-18)

◆アマチュア第1試合 (over40) 60.0kg契約2回戦(90秒制)
シュンスケ・ムアンチャイ・ピラーノ(ゼウス西船橋/ 59.9kg)
      VS
まさる(Labore spes/ 59.55kg)
引分け 1-0 (19-19. 20-19. 19-19)

《取材観戦記》(岩上哲明)

キックボクシングで観客が満足できる興行は、やはり“KO決着が多い興行”でしょう。今回のNJKFの興行ではKO決着が半分あり、それぞれ内容が違うもので、観衆にとって満足したものと思います。判定決着になった試合も勝者のテクニックの巧さに満足出来たことでしょう。そして、最初のアマチュア2試合が会場を盛り上げる為にいい仕事をしてくれたと思います。

メインイベントは「三階級制覇」と「三団体制覇」や「WBCムエタイとWKBA」といった隠れたテーマがあり、それを事前に知ることでより試合の楽しみ方のレベルが上がると思います。NJKFの今後の課題としては、キックボクシングに無縁、無関心な人を振り向かせること。これはキックボクシングに関わる人達共通の課題にもなるでしょう。

《取材戦記》(堀田春樹)

東京町田金子ジム閉鎖と創設51周年セレモニーが第2試合後に行われ、NJKFより金子修会長には長年の功労を顕彰する表彰をされました。金子修氏の御挨拶の中では観衆に対し、「今後もNJKFに足を運んでくださいますように、そして赤コーナーや青コーナーへ声援合戦をお願いします!」と観衆にメッセージを残されました。これもキックボクシングを大いに盛り上げたい表れの、ファンへのお願いだったでしょう。

東京町田金子ジムの前身は昭和のキックボクシング隆盛期に創設された萩原ジム。ここからデビューした現・レフェリーの少白竜氏も花束贈呈に並びました。金子修氏も早々にジムを引き継いだ元・所属選手で数戦しているようです。細かくはジムの歴史を改めて聞いてみたいものです。

次回興行は5月7日(日)にGENスポーツパレスにて「DUEL.28」が開催予定。6月4日(日)には後楽園ホールで本興行「NJKF 2023.3rd」が開催予定です。

東京町田金子ジム閉鎖する金子修会長がファンにキックへの想いを熱く語る

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

月刊『紙の爆弾』2023年5月号

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