《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈1〉71年が残した傷と記憶と 横山茂彦

◆シラケ世代

71年に思春期や青春時代を迎えた世代は、総称して「シラケ世代」と呼ばれたものだ。ほかにも三無主義・四無主義という呼称があった。

 
『木枯し紋次郎』(中村敦夫事務所提供)

つまり、無気力・無責任・無感動・無関心というわけである。わたしもその一人だった。

無感動や無関心には、それなりの理由がある。少年期に戦後復興の象徴であるオリンピックや高度経済成長を体感し、努力すれば成功するという勤勉な日本人像を抱いていた。にもかかわらず、60年代後半の価値観の変転が、その神話を打ち崩したのである。

一所懸命努力しても、成功するとは限らない。背広を着た大人の言うことは信用するな。正義が勝つとはかぎらない。へたに政治運動に首を突っ込むと、とんでもないことに巻き込まれる。闘っても、負ければ惨めだ。巨人の星飛雄馬は挫折したし、力石徹も死んでしまった。若者たちは政治の汚さや正義の危うさを知ってしまったのだ。

前ふりはここまでにしておこう。そんなシラケ世代のど真ん中に、突如として現れたのが「木枯し紋次郎」だった。

『抵抗と絶望の狭間』の巻頭は、その木枯し紋次郎を演じた中村敦夫さんのインタビューである。

胡散臭いことを「ウソだろう」という感性は、まさに演じた紋次郎のものだ。アメリカ留学の件は、あまり知られていない個体史ではないか。中村さんのシンプルな発想は、いまの若い人たちにも参考になるはずだ。

俳優座への叛乱を報じる朝日新聞(1971年10月28日朝刊)

◆その時代が刻印した「傷」と「誇り」

シラケ世代は68・69年の学生叛乱の延長で、それを追体験する世代でもあった。シラケていても、いやだからこそ叛乱には意味があった。もはや戦後的な進歩や正義ではない、世界が変わらなくても自分たちが主張を変えることはない。

 
「俺を倒してから世界を動かせ!」1972年2月1日早朝 封鎖解除 同志社大学明徳館砦陥落

松岡利康さんら同大全学闘の「俺を倒してから世界を動かせ!」という スローガンにそれは象徴されている「私にとって〈一九七一年〉とはいかなる意味を持つのか」(松岡利康)。

革命的敗北主義とは妥協や日和見を排し、最後まで闘争をやりきることで禍根を残さない。そこにあるのは学生ならではの潔癖さであろう。

善悪の彼岸において、革命的(超人的)な意志だけが世界を変え得る(ニーチェ)。

学費値上げ阻止の個別闘争といえども、革命の階級形成に向けた陣地戦(ヘゲモニー)である(グラムシ)。

71年から数年後、松岡さんたちの『季節』誌を通してそれを追体験したわたしたちの世代も、ささやかながら共感したものだ。その「傷」の英雄性であろうか、それともやむなき蹶起への共感だったのだろうか。いずれにしても、進歩性や正義という、戦後の価値観をこえたところにあったと思う。

松岡さんの記事には、ともに闘った仲間の印象も刻印されている。

◆抵抗の記憶

71年を前後する学生反乱の体験は、文章が個人を体現するように多様である。掲載された記事ごとに紹介しよう。

眞志喜朝一さんはコザ暴動のきっかけとなった「糸満女性轢死事件」からベ平連運動に入ったことを語っている(聞き手は椎野礼仁さん)。沖縄戦で「日本国の盾にされてウチナンチュが死ぬ」のを、二度と繰り返さないために、馬毛島から与那国島まで要塞化するのは許せない。そのいっぽうで、日本国民(ヤマトンチュにあらず)として、中国が沖縄の地にやってきたらレジスタンスとして戦うというアンビバレンツなものを抱えざるを得ない。そしてB52が出撃した基地として、ベトナムにたいする加害者である意識を否定できないという。

田所敏夫さんが書いた「佐藤栄作とヒロシマ――一九七一年八月六日の抵抗に思う」にある抗議行動は、当日のニュースで見た記憶がある。

この女性が「糾弾」ではなく「佐藤首相、帰ってください」という訴え方をしたので、視ているほうも親身になったのではないかと思う。すくなくとも、わたしはそう感じた記憶がある。

被爆二世としての田所さんの思いのたけは、ここ三年間の8月6日のデジタル鹿砦社通信の記事として収録されている。

山口研一郎さんの「地方大学の一九七一年――個別・政治闘争の質が問われた長崎大学の闘い」も貴重な証言である。被災した長崎天主堂が、本来ならば原爆の悲劇の象徴として保存されるべきところ、当時の田川市長によって取り壊された。被爆者でもある田川市長が訪米後のこと、アメリカの核戦略に従ったものといえよう。

長崎には大村収容所もあり、山口さんの問題意識は被爆者問題にとどまらず、入管問題、沖縄返還問題、狭山差別裁判、三里塚闘争へとひろがる。そして長崎大学では、右翼学生との攻防がそれらの問題とかさなってくるのだ。周知のとおり、長崎大学の学生協議会は、現在の日本会議の中軸の活動家を輩出している。

◆内ゲバの前哨戦と機動隊の壁を突破

眞志喜朝一さんをインタビューした、椎野礼仁さんの闘争録「ある党派活動家の一九七一」は前述した「文章が個人を体現する」がピッタリ当てはまる。

もうこれは、学生の運動部の体験記に近い。党派というスポーツクラブに所属した体験記みたいだ。しかし実際には「通っていた大学に退学届けを出して、シコシコと、集会やデモ、その情宣活動を中心とした“学生運動”に勤しんでいた」のだ。

その学生運動の党派とは、「悪魔の第三次ブント」を標榜した戦旗派である。

第二次ブント分裂後のブント系最大党派で、その組織リゴリズムから「ブント革マル派」と悪評が高かった。ようするに「前衛ショービニズム」(荒岱介)で、ゲバルトがすこぶる強かった。分派後のブント系は、反戦集会などがあれば、かならず内ゲバが前哨戦として行なわれていた。その内ゲバの様子が、まさに「運動部の体験」のごとく活写されている。戦記ものとして読めばたのしい。

叛旗派には13戦全勝だったというが、判官びいきもあって、デモに参加する群衆の人気は、圧倒的に叛旗派だった。

当時を知る人によれば「叛旗がんばれー!」という歓声があがったという。

その叛旗派は、吉本隆明がゆいいつ「ブント」として評価していた党派である。吉本の人気とゲバルト闘争にはいまひとつ参加できない、新左翼シンパ層の支持にささえられていた。そして12.18ブントや赤軍派とのゲバルト。荒岱介さんによれば、キャッチマスクを着けたゲバルト訓練は、九十九里海岸の合宿で行なわれたはずだ。

71年6.17の全国全共闘分裂のデモでは、上京した同志社全学闘(松岡さんら)の闘いと交錯する。こちらは内ゲバではなく、機動隊に押し込まれて「もうアカン」(松岡さん)という状態のときに、背後から火炎瓶が投げられて機動隊が後退。「同大全学闘の諸君と共にここを突破したいと思います」(戦旗派)というアジテーションがあり、スクラムを組んで突破したのである。

内ゲバもするが、機動隊を前にしたときは共闘する。そこがブント系らしくていい。

そして72年5月の神田武装遊撃戦、ふたたびの組織分裂と困惑。まさに華々しく駆け抜けた青春のいっぽうで、ひそかに行なわれた非合法活動。語りつくせないことが多いのではないか。

よく太平洋戦争の戦記もので、書き手によっては悲惨な戦いも牧歌的に感じられるものがある。椎野さんには改めて、闘争記を書いてほしいものだ。

『戦旗』(1972年5月15日)
『戦旗』(1972年5月15日)

◆新左翼のお兄ちゃん

芝田勝茂さんの「或ル若者ノ一九七一」は、当時のノートをもとに回顧した文章である。現在の上品な児童文学者の風貌からは想像もできなかった、新左翼のお兄ちゃん然とした芝田さんにビックリさせられる。

文章も主語が「俺」なので、当時の雰囲気をほうふつとさせる。長い髪とギターを抱えた姿は、まさにフォークソングを鼻歌にしそうな、当時の新左翼のお兄ちゃんなのだ。

だが、内容は牧歌的ではない。芝田さんや松岡さんが参加した同志社大学全学闘は赤ヘルノンセクトだが、いわば独立社学同である。

東京では中大ブント、明大ブントが第一次ブント崩壊後(60年代前半)の独立社学同で、その当時は関西は地方委員会がそっくり残っていた。

 
キリン部隊

そして二次ブント分裂後、同志社学友会を構成する部分が全学闘であり、対抗馬的な存在が京大同学会(C戦線)であった。

芝田さんの記事では、同大全学闘と京大C戦線、立命館L戦線の三大学共闘が、並み居る新左翼党派に伍して独自集会を行なうシーンが出てくる。

「同志社のキリン部隊や!」「やる気なん?」と参加者から歓声が上がり、解放派から「こいつら無党派じゃない! 党派だ!」という声が出るのも当然なのである。

※キリン部隊 ゲバルト用の竹竿の先端に、小さな旗を付けたもの。折れにくい青竹が主流で、竹竿だけだと凶器準備集合罪を適用されかねないので、先端に申し訳ていどに付ける。

◆三里塚9.16闘争

松岡さんと芝田さんの手記にも三里塚闘争への参加(京学連現闘団)と逮捕の話は出てくるが、当時高校生だった小林達志さんが「三里塚幻野祭」と第二次強制代執行阻止闘争のことを書いている。

激闘となった、71年9.16闘争である。このとき、八派共闘の分裂によって、三里塚現地の支援党派も分裂していた。中核派と第4インターが駒井野と天浪の砦(団結小屋)で徹底抗戦。椎野さんたちの戦旗派もそれに対抗して砦戦だった。

いっぽう、解放派と叛旗派、情況派、日中友好協会(正統)、黒ヘル(ノンセクト)、京学連などが反対同盟青年行動隊の指導の下、ゲリラ戦で機動隊を捕捉・せん滅する計画を練っていた。

おそらく9.16闘争の手記が活字になるのは、初めてのことではないだろうか。それだけに読む者には、生々しいレポートに感じられる。

すでに裁判は86年に終わり(第一審)、無罪(証拠不十分)をふくむ執行猶予付きの判決で終結している。つまり9.16闘争とは、上記のゲリラ部隊が機動隊を急襲し、警官3名の殉職者を出した東峰十字路事件なのだ。※東峰十字路事件(Wikipedia)

同志社大学では当日の実況中継を計画していたが、さすがに機動隊員が死んだという知らせをうけて急遽中止したという。

70年代は「第二、第三の9.16を」というスローガンが流行ったものだが、この事件では三ノ宮文男さんがたび重なる別件逮捕のすえに自殺している。警官の殉職者もふくめて、いまは哀悼の意を表すしかない。

硬派なタイトルの紹介ばかりとなったが、この書評は連載となることを予告しておこう。71年は日活ロマンポルノ元年でもあり、銀幕にバスト露出が始まった年である。そのあたりは元官能小説作家として、たっぷりと紹介したい。(つづく)

朝日新聞(1971年9月16日夕刊)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。3月横堀要塞戦元被告。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』
紙の爆弾12月号増刊
2021年11月29日発売 鹿砦社編集部=編 
A5判/240ページ/定価990円(税込)

沖縄返還の前年、成田空港がまだ開港していない〈一九七一年〉──
歴史の狭間に埋もれている感があるが、実はいろいろなことが起きた年でもあった。
抵抗はまだ続いていた。

その一九七一年に何が起きたのか、
それから五十年が経ち歴史となった中で、どのような意味を持つのか?
さらに、年が明けるや人々を絶望のどん底に落とした連合赤軍事件……
一九七一年から七二年にかけての時期は抵抗と絶望の狭間だった。
当時、若くして時代の荒波に、もがき闘った者らによる証言をまとめた。

一九七一年全般、そして続く連合赤軍についての詳細な年表を付し、
抵抗と絶望の狭間にあった時代を検証する──。

【内 容】
中村敦夫 ひとりで闘い続けた──俳優座叛乱、『木枯し紋次郎』の頃
眞志喜朝一 本土復帰でも僕たちの加害者性は残ったままだ
──そして、また沖縄が本土とアメリカの犠牲になるのは拒否する
松尾 眞 破防法から五十年、いま、思うこと
椎野礼仁 ある党派活動家の一九七一年
極私的戦旗派の記憶 内内ゲバ勝利と分派への過渡
芝田勝茂 或ル若者ノ一九七一年
小林達志 幻野 一九七一年 三里塚
田所敏夫 ヒロシマと佐藤栄作──一九七一年八月六日の抵抗に想う
山口研一郎 地方大学の一九七一年
──個別・政治闘争の質が問われた長崎大学の闘い
板坂 剛 一九七一年の転換
高部 務 一九七一年 新宿
松岡利康 私にとって〈一九七一年〉という年は、いかなる意味を持つのか?
板坂 剛 民青活動家との五十年目の対話
長崎 浩 連合赤軍事件 何が何だか分からないうちに
重信房子 遠山美枝子さんへの手紙
【年表】一九七一年に何が起きたのか?
【年表】連合赤軍の軌跡

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09LWPCR7Y/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000687

《11月のことば》上を向いて歩こう 鹿砦社代表 松岡利康

《11月のことば》上を向いて歩こう(2021鹿砦社カレンダーより/龍一郎・揮毫)

喜怒哀楽というように人にはいろいろな感情や表情があります。

人生には嬉しいことばかりではなく悲しいことも多々あります。

「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」とは誰もが知る有名な歌の歌詞です。

悲しい時にはこらえても涙が出ることはありますが、それでも笑顔で前を向いて歩いていきたいものです。

秋も深まり肌寒くなってきました。今年のカレンダーもあと2枚、来年2022年のカレンダーも校了し印刷に入っています。例年通り12月発行の『紙の爆弾』『NO NUKES voice』の定期購読の皆様方には一緒にお送りいたします。

定期購読まだの方は今すぐお申し込みお願いいたします。

(松岡利康)

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』12月号!

《10月のことば》一隅を照らす 鹿砦社代表 松岡利康

《10月のことば》一隅を照らす(鹿砦社カレンダー2021より/龍一郎・揮毫)

10月の言葉は難しい。揮毫した龍一郎本人に解説してもらいました。

〈「一隅を照らす(いちぐうをてらす)」は空海と並ぶ比叡山の最澄の言葉です。
中村哲先生はご色紙を頼まれるとこの言葉を書いておられました。

各人は小さな力しか持たぬささやかな存在である。
しかし、それぞれが生きる場で小さな灯りを灯せば世の中は明るくなる。

この言葉は心に沁みます。〉

もはやこれ以上の解説は不要でしょう。

今年のカレンダーも残り少なくなりました。来年のカレンダーも龍一郎の揮毫が済み、着々と制作中です。11月末には完成し、まずは12月7日発行の『紙の爆弾』(同4日発送)、同11日発行の『NO NUKES voice』(同8日発送)の定期購読の方に同封(贈呈)させていただきます。

これを機会に両誌の定期購読(新規、継続)をお願いいたします。

(松岡利康)

『紙の爆弾』『NO NUKES voice』今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

《速報!》鹿砦社に入り込んだ“隠れしばき隊”藤井正美に対する民事訴訟の本人尋問、藤井・神原弁護士の醜い詭弁と三百代言を粉砕! 鹿砦社特別取材班

一昨日9月9日午後1時30分から大阪地裁第16民事部809号法廷において、鹿砦社が、元社員であり「カウンター/しばき隊」の中心メンバーだった藤井正美を相手取って損害賠償を求めた民事訴訟における証人調べ(本人尋問)が行われた。

またもや闘いの舞台・大阪地裁

本来なら翌日の昨10日に報告予定のところ、藤井の詭弁、同代理人の神原元弁護士の三百代言を長時間傍聴し気分が悪くなり遅れてしまい本日になったことをお詫びする。

これまでは争点準備手続き(非公開で傍聴者なし、当事者だけの参加)による審理であったので、この裁判において原告、被告双方が傍聴席の前に姿を現したのは、この日が初めてである。とはいえ、原告・鹿砦社代表松岡にとって法廷は数えきれないほどの経験がある。被告・藤井正美にとって、法廷内がどのように感じられたのかは想像するしかない。

傍聴席には鹿砦社の応援に合計9名の方々が駆けつけてくださった。平日にもかかわらず、ありがたいことだ。一方藤井側の応援はゼロ。しばき隊の仲間は冷たい。

◆意外と冷静だった松岡の尋問への対応

証言は原告松岡への森野俊彦弁護士の主尋問で幕を開けた。森野弁護士は松岡に藤井を雇用した経緯、入社後藤井の業務態度などをよく通る聞き取りやすい声で質問していった。松岡も落ち着いて回答する。

森野弁護士の主尋問のあとには、被告・藤井の代理人、神原元弁護士の反対尋問に移る。神原弁護士はやや高い声で傍聴席から聞いていると、少し早いテンポで松岡に質問を投げかける。松岡は時に「質問の意味がよく理解できませんので、もう一度お願いします」と聞き返すなど、松岡には珍しく終始冷静に質問に回答した。

直情型の松岡はかつて、ある裁判での尋問で書類を投げつけたほどで心配された。松岡は開廷前、「天気晴朗、明鏡止水の心境だ」と嘯いていたが、内心は怒りと闘志が燃えたぎっていたに違いない。

◆元社員・藤井正美の詭弁と開き直り、いまだに反省と謝罪の言葉はなかった

休憩を挟み、藤井への尋問は神原弁護士の主尋問から始まった。このやり取りの総体を一言で表せば「笑止千万」だ。神原弁護士による主尋問のあと、森野弁護士が藤井に対して反対尋問を行なった。

森野弁護士の質問内容は事前に裁判所に通知していた内容とほぼ同じであったが、時にゆっくり時間を取り、また別の質問では「あなたは」と始めながらも明らかに声の厚みが増し、藤井は回答に窮する場面もあった。

《自分を取り巻く今の環境は、3・11以降に反原発~反レイシズム~反安倍の流れを当たり前のように進んできた「縦糸」と、音楽やサッカーなどが「横糸」になったゆるやかな繋がりで編まれているんだけど、いずれ誰かが本にでもしてくれるだろう(笑)》

上記のように藤井が「いずれ誰かが本にでもしてくれるだろう(笑)」と希望していたことが、藤井発信のツイッターから判明した(もちろんそれだけが理由ではない)こともあり書籍に取り上げたのに、この日の藤井の弁解はその希望とまったく矛盾していた。

藤井正美2015年月別ツイート数一覧(『カウンターと暴力の病理』より)
藤井正美2015年9月のツイート数一覧(『カウンターと暴力の病理』より)
神原弁護士のツイート(2021年9月8日)

この期日前にも例によって、神原弁護士は「圧勝」(弁護士として品のない表現と感じるのは、われわれだけか?)とのお得意ツイートを投稿していたが、果たして実態は……? 傍聴された方々は、どう感じたであろうか?

この方は過去の裁判で勝訴でもないのに実質「勝利宣言」をするなど、不思議な言語感覚の持ち主であることは承知していたが、今回もそれは同様。

◆次回期日は11月4日午前11時30分から
 これで結審

双方の尋問(証言)終了後、裁判長は今後の扱いについて原告・被告双方に意向を聞いた。原告代理人森野弁護士は「最終準備書面を出したいのでもう1期日入れてほしい」旨主張、対する神原弁護士は「本日結審で」と意向を示したため、裁判長はじめ右・左陪席は「合議します」と短時間法廷から裏に去った。

神原弁護士のツイート(2021年9月9日)

合議の結果は11月4日に期日が入ることになった。あれ? 神原弁護士、大阪から帰る新幹線の中(?)からも「圧勝」宣言をしていたけど、これは法廷内での「圧勝」なのか。

今回の「通信」では、原告・被告双方の証言内容に特別取材班は一切触れない。理由は藤井の証言の中に判決へ影響を及ぼすであろう、重大な内容が複数個所あったからである。読者諸氏には消化不良で申し訳ないが、法廷闘争を勝ち抜くために、わざわざ藤井が提供してくれた「リーサルウェポン」は11月4日まで非公開だ。

◆敗訴が続く神原弁護士の風体に驚いた

この日の神原弁護士は、上着の裾も、ズボンもしわだらけ。ズボンの中に押し込んだつもりのシャツは、無残にも上着を押し上げてはみ出していた(これまで多数神原弁護士の姿を傍聴席から見た人物によれば、「こんな姿は初めてだった」という)。反対尋問で松岡に近づいた際に「神原弁護士は息が上がっていて驚いた」と松岡は振り返る。

神原弁護士のツイート(2021年9月9日)

そして神原弁護士は松岡への反対尋問中、鹿砦社支援者であふれる傍聴席へ過度に神経質になってしまった。ただでさえ甲高い声をさらにヒートアップし、あろうことか裁判長に「今、傍聴席で発言した人がいました。退廷させてください!」と泣きつく始末。おいおい「圧勝」の名が泣くぞ。

閉廷後、鹿砦社支援者は法廷から廊下へ出たところへ、神原弁護士と藤井が出てきた。支援者の中から「神原先生、『リンチ事件はなかった』というウソのHPは消してください」、「弁護士は法律を守ってください」、「弁護士はウソをつかないで」とあちこちから声が上がった。これが「圧勝」の実態である。神原弁護士は「さらば大阪」と、ほうほうの体で川崎に戻っていった――。

このところ神原弁護士は敗訴が続いている。『週刊金曜日』植村隆社長の訴訟、対森奈津子訴訟控訴審、そして李信恵のリンチ事件への連座と「道義的責任」を認定した対李信恵訴訟控訴審(賠償金は減額されつつ付いたが実質的に李信恵敗訴である)……自称「左翼」神原弁護士の「正義は勝つ」という看板が汚されていく……。

前述の通り、次回期日は11月4日(木)11:30から今回同様大阪地裁本館809号法廷で開かれる。最終準備書面の提出が主とした内容になろうが、われわれは最後まで気を緩めず闘い続ける。皆様のご支援をよろしくお願いする次第だ。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

9・9対藤井正美訴訟証人調べ(本人尋問)に注目を! 鹿砦社に入り込み「獅子身中の虫」として蝕んだ“隠れしばき隊”藤井正美と神原元弁護士の蠢動を打ち砕こう! 鹿砦社特別取材班

来る9月9日(木)午後1時30分から大阪地裁第16民事部809号法廷において、鹿砦社が、元社員であり「カウンター/しばき隊」の中心メンバーだった藤井正美を相手取って損害賠償を求めた裁判における証人調べ(本人尋問)が行われる。

この裁判は藤井正美が鹿砦社の社員時代、就業時間中に膨大なツイッター発信を行っていた事実が偶然判明したことに起因する。この時まだ「M君リンチ事件」の情報は鹿砦社にはもたらされてはいなかった。また、「カウンター/しばき隊」の源流「反原連(首都圏反原発連合)」との関係に齟齬が発生しつつあった頃だった(絶縁宣言が出されたのはこの直後)。

偶然発見された藤井のツイッター発信は膨大な量であり、「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」をはじめとする松岡への誹謗中傷も少なくなかった。就業時間中の明らかな〈怠業〉(サボリ)に衝撃を受けた松岡は藤井入社以来のツイッター発信の一部(この時点では、あまりに膨大だったので全部は見れなかった)の記録、内容を点検した上で元警察官の飛松五男氏と弁護士立会いのもと藤井と話し合った。

ツイッター書き込みの一部を示し穏やかに話し合った結果、藤井本人が希望した「通常解雇」とした(普通こういうケースでは修羅場になることもあるが、それを抑止するために弁護士と飛松氏に立ち会いいただき終始録音もし、この音声データも保有してある)。

藤井は、何の魂胆があったのか推して知るべしだが、うまく鹿砦社に入り込み、在職期間の3年間、まさに「獅子身中の虫」として蠢動したのである。

「ここまで深入りしていたのか」と松岡に衝撃を与えた画像。先頭に立って街宣活動を行う藤井正美

◆姑息にも証拠隠滅を図った藤井正美

ところが、藤井は会社所有のパソコンで「謝罪文」を書く素振りを見せながら、実はツイッター発信同様に〈怠業〉をしていた私的メールなどの証拠の隠滅を図っていたことが、後日発覚する。この詳細については『カウンターと暴力の病理』のなかで詳細に記述があるので是非ご覧いただきたい。

《自分を取り巻く今の環境は、3・11以降に反原発~反レイシズム~反安倍の流れを当たり前のように進んできた「縦糸」と、音楽やサッカーなどが「横糸」になったゆるやかな繋がりで編まれているんだけど、いずれ誰かが本にでもしてくれるだろう(笑)》

2015年9月5日(土)、18時43分の藤井によるツイッターの書き込みだ。ある意味、本人が「本にでもしてくれるだろう」と“希望”するから、激烈な怠業ぶりと、鹿砦社を騙った企業恫喝などの詳細を「本」の一部に掲載したのだ。しかし、後日詳細に藤井の行動を再確認したところ、就業時間中ほとんど仕事をしていなかった実態が明らかになったため、鹿砦社は代理人を通じて「給与返還」を求める内容証明郵便を藤井に送付した。藤井からは何の返答もなかったので、仕方なく損害賠償請求訴訟を大阪地裁に起こした。これがあらましである。

社員が偶然発見した藤井のツイッターの一部

◆藤井はなぜ神原元弁護士を選任したか──吉と出るか凶と出るか注目を!

藤井は、鹿砦社に対して並々ならぬ敵意を持っている(とわれわれは認識している)神原元弁護士を訴訟代理人に選任した。これまで鹿砦社ならびに特別取材班が取材を試みた人物の少なくとも5人以上(李信恵はむろん香山リカ、秋山理央ら)の代理人に神原弁護士は就任している。その時点、つまり藤井が神原弁護士を代理人に選任した時点で藤井が「反省などまったくしていない」構図が明らかになった。大阪に山ほど弁護士がいるにもかかわらず、わざわざ神奈川の神原弁護士を選任しなくてもよいものを……。当初われわれはため息まじりに苦笑したものだった。

鹿砦社はこの裁判に、元裁判官で在任中から「日本裁判官ネットワーク」で活動し裁判所の内部から司法の変革を訴え続け、今は自由法曹団に所属する森野俊彦弁護士を選任、森野弁護士は先の対李信恵控訴審でも李信恵のリンチ関与と「道義的責任」を判示する判決を引き出した弁護士である。

神原弁護士も自由法曹団に所属し常任幹事を務めていることから、これまでの一連の訴訟とは代理人の立場が異なる展開で裁判が始まった。裁判長は審理の中で「和解」を進める場面もあり、条件次第では鹿砦社も和解に応じる腹づもりはあったが、藤井サイドはこれに応じないどころか、あろうことか「プライバシーの侵害」だと鹿砦社を反訴。あれだけの〈怠業〉の限りを尽くし、自ら《いずれ誰かが本にでもしてくれるだろう(笑)》と“希望”しておきながら、願いが叶うと「プライバシー侵害」だと駄々をこねる姿は滑稽そのものであるが、滑稽な主張が裁判所で堂々と主張されているのだから、笑ってもいられない。

一躍有名になった「声かけリスト」

◆自称「常勝」に曇りが出ている中での、9月9日(木)証人調べ(本人尋問)の意味

そのようなやりとりを経て、非公開の争点整理を重ね、9月9日(木)午後1時30分から証人調べ(本人尋問)が行われるのだ。原告の証人は松岡。被告の証人は藤井である。神原弁護士は審理の過程で、証人に特別取材班キャップの田所敏夫を求める旨の発言を一時していたが、最終局面ではその要請は行わず、逆に鹿砦社側が田所敏夫と鹿砦社社員Fの証人申請を行った。「来るなら来い!」ということである。裁判長は前回期日で「田所、Fの証人については保留」と述べたが9月初旬の現時点で裁判所から連絡はないので、松岡、藤井2名が証人として証言するのは間違いないだろう。

この裁判は直接的には、就業時間中の怠業を理由に元社員に給与の返還を求めるものであるが、前述のように神原弁護士の登場で、異なった意味合いも帯びざるを得なくなった。われわれは決して望まなかったが、鹿砦社vs「しばき隊」の代理戦争ともいえる構図が、藤井の主体的選択により法廷に持ち込まれたのだ。

藤井の怠業の中には、この5年余に渡り鹿砦社が追及してきた「M君リンチ事件」隠蔽に加担するメールも多々残されており(われわれが発掘し一躍有名になった「説明テンプレ」「声かけリスト」なども藤井が発信源である)、藤井自身も「しばき隊」内ではかなりの存在感を示していたようである。だからといって、鹿砦社は無理やり「M君リンチ事件」と藤井の怠業を結び付けるつもりはなかった。にもかかわらず、日本中に4万人以上弁護士登録者がいるといわれている中から、藤井はよりによって、ピンポイントで、おそらく日本の弁護士の中で最も鹿砦社を嫌悪しているであろう神原弁護士を選任したのだ(あーあ、疲れるなぁ)。

もとより、神原弁護士は本人が高言するほど「常勝」ではない。週刊金曜日現社長植村隆氏の裁判でも負けているし対森奈津子訴訟控訴審でも敗訴、さらに鹿砦社の対李信恵訴訟控訴審でも、このかんこの「通信」でも再三報じているように大阪高裁は、M君訴訟でも一貫として免責された李信恵のリンチへの連座と「道義的責任」を判示した(この判決を取材班は実質勝訴と評価し、松岡は減額されたとはいえ賠償金を課されたことで「敗北における勝利」と評価している)。

鹿砦社が求めたのは、さぼっていた元社員に「給料その他を返しなさい」という極めてシンプルな要求だ。ややこしい話ではない。「謝罪文」まで書き退職した藤井が開き直り、鹿砦社本社の間取り図を作為的に偽造し証拠として、ぬけぬけと裁判所に提出するなど、本筋が歪められたのだ(神原弁護士の法廷戦術だったのかもしれない)。

しかし、神原弁護士の態度には最近大きな変化が見られる。M君訴訟では「でっち上げ」として判決文をみずからの事務所のHPにアップしたにもかかわらず、鹿砦社の対李信恵控訴審判決内容には触れることはないし、自信を喪失しお疲れのように感じられる。

同時に感触ではあるが裁判長の姿勢にも提訴当初に比べると、藤井側のトンデモない主張や偽造された事務所の間取り図などで、われわれへの理解が深まっているのではないかと感じられる(裁判〔非公開の争点整理〕に出た社員の感想)。

同じく「説明テンプレ」

◆油断を排し、「鹿砦社憎し」に凝り固まった神原元弁護士らの野望を打ち砕け!

油断は禁物であるし、法廷では何が起こるかわからない。前述したように、つい最近われわれは、対李信恵裁判の高裁判決でそれを経験したばかりだ。

鹿砦社は原告であれ被告であれ、裁判の当事者となることを望まない(が、この四半世紀、鹿砦社の規模で1億円超の訴訟費用を使い、こちらから喧嘩を売ったことはさほどないが売られた喧嘩には真っ向から対決してきた。今後もこのスタンスは変わらない)。言論には言論で対抗するのが、出版を生業とする者の原則であり、われわれは法廷が戦場だとは考えていない。やむにやまれぬ法廷戦ではあったが、主たる戦場は、あくまでも言論戦である。われわれは言論戦からは一歩も退かない。

李信恵にしろ神原弁護士にしろ出版をできる環境にあるにもかかわらず、われわれが取材・調査を重ね6冊もの出版物に編纂して真相究明に当たったにもかかわらず、「デマだ」「クソだ」「でっち上げ」だと鸚鵡返しに繰り返すのみで、彼らは反論本の1冊も出すことはなかった。李信恵・上瀧浩子共著で『黙らない女たち』という本を出したので、興味深く拝見したが、リンチについての言及やわれわれの出版物に対する反論は1行もなかった。

李信恵は、大阪高裁の判決に記されたようにリンチに連座しその「道義的責任」から終生逃れられない。リンチ隠蔽に加担した藤井も同罪である。李信恵らに血の通った人間の心があるのならば、李信恵を背後から支えた「コリアNGOセンター」と共に公的に謝罪すべきだ。人間だれしも間違いを犯すことはある。ここできちんとした対応を取れるかどうかで、その人の人間性が現われ、人の評価も変わろうというものだ。そうでなければ、いつまでも狡(ずる)い人間だと思われ続け、それがたとえ今は小さなものであっても、徐々に拡がっていくであろう。これは藤井にも当てはまる。開き直るのではなく謙虚にみずからの非を認め反省し謝罪するのが先決だ。われわれの言っていることが間違っているのなら指弾していただきたい。

9月9日残暑下、コロナ禍の中ではあるが、圧倒的な注目と、時間の都合がつく皆さんにはぜひ傍聴をお願いしたい。藤井がやらかした悪行を代理人の神原弁護士が「正義」と言うのかどうかわからないが、藤井や代理人・神原弁護士の詭弁や三百代言、蠢動を打ち砕こう!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《9月のことば》満月に 君を想う 鹿砦社代表 松岡利康

《9月のことば》満月に 君を想う(鹿砦社カレンダー2021より/龍一郎・揮毫)

9月になりました──。

私事ながら、今月私は70歳になります。すでに黄泉の国に旅立った友人や、若い頃に出会い、今はどうしているか気になる人も少なからずいます。

あいつ、こいつ、あの人、この人……想い出とともに懐かしい顔が過(よ)ぎります。

いろいろな人たちに迷惑をかけて私は生きてきました。これから老い支度に入ります。後先さほど長くはありません。同世代ですでに亡くなった人もいるのに、これまで生き長らえてきたのが不思議です。

コロナ禍で思ったように身動きできず、故郷の友人はじめ会いたい人にも会いに行けず満月に想いをいたすしかありませんが。残りわずかとなったわが人生、これからもダメなことはダメと言い続ける、恥じない生き方をしたいと思っています。(松岡利康)

【管理人よりのお知らせ】
9月よりこの「デジタル鹿砦社通信」も新たな寄稿者を迎え、これまで以上に読み応えのあるものになると思います。新たな寄稿者は、森奈津子、黒薮哲哉、さとうしゅういち各氏です。ご期待ください!

『紙の爆弾』『NO NUKES voice』今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈4〉】李信恵さん、反差別運動を後退させないために、リンチに連座し関与したことを認定した大阪高裁判決に従い、心から反省し被害者M君に謝罪してください! 鹿砦社代表 松岡利康

くだんのリンチ事件に関する大阪高裁判決は、各方面に静かに根深く、重大で深刻な反響を与えているようです。特に李信恵のリンチへの連座と関与を裁判所が認定したことにより、李信恵とその周囲には大変なショックを与えたであろうことは想像に難くありません。事実、7月27日の判決直後に李信恵代理人の神原元弁護士は、相変わらず「正義は勝つ!」とツイートし「勝訴」を宣言しましたが、以降、神原弁護士も李信恵も、本件判決には全く触れていません。“不都合な真実”が判決で認定されたからです。

“不都合な真実”といえば、李信恵らと共にM君リンチに連座した伊藤大介による暴行傷害事件(本件一審本人尋問のあと2020年11月25日深夜)の全容や公判の進捗情況も、一切明らかにされていません。このままなし崩し的に幕引きしようとでも考えているのでしょうか? 伊藤の起こした事件は偶発的、一般的な犯罪ではありません。今回の大阪高裁判決で、リンチ事件への連座と関与が認められた李信恵同様、伊藤はリンチの現場に居合わせた過去を持つ人物です。反差別運動、社会運動と密接に関わる点において、今後反差別運動の方向性を正す意味でも、情報公開し社会的に判断を仰ぐべきです。

7月27日の判決から上告期限の8月10日までの10日間、上告すべきかどうか悩み慌ただしく過ぎた中で、結局は「名誉ある撤退」し、上告せずの結論に至り賠償金(プラス利息=約130万円)も全額振り込み、本通信の削除命令箇所(2017年6月12日同19日8月2日2018年3月22日)も削除いたしましたが、このお盆休み期間に、あらためて判決文を読み直してみました。

判決直後は、原判決(一審大阪地裁判決)に事実誤認や瑕疵があったことで賠償金が減額されたぐらいにしか思っていませんでしたが、判決文をよくよく読んでみると、裁判官もかなり苦慮した形跡が感じられました。

また、少なからずの方々に判決文を読んでいただき意見を寄せてくださいました。この通信〈2〉でお二人のご意見を掲載しましたが、その後も心あるご意見が寄せられています。最も簡潔かつ的確に述べられているのは次の方(弁護士)のコメントです。──

「高裁判決の評価は概ねそれ(注・この通信の〈1〉~〈3〉)でよいと思います。大幅に変更された丁寧な事実認定がされていますし、共謀による不法行為責任は否定しつつ、全体としての集団暴行の事実と李本人の暴行の放置・黙認による道義的責任は認めていますから、政治的には一定押し戻した勝利と評価でき、上告なしの判断は妥当かと思います(そもそも、上告審は憲法違反・判例違反の有無が主要な争点となる法律審ですしね)。」

神原弁護士のツイート。リンチ事件は「虚偽の風説」だって!?

◆李信恵の「粗暴で凶悪な」性格を明確に判決文で認定した大阪高裁判決

 
主な実行犯・金良平のツイート。事件から1年近く経ってもこのザマ。反省の色はない

ところで李信恵は、鹿砦社の出版物等が「原告(注・李信恵)が粗暴で凶悪な犯罪者であるとの印象を与えるものであるから、原告の社会的評価を著しく低下させる」(訴状)としていました。私たちに言わせれば、笑止千万、抱腹絶倒です。

大阪高裁は今回の控訴審判決は、李信恵が「暴行を容認」し「警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去った」と明記しています。感情を含まない表現ですが、この行為は李信恵が「粗暴で凶悪な犯罪者であるとの印象を与え」る可能性がありはしませんか? 高裁判決認定内容と同様の調査取材・出版活動を行った、私企業である鹿砦社を訴えたのですから、李信恵は判決に対して異議があるはずです。そうであれば国賠(国家賠償)請求を起こすのでしょうか?

再度高裁判決の一部を引用します。──

「被控訴人(注・李信恵)は、(中略)M(注・判決文は実名)が金(注・良平)からの暴行を受けて相当程度負傷していることを認識した後も、『殺されるなら入ったらいいんちゃう。』と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。この間、(中略)被控訴人が暴力を否定する発言をしたことは一度もなく、(中略)金の暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲酒を続けていた。このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人が金による暴行を容認していたことを推認させるものであるということができる。」(高裁判決文。下線・松岡)

「本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」(同。下線・松岡)

「被控訴人の本件傷害事件当日における言動は、暴行を受けているMをまのあたりにしながら、これを容認していたと評価されてもやむを得ないものであったから、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不自然ではない。」(同。下線・松岡)

当然の判断です。傍らで激しい暴行が行われているのに、それを認識していながら、止めもせず、悠然とワインをたしなみ、師走の寒空の下に放置して立ち去るなど、李信恵の「粗暴で凶悪な」性格を表わしている、と考えてもまったく不思議ではありません。一般的な感性の持ち主であれば、到底できないことです。無慈悲な行為です。

こうした行為が大阪高裁で認定されたことを、私たちは強調します。今後彼女を講演会などに招く計画のある主催者の方々には、知っていただく必要があるでしょう。李信恵は、差別被害者として脚光を浴びてきましたが、他方このような「粗暴で凶悪な」行為を行う人物である点を重々考慮せねばならなくなりました。李信恵が心から反省しなければ、「反差別」運動の旗手でなくなる日もそう遠くはないでしょう。

 
同じくリンチに連座した伊藤大介のツイート。この気持ちはずっと変わらず、リンチに連座した後も昨年暴行傷害事件を起こした。こちらも反省の色ナシ!

最近、東京オリンピック/パラリンピックの開会式の音楽を担当していた、ミュージシャンの小山田圭吾が、かつて障碍者の友人に対して行ったいじめが掘り返され解任されました。この解任は、開会式の音楽担当から外されただけではなく、小山田にとって、再起不能といえるほど深刻なものです。李信恵の将来を暗示させるかのうようなスキャンダルでした。

李信恵にとっては、確かに「勝訴」かもしれませんが、M君リンチに連座し関与したことを大阪高裁が認定したことで、M君に早急に公的に謝罪しないと、今後講演に招かれなくばかりか、小山田のように再起不能なまでに陥るのではないかと警鐘を鳴らしておきます。相変わらず隠蔽に務めるのか、心から反省しM君に謝罪するのか、李信恵の人間性が問われています。これは李信恵のみならず他のリンチ加害者4人、リンチの事実を認識しながら李信恵をバックアップしてきた「コリアNGOセンター」、そして岸政彦ら隠蔽に加担した者らも同様です。

思い返せば、M君の訴訟でも、本件一審判決でも、最初に李信恵がM君の胸倉を掴み、その後に一発殴ったことが「平手(パー)」か「手拳(グー)」かが殊更焦点化されました。M君が、1時間もの凄絶なリンチで精神が錯乱し記憶曖昧な発言をしたことでM君の供述全部が「信用できない」とされ、肝心の半殺しの目に遭ったことが軽視されたのです。

つまるところ、「木(平手か手拳か)を見て森(リンチで半殺しにされた事実)を見ない」判断になったものと思います。すっかり神原弁護士の術中に裁判官も嵌ってしまったようです。M君の訴訟で最高裁で確定した判断は、本件訴訟でも覆すことはできませんでした。高裁の裁判官も、上級審の最高裁で確定していることで苦慮したであろうことが想像できます。

また、共謀についても、市民感覚から見れば、誰が見ても李信恵を中心に共謀したことは歴然でしょうが、これもM君の訴訟において最高裁で確定したことによって覆せませんでした。リンチの場にいた加害者5人の関係や立場はフラットなものではなく、李信恵を中心に上下関係があったでしょうし、その場の空気を支配したのは李信恵だったと推認されます。

 
M君への酷いネットリンチ。この者の人間性を疑う

ところで、前回の通信で「名誉ある撤退」することを公言しましたが、これは上告することからの「名誉ある撤退」のことを言っているのであって、私たちが本件リンチ事件から完全撤退するということではありません。まだ検証─総括作業が残っていますし、これまで取材できなかった人たちへの追加取材も考えています。まだ関西カウンターの中心的活動家で鹿砦社に入り込み終業時間の大半をツイッターや私的メール等で本来の業務以外の政治活動を行っていた藤井正美との裁判が残っていますが(次回は9月9日に本人尋問で大詰めに来ています)、対李信恵との訴訟が終結したことで、むしろ桎梏がなくなり気軽に新たな取材もできるようになりました。

◆今、言っておきたいこと

あと少し言っておかねばならないことがあります。

その一つは、大阪高裁の判決で李信恵のリンチ(判決では「本件傷害事件」)が実際にあり、これに李信恵が連座し関与したことが認定されたことで、李信恵ら加害者、そしてバックで李信恵を支えた「コリアNGOセンター」、神原元、上瀧浩子、師岡康子、岸政彦、安田浩一、辛淑玉、野間易通、中沢けい、中川敬、有田芳生、香山リカ、北原みのり、西岡研介、金明秀ら、李信恵を擁護し隠蔽に関わった人たちも、「でっち上げ」とか「リンチはなかった」というような恣意的な風聞を振り撒いたことを謙虚に反省していただかねばなりません。そうでなければ、知識人やジャーナリストとしての存在意義を問われ、かつて「名誉毀損」に名を借りた鹿砦社への出版弾圧に加担した者らが続々再起不能なまでに失脚し「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄されたように、同様の憂き目に直面し失墜していくでしょう。

当初はリンチを認めていた辛淑玉文書。のちに否定
 
ある在日の青年の苦痛のツイート

二つ目は、この5年半ほど、私たちは取材の過程で、多くの在日コリアンの方々に接してきました。みなさんいい方ばかりでした。快く協力してくれました。しかし、ほとんどの方が報復を怖れて名を出すことを躊躇されました。ある方など、陳述書を書き法廷で証言するとまで息巻いてくれましたが、一夜明けると、「報復が怖いので辞退します」ということがありました。訴訟や出版物等でも、ほとんどの方の名は出していません。だからといって、在日の方々に取材していないということではありませんし、第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』に付けたリンチの最中の音声を収めたCDなど、内容が内容だけに国内の業者にプレスを発注できなく困っていたところ、ある在日の方が「私に任せてください」と外国でプレスしてくれました。このように蔭ながら多くの方々の協力を得ることができました。

三つ目は、これまでのリンチ事件への対応ですが、李信恵ら加害者、「コリアNGOセンター」、岸政彦ら加害者擁護の立場の人たちの対応は、はっきり言って狡いし醜悪の極みです。

しかし、この事件対応における“狡さ”により、在日コリアン全体が狡いと認識されるのは間違いですし、そうなりかねないことを懸念しています。“狡い”のは、あくまでも李信恵ら一部の人たちです。この意味でも、李信恵をバックアップした「コリアNGOセンター」が中心となって、今からでも遅くはありません、本件リンチ事件に真っ正面から取り組み、血の通った人間として誠実に対応し、まずは被害者M君への謝罪をすべきだと思います。私の言っていることは間違っているでしょうか?

最後になりますが、私たちは、この5年半もの取材で、まだ公にせず“握っている情報”も少なからずあります。あえて表現すれば“ダイナマイト・スキャンダル”です。「弾はまだ残っとるぞ」ということです。

今後、検証-総括作業の過程で取捨選択しなんらかの形で記録として残していきたいと考えています。 (本文中敬称略)

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『暴力・暴言型社会運動の終焉』

【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈3〉】敗北における勝利! ── 私たちは “名誉ある撤退” の道を選び、上告はしないことにしました 鹿砦社代表 松岡利康

言うまでもなく、本件リンチ事件の最大の被害者はM君です。私たちの出版物等で「被害」を受けたと強弁し「名誉毀損」で訴えた李信恵ではありません。ここのところをごまかされてはいけません。万が一、李信恵が鹿砦社の出版物等で「被害」を受けたにしても、1時間もの凄絶なリンチによって半殺しの目に遭わされたM君の〈被害〉に比べれば大したことはないでしょう。昨年11月24日の本人尋問でもそうでしたが、下手な三文芝居はやめていただきたい。

 
大阪地裁/高裁

M君は、リンチ事件後1年余りもの間、村八分やセカンドリンチに晒され孤立していたところを私たちの元に助けを求めてきました。私たちは人道的な見地から、この青年の話を聞き、手を差し延べることにしました。以来5年半──今回の高裁判決に至ったのですが、M君を救済しようとして関わり始めたにもかかわらず、不条理にも賠償金を課されてしまいました。なんという皮肉でしょうか。

しかし、私は「負けて勝つ」、あるいは「敗北における勝利」と自己総括しています。8月10日が上告期限でした。バカはバカなりに胃に穴が空くほど悩み抜きましたが、大川伸郎/森野俊彦両弁護士はじめ衆智を汲み、本件訴訟は、ここでキリをつけ、あえて上告はせず、“名誉ある撤退”をすることにしました。最後は私一人で決めました。

1%の可能性がある限り徹底抗戦するのも一方途でしょうが、これまでの多くの訴訟経験から、最高裁は証拠調べをせず形式的な事務処理で不受理、あるいは棄却することが濃厚であること、またM君の訴訟で、李信恵が殴った事実と共謀が認められず、これらが最高裁で確定していること等の理由からです。

私たちの“名誉ある撤退”をご理解ください。

控訴審判決文(1ページ目の主文)

◆李信恵がリンチに連座し関与したことを認定した大阪高裁判決に従い、李信恵ら加害者5人、及び加害者らをバックで支えた「コリアNGOセンター」、神原元/上瀧浩子弁護士、そして隠蔽に加担したすべての者たちに、反差別運動を後退させないため公的な謝罪を求めます!

 
反省していない李信恵のツイート

本件訴訟控訴審判決(大阪高裁第2民事部)で最大の成果は、リンチ(集団暴行事件)が現に存在し、これに李信恵(1審原告、2審被控訴人)が連座し関与したことを裁判所が認定したことでしょう。これにより李信恵らが声高に喧伝してきた「でっち上げ」との表現こそが、まさに“でっち上げ”であることが司法によっても認定されました。李信恵側も上告しないようですので、この判断は確定です。

確かに高裁判決では、減額されたとはいえ賠償金が課されたことで鹿砦社(1審被告、2審控訴人)にとっては敗訴は敗訴でしょうが、原判決の大幅な「変更」を勝ち取ったことで、李信恵らにとっては勝訴は勝訴でも、“まさか”との思いが強い、いわば“苦い勝訴”といえるでしょう。M君が加害者5人を訴えた訴訟では、賠償金を勝ち取ったとはいえ、内容的には李信恵の関与や殴ったことも共謀も認められず、M君にとっては“苦い勝訴”でした。

当該訴訟(M君が李信恵ら加害者5人を訴えた民事訴訟)では、李信恵がM君を殴ったのが「平手」か「手拳」かが混乱しM君の供述が信用できないとされました。また共謀もなかったとされ、これが最高裁でも確定してしまいます。李信恵が鹿砦社を訴えた本件訴訟の一審大阪地裁判決でも「平手か手拳か問題」が持ち出されました。これらを突破するために心理学者の矢谷暢一郎、精神科医の野田正彰両先生の知見を持ってきましたが、にもかかわらず本件でも覆すことができませんでした。この2点で賠償金110万円! どう考えても高いと言わざるをえませんが、それでも“アリの一穴”を空けることができたことはよかったと思います。ダムも“アリの一穴”から、やがて決壊するといいます。

私の体験でも、16年前の「名誉毀損」出版弾圧事件では、弾圧に加担した主だった者らが続々と失脚していきました。当時、彼らは私よりも遙かに社会的に“格上”でしたが、裏で良からぬことに蠢いていたことで、続々と失脚していきました。「鹿砦社の祟りか松岡の呪いか」と揶揄される所以ですが、今回のリンチ事件で、加害者ら、彼らを支援し隠蔽に加担した者らには必ず「祟り」が訪れると予期しています。

M君訴訟一審判決後の「祝勝会」と称する狂態。リンチの後遺症で苦しむ者がいるのに、この人たちの人権感覚を疑う
第5弾本『真実と暴力の隠蔽』発行後の伊藤大介のFB。「諸悪の根源は鹿砦社の松岡だね」(ん?)
 
こんなツイートを発信する者がよく「反差別」だ「人権」だと言えるな

「反差別」とか「人権」とかを声高に叫びながら、みずからに正直ではなく不誠実で、リンチ被害者M君に対する村八分行為(「エル金は友達」祭り)やネットリンチをはじめとするセカンドリンチなど、「反差別」や「人権」を叫ぶ者がすべきことではありません。

李信恵らは反省などしていません。李信恵は、このコロナ禍にあっても涼しい顔をして講演行脚、リンチに連座した伊藤大介は、昨年11月24日の本人尋問の後に泥酔し深夜に極右活動家を呼び出し暴行に及び事後逮捕され現在保釈中で公判が進行しています(経過を明らかにせよ!)。今回の判決で、リンチの加害者、李信恵は出廷、伊藤大介は懲りもせず傍聴していましたが、M君は仕事で来れませんでした。もしM君が来ていたら、李、伊藤の存在自体がM君にとっては、凄絶なリンチを想起させフラッシュバックさせますので、PTSDの要因になりかねません。

また、加害者らの支援者、特に神原弁護士はリンチ事件を「でっち上げ」とし、こちらも日頃「人権派」としての立場を確立しつつも、リンチ被害者M君を追い詰めていったことを、神原弁護士はどのように考えるのでしょうか。神原先生、どう思っているんですか!? あなたこそ三百代言を体現しています。「人権派」弁護士として、人間として「でっちあげ」との言葉を今でも用いていることは、許されるものではありません。恥を知れ! と言いたいと思います。

私は、M君救済・支援、真相究明に携わりつつも、事あるごとに和解を勧めることを公言してきました。それは、このままでは、反差別運動、人権運動にとって決して良い影響は与えない、という確信からです。

大阪高裁判決に従い鹿砦社は賠償金プラス金利合わせ130万円近くを8月6日に支払いました。

一方、李信恵ら加害者も、血の通った人間の心があるのならば、まずは事件直後M君に渡し、その後一方的に反故にした「謝罪文」に立ち返り、李信恵をバックアップした「コリアNGOセンター」や、李信恵裁判支援会事務局長・岸政彦らと共に公的にM君に真摯に謝罪し、本件リンチ事件を反省し〈負〉の教訓とすべきです。私の言っていることは間違っていますか? もう沈黙も隠蔽も開き直りも許されません。

李信恵の”名(迷)言”の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◆精神科医の立場から提出し問題の本質を衝いた、野田正彰先生の「鑑定書」が裁判官の心に響いた!

ところで、今回の控訴審では名高い精神科医・野田正彰先生が「鑑定書」を書いてくださいました。みなさん方にぜひお読みいただきたいと思いましたが、プライベートな箇所も多く、問題が問題でデリケートな要素がありますので、忸怩たる想いで公開を差し控えます。野田先生は、リンチを受けたM君の精神状態を分析し、「疑う余地のない『精神的外傷後ストレス障害』である。今後、この症状は長期にわたって持続するおそれがある。症状の改善は、加害者たちの誠実な謝罪と本人の自尊心の回復に影響されるだろう。」と結論づけています。野田先生も「加害者たちの誠実な謝罪」の必要性を説かれています。

私も学生時代、有田芳生議員がかつて所属し、神原/上瀧弁護士が支持される政党のゲバルト部隊(「ゲバ民」と言われていました)に襲撃・暴行され数日入院を余儀なくされました。さらに今や風前の灯の政党の幹事長が作ったミニセクトによって襲撃され鉄パイプで後頭部を打たれ重傷を負いました。こうした暴力の後遺症は、のちのち表われます。長い期間、偏頭痛が常態化しました。そのミニセクトはその後も私がいた寮を夜間に襲撃し寮生を針金で椅子に縛り付けリンチを加えたこともあり、すでに大阪に出て社会人になっていた私をずいぶん苦しめました(おそらく京都にいたならば発狂していたでしょう)。M君はかなり回復し、口では「後遺症はありません」などと強がりを言っていますが、表面上はそうであっても、暴力の後遺症は将来必ず表われます。

野田先生は、この「鑑定書」が具体的に判決文に反映されていないことに憤慨しておられましたが、矢谷暢一郎先生の「意見書」と共に、裁判官はきっと目を通しているものと思います。判決文の端々に両先生の知見が影響していることが窺えます。さらには寺澤有氏の「陳述書」も。そうでないと原判決の大幅な「変更」はなく、李信恵らが期待したように、あえなく「控訴棄却」となったでしょう。皆様方には感謝にたえません。(文中、一部除き敬称略)

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈2〉】対李信恵訴訟控訴審判決、李信恵がリンチに連座し関与したことを認定したことが最大の成果! 李信恵らによるリンチが「でっち上げ」でないことを証明 鹿砦社代表 松岡利康

李信恵ら「カウンター/しばき隊」主要メンバー5人によるリンチが2014年12月17日午前2時頃から約1時間行われ、これに李信恵が連座し明確に関与したことを認定した判断が、7月27日の控訴審判決(大阪高裁第2民事部)で明確に示されました。

 
リンチ直前の李信恵、伊藤大介ら加害者の面々

判決全体に私たちは、納得をするものでは到底ありませんが、この認定が本件訴訟で獲得した最大の成果です。

事件が発生したのは大阪を代表する飲食街・北新地──。この事実は刑事記録からも明らかであり、リンチ事件を「でっち上げ」と明確な違法・触法表現で長期にわたり流布させている人々(李信恵代理人・神原元弁護士ら)には、即時「でっち上げ」との表現を削除するよう警告します。

リンチ被害者M君を救済・支援すべく本件に関わり始めた私(たち)には「でっち上げ」る意図も理由もあるはずもなく、このような言いがかりは被害者M君や鹿砦社を、さらに誹謗中傷・名誉毀損するものです。私たちは断じて容認しません。

M君救済・支援に関わり始めた2016年春当時、私たちはM君も、李信恵ら加害者5人も全く知らず、当たり前ですが李信恵らに私怨も遺恨もありませんでした。これまで何度も申し述べてきたように全く白紙からのスタートでしたし、同時に始めた真相究明の調査・取材の過程でリンチ事件の一部にでも疑義が生じたり、あるいは「デマ」であり「でっち上げ」が判明したら、その時点で撤退するつもりでした。

控訴審判決でも、「名誉毀損の不法行為が成立する」のは、①「被控訴人(注・李信恵。以下同)による暴行が胸倉を掴んだだけでM(注・判決文では実名。以下Mと記載)の顔面を殴打する態様のものではなかったこと」、②「法的には暴行を共謀した事実までは認められないということ」の2点は遂に覆すことはできませんでした。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

これで110万円の賠償金(+金利)は高いと思われますが、あれだけ半殺しの目に遭わされたという歴然とした事実を、裁判所は甘く認識しているのではないでしょうか。裁判官は、こうした凄惨な暴力の被害に遭ったことがないから、こんな認定をするのだ、と言いたくもなります。

誰が見ても、リンチ直後のM君の顔写真やリンチの最中の音声データなどでリンチの凄まじさは判ろうというのに、控訴理由書など提出した書面でも再三強調したように、まさに「木を見て森を見ない」判断だと思料いたします。

私(たち)は、5年半前の2016年春に本件が私たちの元に持ち込まれた時に、孤立状態にあったリンチ被害者M君をまずは救済しようという素朴単純な動機で本件に関わり始めましたが、以後6冊の出版物に記録するまでに深入りしてしまいました。

私たちにとってはそれ相当の費用(取材経費、印刷経費など)を使いましたし、もし本件に関わらなければ、私(たち)にはもっと他の途があり、そろそろ後進に道を譲りみずからの関心領域を探究できたかもしれません。今回のような賠償金支払い命令を受けることもなかったわけです。

だからと言って、私(たち)には後悔はありません。少なくとも、精神的にも追い詰められていたM君を救済したことは誇りを持って自負できると思います。名の有るジャーナリスト、研究者、活動家ら(体制派といっていいでしょう)が本件を隠蔽しようとしたり、逃げたり日和見主義的態度を取ったり開き直ったりした中で、原則に立脚しブレることなく真正面から真相究明に取り組みました。

 
神原弁護士の名言「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」。私たちの正当なM君救済・支援と真相究明の取材を非難

本件リンチ事件、及び裁判闘争については遠くない将来、検証・総括し、あとあとに記録として残していかなければなりませんが、敗訴は敗訴としても、「負けて勝つ」という言葉もあります。負けの中にも意義を見い出していきたいと考えています。私が若い頃から度々口にしている〈敗北における勝利〉ということです。

M君という一人の人間を救済し、それができたとすれば、110万円(+金利)の賠償金も、ある意味で安い授業料です(これに対して取材班キャップの田所敏夫は「敗北における勝利」ではない。今回の判決は「実質勝利に値する」と感想を語っています)。

ところで、判決を受けて少なからずの方々に判決文を読んでいただき、貴重なご意見を賜りました。本日はお二人のご意見を紹介しておきましょう。──

【1】K弁護士(元京都弁護士会副会長)

「原判決変更勝訴で良かったですね。大川伸郎弁護士、森野俊彦弁護士も良しとし、ほっとしていることでしょう。事実認定で、より事実に沿った認定をしてくれたと評価できる判決を獲得できたのは、両代理人のご努力の結果ですね。この様な、弁護士の活動が司法を育てる機能を果たすのですが、その基礎は今回の鹿砦社の言論です。このような言論が有ると言うことを司法に知らしめて、それなりの評価を勝ち取ったのだと思います。結果的には敗訴ですが、それ自体はやむを得ないでしょう。
 実務的には、この高裁判決で終わりでしょう。確定させても可と思料致します。」

 
鹿砦社に対する李信恵の誹謗中傷

*K弁護士は、弁護士になって2年目の1972年、学費値上げ阻止闘争で逮捕─起訴された私の弁護人を引き受けられた方ですが、偶然にも控訴審から代理人に就いていただいた森野俊彦弁護士と司法修習の同期、同クラスだったということです。さらには、すでに明らかにしていますが、今回海の向こうから「意見書」を送っていただいた矢谷暢一郎先生(ニューヨーク州立大学名誉教授)が学生時代の1968年ベトナム反戦御堂筋デモで逮捕された際に、裁判官に成り立ての森野先生が担当されたそうです。これも50年の年月を越えた何かの因縁でしょうか。「因果は巡る」というか、いささか神がかっています。

【2】ルポライターT氏

 
釘バットで虚勢を張る野間易通

「賠償金が減額されたとはいえ、支払いの判決が出たことで神原弁護士は『正義は勝つ』と勝訴を公言し、お祝いをすることでしょう。

しかし判決文を読むと、Mさんへのリンチを『集団暴行事件』として事実認定していますし、その場にいあわせた李信恵が暴行を止めなかった、負傷したMさんを放置したまま帰宅したことなどが事実として認められ、李信恵の被害者を装った冷酷な人間性などが認められたことは良かったと思いました。

李信恵が胸ぐらをつかんだことがキッカケになってリンチ事件が起きたという主張(指摘)は私たち素人からみれば当然なことと受け止めますが、厳密に法を適応すれば、高裁の判断になるしかないのかと私は納得しました。リンチ事件を『一連の流れ』で見ると書籍等の記述や松岡さんの主張通りだと思いますが、相手は『法を解釈する』プロですから仕方ないのだろうなと思いました。

 
しばき隊最過激派「男組」組長・高橋直輝(故人)と社民党・福島みずほ。凄いショットだ!

ただ事件に潜む根本的な問題からいえば、高裁判決はリンチ事件をよく精査し、地裁判決よりもはるかに問題の本質に迫っていると思いました。そして、この判決文の重みは私たちがリンチ事件を語るとき『事実』としてクオートできることです。勝訴云々の前に認定された事実を私たちは既成事実として書き、公言できることが今後の武器になるのではないでしょうか。

それとMさんも、遅くなりましたが、リンチ事件の経緯が事実認定されたことで『ケンカ両成敗』みたいな攻撃には堂々と反論できるようになりましたし、新しい人生の第一歩を胸を張って踏み出せるのではないでしょうか。

とてもいい判決を勝ち取られたと思います。

改めて今回の高裁判決を勝ち取られたことをお祝い申し上げます。おめでとうございます。」

*「お祝い」というのも変ですが、「リンチ事件の経緯が事実認定されたこと」は画期的だったと考えています。

◆高裁判決文「変更」部分引用

今回の高裁判決は、「原判決は一部失当であって、本件控訴の一部は理由があるから」として一審判決をかなり大胆に「変更」しています。例えば、ある個所は、一審判決の7行を42行にも「変更」したりしています。8月2日の本通信で2箇所ほど挙げましたが、本日の通信でも、今回はいささか長くなることを承知で引用しておきましょう。──

「被控訴人は、Mが本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、金とMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMが金からの暴行を受けて相当程度負傷していることを認識した後も、『殺されるなら入ったらいいんちゃう。』と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。この間、普鉉や伊藤は金に対し暴力を振るわないよう求める発言をしているが、被控訴人が暴力を否定するような発言をしたことは一度もなく、被控訴人は、遅くともMが一度本件店舗内に戻った時点では、Mが金から暴行を受けた事実を認識していながら、殺されなければよいという態度を示しただけで、本件店舗外に出て金の暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲酒を続けていた。このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人が金による暴行を容認していたことを確認させるものであるということができる(被控訴人の司法警察員に対する平成27年9月18日付け供述調書中には、男同士の喧嘩であり女の自分は止めに入ることができず、ただ店内にいることしかできなかった旨の供述部分があるが、被控訴人は、本件店舗内に戻ったMの様子から、Mが一方的に殴られていたことが明らかになった後も、伊藤など本件店舗内の他の男性に対し本件店舗外の様子をみたり、暴力を制止させたりするよう依頼することはしていない。)。」

「被控訴人は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人(注・鹿砦社)により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対して胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間である金がMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」

産経新聞2020年12月8日朝刊20面(大阪版)
取材班の直撃取材に狼狽し逃げ惑う岸政彦教授。「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長なら堂々と答えよ!

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『暴力・暴言型社会運動の終焉』

【カウンター大学院生リンチ事件 対李信恵訴訟控訴審判決余話】大阪高裁判決を受けて鹿砦社特別取材班オンライン会議 

7月27日大阪高裁で李信恵が鹿砦社を名誉毀損による損害賠償請求、出版差し止め、で訴えた裁判の判決が言い渡された。鹿砦社には減額されたものの110万円の賠償が命じられたが、事実認定の各所には、これまでには見られなかった李信恵の責任を認定した文言がある。この判決をどう評価するのか。時節柄取材班のメンバーが集うことを避け、今回はオンラインで打ち合わせを行なった。

松岡 皆さんお疲れさまでした。すでに8月2日付けの「デジタル鹿砦社通信」で私個人の判決についての思いは表明しましたが、高裁判決について忌憚のないご意見を聞かせてください。

A  社長には怒られるかもしれませんけど、これ「実質勝訴」ですよ。

松岡 110万円の賠償は少ない額ではないですよ。それに本通信の記事削除も地裁判決が維持されたままなのにですか?

A  社長にもメンバーにも内緒にしてきましたけど、俺、法科大学院に籍おいてたことあるんですよ。

一同 え! 嘘やろ!

A  嘘じゃないです。そう言われると思って、昔の学生証準備してます。ほら、見えますか?

B  もうちょっとカメラに近づけてくれ。

一同 本当だ!

C  しかも、国立(「くにたち」ではなく「こくりつ」)やないか。

A  過去の話をしても意味ないですよね。でも、どこかであの経験が役に立つんじゃないか、とは思っていました。

松岡 Aさんが「実質勝訴」だという意味を話してください。

A  これは社長には感覚的には受け入れにくいと思うんです。その前提できてください。M君が5人を訴えた裁判での大阪地裁、大阪高裁判決は、俺みたいな法科大学院崩れが見ても穴だらけでした。あれは事実認定に無理がありすぎるし、簡単にいえば支離滅裂な判決でした。

D  それが、どない変わったんや。

A  まず思い出してください。今回の訴訟は李信恵が鹿砦社に対して、Twitterで散々汚い言葉を投げかけたところから始まっていますよね。で、あの裁判では鹿砦社は、李信恵に勝った。大阪地裁、大阪高裁で判決は確定した。完勝です。でも大阪地裁での裁判後半になって、李信恵は「反訴」したいと言い出し、裁判官は認めなかった。請求の趣旨が違うからこれは当たり前の判断ですよ。

 
リンチ事件(隠蔽)に暗躍した人々①李信恵と伊藤大介

B  おい、おまえ司法試験も受けてへんくせに、弁護士先生みたいな遠回し話すな! わかりやすうに言わんかい!

A  Bさん、気持ちは分かりますが、ここすごく重要なんです。もうちょっとだけ聞いてくださいよ。

C  B、黙ってきこうや。

A  李信恵は仕方なく、別訴(ほかの裁判)で鹿砦社を訴えてきた。「嘘書いてる」、「被害甚大」、「傷ついた」とね。

B  それはわかってるがな。

A  リモートって、怖くなくていいですね。顔合わせてたら睨まれたり、息吹きかけられたりするけど。

D  話を進めろよ、A。

 
リンチ事件(隠蔽)に暗躍した人々②有田芳生参議院議員と朴敏用

A  すいません。李信恵の請求には出版物の販売停止まで入っていました。つまりこれまで出した6冊の本のうち、提訴までに出版していた4冊の販売停止です。これは言論人として裁判所に持ち込む話ではない。いやしくも李信恵は「フリーライター」とか「フリージャーナリスト」とか自称してるんでしょ? 百歩譲ってどこかに誤った記事があっても、訂正記事掲載要求がいいところですよ。

D  李信恵はその気になれば書ける媒体を持っているわけだし、新聞記者はじめマスコミとのパイプもある。そういうことだな。

A  そうです。そもそも李信恵の主たる請求は不当であって、主たる請求は大阪地裁でも大阪高裁でも認められなかった。この事実は賠償額の裏に隠れて見えにくいんですけど、李信恵にとっては賠償金が主な目的ではなかったと思います。「リンチと無関係」判決の獲得こそが最大の目標だった。

松岡 ちょっと待ってください。それであれば、大阪地裁も大阪高裁も不当に高い賠償金を私たちに命じているじゃないですか。

A  すいません。いま固まっちゃって。もう一度社長お願いします。

松岡 これどうやって操作するの(社内のスタッフに聞く)、まったくこういうのは……だから嫌なんだよ!

A  あ、社長通じました。

松岡 失礼しました(汗)。

A  賠償金が不当に高いことは認めます。その背後にどんな思惑があるのか、俺なりに感じるところはありますが、不確かなことは言いません。でも、高裁の判決文を何度も読むとおかしいでしょ?

松岡 おかしいというと?

A  「本件傷害事件当日における被控訴人(李信恵)の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、金(注:良平)によるM(注:被被害者M君)に対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」

「被控訴人の本件傷害事件当日における言動は、暴行を受けているMをまのあたりにしながら、これを容認していたと評価されてもやむを得ないものであったから、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不自然ではない。」

これは李信恵に「法的」かどうかはともかく「責任」がある、もっといえば「リンチに連座した」ことを明確に認定している文章です。これまでの一連の裁判では、とにかく李信恵を免責するのに、裁判所は腐心しているとしか思えない、おかしな判決が続きました。初めてですよ!「李信恵にリンチに関する責任がある」と判決文で明示されたのは。

B  たしかにその側面はあるわな。

D  ちょっと聞きたいんだけど、賠償額についてAはどう考えるの?

A  不当に高いですね。だって殴るけるされたM君への賠償額と同額なんですから。でもね。こんなこと言ったら法科大学院に籍置いていた俺が、自分の過去に唾吐きかけるようなことかもしれないけど、判決って必ずしも市民感覚じゃないんですよ。

D  知ってる。そんなこと。

リンチ事件(隠蔽)に暗躍した人々③神原元弁護士と師岡康子弁護士
 
リンチ事件(隠蔽)に暗躍した人々④金明秀(きむ みょんす)関西学院大学社会学部教授

A  しかも、この事件の背景には「ヘイトスピーチ対策法」立法に絡む政治の動きも関係していた、と俺は見ています。

B  ほんまか? お前の予断ちゃうんか。

D  いや、それはあるだろうな。

A  結論です。賠償命令は不当です。その他にも不当な部分はある。しかし。李信恵や神原弁護士、もっと言えばしばき隊が「死守」したかった「李信恵免責論」が司法により、打ち破られたことがでかい。これが俺の見立てです。

B  判決文って読みにくいのよ。あれもうちょっと教科書とは言わんけど、新聞程度にわかりやすい文章にならへんもんやろか。

C  あの、ええですか。

松岡 どうぞ。

C  僕は今回の判決には野田正彰先生の「鑑定書」、矢谷暢一郎先生の「意見書」が凄く力になったんちゃうか、思うんですよ。判決文で直接の言及はありませんけど。裁判官への「心証」の面でものすごい力になっていた思うんです。だから感謝です。

松岡 そうですね。お二人には無理をお願いして大変な作業をお願いしました。
Cさんが言う通り、判決の行間にお二人の情熱が反映されているのかもしれませんね。

 
リンチ事件(隠蔽)に暗躍した人々⑤北原みのり

D  たくさんのみなさんに助けていただきましたもんね。社長、最後に。俺は野田先生、矢谷先生とともに弁護団に加わって頂いた、元裁判官で大阪高裁にも勤められたことのある森野俊彦先生に、本当に感謝したいです。もちろんこれまでの訴訟を一貫して引き受けてくださっている大川伸郎先生にも。

松岡 やはり「敗北における勝利」ということでしょうか。

D  判断は判決文を読んだ方々で異なるでしょう。でもAが指摘した通り、これまで絶対といっていいほど動かせなかった、李信恵の責任が認定された。だからあちらさんは記者会見を開いたけど、記事にもならなかったわけでしょう。この複雑な事実の中に真実が見えてきたんじゃないですか。

松岡 なるほど。とにかく皆さんお疲れ様でした。コロナが流行っていますから気を付けてください。

A  社長。

松岡 なんですか。

A  きょう、俺、結構いいこと言ったでしょ。

松岡 まあそうですね。

A  「デジタル鹿砦社通信」のライターやらせてくれませんか。

松岡 考えておきます(憮然として)

A  (しまった、また出すぎたか)

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