《ご報告とお礼》『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」、盛況裡に終了! 4・5東京に続く二つの「反転攻勢の集い」の成功によって、共に苦境を突破しよう!

株式会社鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を理解し支援されるすべての皆様!

私たちは去る7月12日、鹿砦社のホームグラウンドである兵庫県西宮において「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」を催し、50名余の方々が参加され盛況裡に終了することができました。

4月5日、東京日比谷・日本プレスセンターでの集いが100名余ですから、人数だけを見ると半分ですが、元々関西にはライターさんが少なく、いつもこんなところです。

また、集いの構成も三部構成で、第一部は20年前の7・12事件の検証と回顧、私が基調報告を行い、当時、地元テレビ局記者として精力的に取材をされ何度もニュース番組で特集を組んでくださったNさん、私が保釈された直後に同じ神戸地検に逮捕されたWさん(当時宝塚市長)も当時の神戸地検の捜査の酷さを証言してくださいました。第二部は、今年デビュー25周年を迎え、このかん全国の刑務所、少年院などを回り獄内ライブ(ご本人らが言うプリズン・コンサート)を行ってきた「Paix2(ぺぺ)」のミニライブ、第三部が懇親会という流れで、3時間という長丁場でした(東京は2時間)。さらに二次会にも15名の方が残り、遅くまでいろいろ語り合いました(東京は二次会なし)。硬い話ありライブあり飲み食いあり自由な歓談ありの濃密な一日でした。

基調報告をする松岡

◆4・5、7・12の二つの「反転攻勢の集い」をステップとして苦境を突破し、『紙の爆弾』『季節』を、存在感のあるミニメディアとして継続させよう!

よく考えてみてください。『紙の爆弾』にしろ『季節』にしろ、わが国には類誌がありません。本来ならもっと売れてしかるべきですが、私たちの宣伝力の弱さにより、いまだに社会的に小さな存在です。『紙爆』はわずかながら黒字ですが、『季節』は創刊以来ずっと赤字です。会社が好況だった時期は、これでもよかったのですが、新型コロナ襲来以降、局面ががらりと変わり、蓄えもすべて溶かし、資金不足、苦境に喘いでいることを隠しません。今現在、両誌を同じ月に発行するのが困難で、やむなく『紙爆』は8月売りの号をお休みさせていただかざるを得ませんでした。

両誌の今後につきましては、極めて重要な選択と改変を迫られており、皆様方にも前向きなご意見を賜りたく存じます。7・12でも『季節』の今後について、私に直談判にお越しになった方もおられました。

私たちは、なんとしても両誌を継続的に発行し、まさに反転攻勢を勝ち取るべく、塩を舐め、たとえ「便所紙」を使ってでも発行を続ける覚悟です。

先の二つの集いには計150名余りの方々がご参集くださいました。これは大きなことです。ふつうなら会社が厳しくなると、こういう集まりを避けられがちになりますが、まだまだ見捨てず時に温かい叱咤激励、時に有り難いご支援をされる方々がおられることは私たちにとって大きな力になります。この方々のお力もお借りし、この苦境を乗り越えていきたく存じます。本来なら自立自存でやっていければいいのですが、残念ながら今は皆様方のご支援なくしてはやってはいけません。

しかし、人件費をはじめ徹底した経費削減、製作費用圧縮、また落ち込んでも一定の売上があることなどによって、月々の不足金も縮小しつつあります。書店や取次会社も元気を失くし書店での売上金が縮小していることは事実で大きな痛手ですが、これを今後は直販などでカバーしたく思っていますので、「セット直販」や『紙爆』『季節』の定期購読と拡販、バックナンバー購読、あるいは書籍の直販など、よろしくお願いいたします。

今しばらく耐え抜き、必ずや勝機を掴みブレイクします! 過去の成功例に酔い知れるのも問題がありますが、私たちはこれまで、幾度となく困難に直面し(その最たるものが20年前の「名誉毀損」逮捕事件)、その都度、皆様方のご支援を得て乗り越えてまいりました。今回も同じく、なりふり構わずなんとしても乗り越える決意です。

◆二つの雑誌の存在意義(レゾンデートル)、鹿砦社の出版活動の社会的意義を、あらためて想起し、再び逆襲、反転攻勢へ!

私たちの出版社・鹿砦社は、良くも悪くも、これまで芸能本の売上によって支えられ、『紙爆』『季節』やその他、社会問題書など、いわゆる“硬派”の書籍の発行を保証してきました。これで年間10億円売り上げたこともありましたので、これはこれで評価すべきでしょう。20年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧後、復活の元になったのも芸能本で、私たちの規模の会社でコンスタントに3~4億円の売上が続きました。それが、このコロナ禍によってガラリと崩れました。コロナを甘く見て、これについての対応が後手後手に回ってきました。大いなる反省点です。

トーハン、日販の大手取次も、本来の出版取次業務はずっと赤字で、介護やホテル経営など非出版取次業務のほうにシフトしています。書店も、書籍、雑誌だけでは売上不足で、書店をよくご覧になったらわかりますが、文具など非出版物に力を入れています。

『紙爆』20年、『季節』10年、われながらよく頑張ってきたと思います。しかし、これまでと同様の認識、やり方ではやっていけないことが露呈されました。直販や定期購読などを拡大していくことも一つの方策だと思います。雑誌や書籍などの「紙」の出版をやめて電子書籍にシフトしたら、というご意見もあり、電子書籍はサイゾー社と五分五分の共同出資で10年ほど前に別会社を作りやっていますが、さほど売上が立ちません。『紙爆』も『季節』も「紙」と同時に電子書籍を発売しています。今後はわかりませんが、早急な会社再建の柱にはなりません。

しかし、『紙爆』にしろ『季節』にしろ、社会性があるのは事実で、他に類似誌もありません。書籍でも左右硬軟織り交ぜて鹿砦社らしくタブーなく雑多に出してきました。芸能本でも、例えばジャニーズ問題は1995年から追及し、3度の出版差し止めにもめげず続け、一昨年のジャニー喜多川による未成年性的虐待問題では、事前から水面下でBBCに協力し、その先駆性が高く評価されました。

このかん「セット直販」をやるために、これまで出版してきた書籍の一部をリストをリスト化しましたが、どれも社会性があり、よくもこれだけ出して来たなとあらためて感慨がありました。古い本には、当時の気持ちを思い出し、浮き沈みの激しかった出版人生を想起し、もう一仕事、二仕事し、拙いながらやってきたわが出版人生を全うしないといけないな、と思い知りました。

 やはり、こうした出版は続けるべきだし、販売方法ややり方を工夫すれば、今後も続けていきたいし、続けて行けると信じています。近日、精神科医の野田正彰先生の著作を2点出す予定で進めていますが、今後の試金石になると思っています。

◆私(たち)はくたばらない! 『紙爆』『季節』継続! 後々に残る書籍の刊行を持続します! 

私が本格的に出版を始めた頃、歴史家の小山弘健先生に教えていただいたクラウゼヴィッツの「われわれの出版の目的は一、二年で忘れ去られることのない本を作ることである」という言葉を思い出しました。そうして出版したのが、『日本マルクス主義と軍事科学』という本で、引っ越しで書庫を整理しているとまとまって30冊ほど出てきました。皆様にもぜひ読んでいただきたい一冊です。

4・5、7・12と二つの反転攻勢の集いを準備する過程で、多くの皆様方のご支援、ご厚意に触れることができました。それなりに支援金も集まり、2つの集いの直接的費用を支払っても余剰金が出て経費などに使わせていただきましたが、一番底の時期で、かなり助かりました。

同時に、いろいろ考えることも多く、「われわれはなぜ出版を続けるのか?」という本質的な問題にぶつかりもしました。私の出版人生は、このコロナによる負債(特に皆様のご厚志である社債)を今後返し終えるまではやめれなくなり、少し延びましたが、なんとか「一、二年で忘れ去られることのない本」を、一冊でも二冊でも出して行きたいと思っています。

私(たち)はくたばりません。4・5、7・12の二つの集いは、まだまだ多くの皆様の期待が残っていることを私たちに思い知らせ、「弱音を吐かず、もっと頑張らんかい!」という叱咤激励をいただきました。いろんな意味で収穫が大きかった二つの集いでした。準備などもきつかったですが、共に語り合い共に喜び合った集いでした。最悪の事態は脱し山は越えたとはいえ、もうしばらく苦しい時期は続くかと思いますが、今後共ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

最後になりますが、二つの集いに参加された皆様、ご支援の賛同金、カンパ、ご祝儀を賜りました皆様、本当に有り難うございました。心より感謝とお礼を申し上げます。

以上簡単ですが、7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」のご報告、そして4・5の前後からのご支援への感謝を申し上げます。

本年も超猛暑が続くようですが、くれぐれもご自愛ください。

いつもこの場所にはPaix2(ぺぺ)がいた

《書評》甲斐弦著『GHQ検閲官』の読後感

江上武幸(弁護士)

阿蘇の北外輪山に、カルデラの中央に横たわる涅槃像の形をした噴煙をたなびかせる阿蘇五岳をながめることができる絶好の観光スポットがあります。外輪山最高峰の「大観峰」と呼ばれる峰です。小国町の温泉旅館に宿泊したときなど、天気がよければ大観峰まで足を延ばし雄大な阿蘇の景色をみて帰ったりします。

最近、熊本インター経由で久留米に帰るため大観峰から内牧温泉にくだる道を通ったことがあります。山の上の広々した草原地帯と異なり、道の両側には鬱蒼とした杉林が続いていました。おそらく、湯けむりで湿った空気が斜面をのぼり、時には雨を降らせるような地形が杉の成長に適しているのではないでしょうか。

ところで、昨年12月に関東地区新聞労連の役員会に招かれたことから、ネットで新聞の歴史を調べていたところ、偶然、甲斐弦熊本学園大学名誉教授の『GHQ検閲官』(経営科学出版)という本を見つけました。

甲斐弦『GHQ検閲官』(経営科学出版)

「元検閲官だった著者が米軍検閲の実態を生々しく描き出した敗戦秘史がここに復刻」・「敗戦で日本人は軍のくびきから解放され自由を与えられたと無邪気に信じ込んでいるが、戦争は終わったわけではなく、今なお続いているのである。」とのカバーに目をひかれ、さっそくアマゾンで購入しました。

◆著者の甲斐教授について

著者の甲斐教授は、1910(明治43)年に熊本県阿蘇郡内牧町(現阿蘇町内牧)に生まれ、旧制第五高等学校から東京帝国大学文学部英吉利文学科に入学、佐渡中学校教諭、その後、約7年間の蒙古政府官吏を経て、昭和20年6月18日に現地で応召、翌年の昭和21年5月13日に佐世保に上陸、15日午前8時49分熊本駅に着き郷里に復員されています。熊本駅の到着時刻まで記録されており先生の几帳面さが窺えます。ちなみに私の父は明治45年生まれなので、甲斐教授を父に置き換えることで、当時の先生の周りを囲む人たちの生活・行動・考え方・心情等をリアルに感じることができるような気がしています。

先生は、前もって故郷に引きあげていた奥さんと幼い二人の子供達が無事だったことを喜び、同時に、我が子のようにかわいがっていた亡兄の子(甥)が戦死したことを知ります。一人息子の戦死の公報を受け取った兄嫁の狂ったような悲しみを描いた文章は秀逸であり強く胸を打たれます。

「(戦死の公報がはいった)数日後の夜更け、異様な叫びに姪は目覚めた。離れに飛んでいくと、母(兄嫁)が半裸になって四つ這いとなり、畳を掻きむしって泣いていた。爪は血だらけであった。髪を振り乱し、これも血だらけとなった額を何度も何度も畳に打ち付け何で死んだ、何で死んだ、と獣のように吠え続けた。」

私が、冒頭で阿蘇の大観峰から内牧温泉に下る道の杉林のことにふれたのは、次の一説を見つけたからです。

「何とか収入の道を講ぜねばならぬ。ホテルがダメなら開墾をやるしかない。開墾の話は私の復員直後に持ち上がったもので、(引揚者互助会の)幹部が役場に日参して、町長や助役を説いて承諾させたものである。」

「開墾予定地は私の家からは目と鼻の距離にあった。北外輪山の一角、遠見ヶ鼻 -今は徳富蘇峰翁の命名で大観峰と呼び名が変わったが- その大観峰から流れ落ちる尾根の一つが、湯山と呼ぶ古い湯治場の手前でわずかにカーブする。その東南の斜面に予定地はある。尾根の頂きと山すそは杉の町有林となっているが、あとの斜面はみな篠竹に覆われている。そこを借り受けて切り開こうというのである。」

その描写は、私が大観峰から内牧温泉に降りてきた山道の情景そのものでした。戦地から身ぐるみ一つで故郷に引き上げてきた著者が、家族を養うために慣れない開墾の仕事に汗水にまみれて打ち込む姿が目に浮かんできます。

開墾を始めた6月の19日の日記には、「今日は19日。月こそを違え、結婚記念日。ともかくも家族4人、何とか生きていることのありがたさ。京浜地区の餓死者を思うと、ぜいたくは言えない。」と記してあります。

先生は、職を見つけるために熊本市に出向いたおり、朝日新聞の記事で博多の米軍第三民間検閲局(CCD)が外国語の出来る者を百名ほど翻訳係として募集しているのを知ります。さっそく熊本から博多に向かい採用試験を受験し翻訳係に採用されます。36歳の時です。本俸700円、手当200円、土・日の週休2日、外に月2回の公休。野菜や魚の公定価格での配給など、まずはAクラスの待遇であったといいます。

◆同胞を裏切る仕事に耐えがたい嫌悪感

先生が福岡の米軍第3民間検閲局(CCD)に勤務されたのは、昭和21年10月28日から同年12月27日までのわずか61日です。その時の自分のことを「アメリカの犬」と評しておられます。米軍の手先となり検閲要領に抵触する手紙を片っ端から翻訳し、危険人物と思われるものはブラックリストに載せ、あるいは逮捕し、場合によっては手紙そのものが没収されるという、同胞を裏切る仕事に耐えがたい嫌悪感を感じておられたことが伺えます。

「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不愉快な仕事である。」

先生は、そのような忸怩たる思いを抱えながらも、外輪山の山麓でひたすら先生の帰りを待つ妻子のために、見ず知らずの日本人の手紙の翻訳作業を黙々と続けておられたことがわかります。

◆著作にふれて感銘を受けたふたつのこと

私は、先生のこの著作にふれて、特にふたつのことに感銘を受けました。ひとつは先生の家族に対する愛情の深さです。その愛は、なかんずく先生より先に旅立たれた長女の津賀子さんに最も多く深く注がれていたことを感じざるを得ません。

もう一つは人の評価です。先生は反共の闘志として鳴らした友人を訪ねたとき、その友人が共産党中央委員を独占取材したインタビュー記事を新聞に掲載したことを自慢げに語るのを見てがっかりします。友人の節操のなさに失望された先生は、節操によって人を次の3つに区分されています。

「一番偉いのは節を守って死んでいった人たち、次が私みたいな憂鬱組。どんじりが、彼のような自称文化人。たちまちに看板を塗り替えて、時世に媚び、朗らかに飛び回っている連中だ。」

先生は、福岡での仕事は2ヶ月で見切りをつけ、熊本にもどり大学での教育・研究、著作業にその後の人生を捧げられます。

◆何故、誰一人として自己の体験を公表しないで生きてきたのか

さて、私がメディア黒書に甲斐弦先生の『GHQ検閲官』を取り上げたのは、「占領軍が放送、新聞、雑誌、書籍、映画、演劇、紙芝居等々、あらゆるメディアの徹底した検閲を行ったこと。併せて郵便、電信、電話の検閲が行われ民間検閲局(CCD)がそれらを担当したこと。CCDは日本を3地区に分け、東京、大阪、福岡に検閲本部を設置し、通信工作のうち郵便は2億通、電報は1億3600通開封され、電話は80万回も盗聴されたこと。優に1万人以上を超える英語力を扱える日本人が検閲官として働いていたこと。」をこの本で知ったからです。

戦後50年を経て、ようやく甲斐教授が自らの検閲官としての経験を本書で刊行されたことから、戦後生まれの私も占領期の日本社会の実相に迫ることができました。生活の為とはいえ、占領軍の手先となり検閲作業に従事し、その後、日本各地でしかるべき地位を得て社会生活を送ったと思われる1万人を超える人達が、何故、誰一人として自己の体験を公表しないで生きてきたのか。

押し紙裁判に携わる中で、新聞が戦前戦中はもちろん戦後も政治権力の広報機関としての役割を担わされそれを果たしてきたこと、戦後日本にジャーナリスト精神なるものが存在するとしたら、なぜ、新聞やテレビがジャーナリズムとしての本来の役割、すなわち権力の監視機能を果たせていないのか、未解決の朝日新聞の阪神支局の記者殺害事件にみる気味の悪さや、押し紙問題から目をそらす新聞人の言動などに思いを致すと、甲斐先生が「一番偉いのは節を守って死んでいった人たち。」と言われている言葉の重さがズシリと伝わってきます。

幸い私たちは「失われた30年」あるいは「日本中枢の崩壊」といった日本社会の本質をずばりとつく言葉を持ちえています。新聞・テレビの崩壊と反比例するようにSNSのネット情報が拡散・拡大しています。それに刺激されて若い世代の人たちが、新聞・テレビの既存のマスメディアの再生に尽力すれば、きっと遠い将来ではあっても、いつかは平和で豊かな日本を築き上げることが出来ると信じて疑いません。

甲斐先生は、2000(平成12)年8月21日に、89歳の生涯を閉じられました。私の父も90歳を前に他界しています。私は先生のこの著作に出会ったことで私達世代の父親の時代がどのような時代だったのか肌感覚で知ることが出来ました。今、先生はこの世で一番愛されたであろう娘さんと、あの世で永遠の命を共にしておられるだろうと思います。ありがとうございます。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年5月5日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《参院選2025》はんどう大樹・れいわ新選組初の広島県内国政選挙区初挑戦で健闘

さとうしゅういち

◆自公共敗北、多党化定着

第27回参院選は2025年7月20日執行されました。

与党自民党は、終盤のマスコミ予想よりは持ち直したものの、選挙区27、比例12の39議席と敗北。非改選と併せて101議席。

公明党は改選14議席から6議席減の8議席の大惨敗となりました。中でも比例代表では4議席しか取れず、過去最悪の結果になりました。非改選と併せて21議席となりました。

野党第一党の立憲民主党は比例代表で7議席しか取れずに伸び悩み改選22議席は変化なし。非改選と併せて38議席に。

国民民主党が改選4議席を17議席で非改選と併せて22議席。参政党が改選1議席を14議席で非改選と併せて15議席。それぞれ、大躍進しました。

日本維新の会は改選前6議席を7議席に増やしましたが、実際には、現職の梅村みずほさんが参政党に引き抜かれていますので、実質的には横ばいです。非改選と併せて19議席。

日本共産党は改選7議席を3議席に減らす大惨敗。比例区では日本保守党さえ下回りました。非改選と併せて7議席。

れいわ新選組は改選2議席を3議席に増やしました。非改選と併せて6議席。

日本保守党は参院選初挑戦で2議席確保。社民党は1議席を確保し、政党要件を死守し非改選と併せて2議席。34歳の若者・安野貴博さん率いるチームみらいが1議席確保し、初議席。他方、立花孝志さん率いるNHK党は改選議席を失い、非改選の1議席のみに。また、石丸伸二さんの「再生の道」も議席に遠く及ばず、都知事選挙2024の熱狂は完全に過去のものです。

自公はきついお灸をすえられたものの、野党第一党の立憲民主党ではなく、国民民主党や参政党に票が流れた形です。全体として「多党化」が進みました。いわゆる新自由主義グローバリズム・緊縮財政二大政党(実際は1・5大政党)が、小選挙区制を背景に主導権を取ってきた日本の政治でしたが、それが大きく崩れた形です。それは全体としては、例えばドイツのAFDとか、フランスの国民戦線、ハンガリーのオルバーン政権のようないわゆる右派ポピュリズムの参政党が躍進しています。一方、れいわ新選組の場合は、東京で大苦戦する一方、後述するように、広島など地方圏で善戦。政党の性格が変わりつつあります。

◆自民・立憲で独占継続も参政・れいわ・独立系が健闘 広島県選挙区

広島県選挙区では、以下のような結果になりました。

当選 西田英範 自民新 43歳 当選:1回目 推薦:公明 経済産業省課長補佐 399,640(33.9%)
当選 森本真治 立憲現52歳 当選:3回目 推薦:社民県連合 立憲民主党副幹事長 303,928(25.8%)
小石美千代 参政新 56歳 教材訪問販売員 251,370(21.3%)
楾 大樹 れいわ新 50歳 弁護士 92,896(7.9%)
高見篤己 共産新 73歳 共産党広島県委員会書記長 51,179(4.3%)
谷本誠一 無所属連合新 69歳 元広島県呉市議会議員 26,947(2.3%)
産原稔文 無所属新 57歳 元マツダ社員 17,094(1.4%)
堤美登里 NHK新 68歳 化粧品販売業 16,164(1.4%)
玉田憲勲 無所属新 67歳 医療法人理事長 13,598(1.2%)
上子 亨 無所属新 48歳 政治団体代表 6,469(0.5%)

安佐南区内の結果 
西田英範  30,958(30.0%)
森本真治  27,198(26.3%)
小石美千代 24,571(23.8%)
楾 大樹  8,602 (8.3%)
高見篤己  5,000(4.8%)
谷本誠一  1,933(1.9%)
玉田憲勲  1,553(1.5%)
産原稔文  1,513(1.5%)
堤美登里  1,420(1.4%)
上子 亨   588(0.6%)

河井案里さんの当選無効に伴う参院選広島再選挙2021で、筆者とともに宮口治子さんに敗れた自民党の西田さんが、逆風の中でも自民党王国の組織力に支えられ、堂々のトップ当選。

他方、立憲民主党は現職の宮口治子さんを引きずりおろして同じく現職の森本真治さんに一本化しましたが、参政党の小石さんに猛追され苦戦し、ひやひやものの当選となりました。

参政党の小石さんは全国同様の参政党の追い風に乗り、追い上げました。

れいわ新選組は広島選挙区で初めて候補擁立。「仁義なき候補者選考・楾―宮口事件」で、立憲民主党の候補に内定しながら、直前になってはしごを外された楾大樹弁護士に白羽の矢を立てました。楾候補は、初挑戦ながら、供託金没収点を大きく上回る7.9%の得票率。全国のれいわ新選組選挙区候補では宮城に続く二番目の得票率でした。日本共産党は前々回と同じ高見さんを擁立も、この数十年では最低の得票数・率にとどまり、歴史的な惨敗です。

一方、無所属連合で立候補し、広島瀬戸内新聞の取材にも応じられたことがある元呉市議の谷本さんが2万7千近く、筆者が衆院選2024で投票した経験のある元マツダ社員の産原さん、筆者が同じく衆院選2024で応援のマイクを握ったこともある玉田ドクターら、いわゆる独立系候補が1万票を超える健闘しました。

◆急遽、はんどう大樹候補の後援会事務局長をお受けした筆者

はんどう候補は筆者と同じ1975年に海田町生まれ。中央大学ご卒業後、弁護士登録。しかし、2010年代半ば、当時の安倍政権により憲法違反の政治が続いていることに危惧を抱き、憲法を檻に、為政者(政治家)をライオンにたとえた「檻の中のライオン」を著し、全国1200か所以上を講演しています。腐った政治を質すには「主権者がきちんと投票に行き、政治家をチェックしていかないといけない」とぶれずに主張してこられています。

なお、最近では、講演活動ばかりで、弁護士としての業務もほとんど行っていないという有様です。

筆者は、はんどう候補が、本来なら立憲民主党から立候補するはずだった参院選広島2021に立候補し、20848票をいただいております。今回は、はんどう大樹候補の事務局長を引き受けさせていただきました。

はんどう候補は、「広島瀬戸内新聞」主催で、何度もご講演をしていただいています。その経過から、筆者が出納責任者=後援会事務局長を引き受けさせていただいたものです。

「広島瀬戸内新聞」主催の講演会でのはんどう候補

◆時間不足で態勢づくりが不十分

ただ、広島県選挙区で候補を擁立するとれいわ新選組が明言したのは2025年5月10日の山本太郎の広島でのおしゃべり会の席上、山本太郎が記者に答弁する形でした。その時は、楾先生が候補者だとは全く知りませんでした。楾先生自身も、全国講演ツアーの途中でした。このため、公認決定は6月11日、正式発表は6月16日でした。参院選の公示が7月3日ですので、発表から公示まで17日しかありませんでした。

正直、選挙において支持を広げるには、公示前に政治活動としてのあいさつ回りや街頭宣伝が重要です。(あいさつ回りはあくまで政治活動としてのそれです。公示後は、あいさつ回りは戸別訪問として公示後は禁止されています)。ある程度、地域の有力者に知ってもらい、選挙運動をスタッフで実務的に支えてくれるような皆さんのご支持を取り付け、さらに一般市民にも存在を知ってもらう「政治活動」をある程度やっていないと、正直なところ、公示後の「選挙運動」の態勢づくりは難しいのです。

れいわ新選組は、県内に数千人のオーナーズ・サポーターズ会員がおられます。そうした方々の名簿も、公認候補はいただけるのです。本来であればそういう方々にスタッフになってもらえれば随分選挙活動は楽になりますが、時間がなさ過ぎて、本番の投票依頼をするのが精一杯でした。

はんどう候補の主張を理解してくれそうな有力者にあいさつ回りをするにしても、時間がなさ過ぎました。結局、政治活動期間自体ははんどう候補よりは長い筆者も代理で、必死であちこちに頭を下げて回りましたが、とにかく時間がなさ過ぎました。

ハッキリ言って「これで良く、92896票も取った」と思いました。そういう意味では伸びしろは多くあります。はんどう候補は中国新聞の出口調査では40代の19.2%から得票。当選した森本候補も上回る勢いでした。

◆筆者の寝坊でヒヤリ

公示日の7月3日、筆者は、はんどう候補の原爆慰霊碑への献花に同行した後、はんどう候補の代理で、広島県選挙管理委員会に立候補届け出書類を提出する予定でした。そのため、6時には自宅を出発しないといけない。ところが、寝坊してしまい目が覚めた時には7時10分過ぎでした。はんどう候補をはじめ、皆様に大変なご心配をおかけしたことを改めてお詫びいたします。

原爆慰霊碑へ献花するはんどう候補

なんとか、献花に同行し、県庁での立候補届け出に間に合いました。はんどう候補は、故郷・海田町から出発しました。

◆農村部でもはんどう候補の演説にネット告知だけで聴衆10名近く

はんどう候補は大崎神島町と江田島市を除く県内全市町を遊説しました。このうち、世羅町での街宣では、当日朝のネット告知だけで10名近くの方が応援に来られました。自ら進み出てはんどう候補のためにビラ配りをお手伝いしてくださる方もおられました。

世羅町で駆け付けた聴衆の「消費税ゼロ」を掲げるスーパーカブとはんどう候補

れいわ新選組は結党当時、山本代表が2013年-2019年と2022年から選挙区で議席を持っていた東京中心の政党でした。ところが、今回の参院選2025では、東京選挙区では山本ジョージさんが得票率3.5%だった一方で、広島ではんどう候補が7.9%を得票しました。東京では参政党・保守党(百田)や国民民主党(2020)などの新興勢力と一定程度、東京ではまだ健在な立憲や共産などの狭間で苦戦する一方で、広島などの地方では「地方の庶民に優しい政策の党」として認知されている状況が読み取れます。

また、はんどう候補の地元の海田町では得票率が10%を超えました。

ただ、残念なのは、街宣の日程が前日の夜まで固まらなかったことです。ようやく、当時の朝になって告知される。そんな状態でも、農村部でも少なくない方が駆けつけてくださったのです。きちんともう少し早めに日程を固められていれば、もっと多くの方にはんどう候補の生の声を聴いていただけたのではないかと思います。

◆「失われた30年を40年、50年にしないため」「はんどう大樹と書かなくていい、自分の頭で考えて投票を!」

はんどう候補の主な政策は「消費税廃止」、そして「税金は大金持ち・大手企業から」です。要は、所得再分配の強化です。消費税廃止で購買力を引き上げる。法人税は累進化することで、お金が内部留保ではなく、従業員の給料や設備投資に回るようにする、というものです。

それとともに、衆院選2024での投票率全国最下位を返上しよう!と訴えました。特に終盤では「はんどう大樹と書かなくていい。自分の頭で考えて投票を!」と敢えて訴える姿勢には、筆者も度肝を抜かれました。

そのおかげかどうか、わかりませんが広島県内の投票率は53.9%で、徳島県(50.48%)を上回り最下位を脱出しました。はんどう大樹のお訴えに応えて?投票に行かれたすべての県民の皆様に感謝申し上げます。その上で、はんどう候補は、れいわ新選組の選挙区候補では宮城に続く第二位の得票率を記録しました。

「はんどう大樹と書かなくていい。自分の頭で考えて投票を!」と訴えたはんどう候補

過去30年間、新自由主義・緊縮財政二大政党が広島の参議院の二議席を独占してきました。それも、毎回、ほぼ無風でした。そのことが、県民をあきらめさせてきた経過があります。

実は筆者自身も、はんどう候補がもし立候補しなければ、自民党の西田候補への「鼻をつまんでの」投票も検討せざるを得ないと覚悟していました。これは、立憲現職の森本議員が新自由主義的な湯崎県知事にある意味で自民党以上に近い一方で、その湯崎知事と比べても気候変動対策に後ろ向きではないか?と彼のSNS投稿から感じていたことなどが挙げられます。

不毛だった広島の政治に新たな選択肢を市民の手作りで示した。これが、今回の参院選の意義ではないでしょうか?手作りが故に、様々な行き届かないところもありました。それでも、この取り組みをあきらめてはいけない。そう筆者は確信しています。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎X @hiroseto https://x.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/
★広島瀬戸内新聞公式YouTubeへのご登録もお待ちしております。

◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/

39年前の福井女子中学生殺害事件で前川さんに再審無罪判決! アン・ルイスと吉川晃司のいやらしい踊りのパフォーマンスはいつ放送されたのか?

尾﨑美代子

7月17日、西山美香さんの湖東記念病院事件の国賠で、大津地裁は滋賀県(滋賀県警)の捜査の違法性を認める判決を下した(ただし、国の違法性は認めなかった)。その翌日、名古屋高裁金沢支部で福井女子中学生殺害事件の犯人とされた前川障司さんに再審無罪判決が下された。39年前のこの事件、亡くなった桜井昌司さんから「前川の事件も書いてくれよ」と言われていたが、資料を読み何度も諦めていた。

事件は卒業式の日、家で1人でいた女子中学生が殺害された。非常に凄惨かつ残忍な殺害方法だったため、女子学生が関わる非行グループ内のリンチ事件と考えられた。しかし、捜査は難航。そんななか、逮捕中の暴力団組員の加藤(仮名)が「後輩の前川が犯人だ」と刑事に告げたことから、前川さんが逮捕された。前川さんはこの女子学生と面識はなかったうえ、前川さんを犯人とする証拠も一切なかった。あるのは「血がついた前川を見た」という多くの関係者の証言のみ。その関係者の数だが、AからG位まであり、中には小文字のn、大文字のNとかある。これは、例えば中野が仲野に変わるなど、加藤の証言がころころ変遷していたからだ。

しかも関係者の多くが暴力団関係者やシンナー、覚せい剤を使用していた若者たち。警察に睨まれたくないため、いわれるがままに嘘の調書をとられた。「前川の手に血がついていた」というBの証言、「前川が『あのバカ女』」などと言っていた」というDの証言などをを集めて、前川さんを犯人とした。このようないい加減な証拠しかないうえに、同じ一審で検察側証人に立った若者が、その後、弁護側証人として、前の証言をひっくりかえすなどしたため、一審は無罪だった。しかし、これを不服とした検察が控訴。控訴審では一審で証言をひっくり返した少年が再び「前川を見た」に証言を変え、二審は有罪判決、前川さんは服役してきた。

服役後の第一次再審は再審開始が決定したが、検察が控訴し訴えは棄却されていた。今回の第二次再審で、2024年10年再審開始の決定がでた。その「決定書」を読んだ私は「なんだ、これは?」と驚いた。決定書には、これまでの判決文などに出てこなかった文字が躍っている。「夜のヒットスタジオ」「アン・ルイス」「吉川晃司」。なんなんだ?

こういうことだ。当時流行った歌番組「夜のヒットスタジオ」でアン・ルイスが「六本木心中」を歌う後ろで吉川晃司が過激な踊りを披露するという場面があった。実は、私は取材を始めた頃、その場面をネットで探して見たことがある。吉川がアン・ルイスの後ろで腰を打ち受けたり、アン・ルイスがマイクを吉川の股間に押し付けるという過激な内容だった。裁判では、木曜日夜9時の同番組で、その過激な踊りが放送されたのは、事件当日だったとされた。山田(仮名)と林(仮名)という加藤の手下の若者は、山田の家でこの番組を見ており、2人で「いやらしいな」と話していたが、ちょうどそのとき、加藤から電話があり、車で迎えにいったというのだ。 当時見ていた方はご存知だろうが、夜のヒット・スタジオにはその週ヒットした歌手が出演して、生放送で歌っていた。なのでヒット曲を持ち続ける歌手は、毎週のように出演するわけだ。なので、新聞の番組欄には毎週のように2人の名前がでていたはずだ。警察は関係者にその新聞をみせ「この日で間違いないな」などと確認していたのだろう。

黃色の勝負ネクタイは、青木恵子さんからプレゼントされたもの。入廷行進で被っていたお帽子は袴田巌さんから頂いたもの

時は過ぎ、新たに弁護団に入った若手の弁護士らが、「いやらしい踊りってどんな踊りなんだろう?」と興味をもち、なんとAIに質問してみたという。すると、古舘伊知郎が語る場面がでてきたそうだ。その放送日は1985年10月2日。古舘はその日初めての司会だったので、そのいやらしい場面が「目について離れない」と語っていたという。え? 1985年?? さらに調べると、その場面は翌年1986年に再放送されていた。「ヒットパレード、この1年間の思い出に残った曲」などという特集でも組まれたのではないか?しかし、その放送日は1986年の3月26日で、事件のあった3月19日ではなかったのだ。さらに驚いたのは、再審で弁護団が開示させた新しい証拠の中の「捜査報告書」には、その事実がはっきり書かれていた。「いやらしい踊りをしている場面が放映されたのは3月26日、3月19日にはありません」と。その報告書の作成日は1989年1月28日、つまり一審が続けられていた時期だ。

おい、どういうことだ。警察、検察はいやらしい踊りの放送はその日でないことを知りつつ、裁判を続けた。何故なら、山田と林が事件当日見ていたのは、ただの夜のヒットスタジオでアン・ルイスが歌う場面ではない。吉川晃司といやらしい踊りを踊った番組だ。だから、印象に残っているのだ!事件のあった日だ。ちょうどその時、加藤の兄貴に呼びだされただと……。そうか、だから、検察は裁判で、この一番重要な証拠について、証人に聞くことはなかった。「アン・ルイスと吉川晃司はどんな踊りをしていたんですか?」とか「それを見てあなたはどう思いましたか?」などと。詳細を聞けばうそがばれる可能性があったからだ。一方、裁判官が証人にそのことを聞いた。証人は「間違いないです。その(いやらしい踊りが放送された)日です」と証言した。

結局、その証人は、再審で、証言を変えたことについて、当時自分も覚せい剤をやっていたので、それを見逃してもらうため、警察のいうがままに嘘の証言をしたと証言した。裁判で更に嘘の証言をした日は、刑事に飯を奢られ、スナックで飲まされたとも証言した。その際、結婚したことを告げた証人に、その刑事が5000円入ったお祝い金をくれたと、刑事の名前がばっちり入った祝儀袋を証拠提出した。

もちろん、それ以外でも弁護団は多くの新たな証拠を提出し、無罪を争っていた。それにしても本当に悪質だ。冤罪は証人の記憶違いや小さな間違いで作られるものではない。警察、検察が何十年も証拠を隠し続け、必死で作っているのだ。前川さんの無罪は、控訴期限の8月1日で決定する。前川さんはその後全国各地を報告会で回るようですが、まず最初に大阪に来て話したいといいますので、8月9日土曜日に大阪で報告会を行いたいと、現在弁護団と調整中です。決まりましたらお知らせします。ぜひ、多くの方々に集まって頂きたい。

◎前川障司さんをお招きしての大阪報告会開催決定!◎
8月9日(土)14時~(開場13:30)
「福井女子中学生殺害事件」報告会
報告:前川障司(冤罪犠牲者)、端将一郎(弁護士)

事件から39年で再審無罪!
開示証拠が無罪の決め手に!
判決は警察・検察を厳しく批判!

会場:社会福祉法人ピースクラブ4階
(大阪メトロ大国町駅5番出口南へ5分)
参加費:800円(資料代込み)
主催:実行委員会
問い合わせ:090-7356-1747(オザキ)
 hanamama58@gmail.com

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「原発推進党」という国民民主党の正体 ◎横田一(紙の爆弾2025年7月号掲載)

◆リニアに触れない代表と幹事長を直撃

 静岡県の島田市議選(5月25日投開票)が告示された5月18日、国民民主党の玉木雄一郎代表と7月の参院選で改選を迎える榛葉賀津也幹事長(参院静岡選挙区)が、5選を目指す清水ただし候補の応援演説でそろい踏みをした。
 代表と幹事長がそろって市議選候補者の応援に入るのは異例だが、榛葉氏の参院選事前運動を兼ねていたとみると、不思議でも何でもない。早々に地元の票を固めて、大量擁立する新人候補の応援に回ろうとする狙いが透けて見えたのだ。
 一帯は茶畑が広がる大井川流域。街宣では、静岡市から駆けつけた山田吉彦・東海大学海洋学部教授(参院選比例代表の公認候補)が県産のお茶の輸出が伸びていることを紹介すると、榛葉氏も大井川水系の重要性を強調したが、玉木代表を含めて誰一人として大井川流域の水枯れが懸念される「リニア中央新幹線問題」について触れることはなかった。
 川勝平太・前静岡県知事は、南アルプスをぶち抜くトンネル工事で大井川の流量低下を招くおそれがあるリニア計画を問題視、JR東海や国交省と長年にわたって対峙してきた。それなのに国民民主党は同流域の存亡にも関わるリニア問題を、代表も幹事長も地元議員もスルーしたのだ。自公政権を補完して国策に迎合する国民民主党の実態(正体)が透けて見えた瞬間でもあった。
 そこで街宣終了後、両幹部がそろい踏みをした囲み取材で、「リニアについて触れなかったのはなぜか」と聞いてみたが、玉木代表は「ほかの記者が質問中」「順番を守って」などと言って私の質問を遮り、スタッフも「時間です」と終了を宣言した。やむなく立ち去り始めた榛葉氏を追いかけて「リニアについて触れなかった理由は何か。水問題、深刻ではないか」と叫んだが、無言のまま。
 しかも榛葉氏は私の会見参加不可(出禁)を決定した当事者でもあったので(紙の爆弾1月号参照)、支持者との記念撮影を始めた榛葉氏に向かって「嘘つき幹事長と呼ばれるのではないか。ルール違反をデッチ上げないで下さい」「(私の質問中に)不規則発言をしたのは(フリーの)堀田(喬)さんですよ」と声かけ質問をしたが、ここでも榛葉氏は「横ピン(私のこと)だよ」と発するだけで何も答えない。それで「質問に答えて下さい」と求めたが、一言も答えることなく黒塗りの車に乗り込んで走り去った。都合の悪い質問には全く答えない国民民主党の差別的報道対応(記者排除)を、ここでも目の当たりにすることになったのだ。
 ただ、思わぬ収穫もあった。榛葉氏を直撃した後、その様子を見ていた中年女性が私に声をかけてきて、参院選比例代表の公認候補となった山尾志桜里・元衆院議員への怒りを爆発させてくれたのだ。
「山尾さん公認への反発で女性票が激減するのは間違いありません。私の周りにも『選挙区は国民民主党に入れても、山尾さんに当選してほしくないので比例は他の党に入れる』という支持者がたくさんいます」
 こう切り出した国民民主党の支持者は、スマホを取り出して5月16日の榛葉幹事長会見の画面を指し示し、こう続けた。
「会見動画への書き込みが3千件を超えていますが、多くが山尾さんへの批判です。支持率が急落するのは間違いないでしょう」
 この予測は数字として現れていた。自公過半数割れとなった昨年秋の総選挙以降、103万円の壁解消などでメデイア露出が急増、野党第1位の支持率を維持してきた国民民主党だが、共同通信が5月17日と18日に実施した世論調査によると、前回調査(4月12日と13日)の18.4%から5.2%も下落して、13.2%になってしまった。朝日新聞の同時期の世論調査も同じ傾向で、国民民主党の支持率は12%から8%へと急落。毎日新聞と読売新聞はともに2%下落と小幅だったが、全体として下落傾向に転じていたのだ。
 5月20日付の朝日新聞が「国民民主勢いにブレーキ」「参院擁立巡りSNS上で批判」との見出しを打ったとおり、5月14日に山尾氏ら参院選比例代表に擁立した候補予定者4人が支持率下落の原因であることは明らかだった。
 ほかの3人は、立憲民主党を離党した須藤元気・元参院議員、維新の党員資格停止処分を受け政界引退を表明していた足立康史・元衆院議員と、みんなの党や自民党を転々とした薬師寺道代・元参院議員。マイナスイメージの筆頭格は不倫スキャンダルが報じられた山尾氏だが、他の3人も突っ込みどころには事欠かない。

◆脱原発派を転向させた「確認書」

 5月の連休前後から全国を飛び回り街頭演説を繰り返す玉木代表の定番ネタは「受かりたいから国民民主に来るとか、選挙を就職活動にしない」と強調することだった。しかし今回の比例代表候補予定者4人の発表で「元議員再就職の受け皿(駆け込み寺)政党なのか」「玉木代表は言行不一致」といった疑問が噴出し支持率急落につながったと見えるのだ。
 そんな国民民主党の実態をズバリ指摘したのが、れいわ新選組の山本太郎代表だ。5月17日に大阪で開かれた「おしゃべり会」で、以前は脱原発派だったのに原発推進の国民民主党候補予定者となった須藤氏の“変節”について、次のように聞いた時のことだ。
「かつて山本代表と連携、ともに脱原発を訴えていた須藤元気さんが国民民主党の比例候補になり、原発推進の確認書にもサインをした。脱原発から原発推進に舵を切ろうとする危険性をはじめ、国民民主党の化けの皮をどう剥がして対抗していくのかについて伺いたい」
 山本代表からはこんな答えが返って来た。

※記事全文は↓
 https://note.com/famous_ruff900/n/na95d62623938

冤罪「湖東記念病院事件」滋賀県に勝訴! 国の責任を認めず!

尾﨑美代子

冤罪「湖東記念病院事件」の国賠訴訟、本日、大津地裁で判決がくだされた。傍聴券抽選のため、ロビーは希望者で溢れたが、私はどうにか傍聴券を頂いて中に入れた。

判決は、滋賀県警の捜査に対する違法について、原告の主張をほとんど認めた。とくに、警察が、捜査当初から鑑定医が「患者さんの死亡は痰詰まりの可能性がある」とした捜査報告書を検察に送致していなかったことについて、違法だと認め、この違法がなければ、美香さんは起訴すらされなかったと判断した。

私はこの国賠訴訟、第一回目を傍聴したが、その後は仕事で傍聴ができていなかった。が、裁判で証言した刑事は「報告書といってもメモ的なものもあるのですべて送致するわけではない」などと言い訳したそうだ。しかも送致しなかった報告書は「ちゃんと保管してますわ」と刑事が親指と人さし指で3~5センチほどの厚さを示したと、井戸弁護士が指で示した。つまり警察は私たちの税金で集めた証拠の多くを検察に送致していなかったということだ。

もちろんその証拠の中には、患者の死因は「痰詰まりの可能性がある」という、美香さんに無罪判断を下す証拠もあるのである。この捜査資料の不送致の違法性を厳しく断罪した判決は過去に例がないと思われるとのことだ。

一方、判決は、国(検察)については原告の違法の主張をすべて認めなかった。裁判所はとくに、早川検事が作成した調書についての不合理について全く判断しなかった。次の内容だ。美香さんは、当時勤務していた病院で呼吸器を付けて永らえていた患者さんが死亡した件で、呼吸器の管を抜いたとして殺人罪で逮捕・起訴され、有罪判決で服役した。

それまでの経緯だが、一人の看護師が「(呼吸器を抜いた際に出る)アラームが鳴っていた」と嘘を付いたことから始まり、結果、看護助手を美香さんは山本誠刑事にマインドコントロールされ、「管を抜いた」と嘘の自白を強いられた。

「管を抜く」イコール「殺す」とは考えてもいなかった美香さん。警察はその後、具体的にどのように殺害したかを供述させなくてはならない。滋賀県警と山本刑事はどうやったか? 実は、その後の捜査で実際はアラームは鳴っていなかったことが判明。では管を外したのにアラームが鳴らないようにするにはどうしたらいいか。警察は考えた。そこで警察は、呼吸器の専門家に技術的なことをレクチャーしてもらった。呼吸器には消音機能維持装置があって、管を抜いてアラームが鳴ったらそのボタンを押すと消える。それから60秒経つと再度鳴るので、その前にまた押す。それを3回、つまり3、4分管を外し、酸素を送らずにいたら、絶命するということだ。

しかし、ここで困った事態がおこる。美香さんは看護助手なので、呼吸器などの医療器具を扱う立場にない。やり方もしらない。しかもこの消音機能維持ボタンについては普通の看護師でもしらないそうだ。「何故そんな装置を知ってたか」と問われ、美香さんは当初「看護師さんがやっていたのを見て覚えた」と話していたという。しかし、同病院の看護師全員に聞いたところ、その装置の使い方を知る人はひとりもいなかった。

そこで気が付け! 早川! 看護師がだれひとり知らなかった装置を看護助手の美香さんがしっているはずないだろう? ところが、警察の作った嘘・デタラメな調書を本物のようにするために上塗りするのが検事の仕事。そこで検事として頑張った早川、患者に強い殺意を抱いて管を抜いた美香さんが、そのとき装置についたボタンを偶然押した。「あらま、アラームが止まったわ」と美香さんが思ったか思わなかったか。しかし、問題はそこからだ。美香さんは何故か胸のなかで「1、2、3……」と数えたという。いやいや、美香さん、そのやり方(アラーム音止めるボタンを押したのち、60秒したらまた鳴るという)しらないってば? と突っ込みたくなるのは私一人ではないはず。早川! そう思わないか?

なお、判決全体で井戸弁護士が強く批判したのは、弁護団と美香さんが最も強く主張した「供述弱者」についての判断が全くないことだ。滋賀県警と山本誠刑事は、美香さんが山本に恋心を抱いていることを利用して違法な取り調べを行ったことの違法については判断を避けたことだ。この点が全くネグレクトされている点について、井戸弁護士は裁判所としてはありえないと断罪した。弁護団、美香さんも国に対して控訴することを決めているが、控訴審ではこのネグレクトの違法性をとことん追求していくそうだ。

ここにきて、朝からバタバタして突然力尽きた尾崎さん。いろんな人にも会ったからね。それにしても最後の記者たちのつまらない質問。「美香さん、今日のお洋服は白ではないのですか?」みたいな。そんななか、青木恵子さんが花束を贈る時間がなくなってきた。私は亡くなった桜井昌司さんの「記事を書くなら記者席に座れ」を守り、偉そうに記者席の前から2列目に陣取っていたので、事前に司会の方に伝えておいた。が、青木さんらが明日の福井女子中学生殺人事件の判決に向けた、今日中に金沢入りということで、電車の時間が迫っていた。大勢の記者が多くの質問をするのはよいが、最後「何故、今日は白い洋服ではなかったんですか」とか要らないだろう、とイラついていたら、青木さんが「ママ(私)、時間ないわ」と言ってくるので、司会の方に伝えたら、急遽花束贈呈をいれてくれることになった。

それにしても井戸弁護士のお話のなんてわかりやすいこと、美香さんの受け答えのなんと的確でユーモアに溢れていること。詳細は判決文を読んでまたまとめよう。写真は全然撮れてなくて、入廷行動の写真は東京の部落解放同盟の安田さんから、旗出しの写真は水戸さんにお借りした。皆さま、お疲れ様でした。

◎新プロジェクトX~挑戦者たち~「無罪へ 声なき声を聞け」滋賀・看護助手 知られざる15年
 再放送予定 7月19日(土)午前0:10~~午前1:00
 https://www.nhk.jp/p/ts/P1124VMJ6R/episode/te/56K65391MP/

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

大阪万博で4つの下請け業者に建設費を払っていない「GLイベンツ社」とは

尾﨑美代子

7月13日、フリージャーナリスト西谷文和さんの万博問題の講演会に参加。会場は交野市内で市内からはかなり遠いので諦めかけたが、行って良かった。新たに分かったことも沢山あったし、「子どもたちを危険な万博へは行かせません」の山本市長のお話も聞けた。

万博では、現在9つの海外パビリオンで建設費未払い問題がおこっている。GLイベンツはそのうちドイツ館、セルビア缶、ルーマニア館、マルタ館で4つで未払い問題を起こしている。 GLイベンツ社とは何か? もとはフランスにある世界最大級のイベント会社だそうで、日本法人は2016年に作られた。当時の社長ロベール・ヴェルディエ氏は、もともと起業家で日本でも数々の企業を手掛けている人だそうだ。

そんな大企業で建設費用の未払い問題なんて起きるか?と不思議に思う方もいるはず。じつは咲州のビルに入るこの会社には、被害者の会の人たちや支援者らが二度抗議に訪れている。西谷さんの講演でその動画が公開された。2回目に訪れた動画で、被害男性が「ホテルの中で屈強な男性8人に囲まれ……」と話す場面があった。

「何のことか」と質疑応答で私はその場面について質問した。思った通り、ある業者の人が数人で同社を訪れたら、近くのホテルの一室に連れていかれ、そこで屈強な男性らに取り囲まれたという。「ガタガタいうな」と脅すようなものだ。そのため被害者らはその後は支援者らと大勢で行くことにしたそうだ。

先日私はFacebookで、GLイベンツで対応した男性の腕に刺青が入っていたそうだと書いた。記事の写真では男性が日本人か外国人かわからなかった。スポーツ選手などもそうだが、外国人はファッション、アートとして刺青をいれることが多い。なので、日本人のヤクザなどが入れる和彫りの刺青と若干意味が異なる。西谷氏の話では、そのGLイベンツで対応した腕に刺青の男性は日本人で、先ほどのホテルで被害業者を取り囲んだ屈強な男性の中にもいたという。いわばGLイベンツの「用心棒」として、「金を払って」と言いにくる業者を威嚇するためにいるようなものだ。

では、GLイベンツがどうしてここまで大胆に建設費未払いを公然と行うことが出来るのか?誰でも思うことだが、その背景には大物議員がいるんじゃないの、と。 

実は、起業家ロベール氏が、多くの功績が認められ、フランス政府から勲章を受けることになった。その授賞式に、日本からわざわざお祝いにかけつけた政治家がいる。森喜朗元首相だ。ロベール氏は元々ラグビー選手で、日本ラグビー協会会長の森と親交があったようだ。

やっぱり!このうさんくさい会社の裏には日本の国会議員が付いていた。森だけではない、五輪、ラグビー大会などは文科省の管轄、そこには裏金議員の下村、萩生田なども関わっている。大阪ではそこに維新がずぶずぶと関わっている。

大屋根リングから見えるカジノの建設現場。麻生セメントががっぽり儲けに食い込んでいる

GLイベンツに関しては、更にここ数日で新たな事実が明らかになった。GLイベンツの東京事務所は、大屋根リングを設計した「梓設計」と同じビルの同じ階にあり、何と「郵便受け」が一緒だという。どうなっているんだ! 郵便受け位、コーナンで数千円で買えるだろうに。

では、何故、9つもの海外パビリオンでこんな未払い問題が多いのか?あとで触れる万博のために作った「特例」のためでもあるが、もう一つは大屋根リングが先に作られたことも大いに関係している。というのも、リングの中で工事をするのだが、資材や機材を入れるのが非常に困難になるからだ。ダンプに積んでチャチャチャと現場に運び入れればいい重い資材を、おっちらこっちら人力で運ばなければなたないのだ。どんだけ大変か!遅れに遅れた工事が余計遅れるではないか?

もう一つ、こんな実務経験のないイベント会社や「建設業許可」のない会社が元請けにはいれたか? そのからくりが、今万博のために作られた「特例」(「令和7年に開催される国際博覧会の準備及び運営為に必要な特別措置に関する法律」)だ。

講演前に「万博協会や維新はどういう経緯、どういう理由でこのような特措法を作ったのだろうか」と西谷さんにお聞きした。西谷さんは会見で吉村知事に聞いたが、明確な答えはなかったという。この特措法のせいで、建設作業の実績もないイベント屋らが元請けに参入できたのだ。仮設ステージや来賓のテント作るのと、パビリオン作るのは全く違うぞ。しかし、万博協会は最後には「半年だけの構造物なので、仮設を作る業者でもいけると考えた」とでもいうのではないか、と西谷さん。

しかし、刺青とタトゥーが違うし、カーペンターと大工の源さんも違う。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

《NEWS!》「カウンター大学院生リンチ事件」(俗称「しばき隊リンチ事件」)の主たる暴行実行犯=エル金こと金(本田)良平から提訴された民事訴訟(東京地裁立川支部) 被告・森奈津子さんと鹿砦社に11万円の損害賠償判決! 怒りを込めて金良平や李信恵らがやったリンチ事件を想起し、あらためて徹底的に弾劾します!

鹿砦社代表 松岡利康

私たちが、まさに「10年戦争」で闘った、俗に言う「しばき隊リンチ事件」こと「カウンター大学院生リンチ事件」、この主たる暴行実行犯のエル金こと金(本田)良平が、あろうことか開き直り、作家・森奈津子さんと鹿砦社に対し前科を暴露されたとして110万円の損賠賠償を求め東京地裁立川支部に訴えた民事訴訟の判決が去る7月14日にありました。

結果は森さんと鹿砦社に請求額の1割11万円の賠償と前科表記のX記事の削除等を命じる不当判決を下しました。金額は小さくても敗訴は敗訴で、裁判所の見識を疑います。ありきたりの判決文でした。

判決文1ページ目

この内容につきましては、徹底的に分析し、あらためてご報告いたしますが、あれだけ凄惨な暴行を大学院生(当時)М君に行った金良平が、「オレの前科が暴露された。プライバシー侵害だ」などと開き直り提訴したわけですが、将来のある大学院生М君の人生を台無しにし、М君をいまだにリンチのPTSDで苦しめておきながら、なにをかいわんやです。どこか変な裁判官の頭の中です。

金良平に顔形が変形するまで暴行を受けた大学院生М君。これが森夫妻に加えられないと誰が保証するのか

金良平はXで森さんに執拗に絡み、あれだけの暴行を行った金良平が関西から首都圏に移住し、森さんに危害を与えることが強く危惧されました。実際に、金良平からではありませんが、森さんには殺害予告もありました。

私はやむなく、ここは「毒には毒をもって制す」で、罰金40万円を課すと記載した刑事処分の書面「略式命令」を送り、これを晒してでも身を守るようにアドバイスしました。実際にその書面など多くの資料が金良平周辺から流布し、少なからず私たちの手中にも入ってきていました。みずから周囲に公開しているとも言っています。

加えて森さんは、24時間看護の障碍者の連れ合いを持ち、狂犬・金良平が森夫妻に危害を与える危険性が強く感じられました。

実際、「略式命令」書をXに晒すと、森さんへの粘着はピタリとやみました。前科をみだりに暴露してはいけないことぐらいわかっていますが、あくまで「みだりに」やってはいけないだけであって、生命の危険がある場合は、そんなことなんて二の次、三の次で“人命ファースト”です。森夫妻に危害が加えられたら裁判所は責任を持つのか!? 裁判官は答えていただきたい!

相変わらず意気がる金良平

それにしても不思議なことに、いつもなら「正義は勝つ!」などと声高に狂喜乱舞する、金良平の代理人・神原元弁護士も沈黙、金良平は結審日から消息不明、なんとか言えよ!

なお、控訴するかどうかは森さんとも相談し熟慮して決めたいと思いますが、その際はご報告いたしますので、控訴に至った場合には物心両面でご支援をお願いいたします。

(松岡利康)

「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧から20年 ── 今、静かな怒りを込めて振り返る

鹿砦社代表 松岡利康

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊。松岡はこれを見てみずからの逮捕を知った。

しばらくして神戸地検の一団が家宅捜索─松岡連行にやって来た。 次々頁は、同 夕刊。神戸地検と朝日大阪社会部が連携し周到に準備されたスクープだった。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

私たちにとって〈7・12〉という日は、決して忘れることができない屈辱のメモリアル・デーだ。もう20年が経ったのか……想いの一端を書き記す。

◆2005年〈7・12〉に何が起きたのか? 

2005年7月12日、野球開催時以外は閑静な兵庫県西宮市甲子園の住宅街が突然、早朝から大騒ぎとなった。配達されたばかりの朝日新聞を持って母親が血相を変えて階段を上ってきて私を起こし、「あんたが逮捕されるよ」と叫んだ。朝日新聞(大阪本社版)の一面トップ、この時点ではまだ会社名と私の名は出されてはいないが、「出版社」が鹿砦社で「社長」が私だとすぐに判る。自分の逮捕を新聞報道で知るという奇妙な体験をした。

この日は朝から東京出張の日だった。このことは前週事情聴取の際に主任検事の宮本健志検事(現在は退官し滋賀県で公証人)には言っていたので、これを見越して早朝から検察は動いた。やがて神戸地検の一団がピンポンと呼び鈴を鳴らす。「シャワーぐらい浴びさせろ」と言うほど少しは落ち着いていた。

自宅の家宅捜索が始まった。すでに多くのマスコミ記者とカメラマンらが自宅、会社を取り囲むように集まってきた。次いで近くの事務所に同行、事務所の家宅捜索が始まった。検察が持ってきた箱が足りなくて事務所にあった宅急便用の袋まで使うほど多くの資料等を押収していった。

1972年の会社設立関係の貴重な資料も押収され、今に至るまで出てこない。家宅捜索の途中で神戸地検に連行され、そこで逮捕を宣告され手錠を掛けられた。手錠を掛けたのは主任検事、宮本健志。 地元・西宮東高校から早稲田に進み検事になった男だ。事務所の家宅捜索の最中に会社関係者も駆けつけ、終了のサインをしたのは近くに住む経理の女性だった(今も勤めている)。経理の責任者は、会社に来る途中で事件を知り自宅に引き返したという。

同じ頃、東京支社にも家宅捜索が入った。家宅捜索は他の関係先にも及び、さらに事情聴取は大株主(当時)、製本所、倉庫会社にも、そしてトーハン、日販、大阪屋(現楽天)など大手取次3社にも及び、これ3社は簡単に応じ取引資料を提出している。日頃「言論・出版の自由」を守れと嘯くのなら断固拒絶して欲しかった。

そうして、昼前には神戸拘置所に移送、全裸にされケツの穴まで見られる“身体検査”後に独房に入れられた。今度は、くだんの逮捕劇をラジオ放送で聴いた ── 。

松岡逮捕後急遽発行された『紙の爆弾』2005年9月号
警察癒着企業アルゼを告発し弾圧の元になった4冊の本

この時点では、すぐに釈放されると安易に考え、まさか以後192日間も勾留されるとは思ってもいなかった。

山口組の本拠・神戸だが、当時の神戸拘置所にはヤクザの有名人はおらず、私の逮捕のニュースは拘置所内に広まったようで、風呂などで私の房を通るクリカラモンモンの入った人に「頑張ってや」と激励されたこともあった。

『週刊朝日』2005年7月29日号。スキャンダリズムの大先輩、『噂の眞相』岡留安則編集長が怒りを込めて検察の横暴を弾劾!
松岡が勾留された神戸拘置所の在る神戸市北区ひよどりの紹介をした朝日新聞2005年10月31日付け記事。偶然にも勾留中に掲載された。
保釈され、神戸拘置所の前に立つ(2006年1月20日夜)

◆朝日・平賀拓哉記者は逃げずに私と会え!

朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者は、この前に数度取材に訪れ、資料や本などを多く持ち帰った。オモテはわれわれの出版活動を「理解」しているかのように振る舞い、ウラでは神戸地検特別刑事部・宮本検事と連携し、いや“結託”と言ってもいいだろう、密に連絡を取り合い「官製スクープ」をものにした。

こういうことを、大阪高検公安部長の要職にあり検察の裏金を告発し逮捕された三井環氏によれば「風を吹かせる」というとのことだ。その後、平賀記者は中国瀋陽支局勤務となり連絡が取れなくなったが、ある冤罪事件の記事を署名入りで寄稿していたことを見つけ、数年前に大阪に戻ってきたことがわかり、恩讐を越えて何度も面談を申し入れたが、本人からではなく広報部からそっけない拒絶のメールがあった。

こちらは人生一変したんだ、わかっとるのか!? メディア人として以前に一人の血の通った人間として対応すべきではないのか? 逃げ回らず出てきて話そうぜ!

神戸地検と連携して”官製スクープ”を仕組んだ朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者。逃げ回らずに出てこい! 

この事件では、刑事裁判(神戸地裁‐大阪高裁)では懲役1年2月、執行猶予4年が確定、また民事訴訟では約600万円の賠償金が確定した。いずれも最高裁まで争ったが遺憾な結果になった。特に民事訴訟では、一審(東京地裁)300万円が控訴審(東京高裁)では倍額600万円になり最高裁で確定した。

一審判決を報じるテレビ画像
一審判決を傍聴した山口正紀さんのレポート(『週刊金曜日』2006年7月14日号)
言論弾圧は、日本で活動する外国人記者にも衝撃を与え記者会見に招かれた(2007年2月14日。東京有楽町・外国人記者クラブにて)

◆私を嵌めた者らに起きた“不幸”

この事件に蠢いた輩には、不思議なことに、のちに「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄されるように相次いで“不幸”が訪れている。

まずは、私を刑事告訴したパチスロメーカー大手「アルゼ」(現ユニバーサルエンタテインメント)の当時の雇われ社長の警察キャリア・阿南一成、耐震偽装企業との不適切な関係により辞任に追い込まれている。

弾圧当時のアルゼ社長・阿南一成が耐震不正企業との不適切関係により辞任(朝日新聞2006年1月19日朝刊)。阿南は元中国管区警察局長→参議院議員を経てアルゼ社長に天下り、公判でも出廷し告発本による「被害」について述べた。

私に手錠を掛けた主任検事・宮本健志は、徳島地検次席検事として栄転していたが、深夜泥酔して暴れ降格、懲戒処分されている。さらに、最近身内の衝撃的な事件に巻き込まれていることが発覚。宮本は現在、検事(最終任地は大阪高検)を退官し滋賀県で公証人に就いているということだが、某国立大学の工学部を卒業し一流企業に勤めていた実弟が凄惨なストーカー殺人事件を起こし懲役20年で服役中だという。裏付けを取ったが事実である。みずからが起こしたものではないとはいえ、宮本にとっては、深夜に泥酔して暴れたことどころか、人生最大の汚点である。おそらく在阪マスコミも知っていると思うが、事件が起きたのが四年前の2021年、このかん全く報じられていない。ふだん芸能人や著名人であれば、メディはこぞって大騒ぎするだろう。検事本人が起こした事件ではないとはいえ、宮本らにいたぶられた私としては不快感を覚える。

松岡に手錠を掛けた、地元出身の主任検事・宮本健志検事が、昇任にして赴任した徳島で泥酔して暴れ降格懲戒処分になった事件を報じる徳島新聞(2008年3月26日付け)

神戸地検特別刑事部長として事件を指揮した大坪弘道は、厚労省郵便不正証拠隠滅事件で逮捕・失職している。しばらく浮浪人だったが、今は弁護士として活動しているという。加入を認めた大阪弁護士会の見識を疑う。

弾圧を指揮した大坪弘道検事逮捕を報じる朝日新聞(2012年10月2日付け朝刊)

そうして、アルゼ(現ユニバーサル)の創業者オーナーだった岡田和生、海外で逮捕され、みずからが作り育てた会社から放逐されている。一時は高額納税者総合1位だったこともあるパチスロ長者だったが、今は実子らに裏切られ風前の灯だ。

岡田逮捕を報じるロイター通信電子版(2018年8月6日付け)

事件の関係者に次々と不幸が訪れながら、事件10周年にはまだ岡田は逮捕も追放もされていなかったが、やはり悪いことはできないな。フィリピンで政府高官に賄賂を贈ったりしてカジノホテル開業に向け精力的に活動している間に、東京の本社では息子や子飼いの雇われ社長、そして、あろうことか後妻らによってクーデターが画策され岡田は放逐される。

カジノ建設を狙うユニバーサル(旧アルゼ)による比高官接待を報じる朝日新聞(2012年12月30日付け)
クーデターによって、みずから育てた会社から放逐され愚痴る岡田(『週刊ポスト』2019年3月22日号)

こうしたことから思うに、人を嵌めた者はみずからも嵌められるということだろう。お天道様は見ている。「因果応報」とはよく言ったものだ。

一方私たちは、このかんは新型コロナで苦闘しているが、彼らが不幸に遭っている間にみなさん方と共に奇跡の復活を遂げた。誰もがもう復活はないとささやいていたそうだが、愚直に本業に取り組んでいれば、必ず浮かぶ瀬がある ── 20年前の弾圧以上の事件は滅多にないだろうから、これを乗り越えた私たちは、どのような困難をも乗り越えることができると信じている。勾留中は電話一本、メール一本、ファックス一枚もできなかったが、今はそれらは勿論できるし、自由に動き回ることができる。

[左上]弾圧10周年記念集会(2015年7月12日。地元・兵庫県西宮市)。[左下]弾圧10周年集会二次会。西宮冷蔵・水谷洋一社長が手配してくれた。[右]弾圧10周年記念集会に大学の後輩にして書家・龍一郎が贈ってくれた書

◆寄り添っていただいた、ジャーナリスト・山口正紀さん、主任弁護人・中道武美弁護士、民事訴訟を担当してくださった内藤隆弁護士らの死を悼む ──

この事件に対しては多くの方々に支えていただいた。特に、公判のたびに毎回東京から自費で傍聴に来られ秀逸な記事を最高裁決定が出るまで連続して『週刊金曜日』に書かれた山口正紀さん、主任弁護人を務めていただいた中道武美弁護士、対アルゼ民事訴訟を担当していただいた内藤隆弁護士が、いずれも20周年を待たずして相次いで亡くなられた。内藤弁護士は、なんと本年正月早々に亡くなられた。約四半世紀、東京での訴訟関係をお世話になった。

私も、山口さんや中道弁護士、内藤弁護士が亡くなられた歳を過ぎたり過ぎようとしている。思うところも多い。事件から20周年を共にすることができなかったことに、寂しさが募る。慎んでご冥福を祈り生前のご厚誼に感謝を申し上げたい。と同時にお三方のご遺志を汲み、私が、先の逮捕事件をはじめ長年の裁判闘争で身をもって培った、私にしか解らない生きた教訓を後世に遺していく作業に着手したいと考えている。合掌

【お知らせ】関係書籍として、一部品切れの本がありますが、『紙の爆弾2005年9月号』『パチンコ業界のアブナい実態』『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』『アルゼ王国の崩壊』『アルゼ王国 地獄への道』は僅かながら在庫あります。当時の雰囲気や弾圧の実態を知っていただきたく、ぜひご購読お願いいたします。

出版弾圧事件を記録した本、『パチンコ業界のアブナい実態』と、この続編『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』

『紙の爆弾』2025年 8・9月号に寄せて

中川志大(『紙の爆弾』編集長)

東京都議選、そして参院選前の重要な時期にマスコミを席巻した元TOKIO国分太一の騒動。本誌校了時点で、彼が何をしたのかは明らかになっていないものの、これを「スピン」と見る声が相次いでいます。別のニュースを大々的に流すことで、権力にとって不都合な事態から大衆の関心を逸らせる「スピン報道」を疑う指摘がしばしばみられるようになりました。その点で、今月号で政治経済学者・植草一秀氏が解説する「令和の米騒動」の本質を隠す小泉進次郎農水相の“三文芝居”、そのどさくさ紛れの年金制度改悪、「103万円の壁」と「106万円の沼」、かき消されつつある企業・団体献金禁止と消費税減税。問題から目を逸らさない姿勢が求められます。また、そこに本誌の役割も見出しています。

今月号では、「遺伝子組換え米でつくる、飲む新型ワクチン」こと「ムコライス」について解説を試みました。問題は、これ自体に潜むmRNAワクチンと同様の危険性はもとより、コロナ・パンデミックを機に(ひょっとするとそれ以前から)日本人がかけられてしまった「ワクチンを打たないと病気になる」という洗脳です。そもそも製薬会社が“薬”よりも“ワクチン”の開発に積極的であるのはビジネス上の理由です。記事ではその点から、現代社会における医療の現実に迫るとともに、本来的に人間に備わっている免疫システムについても確認しています。

ところで、6月20日の「中身は言えない」ことを言っただけの日本テレビ社長会見。犯罪行為である「24時間テレビ」寄付金着服で会見を開かないところから、アリバイづくりの目的が明らか。都議選後の石丸伸二氏の会見で、ネット配信カメラをひたすら記者に向ける様子が話題になったものの、フジテレビも含めて取材者に批判的な反応を視聴者から引き出す狙いとして、やっていることは同じではないかと思われます。もちろん、メディア側が対抗策を持っていないことも問題です。

本誌発売日は参院選期間中。まともな論点が提示されるかが問題であるものの、この間、財務省のあり方を含めて「税」に注目が集まっているのは、悪い流れではないと思います。石破茂首相の「2万円選挙買収」は、受け取る人が自民党に投票すれば「買収」が成立する、という指摘があり、これが正解でしょう。

7月号で採り上げた「日本航空123便墜落」の真相究明を続ける青山透子氏インタビューには、“多方面”から大きな反響をいただきました。本誌記事は、参院選を前に青山氏や遺族の吉備素子さんへの言論妨害といえる佐藤正久・自民党参院議員の国会質疑に反論する形で、青山氏の活動の一側面を紹介したものです。7月4日発売の新刊『日航123便墜落事件 四十年の真実』(河出書房新社)が発売。本誌記事が同書を読むきっかけになれば幸いですし、青山氏の著作を読んだ方が、本誌を手に取るきっかけになれば幸いです。

さらに今月号では、5年前の7月18日に命を落とした俳優・三浦春馬の“不審死”について、究明活動を続けるファンの声を集めました。ほか、広島県の水を汚染する産廃処分場問題、米価格をさらに上昇させる“農薬”、そして権力の不正に大して“非開示”を許さない「情報公開制度」の“画期的判例”など、本誌でしか読めないレポートを多数お届けします。『紙の爆弾』は、全国書店で発売中ですので、ぜひご一読ください。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

『紙の爆弾』2025年 8・9月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2025年7月7日発売

「令和の米騒動」の正体 その裏で進む複数の危険事態 植草一秀
日本に野党はあるのか 自民党が権力を握り続けた「日本型民主主義」の真相 田中良昭
“投資の神様”ウォーレン・バフェットの光と闇 浜田和幸
攻撃開始後に政権支持率上昇 イスラエルが「イラン戦争」を始めた理由 広岡裕児
「ワクチンを打たないと病気になる」という洗脳 コメで作った新型ワクチン「ムコライス」とは何か 早見慶子
芸能・広告界の虚構の営業戦略「清純派女優」の終焉 片岡亮
民主主義国家における「秘密」とは何か「スパイ防止法」と憲法九条 足立昌勝
「横田空域」「米軍司令部移転」「PFAS」東京都の米軍基地問題を衝く 木村三浩
「行政の不法を隠す非開示は許されない」情報公開制度の壁を取り払う画期的判決 青木泰
5年を経ても抗議を続ける理由 三浦春馬“不審死”の真相究明活動 三川和成
三原本郷産廃処分場「産廃フリーパス」という広島県の惨状 さとうしゅういち
国内農業を守るためにすべきこと 米価格と農薬の語られざる関係 平宮康弘
ジャニーズ、スターダスト、そして松山千春「反省」しない芸能人と芸能プロ 本誌芸能取材班
亡国「自罠党」を葬り去るために 佐藤雅彦
シリーズ日本の冤罪 南馬込実母焼殺事件 片岡健
「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧から二十年 松岡利康

〈連載〉
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER Kダブシャイン
【最終回】「ニッポン崩壊」の近現代史 西本頑司

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FFMHLY49/