
9月になりました。
ここ甲子園では高校野球が終わると、暑さの中にも涼風が吹き、一気に秋に向かいます。時の経つのは速いもので、今年も3分の2が過ぎたことになります。
一昨年からずっと新型コロナと、これによって惹き起こされた経営上の打撃に苦しみながら過ごしてきました。私たちだけではありません。皆様方のうち多くの方々もそうでしょう。知人の中には店を閉じた人もいます。
もう秋桜(コスモス)が咲く季節かあ、今年も残り3分の1、木枯しの吹く季節が来るまでに、しっかり身支度したい。──
(松岡利康)


9月になりました。
ここ甲子園では高校野球が終わると、暑さの中にも涼風が吹き、一気に秋に向かいます。時の経つのは速いもので、今年も3分の2が過ぎたことになります。
一昨年からずっと新型コロナと、これによって惹き起こされた経営上の打撃に苦しみながら過ごしてきました。私たちだけではありません。皆様方のうち多くの方々もそうでしょう。知人の中には店を閉じた人もいます。
もう秋桜(コスモス)が咲く季節かあ、今年も残り3分の1、木枯しの吹く季節が来るまでに、しっかり身支度したい。──
(松岡利康)


人はよく困った時には、苦しみから、その情況やその場所から逃げたいと考えます。
ある意味で致し方のないところです。
「隣の芝生やよく見える」と言いますが、老境に差し掛かった私の経験から言っても、実際には、そうでもありません。
「今いる場所」が、たとえ地獄であっても、逃げずに踏ん張り続けよう──そこに「希望の灯をともす」。
龍一郎が当社のイベントで揮毫した「誠」という字を道場のシンボルとされている、伝説の空手家・中村誠先生は、今年のカレンダーはひときわ素晴らしいとおっしゃっておられました。私も同感です。
揮毫した龍一郎は、このかん毎年、ご母堂、学生時代から苦労を共にしてきた妻、そして師と仰ぐ中村哲医師の死と、相次いで不幸に見舞われてきました。
そこを乗り越えてきた龍一郎だからこそ言える言葉が今年のカレンダーには表現されています。
今私(たち)は、長引くコロナ禍を主たる要因として苦境に喘いでいることを隠しませんが、逃げずに「今いる場所で希望の灯をともす」ように頑張っていきたい、と思う酷暑の日々です。
(松岡利康)



今の私たちにはピッタリの言葉です。私たちは、おこがましい言い方をすれば、これまで幾度となく「壁」を破り、その都度その都度危機を乗り越えてきました。
17年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧でもそうでした。さすがにこの時ばかりは再起不能と誰もが思ったといいます。知人の一人が、裁判に関わる、とある弁護士に尋ねたら「残念ながら今回はダメでしょう」と冷たく答えられたそうです。実際私(たち)も再起できるできないを考えるいとまさえなく、ただ我武者羅に「きょうを精一杯生きよう」「前に進もう」という気持ちだけで頑張っていただけです。それしかできませんでしたので。
7月12日は、いわば「弾圧記念日」です。今でも17年前のこの日のことは忘れようにも忘れられません。この時の悔しさがバネとなって前に進み「壁」を破ることができ奇跡の再起を果たせたと今でも思っています。私らの一部を除いて、「もうアカンやろ」と誰もが思っていたところ、「壁を越えてゆく」ことができたのです。
そうして10数年が経ち、誰もが予期しなかった新型コロナ襲来──再び立ちはだかった「壁」。
しかし今回も私たちはなんとしてもこの「壁」を破り突き進んで行かねばなりません。
コロナが来なければ、急激な落ち込みもなかったでしょう。おそらく当初の予定通り私は後進に道を譲り経営の中心から外れていたでしょう。一気に奈落の底に突き落とされたことで、この「壁」を突破するため老骨に鞭を打ち打ち頑張らなければならなくなりました。私たちは必ずこの「壁」を突破する!
6月が終わり、本年も半分が過ぎたことになります。今夏も猛暑の気配です。この暑さに負けずお過ごしください。私たちが奮闘する様を見つめ側面から援護ください!
(松岡利康)



日々報じられるウクライナ危機とコロナ禍── とても笑顔でいられません。ひょっとしたら今年は時代の転換点かもしれません。かのべトナム戦争終結以後、これほどまでにワールドワイドな戦争とパンデミックがあったでしょうか?
それにしても、これを揮毫した書家・龍一郎はいつも笑顔でいます。3年前の秋、母校・同志社大学での講演会、早朝お母様が亡くなりながら、福岡から京都に駆けつけ、あたかも何もなかったかのようににこにこ笑いながら平然と講演と即興での揮毫をやり通しました。さすがにプロです。また、自身は一昨年大病に倒れ長く入院、さらに昨年には連れ合いを亡くしながらも、このカレンダーを製作してくれました。その間には、師ともいうべき中村哲氏の不慮の死に遭っています。こうした中でも、彼が笑顔を絶やさないのはなぜなのか?
龍一郎は人間が出来ています。私など齢七十を過ぎても未熟で、現在の情況を見て、到底にこにこ笑ってはおれません。核の使用を含む世界戦争の危機にたじろぎ、コロナには直撃されのたうちまわっています。どっちが先輩でどっちが後輩かわかりません。
龍一郎の笑顔の源は赴任したばかりの小学校で起きた「ゲルニカ事件」ではなかったか──「ゲルニカ事件」については、ここで説明するには長くなりますので、皆様方にはお調べいただくとして、この事件で彼は、全国津々浦々からの教師や父兄らの支援を受け、全国を講演行脚しみずからの想いと主張を訴えてまわりました。そして夜遅くまでの弁護団会議、敗訴、定年を遙かに前にした教職退職……波乱の人生でした。彼は別のところで「人生に無駄なものなどなにひとつない」と揮毫しています。魂の書家・龍一郎の笑顔の源はここにあるのではないか、と思っています。
(松岡利康)


5月になりました──。
今年も早3分の1が過ぎたことになります。
本来5月は1年で一番過ごしやすい月ですが、今年は、新型コロナは相変わらず留まっていて、これだけでも大変なのに、ロシアがウクライナ侵略戦争を始め、泥沼化の様相を呈しています。
この煽りで、早速円安になり、物価も上がり続け、そのうちさらに不景気となることでしょう。ただでさえコロナ不景気で苦労しているのに、本当に絶望的になります。
しかし、それでも私たちは創意工夫し支え合い生き続けなければなりません。
閉じ篭ってばかりいても暗くなるばかり、「やわらかい五月の風を胸いっぱいすいこんで背のびをして」気分転換し心機一転、前を見て歩み続けましょう!
5月3日 朝日新聞阪神支局銃撃事件35年(1997年)
*同支局は鹿砦社と同じ西宮に在ります。甲山事件、グリコ・森永事件と共に私にとってこれからも探究すべく三大事件です。
5月15日 沖縄「返還」(併合)50年(1972年)
あっというまでしたが、記憶の糸を辿りながら、その意味を考えましょう!
(松岡利康)


コロナ禍が続く中、新年度4月になりました。
新たなスタートの月です。
本来なら明るく行きたいところですが、国内ではコロナ禍が続き、国際的にはロシアがウクライナを侵略(侵攻ではなく侵略だ)し、ウクライナの必死の抵抗で長期化し停戦の見込みも立っていません。かつてのスターリニズムが生きていたことを実感させます。戦争は対岸の火事ではなく、明日は我が身、強い危機感があります。
国内外で混迷を極める中で、私たちはどう歩んでいったらいいのでしょうか。
そう、今月の言葉にあるように、「ゆっくりでいい 一歩一歩大地を踏みしめて」歩んでいくしかありません。
(松岡利康)


3月になりました。今年もあっというまに2ヵ月が過ぎました。新型コロナ第6波急拡大と、例年にない厳寒の中で気づいたら、もう3月――。
「冬の寒さに耐えて生きていたんだね」
コロナ禍で、多くの方々が、それまでの生活のペースが狂いました。みな「冬の寒さに耐えて」います。かく言う私(たち)も例外ではありません。昨年の今頃と現在とでは見える風景が全く違っています。それでも、まさに「冬の寒さに耐えて生きて」きました。
しかし、春は一歩一歩確実に近づいています。もうすぐコートを脱げる時がやって来るでしょう。
(松岡利康)


本年2月1日は、このかん本通信やFacebookなどで何度も申し述べているように、私にとっては特別なメモリアル・デーです。
二十歳の学生時代、学費値上げに抗して身を挺し闘い逮捕されてからちょうど50年が経ちました。
1972年2月1日、酷寒の京都、私たちが通う大学の学費値上げに対し、強い徹底抗戦の意志を持った同志社の学友のみならず全京都から連帯して駆けつけた学友と共に闘いました。
あれから50年──私は私なりに一所懸命に生きてきたつもりです。
決して清廉潔白ではなかったかもしれませんが、清濁併せ精一杯生きてきました。なんら恥じることはありません。
精一杯頑張っていれば、必ず浮かぶ背もあり助け舟もあることを実感しています。
いちいち挙げませんが、けっこう浮き沈みのある人生でした。
陽の当たる時ばかりではありませんでしたが、大丈夫、なるようになる!
この2年余りのコロナ禍で、私たちは心が折れる日々が続きますが、大丈夫、大丈夫、共に励まし合い進んで行きましょう!
(松岡利康)


2022年を迎えました。
新たな年、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
コロナ禍が2年も続き、社会は疲弊しています。
1年ならまだしも2年となると私たちの会社も大きな影響を受けました。
昨年、とりわけ後半は大変でしたが、皆様方のご支援により、なんとか年を越せました。
本年、まだコロナの動向は不透明ですが、コロナなどに負けず、この困難を越えてゆかねばなりません。
「少しだけ前へ ちょっとだけ前へ」。
本年も、魂の書家・龍一郎の言葉と力強い筆致に力をもらい頑張っていきましょう!
昨年は私たちもコロナに負けそうになり少しへたりましたが、本年は心機一転、反転攻勢に打って出ます!
旧に倍するご支援をお願いいたします!(松岡利康)


2021年のカレンダーも最後の1枚になりました。
本当に1年経つのは速いものですね。
今年は当社もコロナの影響をもろに受けました。
顕在化しなかっただけで、危機は昨年から水面下で進行していたようです。そりゃそうでしょう、コロナが何波も襲来し、そのたびに書店さんがクローズを余儀なくされ売上ゼロになった月もあったりで、のちのち出版社に逆流することは判り切ったことです。
出版は取次会社の精算が遅いので、気づくのも遅れてしまいました。
昨年はまだなんとか売上微減でしたが、今年は急激に落ち込み青息吐息です。
しかし、私たちはこれまで何度も危機を乗り越えてきましたので、ここはなんとしても乗り越える決意です。
11月29日に『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』を発行いたしました。
1971年は、私がちょうど19歳から20歳になる頃で、一所懸命に闘った年でした。50年前の出来事、そうして、なにがしかの〈縁〉があって出会った人たち、別れた人たち……出会いと別れを繰り返しつつ齢を重ねてきました。走馬灯のように過ぎります。
この本には、そうした思い入れもあって目の疾患で難儀しつつも(ゲラを拡大コピーしたり、さらにルーペを使ったりして)多くの方々の寄稿と協力を得て心血を注ぎました。
ちょっとスケジュールをゆったりめに取って編集に当たりました。特に詳細に記された年表には苦労しましたが、こういう仕事も残しておくこともけっして無意味ではないでしょう。
1971年は地味な年で、あまり論じられることもありませんが、政治、文化、多くの面で転換期にありました。
政治的には、「返還」前の沖縄問題、開港前の三里塚問題を中心に、今とは比較にならないほど、まだ抵抗運動は続いていました。しかし、それも翌年早々起きた連合赤軍事件が私たちを絶望のどん底に落としました。
文化面では、そのインパクトでこの通信でも悪評でしたが、映画が、カラーテレビの登場等で斜陽を迎えます。
これを東映、日活はポルノ路線で乗り切りました。これには驚きましたが、経営陣の、この判断は、多くの批判が浴びせられながらも、生き延びるために賢明だったと思います。一方、ポルノ路線に乗らなかった大映は倒産してしまいました。
この問題を板坂剛さんと高部務さんが採り上げました。
板坂さんは日大全共闘(芸闘委)、高部さんも一時赤軍派で活動されていて、けっして軟派な方ではなく、むしろ硬派な方です。
詰まるところ、エロも革命も〈等価〉で、同じ位相で見ないといけないということでしょう。
◎「鹿砦社カレンダー2022」が完成いたしました! 12月7日発売の『紙の爆弾』1月号、同11日発売の『NO NUKES voice』30号の定期購読の方々に雑誌と一緒に発送いたします。好評で毎年不足しますので、今年は1700部(昨年は1500部、10年前に開始した時は1000部)と少し増やしました。それでもギリギリかと思います。これを機会に両誌の定期購読をお願いいたします!(松岡利康)