『季節』2023年春号 刊行にあたって 季節編集委員会

制御力を失った電車は、軌道があっても止まることを知らず線路が果てるまであるいは、停車中の車両や車止めにぶつかるまで暴走します。しかし、電車の暴走事故は軌道から離れた環境にはさして大きな損害を与えません。

他方、軌道上の走行や移動を想定していない交通手段の故障は、予想できない範囲に及びます。航空機が操縦不能に陥ると、いかなる角度に向かって飛んでゆくか想定は困難です。墜落の局面でもどこに堕ちるのか不明ですし、見方を変えればどこが「墜落被害」を被るのかも想定できません。

それでも「墜落被害」は多くの場合、一国を滅ぼすような甚大なものではなく地域に限られるでしょう。「電車の制御力不能」や「航空機の操縦不能」は操縦者や乗客さらには追突される電車や墜落地で巻き添えを食らう人々に、甚大な恐怖感と生命の危機を強いる点で共通項を見出すことができますが、わたしたちの暮らす実時間、2023年春はそれらの被害や恐怖をはるかに凌駕する、軌道も操縦も失った大暴走の時代だと言わねばなりません。

愚劣な政治家(不幸にも現時点で総理大臣)岸田文雄は、選挙や国会での審議なしに原発運転の期間を60年以上に延ばすことを勝手に決めました。この国ではいつから「閣議決定」さえあれば、従前の法律や憲法の解釈変更が可能になったのでしょうか。日本は法治国家などではなく、明らかな「無法地帯」以外のなにものでもない、この残念な現実を岸田はさらに強力に証明することに血道を上げているようです。

原発の60年超え運転だけで満足せず、原発の新増設や新型原発の開発まで、真顔で語り始めています。危険で非効率極まりなく実現可能性のない戯言を堂々の宣うことにより、岸田は狂気時代の先頭走者として「破滅が必定」な地へ向け暴走を続けています。岸田並びにそれに与する議論には、なんの科学意的根拠、論理性、倫理性そしてあえて付言すれば経済性の欠片もありません。究極的とも言える「暴論の暴走」です。

本誌は岸田が繰り広げる暴論とは真逆の地に立っています。岸田の虚言と正反対の地平に真実があることを本誌(われわれ)は知っているだけではなく経験しました。冷静な判断能力の持ち主にとって原発は「必ず事故を起こす。事故が起きれば制御できない」構造物であることは明白です。原発はいったん事故が起きれば「軌道」がなく、人間が制御できるものではないことを、この国に住むひとびとは僅か12年前に福島で経験したではないですか。78年前には兵器(原爆)として広島と長崎で凄惨極まる被害を受けたではないですか。その広島の地が生み出した政治家、岸田により原発・原爆被害の事実と歴史が見事に踏みつぶされています。

季節は移ろいますが本誌は反原発・反核兵器から絶対に、1ミリも後退しません。岸田に象徴される反理性を、思想と事実において撃滅せしめる地平を切り拓こうではありませんか。

3月10日発売 『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)福島第一原発事故 12年後の想い


〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
季節 2023年春号
NO NUKES voice改題 通巻35号 紙の爆弾 2023年4月増刊

《グラビア》福島発〈脱原発〉12年の軌跡(写真=黒田節子
      東海村の脱原発巨大看板(写真=鈴木博喜

樋口英明(元裁判官)
《コラム》原発回帰と安保政策の転換について

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
《コラム》戦争は静かに日常生活に入って来る
《講演》放射能汚染水はなぜ流してはならないか

乾喜美子(経産省前テントひろば/汚染水海洋放出に反対する市民の会)
《アピール》放射能汚染水反対のハガキ作戦やっています

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
《講演》懲りない原子力ムラが復活してきた
日本の原子力開発50年と福島原発事故を振り返りながら

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福島第一原発事故 12年後の想い
森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream[サンドリ]代表)
あなたは「原発被害」を本当に知っていますか
黒田節子(原発いらね!ふくしま女と仲間たち)
フクシマは先が見えない
伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
何を取り戻すことが「復興」になるのか
今野寿美雄(「子ども脱被ばく裁判」原告代表)
呆れ果てても諦めない
佐藤八郎(飯舘村議、福島県生活と健康を守る会連合会会長、生業訴訟原告団)
私たちが何をしたというのか
佐藤みつ子(飯舘村老人クラブ副会長、生業訴訟原告団)
悔しさだけが残ります
門馬好春(30年中間貯蔵施設地権者会会長)
中間貯蔵施設をどうするか
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鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
区域外避難者はいま

水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
裏切られた2つの判決
福島原発刑事裁判と子ども脱被ばく裁判

漆原牧久(「脱被ばく実現ネット」ボランティア)
病気になったのが、自分でよかった
311子ども甲状腺がん裁判第3回・第4回口頭弁論期日報告

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
「原発政策大転換」の本命 60年超えの運転延長は認められない

井筒和幸(映画監督)×板坂 剛(作家/舞踏家)
《対談》戦後日本の大衆心理[前編]

佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
反社はゲンパツに手を出すな!

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
突然のごとき政治的変更を目前にして

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈19〉
2023年に生きる私が、死について考える

再稼働阻止全国ネットワーク
原発の再稼働と再稼働の全力推進に怒る! 岸田内閣に大反撃を!
「規制をやめた」規制委員会に怒り! 山中委員長と片山長官は辞任せよ!

《全国》永野勇(再稼働阻止全国ネットワーク)
総攻撃には総力を結集して反撃を!
「福島を忘れない!原発政策の大転換を許すな!全国一斉行動」の成功を!
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
岸田政権による原発推進政策に抗し、女川原発2号機の2024年再稼働阻止を!
《福島》橋本あき(福島県郡山市在住)
「環境汚染」から「裁判汚染」まで 多岐にわたる汚染
《東海第二》志田文広(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
東海第二原発差止訴訟・控訴審決起集会に参加して
《東海第二》柳田 真(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
東京に一番近い原発=東海第二原発 2024年9月の再稼働を止めるぞ!
《東京》平井由美子(新宿御苑への放射能汚染土持ち込みに反対する会)
環境省が新宿御苑へ放射能汚染土を持ち込もうとしている!
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
原発推進に暴走する岸田政権、追従する大阪地裁 行きつく先は原発過酷事故
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
再稼働推進委員会が経産省と癒着、「規制の虜」糾弾
《反原発自治》けしば誠一(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
岸田政権の原発推進大転換を許すな!
5月27日反原発自治体議員・市民連盟第13回定期総会へ
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
『また「沖縄が戦場になる」って本当ですか?』ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 編
 
反原発川柳(乱鬼龍選)


「よって原発の運転は許されない」……(龍一郎揮毫)
私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

『紙の爆弾』2023年4月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

岸田文雄首相は同性婚について、「全国民にとって、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と否定。日本会議や旧統一教会との価値観の共有を明らかにしたのち、差別発言の秘書官を即日更迭した2日後には、“極右の女神”こと櫻井よしこ氏と3時間の会食。そのうえで「LGBT理解増進法」に向けて具体的な動きを始めました。

 
3月7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年4月号

こうしたわかりやすさの中でも、マスコミの援護射撃もあるのでしょう。4月の統一地方選は、自民党と旧統一教会の癒着をはじめとした「政治と宗教」がメインテーマであるはずが、はぐらかされ続けているように見えます。周知の通り、“統一教会応援議員”が最も多いのは自民党・安倍派で、そのほとんどが安保3文書や原発回帰に賛成。そうした議員を落とすことが、反差別・反軍拡・反原発を実現していく一手につながります。

4月号では、「全国有志医師の会」代表の藤沢明徳医師にインタビューしました。「全国有志医師の会」は、新型コロナウイルス感染症への対策の見直し、ワクチン接種事業の中止を求め、昨年2月に立ち上げられた医師・医療従事者の団体です。藤沢医師は「新型コロナワクチンは、ワクチンではない」と指摘。その“正体”と、ワクチン後遺症の医療的な対応についても、臨床医の立場から語っていただきました。「全国有志医師の会」ホームページ(https://vmed.jp/)では、ワクチン後遺症に対応する病院のほか、受診の流れや相談窓口などについても紹介されています。ご覧になることをおすすめします。

そのコロナワクチン接種拡大を牽引、現在はデジタル大臣としてマイナンバーカードの普及にいそしむ河野太郎氏について採り上げた3月号は、おかげさまで大きな反響をいただきました。“デマ太郎”“ブロック太郎”と呼ばれる河野氏は、現在さらに「コオロギ太郎」という新たなキャッチフレーズを与えられ、Twitterでトレンド入りしているようです。突如としてブームのように扱われている「昆虫食」。その背景としての「食料危機」を含め、本誌でもレポートの準備を進めています。

警察庁が公表した2022年の犯罪情勢まとめ(暫定値)によると、刑法犯の認知件数は前年比5.9%増。20年ぶりに前年を上回りました。報道では外出自粛の緩和が影響したというものの、「ルフィ」のような闇バイトも要因と推測しています。集められるのは若者に限らないようですが、背景にあるのは貧困よりも将来への絶望。自分の将来をイメージできないことが、リスクに見合わない犯罪に手を染めることにつながるのではと思われます。その代わりに政府が投資・運用を勧めるのは、また「自助」で、政治の責任を投げ出したということなのでしょう。

さらに4月号では、三浦瑠麗氏や竹中平蔵氏、デービッド・アトキンソン氏らの主張と手法を読み解きつつ、「レントシーカー」とはいかなる存在かを分析。また統一地方選に向け、地方議会における公明党の“疑惑”に迫りました。ほか、4月号も盛りだくさんの内容をお届けします。『紙の爆弾』は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

3月7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年4月号

『紙の爆弾』2023年3月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

今月号では、私たちの個人情報に関する問題をテーマのひとつに置きました。マイナンバーカードは「令和4年度末までに、ほぼ全国民に行き渡ることを目指す」と閣議決定(2021年6月)されています。国民の利便性を高めるためならば、取得したい人が取得すればいいのであり、この目標自体に、政府の側にメリットがあることが見えてきます。国家が国民の個人情報を一元化し、独占すること。その先にあるのが「超監視社会」ですが、それがどのようなものなのかに、私たちの想像力が試されているようです。

 
本日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年3月号

これまで連続して本誌で採り上げてきたコロナワクチン薬害の問題は、昨年暮れごろから週刊誌でも次々と報じられるようになっています。接種開始から日を追うごとに被害者が増加するなか当然ともいえますが、時期を同じくして、テレビではファイザー社のCMがバンバンと流されています。本誌今月号では初代ワクチン担当大臣として日本国内の接種拡大を牽引、その手腕をマイナンバーカード普及に活かすことを期待されて、現在はデジタル大臣を務める河野太郎氏の手法に注目しました。

「安保3文書」改訂をめぐる問題も、このところ本誌で重点的に論じてきたひとつです。東京新聞が情報開示した防衛省内の検討過程の議事録は黒塗り。それでも、その内容は、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えた程度の生易しいものではなく、自衛隊が他国の領土内を攻撃できるということ。そのための体制づくりが今、猛スピードで進められています。これについて、岸田政権は安倍政権よりひどい、という言い方が聞かれますが、安倍政権の解釈改憲が、いまの流れの前提にあります。まさに「戦争法」だったわけで、私たちはその先を考える必要があります。

その自衛隊では人材確保がかねてからの課題とされており、アニメ作品とコラボしたポスターを制作するなどして、隊員募集に勤しんできました。その際には災害支援が前面に押し出されてきましたが、米軍の下請けとして海外の戦地へ派遣される機会が増加するのは確実です。そんな自衛隊の隊員募集においてもっとも重要なのが、募集対象者の個人情報を集めること。今月号では福岡市民の若者の個人情報が、実質的に無断で自衛隊に提供されている事実をレポートしました。マイナンバー制度においても、銀行口座等の紐づけは、個別に意志を確認することなく行なわれる方針とされています。マイナンバーカードの普及では、税金を原資としたポイント還元で国民を釣る手法が成功を収めているようですが、私たちは警戒し、拒否の意思を示していかなければなりません。

広島拘置所から本誌で連載してきた上田美由紀さんが、1月14日に亡くなりました。死因について「誤嚥による窒息」と発表されているものの、拘置所内の体制に不備がなかったか、厳密な調査が行なわれるべきでしょう。今月号では刑務所・留置場等で相次ぐ死亡事件について、検証を行なっています。いわゆる「ルフィ」事件でフィリピンの刑務所が「悪人の楽園」などと流布されていますが、一方で日本の刑事施設が収容者の人権をどのように扱っているかも、この機会にこそ問われるべきだと考えています。「紙の爆弾」は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

「紙の爆弾」編集長 中川志大

本日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年3月号

混迷の時代の思想家・鈴木邦男氏を悼む デジタル鹿砦社通信編集部

鈴木邦男さんが11日亡くなったとの報に27日接した。鹿砦社と鈴木さんは80年代から交流があり、出版点数からすれば、鈴木さんの書籍をもっとも数多く世に出したのは鹿砦社であろう。思想・プロレス・時事問題など広い分野で、忌憚のない手書き原稿を送って頂き、活字にした日々が懐かしく思い出される。

鈴木さんはその後活動範囲を広げ、言論界では、押しも押されぬ著名人としてテレビでも幅広い活動をされたのはご承知の通りである。21世紀に入ったからは、本社の在るに西宮市で『鈴木邦男ゼミ』を開催し、数々の著名人と対談していただいた。ここ数年は体調を崩しておられると伺ってはいたものの、鹿砦社が関わった大学院生リンチ事件(いわゆる「しばき隊リンチ事件」)への対応をめぐり、両者が微妙な関係に陥っていたこともこの際告白しよう。

しかし、「暴力ではなく言論で活動できることを教えてくれたのが鹿砦社だ」(複数回同様の表現あり)と評して頂いた我々は、鈴木さんご逝去の報に接し、虚心坦懐にご冥福をお祈りする。

鈴木さんありがとうございました。

在りし日の鈴木さんが元気に表現された書籍が少数ながら残っている。この際鈴木さんかつての書籍をご存知ない皆様に鹿砦社出版の書籍をご紹介し追悼の意としたい。

以下が、鹿砦社が出版してきた鈴木邦男氏の著作である(著者表記のないものは単著)。他にもあるが品切れとなっているものは省いた。

在庫のあるものは鹿砦社での直接購入(ホームページ またはメール sales@rokusaisha.com)、全国書店、ネット書店等で購入可能です。

『慨世の遠吠え 強い国になりたい症候群』(内田樹×鈴木邦男対論)1,540円(税込)2015年3月

『慨世の遠吠え 2 呪いの時代を越えて』(内田樹×鈴木邦男対論)1,430円(税込)2017年2月

『終わらないオウム』(上祐史浩・鈴木邦男・徐裕行。田原総一朗改題)1,650円(税込)2013年6月

『右であれ左であれ 鈴木邦男対談集』(重信末夫〔重信房子父〕、松崎明、青木哲、猪瀬直樹、井上章一らとの対談を収録)1,760円(税込)1999年9月

『生きた思想を求めて 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.1〉』(2012年)、『思想の混迷、混迷の時代に 鈴木邦男ゼミ in 西宮 報告集〈Vol.2〉』(2013年)、『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.3〉』(2014年)

『生きた思想を求めて 鈴木邦男ゼミin西宮報告集 Vol.1』(対論=飛松五男、水谷洋一、浅野健一、Paix2〔ぺぺ〕、野田正彰、山田悦子)1,026円(税込)2012年3月

『思想の混迷、混迷の時代に 鈴木邦男ゼミin西宮報告集 Vol.2』(対論=本山美彦、寺脇研、北村肇、重信メイ、田原総一朗、池田香代子)1,320円(税込)2013年2月

『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉 鈴木邦男ゼミin西宮報告集 Vol.3』(上祐史浩、神田香織、湯浅誠、前田日明、青木理、内田樹)1,540円(税込)2014年1月

『【復刻新版】闘う日本語 愛と革命の読書道 鈴木邦男コレクション1』1,650円(税込)1999年9月

『【復刻新版】宗教なんてこわくない 上手な付き合い方 鈴木邦男コレクション2』(鈴木邦男・編著 島田裕巳・ひろさちや/対談)1,320円(税込)1999年9月

『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』(1987年)、『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』(1988年)、『赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相』(1990年)

『【復刻新版】赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相 鈴木邦男コレクション3』(鈴木邦男・編著 伊波新之助〔朝日新聞編集委員〕対談)1,320円(税込)1999年9月

『【復刻新版】闘うことの意味 プロレス、格闘技、そして人生 鈴木邦男コレクション4』(鈴木邦男・編著 佐山サトルほか対談)1,320円(税込)1999年9月

『がんばれ!! 新左翼 「わが敵わが友」過激派再起へのエール』(〈初版〉1989年、〈復刻新版〉1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part2 激闘篇』(1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part3 望郷篇』(2000年)

『【復刻新版】がんばれ!!新左翼 「わが敵・わが友」過激派再起へのエール』1,650円(税込)1999年8月

『がんばれ!!新左翼 Part2 激闘篇』1,760円(税込)1999年8月

『がんばれ!!新左翼 Part3 望郷篇』1,650円(税込)2000年5月

『UWF革命 シューティングの彼方に』1,078円(税込)1988年8月

『格闘プロレスの探究』1,100円(税込)1989年1月

『夢の格闘技・プロレス』1,100円(税込)1989年10月

『プロレス・シュート・格闘技 よみがえれ!!過激伝説』1,078円(税込)1988年3月

なお、いずれも残部は少数で出版時期の古いものには、若干の汚れがあるものもございます。ご注文時に品切れになっていればご了承ください。

鈴木邦男さんと松岡利康鹿砦社代表

【松岡より補足】

以上は「デジタル鹿砦社通信」編集部の見解で私松岡の見解とはいささか異にします。私は1980年代はじめから鈴木さんと長い付き合いがあり、相互の信頼関係から上記されたように多数の書籍を刊行しました。思い返せば、実に多くの多種多様な本を出したものだと、あらためて思いました。

知り合ったのは1980年代はじめ、装幀家の府川充男さんの紹介で、まだ「統一戦線義勇軍」事件の前でした。府川さんとも組み、著者・鈴木、編集/出版・松岡、装幀・府川の3人で刊行した本も少なくありません。鈴木さんが創設した一水会の機関紙『レコンキスタ』の縮刷版(1巻=1号~100号、2巻=101号~200号)まで出版しました。このことによって、私のホームグラウンド・兵庫県西宮市で起きた朝日新聞襲撃事件について関係を疑われました。それにもかかわらず、長年多くの書籍を出し続けました。

ちなみに、当時大阪朝日社会部記者で、72年の早稲田大学で起きた、革マル派による「川口君虐殺事件」で抗議の声を挙げ、朝日退職後その件について『彼は早稲田で死んだ』を刊行した樋田毅氏も取材に来られています。樋田氏にとっては、この2つの事件における暴力の問題は深刻だったものと思われます。

しかし、「大学院生集団リンチ事件」(しばき隊リンチ事件)に対するスタンスで義絶せざるをえませんでした。鈴木さんは、配下の見澤知廉(故人)の「統一戦線義勇軍」によるリンチ殺人・死体遺棄事件を経験していながら、これを教訓化せず日和見主義的態度を取り、むしろしばき隊寄りの態度を取られました。昵懇の辛淑玉らとの関係に配慮されてのことだろうと推察します。統一戦線義勇軍事件を体験され運動内部の暴力について身を切るような経験をされた鈴木さん(鈴木さんが激しい行動右翼から言論戦にコペルニクス的転換を遂げたのは、この事件が契機となっていると私なりに考えている)にこそ問題解決に協力してほしかった。こうした時のために、長年共に思想を研鑽し一緒に数多くの本を作って来たのではなかったのか──。上に挙げた本の数々を見ていただきたい、鈴木さんや私たちの思想的営為の雰囲気が感じられるでしょう。

そうしたことにより、私たちがみずからの全思想を懸け会社の業績にも影響することも厭わず全力で取り組んでいた大学院生リンチ事件の問題にケリがつくまで義絶せざるをえませんでした。バカはバカなりに、私にとっては断腸の想いでした。もう6~7年になります。関係修復を勧める方もおられましたが、やはり私には、大学院生リンチ事件の問題に決着がつくまでは、とてもその気にはなりませんでした。複数の裁判も昨年末まで続き一応終結しました。リンチ事件問題に一定の決着がつけば、いずれはきちんと話し合わなければ、と思っていましたが、柔道などの格闘技をやり酒・たばこもほとんど飲まず健康には人一倍気をつけておられた鈴木さんがこんなにも早く逝かれるとは……。今はただご冥福をお祈りするしかありません。

昨年12月には、元読売新聞記者で学生時代に暴力を受けた体験もあって「大学院生リンチ事件」への私たちの取り組みを理解された山口正紀さんも亡くなられました。鈴木さんと共に私に長年影響を与えたお2人が相次いで亡くなられショックで、興奮と虚脱状態です。その前には、岡留安則さんや北村肇さんらも亡くならています。私もそろそろ……と思わないでもありませんが、もう一仕事、二仕事をやり抜かないと死ぬに死ねません。

鈴木さんに対する私の見解は,後日明らかにいたします。合掌

*鈴木さんとの義絶については、「デジタル鹿砦社通信」2017年6月27日号「【公開書簡】鈴木邦男さんへの手紙」、これに加筆した「リンチ事件に日和見主義的態度をとる鈴木邦男氏と義絶」(『カウンターと暴力の病理』所収)を参照してください。

鹿砦社=鈴木邦男の本
http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=suzuki

《追悼》真のジャーナリスト・山口正紀さんを悼む 田所敏夫

記憶力が悪いと自覚しながらも、人との出会いのきっかけや出来事はほとんど記憶しているのに、なぜか山口正紀さんと最初にお会いしたのが、いつ、どこでなのかを思い出すことが出来ない。身勝手な立場から想像すれば、それほど自然な成り行きの中で、いつしか親しくしていただき、お付き合いの度合いが深まっていたということであろうか。

フリージャーナリストで元読売新聞記者、山口正紀さんが逝去されたとの報にふれた。2022年12月7日にお亡くなりになったと伺った。

山口正紀(やまぐち まさのり)さん。1949年大阪府堺市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業。1973年読売新聞に入社し、2003年12月末に退社。以後、フリージャーナリストとして活動。2022年12月7日逝去。

山口正紀さんのお名前は、一定程度ジャーナリズムの世界に足を踏み込んだ者、あるいは日本の報道界の悪癖「顕名報道」や「記者クラブ」、「冤罪に便乗する報道界の醜態」を知るものにとっては、いわば常識的に知られている。読売新聞記者として通常の記者同様「サツ廻り」から出発したものの、事件報道やマスコミのあり方、果ては日本社会の在り方の根本にまで問題意識を広げ、そしてそのように発言した結果、山口さんは読売新聞で記事を書くことができなくなり、不本意にも定年前に退職された。しかし、その判断はむしろ僥倖であったともいえる。会社の縛りがなくなった山口さんは、冤罪、壊憲(この言葉は山口さんが作り上げた造語である)、折々の日本の右傾化や政府の暴走に、反論を許す余地なく緻密な論を構成し鋭い批判の矢を向け、同時に民事で争われる事件の多くについても裁判官や弁護士以上に細部にわたる事実分析や論評を多数行ってこられた。

冤罪被害者に寄り添い、現在進行形の不当な行政・司法の横暴にもできうる限りご自身が現場に出向き取材なさっていた。ジャーナリストとして「現場で取材する」ことは基本中の基本であるが、山口さんはご健康を崩しても、無理に無理を重ね、最後まで「不当」、「不正義」について緻密かつ正確に批判の筆鋒を向けられた。

数多く手がけられた事件の中で、結果的には最後の大事件として山口さんが結実させたのが「滋賀医科大病院問題」であろう。本通信でたびたび取り上げたが(http://www.rokusaisha.com/wp/?m=20180802)、病院の不正に怒った患者会の皆さんが、毎週滋賀医科大病院前で抗議のスタンディングを行い、2度にわたるデモ行進を草津市で敢行するに至ったのは、山口さんのアドバイスがあってのことである。

「滋賀医科大病院問題」は井戸謙一弁護士を弁護団長として滋賀地裁に2018年8月1日、4名の患者及びその遺族が、滋賀医科大附属病院泌尿器科の河内明宏科長(当時)と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件であるが、短期間でここまでの動きを牽引したのは社会活動豊富な山口さんと、たまたま滋賀医科大病院で追放の危機にあった、岡本圭生医師に前立腺がんの治療を受けた三国ケ丘高校時代の同級生、そして奇遇にもその後輩にあたる井戸謙一弁護士のチームワークが成立したからだ。

2018年8月1日、山口さんは既にステージⅣの肺がんに罹患していたが、ご自身に自覚症状はなかったし、周辺の我々誰一人として山口さんが重篤ながんに罹患しているなどとは思えなかった。

「滋賀医科大病院問題」は京都新聞の裏切りをはじめ、多くのマスコミが無視する中、MBSが鋭い視点で着目し1時間のドキュメンタリーとして放送するに至る。そしてフリージャーナリストの黒藪哲哉さんが『名医の追放』(緑風出版)を世に出し、静かながらも大きな波を引き起こした。

裁判闘争が幕を切って間もないころ、山口さんはご自身の体調変化に気が付き、診察を受けた先の病院で、肺がん罹患を知らされる。じつは同年の春に山口さんは健康診断を受診しており、肺のレントゲン撮影も受けていた。「健康診断では問題なかったのにどうしてですか」との山口さんの問いに医師は「健康診断のエックス線撮影ではがんが解らないこともあるのです」と答えたという。当該医師に責任はないが、健康診断を受けていながらそう長くも経っていない時期に重度の肺がんを宣告された理不尽を、山口さんは「じゃあ何のための健康診断なのかってね。いいたかったけど言いませんでした」と筆者には語っておられた。

そうなのだ。山口さんはよほどのことがあっても口調や文体を乱すことなく、つねに冷静な立脚点から他者や対象を観察し分析することが身についている、「紳士」でもあった。ご本人にとって絶対に承服しがたい理不尽や不当な扱いがあっても、自分の内側にしまい込み耐え忍ぶ。優しさの裏側には命を削ってしまった「忍従」の重さがあったのかもしれない。

山口さんの生涯にわたる業績や社会的なお仕事をこのコラム1本で紹介するのは到底不可能だ。筆者は山口さんが読売新聞の記者時代からの活躍を知っているが、ここでは、偉大な先輩が最後に命がけで取り組んだ「滋賀医科大病院問題」でのお姿を紹介するにとどめる。山口さんのお仕事を包括的にご紹介する資格や能力など筆者には備わっていないと自覚する故である。

2019年1月12日JR草津駅前を出発点にして250余名によるデモ行進がおこなわれた。この時期山口さんは嚥下(食べ物を飲み込む)に困難があり、体重も相当減ったご様子であったが、東京からわざわざ駆け付け、デモとその後の集会まですべてを取材なさった。既にご自身の病状については関係者に明かしておられたものの、旧知の仲である筆者としては文字通りジャーナリストとして「鬼気迫る」精神を感じさせられた。

山口さんはマスクを装着されているが2019年1月はコロナ禍の前だ。ご自身の呼吸が乾燥すると苦しいことと、インフルエンザの罹患を注意してマスクをされていた。
 
舗道から俯瞰したり、デモ隊の中に入って体感を取材する山口さん

「滋賀医科大小線源患者会」は発足から数か月で会員数が千人を超え、いわば社会現象化したのだが地元も大手もほとんどのメディアが報道しない。大手メディアでは朝日新聞(出河記者)と前述のMBSが取材報道しただけで、日頃静かな草津駅前で行われた、異例のデモ行進にはNHKすら取材に来なかった。

このような状態にご自身が重篤ながんを患っていらっしゃる山口さんの闘志は、逆に掻き立てられた。国会議員(議員会館)と厚労省に患者会のメンバーが陳情に出向いた際のことである。本来は取材者であるはずの山口さんが、紳士的な口調ながらも「患者の立場」からあまりにも行政の姿勢がおかしいのではないか、と理路整然とした発言を始められたのだ。

後に筆者に向けた私信で、山口さんは「横で聞いていて官僚のあまりにも表面をなぞっただけの回答に堪忍袋の緒が切れて、ついつい発言してしまいました」と回想なさっていた。

滋賀医科大病院前では、毎週患者会のメンバーにより「スタンディング」抗議が続けられていた。これは滋賀医科大が不当にも岡本医師を追放しようと画策していることに対して、同病院の関係者や患者さんたちにわかりやすい形で訴える方法として、山口さんが提案されたものでもある。「スタンディング」の現場にも山口さんは取材兼激励に訪れ、参加者に笑顔で声をかけておられた。

裁判期日の開廷前集会では「私もがん患者になってしまいました。皆さんは治療法があるけれども、私の場合はまだ見つかっていない。ある意味で羨ましいんですけど……。それとこれとは問題が違います」とご自分の健康状態を二の次にしても社会的不正を許さない言葉と、態度で原告をはじめとする患者会のメンバーを支援し続けておられた。

そして新聞記者であれば当然なのかもしれないが、山口さんは自分が発言しないときは、つねにノートにペンを走らせていた。会議でも山口さんに記録をお願いすると、2、3時間の議事録は会議が終わったころには完成している。というのが山口さんのジャーナリストとしての基礎だった。少々の喧噪でも録音に頼らず自分の耳と記録で記事を構成する。記者として当たり前のことかもしれないが、実行できる現役記者がどれくらいいるだろうか。

肺がんに罹患されて以来、治療方法や治療病院をめぐっても想像を絶する苦難と痛みに山口さんは見舞われた。全身麻酔で開腹手術をしている最中に麻酔が切れ「気を失いそうに痛かった」ことすらあったが、いつもメールの最後には「元気になってまた皆さんと楽しく食事できる日を」と読む者への配慮を忘れない優しさが添えられていた。

12月7日山口さんはご家族がお揃いの中、闘いを終えられた。

優しい山口さんに対して、彼が生きた最後の20年はあまりにも激烈で、冷酷な時代だった。そのことを常々彼と話していたが、山口さんは筆者と異なり、いつもユーモアや希望を持ち続けていた。

こんな時代だからこそ、豊かな人間性と鋭い批判精神、そして行動力が備わったひとは、筆者にとっては宝物だった。宝箱が空っぽになりそうで弱気になる筆者に、きっと山口さんは、「田所さん、僕は田所さんやみなさんだったら、きっとうまくやれると思います。敵の攻撃がどんなに厳しくても。みなさんの力を信じます」

そうお声をかけてくださるような気がする。優しい激励に応える自信はない、などと泣き言を言ってはいられない。

山口正紀さん、ありがとうございました。御恩は決して忘れません。微力ですが私も死ぬまで闘います。

追伸:山口さんには筆者だけではなく、鹿砦社も筆舌に尽くしがたいお世話になった。2005年に社長松岡が名誉毀損で逮捕勾留されて以来、公判を毎回傍聴してくださり、報告記事を『週刊金曜日』に掲載していただいた。また近年では、多くの人が関心を向けない中「大学院生リンチ事件」について鋭敏に反応頂き、重篤な体調の中、裁判所へ提出する重厚な意見書を書いていただいた。鹿砦社にとって、これ以上ない恩人である。社長松岡のショックは大きく、まとまった文章を書くにはいましばらく時間が必要なようなので、僭越ながらここでその旨を紹介させていただき、山口正紀さんへの深い感謝の意を表したい。


◎[参考動画]山口正紀・元読売新聞記者渾身のスタンダップトーク『山口敬之を記者と呼ばせない』(2019年12月24日 憲法寄席)

◎《レイバーネット不定期コラム》山口正紀の「言いたいことは山ほどある」
第18回(2022年1月17日)ジャーナリズムを放棄した「監視対象との癒着」宣言――『読売新聞』が大阪府(=維新)と「包括連携協定」締結

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

『季節』2022年冬号をお届けするにあたって 季節編集委員会

拝啓 師走に入りました。時の移ろいは速いものです。本年最後の『季節』をお届けいたします。平素から私たちの出版活動へのご支援有り難うございます。(特に昨年来の)皆様方のご支援によって、お蔭様で何とか生き延びてまいりました。にもかかわらず、いまだ苦境を脱し得ないまま年末を迎えました。私たちの非力をお詫び申し上げます。

■「鹿砦社カレンダー2023」をお届けいたします。まずは年末恒例の「鹿砦社カレンダー」(龍一郎揮毫)を同封せていただきました。「そんなに情況が厳しいのなら休止したら」「10年余りも発行し無料で配布してきたのだから休止しても誰も文句は言わないよ」等々と心配してアドバイスされた方もおられましたが、逆に厳しいからこそ私たちの<意志表示>として皆様にお届けしようと、松岡の大学の後輩で書家の龍一郎と相談し励まし合い完成に至りました。龍一郎は印刷所にも掛け合ってくれ1年分割(つまり次年発行まで)での支払いにもしていただきました。

さらに龍一郎は、ご母堂、お連れ合い、師と仰ぐ中村哲医師を相次いで亡くし、さらに自身も大病を患い、鹿砦社や本誌スタッフらとは違う意味で厳しい情況です。休止するのは簡単ですが、このカレンダーを待っておられる方や励まされている方も少なくありませんので、厳しい時こそ私たちの〈意志表示〉としてお届けさせていただきました。私たちからのお歳暮代わりの贈り物です。

■皆様のご支援に感謝と更なるご支援をお願いします。左団扇状態だったコロナ前とは天地雲泥の差がありますが、情況は正直厳しいです。昨年9月から毎回毎回ご支援をお願いして来、お蔭様で何とか生き延びてまいりました。本誌『季節』も親誌『紙の爆弾』と共に間を空けず定期発行できています。「たとえ便所紙を使ってでも出版する」とは私たちが出版の魔界に入ってから幾度となく公言してきた言葉ですが、今も変わりはありません。

本誌創刊から8年余りが経ちましたが、元々利益を出すことを目的として発行してきたわけではありません。他に反(脱)原発雑誌はありませんし、創刊から1年ほどでトントンとなることを目指しましたが、いまだに1号たりとも黒字になったことはございません。書店で販売していますので一応「商業誌」の部類ではあります。なので、他社でしたら即休(廃)刊でしょうが、芸能関係など他の分野の書籍・雑誌の利益で赤字部分を補填していこうと考えてきました。実際、コロナ前でしたら、これで優にやっていけましたし、できるだけ書店で目立つように創刊時発行部数2万部、実売が芳しくなく取次会社に委託配本部数を減らされ、歯止めを掛けるために余計な手数料を支払い1万部の委託配本を維持して来ました(が、背に腹は代えられず前号から半分以下にしました)。

どうか本誌124ページに記している方法で、皆様方のできる範囲で更なるご支援をお願い申し上げます。まずは1年間の定期購読、あるいは1年間『季節』と『紙の爆弾』をお届けする「ブロンズ会員」になってください。

さらに、いくつかの連携する団体への支援も行ってまいりましたが、これまで儲け頭だった分野が急速に売れなくなったことが、他団体支援どころか本誌発行さえ困難にしていますので、これは既に休止させていただいています。

今後は、書店販売は続けながらも、会員制、定期購読、直販を中心として独立採算を目指したいと考えています。

末筆ながら、コロナ第8波、予想される酷寒、ウクライナ戦争の泥沼化、物価高騰……今いい材料はありませんが、皆様方のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。良い新年をお迎えください。 敬具

2022年12月
季節編集委員会代表兼編集長 小島 卓
株式会社鹿砦社 代表取締役 松岡利康

12月11日発売 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

季節 2022年冬号
NO NUKES voice改題 通巻34号 紙の爆弾 2023年1月増刊

[グラビア]福島の記憶 2011-2022(写真=飛田晋秀

鈴木エイト(ジャーナリスト)
《インタビュー》大震災の被災地で統一協会は何をしていたか

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
人は忘れっぽい、でも忘れるべきでないこともある

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
マボロシが蘇ってきたような革新炉・次世代炉計画

菅 直人(元内閣総理大臣/衆議院議員)
時代に逆行する岸田政権の原発回帰政策

樋口英明(元裁判官)
《インタビュー》「原発をとめた裁判長」樋口さんが語る「私が原発をとめた理由」
《緊急寄稿》40年ルールの撤廃について

飛田晋秀(福島在住写真家)
《インタビュー》復興・帰還・汚染水 ── 福島の現実を伝える

広瀬 隆(作家)
《講演》二酸化炭素地球温暖化説は根拠のまったくないデマである〈後編〉

鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
《検証・福島県知事選》民主主義が全く機能していない内堀県政が続く理由

森松明希子
(原発賠償関西訴訟原告団代表/東日本大震災避難者の会Thanks&Dream[サンドリ]代表)

最高裁判決に対する抗議声明
司法の役割と主権者である私たちが目指す社会とは

伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
「原発事故避難」とは何なのか

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
経産省「電力ひっ迫」で原発推進のからくり

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
原発政策の転換という反動的動きを見て

漆原牧久(「脱被ばく実現ネット」ボランティア)
自分の将来、すべてが変わってしまった
311子ども甲状腺がん裁判第二回口頭弁論期日に参加して

板坂 剛(作家/舞踏家)
何故、今さら猪木追悼なのか?

松岡利康(鹿砦社代表/本誌発行人)
いまこそ、反戦歌を!

細谷修平(メディア研究者)
シュウくんの反核・反戦映画日誌〈3〉
映画的実験としての反戦 『海辺の映画館―キネマの玉手箱』を観る

佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
「辞世怠(じせだい)」原子炉ブームの懲りない台頭

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈18〉
文明世紀末から展望する~新たなユートビアは構築可能か~

再稼働阻止全国ネットワーク
「原発の最大限の活用と再稼働の全力推進」に奔走する岸田政権に反撃する!
《北海道》佐藤英行(後志・原発とエネルギーを考える会 事務局長)
《東海第二》横田朔子(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《新潟》小木曾茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発廃炉を求める「命のネットワーク」有志)
《浜岡原発》沖 基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
《川内原発》向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

反原発川柳(乱鬼龍選)

月刊『紙の爆弾』1月号、本日12月7日発売です! 鹿砦社代表 松岡利康

本日12月7日は通勤途中、昼休み、帰途に書店に立ち寄り『紙の爆弾』を買おう! 
気に入ったら定期購読を!

長引く新型コロナ禍を主要因とする急激な経営悪化により、一時は休刊やむなしか、と思われた『紙の爆弾』ですが、読者の皆様方の圧倒的なご支援により、間を空けず発行を継続しています。ある読者夫妻からの投書を引用させていただきます。──

妻に「紙爆」の鹿砦社がつぶれそうだョ」と言ったら、「私も寄付する!」と言って、3万円を差し出してきました。私が読んでいる雑誌に妻は全く無関心だと思っていましたが、ちゃんと分かっていたのですね。妻は「こういう出版社が世の中から消えてはいけないんだョ」と言っており、私は嬉しさがこみ上げてきて、涙を押さえることができませんでした。貴社もお忙しいとは存じますが、こうした人の心情を理解していただけたら幸いです。

言葉がありません。同種の声があちこちから届きました。創刊直後の弾圧に屈せず17年余り続いてきている『紙爆』も、8年続いている、唯一の反原発雑誌『季節』も、そして50年余りに渡って続けてきた鹿砦社も絶対に潰さず次世代に引き継ぐことを、あらためて決意いたしました。

*例年のように、定期購読者、会員の皆様には、龍一郎揮毫の「鹿砦社カレンダー2023」を同封・贈呈させていただきました。まだ定期購読されていない方は今からでも間に合います!

(松岡利康)

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
月刊『紙の爆弾』2023年1月号 目次

釜ヶ崎で亡くなった医師・さっちゃん先生と共に生きる ── 11月13日(日)大阪で追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』開催 尾崎美代子

11月13日(日曜日)、釜ケ崎で野宿者支援活動なども精力的に関わる医師であった矢島祥子(さちこ)さんの追悼集会があります。祥子さんは、2009年11月13日、勤務先のクリニックから行方不明となり、2日後、木津川で水死遺体で発見されました。当初自殺といわれましたが、医師である両親が祥子さんの遺体に複数の傷があることから殺害されたと警察に訴えました。その後西成警察は自殺と事件の両方で捜査を進めています。祥子さんを知る方の中には自殺と考える人、事件だと考える人がいます。この記事はその両方の方に読んで頂きたいと思います。

事件があった当時、私はあれこれ多忙だったため、釜ヶ崎の夏祭りや越冬闘争などに参加できず、祥子さんも事件のことも知らずにいました。しかし、当時、西成で何が起こっていたかは鮮明に覚えています。

前年2008年のリーマンショックで職を失った人たちが、全国から釜ヶ崎に流れてきました。仕事を探す人、他の地域より比較的受けやすい生活保護を受けようとする人で、店の近くの相談所には、9時前から大勢の人が並んでいました。相談後に、彼らを勧誘しようとする業者で道はごった返していました。その多くは、生活保護者を自社のアパートに住まわせ、保護費の大半をむしりとる「囲い屋」でした。生活保護制度もしらないのか、「今なら、部屋と食事が付いて、おまけに小遣いも貰えるよ」などと書いたチラシを配っている業者もありました。

同じ年、奈良県郡山市にあったの山本病院が、生活保護者や野宿者を入院させ、必要のない手術をしたり、架空請求を行い診療報酬を不正請求していた詐欺容疑で摘発されました。この投稿は、当時、その事件を発端に、何故そんな事件が起きるのか、その背景を精力的に追ったNHK奈良支局取材班の「病院ビジネスの闇 過剰医療、不正請求、生活保護制度の悪用」を参考にしています。

この病院では、心臓カテーテル検査や、血管にステントを入れる手術が極めて多かったそうです。ステントを入れる手術は、ほかの手術に比べて負担は少なく、やりやすい手術と言われるが、病院が受け取る診療報酬は検査と手術で一回約100万円を得ていたそうです。

患者は、医師や看護師に「カテーテル手術をやれ」と執拗に言われ多くの患者が仕方なく手術を受けていました。手術を拒否し、病院を追い出された人もいたそうです。何故こんなことがまかり通るのか?生活保護者、野宿者の多くが単身者のため、相談したり、文句を言ってくれる人がいないからです。餌食になったら、とことんしゃぶり尽くされるのです。山本病院では、ある年1年で延べ437人の生活保護者を入院させていましたが、うち126人がわずか半年で亡くなっていました。

山本病院は、10年前からこのような不正行為を行っていたようで、それまで何度も通報、告発があり、その都度警察も立ち入り調査を行っていましたが、不正はなかなか掴めなかったといいます。

しかし、2009年6月21日、奈良県警は、山本病院に強制捜査に入り、7月1日、患者に心臓カテーテル検査とステント留置術をしたように装って、診療報酬170万円を騙しとった詐欺容疑で、理事長と事務長を逮捕しました。この事務長は金儲けに長けていて、理事長に「これ(手術)一発やってくれたら、今月いけますわ」などと言い、患者に不必要なMRI検査をさせたりしていたそうです。また、ステントを入れていないのに入れたと申請した患者を、病院内では「なんちゃってステント」と呼んでいたという信じられない話もあります。

その後、押収されたカルテなどから、生活保護を受けていたの50代の患者に、不必要な肝臓摘出手術を行い死亡させた容疑で、執刀医の理事長と助手の医師は業務上過失致死で逮捕されました。理事長は、手術中に男性の肝臓を傷つけ大量に出血させましたが、十分な止血や輸血をしないまま(そもそも輸血用の血液を用意していなかった)、「飲みに行く」と出かけてしまいました。残った医師が傷口の縫合手術をするも出血は止まらず、困ってしまい理事長の携帯に電話するも、理事長は出なかったそうです。

理事長には、禁固2年4月の実刑判決が下されましたが、助手の医師は、桜井警察署内で謎の死を遂げています。それについては、遺族が訴えを起こしましたが敗訴し、何があったかは解明されませんでした。

NHK奈良支局取材班が、元ヤクザ関係者にも取材した際、「うしろにいるのはヤクザもんやからな」と言われ、危険な中、身体を張った追求取材で、その背景に、患者を互いにトレード(やりとり)しあう「行路病院ネットワーク」があったことを突き止めました。彼らの中にはNPOを名乗る人もいます。もちろん正式に認可されていない、ただ名乗るだけの、それこそ「なんちゃってNPO」です。肝臓摘出手術で亡くなった男性も、大阪市内の公園で、NPOを名乗る男性に誘われています。

私は当時、こうした連中を釜ケ崎で山ほど見てきました。

そういう囲い屋をやれるのは、ビルなど所有できる経済的に余裕のある人たちです。当時、店の近くに福祉アパート(生活保護者を入居させるアパート)を始めたNPOを名乗る男性は、過去に谷町六丁目で地上げ屋をやっていたそうです。ドヤだった2畳ほどの部屋をぶち抜いて4畳ほどの福祉アパートに改装する工事を、居住する生活保護者にやらせていました。

男は、私の店に食事に来ていました。ある日、みそ汁が辛かったのか、「俺は土方じゃないぞ!」と怒鳴るので「あんた、その元土方の人から金巻き上げてるじゃないか」と大喧嘩になったことがありました。

また、ある時、店の前を3本肢の犬を連れた母親と子供が通りました。聞けば、DV夫から逃れて来たといいます。駅前で途方に暮れていたとき、怪しい業者に「生活保護を世話してやる」と声をかけられ、2人と犬1匹で6畳一間の部屋に囲い込まれました。

炊事場もなく、自炊も出来ないと母親は嘆いていました。私は、知り合いに相談し、親子を別のアパートに引っ越す手配をしました。すぐさま、囲い屋の強面な男が、私の店に乗り込んできました。

「お前か! うちの客を取ったのわ! わしはこういうもんや」と見せられた名刺には、やはりNPOとありました。実はそこのビルでは数年前まで違法な博打場(ノミ屋)をやっていたのでした。「何いってるねん、あんたのビル、前はノミ屋(博打場)だったやん」と私が怒鳴ると、男はすごすごと帰っていきました。

釜ケ崎がそんな時代だった当時、医師の矢島祥子さんは、自身が診療した患者さんの入院した病院などに足しげく通っていたそうです。ある病院では来ないでくれと言われたそうです。私も客の入院先の病院に何度も訪れたことがあります。中には、患者の多くにオムツを充てているためなのか(車いすでトイレに連れていく手間を省くため)、病院全体がむうんと匂う病院もありました。別の病院では、重病患者でも面会はロビーに限定し、病室を見せない病院もありました。多くの病院を回った祥子さんは、そこで何を見て、何を知ったのでしょうか? そこから事件に巻き込まれたのでしょうか? 真相はなかなかわかりません。

ぜひ、集いにお集まり頂き、いろんな情報を共有していけたらと思います。

追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』
日程:11月13日(日)13時半開場、14時スタート
場所:社会福祉法人ピースクラブ(浪速区大国1-11-1)
アクセス 大阪メトロ大国町駅下車5分

◎追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』11月13日(日)13時半開場、14時スタート 場所:社会福祉法人ピースクラブ(浪速区大国1-11-1)
矢島祥子医師の兄、敏さん率いる「夜明けのさっちゃんズ」ライブ。国賠で二審の勝訴が確定したばかりの桜井昌司さんも登場し、熱唱した(2021年9月13日)

◎[関連記事]尾崎美代子「あの時期、釜ヶ崎で何が起きていたか? 書籍『さっちゃんの聴診器 釜ヶ崎に寄り添った医師・矢島祥子』(大山勝男著)発刊! 11月14日(日)大阪で追悼集会「矢島祥子と共に歩む集い」開催へ!」(2021年11月10日)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください〈後編〉 横山茂彦

終刊のお知らせだった記事の後半ですが、新たな創刊(『情況』第6期)のお知らせとなりました。68年に創刊し、「新左翼の老舗雑誌」と呼ばれてきた『情況』が、来年1月に第6期を創刊することを、謹んでお知らせいたします。これまで同様のご支援、ご愛読をいただければ幸甚です。

 
『情況』2022年夏号

本稿の前半では、中核派と共産同首都圏委員会の「米帝の戦争論」批判を紹介してきた(『情況』7月発売号の拙稿を抄録)。

ウクライナ戦争はロシアの侵略戦争であって、アメリカ・NATOは参戦していない。したがって、共産同首都圏委の「帝国主義間戦争」論は、ゼレンスキー政権が傀儡政権でなければ成り立たないと批判したのだった。

戦争と革命という、一般の読者から見れば浮世離れした議論かもしれないが、新左翼の論争とはこういうものだと。覗き見をしたい方はどうぞお読みください。

◆首都圏委員会の論旨改竄(論文不正)

この「侵略戦争論」と「帝国主義間戦争論」は現在、新左翼・反戦市民運動をおおきく二つにわけている。ところが、相手を名指しで批判(論争)しているのは革マル派(中核派の小ブル平和論の傾向を批判)、革共同再建協議会(いわゆる関西中核派=中核派のウクライナ人民の主体性無視・帝国主義万能論を批判)だけであり、論争らしいものにはなっていない。

『情況』は左派系論壇誌として、この論争・議論のとぼしい路線的分岐という運動状況に、一石を投じるものとして「特集解説 プーチンのウクライナ侵略戦争をどう考えるか? 真っ二つに割れた日本の新左翼・反戦運動」を、15頁にわたって掲載したのだった。

とくに帝国主義間戦争論を前面に掲げた、共産同首都圏委員会(「radical chic」44号)には、前回抄録紹介したとおり、全面的な批判を行なった。

ここまで批判しつくされたら、さすがに反論は出来ないであろうという読者の評判だった。だが腐っても、組織ではなく理論に拠って立つブント系党派である以上、沈黙することはないであろう。と思っていたところ、反論らしきものが出た。わたしの解説に対する正面からの批判ではなかったが、「radical chic」(46号・以下引用は号数で記す)に、「早川礼二」の筆名で「『情況休刊号』のコラムを読む」という文章が公表されたのだった。その意気やよし。

まず笑わせてもらったのは、本文15頁・1万8000字にわたる「特集解説」(二部構成で、目次付き)を、「コラム」と称していることだ。解説の筆者も「文責・編集部横山茂彦、編集協力・岩田吾郎」と明記しているにもかかわらず、早川は「コラム筆者」としているのだ。

つまり、自分たちが全面的な批判にさらされたのを何とか覆い隠し、コラムで扱われた程度のことにしたい、のであろう。その心情には、こころから同情する。

だが、論文作法としては、他者の記事や論文を引用するのであれば、タイトルと筆者を明記しなければならない。これをしないので困るのは、読者が容易に出典を引けないからだ。早川が雑誌情況の「コラム」と一般名称にしてしまっているので、読者は『情況』の30本前後ある記事の中からタイトルをもとには探し出せない。そもそも当該の論攷は「解説」であって、いわば雑誌の論説記事である。コラム(囲み記事)ではないのだ。原稿用紙換算45枚、大仰な目次まで付いたコラムなど、どこの雑誌にあるというのだろうか。まぁでも、これはどうでもいいだろう。

問題なのは、批判する相手の論旨を「改ざん」していることだ。他者の文章を引用する場合は、それが部分的なものであっても、絶対に論旨を改ざんしてはならない。これは論文だけでなく、文章を書く上での大原則である。

論旨の改ざんは論点をずらし、議論を成り立たなくする。それはもはや議論ではなく、論争をスポイルする不正な作為である。

蛇足ながら、他者を批判するときに、論証をともなわない批判は、単なる誹謗中傷となる。素人の文章にありがちな傾向である。

それでは、早川礼二による「特集解説」の論旨改ざん、みずからの文章の改ざんを具体的に見てゆこう。

◆核になるフレーズの削除で、180度逆の結論に

早川礼二は云う。

「コラム筆者は『米軍が直接参戦していない以上、首都圏委の言う「帝間戦争論」は成り立たない』とし、『反帝民族解放闘争の独自性を承認するのは、国際共産主義者の基本的責務である』と批判する」

「第一の疑問は、コラム筆者がウクライナ戦争で米軍が果たしている役割については触れようとしないことだ。米帝・NATOによるロシア封じ込め、米帝と結託したゼレンスキー政権の軍事的挑発に触れることが『プーチンの開戦責任を免罪することになる』という。」

早川の愕くべき論旨改ざんは「米帝が直接参戦していない以上」の前にある、わたしのフレーズ「ゼレンスキー政権が米帝の傀儡でなければ」を意識的に削ったことだ。このことで、わたしの主張の結論は180度ちがってくる。

首都圏委を批判するわたしの問いの冒頭は「それでは問うが、この戦争が帝国主義間戦争であれば、ゼレンスキー政権は米帝の傀儡政権・買弁ブルジョアジーとして、打倒対象になるのではないか?」なのである。

つまりここからは、ゼレンスキー政権が傀儡政権であれば、帝国主義間戦争は成立する、という結論がみちびかれる。それが誤った認識であれ、論としてはいちおう成立する。早川は論旨の改ざんに手を染めることで、みごとに180度違う結論を偽造したのだ。

わたしは帝国主義間戦争論が成り立たないと批判しているのではなく、ゼレンスキー政権の階級的な性格を明らかにせよ、傀儡政権として打倒対象なのか否か、と指摘していたのだ。

早川はこの質問には答えられないまま、「ロシア帝国主義による明らかな侵略戦争」であることを前面に主張しつつも、「かつ米帝・NATOによる帝国主義間戦争」だと、さらに言いつのる。くり返すが、ゼレンスキー政権が米帝・NATOの傀儡でなければ、代理戦争としての帝国主義間戦争論が成立しないのは言うまでもない。

いっぽうで「ロシアの侵略戦争」ならばなぜ、ウクライナ人民の救国戦争(民族解放闘争)を評価できないのか。「この戦争の基本性格はウクライナを舞台とした欧米とロシアによる帝国主義間戦争」(44号)としていた早川は、ウクライナ人民の救国戦争への連帯には、けっして心がおよばないのである。

およそ革命党派のしめすべき指針は、打倒対象と連帯するべき味方を明確にすることだ。ゼレンスキー政権を支持するウクライナ人民、ロシア帝国主義の侵略と戦うウクライナ人民への連帯を承認・支持できないがゆえに、早川の帝間戦争論は砂上の楼閣のごとく崩壊するのだ。

いま、全世界でウクライナ避難民が抗露戦争への支援を訴え、あるいはロシア連邦からの政治難民(ブリヤート人など)が「プーチンストップ!」を訴えている。抽象的な「世界の被抑圧人民・プロレタリアートと連帯」(46号・早川)などという抽象的な空スローガンではなく、具体的な指針を示すべきなのだ。現にロシア帝国主義と戦っているウクライナ人民との連帯、かれら彼女らがもとめる軍事をふくむ支援なのだと。

「あらゆる〈戦争国家〉に反対する」(44号・早川)も市民運動の理念としてはいいだろう。だが、首都圏委は革命党派なのである。そもそも民族解放戦争の大義、社会主義革命戦争の大義を語れなくなった党派に、共産主義者同盟の名を語る資格があるのか。この党史をめぐる議論に乗って来れない首都圏委には、稿をあらためてブント史論争として、議論のステージを準備したいものだ。

◆論旨の改ざんは、論争の回避である

さて、上記の引用中で早川は、もうひとつ大きな改ざんを行なっている。

「(横山の主張は=引用者注)ゼレンスキー政権の軍事的挑発に触れることが『プーチンの開戦責任を免罪することになる』という」(46号・早川)。

「触れる」? そうではなかったはずだ。44号論文から再度引用しよう。

「米帝・NATOの東方拡大によるロシアの軍事的封じ込め政策、多額の軍事支援とテコ入れにより二〇一五年の『ミンスク合意』を無視してウクライナ東部のロシア系居住区域への軍事的圧迫と攻勢を強めたゼレンスキー政権の強硬策がロシアを挑発し、今日の事態を招いた直接的な原因」だと。

ハッキリと、ゼレンスキー政権の強硬策が「直接的な原因」だと述べているではないか。「要因(factor)」などではなく「直接的な原因(direct cause)」だ。

「直接的な原因」とした以上、プーチンのウクライナ侵攻は「結果」にすぎないことになる。これが「プーチンの開戦責任の免罪」でなくて何なのか。

開戦の責任をプーチンにではなく、ゼレンスキーにもとめていた早川は、「直接的な原因」を「触れる」と言い換えることで、自分の論旨を改ざんしたのだ。

まともに論争をしようと思えば、自分の前言撤回も厭うべきではない。そこに相互批判による議論の深化があるからだ。論軸をずらさずに、誠実に議論することで新しい理論的地平も切り拓けるのだ。今回の早川の改ざんは、論争を回避する恥ずべき行為だと指摘しておこう。

◆太平洋戦争の原因は「ABCD包囲網」か?

かつて日本帝国主義は、中国戦争における援蒋ルート(蒋介石政権への欧米の支援=4ルート)を封じるために、フランスが宗主国だったインドシナに進駐した(仏印進駐・1940~1941年)。これに対して、アメリカ・イギリス・オランダが政治経済にわたる包囲網を敷いたのだった。この三国と中国をあわせて、日本に対するABCD包囲陣と呼ばれたものだ。

とりわけアメリカの対日石油禁輸が、日本経済を苦しめた。追いつめられた日本は、真珠湾攻撃をもって開戦に踏み切ったのである。これを歴史修正主義者は「アメリカが日本を戦争に追い込んだ」とする。まさに共産同首都圏委の主張(米帝・ゼレンスキー原因論)は、旧日本帝国主義を弁護するネトウヨなど、歴史修正主義者のものと同じ論理構成だと言えるだろう。

だが、ABCD包囲網をつくり出したのは、ほかならぬ日本帝国主義の中国侵略、傀儡国家(満州国)の建国にある。ウクライナにおいても、ロシアによる2014年のクリミア併合以降、欧米のウクライナ支援ロシア包囲陣が生じたのは、ほとんど日中戦争と同じ政治構造である。

1994年のブタペスト合意でのウクライナの核放棄(世界で三番目の核保有国だった)、ロシア・アメリカ・イギリスをふくむ周辺諸国の安全保障が、もっぱらロシアによって反故にされたこと。すなわち、兵士に肩章をはずさせたロシア軍による、クリミア・ドンバスへの軍事的圧迫が、ウクライナ人民をして、マイダン革命をはじめとする反ロシア運動の爆発となって顕われ、欧米の支援が「東方拡大」のひとつとして顕在化したのである。ロシアによるクリミア併合・東部・南部諸州併合は、日帝の満州国建国と比して認識されるべきものだ。

このような流れの中では、首都圏委が金科玉条のごとく持ち出す「ミンスク合意」(二次にわたる)は、ロシア軍が介入した内戦停止のための休戦協定にすぎないのである。何度ミンスク合意がくり返されても、ロシア帝国主義のウクライナ侵略は終わらない。なぜならば、ロシアはウクライナそのものを併合・併呑しようとしているからだ(プーチン演説)。

◆改ざんだけでなく、誤記満載の「反論」

共産同首都圏委員会は、わたしへの「反論」の中で、いくつかの論点を新たに提示している。ひとつは、わたしが主張した反帝民族解放闘争への疑義である。

中井和夫(ウクライナ史)の『ウクライナ・ナショナリズム』(版元は岩波書店ではなく東京大学出版会)から引用して、民族自決への疑問をこう呈している。

「中井も『国家の急増』が国際社会に与えてきている負荷・コストの大きさ」に触れ「民族自決」を「民族自治」にかえていくことと「他(ママ→多)民族の平和的統合の政治システムとしての連邦制の可能性」を論じている。(46号・早川)

そうではない。この「民族自治」と「連邦制」こそが、ソ連邦時代の「民族の牢獄」を形づくってきたものなのだ。中井和夫がいみじくも「帝国の復活を現代考えることは無理である」とする前提を見落として、早川が「民族自治」に着目することこそ、プーチンの帝国のもとにウクライナ人民をはじめとする諸民族を封じ込める発想。すなわち民族解放闘争の否定にほかならない。

レーニンの「分離の自由をふくむ連邦」を継承しながらも、スターリン憲法およびそれを継承したロシア連邦憲法は、分離の手続きの不備によって、事実上独立をゆるさずに、諸民族の自治に封じ込めてきたのだ。プーチンのクリミア併合以降は、領土割譲禁止条項によって、分離そのものが違法となったではないか。

ソ連邦の崩壊後のなだれ打った旧ソ連邦内国家の独立は、米・NATOの東方拡大だけではなく、東欧人民の反ロシア革命(民族独立革命および人民民主主義革命)だった。首都圏委が暗に主張する帝国主義の陰謀ではなく、これが人民による民族自決の体現にほかならない。

その反ロシア革命の動因は、膨大なエネルギー資源をもとにした軍事大国による圧迫への抵抗であり、世界最大の核兵器保有国による覇権支配への人民の恐怖と大衆的反発である。つまりロシアの帝国主義支配への民族的な抵抗なのである。したがって、21世紀のいまも帝国主義と民族植民地問題として、20世紀型の戦争と革命が継続しているといえよう。いや、プーチンにおいては18世紀型の帝国なのである。

70年代なかばのベトナム・インドシナ三国の反帝民族解放戦争の勝利、社会主義革命戦争とウクライナ戦争を比較して、早川は自信のなさそうな書き方でこう提起する。

「端的に言って、米ソ冷戦体制の下、帝国主義の植民地支配からの独立をめざしたベトナム人民の民族解放闘争と、グローバル資本主義が全世界を蓋い(ママ)、〈戦争機械〉と結託した帝国主義諸国の利害が複雑に絡み合いつつ、国境を越えて介入し他国の支配階級と結びついて暗躍し、権益拡大のために他国を容赦なく戦場化する時代のウクライナ戦争を、同列に論じることはできないのではないか。」(46号・早川)。

長いセンテンスで現代世界の複雑さを強調したからといって、何ら説得力があるというものではない。ベトナム戦争とウクライナ戦争の違いを、早川は上記の文章以上に論証することができないはずだ。

なぜならば、ベトナム・インドシナにおけるフランスの植民地支配、のちにはアメリカの介入を、現在のウクライナ戦争におけるロシアに置き換えれば、まったく同じ政治構造だからだ。ソ連のアフガニスタン侵攻、アメリカのイラク侵攻もまったく同じ、帝国主義の覇権主義的侵略戦争である。

第一次大戦以降、列強の利害は複雑に絡み合い、第二次大戦以降も、そして現在も、米ロをはじめとする帝国主義は「国境を越えて介入し他国の支配階級と結びついて暗躍し、権益拡大のために他国を容赦なく戦場化」(早川)しているのではないのか。

そして帝国主義の侵略が、ほかならぬ人民大衆の闘いと民族自決の奔流に強要された、悪あがきであることに着目できないからこそ、早川は現代世界の複雑さだけを、論証抜きで強調したくなるのだ。そこには大衆叛乱への信頼や共感は、ひとかけらもない。

それにしても、上記の引用における誤記・版元の誤り(別掲文献の版元名も間違えている)をみると、早川の論旨改ざんは意識的なものではなく、文章そのものを正確に判読できていない可能性もある。首都圏委においては、この頼りない主筆に代わり、組織的な討議を経た文章で、改ざんの釈明および誤記・版元間違いを訂正してもらいたものだ。

◆ウクライナ戦争はロシアの敗北でしか決着しない

いま求められている戦争の停止、もしくは終了がどのように展望できるのか。降伏の勧めや無防備都市の提案は、そのままロシアへの隷属・大量処刑を意味する。だが現実的ではないにせよ、すくなくとも具体的である。

もっとも具体的なのは、ゼレンスキー政権とウクライナ人民が、侵略者ロシアを国境の外に追い払うことである。いまそれは、第三次大戦の危機をはらみながらも、実現に向かっている。

ところが、あらゆる〈戦争国家〉に反対し、ゼレンスキー政権と闘うウクライナ人民(どこにいるのか?)に連帯するべきだと、首都圏委は呼び掛けるのだ。

ロシアの侵略に反対し、米帝・NATO・ゼレンスキー政権の戦争政策に反対する、世界プロレタリアートと連帯せよという。このきわめて原則的な反戦運動の呼びかけはしかし、現実に有効な階級闘争ではない。かれらの頭の中に創造された、死んだ抽象にすぎないからだ。

そして、現実のウクライナ戦争をになっている人民を無視するばかりか、ウクライナ人民の戦争支援の要求(兵器の供給)に反対しているのだ。このままでは、プーチンの侵略戦争の代弁者となり、ウクライナ人民の反帝救国戦争の敵対物に転落するしかないと指摘しておこう。

なお、1月創刊の『情況』第6期においても、ウクライナ戦争論争を他の論者を招いて掲載する予定である。われわれの「解説」の評価(賛意)や、早川礼二の民族解放闘争への不理解を指摘する声も上がっている。乞うご期待。(了)

◎『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44351
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44456

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』
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