『週刊文春』(5月7・14日合併号)の記事「能年玲奈 本誌直撃に悲痛な叫び 『私は仕事がしたい』」が大きな波紋を呼んでいる。NHKで2013年に放送された連続テレビ小説『あまちゃん』で主演を務めた国民的アイドル女優、能年玲奈が芸能界で干されているというのだ。

能年といえば、大ヒットした『あまちゃん』以降の2年間で映画2本、スペシャルドラマ1本の出演しかしておらず、芸能界では「出し惜しみ戦略」「仕事を選んでいる」などと言われていたが、実際には所属事務所、レプロエンタテインメントから「態度が悪い」という理由で干されているという。

記事によれば、『あまちゃん』を撮影していた頃の能年の月給は、わずか5万円。睡眠時間は平均3時間というハードスケジュールだったが、レプロはクルマも満足に用意せず、経験の浅い現場マネージャーが失態を繰り返した。

2013年NHK連続ドラマ小説「あまちゃん」公式HPより

◆レプロ側が断り潰えた映画『進撃の巨人』ミカサ役

そうした状況で能年の身の回りの世話を引き受けたのが、能年が高校1年生の頃から演技指導を担当していた滝沢充子だったが、レプロとしては滝沢と関係を深める能年が面白くない。そして、『あまちゃん』がクランクアップした時に『あまちゃん』の公式ホームページに能年の感謝の言葉が掲載されたが、そこには滝沢の名前が記されていた。これが決定的に能年とレプロの関係を悪化させてしまった。

レプロに呼び出された能年は、チーフマネージャーから「玲奈の態度が悪いから、オファーが来ていない。仕事は入れられないよね。事務所を辞めたとしても、やっていけないと思うけどね」「今後は単発の仕事しか入れられない。長期(連続ドラマなど)は入れられない」「『あまちゃん』は視聴率は高かったから評価していますよ。でもお前は態度が悪いし、マネージャーと衝突するからダメだ。事務所に対する態度を改めろ」などと告げられた。

この時点で能年は干されていた。その後、人気漫画『進撃の巨人』の映画化で能年をヒロインのミカサ役に抜擢したいと製作陣は検討していたが、レプロがこれを断った。

これにショックを受けた能年は、レプロに「事務所を辞めたい」と申し出たが、契約書には「事務所の申し出により一度延長できる」という主旨の記載があり、能年とレプロの契約は2016年6月まで延長されることとなった。だが、今年1月には、能年を代表取締役とする「三毛andカリントウ」という会社が設立され、取締役として滝沢が就任していることが発覚し、独立が現実味を帯びてきた。この頃から「能年が滝沢に洗脳されている」という報道が相次ぐようになる。

『週刊文春』の直撃取材に対し、能年は「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。私は仕事がしたいです」と悲痛な叫びを訴えた。

◆事務所に嫌われたタレントはこれまでも不条理なほど干されてきた

『CUT』(2012年10月号)

『週刊文春』の報道に対し、「ブレイクして事務所にとっても稼ぎ頭のはずのタレントをなぜ干すのか?」といぶかる向きもあるが、所属会社との関係がこじれたタレントが干されたケースはこれまでにいくらでもある。

近年で言えば、研音所属していた水嶋ヒロが同じく研音所属で稼ぎ頭だった綾香と結婚したことで事務所から嫌われ、退社に追い込まれ、現在までほぼ芸能界引退状態となっている。

古いケースで言えば、1957年に映画会社の新東宝に所属していた新人女優の前田通子が監督の演出に楯突いたことで「ニューフェースのくせに生意気だ」とされ、退社に追い込まれ、映画界から追放されるという事件があった。

一般社会では、所属する会社との関係がこじれたら、別の会社に転職したり、独立するという選択肢があるが、芸能界ではそうはゆかない。芸能界にはタレントの引き抜き禁止、独立阻止という鉄の掟(「カルテルとも言う)が存在するからだ。

先に触れた前田通子の事件が起きる4年前の53年9月30日に、松竹、当方、大映、新東宝、東映の映画メジャー5社の間で俳優の引き抜きを禁止する五社協定という申し合わせが調印されている(その後、新東宝を加え、六社協定に)。前田通子の事件は、六社協定が発動された。当時の報道によれば、新東宝の大蔵貢社長は撮影所で「六社間では、前田通子を使わぬよう話合いはついている」と語ったとされている。

◆人気者は作ろうと思って作れるものではない──「育ててもらった恩義」という言葉のまやかし

人気俳優を追放することは、業界にとっても痛手ではないか、と見る向きもあろうが、芸能界ではそうではないらしい。俳優の引き抜きや独立が自由に行われれば、ギャラが高騰し、映画会社の財政を圧迫する。どの映画会社にとっても客を呼べる人気者は喉から手が出るほど欲しいからだ。

芸能界では「育ててもらった恩義」などという言葉が使われるが、これはまやかしである。人気者は作ろうと思って作れるものではないからだ。

1910年代、草創期の映画界で最大のスターだったのは、日活の忍者映画で活躍した尾上松之助だったが、松之助はあまりの人気ぶりに自信を深め、育ての親だった日活の撮影所長で監督だったマキノ省三と真っ向から対立したことがあった。マキノは松之助を牽制しようと、新たなスターを育成しようとしたが、松之助に敵う俳優を発掘することに失敗し、退社に追い込まれ、松之助が後任の撮影所長に就任し、重役スターとなった。

だが、映画会社にとって俳優の増長は経営的に悩ましい。そこで、メジャー映画会社間でカルテルを結び、俳優の引き抜きを禁じ、業界を保護しようという動きが出てきた。戦前は四社連盟というカルテルが結ばれたが、その拘束力は脆弱で、大物俳優たちが独立して配給系統まで持っていた時期がある。

戦後になってできた五社協定は、極めて強い拘束力を持ち、俳優たちの自由な芸能活動を圧迫していった。だが、五社協定は当初から独占禁止法違反の指摘がなされていた。

前述の前田通子は、六社協定により干された後、東京法務局人権擁護部に訴えを起こしたところ、人権侵害が認定された。

また、57年には『異母兄弟』という映画に俳優の南原伸二が所属していた東映に無断で出演したことが問題となり、五社協定違反とされ、映画会社5社が『異母兄弟』上映阻止に動いたことで、公正取引委員会が調査に乗り出したこともある。同委員会は63年に5社が「協定中、違反の疑いのある条項を削除し、その後このような行為を繰り返してお非ず、違反被疑行為は消滅したと認められたので、本件は不問に付した」という決定を下したが、実態としては五社協定は存続し、映画界の衰退を絡めて国会でも議論されたことがある。

五社協定は映画界の衰退とともに自然消滅したが、テレビの世界では五社協定同様のシステムを引き継いだ。五社協定をモデルとした日本音楽事業者協会(音事協)と呼ばれる組織が1963年に設立され、現在まで大手芸能事務所がタレントの引き抜き禁止、独立阻止で団結している。

『キネマ旬報』2014年8月下旬号

◆「悪しき因習」がタレントへの人権侵害を生み、芸能界の衰退を招く

能年が所属するレプロも音事協加盟社であるから、能年が他の音事協加盟の有力事務所に移籍することは基本的にできない。かといって、弱小事務所に移籍したり、独立すれば業界全体からプレッシャーを受け、芸能活動ができなくなってしまう。五社協定の時代は、多くのメディアが五社協定に批判的だったが、今はほとんどのメディアが芸能界に組み込まれており、「芸能界の掟」に反するタレントをバッシングするようになっているから、システムとしての堅牢性は極めて強い。

能年が『あまちゃん』のヒットで国民的アイドル女優となりながら、事務所と対立したことで、飼い殺しとなり、仕事ができなくなってしまうのは、『あまちゃん』で能年と共演した小泉今日子がインタビューで語った言葉を借りれば、そうした「芸能界の悪しき因習」が背景にあるのだ。それは能年に対する人権侵害であるばかりでなく、五社協定と同様に芸能界の衰退を招き、視聴者にとっても大きな不利益をもたらしている。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
◎松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説
◎石川さゆり──ホリプロ独立後の孤立無援を救った演歌の力
◎浅香唯──事務所と和解なしに復帰できない芸能界の掟
◎爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折
◎中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)
◎中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(前編)
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芸能界の歪んだ「仕組み」を綿密に解き明かしたタブーなきノンフィクション『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社2014年5月13日刊)