中森明菜と松田聖子は、ともに80年代を代表する女性歌手であり、よく比較されてきた。

聖子がデビューしたのは80年。その2年後の82年に明菜はデビューした。2人は歌謡界で頂点を極め、ともに所属事務所から独立したが、独立後の芸能活動は対照的だった。

◆明菜を手土産に研音社長に就任した日本テレビのプロデューサー

「ファム・ファタル〔Femme Fatale〕」(1988年8月ワーナー・パイオニア)

明菜は81年、16歳の時、日本テレビの歌手オーディション番組『スター誕生!』に出場し、翌年、『スローモーション』でデビューした。

『スター誕生!』では合計11社の芸能事務所やレコード会社が獲得の意向を示すプラカードを上げ、記録的なオファー数だったという。その中から、明菜が選んだのは、研音だった。研音というと、今では大手事務所となったが、当時は有名タレントは一人もいなかった。明菜が研音を選んだのは、『スター誕生!』のプロデューサーが研音を推薦し、両親も「研音にしよう」と言ったためだという。

研音は笹川良一の日本船舶振興会と関係が深く、資金も潤沢だったという。明菜の家族は貧しかった。研音は多額の契約金を積んだのだろう。そして、明菜の研音入りと同時に日本テレビのプロデューサーだった花見赫(あきら)が研音の社長に就任した。明菜は研音への手土産のようなものだったと言われる。

◆1989年の自殺未遂事件──「だって、私は本当に死ぬつもりだった」

そして、デビューから7年目の89年に衝撃的な事件が起きた。同年7月11日、明菜は当時交際していた歌手の近藤真彦の自宅マンションで自殺未遂事件を起こしたのだった。

明菜はデビュー直後、17歳の時から近藤と交際し、7年間、同棲していた。89年1月23日、2人はパリで家具を購入しているところを目撃されていた。その後、2人はハワイに移動し、明菜だけが一人で帰国し、近藤はニューヨークに渡った。その頃、ニューヨークには、全米デビューの準備をしていた聖子がいた。

聖子が宿泊していたパークレーンホテルのワンブロック離れたところに、あまり日本人が利用しないエールフランスのホテルがあった。そこで2月2日、3日とかけて聖子と近藤が密会しているところを写真週刊誌に撮られてしまった。

明菜はこれにショックを受け、体重が36キロにまでやせてしまったという。明菜が自殺未遂を起こしたのは、聖子と近藤の密会報道の3ヶ月後のことだった。

一時、明菜と親しくしていた元番組ディレクター、木村恵子の暴露本『中森明菜 哀しい性』(講談社)によれば、明菜は「だって、私は本当に死ぬつもりだったし、彼とは七年間もずっと一緒にいたから」と、いつも繰り返していたという。明菜の自殺未遂事件は、巷間で言われているように近藤との関係に思い悩んだ末に起きたものだと考えられる。

◆大晦日の謝罪会見──明菜は近藤との婚約発表だと思っていた

この時期、明菜の主導権を握っていたのは、ジャニーズ事務所の副社長、 メリー喜多川だった。明菜は事件の後も近藤との結婚を望んでいたから、近藤が所属するジャニーズ事務所との関係を良好なものにしたいと考えていた。近藤と結婚するためには、メリーに気に入られなくてはならない。

自殺未遂事件直後の7月27日、ジャニーズ事務所はマスコミ各社に明菜がメリーに送った手紙を公開した。その中で明菜は、「自分勝手な行動を取ってしまったと反省しています。今度の事は近藤さんにはまったく関係ありません」と述べている。その翌日、近藤のコンサートがあった。

そして、暮れも押し迫った頃、「婚約発表をするから、マッチと一緒にテレビに出てくれ」というオファーが明菜の元に舞い込んできた。電話で連絡していた近藤からも、同じ趣旨のことを言われた。

12月31日、すっかり舞い上がった明菜はめかし込んで記者会見に出かけていった。だが、会場に行ってみると、婚約発表ではなく、近藤に対する謝罪会見だと知らされた。会見で明菜は訳も分からず、近藤への謝罪の言葉を口にさせられた。

明菜に自殺未遂事件を起こされて以来、近藤に対する風当たりは強く、芸能活動も振るわなかった。それを何とか挽回したいと考えたメリーは、明菜の自殺未遂事件と近藤を切り離すべく、あの手この手を使って工作を仕掛けていたのである。

そして、自殺未遂事件から、「みそぎ会見」に至るのとほぼ同時期に明菜の独立騒動が持ち上がっていた。(続く)

▼星野陽平(ほしの ようへい)

フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

『芸能人はなぜ干されるのか?』

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