昨年の秋、長崎の平戸市を巡る旅に出た。
平戸湾は、こじんまりしており、湾を囲む陸地は1日でまわることのできる観光スポットが集中している。具体的には「平戸オランダ商館」(復元されている)や「平戸城」や「松浦史料博物館」や「平戸ザビエル記念協会」などだ。

まちがいなく、平戸はある時期、「FIRAND」と外国人に呼ばれ、日本全体の貿易の中心だった。その端緒は1609年、オランダから船が2隻やってきたことだ。当時の松浦藩主の松浦隆信は歓迎し、幕府にかけあいオランダ人に商館建設の許可を与えた。

1611年にオランダ商館は住まいと倉庫を新築し、1616年には倉庫と防波堤を作り、さらに1618年の大増築で、まるで要塞から敵を守る「ルパン三世カリオストロの城」ばりの塀が築かれた。

今もオランダ堀やオランダ井戸、そして民家とオランダ倉庫の境界線を表す壁やオランダ埠頭らが残っている。

今、復元されているオランダ商館は、倉庫なのだが、これはもともとは1639年にできた巨大な石造りの倉庫であり、日本で初めての洋風建築物だ。ここには、約2万個もの砂岩切石や48センチ角の大きさの柱などが使われて、外観や造りはオランダの建築物に酷似している。

まあ、観光ガイド風に紹介するとこうなるが、今、このあたりでは残念かな、地元の暴走族が激増している。僕が肉眼で見ただけでも、夜深くに爆音でかっとばす暴走族風バイクは、数台も見かけた。地元の飲食店のスタッフは言う。
「夜になると、くしゃみすらも街中で響きそうなほど静かなこの街で爆音が響いていて、眠れない人が急増しているのは残念ですね」


ここらへんの名物は平戸牛、あごだしラーメン、そして魚ならなんでもうまい。よく、長崎の人が「東京の寿司屋には行かない」と言っていたが、納得できる。


さて、僕自身は、この平戸にやってきた目的は、ここの平戸に「江戸時代、日本で初めての天気予報をしていた山崎氏がいた」ということだ。この平戸にある遠見公園という場所で、江戸時代に、「天気見」、つまり山のてっぺんから雲を見て天気予測をしていたという記録が残っているという。

特別に気象機器がない文政二年(1819)、大船頭だった山崎家では、約200年にわたる間、孫三代にわたって「天気記録」が残された。その記録とは「日の出るとき、赤きは風、黒きは雨、青白きは風雨としるべき」という具合に、今の天気予報の先駆けともいえるものだ。

この「天気見の男」の記録について、僕はいつか小説に書き記そうと思う。いつか、どこかでこの男の記録に諸兄たちはお目にかかるであろう。

ゴールデンウィークに行く場所がない諸兄はぶらりと出かけてみてはいかがだろうか。歴史上では重要ながら、忘れられた「時代の顔」がそこにある。

(小林俊之)

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