2016年3月12日、3・11甲状腺がん家族の会が設立された。設立時の正会員は5家族7人、これまでほとんどタブー視されてきた福島での被曝被害の核心を伝える貴重な設立会見を7回に分けて詳報する。今回は千葉親子(ちかこ)さんの会見談話。

◆被曝者になってしまったという切ない思い

代表世話人の千葉親子さん(元・会津坂下町議会議員)

東日本大震災と、それに伴う原発過酷事故が起きてから昨日で5年になりました。この間、国内外の多くの方々に励ましをいただいたことに感謝申し上げます。今、私たちは福島県の現状に向き合いながら、悩み、苦しみ、励ましあいながら、傷つきながらも頑張っています。

時間の経過とともに諸課題も多岐にわたり、個人の力ではどうにもならないことがたくさん聞こえてきます。甲状腺がん問題もその一つです。小さなお子さんからお年寄りまで二百万人の県民が、原発事故により放射能の降り注ぐ下で生活をしていた事実は、けして忘れてはならないことと思います。

事故後、甲状腺検査が始まりました。甲状腺がんの発見が相次ぎました。原発事故が起きるまでは、甲状腺がんという言葉などはあまり耳にしない病気でした。一巡目の先行調査から二巡目と検査が進む中、甲状腺がんと宣告されたご家族の方々の悩みや苦しみに私たちは出会いました。過酷な原発事故や放射能のことなど交錯する情報の中で、保養の手立ても無く過ごす中、子供のことを思い、親御さんたちは、「あの時、外出させなければよかった」「あの時、避難しておけばよかったのではないか」「無用な被曝をさせたのではないか」とご自分のことを責め続けておられます。3・11以降、甲状腺検査を受け、被曝者になってしまったという切ない思いを抱えながら誰にも相談できない状態に置かれているのです。

◆今、起きていることの事実に触れ、悲しい怒りがこみ上げた

福島県健康調査検討委員会では「放射能の影響とは考えにくい」と説明を繰り返すばかりです。専門家の間でさえも、原発に由来する・由来しないと意見が分かれました。そんな曖昧な中、がんと診断された方も、被曝をした多くの県民も不安を抱えた5年となりました。

私たちは昨年、ご家族の方々と集いました。その日の私は初めての出会いでとても緊張していました。きっと、ご家族の方たちも家族同士が出会えることの期待と、どんな集まりなのか、どんな人が来ているのか、と不安があったろうと思います。

懇談が始まってからは、話す家族も、聞く私たちも涙でした。今まで色々な所で聞いていた不条理な出来事が目の前で話すご家族の方に、今、起きていることの事実。そのことに触れ、私も悲しい怒りがこみ上げました。ご家族同士の意見交換では、医師への不信感や診療の制約、情報不足が話題になりました。「病気の症状がこれからどうなっていくのだろう」「毎日のとまどいを誰には話したらいいのだろう」「誰に相談したらいいのだろう」という生の声を聞き、ご家族の孤独感を知りました。

懇談が始まる前の緊張していた雰囲気も、お茶会のころには、皆で持ち寄ったお茶菓子を分け合って、とても和やかな雰囲気になり「来てよかった」「同じ思いで話すことができた」と明るいお顔になられたように感じました。

◆同じ悩みや痛みを抱えている方同士が話し合うことで癒される

子供たちは、原発事故の後、理不尽な形で甲状腺がんと診断され、心に傷がつき、手術で体にも傷を残すことになってしまいました。私たちは、日頃から情報交換や情報提供が出来て、気軽に話し合い、支え合えあうことのできる関係と気軽に相談できる場所が必要だと思いました。同じ悩みや痛みを抱えている方同士が話し合うことが、どれだけ癒されるのか、どんな力にも勝ることだと思いました。

一人で悩まないで下さい。多くの患者の家族の皆さんと手をつなぎ、語り合う場所を持ちましょう。情報を共有し、課題を共有しながらそこから希望を掴みましょう。患者家族の皆さまには、気軽にお声をかけていただきたいと思います。そして、周りには安心して集えるようどうか温かく見守って頂きたいと思います。わたしたちも、そのお手伝いをさせて頂きたいと思っております。このような会が身近な所で色々と広まり、家族の方が安心して話しのできるような場所ができることを望みながら私の挨拶とさせていただきます。


◎[動画]20160312甲状腺がん患者家族会設立記者会見(UPLAN三輪祐児さん公開)

▼白田夏彦[取材・構成]
学生時代に山谷、沖縄などの市民運動を訪問。その後、9・11同時多発テロ事件をきっかけにパレスチナ問題の取材を開始。第二次インティファーダ以降、当地で起こった非暴力直接行動を取材。以降、反戦や脱原発などの市民運動を中心に取材。現在、業界紙記者。