アテネオリンピックの開催が間近に迫っていた2004年8月、兵庫県加古川市で一夜のうちに隣近所の7人を骨すき包丁や金づちで惨殺する事件を起こした男がいた。名は藤城康孝(当時48)。裁判では2015年に死刑が確定している。確定判決によると、藤城やその家族は長年、隣家の伯母一家らから見下されており、藤城は復讐のために凶行に及んだとされている。

しかし、事件から10年余りを経た2015年9月、現場を訪ねたところ、私は藤城の犯行動機が復讐だったという話には疑問を感じずにはいられなかった。

藤城が使っていたプレハブ小屋

◆今も犯人を恐れる地元の人たち

JR宝殿駅前で借りたレンタル自転車をこぐこと約15分。田園地帯と住宅が混在した田舎町の一角に、藤城康孝(61)がパン作りをしていたというプレハブ小屋はあった。 

その白いプレハブ小屋は入口の周辺に草が生い茂り、長いこと誰も出入りしていないのは一目でわかる状態だ。同じ敷地内には、かつて藤城が生まれ育った家が建っていたが、今は影も形もなく、その代わりに家の残骸らしき多数の石材が積み重ねられていた。

東隣の広々とした敷地には、かつて藤城の伯母一家が住んでいた大きな家があったが、今は跡形もなく消え失せ、多数の太陽光パネルが並べられていた。一方、プレハブ小屋とは細い道路を挟んだ西側にある更地は雑草が伸び放題だ。この更地にもかつては、藤城とは血縁関係のない同姓の家族が住む家が建っていたが、その面影すら窺えなかった。

私がこの日、この地を訪ねた目的は、この数カ月前に裁判が終結して死刑が確定した藤城の実像を知りたいと思ったためだ。だが、案の定というべきか、地元で藤城のことを積極的に語りたがる人はいなかった。

藤城のプレハブ小屋があった北側の家から中年男性が出てきたのを見つけ、取材に来たことを説明して話を聞こうとしたところ、男性はぎょっとした顔になり、「も、もう関わりたくないんでっ。すみませんけど」とすぐさま家に引っ込んでしまった。

藤城の家から少し離れた民家の前にいた初老の女性は、「あの事件の時は、うちの息子の家も壁が焼けて、修理が大変だったんですよ」と淡々と話した。藤城は7人を殺害したのち、自分の家に火を放って燃やしてしまったのだが、この女性の息子の家は藤城の家の近くにあり、被害をうけたのだという。

藤城の死刑が確定したことについて、どう思うかと聞くと、女性はしみじみとこう言った。

「死刑が決まって良かったです。無期になったら、どうしようかと心配でしたから」

判決が無期懲役ならば、いつか仮釈放されることもありえると思い、女性は地元に藤城が戻ってくる可能性を恐れていたのだろう。私は女性の話を聞きながら、2年前、藤城と面会した日のことを思い出していた。

藤城に殺害された伯母一家が暮らしていた家の跡地。多数の太陽光パネルが並んでいる

◆犯人は「いじめ被害」を切々と訴えてきたが……

2013年9月、大阪拘置所の面会室。アクリル板越しに向かい合った藤城はTシャツに短パン、サンダル履きというラフな格好だった。身長は160センチあるかないかというほど小柄で、衣服に包まれていない両の手足は骨と皮しかないほどにやせ細っている。報道の写真では険しい顔つきをしていたが、目の前の藤城は憑き物が落ちたように穏やかな表情で、一夜に7人を惨殺した凶悪犯にはとても見えない人物だった。

そんな藤城は取材のために訪ねた初対面の私に対し、拘置所の職員たちから「いじめ」を受けているのだと切々と訴えてきた。

「弁当を買いますやろ。職員がそれを(小窓から)房に入れる時、上下や横に揺するんで、中身がどっちかに寄ってるねん」

「わしが(房内の)トイレで用便しよったら、房の前の廊下を何度も行ったり来たりして、ジ~と見てくるんや」

「わしは病気の後遺症で言葉がちゃんとしゃべれへんのやけど、『そんなしゃべり方しかできんのか』と言われるねん」

本人が言うように、たしかに藤城は滑舌が悪かった。しかし、それを差し引いても、藤城の話は意味がわかりにくかった。本人は、「弁護士にいじめのことを相談する手紙を書いたら、職員らに逆恨みされて、余計ひどいことになっとるんですわ」と真顔で言うのだが、どんないじめを受けているのかという具体的なイメージが全然湧いてこなかった。

藤城は「もう2年近くもこういう状態が続いてるんや」というのだが、私には藤城が訴える「いじめ被害」は妄想としか思えなかった。実際、藤城は複数の精神鑑定医から妄想性障害に陥っていると判定されているのだが、実際に本人と会ってみると、その妄想性障害は事前に想像していたより重篤であるように思えた。

そして私はこの時、裁判で藤城の犯行動機が「長年、被害者らから自分や家族を見下されていたこと」への恨みだったかのように認定されていることに疑問を抱いたのだ。

◆完全責任能力が認められて死刑になったが……

裁判記録によると、藤城は幼少のころから短気で、些細なことにカッとなって興奮しやすい性格だったという。けいれんや意識障害などが発作的に起きる脳の病気「てんかん」という持病があり、そのために表出性言語障害にも陥っていたことが人格形成にも影響を与えていたという。

そんな藤城は小学校の低学年のころには、自分にいやがらせをした相手を包丁を持って追いかけていたとされる。高校のころには、因縁をつけてきた同級生を刃物で刺したこともあったという。

そんな物騒な男に対し、近所の人たちがあからさまに見下すような態度をとったりするだろうか。こういう藤城のような男に対しては、むしろ周囲の人たちは刺激しないように細心の注意を払うのが普通ではないだろうか。

藤城は伯母の一家から見張られたり、西隣で暮らす同姓の一家の人たちから陰口を言われたと認識していたとされる。しかし、拘置所で面会した際、藤城から非現実的ないじめ被害を訴えられた私には、それらはすべて藤城の妄想だったように思えてならない。

実際、現場を訪ねた際、地元の人たちが藤城のことをいまだに恐れている様子だったこともこの見方を裏づけていると思える。藤城に殺害された被害者たちが藤城にいやがらせをするような怖いもの知らずだったとは到底思い難い。

藤城に会った際、私はこの男が本当に完全責任能力を有しているのかと疑問に思ったが、裁判では結局、完全責任能力があると認められ、死刑になった。しかし、裁判官たちが藤城を死刑にするため、被害者たちから見下されていたという藤城の妄想を事実だと認めてしまったのだとしたら、被害者たちも浮かばれないだろう。

藤城に殺害された西隣の一家の家も今はもうない

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき最新刊『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)