◆中沢けいの刑事告訴つぶし 『帝国の慰安婦』裁判

中沢けい(鹿砦社『人権と暴力の深層』より)

中沢けいといえばその文章が国語の教科書に掲載されている著名な作家だ。代表作として『楽隊のうさぎ』などがある。同時にのりこえネット共同代表をつとめ、リンチ事件被害者のM君が刑事告訴することを防ごうとしてきたリンチ事件隠ぺいの主犯のひとりだ。この経緯は鹿砦社刊『反差別と暴力の正体』『人権と暴力の深層』に詳しい。

中沢けいのリンチ事件に対する対応はそれ自体驚愕するものだが、ここでは別の刑事告訴つぶしについて言及したい。「日本軍と同志的関係にもあった」などの表現が従軍慰安婦被害者の名誉を棄損したとされ、在宅起訴された『帝国の慰安婦』著者である朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(日本語日本文学科)を擁護する声明(朴裕河氏の起訴に対する抗議声明)についてだ。中沢けいの他に大江健三郎や津島佑子、海外からもノーム・チョムスキー等そうそうたる学者・作家が署名している。

声明文にはこうある。

「それ(筆者註:検察庁の起訴文)は朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、 予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています」

朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版2014年11月)

中沢はこの著作をこう評価している。

「軍に代表される公権力によって拉致され性的奉仕を強制された多くの被害者の声に耳を傾けようとする姿勢のかげには、単純な戦時下の人権侵害とする見方よりも、植民地主義、帝国主義にまで視野を広らえる鋭さが隠れている。それは戦時下の人権侵害的犯罪というとらえ方よりも厳しい問いを含んでいると言わなければならない。朴裕河は過去を美化し肯定しようとする歴史修正主義者の視点とは正反対のまなざし慰安婦被害者に注いでいるのだ」

しかし、このような評価は正しいのだろうか。鄭栄桓明治学院大学准教授の『忘却のための「和解」』(世織書房)によれば、『帝国の慰安婦』には極めて恣意的な引用が目立つのだという。一例をあげる。

「日本人に抑圧はされたよ。たくさんね。しかし、それもわたしの運命だか “わたしが間違った世の中に生まれたのもわたしの運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない”という従軍慰安婦の証言にたいし、朴裕河は日本語版『帝国の慰安婦』のなかで自分の身に降りかかった苦痛を作った相手を糾弾するのではなく、『運命』という言葉で許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。そのような彼女に、彼女の世界理解が間違っている、とするのは可能だが、それは、彼女なりの世界の理解の仕方を抑圧することになるのだろう。何よりも彼女の言葉は、葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではないことを教えてくれる」(92-93頁)と書いている。

鄭栄桓『忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房2016年4月)

しかし、この従軍慰安婦の証言には続きがあり、最後にこう述べていたのだ。

「アイグ、日本の軍人のことを考える本当に恨めしい。恨めしいのは恨めしいけど、あの軍人たちもみんな死んだはずだよ」

さらに鄭栄桓氏によれば、この被害者は米下院議長宛てに公開書簡を送った6人のうちの1人だったそうだ。その公開書簡には「私たちは戦争が終わった後も私たちが被った残酷なことについて語ることができず、ほとんどの全人生を傷と恨を抱いて暮らしてきました」とある。

いかに恣意的な引用であったかがわかるが、他にも『帝国の慰安婦』には大量の誤った引用や歴史認識が見受けられる。それほど分厚い本でもないので、ぜひ『忘却のための「和解」』をご購読いただきたい。

上記のことを踏まえると、ヘイトスピーチ規制を推進しながら、従軍慰安婦の被害者たちの訴えに「名誉が傷ついたとは思えず」と賛同した基準はなんなのかと中沢けいに聞いてみたくなる。中沢は『人権と暴力の深層』のインタビューでヘイトスピーチ対策法に関し「出来たものをうまく運用して、社会的に役に立つものになりましたよ、っていうのがジャーナリストや報道の仕事でしょ」と他人に運用に関して丸投げにしているが、中沢の基準が曖昧なのにどうやって適正に運用できるのか。

◆田中明彦ら軍拡目指す安保法制推進学者の不気味な賛同

中沢けいの他の署名者を見てみよう。高橋源一郎や島田雅彦、星野智幸、いわゆるSEALDs・しばき隊と親和的な関係にある作家以外にも元東京大学教授田中明彦が入っている。   

ジョセフ・S.ナイ ジュニア、デイヴィッド・A. ウェルチ『国際紛争 ─ 理論と歴史 原書第10版』(翻訳=田中明彦、村田晃嗣/有斐閣2017年4月)

田中明彦は日本の大学で国際政治学を学んだ人物であれば必ず名前を知っている著名な国際政治学者だ。集団的自衛権行使容認を含む憲法解釈変更を提唱した「安保法制懇」(安倍首相の私的顧問機関)のメンバーで、安保法制推進の理論的リーダーでもある。また彼の訳出したジョゼフ・ナイ=デイヴィッド・ウェルチの『国際紛争』はアメリカの大学で広く用いられている教科書であり、日本の大学でも使用されているほど影響力がある。ジョゼフ・ナイは「ソフトパワー」という概念を広めた他、日本の橋本龍太郎内閣時にクリントン政権の国防次官補として日米安保再定義にも関与した実務家でもあり、「知日派」として影響力があるとされている。

田中もナイも日本の集団的自衛権行使容認を昔から提唱しており、イラク戦争支持者であったことも共通している。

日本の外交政策に大きな影響力を与えているとされ、山本太郎議員が国会で取り上げた第3次ジョゼフ・ナイ=アーミテージレポート(IWJ仮訳)を引用する。

日米同盟、ならびにこの地域の安定と繁栄のために極めて重要なのは、日米韓関係の強化である。この3国のアジアにおける民主主義同盟は、価値観と戦略上の利害を共有するものである。(中略)米国政府は、慎重な取扱いを要する歴史問題について判断を下す立場にないが、緊張を緩和し、再び同盟国の注意を国家の安全保障上の利害、および将来に向けさせるべく、十分に外交的な努力を払わなければならない。同盟国がその潜在能力を十分に発揮するためには、日本が、韓国との関係を悪化させ続けている歴史問題に向き合うことが不可欠である。米国はこのような問題に関する感情と内政の複雑な力学について理解しているが、個人賠償を求める訴訟について審理することを認める最近の韓国の大法院(最高裁)の判決、あるいは米国地方公務員に対して慰安婦の記念碑を建立しないよう働きかける日本政府のロビー活動のような政治的な動きは、感情を刺激するばかりで、日韓の指導者や国民が共有し、行動の基準としなければならないより大きな戦略的優先事項に目が向かなくなるだけである。(中略)直近では、金正恩の長距離ミサイル実験および軍部との権力闘争は、北東アジアから平和を奪うものである。同盟国は、根深い歴史的不和を蒸し返し、国家主義的な心情を内政目的に利用しようという誘惑に負けてはならない。3国は、別途非公式の場での活動を通じて、歴史問題に取り組むべきである。現在そのような場がいくつか存在するが、参加国は、歴史問題についての共通の規範、原則、および対話に関する合意文書に積極的に取り組むべきである

このレポートを読めば田中明彦がなぜ朴裕河の起訴に反対したのかが、明確になってくる。『帝国の慰安婦』にみられる記述が外交関係の「改善」、ひいては日韓の軍事同盟強化に資するとみているからだ。

実際、朴裕河自身も『帝国の慰安婦』の日本語版あとがきで「この2年、日韓は一種のコミュニケーション不全に陥り、相手に対する諦めと不満を募らせてきました。幸い2014年春、日韓の局長級協議が始まり、9月末現在、首脳会談成立への兆しも見えています。この動きは望ましいもの」と日韓政府の「歩み寄り」に肯定的だ。

◆日本の侵略・植民地支配責任

イラク戦争を支持し、安保法制を推進した中心人物と同じ声明に賛同していることになんらの違和感を感じないらしいのがSEALDs・しばき隊シンパの学者・作家なのだ。今回小池=前原のコンビによる政界再編により「リベラル」派の困惑は頂点に達しているが、そもそもなし崩し的に堤防を決壊させるようなことをしてきたのは彼らである。今更困惑されてもどうしようもない。このリベラルの崩壊は長年にわたって積み重ねられてきた右傾化の結果でしかない。これ以上の決壊を防ぐには地道に日本の侵略・植民地支配の責任を明らかにして法的に賠償していくことしかないだろう。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『人権と暴力の深層――カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

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